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ホットブルー=コールドレッド  作者: にのまえ龍一
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天崎兄妹と神様の導き(後編)

「「では、中へ入って来なさい」」

二〇一X年七月一〇日、午後四時半。二年七組と九組の教室が、何やら騒がしい。

大波乱の螢星祭は終わり、二日分の代休を経ての、放課後。

なのに、私の中では昨日、一昨日の記憶が、ない。

あるいは何かに、あるいは何者かに、知らずの内に奪われたのかもしれない。

「「はい」」

七組には一人のブロンドの少女が、九組にはくすんだ灰色の髪の少年が、教室に現れる。

「「それじゃ、自己紹介よろしくっ」」

二つのクラスの担任が、少女と少年に自己紹介をするよう促す。

「Bonjour à tous(こんちには、皆さん)!」

「こ、こんにちはっ、皆さんッ!」

二人は異なる教室で、同時刻に、教室の生徒たちへと自己紹介を始める。

「フィルモワ・レゲールもとい、葉月光です。Merci d`avance(よろしくお願いします)!」

「二年七組転入生、望月リナです。よろしくお願いしますっ!」

二つのクラスルームに木霊する、二種類のデュアル・サウンド

『『えええええええええええええええっ⁉』』

二つのクラスルームで生起する、二重の反応デュアル・リアクション

最早隠すまい、かの二人は三笠山高校の転校生だったのだ。


「ねぇねぇ葉月君ってさ、フランスに留学してたのー?」

「私にも教えて~、恋愛に効く魔法のフランス語!」

「ななっ、今から遊びにいかね? イイとこ知ってるぜぇ、オレ!」

(おーおー、モテる美男子君は、人付き合いに困らなくて何よりだねぇ)

私、天崎由里は三日前に自分の「彦星様」となった転校生を、一人教室の片隅で眺めていた。

片や時を同じくして、二年七組の黒野慶大も、転校生の少女を遠巻きに見つめやっていた。

(ねぇリナちゃん、こっち向いてよぉ。昨日の遊園地の続き、話そうよぉ~)

「望月さんってさ、笑うとめっちゃ可愛いよね~!」

「ねえ望月さんっ、後でメアド教えてよっ! そんでもって、ライン登録してっ」

「よし決めた! 今日からリナちゃんの洗礼名はもっちぃだっ! ヨロシク、もっちぃ!」

この時、葉月とリナは全く同時に、脳内で全く同じ言葉を呟いていた。

((これが、転校生ならではの洗礼か―――〝地球人〟って、面白いな!))


黒野の方はさておき、今の私には解決したい疑問が二、三あるので、葉月がクラスメイトに揉まれている隙に教室を後にし、マキナ会長が常在する校舎三階一角の生徒会長室へ向かおうと廊下へ一人、飛び出した。

だがそこには、螢星祭以来のあの旧友が、待ち構えていた。

「ゆーりちゃん、おっひさ~♪」

「げぇっ、瑞穂ッ! どーしてお前がここに?」

螢星祭のあの一件以来、姿を見ていなかった『新山瑞穂』だった。

「どーして、なんてひどいよ由里ちゃんッ! 私の住んでるマンションがたまたま由里ちゃん家の近くだから、一緒に帰りたいだけなのにぃ」

瑞穂が悲しそうな目をする。これが、例の演技によるものでなければいいのだが。

「そっかそっか、そりゃ悪かったよ。積もる話もあンだろし、少しは付き合ってやるよ」

「ホントぉ? やたっ」

瑞穂は両手を組んで、笑顔を作る。

(ま、〝急いては事を仕損じる〟って言うしな)

隣でルンルン気分の彼女を気楽に観察しながら、私は放課後の帰路を共にした。

(あれっ、そういや岩瀬の奴はどうしたんだろか……まー、いっか)

 

「あれからもう三年も経つんだよねぇ……勉強に部活に恋愛に、とっても忙しかったなぁ」

「れ、恋愛……? お前にも好きな男子がいたのか?」

「むうっ! 由里ちゃん、私が男っ気無しに見えるっての?」

「い、いやっ、そういうわけじゃなくてだな……」

私と瑞穂は、少しだけ黄色くなり始めた空の下の帰り道を、何気ない会話で彩っていた。

 といっても、瑞穂が一方的にまくし立てるので、私は聞き役に徹底していた。

 瑞穂の語りの内容は無論、子役時代とその後である。瑞穂は中一の初夏まで子役として様々なドラマやCMに出演していたらしいがある日突然、本人の口から『辞める』と宣言し、程無くして子役を卒業、芸能界から一切の身を引いたそうだ。

 瑞穂の母親には『一流の大学に入りたいから』という理由一つで片づけ、実際、事は上手く運んだらしいが、私にはそれがどうもしっくり来なかった。

「なぁ、瑞穂」

「ん?」

 彼女はツーテールをふわりと揺らしつつ、私の方に向き直る。単刀直入に、私は問うた。

「お前ホントは、芸能界に未練が残ってンじゃねえのか?」

「うっ⁉ そ、それは……」

 図星も図星、大図星であった。言い淀む彼女に、私はささやかな追撃を実行した。

「お前は他人を騙すのは得意でも、お前自身を騙すとなるとてんで駄目になる……違うか?」

 瑞穂のずる賢さは私の昔話でも述べた通り、承知の事実である。

「そ、そんなの分かってるもん。でも、でも私、敵わなかったんだよぉっ……ううっ」

 瑞穂は足を止め、その場でいきなり泣き出してしまった。

(も、もしかしてオレ、地雷踏んじまった?)

「敵わなかったって……だ、誰にだよ?」

 私は、自身の失態を無理矢理埋め合わせようと、瑞穂に質問を被せる。

「同じ事務所の子に決まってるじゃあん!」

 瑞穂が泣き叫ぶ。彼女は泣きすすりながら、傷心の過去を私に打ち明けてきた。

「その子ね、私よりずっと大人っぽくて演技もスタイルも抜群だし、スタッフからの評判も良かったし……ここまでなら、別に良かったんだよ」

 泣き腫らした彼女の顔が、私の方へ勢いよく向き上がった。

「でもあんなの全部ウソ! あの子、楽屋裏で私にこう言ったんだよっ! 『あんたみたいな中途半端のちんちくりんが、この世界にのさばるなんて吐き気がする』って!」

(うわ、さすが芸能界。弱肉強食を体現する人間が、そんな身近にいるモンなのか)

 ここは瑞穂に同情するのが模範解答なのだろうが、私は敢えて彼女を試してみた。

「越えられぬ壁が、お前目がけてバタンと倒れ込んできたって訳か?」

 瑞穂の眉間が狭まり、その顔に苛立ちを露にする。予想通りの反応ではあった。

「そんな言い方あんまりだよ、由里ちゃんっ‼」

 しかしその表情は不満ばかりを募らせた無念よりも、未だ敗北を認めぬ執念の方を色濃く浮かび上がらせていた。私なら、そう断言できる自信があった。

「そう、その顔だよ瑞穂……まだまだイケるじゃねえかよ」

「……えっ?」

「お前の顔に書いてあるぞ、まだ諦めたくないってな」

 私は瑞穂の両肩に手を置き、自分でも驚くほどの温かみの感じられる声で、彼女に言った。

「もし本当にその気があるんなら、今からでも遅くはねぇって。もう一度、自分としっかり向き合って、後悔しない役者人生を送れ……約束、できるか?」

 ロクな人生経験もしていない私ではあるが、一応の説得力はあったようだ。

 瑞穂は再び両目に涙を浮かべたが、それは明らかに感謝と歓喜を示した本物の落涙であった。

「ゆ、ゆり、ちゃん……あ、あっ」

 嗚咽交じりの声で、瑞穂は私の胸に飛び込んでくる。

 私は無言で彼女のツーテールの頭を優しく撫で、瞳を閉じて安らかな笑みを作っていた。

「まったく、女優の卵の癖に分かりやすい奴だよ、『みーちゃん』は」

 ここまで来ると正直、過去のトラウマなんか、どうでもよくなっていた。

(オレも昔に比べりゃ、大分丸くなってきたのかな)

「由里ぢゃんのバカぁ! ごのお人好じぃ! 何で私なんがに構っでぐれるのよぉッ!」

「理由は一つしかない。オレ達は出会っちまった……ただ、それだけだよ」

正直、これは愛する相手に言う言葉だろうが、親友相手であっても効果てき面であった。

「あああっ、由里ぢゃんのバカバカ~ぁっ! アリガドぉ――――――っ!」

 事実、この通りに。まさに『ペンは剣よりも強し』である。

「はは、何だよそれ。感謝してんのか、それとも余計なお世話だってのか?」

「どっぢもだよぉッ!」

 向日葵色の夕空が、時の闇に埋もれた私達の友情と信頼を照らし、揺らし、温めていく。

 物言わぬ三笠山は夏の黄昏に影を濃くし、しかし物言いたげに頂の縁を波打たす。

だが、そんな拙い抒情に感けている余裕は、不都合にも寸暇しか齎されなかった。


「―――おいおいお~い、随分とオンナくせぇトコに来ちまったなぁ!」

「オヤビン、きっとコイツでっせ、天崎由里っていうアマは! アマだけに……ヒヒヒッ!」

「早いトコとっ捕まえて、ヒィヒィニャンニャン吐かせましょ~ぜぇ、オヤビン!」


私は瑞穂に気を許しっぱなしで、奴らの接近に気付き損ねてしまった。

見ると私達の前には学ランを来た男が、三人。リーダーと思しき闘牛の角のような髪型をした、黒髪のガタイの良すぎる大男に、前歯二本が長めの、鼠のような体躯の細い金髪アフロの男、鶏のトサカのような赤いモヒカンヘアーのチンピラ風の男。

「何だよお前ら、カツアゲかっ⁉ オレに目的があンなら、言ってみやがれッ!」

私は果敢にも男達に咆えて挑発をする。瑞穂は、私の背中に隠れて怯えていた。

「へっへ、別に俺たちはお前を嬲りに来たわけじゃない。むしろ俺たちは、お前にとっておきの秘密を打ち明けに来たんだよぉ……」

牛男が口角を三日月の如くつり上げながら、ひどく冷静に目的を語ってきた。

「はぁ? お前たちがオレの何を知ってるんつーんだよっ!」

私は虚勢を張るのが精一杯で、男の言動を全く予想できずにいた。

「クック……天崎会人―――お前の、兄貴のことについてさぁ!」

 信憑性など皆無なのは明らかだったが、冷静さに事欠いた私には、ショック直撃だった。

「な、なっ⁉ お前ら一体、オレの兄貴の何を……知ってんだよ!」

再び、牛男は不気味に笑い出す。

後ろのネズミ男とニワトリ男も、顔を不快にニヤつかせ、私を煽ってきた。

「何でも知ってるぞぉ? どっから聞きたい? 失踪直後からがいいか、ヒヒヒッ!」

「そーれーとーもーぉ……宇宙の旅に出かけたって話がいいか~ぁ?」

宇宙がどうとかは知らないが、男達は確かに兄貴の失踪を事細かに知っている風だった。

「だがぁ! ここでひとーつ条件があるぅ!」

牛男が極太の右の中指を立て、いかにも危なげな雰囲気を醸し出してくる。

「条件だぁ? 次から次へと忙しいヤツらだな、お前らはッ!」

私は男達の邪気に負けてはならぬと、胸に正義を滾らせて叫び放つ。

「そうカッカすんなってぇ、いたって簡単な取引さ。俺たちがお前に情報を渡す。そんでお前は、そこのまな板娘をこっちに渡す……簡単だろぉ?」

「だっ、だぁれぇがぁ、まな板ムスメだってえ⁉」

「ダメだっ、瑞穂。ここは堪えろ! ハッタリで何とかできる奴等じゃないっ!」

突然、背後で大人しく引っ込んでいた瑞穂が私の前に乗り出した。そういえば、瑞穂は異性に侮辱されると途端に癇癪を起こすことを、今この場で思い出した。

「よして由里ちゃん! 私こいつらだけは絶対に許さないっ……来なさいよ、ケダモノ共!」

瑞穂は、私よりも威勢が良かった。

彼女を小心者だと思っていた自分が、正直恥ずかしくなった。

「くへへっ、オヤビン……このガキ、思ったより強情でっせぇ! 気に入りましたよぉ!」

ニワトリ男が瑞穂の度胸に感心していた。

だがそれも予定通り、という顔つきだった。

「くくくっ、威勢が良いのは口だけだぁ……カラダさえ奪っちまえば、後は俺たちの言いなりにならざるを得ないんだからなぁ……」

「こここ、こんのヤローどもぉ~っ!」

瑞穂は両拳を握りしめ、男達に神風のごとく突撃しそうな勢いだった―――と、その時。

《 パチパチパチパチパチ! 》

「Très bienすばらしい! 実に熱い展開だ。是非僕も混ぜてくれよ、君達の輪の中にさ!」

背後から突如、拍手と共に訳の分からぬ台詞を吐いてきた、一人の少年が接近してきた。

「お、お前はっ……!」

「あ、アンタは……!」

「「「何だぁ、アイツは?」」」

私と瑞穂は同時に、叫んだ。

「葉月ぃッ⁉」「由里ちゃんの彼氏ぃッ⁉」

もはや第一声の仏語で語るまい。そう、転校生兼私の『彼氏』の、『葉月光』であった。

「マドモアゼルたちが何やら一悶着起こしてたから、助けに来たよ」

 私も瑞穂も、男達三人までもがあっけらかんとする中、葉月は私達の傍まで辿り着くと悠然と立ち止まり、両腕をそっと真横に広げ、下がっているようにとジェスチャーをする。

 男達はそれを見て、黙したまま、彼を睨みつける。

「さぁて、サクッと片づけちゃおうか……後ろのお二人さん、レッツ・デュエル!」

直後、葉月の額から緑色の蜘蛛のようなシルエットが浮かび上がったのを、私は目撃した。

それと同時に葉月は両手の人差し指を立て、内側へクイっと向ける。すると、

「ひひぇっ⁉ 何だぁ、おれの身体が……勝手にィ⁉」

私達の方を向いていたネズミ男の身体が、ニワトリ男の方へと強制的に方向転換した。

「くひゃっ⁉ 何だよこれぇ、どうしてお前とツラ合わさなきゃなんねーんだよぉ⁉」

ニワトリ男の方も同様に、ネズミ男と向かい合わせになる。

「あ、あとソコのホルスタインさんも立会人ってことで……シルヴプレ?」

葉月は微笑みつつ、牛男にもさっきの二人と同様の〝魔法〟をかけたようだった。

「だっ、だれが乳牛だっ……んもおおおっ⁉」

牛男は、真上から見下ろせばちょうど二等辺三角形の一頂点となるような位置に無理矢理移動させられ、ネズミ男とニワトリ男の決闘を見届ける立合人のように、その場で体が「気をつけ」の姿勢を取っていた。

「決闘方法は……一番簡単なジャンケンでいいよね? それじゃ、いっくよ~ぉ?」

今より決闘を始める二人の表情は、恐怖に満ち満ちていた。

『じゃーん……』

「ひゃえ~ッ⁉ 待ってぇ!」

『けーん…………』

「くけけ~ッ⁉ ストップ、すとぉ~っぷッ!」

『ぽーんっ!』

(ボゴスッ!)(ビシャアッ!)

