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ホットブルー=コールドレッド  作者: にのまえ龍一
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少し長めのエピローグ

『アギアフォス』の白光が、白鳥の作り出した異空間『エタープ』を余すとこなく満たし尽くし、次に私が〝現実〟を視認した時にはもう、元の生徒会長室へと戻っていた。

『エタープ』に包み込まれる前と後で、視覚的変化を強いて挙げるとすれば、第一に生徒会長室最奥の窓から流れ込む、藍錆びた暮れの空色が、室内を埋め尽くしていたこと。

第二に私と葉月、〝神様〟の姉妹が、床に胎児の如くうずくまる一糸纏わぬ一人の〝少女〟を、薄暗闇の中で揃って見つめていたことの、二点だった。

現状を素早く判断した姉妹がそれぞれ同時にパシンと合掌すると、〝少女〟の素肌を隠すための白い一枚布が彼女に被さり、同時に部屋の電灯のスイッチがオンになった。

 私もこれには驚いた。『白鳥恵』は男ではなく、女になっていたのだ。

後にエティアから聞き出したのだが、白鳥のいう長きしがらみとは、これだったのだ。理由は単純にして複雑、彼……もとい彼女には「性同一性障害」を患っていた事実があったのだ。

 エティアは私達を助ける少し前から、『エタープ』内で密かに白鳥の生い立ちを『スパイラ』で読み取り、理解しては哀れみ慈しみ、先の膨大な量の『魔粒子』と自身の持つ因果操作能力を以て白鳥を性転換させた上で、後の人生にも支障を来たさぬように適切な措置(例えば名前の読みを〝けい〟から〝めぐみ〟に)を施してやった、という訳である。

 間もなく部屋の灯りが点くと、〝少女〟白鳥が、深き眠りから目を覚ました。

「―――うぅ、ん……あれ、わたし何をして……?」

まだ半開きの翡翠色の瞳を覗き込みつつ、私は彼女に一声掛ける。

「夢を見てたんだよ……長い、永い、夢をさ」

(うわ臭っ、クサいよ由里っ! シュールストレミングより臭~いっ)

マキナ会長が茶々を入れてくるのを第六感で感じ取ったが、ウザったいので無視した。

「夢? ……わっ⁉」

「のわッ⁉」

未だ夢うつつの白鳥の身体が突如五十センチ程、布ごと宙に浮いた。思わず私も仰け反る。

 これは無論、エティアの力に因るものだ。

「この娘は私が預かっておくわ。色々面白そうな話が聞けそうだし」

いつの間にかエティアの後ろにはあの、テレビ電話のような通信画面『テレフレーム』が彼女の身長程の大きさで、縦長に真っ黒い口を開けていた。

「それじゃお嬢ちゃん、続きは私ん家でね」

「ふえっ? わわわっ、あ―――っ! ……ふにゃっ」

宙に浮いた白鳥は自動車の急発進のように、勢いよくテレフレームへと吸い込まれていき、そしてジオクス・ホール内のどこかで、どこか可愛らしい声と共に、落下した。

 その僅かの後、テレフレームは口を閉じた。

すると今度はエティアが、先程白鳥が居た場所に目をやった。

そこには魔流砂の入っていない、空のLSライフスフィアが転がっていた。魔流砂の色と同調して青かった金属環は私のLSと同じく、白金の輝きを放っていた。ちなみに私自身のLSは既に回収済みで、左手の甲から体内へと戻してある。

「あったあったっ、これよ、これ! 由里に集めて欲しいのは〝これ〟なのよぉ~♪」

何やら彼女は、気分が高揚している。

「は? これ、って……どれだよ?」

彼女の答えを期待するでもなく、私は不必要な聞き返しをした。

すると、エティアはLSを左手で拾い上げ、右手で何度も指を差す。

「だぁかぁらっ、これっ! あぁもう我慢できないっ……いっただっきまぁ~す!」

私の眼前で、おそらく今までで一番のショッキングな光景が、展開していた。

パリッパリッ、ジャリッジャリッ。

ボリッボリッ、ガリッガリッ。

いたいけな少女が、LSを食べている。まるで、卵の殻を噛み砕くかのように。

ガラス質の部分はおろか、金属環までもをいとも容易く、バリバリと。

「ん~、一仕事終えた後のLSはやっぱ格別ねぇーっ! 力が漲るわぁ……」

 既にエティアは、LSのおよそ三分の二を食べ尽していた。

(あ、悪食にも程ってモンがあるだろ)

