第一話 召喚
「魔王様……いよいよですね」
決して広いとはいえない薄暗い部屋に、赤い光に不気味に照らされる二つの影があった。そのうちの一つ――立派な西洋風の板金鎧から、可愛らしく目上に対してやや媚びるような女の声が発せられた。
甲冑の大きさから推測するに平均的な人間の女性の身長であろう全身が鎧姿の女は、どうにも落ち着かない様子で、床に無造作に置かれた赤く輝く石を踏まないように気を付けながら部屋を右往左往している。
彼女はこれから起きるであろう奇跡とその後の展開への期待に胸が躍り、ひどく興奮しているようだった。
「早くしましょうよ。私もう待ちきれないです。この日のために全身を手入れするオイルだって月一に節約してがんばったんですから」
「まあ待てヨロイ。私とて今日のために1年間も食後のスイーツを週一に我慢してきたのだ。今しばらくこの光景を目に焼き付けても罰は当たるまい」
ヨロイと呼ばれた板金鎧の女と背丈はそう変わらないもう一つの影が、対照的に落ち着いた様子で後ろで急かす相方を制止する。
魔王と呼ばれた女は、外見的には恐らく少女と呼べる年頃だろうか。やや露出が多く黒のビキニアーマーのような恰好をしている彼女は、二つの金の瞳を周囲いっぱいに置かれた真っ赤に輝く石に目をやり、いかにも大事をやり遂げ満足している表情だった。
「これだけの魔石を集めるのに苦労しましたものね。それにしても伝承は本当だったんですね――偉大なる魔王が危機のとき、伝説の杖を以って千の魔石を捧げよ。さすれば、太古の魔神より遣わされし者、汝を救うであろう――偉大なる魔王ってところがちょっとだけ……いえ、正直かなり心配でしたけど、こうやって魔石が共鳴して光ってるってことは大丈夫なんですよね」
「ふ……ヨロイよ、今日の私はとても寛大だ。恐らく、この大陸よりも広い心を持っていると言っても良い。普段ならその身をサウナ室に一晩放り込み、手入れをさせずさび付かせて反省をさせるところであるが、今宵は赦してつかわそう」
「わ!ありがとうございます。さすが偉大なる魔王様です。さあさあその勢いで始めちゃいましょうよ、召喚術」
ヨロイが喜び飛び跳ねて儀式の開始を求めた。魔王はやれやれと両の手の平を上に向け首を横に振りながら、しかし満更でもない面持ちで前に出る。
「調子の良いやつだ。さて、魔神ハスモンの使徒とは何が出てくるのやら。女神との神魔戦争時に滅びた神龍族か、百年戦いを続けたといわれる失われし技術の巨大鋼鉄兵士か、もしや魔神の眷属が直接呼びかけに応じてくれるのかもしれんな。いずれにせよ、すぐにでも不埒な反乱軍をまとめて叩き潰し、返す刀で生意気な人間どもの国々も滅ぼしてくれよう」
「はい!反乱軍……あんな悪いやつらに同情の余地はありません!魔王様がスイーツ税として収入の八割の税を課しただけで、王国への長年の恩を忘れ正統性もないくせに自らの国を立ち上げようなどあってはならないことです」
「うむ、ではそろそろ始めるとするか。ヨロイ、召喚術の最中は静かにしていろよ」
「やったー!ドキドキしちゃいますね!」
魔王は自らが愛用する家宝の杖を手に取り、杖の上部にはめ込んだ最上級の魔石を上から白い両手で包むようにして持った。
やがて目をつむり、真剣な表情に変わって召喚に必要な文言の口述を始める。
「我が名はシャルロット・テレーズ・アンリエット・ド・オルレアン。我、偉大なる英雄アンリの血脈にして、魔神ハスモンの第一の僕なり。魔神ハスモンよ、我が求めに応えよ」
手に持つ杖の下部であるもう片方の先端から、六芒星の魔法陣が発生する。
青白く光る魔法陣は回転しながら徐々に拡大していき、部屋いっぱいに拡がっていった。
「我、汝の欲する千の魔石をここに捧げん。汝、契約のもと我に力を与え給うことを願わん」
詠唱が終わるとすぐに魔法陣から不気味と表現するのが適当な、何物のものとも判別がつかない黒い手がいくつも生えてきた。黒い手は周囲を探って目当ての魔石を掴むと床に引きずり込んで消えていく。そこからすぐに新しい手が生まれ、同じように手探りで次の魔石を探していく。
その様子を魔王は冷静な面持ちで静かに見守り、部屋の角でヨロイも恐怖から声の出し方も忘れただ怯えていた。
やがて全ての魔石を床が飲み込み、若干の静寂の後に魔法陣の回転が一気に早まり中央に収束していく。
一人の少女と一体の板金鎧が見つめる先で、徐々に小さくなった魔法陣は小さな光りの円となり、しばらくして噴水の様に光の玉を上方に吐き出していった。
「きたか!」
召喚を始めてからは不必要な言葉は何も発することがなかった魔王だったが、にやりと口の端を吊り上げ自らの召喚術の成功を確信する。
彼女の目の前で光の玉が集まりヒト型を成していく――それは二人が見たこともない黒い布の鎧に身を包んだ男だった。まだ意識がないのだろうか、目を閉じているが顔立ちは若く十代半ばの少年といったところか。
「種族は何でしょうか……もしかして人間?」
魔王はそれに応えることもなく少年を隅々まで興味深く観察していたが、少年の体の周囲に纏い支えとなっていた光が散って前に倒れこむと、慌てて自らが支えとなった。
少年の頭を左肩に乗せ、後頭部を右手で押さえる形となった魔王は、妖艶な笑みを浮かべながらこれからの展望を確信した。
「ヨロイ、私は世界をとるぞ」