「「ごぼあッ!」」

二人はその場で大きく振りかぶってから、ネズミが握り拳で、ニワトリが平手でそれぞれ相手の左頬を思い切り、ぶった。葉月はそれを見て、彼らに試合結果を告げる。

「ネズミさんがグーで、ニワトリさんがパーだから……ニワトリさんの勝ちだね」

「ち、ちぅ~」「こっ、こけっこぉ~」

お互いに全力で殴られた鼠と鶏は、勝敗を聞く間もなく、その場で倒れて気絶した。

(なるほど、鶏の足の形はパー、鼠の足も通常はパーだけど、鶏に比べればそりゃあ小さいから、遠目に見ればグーだもんな……って何でじゃいっ)

私は思わず心中でノリツッコミをしてしまった。

一方の瑞穂は、葉月の『手品』に感嘆していた。

「すっご~い! これで敵はあと、あのレッドブルだけねっ!」

「だ……だれ、が……栄養ドリンク……だってぇ?」

(うわ、耳だけはヤケに鋭いんだな、あいつ……だからあの二人を牛耳れる、っと)

そんな大して上手くもない冗談を呟いていると、葉月は唐突に私の方を振り向いた。

つい先程まで朗らかだった彼の表情に、真剣さが加わった。

「どっ、どうしたんだ急に? オレの顔に何か……付いてっか?」

「由里……君なら思い出せるはずだ。僕があの三人にかけた〝魔法〟の正体を」

葉月は何やら、私自身が忘れかけている何かを、思い起こさせようとしていた。

「えっ? まほう、って何……あっ⁉」

それは、記憶の荒波に揉まれ、打たれ、飲み込まれ、藻屑となりかけていた、あの言葉。

《 ――――――あれこそが、『スパイラ』だ―――――― 》

「あれ、こそ、が……スパイラ」

私は、しかと思い出した。

螢星祭の夜、私が脳内で二度耳にした、あの不可解な〝声〟を。

一度目は黒野とリナの運命的な組合せに驚愕した時に、二度目はマキナ会長の呼びかけに偶然駆け付けた五人の男達の登場に不自然さを抱いた時に現れた、あの無機質な〝声〟を。

「Tu as raison(その通り)! 思い出してくれて何よりだよ」

葉月は、心から喜んでいるよと私に、おそらくはじめての笑顔を見せた。

「ねえねえ、すぱいらって何ぃ? 新しいスイーツか何かなの?」

瑞穂はすっかり呑気になって、間の抜けた質問をしてきた。それに、葉月が答える。

「それはね、こういうものさ」

「ちょっお前、何を……っ⁉」


《 ―――目覚めの時だ。アマサキ……ユリ! 》


キスを、された―――左の手の甲に―――とても優しく、されど深く。

(かっ、カラダが、熱い。だけど頭ン中は……気持ちいいくらいに冷たい!)

これはきっと、キスだけの所為じゃない。

これはきっと、恥ずかしさから来てるんじゃない。

感じる……爪先から脳天へと一陣に吹き抜ける、秘めたる闘志の上昇気流を!

「ゆ、由里、ちゃん? ……きゃっ!」

瑞穂が私の名前を呼んだ瞬間、彼女は吹き飛ばされ、塀に頭を打って気絶した。

同時に、私の身体にも変化が起きた。

その変化の目撃者は葉月と―――もう一人、いた。

(何だぁ、あの女⁉ 手の甲にクモみてぇな刺青が出来やがった! 目ン玉は水色になりやがったし、それに何よりボサボサ頭が……サラサラのストレートヘアーだとぉ⁉)

 牛男である。わざわざご丁寧に、この場の実況を(脳内で)してくれていた。

一方、〝変身中〟の私を眺めていた葉月は気絶中の瑞穂に近寄り、

「Désolé, mademoiselle. しばらく眠っていておくれ。安全はきちんと、保証するからね」

気を失った瑞穂を抱き抱え、近くの電柱の傍にそっと寄り掛けた。

そして彼は、変身完了間近の私の方へと近づき、両腕を大仰に広げてこう言った。

「―――さあっ! 君の見た夢幻が全て現実となる瞬間へようこそ、天崎由里!」

変わりゆく私の中で、記憶の断片が、繋がっていった。

一月前から絶えず見ていた、あの夢。

螢星祭の夜、二度耳にした、正体不明の声。

マキナ会長の声に応じて駆けつけた、男子生徒達。

これらみんな全てを葉月の仕業と仮定した途端、私の脳内は得も言われぬ興奮に踊った。

なるほど、たまには夢を正夢だと思っても、悪くはないな。

「へへっ……あれもこれも、全ぇん部オレ自身がリアルで経験してんだ。ここまで来ちまったらもう、夢だの幻だのなんて、言ってらんねーよなぁ?」

私を煩悶させていた謎が氷解すると、根拠のない自信が、勝手に湧き上がってきた。

その勢いに乗り、傲慢とも思える質問を、彼にしてみた。

「なぁ、葉月……ホントにオレなんかで、良かったのか?」

「今更何を言うんだい? 君は戦ってこそなお凛々しく、美しくなれる女性だよ?」

思わず背中がむず痒くなるような答えを返されたが、それに勝る喜びを、私は覚えた。今の自分の心はまさしく、闘争本能の塊で熱く埋め尽くされているに違いない。

かといって、女らしさをかなぐり捨てた訳でもない。

「よしっ、んじゃまずはあのにっくき牛野郎をコテンパンにして、ミンチにしてやるか」

 この力さえあれば、どんな不可能だって可能にできる。意気込みは十分だった。

「それじゃあ、由里。準備はいいかい?」

「いつでもいいぜ、転校生さんよ!」

葉月が私に問い掛け、私が葉月に活き活きと返事する。

「Trois, doux, un―――Prèt partir(三、二、一……よーい、ドン)!」

彼は言い切ると同時に手を叩き、戦いの開幕を知らせる空砲が、乾いた音を響かせた。


(……とはいうものの、『スパイラ』ってどう使うんだ? 今すぐ、葉月に訊くべきか?)

私は今、目の前に対峙する大柄な牛男と眼を付け合いつつ、思考を続けていた。

「おいアマぁ! 俺ぁ散々待たされたんだ。手加減抜きでイかしてもらうぜぇ?」

「アマサキだっつの! ならオレだって、女が非力だなんて常識を、ぶっ壊してやるぜ!」

対する牛男は相当、鬱憤なるものが溜まっているらしかった。

「へっ、いい度胸だ―――イくぜ、オラァ!」

牛男が闘牛というよりは重戦車のように上半身を広げ、タックルの構えで突進してくる。

もはやこれ以上は、闘いの中で答えを見出すしかなさそうであった。

「おわっ⁉ ちょ、ちょっとま……って?」

(何だ? アイツの脳天が……青白く光ってやがるぞ!)

距離にして、およそ七メートル。迫ってくる牛男の頭の天辺が、直径十センチ程の円形の光を発していた。どうやら男は、それに気付いていない。

(こっ、こうなったらイッパチだっ、やってやるよぉ!)

「でぁーっ!」

私は少しだけ前方に、牛男の頭を踏みつけて飛び越えようと高く跳躍した。

分かりやすく言えば、私目がけて猛スピードで突っ込んでくるク○ボーを、その背丈ギリギリを飛び越えられるジャンプ力しか持たないマ○オが、タイミングよく踏みつけようとするようなものである。

「んもわっ!」

(ぃよっしゃ、タイミングばっちり! ついでに……ほっ!)

私の試みは上手くいった。牛男の頭を踏み越え宙に舞った私は、今まで一度もやったことのない前方宙返りまでも華麗に決め、少々おぼつか無い足取りで、地面に着地した。

(彼女のスパイラは常時発動型か……しかも、発動中は身体能力を飛躍的に上昇させる効果も見て取れる、と―――今まで出会ってきた地球人の中では、見なかったタイプだな)

葉月は瑞穂を見張りつつ、私から離れた所で、冷静に分析作業を行っていた。

「このアマぁ、覚悟しやがれってんだあっ!」

牛男は私に踏みつけられ、たたらを踏んでいたが、すぐさま体の向きを反転させ、先程とさして変わらぬ運動量で、右の拳を振り上げながら私に挑みかかってきた。

(今度は右のわき腹……まさかっ、カウンターを狙えってかっ⁉)

次に光が現れた場所は、もう少し正確に言えば、肝臓あたりだった。確かに冷静に見てみれば、私に殴り掛かる際の男の重心は、拳を振りかぶる反対の左半身に集中していた。

ここで牛男が右腕を前に出してしまえば、フォロースルーまでは体勢を戻すことが困難であり、男の右ボディを守るものは何もない、つまり、ガラ空きというワケだった。

「こーなりゃもういっちょ、やってやるっ」

私は迫る牛男の、丸太の如き右腕の斜め下を搔い潜りながら右手の拳に力を込め、青白く光る男の脇腹目がけ、稲妻のごとき鋭さの右フックを放った。

男の右拳が空を切り、空を斬った私の右拳が男に命中、同時に、光が炸裂する。

「ごぼぉッ」

男は片膝を突き、その場で悶絶。

(これはすごいな。風と踊るような彼女の体捌き、それにあの、未来予知にも似た両目の力……よし、あのスパイラを『フロー』とでも名付けておこうかな?)

再び葉月が、好奇心旺盛ながらも落ち着いた目つきで、私のスパイラに命名をした。

私の方も段々と自身のスパイラの使い所を心得てきたので、

(は~ん、ナルホドね……「当たる前に、当てろ」ってコトか)

その力を噛みしめるように、頭の中で得意気に呟いた。

「ううう~っ……このアマ、タダ者じゃねぇだとォ⁉」

牛男はダメージが回復したのか、のろっと立ち上がりながら私を睨み、そう言った。

「ふふん、まだやるか? あんまり暴れ回ると、上質だった肉質が一ランク低下するぞぉ?」

相対的に至極優勢となり、すっかり冗談まで飛ばせるようになった私は、牛の頭を真似るように両手の人差し指を立てて、自分の頭の横に持ってきた。

「誰が国産黒毛和牛だぁ⁉ ぐぉぉぉるああああッッッ!」

(意外とノリのいい奴だな、コイツ。もう少しばかり遊んでやろ)

約二秒後に牛男の左手が青白く光り、拳を下から振り上げるアッパーを放ってきたが、

「遅ぇよ」

と、小バエでも払うかのような右手の振り一つで男の左拳の勢いを殺し、

「こいつぁどぉだっ!」

今度は右脚の甲が光り、その直後に男が鋭いハイキックを繰り出してきたが、

「てやっ」

私は左手の甲全体を使って、男の足の甲に垂直に軽く添え、蹴りの勢いを消力し、

「んんんもあっ!」

牛男が、止められた右脚を素早く引いて軸足にし、光る左の足で後ろ回し蹴りを放つ。

「しまっ―――」

(バギャア!)

その蹴りは、正確に私の左側頭部を捕えた……が、

「―――なーんてなっ」

「っ⁉ ……ぐああっ! 俺のぉ、オレの左足があああああっ⁉」

男は確かに決まったと思い込んでいたが、それは錯覚だった。むしろ〝決められていた〟。

しかしそれは、私の目の力に寄るものではない。

実は先ほど、男の脇腹にカウンターを決めた直後に、気が付いた。

力一杯殴っても、手の骨が全くジンジンしない、と。

「オレの本気の前じゃお前の蹴りなんぞ、飴ガラスでブン殴られんのと変わんねぇよ!」

そう、『スパイラ』発動中の私の肉体は、打撃の威力に比例する強烈な反動を無効化してくれる機能も隠し持っていたのだ。ゆえに私は、男の回し蹴りを敢えて避けずにその場で棒立ち、牛男の自滅を狙ったのだった。

少々賭けに出た事は否定しえないが、このさい結果オーライである。

「ん、んもおっ。まだだ、まだ終わってねえっ」

「はあっ⁉ コイツ、まだ立てんのかよ⁉」

牛男のガッツは凄まじかった。蹴りの反作用で大ダメージを負ったはずの左足などお構いなしに、両の足でファイティングポーズを取って来たのだ。

と同時に牛男の首根っこ辺りが青白く光り、またしても私は攻めるべきポイントを知った。

が、場所が場所だけに、

(アイツの首を狙え、ってどういうことだよ⁉ 真正面からじゃ絶対無理だろっ!)

私は、立ちすくんでしまった。牛男は、その隙を待っていた。

「いくらてめぇが石頭でもなぁ、どてっ腹ならどうするつもりだ~っ⁉」

流石に初撃よりは劣化していたものの、なおも牛男は恐ろしい速度で突っ込んでくる。

「覚悟しろぉ、クソアマああああああっ!」

そして、心の準備が全くできていない私と、あと二メートル弱というところで、

「由里っ、危ないッ!」

「おあッ⁉」

視界が急転、状況を理解する間もなく、私は路面に転がった。

葉月だった。いつの間にか私の死角から飛び込んできて、十トントラックのごとき牛男の突進をやり過ごすため、私の横っ腹に飛び込んできたのだ。おかげで牛男は、先程の左足のダメージからバランスを崩して転倒、私は事なきを得たのだった。

「いってて……スマン葉月、助かったよ。お前にしちゃ、少し強引な気もするがな」

「Merci, 由里。これが一番現実的かと思ってね」

葉月はあくまでも、気取って見せていた。

私も思わずつられて含み笑いをしたが、すぐに身を起こし、体勢を立て直した。

 油断の許されぬ状況の中、青白い光が、牛男の鳩尾へと移動した。

「こう、なっ、たら……お前らまとめてぇ、ブッ飛ばしてやらぁ!」

満身創痍の牛男は咆哮し、三度、同じ構えで威勢よく迫ってきた。

しかしその威勢も、もはや虚勢に過ぎず、前に突き出た両腕は下がりがちであった。

(へっ余裕だぜ、奴の鳩尾に跳び蹴りを食らわせりゃ……んっ?)