 そう呟く私の顔は、自覚できるくらい十二分に引き攣っていた。

「まったくエティアったら、何もこんなとこで食べなくたっていいのに」

マキナ会長が、行儀の悪い子供を叱るように、妹へ呆れた声を掛ける。

私は何だか嫌な予感がしたので、会長に一応、聞いてみた。

「ま、まさか会長も……?」

会長は私の方を振り向き、即答した。

「んなワケないでしょっ! ワタシはお菓子の方が断然好きだよ!」

「そっ、そっスよね……ハハハ(ってことは一応、食えなくはねぇのか……怖っ)」

真実味のある即答を受け、一安心である。

エティアの方も、すでに完食のようだ。油物を食した訳でもないのに、彼女は右手の指一本一本を、ペロペロと丁寧に舐め上げては言った。

「勿体ないわねぇ、姉さん。スピリストによって味が違うから飽きないのよ、これ。このお嬢ちゃんのは例えるなら、そう……ケンタッキーの皮の部分かしらね」

分かるような分からんような微妙な例えを、エティアは持ち出してきた。一体、彼女の味覚はどうなっているのか。正直気になるところである。

「いくらLSが肉体の成長に必要だからって食べ過ぎは身体に毒よ、エティア?」

「毒ぅ? 何言ってるのよ姉さん。LSはスパイラを使うのに不可欠な栄養素がたっぷり詰まってるのよ? 取っても取りすぎるなんてこと、あるはずがないわ」

「何をぅ⁉ こっちはあなたの姉として、色々と心配してやってんのよ?」

「別に姉さんに心配してもらう事なんて、なんも無いわよ」

「何よ、やる気?」

「そっちこそ」

 私達の目の前でまさかの、本当の姉妹喧嘩が勃発しようとしていた。二人の力量を考慮すれば、この部屋どころか校舎全体に被害が及ぶことは、想像だに難くなかった。

「ま、まぁ二人とも。折角の再会な訳なんだし、ここは仲良く水入らずで―――」

 と、私は穏便な解決法を試みようとしたのだが、

「「部外者は黙っててッ‼」」

 彼女らの剣幕に、一瞬で取り下げられた。と思いきや、今度は葉月が二人の前へ歩み出で、

「お二人とも、静粛にッ‼」

 普段の口調からは想像もつかない程の鋭い一声が、彼の口から飛び出た。姉妹は途端にキョトンとなり、飼い主の前で畏まる仔犬の如く即座に縮こまった。

(そういや葉月が緑色の光を出す時の呪文って、紫の光を治めるような効果だったよな?)

 勝手な解釈だが、葉月の喝破は、姉妹の争いを食い止められる唯一の手段なのだろう。

すると葉月は突然片膝を突き、エティアに向かって深々と頭を下げた。

「この場をお借りして、僕は御主人に謝罪せねばならない事がございますっ!」

「ど、どうしたのよハスク。そんなに改まっちゃって」

エティアは突然の事態に、戸惑いを隠せていなかった。

「只今よりその旨をお伝えしますので、どうかそのままお聞きになられてください」

葉月は姿勢を変えぬまま、今度は私の方を向き、こう言った。

「―――由里、〝あの夜〟の騒動の原因はすべて、僕の一時の感情によるものだったんだ」

「は、どういうことだよ? ちゃんと説明してくれ」

私がそう返すなり彼はそろりと立ち上がり、顔は俯いたままに語り出した。

「僕は螢星祭の夜、由里達の前に登場する少し前に、御主人に君を発見したことを知らせにジオクス・ホールに向かった。けど、そこで僕は……御主人と言い争いをしてしまったんだ」

「えっ……ってことはあの夜の、エティアの力の暴走っていうのは、まさか⁉」

マキナ会長が葉月の方を見、彼に督促を迫る。

葉月は、黙って首肯した。

「僕は分身としての使命を果たし終えたら、再び御主人の一部となって還っていくということを聞かされた。僕がそれに反発したことで、御主人のお怒りを買ってしまった」

葉月は落ち着いて、俯きがちに続ける。

私も会長も黙って、彼の声に耳を傾ける。

「そこで、僕は御主人にこう言った。貴女なんか神じゃない、分身である僕の命など平気で見捨てる死神だ、と。僕はそれを捨て台詞に、『ホット・ブルー』から家出同然の逃亡をしてきたんだ。でも、僕がステージ上で由里と相対した時、御主人の怒りがついに爆発してしま―――」

