第二話 目覚め
「なかなか目を覚ましませんね……大丈夫でしょうか」
「うむ……別世界から召喚をされると、こちらの世界でも問題ないように、体の仕組みや言語能力を適合させられるらしいからな。身体に急激な負荷がかかるわけだから、しばらく起きないかもしれん」
二人は一向に目覚める気配のない少年をベッドのある部屋に運び――といっても実際に運んだのはヨロイだが――その様子を見守っていた。
ヨロイは、改めて召喚された人物をじっくりと観察した。未だにベッドで横になっている少年は、短く切られた黒い髪をしている。背丈は自分たちと変わらないだろうか。恐らく年下である顔から推測する年齢の人間としては、平均的な身長だ。運ぶときに触った体型もごく標準的で、決して筋肉質ではない。
もしかすると部屋に入りきらない大物モンスターなどが召喚されるのではないか、と心配していたヨロイは安堵するとともに、少年の実力がいかほどのものか判断できず、頭に不安がよぎっていた。
「朝までには起きてくれるといいんですけど……それにしてもこの人、一体どんな方なんでしょうか。初めて見る装備です。魔王様はご存知ですか?」
「いま着ている黒い鎧は、私も見たことはない。だが、相当に高位の能力者であることはわかる……ヨロイは何か気付いたことはあるか」
魔王に言われ、ヨロイは少年の黒服に目をやる。黒く染まったそれとは対照的に、中央で丸いボタンが控えめに輝き5つ並んでいた。見たこともない形――恐らく異世界の文字であろうか、いずれも同じデザインの彫刻がされてある。
「わ!綺麗なボタンですね。金……ではなさそうですね。何でできているんでしょう」
「恐らく銅の一種だろう。驚くべくはその精巧さだ。いずれも寸分違わず見事な彫を入れられている。これだけ手の込んだことをしておきながら、あえて装飾に金を一切使用せず、軍事利用もされる銅を利用しているところからして、戦士階級の出なのだろう。年齢からして、いずこかの軍事学校の制服なのかもしれん」
「さすが魔王様です。そこまで見抜いていらっしゃったのですね」
「ふ……付け加えるなら、服の作りも相当しっかりしているな。縫い目はとても丁寧であるし、さも当然のように手入れが行き届いていて、つぎはぎもない。サイズも比較的適合していることから推測すると、恐らく名のある職人が、この者のために新しく丹念に作ったのであろう。これほど上質な装備を若くして、それも王侯貴族ではなく戦士階級が与えられるとは、元の世界では相当なエリートのはずだ」
「つまりすごい実力をもった将来有望な若者ということですね。ますます期待が持てちゃいます」
ヨロイは、自らの主の洞察力に心酔していた。条件はそう変わらないはずなのに、愚鈍な自らと違い、主君はこれだけのことに気付けることができたのだ、と。
目の前の若き魔王シャルロットは、なんとしても我を押し通す欠点と少々抜けているところがあるが、魔王国を建国した英雄アンリから脈々と続く正当な後継者であり、強力な魔法使いとしても有名であった。
現在でこそ、反乱軍の攻勢より地方の小さな町に退避しているが、本来は魔都オルレアンの王座の存命者唯一の持ち主であることは、明白なのだ。少なくともヨロイは、それを信じて疑わなかった。
そんな崇拝にも近いヨロイの眼差しと態度に気を良くしたシャルロットの考察の垂れ流しは、止まることを知らない。
「そして防具の性質からして、単純な戦士ではないな。恐らくは、魔法剣士タイプ。防御力ではなく、相手との距離を自らの有利な立ち位置に持ち込みやすいように俊敏さを重視したスタイルなのだろう」
「魔法剣士!近くの敵を手に持つ剣でスパッスパッ!遠くの敵も剣から放つ魔法撃でジュバッ、ドーン!な、あの超強いと噂の魔法剣士ですね!」
ヨロイは得物を持ったようにして相手を斬る動作の真似事をする。数少ない信頼のおける配下にして、ただ一人の妹分でもある彼女のしぐさを、シャルロットは微笑ましく見ていた。
「うむ、その魔法剣士だ。彼の偉大なる英雄アンリも漆黒の鎧を着た魔法剣士として、おとぎ話でも語られる……なるほど、魔神も粋な計らいをしてくれたものだ」
腕を組み、うんうんと頷くシャルロットであったが、丁度そのときそれまでなんら動きを見せなかったもう一人がようやく小さく声をあげた。
「う……ん……なん……」
「わ!魔王様、お目覚めですよ!」
「おお!」