 絶好の反撃チャンス到来―――と思いきや突如、牛男の右手が激しく光り出した。

 それは私のスパイラによる光だけではなく、男がズボンのポケットから取り出したコンバットナイフの反射光も含まれていたのだ。

 しかし、ここでテンパる私ではない。

 葉月の懸命のアシストにより、妙にクリアになった頭で再び、思考を高速で巡らす。

(落ち着け……〝当たる〟前に、こっちが先に〝当てる〟んだ)

 結論を出した私は、腰をかがめて勢いよく前に駆けだした。

ほぼ同時に、男がニヤッと笑みをこぼし、射程範囲内から右腕を大きく振り上げる。

「くたばっちま―――」

間合いが詰まる少し前で、私は素早く身を屈める。

ダッシュの慣性によって土煙を上げる勢いでスライディング、頃合いと同時に地面に左手を突いて身体全体を支え、迫る男の鳩尾を狙って右脚を使い、低姿勢から斜め上に蹴りを放った。

「ごぉはッ⁉」

私の変則的な蹴りはタイミング良く牛男の鳩尾に当たり、凶器を手にした男の右腕は振り下ろされる途中で急停止、反動でナイフが地面にカランと音を立てて落ちた。

「よっし、決まった! か~ら~の~ぉ……とぉう!」

私は、蹴りを食らって呼吸困難になっている牛男からくるりと背を向け、そのままスーパーマンの如く両手を上げて跳躍、後方宙返りを一回決めつつ背後に回り込み、牛男の首根っこを掴みながら、だだっ広い両肩に座り込むように着地した。

そして両腕で頭の前後を抱え込み、

「んがぁっ⁉」

 牛男の首を両の太ももで万力の如く締め上げつつ、男の頭部を、左へ豪快に捻った。

牛男、白目を剥き、戦闘不能。無論、急所は外してあるので心配はいらない。

同時に、スパイラによる私の変身も解けていき、ボサボサ頭の感覚が蘇ってきた。

「よっ、と……これぞ必殺〝天国往きの幸せ固め(パラダイス・ホールド)〟ってな」

技を掛けられ崩れ落ち往く男から軽々と飛び降りると、瑞穂を担ぐ葉月と目が合った。

「由里……最後のは、モンゴリアンチョップでも良かったんじゃ、ないかい?」

葉月はユーモアに事欠かない男だった。

私もユーモアで返したいところだったが、

「済んだ事はもういいだろ? それよりオレはお前から、あの夢の続きを聞きたいんだよ」

今はまだ、残る謎の解決で頭がいっぱいだった。

「ああ、分かった。それじゃ今週の土曜日に、三笠山の山頂でランデブー、でどうだい?」

「ら、ランデブーて……まいいや、分かったよ。ほれ、瑞穂はオレが連れて帰るから」

彼から瑞穂のぐったりした身体を受け取り、背中へとおんぶしてやる。

「じゃっ」

「ああ、また今度会おう」

私は葉月に背を向け、蜜柑色に染まる帰り道を一歩一歩、固く踏みしめていった。


その日の晩、私は敵地から無事生還してきた一兵士の如く、我が家に着くとすぐさま沸かし立ての風呂へと浸かり、疲弊しきった体をじんわりと温め、癒していた。

いくら熱い夏場とはいえ、外に突っ立ってダラダラと汗を流すのと、こうして湯船に浸かってサラサラと汗を流しているのとでは、訳が違う。

因みに私は風呂場では、自分の腰まである髪をタオルで纏めたりはしない。面倒だからではない、纏めようとすると頭皮全体が後ろへ引っ張られる、あの感覚が嫌いなだけなのだ。

平安時代の貴族の女性達だって、自身の美しさを誇示するために生まれたときから髪を絶えず伸ばしていたのだ。あんな長い髪を一々ひと纏めにしていたら、肩こりや猫背を招いていたに違いない。そんな千年以上前の彼女達の苦労に思いを馳せつつ、自分の髪を湯船の中で海草のように揺らし、両目を閉じてリラックスする。

実は私は生まれつき茶髪であり、中学を卒業するまでは何度も染め直すよう、先公どもから散々言われてきた。高校に入ってからはそれも無くなり、心底助かったと思っている。

三笠山高校は進学校にしては校則がとても緩く、染髪している生徒はザラにいるし、制服の改造だって校章が残っていれば完全に自由、という荒れっぷりだ。

「なきやみな~さい~、な~いては~はしが~かけられな~い~♪」

何だか気分が乗ってきたので、マキナ会長が螢星祭で披露していた『カササギの橋立て』のワンフレーズを、稚拙ながらに口ずさむ。

するとその最中、浴槽の中が白く輝き出した。

「ん? ……のわぁ!」

光源は私の左手の甲、つまり葉月にベーゼを貰った場所であった。そのおよそ二秒半後、手の甲から浮かんできたのは直径十センチ程の、透明なガラス玉のようなものであった。

しかもその玉の外側には、バウムクーヘンのような太い白金色の金属製のリングが二つ直角に交差し、球内に白く透き通る砂のような粒々を守るように張り付いていた。

「ななな何じゃあこりゃあッ⁉」

リラックスムードから一転、私はフナムシが岩場へ這い込むが如き猛スピードで浴室の片隅へと、その球体から目を離さぬまま一目散に後退した。

「由里~? なぁ~にお風呂ん中で暴れてるのぉ~?」

そこへ扉越しに声を掛けてきたのは私の母、すみれであった。脱衣場へ洗濯済みのバスタオルを置きに、たまたま居合わせたていたのだ。

「ふ、風呂ン中でウトウトしてたら溺れそうになっただけだってっ! ダイジョブだよぉ!」

咄嗟に言い繕って、その場をやり過ごす。

「―――あ~、マジでビビった……っつーかホント、何だコレ?」

落ち着きを取り戻し、湯船に浮かぶガラス玉に恐る恐る近づき、両手に取ってみる。

金属環の直交する表面をよく見てみると、左手の甲と同じ蜘蛛の様な模様が刻まれていた。

「うぅ~ん……ま、今度アイツに聞けばいっか」

特段深追いもせず、入浴を終えるまで暫く『そいつ』で遊ぶことにした。



「―――私、何のために生まれて来たんだっけ?」

橙赤と群青の仄かな光漂う暗闇の中、少女は一人仰向けになり、左手を胸の上に乗せる。

苦しいの、と聞かれれば違う、と答える。でも、胸も腹もきりきりと痛む。

悲しいの、と聞かれれば違う、と答える。でも、涙は両目から零れ落ちる。

寂しいの、と聞かれれば違う、と答える。でも、訳もなく人肌恋しくなる。

「姉さんの助けになるため? 何でもできる存在になるため? それに―――」

少女は一人、囚われていた。

自らの置かれた境遇に。予期せぬ未来に。取り返しのつかなくなった、少年との過去に。

少女は右人差し指を左手首の内側につぅと這わせ、縦に真直ぐな一寸半程の軌跡を描く。

淡く赤く光る軌跡は傷口となって赤い雫が一玉流れ落ち、しかし傷跡はすぐに塞がった。

「身体の傷は一瞬で塞がるのに、胸の奥の傷は、ちっとも塞がってくれない……どうして?」

少女は一人、自問自答を始める。

「ダメ、ちっとも分かんない……悩んだって悩んだって……答えが、浮かんでこないっ!」

少女は一人、自暴自棄に嘆き喚く。

感情の勢いに任せてその身を起こし、尻も、両脚の内側も地にペタリと着け、頭を抱える。

「私、どうしたらいいの? このままじゃ―――〝神様〟失格じゃない!」

 少女は一人、自縄自縛と堕ちていく。

体内をおどろおどろしく流動する負の因子が覚醒し、今にもその小さき身を喰らい尽くさんと刺々しく蠢いていた、その幾秒もせぬ後の出来事だった。

「―――まったく、何でも一人で背負い込もうとする……ご主人の悪い癖ですね」

少女は驚き、声がしたと思われる赤と青の、双子の巨門の方へ、顔を上げた。

そこには科学者の白衣を着た、少女そっくりのもう一人の少女が、静かに佇んでいた。

「⁉ り、リーテ……なの?」

リーテと呼ばれたその少女は、白髪・栗色の瞳以外は『ご主人』と呼ぶ少女と、瓜二つの容姿をしていた。ただ、彼女の方が少女より肉体的に三つか四つ、上に見える。

リーテは少女の元へゆるゆると歩み寄って行き、少女の傍で腰を下ろし、体育座りになる。

「一体何があったのですか? この私に洗いざらい、お聞かせくださいな」

彼女の深く澄んだ声色と目つきはまさしく、子供の悩みを親身に聞いてあげようとする、保護者そのものの眼差しであった。

「ありがとう、リーテ。実は、ね――……」

少女の方もリーテが今ここに現れた理由を敢えて聞かず、自らが起こしてしまった事実をありのまま、彼女の両目をしっかり見つめ、打ち明けていった。

「なーんだ、そういうことでしたか」

しかし、リーテの返した言葉は、たったその一言に尽きた。

「え?」

キョトンとなった少女は、思わずリーテに聞き返す。

「そんなの愚問です、ちゃんと謝るべきです。ご主人の方からハスクに、ね」

「う……でっ、でも私。何て言って、謝れば……」

途切れ途切れになる、少女の言葉。

桃色の瞳は小刻みに揺れ、幾度目かの不安に裸足の爪先までもが、震えていた。

「私は貴女の世話係です、安心してください。でもその前に、ご主人には貴女自らが打ち立てなさった一仕事が待っております……そうでしょう?」

 膝立ちになったリーテは、少女の小さな左手を両手で包み込んで握り締め、優しさの中にある、それ以上の厳しさを込めた栗色の双眸で少女を見つめ、そう言った。

「『天崎会人』と『天崎由里』をここに呼び寄せて……頼み事を聞いてもらう?」

弱々しい口調ではあったが、少女は確かにリーテを信頼していた。

「ええ、その通りです。会人は既に私の先生の元に匿っていますし、天崎由里に関してはハスクが近々この場所に連れてくるでしょうから、そこでご主人が一芝居打つんです」

「それって私が、ハスクを……騙すってことなの?」

少女が再び揺れる心でリーテに聞くと、彼女は首をそっと、横に振った。

「それは大きな勘違いです、ご主人。こうするんです―――」

リーテは少女に耳打ちした後、そっと身体を離し、今度は強かな声で少女を諭す。

「上手くいく、なんて思っちゃ駄目です。〝全部、既に、上手くいった〟ですよ? 結果を出せた貴女自身を思い描いて行動に移すんです。ご理解頂けましたか、ご主人?」

「分かったわ、リーテ。私……やる、やってみせる。やれたって……絶対に言う」

 少女はいよいよ、決意の色を固めた。

「その意気ですよ、ご主人っ」

そこで初めて、リーテは少女に微笑んだ。



 二〇一X年七月十三日、土曜日、午前十時四〇分頃。

 私と葉月は約束通り、三笠山の麓で落ち合った。麓と山頂を繋ぐケーブルカーに乗り、私は前の一件の種明かしや彼のスパイラの詳細、そして、兄貴の無事について聞かされていた。

「―――なるへそ、んじゃあの三人組は、お前が最初から上手いように操ってたワケか」

「そ。しかも彼ら、三笠山高校の生徒だよ」

「な、なにっ⁉ あいつ等の学ラン、どう見てもウチのじゃ……」

「詰め襟をよく見てみたら、ちゃんと校章が入ってたからね。ちなみに、三人ともまだ一年生みたいなんだ」

「ま、マジかよ……」

 後日談になるが、あの三人組は私がそれぞれ牛一、鼠二、鶏三と名付け、困った時の子分にしてやった。使い勝手のいいパシリとして、日々の学校生活に役立たせてもらっている。

「―――話を戻すけど、僕のスパイラ『レトゥルギア』は催眠をかけた人間と血縁関係の濃い人間に対しても、声だけなら脳内で聞かせることが出来る。君が夢の中や螢星祭で耳にした声は全て、会人を介した僕の仕業だったんだ」

 私は得心したと同時に、迷わず彼に愚痴を零してやった。

「ありゃもう、安眠妨害以外の何モンでもなかったぞ。キミハカノウセ~イだの、ベリタスノキボ~ウだのって、ノイローゼもいいとこだ」

「それは謝るよ。でも僕はこの前の一戦を通じて、君の中に眠る可能性を見つけ出したかったことは、本当なんだ」

 座席に向かい合っていた葉月が、居住まいを正しつつ私の方を真摯に見つめてくる。澄み渡った鮮紅色の瞳からは、うそ偽りを一粒たりとも感じ取れなかった。

「まーなんていうか、あン時はちょっとした戦隊ヒーローみたいで楽しかったのは否定できないけど……」

 人間とは環境の変化に順応する生き物である、とは兄貴の口癖であるが、あながち間違いではないことを改めて実感した次第である。

「それからね、僕のスパイラは実際、そんなに強力でもない」

「声を聞かせりゃすぐに発動できるし、手をポンと叩きゃ解除できるのにか?」

 この前の一件で、葉月が全く隙のない行動を取っていたので、心外だった。

「まず、操れる人数に制限がある。五人までだ。それに、対象がベリタス人やスピリストだった場合、たとえ僕の声を聞かせたとしても、発動するまでにどうしても時間がかかってしまう。個人差は大きいけど、僕の経験からして平均三分ってところかな」

「ふぅんなるほど、頭の片隅に留めとくよ……っと、もう頂上か」

 ケーブルカーの運行速度は割と早く、私達は乗車して五分で山頂へと到着した。

 

 大中小と三つの山が寄り添うように屹立する、三笠山の中で標高一の『長兄山』の山頂は、県南から東京湾が一望できることから、時期によって多少の揺れはあれ、通年観光客が足しげく訪れる黄石市ゆかりの名所の一つである。