しかし、そこで、葉月の口が止まった。

彼の口元に、エティアの人差し指が止まっていたのだ。

小さな体を宙に浮かせつつ、葉月と目線を同じ高さに合わせながら。

そしてゆっくりと指を口から遠ざけ、弱々しく、されど芯の通る声で、彼女は言った。

「話は分かったわ、ハスク。でも、もうそれまでにして。これ以上、貴方の悲痛な声に耳を貸せるほど、私は〝神様〟ができてないのよ」

 言ったエティアの頭が、両肩が、両腕までもが、力なく下垂していく。

「私、未熟で、傲慢で、大馬鹿だった。〝神様〟らしく在ろうって、焦ってたんだと思う」

しかしぐったりしたはずの彼女の上半身はすぐに再び、力を取り戻す。

「でも私、リーテに教わったの。後悔しない内なら、貴方ともう一度、やり直せるって」

 葉月は押し寄せる情感を言葉にすまいと、両の拳の緊張を解いていた。

 言葉にすれば、先立つ激情に圧しつぶされることを、彼は心得ていた。

 彼女の方も、彼の心境の微細な変化を、感じ取れるまでになっていた。

〝神様〟という存在であれ、彼女の心はやはり、人間と何ら変わらない。

 彼女に不足していたのは器量でも技量でもない、心の成長だったのだ。

 とうに決意を強固としたエティアは、全き自然な表情で、葉月を見る。

「だからね……貴方がまだこんな私を赦してくれなくても、今すぐこの場で、これだけは言わせてほしい」

彼女の肉声は刹那の途切れの後、唇から紡がれた次の一言で、蘇った。

「―――ゴメン、ナサイ」

葉月の両腕は、彼女の華奢な身体を、目一杯抱きしめていた。

抱きしめられた彼女の胸中は驚き半分、安心半分として、そのあどけない顔立ちにはっきりと表れていた。

少年と少女のすれ違う想いは今こうして初めて、重なり合い、一つとなる。

目の前の二人はまるで、天の架け橋にて再会する、織姫と彦星に見えた。

エティアはしかし、きわめて平静を努め、顔の見えない葉月へと声を漏らす。

「ハスク……せめて呼吸くらいさせて頂戴。まだ貴方に言い忘れてたことが、あるの」

「申し訳ありません、御主人。僕にとってこのような感情は……初めてなもので」

葉月はとにかく夢中で、主人であるエティアの温もりを確かめていた。

儚き容貌故になお愛しい、彼女の柔らかな髪、頬、胸、四肢、五臓六腑に至る全てを。

「もう……しょうがないわね」

彼女は葉月に拘束されていた細い両腕を彼の首の後ろへ回し、柔らかく呟く。

「私が貴方に付けた『ハスク』って名前には、確かに〝抜け殻〟って意味もあるわ。でもね、それよりももっと大事な、もう一つの意味があるの」

 エティアの両腕に力が入り、葉月の両目が微妙に揺れ動いた。

「〝大切な種子を守る外皮〟よ。つまりね、〝神様〟としてまだまだ未熟な私が一人前になるまでずっと……ううん、いつまでも私を守っていて欲しいってことなの」

「あの、御主人……僕は今、とてつもなく胸が苦しいんです。でも僕はそれを解消できる方法を知っています。ですから僕に、その許可を下さいますか?」

葉月の鮮紅の双眸は、すでに透明な液体で潤んでいた。

「ええ、許すわ……思いっきり―――〝泣きなさい〟」

彼女から許しを得た少年は、迷い一つなく、泣いた。

地に足着かぬ小さき主を両腕に抱え、彼自身も、その主に強く抱き付かれながら。

少年の涙は少女の心を突き動かし、嬉しさを分かち合う為の言葉へと変わっていく。

「今だけは私も、貴方に甘えさせて頂戴。我が誇り高き無二の写し身―――『ハスク』」

「―――はい」

少年から許しを得た少女も、彼に身を委ね、〝泣いた〟。

声には出さず、しかし溢れ出すその落涙が、全てを物語っていた。

「うう、ああっ何だよぉ。オレまで泣けてきちまったじゃねぇかよぉ」

「由里ぃ……ワタシの涙腺、早くも緩くなって来ちゃったのかなぁ?」

私も会長も居たたまれなくなって、二人揃って大号泣していた。

「会長は元から弱いでしょう? ……って、あれ?」