それまで当の本人を置いてきぼりにして、二人で延々と盛り上がっていたシャルロットとヨロイだが、ついに待ちわびた瞬間がやってきたのだ。その興奮が一気に頂点に達するのも無理はなかった。ヨロイは少年を金属の指で肩から掴んで起こし、揺さぶって強く呼びかける。
「こんばんは!聞こえますか!返事できますか!大丈夫ですか!」
「ぐええ……」
目覚めたところで、いきなり体を前後に強く振らされることになった少年は白目をむいていた。
「ああ!大変です!この人調子がすごく悪いみたいです魔王様!」
「な、なんだと……どけ、ヨロイ!おい気をしっかり保て!こんなところで死んでしまっては、私の野望と我慢を続けたスイーツの無念はどうなるというのだ!」
シャルロットはベッドに乗り込むと、狼狽して動けぬヨロイの反対側から少年の顔に向けて必死にビンタを往復した。
「大丈夫です……大丈夫ですからもうやめて……」
頬を朱色に染めながら、少年は自らの生存を報告した。
「ああ、良かったです。魔王様の素早い蘇生処置が功を奏したようですね」
「うむ、すぐにこの者の不調に気付いてくれたヨロイのおかげだ。礼を言うぞ」
「そんなそんな……私は当然のことをしたまでです。それが魔王様のお役に立てたのなら本望です」
(なんだこの変な夢……マジで痛い)
少年は目の前で繰り広げられる夢の中での茶番を冷めた目で見ていた。
目の前の怪しい人物は二人。いずれも少年が知っている者ではない。
一人は、真っ赤で腰まで伸びるロングのウィッグに、とても露出の多い刺々しい黒い鎧を着た女の子だった。くるりとした睫毛が特徴的な色白の顔は相当な美形で、日本人離れした容貌だが、間違いなく痴女系コスプレイヤーだ。
もう一人は、まるで本物のように重量感のある異国の甲冑のコスプレをしていた。まるでアニメや海外の映画、歴史の教科書などに出そうな立派な一品だ。声は鎧のいかつさとは対照的にとてもかわいらしく、中には若い女の子がいることが容易に想像できた。少年は、近頃女子の歴史好きが歴女として注目をあびていることを知っていたので、恐らくその中でも本格的な趣味の持ち主であろうと判断した。
そして極めつけは場所だ。先ほどまで自分の部屋で登校の準備をしていたはずなのに、彼が見たこともないところにいるのだ。今いる部屋はところどころが汚れており、お世辞にも綺麗とは言えないのが妙にリアルで違和感があったが、周囲は暗く夜であることを示していたから、ここが現実でないと容易に想像できた。
(早く起きないと、入学早々遅刻なんてシャレにならないぞ)
しかし夢の中で何かをして自発的に目覚めることができるのだろうか。痛みは効果がないことを既に証明されている。ならば今の自分にとれる手段はあまり思いつかない。
しばし考えた後、少年はこの調子だとまた自分に危害を加える可能性がある二人の様子をちらりと窺うと、やや控えめに宣言した。
「あの、始まったばかりですみませんが、起きたいので寝ますね」
「起きたいので寝る?妙な言葉を使うな。やはりどこか調子が悪いのかもしれん」
言葉とともに四つん這いのまま、じりっと顔を近づける赤毛の少女から逃げるように、少年はベッドの上で後ろに退く。夢の中とはいえ、無用に痛い悲劇の繰り返しはなんとしても避けなければならない。
「いや、頭は大丈夫です。叩かないで大丈夫。それよりもこれから学校があるんで、早く夢から覚めて起きないと……おやすみなさい」
「わ!これから学校ですって。やっぱり学生さんなんですね!魔王様の仰る通りです」
魔王という非現実的な言葉と、なぜか学校という単語に過剰に反応する甲冑の少女を少年は冷静に訝しむ。今の自分の格好――学ランを見れば、自分が学校の生徒であることは一目で想像できるはずだ。やはり所詮は夢、そこまで設定は詰められていないらしい。
「ふむ……だが、現実と夢の区別がまだついていないようだな。無理もないが、そこは時間が解決してくれよう」
「いや、俺としては時間が経っちゃうと困るんですけど……」
「夢ならそうであろうな」
頑なに夢であると思い込み、現状に困惑する少年が面白いのか、赤毛の少女は小悪魔のような笑みとともに先ほどまで近づけていた顔を下げ、近くの椅子に足を組んで座った。
恐らく自分とそう変わらぬであろう年齢に不釣り合いなその妖艶さに、少年は無意識のうちに少女を目で追っていた。
「夢の中で寝たからと起きる保証もあるまい。せっかくだ、少し話でもしよう。互いに名もわからぬままでは目覚めも悪いというものだ」
目の前の少女はどうあっても自分を寝かせてくれないらしい。やけっぱちな気持ちで少年は首を縦に一度だけ振った。