山頂には、崇拝の対象である山の神『天笠地蔵』があちこちのほこらに祭られている。御地蔵様の笠に、柄杓で汲んだ水をひと掛けすると、その水がいずれ地にしみ込み、地中を伝って東京湾に流れ込み、終いには世界全土に行き渡って一切の穢れが浄化されるという、それはそれは大層な言い伝えがあるのだとか。

私達二人は頂上に着くなり、御地蔵様の参拝に足を運び、山頂に設けられている一軒茶屋で葉月の身の上話を、名物の「笹笠団子」を頬張りながら聞き、一服していた。

因みに笹笠団子は一見するとよもぎ団子だが、中の餡には大量のきなこが練られている。

「あむっ、んで、お前は日本に来る半年前まで、フランスに潜伏していた、と」

「んむっ、Oui, そうさ。コールド・スリープ処理を施された後、プレハブ状態のマスティカと共に専用のポッドに乗り込んで地球までやって来たんだ。そこで最初に訪れた国がフランスってワケ。あそこは豊かな人種と文化に恵まれた美しい国だった。でも……」

饒舌な葉月がふと口を止め、手に持っていた湯飲みの中のお茶に、目を落とす。

「でも……何だよ?」

「僕はどうしてもあの国には可能性を感じられなかった。変な言い方かもしれないけど、〝他国と交わりすぎている〟んだ。だからマスティカも、フランス国内には一つしか置かなかった」

「はぁ……?」

彼の『シャベリズム』に付いていけず、中途半端な感嘆が、吐息となって漏れ出した。

「僕達ベリタス人が地球の国々に求めていることはズバリ、〝神秘性〟さ。日本は島国だし、他国の文化を最低限取り入れつつも、独自の文化を築いてきたよね? つまり日本は神秘性の宝庫だと、僕は思うんだよ」

葉月はそう言い切り、湯飲みに口を付け、息継ぎとばかりにお茶をすする。

私も笹笠団子の残りを頬張りつつ、思ったことを口に出す。

「シンピセイねぇ……お前の星にゃあそんなモン、とても似つかないと思うけど?」

彼の供述から想像し、脳内で創造した『ポス・ベリタス』は、私にはひどく殺風景だった。

『ビガロ』という大都市以外は小規模な集落や研究ドームを点在させるのみ、という極寒の赤き土地の惑星など、未だ日本から一歩も足を出したことのない私にとっては、SFの世界でしかお目にかかれない宇宙人の住む世界としか、捉えようがなかったからだ。

「まぁ無理もないだろうね。僕達の星は魔粒子と科学こそが絶対だ。でも科学は嘘をつかないにしても、魔粒子というのは厄介でね、科学者たちの理解の範疇を常に超えるんだ」

そこで私は何となく、察しがついた。

「魔粒子ってのは、つまり、その……神秘そのものってコトか?」

「ああ、そうさ。種々の金属と化学反応を起こして常識外れな機械が作れたり、僕達人間の体内に入って細胞と結びつけば、超能力とは似ても似つかない不思議な力『スパイラ』を呼び起こしたり……これだけでも十分、魔粒子は神秘性に富んでいるだろ?」

 葉月は目線を湯飲みに固定し、さらに続ける。

「これは僕の解釈だけど、『魔粒子』は〝有機体・無機体問わずそれらの持つキャパシティを打ち破り、科学の論理性を以てしてもなお解明できない神秘を具現化してくれる物質〟なんだよ」

 葉月は空を仰ぎ、さらにさらに、話を続ける。

「それに関連して、僕は一か月前にマスティカの内部で……〝あるモノ〟を見たんだ」

「み、見たって……何を?」

霊感の強い人間の語りに引き込まれる聞き手の如く、私は彼の次の言葉を待った。

「一人の、小さな女の子……神秘性の権化のような存在を、だよ」

「女の子ぉ⁉ それってまさか……座敷わらしの類とかか?」

実は意外と怪談話の苦手な私は彼の返事を真に受け、背筋の震えを押さえきれなかった。

しかし彼の次の答えは、イエスともノーとも取れる、曖昧なものだった。

「似ていたんだ……〝彼女〟と」

「……〝彼女〟?」

灰色の髪に隠れていた鮮やかな赤眼が私を見つめ、尚一層の緊張を煽った。

「あの生徒会長と、だよ」

「!」

瞬間、脳内であの悪夢の一夜が蘇った。会場の人間達が紫球の光に焼かれ、焦がされゆく中で唯一、私の視界から姿を消した、マキナ会長のことに関することもだ。

「も、もし……だぞっ」

脳内を走る電流がショートしないよう注意を払いながら、葉月に聞き返す。

「もしそれがマジだったんなら、マキナ会長は人間じゃなくて……」

彼は、私が言わんとしていることが読めていたのだろう。

「神様あっ⁉」

「可能性は……大いにあるかもしれない」

顔色一つ変えず、ため息のように答えた。

「なっ、なら今すぐにでもっ!」

三笠山に来た当の目的も忘れたように、私は席を立ち上った。

「だけどその前にっ、マスティカを見ることが先だよ、由里」

葉月は腰を上げながら、急こうとする私を声だけで引き止める。

「えっ、あぁ、スマン。らしくねぇコトしちまったな……て、あり?」

途端に我に返ると、葉月はいつの間にか御勘定を済ませていた。

「それじゃ、行こっか」


「―――なぁ、ここホントに山道かよ?」

「少し勾配は急だけど、ちゃんと地図にも載ってる正規ルートさ」

今我々が下っている山道らしきコースの一つは、非常にスリリングであった。

三笠山特有の気候で、木の根と土だけで出来た通路はどこもかしこも湿気を帯びており、履きなれた運動靴でも一歩足を滑らせれば茂みの奥深くへ転落、あえなく往生であろう。

葉月は軽い身のこなしで常に先頭を取り、おぼつかない私をエスコートしてくれた。

「ほっ、よっ、っとと……おわぁ⁉」

「気をつけて。このあたりは滑落事故多発らしいからね」

ほぼ直線だったコースが、いきなり直角に曲がる危険な箇所で、私は木の根に生えた苔に足を取られ、尻餅をついてしまった。冷えた地面の湿り気が臀部に伝わり、おぞ気が走る。

「あってて……そういうことは早く言えよ―――って、いっ⁉」

「おおぅ、これは失礼。つい目に焼き付いてしまったよ(……ピンク、か)」

図らずも、彼に「中身」を見られてしまった。

昔から言葉遣いは兄貴の影響で男っぽい私だが、これでも服装には気を遣う身である。

しかし今日は登山といえ本格的に登るわけでもなし、デートみたいなものだからと、山をナメた衣装で来てしまった。上は薄手の、白い七分袖のワンピ一枚のみ。

下は、ワンピがスカートの役割も果たしていることから、黒のパンストだけという手抜き。

片や葉月は、クリーム色のTシャツに黄土色のベスト、常盤色のチノパンという組合せだ。

「つっ、次また見たら……『スパイラ』でボコるからなっ!」

「Excuse-moi. 気をつけるよ。さ、僕の手を使って」

葉月は私の右手を掴むなり、ぐいと引っ張って持ち上げる。その勢いで今度は前のめりになるところを、すぐさま私の二の腕をがっしりと掴んで固定した。

「少しばかり、筋肉がついた感じがするね」

「い、いつまで触ってんだよ、変態紳士!」

彼は相変わらずのマイペースっぷり。礼より先に、無礼な言葉を吐いてしまった。

「おっと、これまた失礼。君と一緒だと、何故だか心が弾む気がしてさ」

葉月の表情は、教室で見た愛想のある柔和な、というよりも今は好奇心旺盛で腕白な少年のようにどこまでも、純粋に微笑んでいた。

「そそ、そりゃよかったなっ。とにかく、ささっとゴールまで行こうぜ!」

(ったく、ワザとなんだか素なんだか、ほんっとわけわからん奴だ……)

恥じらいが、上手く隠せなかった。いつもなら揺れ動く感情を冷徹な理性で凍らせるのが得意な私でも、こういう非日常下では、その二つがまるっきり逆転してしまう。

「了解したよ、由里……といっても目的の物なら、もう目と鼻の先だけどね」

そう言って葉月は、一方向を指差す。その先は、行き止まりのように見えた。

「えっ、いや、だって、進入禁止の看板があるぞ?」

視線の先には確かに、ゴシック体で太く、大きく書かれた〝進入禁止〟の看板が。

「珍しく察しが悪いじゃないか。あれは……フェイクさ」


私と葉月は、不覚にも自分が乙女となった場所から六メートル程先の、看板の前まで来た。

「おいおい、道がブッツリ途切れてるじゃねぇかよ」

立て看板の一寸先は、足を滑らせればどこまでも転がっていきそうな、木々がまばらに生えているだけの、急勾配な奈落の入り口であった。

「この板っきれが、ただの注意書きに見えるかい?」

「どう見たって……あ!」

観察力が不足していた。一見古ぼけていて、文字の周りに穴ぼこが沢山開いていることまでは容易に分かっていた。しかし、〝入〟の文字を、注意書きだけに「意を注いで」見ると、

「『入』の股下に四角いスイッチがあって……まさか、これが『入口』ぃ?」

「大正解だよ。よくできましたっ」

馬鹿にされているような気がしたが、どうやら〝入口〟の在り処に辿り着けたようだ。

「んじゃとにかく、この透明なスイッチを押せばいいんだな?」

「ああ、押してごらん」

言われるがままに私は、スイッチを押した。すると突然、立て看板がその場で、地面に突き刺さっている一本足を軸にゆっくりと、回転をし始めた。

「おわわっ! かかか、看板が回って、地面に潜ってくぞ⁉」

「ま、さすがに初見じゃ、驚かない方がおかしいだろうね」

葉月は目を細めながら、ドリルの如く地中深くに埋まりゆく看板(?)を眺めていた。

看板が見えなくなると今度は軽い地響きが起こり、ゆっくりと浮上してきた新たなそれは、

「こ、これがマスティカ……なの、か?」

高さおおよそ三メートル、巨大なフラフープ状の金属環と、それを支えるボタン付きの台座で出来た転送装置『マスティカ』そのものであった。先程の看板がちょうど鍵のようになってマスティカの脳天にグサリと、メロンのへたの如く合一を果たしていた。

「なぁ、よくこんなブツ、山ン中に隠せたな」

私はおそらく当然のツッコミを、葉月に入れていた。

「むしろ、山の中の方が都合いいこと、いっぱいあるだろ?」

「あー……まぁ、そうかもしれないな」

またしても彼の言葉の行間が読めた私は、これ以上の追求はしなかった。

「それじゃさっそく、中に入ろっか。真ん中のボタンを……ぽちっ、と」

マスティカが、起動した。環の中に勢いよく光の渦を巻き上げ、本体から鳴り響く幾種類もの金属音や振動音を、和音を奏でるように幾重にも連ねながら。

「それじゃ、僕の後についてきて……それっ!」

「うわわっ、ちょっと待ってくれ……ふげっ!」

何の掛け合いもなしに、葉月は走り幅跳びの跳躍のフォームで、渦へと飛び込んだ。

私も慌てて飛び込んだ、というより台座に躓いて、前のめりに突っ込んだ。

ついでに渦に突入する際に何処からか、人の笑い声が聞こえたような気が、した。

《 クックック、みぃ~つけ~たぞ~ぉ? 》


「――――――り、ユリ……由里っ。ほら、早く目を覚まして」

「ん、んん……ここは? 何も見えない――――――ぞっ⁉」

目を覚ませばそこは、どこまでも続く、無間の黒。

私の傍には、二色の薄明かりに照らされる彼が、その光源に向かって立っていた。

「この空間こそが、通称〝二星の裂け目〟『ジオクス・ホール』だ」

「なななっ、なぁんだあのバカでかいトンネルはぁ⁉」

目の前にそびえ立つ正八角形の巨穴は、片方が深青色、もう一方が橙赤色をしていた。

「青い方が『ホット・ブルー』で、赤い方が『コールド・レッド』だよ。名前の由来は……近づいてみれば、すぐに分かるさ」

葉月が穏やかに解説する中、私は早速『ホット・ブルー』の正面へと近づいてみた。

「あ、熱っ!」

まるで、サウナ。続いて『コールド・レッド』にも、抜き足差し足。

「ひぃ、ちべてっ!」

まるで、冷凍室。私が一通り確認し終えたのを見て、葉月が再び口を開く。

「この『ジオクス・ホール』は今からおよそ一年前、とある一人の〝神様〟が作り出した空間であり、彼の住処でもあるんだ。実は『マスティカ』はまだ、ポス・ベリタスから地球への一方通行でしか物質を転送できない……魔粒子は例外だけどね。そこで〝神様〟はその問題点を解決しようと、この暗闇の間に二つの門を作り出した。それがあの『ホット・ブルー』と『コールド・レッド』ってわけさ」

 改めて見上げると圧倒される、生死の分れ目を隠喩したかのような、物言わぬ二色の双門。

私は振り返りつつ適度に相槌を打って、もう少しだけ聞き入ることにした。

「地球側から『ホット・ブルー』を潜れば『マスティカ』のある地球上の何処へでもひとっ飛び、『コールド・レッド』を潜れば、ポス・ベリタスにある任意の『マスティカ』に行ける。ポス・ベリタス側から入った場合は、さっきと逆になるだけで大きな支障は出ないんだ」

(はーぁ、なるほどね。そりゃ〝神様〟さまさまだな……ん?)