その時会長は右手に何か、白い布のような物が握られていた。

「かっ、会長! それ、オレが螢星祭の時に貸した〝アレ〟じゃないっスかぁ!」

私が会長を指差すと、声に驚いた葉月とエティアが振り向き、私達を注視していた。

マキナ会長もその〝アレ〟を見直して、仰々しい驚きの声を上げる。

「え……ああっ! ホントだゴメン、これ由里のハンカチじゃーんっ!」

そこはかとなく演技くさい台詞と共に会長は間もなく、カモミールの刺繍が入った白いハンカチを私に返却した―――私はそれを、黙って受け取った。

「ねぇ、由里。カモミールの花言葉って、知ってる?」

「えっ、何なんスか、急に」

相変わらず会長の行動は先が読めない。その『こころ』は一体、何なのであろうか。

「〝逆境に打ち勝つ〟だよっ!」

「……で、何スか?」

 確かにガッツのある良い花言葉ではあるが、いまいちピンと来ない。

そんな間の抜けた返事を聞いた会長の頬が、ムクッと膨れ上がった。

「何スか、じゃないよ由里っ。このハンカチが無かったら、ワタシ達はあの白鳥って子のゲームに勝てなかったって事だよぉ!」

「ああ、そういう事っスか……プフッ」

怒った顔で必死に説明する彼女の姿が何故だか滑稽に思えて、吹き出してしまった。

「ってか、エティアが助けに来てくれた時点で勝負も何もなかったじゃないスかぁ」

 私としては珍しく揚々とした声色で、付け加える。

「ふふっ」

「フフッ」

「……ん、んふふっ」

葉月も、エティアも、笑っていた―――笑いの的となっていた、マキナ会長本人も。

それから私達四人は、ひとしきり大声で笑い合った。

〝笑う門には福来る〟 ―――そういやそんな諺が、あったっけな。

すると、その諺が現実になるやもしれぬ現象が、夜空の窓に一瞬だけ光を放った。

「―――あっ、流れ星!」

叫んだのは、マキナ会長であった。彼女はとうに、両手を合わせて目を瞑っていた。

「あ~あ、もう消えちゃったぁ」

「な、何をお願いしたんスか、会長?」

シュンとした顔の彼女に、私は半ば義務のように質問していた。

「ん~? ひぃ~みぃ~つ、だよっ!」

会長は私の方を向いてニッコリとしながら、人差し指を閉じた口の真ん中に当てた。

「教えてくれたっていいじゃないっスかぁ、このこのぉ~っ♪」

「ちょっ……やめっ、由里っ、へっちゃうっ、減っちゃうってぇ、きゃはははっ!」

私はそんな会長がいじらしく思えてきて、彼女の制服の内側をまさぐり始めた。

「えぇ~? 何が減っちゃうんスかぁ、か~いちょ~う?」

「いはははっ、いっ言わせるな、この、ごじゃらっぺがぁ! うはっ、えはははははっ!」

などと私達がバカ騒ぎをする一方で、葉月は何かを両手に持ち、エティアに見せていた。

「御主人、確か今日は貴女の誕生日でしたよね? ……これ、付けてみてください」

「リボンに……これ、ルビーのネックレス?」

一つに、紺色に包装された小包から牡丹色のリボン。

一つに、ベージュの小箱から銀色に縁取られた菱形の、ルビーのネックレス。

「おはははっ……あっ、そのリボン、ワタシにつけさせてっ」

「のぉっとっ……おう、この色男ぉ! そのネックレスはオレに任しときなっ」

こちょこちょ地獄から抜け出すように、会長は言葉通りの行動に乗り出した。

手ぶらになった私も葉月からネックレスを受け取り、エティアの首へと手を回す。

「こんなこと姉さんにしてもらうの、始めてね」

「えへへ~、お姉ちゃんとしてこれくらい、出来て当然なのだっ」

会長とエティアは、いかにも姉妹らしいやり取りを満喫し、もうすっかり仲直りだ。


《 私、姉さん達を助けることができて初めて、ようやく気づくことが出来た 》


「―――よし、こっちは完了、っと……どうよ葉月、上手くいっただろ?」

一足先にネックレスを付け終えた私は、傍らで眺めていた葉月へと感想を訊いてみる。

「C` est merveilleux(最高だ)! 女神も裸足で逃げ出す美しさです、御主人!」

こういう奥歯の曇る台詞を軽々口にする彼は何だか久しく、それでいて新鮮な気がした。


《 私は『何でも出来る存在を目指す』んじゃなくて、『何でもしてあげられる存在を目指す』べきなんだって。なのに――― 》


「こっちもでーきたっ! ……うんっ、とぉっても似合ってるよ、エティア!」

マキナ会長が満遍の笑みで、洗練された妹の形貌を褒め称える。


《 それ以上に助けられて、こんなにも愛されて―――〝神様〟一からやり直しね、私 》


エティアの左側頭にゆったりした蝶結びのリボンが、胸元にはルビーが、煌めいていた。

それはまるで、一条の光差す黒雲の大地に一輪、淡く赤い可憐な花が、咲き蘇るように。


《 でも、それよりも、何よりも、今すぐ声に出したい、嬉しさがあるの 》


彼女の笑顔は、かけがえのない、無上の輝きを放っていた。

それはまるで、永きに渡って地上の陽光を求め続けた、至宝の原石のように。

「ありがとう」

黒天の空には一閃、一番星が紅く輝き、蒼き星からの返事を待っていた。



「由里のやつ、どうしてっかなぁ」

 ふと気が付けば、あの場所で由里と顔を合わせる頃には、既にひと月が過ぎていた。

 俺はあのマスティカ絡みの一件以来、エミオとシラードに一度だけ、顔を合わせている。

二人ともきっと怒っているに違いない、と最初の方は怖々としていたのだが、それは杞憂だった。寧ろ大いに心配してくれていて、俺はなりふり構わず泣いてしまった。

 同伴者として一緒に付いてきたエスペリテは、号泣する俺の背中をバシンと強く叩いて喝を入れ、続いて例の件の真相について、彼らに語り明かした。

 彼女の語りが予想以上に熱が入っていたためか、彼らはその度に驚き、感心し、すっかり聞き入っていた。エスペリテの話術スキルの高さが、垣間見えた一時であった。

 二人は彼女の話を聞き終えると、快く俺にこう言ってくれた。


『俺達に何か協力できることがあったら、何時でも訪ねて来てくれ。待ってるぞ』

『イムレフ所長の目を盗んで、アイトを全力バックアップだなっ。任せろってぇ』


 そうそう、あの所長は未だに、失踪扱いの俺を探しているのだとか。

 当然だが、もうあの老いぼれに目を付けられるのは御免だ。次また見つかれば、その時はモルモットどころか巨大な水槽内でホルマリン漬け、なんてことになりかねないからな。その対抗策として、エスペリテのスパイラ『プロサーム』が役に立ってくれるわけだ。

『プロサーム』は、光のある場所ならどこでも身を隠すことができる結界を張ったり、光に質量を持たせて実体化が出来るという、諜報活動に色々と役立つスパイラだからだ。

 今の俺達だってもちろん、『プロサーム』による不可視の結界によって、外部の気配をしっかり遮断して歩行している。

「会人、もうそれで十四回目よ……流石に耳ダコができそうだわ」

 俺の呟きをつぶさにカウントしていたエスペリテは、文句交じりに声を返してくる。

 今し方、ポス・ベリタス第一魔粒子研究所にあるナウラの研究室を後にした俺――天崎会人――は、ナウラの助手として研究所に勤めている彼女と共に、ナウラの自宅で留守番中の双子――エルとラニ――の面倒を見るため、肌寒く人気のない、象牙色のビルに挟まれた路地を幾度となく直角に曲がり、目的地へ足を運んでいる。

ここで、ちょっとした補足。ナウラの研究分野は『魔粒子生理学』という、魔粒子が人体の生命現象にどう関わるかを探究する分野であり、無論『スパイラ』も研究対象に含まれていることから、双子にも節度を守って助力して貰っているらしい。

そして、もう一つ補足。ビガロの路地に人気が少ない理由についてだが、彼らは寒冷地に生息している癖に寒がりが多いらしく、主なコミュニティが温暖な地下に集中していることがその証拠らしい。因みに、象牙色のビルはすべて、住民用のマンションなのだとか。