新しい知識を脳内で消化していると、何やら右足に違和感を感じた。

何か固さのある物を、踏んでいたのだ。

暗闇で持ち主を待ち続けていたそれは、いつかの、私の失くし物だった。

「なっ、どうしてこんなとこに落っこってんだよっ!」

櫛だった。持ち手が先端に向かうにつれなだらかに細くなる、よくあるタイプの。

「それこそが、君のお兄さんが無事ポス・ベリタスに辿り着いた証拠だよ」

「えっ、どういうことだ?」

 関連性などゼロに思える、この異空間に落ちていた私の櫛と、兄貴の安否。

私の問いに、彼は涼やかさを崩さない声色で返した。

「本人は、君の櫛を道標の替わりとして拝借したと言ってたからね。その結果が、あれさ」

「いまいち腑に落ちんが……てか、そもそも何で兄貴はポス・ベリタスに行ったんだよ?」

私は櫛を拾い上げ、最も聞き出したかったことを彼に問い尋ねる。

「そうなる運命だった、この一言に尽きるね。でも、その運命には〝からくり〟が存在するんだ―――それが、僕がマスティカ内部で見たっていう〝女の子〟なんだよ」

いつの間にか彼は、私の傍まで来ていた。そして櫛を取るために跪いていた私と、視線の高さを一致させるようにしゃがみこんできた。

すると今度は、何故かとっさに後ろを振り返り、

「そろそろ出ておいでよ、ちっちゃな女神さん?」

暗がりに向かって、意味不明な一言。私もすかさず背を回して、後ろを見る。

《 女神だなんて、ずいぶんと年上扱いされたもんね 》

まず、声がした。

マキナ会長に似て幼く透き通る、しかし稚気の一欠片もない、静の声。

《 これでも私、生まれてまだ一年もないのよ? あ、その子が『天崎由里』ね? 》

次に、声と姿が重なった。やはり、会長によく似ていた。

相違点と言えば、桃色の瞳、金色でほんの少しだけ短い髪、そして会長より鋭い、されど情け深い両目、の三点。

「あんたは……だれ、だ?」

私はもう、ただそれだけしか言えなかった。

縫い目一つ見当たらない、膝丈まであるつつじ色のブラウス一枚だけの少女は、答える。

「一言でいえば、『因果を司る神様』ね。エティアって名前を〝マキナ姉さん〟から貰ってるの……ああっそれとね、このジオクス・ホールを作ったのは、私よ」

エティアと名乗るその少女は、体を浮遊させながら軽々と、衝撃の事実を乱発する。

「あんた、マキナ会長の……星見屋麻季名の妹なのか⁉」

「そうよ。まぁ、〝妹〟というよりは〝娘〟と言った方が正しいのかもしれないけど」

 エティアは物腰柔らかにふわふわと、私と目線を合わせながら答える。

「それに、貴方に会うのも久しいわね、葉月君」

少女は視線を葉月に写し、口元に微かな笑みを見せる。

「―――ああ、僕も君に会えて嬉しいよ。早速お願いがあるんだけど、僕の質問を通して、この子……天崎由里に、君の素性を聞かせて貰えないかな?」

何故か葉月は、妙な間を置いて答える。

「うーん、素性ねぇ……少々込み入った話になるけど、それでも構わないかしら?」

 エティアは人差し指をこめかみに当て、気難しそうな顔をする。

「ああ、構わないよ」

 そんなに気を張る必要はないと、葉月は温厚な視線を彼女に送る。

彼の言葉と目配せを受け取ったエティアは、その素性とやらを、流暢に語り出した。

「私がこの世に生を受けたのは今からおよそ一年前、マキナ姉さんが私を、赤茶色の玉っころとして吐き出したことに端を発するの。私が姉さんの助けになりたい、だから早くここから出して欲しいって願ったところ、それが実現した……で、今こうして〝神様〟でいるワケ」

「……なるほど。では君のお姉さんについても、少しばかり教えて欲しいな」

エティアは首を縦に小さく振り、彼の希望通りに話を続ける。

「姉さんは『時』と『創造』を司る〝神様〟で、私を吐き出す前は『因果』をも自在に操れる万能の存在だったの……この宇宙の物理法則が擬人化あるいは具現化された存在、とでも言えば解りやすいかしら?」

「だとすればものすごい偶然……正に宇宙の神秘、という訳だね」

 葉月は腕組みをし、理解と関心の意を表した。

 息を合わせるように、エティアが引き締まった表情で続く。

「でもね、同時に姉さんの体内には知的生命体の活動を監視する目的として、ものすごく危険な時限装置が埋め込まれていたことに、私は気付いたの」

「時限装置? それはもしかして、爆弾の類かい?」

エティアは眉間に右の指先を当て、暫しの思考の後、再び顔を上げて答える。

「まぁ、似たような物ね。確か姉さんはこう言ってたっけ……『人の憎悪が人自身で制御不能に陥った時に起動する、全人類の記憶を抹消する白き光』って。それが由来で、姉さんには『マキナペイシス』っていう別名があるのよ……日本語に訳すなら、『平和の機械』辺りが妥当かしらね」

「それは何とも物騒な代物だね。では君が、それを阻止するために生まれたと?」

 エティアは、今度は確信を持って強く頷いた。

「その通りよ。姉さんの持つ〝白き光〟の一部を奪い去ったの。加えて、三つのキーワードを口にしないと〝それ〟が発動出来ないように、私が姉さんから生まれた時に細工を施したの……それからこれは余談だけど、私や姉さんも魔粒子を使ってスパイラのような力が行使できるのよ? 姉さんは時間を操ったり、物質を生み出したり出来て、私なら空間を切り取ったりくっ付けたり、物体を手を触れずに動かしたり、魔粒子に変えたりとか、ね」

「……なあ、おい」

自称〝神様〟と宇宙人との会話にすっかり置いていかれ、今まで沈黙を決め込んでいた私だったが、ここでようやく不満をぶちまける。

「結局、兄貴はどうなったんだ? まさか、ポス・ベリタスから戻ってこれないのか?」

「それは、本人次第だね。僕の力どうこうでは、解決しようがない」

葉月がそっと、呟くように返した。しかしその眼は暗闇を見つめ、私を見ていなかった。

「え……何、言ってんだよ」

彼の言葉を噛み砕いて呑み込むのに、それ相応の時間が掛かったに違いなかった。

「確かに兄貴はっ、昔っから何度も危ない目には逢ってきた。でもどんなに死にかけようが、絶対に生きて帰ってきたんだ! ―――なぁ頼むよ、嘘だって、言ってくれよっ!」

兄貴が無事だということは、三笠山のケーブルカー内で葉月から十二分に聞かされたはずなのに、今になって突如、得も言われぬ不安がこみ上げてきた。

私はそれに駆られて彼に縋り付き、事実の受容を頑として拒否する姿勢を取っていた。

「あら、そんなにショゲなくても大丈夫よ?」

そんな命からがらに希う私を可笑しむように、エティアが揚々と口を開いた。

「私、さっき『空間を切り取ったりくっ付けたりできる』って言ったばかりじゃない。姉さんと比べれば赤ん坊同然の私でも、この場所とポス・ベリタスをくっつけるくらい、お手のものよ……ちょっと待ってて、すぐ準備するから」

すっかり忘れていた。不可能をあっさり可能にできるという、神秘性の塊のような存在を。

彼女は、右手の人差し指で淡く赤い光の軌跡を走らせながら、ジオクス・ホールの暗闇の中に、一般的な大きさのテレビ画面ほどの長方形を一つ、描き切る。

次に彼女は、長方形の頂点の一つに右手を持っていき、

「後はこれを、ペリペリペリっと」

人差し指と親指でその頂点を摘まみ、ゆっくりと対角線に沿って、暗闇の一部分を「剥がした」のだ。その剥がされた部分はテレビ映像の如く機能し始めたが、砂嵐が画面に無数走っていて、詳細が良く分からなかった。

「あー、やっぱりこうなるかぁ……えいっ、えいっ!」

ブラウン管のテレビを叩くように、エティアは私が見ている画面の反対側を何度か、ベシベシと右手ではたいた。しかし、変化は一向に起こらない。

「お願い神様ぁ、今回ばかりはどうにか映ってちょうだいよぉ」

画面を掴んで揺らしたり、表面を手でゴシゴシしてみたりと、とにかく彼女は必死だった。

(え、アンタも〝神様〟でしょ?)

エティアが漏らした一言に反応してしまい、思わず気が緩んでしまう。

「ちょっとそこっ。ヘラヘラしてないで手伝いなさいよっ!」

歯痒さを端的に表した視線を私に投げつけ、彼女は苛立ちながらに助けを求めてきた。

薄絹のような肌理細やかでふっくらした彼女の頬は、ほんのりと紅く染まっていた。

「お、おぅ……ほら、葉月も一緒にっ」

「ああ、もちろんやるとも」

それから三人であれやこれやと試行錯誤したが、やはり進展は見られなかった。

「―――あぁ、もう。私がもうちょい早く生まれてればなぁ」

散々にくたびれ、地にペタンと座り込んだ彼女がボソリと呟いた、その数秒後だった。

《―――かっ―――ますか―――じ――――》

「ハッ、その声はもしかして……リーテっ、エスペリテなのね?」

(リーテ? この神様っ子の友達か……って、何だぁ⁉ 急に画面が鮮明に⁉)

エティアが嬉々として画面に返事をした瞬間、白黒のノイズばかりの画面の右端から左端へ光の帯が走って行き、あっという間に高画質な色付の画面へと切り替わった。

通信場所は屋内の一室だろうか、画面奥のドアに『第一魔粒子研究所』というロゴを発見した。そしてその画面に映っていた人影を見て、私は飽かずに驚いた。

「えええっ⁉ 神様っ子がもう一人ぃ⁉」

「違うわよ、あれは私の分身。エスペリテって、さっき名前を呼んだばかりじゃない」

エティアが淡々と修正を入れたその相手は、白い髪色と栗色の瞳以外、顔かたちが彼女とあまりにもそっくりな、科学者の白衣を纏った一人の少女だった。

「ご無沙汰しております、ご主人……あ、私が差し上げたブラウス、ちゃんとお召しになられたんですね……して、何用でございますか?」

エスペリテは両手を膝の前で揃え、綺麗なお辞儀をした。、

「ああ良かったわ、リーテぇ。お前の『プロサーム』が無かったら八方塞がりだったわよ……ってそうじゃなくて、用件だったわね。そっちに今、地球人が一人いるでしょ? そいつを、お前のとこまで連れて来て。簡単な事でしょ?」

安堵と歓喜を混ぜこぜにした表情でエティアは少女に命令を下すが、それは不要だった。

「ふふ、運がいいですね、ご主人。目的の者なら今、私の後ろで暇を持て余していますよ」

エスペリテは口元を緩ませながら、後ろを振り向いて何者かを手招きする。

その少し後に画面の外から現れたのは、願ってもみなかった、

あの煩わしくも失い難き私の、たった一人の、兄弟。

「あ、あっ―――兄貴ぃぃぃッッッ!」

『何だぁ、このテレビみたいながめ―――えええっ、由里ぃッ⁉』

叫ぶ私と、驚く兄。

一か月と少しだけの空白が、一枚の窓枠によって、再び色を取り戻した瞬間だった。

しかし兄貴に放った第二声は、感動よりも怒りを優先させて、放った一言。

「一体ドコほっつき歩いてんだバカ野郎! オレの櫛を勝手に持ってってんじゃねえっ!」

何も躊躇うことなく、私は兄貴に本音の底の底までを、送り飛ばした。

すると兄貴は両手を合わせ、頭も少しばかり下に傾け、慌てて叫んだ。

「ごっ、ゴメン悪かった! どうしても到着先で書くものが欲しかったんだよ!」

「はぁ?」

さっぱり意味が分からなかった。だが、彼の言い訳を理解しているものが一人だけ、いた。

「天崎会人、覚えてるかい? 僕だ、葉月光だよ!」

画面にしがみ付く私の横からニュっと割り込んできた、葉月だった。

「も、もしかして、あン時の宇宙人なのか⁉ また会えて嬉しいぜぇ!」

兄貴は私の存在などそっちのけで、葉月との再会を大いに喜んでいた。

「そーだっ、宇宙じ……じゃなくて葉月だっけ? せっかくだから、由里に種明かししてやってくれよ。今の俺の立場じゃ、説得力もクソミソもないだろ?」

久しぶりに見た気がする。

如何なる相手にもあっさり頭を下げる兄貴の、あの情けない姿を。

「ああ、いいよ。今すぐにでも話そう」

葉月は、兄貴の願いをすんなりと承諾した。そしてすぐに私の方を見、話し出ず。

「由里、会人はここから向こうへ行く際に『スパイラ』を掛けて欲しいと、僕に頼んだんだ」

「は? 何でそんな意味のねぇようなことを?」

このベリタス人もそうだが、兄貴の行動パターンは不可解なことばかりである。

葉月はあくまで淡々と、事実を理解しやすいよう噛み砕いて、私に説明を施す。

「僕の『レトゥルギア』は対象を一人に絞れば、かなり詳細な命令を下せる。そこで彼は名案を思い付いた。ポス・ベリタスに漂着して万が一記憶を失っていた時の保険として、櫛で何か地面に文字が書けるよう、時間経過で自動的に解ける催眠術を掛けてもらえばいい、とね」

なるほど、兄貴の意図はひとまず理解できたが、

「そういうことか……でも兄貴、書くモンなら他にもいっぱいあったじゃねーかよ」

今更ながらに浮かんできた、突っ込んで当然のツッコミを、私は兄貴に入れた。

すると兄貴は、カラッとした顔で答えた。

「由里、改めて謝っておくよ、ゴメン。俺、結構な心配性だろ? そんな時は、嗅ぎ慣れた匂いを嗅いで気持ちを落ち着かせるのが一番だって、お前にも教えたろ? だから俺は思いついた。地面に文字が書けて、なおかつ気持ちを落ち着かせる匂いが嗅げる道具といえば、お前の愛用してる櫛しかないってな! 実際、お前の髪の匂いを出発前にいっぱい嗅いだおかげで、すごくリラックスできたんだぜ? 感謝感激雨あられだよ、ホント!」