「あっ、すまん、リーテ。由里が大事に巻き込まれてないかと思うと、どうも不安で不安で仕方ないんだよ。あいつ、小っちゃい頃はいつも俺の背中に張り付いて離れなかったたんだぜ?」

 エスペリテは半ば呆れているのか、はぁ、と小さく溜め息をついた。

「そりゃ見上げた妹愛ね。でも度が過ぎればそれはシスコ……ふみっ‼」

丁度いい身長差を活かし、エスペリテの頭上に一発、げんこつをかましてやった。

時間を共にする内に分かってきたことだが、エスペリテは何かと余計なひと言が多いオンナなのである。いわゆる〝小姑的ポジション〟というやつだ。

「いったぁ……暴力反対、労力減退~」

「るさいっ、もうすぐ目的地なんだから、黙って歩く!」

「―――はぁい(……そっちが言いだしっぺのくせに何か理不尽よ、コレ)」

ぶたれた頭を両手で軽く押さえつつ、彼女はようやく黙ってくれた。

それからものの一分と経たず、俺達はナウラの自宅へと、足並揃えて到着した。


「あっ、お兄ちゃんたち帰ってきたっ!」

双子の兄のエルが、奥からドタドタと俺達を出迎えてくれた。

「ねぇっ、おっきなお兄ちゃんとリーテお姉ちゃん! あたしたち、みつけたんだよっ!」

妹のラニも兄の後に続き、長い紫の髪を振り乱しながら、バタバタと走ってきた。

「えっ、何を見つけたの?」

エスペリテが中腰になって双子に目線を合わせ、彼らの言動に注意を傾ける。

するとラニは、エルとお揃いの灰色パーカーの前ポケットに両手を突っ込み、彼女の小さく幼い手に有り余る程の大きさの、赤錆色の円盤のような固形物を取り出した。

「……じゃっじゃーん! 『おっきなビスケット』だよおっ!」

「おうちのうしろに落っこちてたのを二人でみつけたんだよ、リーテお姉ちゃんっ!」

ラニがその「ビスケット」をエスペリテに惜しげもなく見せ、手渡した。

俺とエスペリテはそれを見て、音もなく驚愕する―――そして二人で、ハモった。

「「こっ、こんなにあっさり〝一枚目〟が見つかるなんて……あっ、そうだ!」」

 その時が恐らく初めて、彼女と波長が合った瞬間だと思った。

「「ん~? どしたのぉ?」」

双子は互いの頭を寄せ合うように、首を傾げる。

その間に、俺達は名案を思い付いたのだ。

「なぁ、二人とも。このビスケットに向かって『トロボリィ』をやってくれないか?」

「ほんの少しだけでいいの……もちろん、ナウラ先生には内緒よ?」

俺達二人はビスケットの端同士を持って、双子にスパイラの催促をする。

「「ん~……分かった、いいよぉ!」」

双子は少々の迷いを見せた後、早速例の構えでビスケットにオーロラの光線を照射した。

二筋の光線はビスケットのど真ん中で一点となり、背後の両扉の玄関ドアで映像と化す。

画面中央に映し出されたのは、英語で短く記された、次の一文だった。

《 The Earth and Pos Veritas is the same planet in origin. 》

――――――〝地球〟と〝ポス・ベリタス〟の起源は、一つの惑星である――――――


 

あれからワタシは、砂時計の中の砂粒を、改めて覗いてみた。

 最初に見えたのは、由里と葉月君の二人だった。

 由里はあれからスピリストとしての生活を送っている、いや、正確には送らされている訳だが、今のところ学校生活に大きな支障は出ていないようだ。戦いは主に放課後を中心に活動しているらしいが、あの白鳥という少女の対決以降は骨のある相手になかなか巡り会えず、魔流砂の色が未だに黄色で留まっているのだとか。

 葉月君の方も由里の対戦相手の捜索を日課としているが、その傍ら、由里と一緒に街中で食べ歩きをするという趣味を見つけ、彼なりに地球での日常を満喫しているようだ。


 次に浮かんできたのはワタシの妹、エティアの近況についてだ。

 あれからエティアの肉体は徐々に線がしっかりとしてきて、今では一、二時間程ならば外出も可能らしい。そこで彼女の世話係ことエスペリテが、外出用の服を新調してエティアと一緒に黄石市の街中を探索するという、新たな趣味を見つけ出したのだとか。