引いた、これには流石に、引いた。

最後の方は特に、耳の中にカビが生えるかと思った。

「ねぇ、お兄ちゃん。ワタシからも一言……言っていい?」

「え、何だ急に『お兄ちゃん』だなんて。やっぱり俺が傍にいないと寂しいのかぁ?」

俯かせておいた顔を素早く上げ、普段より一オクターブ低い辛辣な声で、言ってやった。

「―――死んじゃえ、この馬の骨が」

その瞬間、天崎会人という一人の男、もとい一匹の下衆犬は、地球とポス・ベリタス両星の時間が止まった感覚に包まれていた。

一方、私は画面から目も体も遠ざけ、他の面々がヤツを憐れんでくれることを雀の涙ほどに期待し、暗闇の一端で暫しふて腐れていた。

「おーい会人ぉ、大丈夫か~い、聞こえてるかぁ?」

「おお……ハッ! お、俺はどうして?」

葉月が、放心状態の兄貴を直ちに呼び戻したようだ。『スパイラ』でも使ったのだろうか。

「会人、君に合わせたい者がもう一人いる事を忘れていたよ……さ、こちらに」

我に返った兄貴が、画面の向こうで目にした相手は、

「き、君はまさか……俺を助けてくれた、あのっ⁉」

いつしか探し求めていたらしい、謎多き神秘系少女―――エティア―――であった。

「久しぶりね。貴方にとっては初めまして、かしら?」

彼女の画面越しの微笑を受け取ると、兄貴は何故だか顔を赤らめ、そっぽを向いた。

「いや、そうかもしれないけど……君、今はちゃんと服、着てるんだね」

言葉に詰まりかける兄貴の横に、エスペリテが割り込んできた。

「当然じゃない! ご主人をすっぽんぽんのままにさせる訳にはいかないでしょ? 私がとやかく言わないと、そのうち平然と人前で柔肌を晒すことになるかもしれないもの」

エティアは彼女の言い分がお節介に聞こえたらしく、ブラウスの胸元を摘んで言った。

「私正直、服着るの好きじゃないのよねぇ。何か拘束されてる感じがするんだもの」

「勘弁してくださいな、ご主人。私は貴女の身の回りのお世話をするために作ってもらった存在ですよ? あまり駄々を捏ねられると……」

彼女がエティアそっくりな不満の表情を浮かべると、エティアは堪らず、

「わぁ~かったわよ……それより会人、貴方が『マスティカ』から出て来た〝光の腕〟に飲み込まれたこと、覚えてる?」

エスペリテの文句をさっさとかわし、兄貴にふとした疑問を吹っ掛けた。

「光の腕……あっ、そうだよそれっ! すっかり忘れてた!」

問われた兄貴は大きな両目を更に広げ、彼女に質問を吹っ掛け返す。

「あれって一体何だったんだ? もしかして全部、君の自作自演だったってのか?」

だがしかし、その質問に答えたのは、エスペリテであった。

「それは違う……犯人は全て、この私よ。話すと少し長くなるけど、いい?」

「え? あ、ああ……」

兄貴は困惑している風だったが、疑いの色は示していないようだった。

「事の始まりは、アンタの携帯電話を盗み出したことからだった……」

 エスペリテは、兄貴を横切り、右ポケットに入った兄貴のスマホを、音もなく抜き取った。

 しかし兄貴はそれに気付かず、一方の彼女は素早く身を翻して両腕を背後に回し、兄貴の死角でスマホを指先一本で皿回しの如く弄びつつ、話の続きに戻る。

「実はね、アンタがビガロに着いた時からこっそり後を付けてたのよ、ご主人の命令でね。スパイラを使って路地の灯りに紛れながら、必死に街中を駆け巡るアンタを見てたけど、そりゃもう傑作だった! 出口のない迷路を延々と彷徨う鼠のようだったもの!」

 エスペリテは思い出し笑いをしながら、次に研究所内での真相を語り出した。

「それで、アンタがシラード博士の作ったマスティカを壊そうとしてたから、これ以上の被害が出ないように、私がマスティカの中に入りこんで光の渦と一体化したの。私はご主人の一部から作られたせいか、マスティカの近くだと、とりわけスパイラが強力になるのよ。んで、あのゴツい腕に変身して、アンタを『ジオクス・ホール』まで引きずり込んだってワケ」

「それじゃあ君は始めから、俺を研究所に誘導するために……?」

「ええ。もっとも、最後の最後でアンタが暴れ出した事は、完全に予想外だったけど」

 苦笑するエスペリテに、またも兄貴は俯いて赤くなっていた。

すると今度は、エティアが割り込んでくる。

「流石にアレはやり過ぎよ、リーテ。第一、角刈り男が会人を押さえ付けてたじゃない」

それを聞いたエスペリテが手を口に当て、クスリと笑いだした。

「実はあのとき魔が差しましてね、貴女と力比べしてみたくなったんです。今のご主人だったら、私でも勝てるかなって。そしたら案の定、あのような結果になって……むふふ」

優越感に浸る笑みを見せた彼女に対し、エティアは流石に腹が立ったらしい。

「もぉっ、只の世話係の癖に生意気なのよ、あんた。しばらく引っ込んでなさいっ」

「はーい、承知しました~♪」

エスペリテが陽気に画面の外へパタパタと走っていくと、兄貴がエティアへ残りの疑問に答えてもらおうと慎重に丁重に、彼女に話しかけた。

兄貴の右ポケットの中には、エスペリテが抜き取っていたスマホが戻されていた。

「え、エティアちゃん。俺がマスティカ内部で気を失ってた時、俺を見て泣いてたよね? あれは一体、どんな心境の変化だったんだい?」

兄貴の読み通り、落ち着きを取り戻していたエティアが、サクッと答えてきた。

「あんなの、悔し泣きに決まってるじゃない。私は〝神様〟でも人間の心と体を使って実体化してるんだから、それくらい分かって欲しいモンだわ」

声色こそ落ち着いているものの、それでもまだ彼女の表情は、しかめっ面のままである。

 慣れない様子で、兄貴は遠慮がちにもう一度彼女に問う。

「それじゃ、そのあとで呟いた言葉ってのは一体?」

 流石の神様でも予想外な問いだったのか、キョトンとした顔になった彼女が答える。

「え、あれ? ただこう言っただけよ。〝これでようやく―――」

「「―――私の思い通りになった〟」」

 和音のように、エティアの返事は何故か二人分の声がした。犯人は察するまでもなかった。

 言い終えた瞬間、彼女の形相がまたも鋭くなる。その怒りの矛先は無論、兄貴の映る画面の端っこで何時の間にかほくそ笑んでいたエスぺリテに向けてだった。

「ア~っタマきた! 今すぐグジュグジュのペチャンコにしてやるぅ‼」

「ちょっ、ストップストーップ!」

 私は大至急で立腹する少女を羽交い絞めにする。小柄かつ華奢な身体の割に恐ろしい暴れっぷりに、かすかな驚きと恐怖を束の間ながらに覚えた。もしもこんな妹がいたらと思うと、ますます恐ろしくもなる。

「何すんの放してよっ、アイツにゃ一遍分からせないと……」

 と、腕の中でジタバタもがくエティアの声に対し、間もなくして画面の向こうから、

(ゴチン)

 とかいう、シュールで重たい響きが返ってきた。

思わずながら、私もエティアも大人しくそちらを見遣ると、片手をグーにした兄貴と、頭部を両手で抑えてうずくまるエスぺリテの姿があったのだ。

「これでいいかい、エティアちゃん?」

「え、ええ……」

 兄貴の兄貴らしい厄介事の治め方に、私達はまたしてもなすがままだった。

「いたい、いたい、いたい、いたい、いたい」

「ほらぁ、お前はさっさと部屋から出てけっ」

 エスぺリテの腕を引っ掴み、兄貴は休む間もなく「いたい、いたい」と苦情を垂れ流す彼女を退場させる。

(あー、やっと終わったか)

 一方こちらでは、拘束を解いてやったエティアが一息ついてから、幾分得意げな顔になって兄貴に言った。

「会人も解ってきたじゃない、しもべの扱い方」

「ま、中身は子供だし単純なもんさ。力づくで黙らせんのが一番だよ」

 兄貴の方も、割かし得意げな顔で返事をする。この時だけは、どうも懐かしい気分に浸ってしまった自分がいささか照れ臭かった。

「それじゃ、話を戻しましょうか」

 場の流れが熱的均衡に収束したと同時、エティアは兄貴に向かった。

「あの言葉を呟いた時の私、少しだけ笑ってたでしょ?」

「ああ。それはどうしてだい?」

更なる答えに迫ろうと、兄貴は平静を貫いた声色で、彼女の返事を待った。

すると彼女の桃色をした目つきが、兄貴に合わせるように穏やかになる。

「あの時になってようやく、貴方に確信が持てたからよ」

「は?」

 ピコハンにでも叩かれたように、兄貴の思考回路のスイッチが切れる。

と、ここで長らく口を閉ざしていた葉月が、動いた。

「つまり、君はこの〝神様〟に選ばれるべくして選ばれた……そうですよね、『御主人』?」

「「⁉」」

『御主人』―――確かに葉月はそう言った。

私と兄貴は、落雷に打たれたかの如く言葉を失くす。

「ええ。日本に来て間もなかったのに、やはりお前は優秀ね、『ハスク』」

(ハスク⁉)

しかも、エティアは彼を「葉月」とは呼ばず、『ハスク』と呼んだ。

「有り難きお言葉です……加えて数々の御無礼、お許しを」

彼はエティアに向けて片膝を突き、両手で彼女の右手を優しく取り、静かに持ち上げる。

それはまさしく家臣が一国の王女に、絶対なる忠誠心を示す行為そのものであった。

そして刹那の沈黙の後、エティアの口から、先の回答の理由が語られた。

「貴方を一目見て、感じ取ったの。貴方には目的を達成しようとする強固で強靭な意志、生まれ持った運の強さ、そして……地球の人間でありながら唯一、ポス・ベリタスの過酷な環境においても地球上と何ら変わりなく暮らしていける神秘的な肉体を持っている可能性を、ね」

 呆然と立ち尽くす兄貴に、エティアは猶も続ける。

「結構時間掛かったのよ、貴方の存在を特定することにはね。ハスクがいなければ、あとどれだけの時間を費やすことになったのか、今でも正直想像つかないもの」

「―――おい……待てよ、おいっ!」

兄貴は固まったままだったが、頭の冷えた私は、どうにかして声を振り絞れた。

「一体何がどうなってんだよ⁉ 一から説明しやがれってんだっ!」

すると葉月は立ち上がり、私の方へ近づいて頭を下げつつ、言った。

「許してくれ、由里。今まで黙っていて……本当に悪かった」

笑みを消し去った鮮紅色の双眼が下を向き、くすんだ灰色の髪が僅かに揺れる。

「謝ってンだけじゃあ、何も分かんねぇよ。オトコなら、はっきり言え!」

なよなよとした彼を不快に感じ、私は思わず彼を喝破した。

「僕は、君達兄妹の日常を壊すに等しいことを、してしまったんだ……」

「はぁ? ますます訳分かんねえよっ!」

彼の言葉の裏が取れず、私はもがいていた。すると彼の代わりに口を開いたのは、

「無茶は禁物よ、ハスク。後はこの私に任せなさい」

エティアだった。彼女もまた、私の近くへと寄ってきた。葉月は黙って頷き、退いた。

すると、通信用の画面が四倍ほどの面積になり、自動的に彼女の元へ飛んでいった。

画面の前で浮遊しながら直立姿勢をとり、少女は懇望する。

私に初めて顔を見せた時のような、神妙な面持ちで。

《 協力してほしいことが、あるの 》

細々とした腕の先で握り拳を作り、遊ばせていた二本の素足を揃え、彼女は決然と言い放った。

「協力? 君の本当の目的は一体、何なんだい?」

疑問を募らせた兄貴が、真面な返答を求める眼差しを、彼女へ向ける。

「言ったでしょ、貴方には〝可能性〟があるって。だから私は、ポス・ベリタスに流れ着いた貴方を、ビガロに向かわせるよう仕向けたの」

彼女の目は兄貴と対照的に、とても穏やかであった。

黙っていては望む答えも手に入らない。そう思い、今度は私がエティアに問い掛けた。

「それで? オレ達に協力して欲しいコトって何だよ?」

先程から間を置いたせいか、至極真っ当な質問になってしまった。

それでもかえって単刀直入な聞き出し方だったためか、振り返った彼女は、即答した。

「私が〝一人で何でもできる存在〟を目指すため、由里には『ライフスフィア集め』を、会人には『円盤集め』をやってもらいたいの。前者は私の不完全な肉体を養うために、後者は地球とポス・ベリタスの謎を、延いては私と姉さんの謎を解き明かす鍵として、どうしても必要なのよ」

彼女は急に楽しそうな表情になり、地に降りて両手を後ろに組み、ぺたぺたと足音を立てながら画面の前を左右に往復し始めた。

「はぁ、もうオレ達の承諾前提かよ……ま、どうせお前の因果だとか運命だとかの力で、避けられないんだろ?」

「ふふっ、解ってるじゃない。といってもまだ、人間一人の身近な運命しか操れないんだけど」

私の心は意外と純粋だった―――されど最も肝心な未解決事が、一点。

それは彼女が、この依頼を私達に求める、そもそもの動機。

「なら、今度は俺から聞かせてもらうよ、エティア。君がこんな依頼を、俺達兄妹に頼むきっかけとはズバリ……何だい?」

先に口を開いたのは、兄貴だった。

勝手気ままに動いていた彼女の両脚が、そこで止まる。

「単純なことよ―――マキナ姉さんと『訣別』する。ただ、それだけよ」

答えた途端、エティアは伏し目がちになった。

どこか物憂げで、どこか苛立ちながら。

「私、姉さんに言われたの。今のアナタの力じゃ、ワタシには到底及ばないって。でも……私はそんなの認めない、認めたくないっ!」

この時の彼女の気迫はまさに、大観衆の前で演説を行う、有力者そのものであった。

両足の指先に力が込もり、上体は画面に向かって前のめりになる。

「歴史は不可逆だなんて、誰が言った? 宇宙が誕生した時から全ての事象は決定されているなんて、誰が唱えた? 無から有は生まれないなんて、誰が決めた? 私は姉さんの身の破滅を憂うためだけに生まれた存在じゃない! ハスクだってそうよ! 彼には一人の人間として、この世で堂々と生きる資格がある! だから、だから私は……っ!」

 エティアはそこで、言葉に詰まった。

(これで、これでいいのよね……リーテ?)

葉月は即座に、エティアの方を振り向いた。

(御主人……どうして、貴女がそんなことを?)

そこへ私が割って入り、彼女の小さな両手を固く握りながら、しかし落ち着いて口を開く。

「お前の気持ちは、オレにも兄貴にも、それから葉月にも十分伝わってるよ。つまりはさ、お前の言った『訣別』ってのは、姉ちゃんと縁を切りたいって意味じゃなくて、姉ちゃんが一人前になったお前を見て、一人でもやっていけることを認めさせたい……そういうことだろ?」

神様の考えることは、良く分からない。

でも我々には、伝えようとする言葉と意志がある。

「由里……勘違いさせたのなら、謝るわ」

「いいってコトよ。オレも兄貴も、根はお人好しなんだ。少しは信用してくれよな?」

少女の両の瞳は、いわれなき苦しみから忽ち解放されていくように見えた。

「ご主人の心中をあそこまで察することができるなんて……デキた妹ね」

(やはりご主人は、やればデキる子だわ……後はもう、時間の問題ね)

エスペリテが扉の隙間から緩く腕組みしつつ、私の言動を高く評価してくれているのも、ひそかに垣間見えた。。

「ああ。由里のやつ……俺が見ない内に、あんな立派になりやがってよぉ」

兄貴は、私のことを称賛してくれていた。

心なしか、目頭が熱を帯びているように見えた。

「お~い画面の向こうのお二人さーん、なぁにしんみりとしちゃってんの? まだ神様っ子の話は終わってねーぞー?」

画面の方へ顔を向けながら、兄貴とエスペリテに注意を喚起させる一言を放った。

「ええそうね、由里。まだ依頼の詳細と、その後のことについて話してなかったわ」

それを耳にしたエティアは、迷いが吹っ切れた曇りなき表情で、話の続きを始める。

「まず由里のライフスフィア集めについてだけど、これは単純よ。なるだけ多くのスピリストからライフスフィアを集める。獲得したライフスフィアは私の元に転送する。転送方法は今ここにある通信用画面……『テレフレーム』とでも名付けましょうかね、これに直接投げ入れて。私はここから何時でも由里達を探せるから」

彼女はそう言い、『テレフレーム』と名付けた画面の上部をトントンと叩く。

「それから次に、会人の『円盤集め』についてね。実は、こっちは少々不安なのよねぇ」

「と、いうと?」

腕を組みながら頭を悩ませる彼女に、兄貴が受け答える。

「何せ、半ば都市伝説化している物を探すのが目的だからねぇ……」

「はぁ、そんな物を探せってのかい?」

流石の兄貴も、呆れ返っていた。

しかしエティアはそれでも、確固たる自信が有りそうな顔つきをしていた。

「でもきっと、会人ならやってくれるって信じてるわ。それで内容についてだけど、ビガロのどこかに眠っているっていう、十枚の円盤を探してきて欲しいの。円盤には地球とポス・ベリタスにまつわる様々な秘密が隠されているって噂があるらしくて、十枚全てが違う色なんだけど、フリスビーより一回り小さいってのは共通してるそうよ」

「うーん……色々不安は残るが、これもポス・ベリタス研究の為と思えば、苦ではないかな」

気乗りしそうになかった兄貴だったが、どうやら覚悟を決めたようだ。

「その意気よっ。ご主人に代わって、私がお供するから安心して」

「えっ、エスペリテが?」

「リーテでいいわよ。特別にそう呼ばせたげるっ」

画面外からいきなり帰ってきたエスペリテが、兄貴の傍までやって来た。

「というわけで、これで全ての準備は整ったわね……そうそう、依頼が終われば勿論、会人は地球に返してあげるし、二人の願い事だって叶えてあげるわ。ただし、あんまりスケールの大きいのはダメよ……っと、そろそろ私も限界かしらね」

「なっ、何だ⁉ 神様っ子の身体が……透明になってくぞっ⁉」

気が付けばエティアの肉体は既に少しずつ、輪郭がぼやけ始めていた。

「言い忘れてたわ。私の肉体はまだ不完全で欠陥があるの。だから、この世に実体化する時は、私が生まれて間もなく作ったこの隠れ家『ジオクス・ホール』の魔粒子を使って補っているってワケ……でも今日の所は、燃料切れのようね」

言葉が流れ出ていく度に、彼女の肉体は希薄さを増していく。私は急いで彼女に尋ねた。

「待ってくれ、エティア! 最後に一つだけ聞きたい! お前は七夕の夜に起きたあの出来事を……知ってるのか?」

「フフッ、あれはただの―――姉妹喧嘩よ」

消えゆくブラウスの少女はただ一言、私に答えてから、完全に姿を消した。

それと同時に『テレフレーム』の方も、徐々にノイズが増えていく。

私は急いでテレフレームの画面へと顔を近づけ、向こうの二人へと簡潔に意思を伝えた。

「エスペリテ、兄貴をよろしく頼む! それから兄貴も……死ぬんじゃねぇぞっ!」

「了解っ、任せなさいって」

「忘れたか、俺は世界一の死にぞこないだ。それから、親父とお袋にも宜しく頼むぞぉ!」

二人はテレフレームが消滅するまで、ずっと笑顔だった。

(ったく、どこまで家族を心配させりゃ気が済むんだよ―――バカヤロ)

 寂しさと苛立ちと、ほんのちょっぴりの嬉しさを込めて、俯き加減に微笑む。不安定な感情を、とうの昔に置き去りにしたような気がするほどに、腹の内はすっかり綺麗になっていた。

―――そして、ジオクス・ホールに再び訪れる、私と彼、二人だけの静謐。

「さて……ハスクだっけ? 次の目的地へ早く行こうぜ」

一人、二つの巨門の前に立っていた彼へ近づきつつ、私はそう言った。

「いや、葉月でいい……行こう」

(御主人はもう……あの時の僕を、許してくれたのだろうか?)

 陰影の薄い葉月の横顔は、物苦しそうに見えた。

「お、おぅ……」

私達は『ホット・ブルー』を潜り、少々戸惑いながらも、次なる目的地へと向かった。



四半日ぶりの娑婆の空気は、やけに冷涼としていた。

私達は、葉月がこっそり設置しておいたというマスティカの子機を通じ、三笠山高校の屋上へと降り立った。

フェンスの金網は積年の風雨で緑青を生じ、コンクリのタイルは随所にひびが入っている。

一方で空を仰げば、淀みのない夕暮れの蜜柑色。

だがここで、彼とロマンティックにデートの続き、という訳にもいかない。

屋上と階段を繋ぐ扉へと向かい、ドアノブに手をかける。幸運なことに、鍵は掛けられていなかった。これもあの、神様っ子の仕業なのだろうか。

私等は小気味いいリズムで階段を下りていき、校舎三階の一角にある生徒会長室の前へと辿り着いた。その部屋の扉は重厚なヒノキの造りで、この高校にはおおよそ似つかわしくない、存在感と高級感を醸し出していた。

「準備はいいか、葉月? ……って、こんな掛け合いは可笑しいか」

「ああ、ようやくこれで君に取り付いていた謎は、ひとまず全て片付くだろう」

葉月の表情はいつしか、いつもの澄まし顔へと戻っていた。

やはり、私自身の思い過ごしだったのだろうか。

「たのもーっ!」

ノックもせず、前置きの言葉も添えず、無礼千万に部屋の扉を勢いよく開ける。

「……んぉ、由里ぃ? それに葉月君……だっけ?」

―――見つけた。制服姿の、小さな人影。

生徒会長室の特製デスクの奥で腰掛けながら、一人優雅にお茶を楽しむ、彼女の姿を。

「やっぱり居ましたね、マキナ会長……いや、『マキナペイシス』っ!」

「僕達は、〝あの夜〟の謎を解き明かすためにここまでやってきました!」

口に大判焼きを咥えながら、緑茶ではなく紅茶という、珍妙な組合せで。

「⁉ ……ゴクンっ、どっ、どうしてワタシの本名を⁉」

慌てて口の中の物を紅茶で流し込んだ会長は、予想通りの狼狽っぷりを見せてくれた。

その隙に私達は、彼女のデスクの前まで一気に距離を縮める。

「アンタの妹が、全部話してくれたんスよ。会長は〝神様〟だってねっ!」

「貴女はあの夜、僕達の前から忽然と姿を消した―――違いますか?」

私達は刑事コンビの如く、彼女の容疑の取り調べを図り出す。

「違う、違うのっ! あの時は、由里達を助けようとして……っ!」

会長は椅子から跳ね上がるように立ち上がり、容疑の否定から入ってきた。

「何が違うんスか、会長。たとえ〝神様〟でも、アンタに運命は変えられない筈ですよ?」

「僕達はもう、貴女の正体を知っているんです。隠したって……無駄ですよ?」

どこまでも確実に、執拗に、私たちは彼女を問い詰めていく。

すると会長はエティアそっくりに両目を伏せ、弱々しく呟いた。

「そっか、全部知られちゃったのか……ならいいよ、何でも聞いてあげる」

会長は押される側に回ると途端に弱くなることを、私は密かに知っていた。

「それじゃ会長。早速お聞きしますが、あの日起きた惨劇は会長とアンタの妹……エティアによる犯行だった……そうなんスね?」

(神様っ子は『ただの姉妹喧嘩』とか言ってたが……ほんとにマジなのか?)

 会長は「うん」という短い返事と共に、確かに頷く。

「でも正確には、妹の暴走を止めるために、ワタシが余計な手を出したからなの」

「暴走を……止める?」

彼女の言い回しに違和感を覚え、私は思わず眉をしかめた。

「あの夜は何故かあの子の様子がおかしいって、螢星祭の司会をやりながら感じてたんだ。そしたら予想通りエティアは力の暴走を起こして、三笠山の山頂から巨大な腕を生み出した。ワタシはそれを阻止するために、東京湾から魔粒子を集めて妹のよりも力強い、大男の腕に変身したの。でもそれが……あの悲劇を招く結果にもなった」

「謎の紫玉から出たあの光……ですよね?」

彼女を見つめつつ、私は会長の次の言葉を先取りする。

「そう……でもワタシね、あの光に何か覚えがあったの。何かが欠けている……それが揃えば真の力が発揮できる、って。でもあの時はそんな余裕も無かったから、ワタシは由里の時間の一部を『前借りした』の。正確には〝記憶を作るための時間の一部〟……かな?」

私はそこで、『無いはずの記憶』を思い出す。

七月八日、九日の、失われし空白の二日間の記憶を。

「ってことは、会長がオレの二日分の記憶を利用して、あの事件を帳消しに……? でも待ってください、会長はエティアと違って『因果』を操作することは不可能なんじゃ?」

「実はエティアを吐き出した時の名残りでね、他人の記憶を糧にすれば可能なの。それにワタシ特有の時間操作のスパイラと併用すれば、一度起こってしまった因果を消去して、新たな因果に置き換えられるんだよ。分かりやすく言うなら、無限に続く水道管の水の流れを一端止めて、老朽化した部分を取り換えてから再び水を流す、って感じかな?」

〝神様〟の常識は常に、人間にとっての非常識であった。

「それからね、由里や葉月君が〝あの光〟の影響を受けなかったのは、ワタシのスパイラの効果がいち早く及んだからなんだよ」

それでも、とりあえずは納得できた。

しかし、疑問は次から次へと湧いてくる。それは、葉月も同じだった。

「お言葉ですが会長、その力を使うのに他人の記憶を貪り続けて、大丈夫なのですか?」

「もちろん分かってるよ。沢山使えばそれだけ、世の中の社会構造が不安定化しちゃうもの。だからこの力はここぞって時にしか使わないから、安心してっ」

 屈託なく微笑む彼女。

それにつられ、私も葉月にも、笑みがこぼれる。

(ま、記憶持ってかれたオレとしちゃあ、貧乏くじを引かされたワケだけどな)

すると何故か、マキナ会長の表情が、急に強張り出した。

「葉月君……い、いきなりで悪いんだけど、後ろ……向いててくれないかな? おそらくエティアから聞かされてるとは思うんだけど……」

「Oui, 分かりました。やはりあの秘密を……彼女に?」

 葉月は答えつつ、淀みなく身体の前後を入れ替え、顔を部屋の入口へと向けた。

「うん。ここまで来たらもう、出し惜しみなんて意味ないし」

会長は、デスクを挟んで反対側に立っていた私に傍へ近づくよう、手でこまねいた。その手に誘われ、私は彼女の真ん前まで移動する。

すると会長は無言で突然、

「きゅ、急に何スか、秘密……って、うえぇ⁉ いきなり何してんスかぁ⁉」

襟の内側のリボンを解き、そのままボタンへと手を掛け、慣れた手つきでワイシャツ前面の接合部を解除していったのだ。下着は、付けていなかった。

 私の眼前に現れたのは、白く果てなく透き通る、会長の柔肌。

 螢星祭ではお目にかかれなかった、起伏も乏しき、その双丘。

 茜色の夕日を光源に、一層の照り返しを増す彼女の懐に、構わず息を飲んだ。

「由里、ビックリするのはまだ早いよ。耳を……ワタシの胸に当ててみて」

「は、はひぃ⁉」

これは、何かの夢? 否、紛れもない現実。

我が身の内の熱と鼓動が渦を巻き、DNAの如き精巧な、二重の螺旋を形成していく。

絡み合った二本の鎖は相互に共鳴し合い、より強靭さを増していく。

覚悟を、決めなくてはならない。

全身を駆け巡る熱き血潮を制し、彼女の生命の動力源へと、静かに耳を沈ませた。

「……え?」

彼女の骨を伝い、血肉を伝い、皮膚を伝い、私の耳へと届いたそれは、

―――――――――砂の、音。

規則正しい周期で脈打つ心音などではなく、さらりさらりと落ちてゆく、流砂のささやき。

「驚いたでしょ? この身体の中にある砂時計こそが、ワタシの心臓なの」

「砂……時計?」

会長が私の頭上から、優しく声をかけてくる。

芳しい紅茶の香りが、彼女の吐息に混じって、私の鼻腔を通り抜ける。

「ワタシの砂時計はね、一言で言えば、『この世で人々が持つ記憶』を管理しているの。ワタシがスパイラを使う時にそれを魔粒子に変換することで、大雑把ながらに因果を操作したり、物質を作ったりできるんだよ」

 会長の生暖かい素肌に陶酔していた私は、彼女が喋り終わるのと同時に耳を離した。

 生命の神秘と片づけるには生易しい、眼前の存在を少しずつ嚥下しながら。

「随分とスケールのデカい話ッスね……それにエティアが言ってましたけど、会長は時間を止めたり巻き戻したりも、できるんスよね?」

「そう。でもね、ワタシがそれを濫用することは滅多にしないよ。時を巻き戻すなんてことになったら、砂時計の砂を下から上に持ち上げなくちゃならないもの。心臓に絶え間なく流れ込む血液を、いきなり逆流させるに等しい行為だし、そんなことを何度も続けてたら、幾ら人並み外れたワタシの肉体だって、さすがに壊れちゃう」

 両手の指先を胸に当て、彼女は憂いを秘めた眼差しを、床へと投げる。

「そッスか……ならあんまし、無茶はしないでくださいよ?」

彼女に笑顔を見せることで、少しは楽になれたのだろうか。

「うん……ありがと、由里」

夕日に映える彼女の瞳の端には小さな、黄金色の粒が大きく光っていた。

―――とここで、先程から後ろを向いていた葉月が突然、部屋の入り口に向かって、一声。

「誰だ! そこにいるのは分かっているよ……姿を見せたらどうだい?」

《 クックック、バレちゃあしょうがないなぁ……とぉーう! 》

聞き覚えのある、爽やかだけど、どこか耳障りな声。

謎の人物は入口のドア上部のへりに手を引っ掛け、その前の助走で得た運動エネルギーを利用して前方斜め上に跳躍、体を丸めながら空中で何度も回転を繰り返した後、見事、私達の前に着地した。