 彼女らは端から見れば、『そっくりすぎる姉妹』として周囲に認知されていることを聞いた。元々が同一の存在なのだから、無理もないことであろう。

 そんなエティア達であるが、最近になってまた新たな活動を始めたという。それは、街中で困っている人を、有無を言わさず助けること―――俗に言うボランティア―――である。

ただ困ったことに、その手助けに彼女のスパイラを多用してしまうらしく、その度に誤魔化しの弁明を余儀なくされるエスペリテは、非常に不憫に思える。それでもご主人の笑顔が見られるのなら苦にはなりません、と本人は言い張るが、まったく世話好きもいいとこである。


 それからもう一つ、螢星祭後の二日間についても、段々と見えてきた。

 螢星祭での一件で、由里の二日分の記憶に空白を開けてしまった訳だが、実はこの二日間、ワタシは由里と実行委員の面々で打ち上げ旅行と称し、由里の母親を保護者として、東京湾沿いのとある砂浜まで一泊二日の海水浴に向かっていたのだ。

ワタシは張り切って黒のセパレートで臨んだ訳だが、男子達から嘲笑の的になった。その理由を聞くと、『だって会長、持ってないじゃないですか』との一言。

後で由里にこっそり聞いてみたところ『それ、ムネのことッスよ』と言われ、何もかもを悟ったワタシはムキになって、彼らを砂浜の砂で作った巨人で滅多打ちにしてやった。幸い、海開きも間もない頃だったので余所の人間は居なかったが、後で由里にこっ酷く叱られたのはここだけのに密にしておこう。

これではエティアと大して変わらないではないかと内省しつつ、その日の夜に海沿いの旅館で「温泉」というものに入った。男子共が何やら、仕切りの向こうからこちらに侵入して来そうだったので、ワタシがスパイラで壁に潤滑度抜群の液状物質をこっそりと塗ってやったところ、彼らはけたたましい悲鳴と共に、ボトボトと落ちていった。ざまぁみろだ。

そんな旅行の帰りに皆で撮った記念写真は、生徒会長室の机の上にさり気なく飾ってある。


今また一つ、ワタシの砂時計に真新しい砂粒が加わった。

しかしワタシは、この物語にいつか終止符を打たなくてはならない。たとえその行く末すら分からずともだ。それでも折角、情緒溢れる人の子として生まれて来たのだ。これからまだまだ二星の可能性をこの装置で克明に記録し、記憶していきたいと思っている。

改めて思うに、この物語はワタシが始まりと認めるより前から、すでに歴史に刻まれ始めていたのかもしれない。人類がイエスの誕生年を西暦と定めたように、この世におけるワタシの誕生を以て物語の開始を宣言するのは、神様とは言えいささか傲慢にすぎるだろうか。

仮にもワタシという身は真に矮躯で脆弱ながら、この果てしない宇宙のあらゆる時をつぶさに観測でき、その気になれば操ることも容易い。だが程なくして、そのような行為にはたして意味はあるのかと自問すれば、愚答しか出てこないことに気付いた。

面白いわけがない、と。

だからワタシは、改めて夜空の星々に願う。

―――こういう世界が、もうしばらく続いていって欲しい、と。

―――たったそれだけが望みなのだ、と。             

                               〈完〉


 はじめまして、ninomaeと申します。現在20代です。この作品がワタシにとっての本当の意味での処女作となります。趣味として小説を書き始めたのは高校生の頃からでしたが、大学生になるまでネット掲示板に一度か二度SSを投稿するくらいの活動しかしておりませんでした。

 実は今回の作品『ホットブルー=コールドレッド』は、構想自体はセンター試験近づく浪人生活の冬に思いつき、大学1年目の夏休み数週間分を利用して書き上げたものです。現在は卒業研究に着手する学年にまで時間が経ちましたが、振り返ると「詰め込みすぎだな」と明らかに見て取れる構成です。

 個人的にですが、本作品は古き良き90年代アニメの雰囲気をほどほどに意識して書かれております。大多数の人とは大分感覚がずれているかもしれませんが、それでも楽しんでいただけるのなら感無量です。

 本作のほかにも、夢や意識といった抽象的なテーマを題材にしたジュブナイル小説も執筆中ですが、完成時期はまったくの未定です(就活や大学院入試などで忙しくなるかもしれないので)。こんな無責任なワタシですが、小説書きの端くれとして作者および読者の皆様に受け入れられれば久方ぶりの感涙に咽ぶこと間違いなしです。

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