「きゃっ、あ、あなたはっ⁉」

会長は短い悲鳴を上げつつ、全開のままだったワイシャツを、両手で押さえる。

「おっ、お前は⁉」

思い出した。螢星祭でマキナ会長の運命の相手になるはずだった、金髪の男。

「「―――青のり男!」」

「ちっがぁ~う! 『いかるがはやと』とは、俺のことだあっ!」

そう、残念な二枚目こと『斑鳩隼』、その本人であった。

「三笠山での話、ここでの話、いずれもしかと聞かせてもらったぞ!」

「どっ、どうしてお前がこんなところに⁉」

「君は……っ⁉ もしかして、僕達の話を盗み聞きしていたのかい?」

「あなた、一体何者なの⁉」

私達三人はぞれぞれ、彼に聞きたいことを口々に放った。

「クックック、ならば、まとめて答えてやろう」

すると彼は、口角をつり上げ不敵に笑い、僅かの沈黙を作り、そしてすぐに破った。

「俺はスピリストとしてお前達を倒し、更なる高みを……そしてっ!」

彼が言い切った次の瞬間、斑鳩はその場で身を翻すと同時に、何処からともなく現れた茶褐色の大きな布を、右手に掴んでいた。

その布は彼の全身を瞬く間に包み込み、刹那、茶褐色の布が爆発するように弾け飛んだ。

その際に起きた爆風により、私は思わず顔を両手で覆った。

花びらのように舞い落ちる、無数の布の残骸の中から姿を現したのは―――

「……ボクの長きしがらみを開放してくれる、地上の楽園を作り上げるのさ」

黒髪の、幼な顔の少年だった。あの金髪男の姿は、影も形も見当たらない。

「お前……誰なんだ?」

その少年は中学一、二年ほどで全身白ずくめ。上半身にはゆったりとしたローブ、下半身は裾に向かうにつれ、穿き口が緩やかに広がるズボンと、茶色のブーツ。また、ローブの胸部には、白を引き立たせる、金色に縁取られた臙脂色の十字が描かれていた。その装飾のおかげで後は聖書さえ手に持っていれば、彼を本物の聖職者の一人として認識できた。

「ボクは『白鳥恵しらとりけい』。斑鳩隼は、ただの操り人形さ。ボクは『彼』を使ってあの夜、そこのお兄さんと接触を図ったんだ」

 しかし少年の声も、表情も、神に仕える身としては、ひどく似つかわしくなかった。

見た目通りに声は幼いもののやたらとドスが利いていて、心の水底まで瞬時に見透かされてしまいそうな鋭き翡翠色の眼光、常に薄ら笑いを浮かべる十六夜月の影のような口元と合わさることで、猟奇的な雰囲気を周囲に放出していた。

「おい、どういうことだよ葉月っ! お前はコイツと知り合いなのかっ⁉」

少年の言から察するに、葉月は彼と面識があることを知り、驚愕した。

「あ、ああ。舞台裏で小道具の山に埋もれていたところを助けたんだ。その時僕も偶然、君に接触する機会を伺おうと舞台裏にいたんだ。だけどまさか彼の正体がこんな、年端のいかないスピリストだったなんて……」

葉月の回想話を耳にしつつ、白鳥は思い出したように笑みをこぼす。

「ククッ、あの時の震え、と~っても心地よかったよぉ。何せ、斑鳩に内蔵した『空気振動型レーダー』で、お兄さんという大当たりが一発で釣れたんだからね。身体を起こしてもらう際に、『スパイラ』でお兄さんの右掌に薄~い発信機と、盗聴器代わりの『膜』を浸透させておいたんだ。そしてその後は……クククッ、お察しの通りさ」

「じゃあ、あの時のピリッていう感覚は……お前の仕業だったのか⁉」

あの夜、斑鳩の告白の瞬間に彼の周囲で起こった怪現象を、私は思い出していた。

「あれ、お姉さんも感づいてたの? ボクのスパイラ『キューティス』はありとあらゆる無機物を薄い膜に変化させて皮膚や物体の表面に収納できるスゴイ能力なんだ。それに、魔粒子で作った膜を物体に張り付ければ、ボクの望む通りに動かすことも出来るんだよ……それじゃ説明はこれくらいにして始めようか。ボクたちが主役の、一夜限りのビッグショーをっ!」

彼は突如その場に跪き、同時に右手を床へと付ける。

すると、彼を中心にしてあの茶褐色の布が瞬く間に薄く広がっていき、私達の足下をすり抜けるようにして通過、生徒会長室全体を暗く覆い尽くした。

そして間もなく聞こえてきたのは、パチンッという、指を鳴らす軽快な音。

「ぐあっ」

暗闇に響き渡る乾いた音の直後、白鳥を核とした激しい閃光が、私の両目を襲った。

しかしすぐに暗がりが戻り、次に目を開いた時に映ったその光景とは―――

「なっ、何だここは⁉」

 一目で圧巻される、別世界に迷い込んだかの如き、大容量のコンサートホール。

 私はその大舞台のど真ん中に立っていた。すぐ隣にはあの少年、白鳥が佇んでいた。

「ようこそ、『エタープ』の中へっ!」

おびただしい数の人間、それは今から始まるショーの一部始終を見届ける、観衆の斉列。

拍手喝采の怒涛、それは舞台の上に立つ主役たちを賛美する、歓迎の雨音。

だが客の一部には、何処か見覚えがある。なんと、三笠山高校の生徒達ではないか。服装こそスーツやドレスを召しているものの、それらは馴染みのある顔ぶれであった。

彼らの瞳から精気が抜けきっている、その一点を除いては。

「皆さん、本日は満員御礼で何よりです。これより催されるは私、司会の白鳥と挑戦者である天崎由里さんによる、豪華景品を賭けた三番勝負! どうぞ最後までお楽しみください!」

彼は観客に向かい一礼、惜しみない拍手を送り返される。

「観客達は皆『斑鳩』と同じ、ボクの作った精巧なからくり形なんだよ。すごいでしょ?」

(こいつらみんな、目が逝っちまってる……そういや、葉月と会長は?)

白鳥のスパイラが作り上げた異空間『エタープ』の異様な空気にはもう慣れた。しかし、どうしても我が身から離れない違和感があった。それこそが、あの二人の不在。

「そして私と天崎さんが共に賭け合うことになる豪華景品とは……こちらです!」

私と白鳥の背後で、その開幕を今か今かと待ち続けていた、質感十分の朱色の垂れ幕の下端が一区切りずつ布じわを寄せながら、上方へと畳まれていった。

私が幕の奥で見たそれは、純銀の鈍重な、罪人のはりつけに使われる十字架が二本。

「……っ⁉ い、いつの間に⁉」

葉月と会長は、それに磔にされていた。しかし、両手両足に杭を打ち込むというような物騒な方法ではなく、漆黒の分厚い一枚布が、首から下を十字架の形にそって寝袋のように覆うことで、彼らを押さえ付けていたのだ。

「由里っ、すまない! 目を覚ましたらすでに奴の手に!」

「今のワタシ達、スパイラが使えないのっ! だから由里、代わりにアイツを倒してっ!」

二人は為す術なく、十字架の上で私に、必要最低限のメッセージを叫んだ。

「クククッ、彼らの言うとおりだよ、お姉さん。ボクを倒さない限り、このショーは終わらない―――まぁ、そう簡単には勝たせてあげないけどね」

白鳥が彼らを嘲笑うように両目を細め、私に向かって挑発の言葉を浴びせてきた。

「クッソぉ、こうなったらオレのスパイラで―――」

「おーっとぉ、もしお姉さんがスパイラを使ったら、あの黒い布の内側に張っておいた膜から鋭い釘が何本も生えてきてお兄さん達は全身串刺し、鉄の処女みたいになっちゃうよ?」

「っく! じゃあ、何してケリつけりゃいいんだよっ!」

胸の内で昂る気持ちを必死に抑え、白鳥を睨みつつ吠える。

そんな私の苛立ちを弄ぶかのように、彼は不快な微笑で私を見つめつつ、返答する。

「ククッ、お姉さんとはこれから始める、三つのゲームで勝敗を競ってもらうよ」

白鳥はその場から二、三歩後ろへ後ずさり、右足の爪先で舞台の床をコンコンと突いた。

「のわぁッ、今度は何だよっ!」

私の居たすぐ真ん前の床がガバリと正方形状に真っ黒な口を開け、さらに舞台の両脇からも同様に円形の穴がポカリと開いた。その一、二秒後、中央からは一組のカードデッキが置かれた黒い台箱が、両脇からは半球型の窪みがある石造りの台座、その傍には台座の窪みより大きい黒鉄の鎚が水平より三〇度ほど上に傾き、台座に取り付けられた形でそれぞれ出現した。

「それじゃお姉さん、ライフスフィアを出して、そこの台座に置いて」

白鳥が、私のちょうど背後にある台座を指差す。

振り返り、台座の窪みを見て、私は理解した。

ボウル型の窪みの中に更に深く、太めの十字の溝が掘られていたのだ。

「分かったよ」

私が左手の甲から白き光と共にライフスフィア(以下LS)を出し、台座の窪みに置くと、彼も同じように反対側の台座へと向かった。すると彼の右掌から羽ペンのような青の紋様が同色の光と共に浮かび上がり、LSが浮かび上がって来た。しかし、どうも私のと見た目が違う。

(あっ! そういや、葉月から教えてもらうの忘れてたんだっ―――仕方ねぇ、か)

「お前のLS……なんで青いんだ?」

「ああ、そういえばお姉さんはスピリストになってまだ日が浅いんだっけ? ならスピリストの先輩として、特別に教えてあげるよ」

白鳥はローブを纏った身を翻し、右手のLSを左手の指先で撫でながら言う。

「LSの色と魔流砂の色、それから紋様の色は同調するんだ。最初はみんな白から始まって、砂が球体一杯になる度に赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、そして最終的には黒になる。魔流砂は満杯になる度にLSを抜け出して、最寄りのマスティカまで流れ着く。で、魔流砂が黒い時に一杯になると、お役御免ってワケ。でも本人の希望があれば、もう一巡だけスピリストを続けられるんだ……因みにボクも、その一人だよ」

LSが彼の手の中で転がり、内側の青い砂がさらさらと音を立てる。

「じゃあ、魔流砂がLS一杯になったら、何か起こるのか?」

すると彼は、私の背筋をゾッとさせるあの微笑を、再び向けてきた。

「クククッ、いい質問だよ、お姉さん! それこそが、ボクたちスピリストとしての行動原理の最たるものさ。LSの中を魔流砂で満たす度にね、その所有者の身の回りで『良いコト』が一つ、起こるんだ。それも色が変わっていく度に、その規模は拡大していく。最初の内はお小遣いが増えたりする些細なレベルだけど、藍とか紫にもなるとテストで一番を取ったりとか、たまたま買った宝くじが一等だったりとか、簡単には出来ないこともあっという間に現実になっちゃうんだ。実際ボクもね、黒い魔流砂が一杯になった時、『良いコト』が起きてくれて助かったことが一つ、あるんだよ……」

白鳥、再び口をつぐむ。

しかし今度はその幼な顔から悲哀が漂う様を、私は感知した。

「そう、今でもあんな悪魔がボクの……契約者だと、思うとっ……う、ううっ」

(きゅ、急に何なんだ、コイツ……ベソ掻き始めやがった)

彼の翡翠色の両目からは涙がこぼれ、先程までの威勢はどこかへ消し飛んでいた。

「本来、闘いのルールは相手のLSを攻撃して破壊できればどんな手段でも構わない。でもボクの契約者はそれを無視して真っ向から勝負しろと言ったんだ。肉弾戦なんかまともに出来もしないボクにとってそれはもう、地獄の毎日だったよ。それでもボクは闘っては耐え、闘っては耐え、そしてやっとLS一杯に黒い魔流砂がたまったあの夜……『良いコト』が、起きたんだ」

白鳥の涙は頬を伝って湿った尾を引き、彼のLSに、ぽたりぽたりと滴り落ちる。

「ボクとヤツの目の前に白衣の天使が現れて、いきなりヤツの首元に注射針のように伸びた中指を突き差したんだ。するとヤツの身体からは血がどんどん抜かれていって、しまいには抜け殻のように干からびて……死んだ」

(何が〝抜け殻〟だ……そんな忌々しい言葉、易々と口にするな!)

 葉月の内心が怒りに満ちていく様を、私は彼の契約者として微細に感じ取った。

その理由までは分からなかったが、きっと彼の出自に関わる事なのだろうと、私は思った。

「その後、天使はボクにこう言ったんだ―――これであなたは自由の身よ、ってね」

白鳥はそう言い終えると顔の涙を袖で拭い、涙で濡れたLSを、台座へと置いた。

石造りの台座とLSの金属部分がぶつかり、静かに鈍い音を立てる。

「あの時、ボクは確信したんだ。幸運を運んでくれるのは魔粒子自身じゃなくて、きっと〝神様〟なんだって。そしてこの闘いは、ボクの願いをあの〝神様〟に叶えてもらうための大事な一戦! そのためにもボクは、再び黒い魔流砂でLSを一杯にして、〝神様〟に献上するんだっ!」

 彼はローブを翻しつつ宣言し、中央の台へと歩を進め、台の前の私と対峙する。

(願いを叶えてもらう? ……このガキンチョ、何か勘違いしてないか?)

私は白鳥の言動を、不審に思った。

エティアの話にはそのような趣旨の言葉など、全く見当たらなかったからだ。

一体彼は、『ジオクス・ホール』で盗聴した会話を、どう解釈したのだろうか。

すでに白鳥の顔からは哀しみは消え、元の冷ややかな目つきが戻っていた。

「さぁ始めようか、お姉さん。まずはトランプを使った『ミニポーカー』からだよ」

「ああ……一応言っとくけどな、お前の同情なんかしてやるヒマはねぇからな!」

彼の覇気に圧倒されまいと、私もやる気十分の声で張り合う。

白鳥は私の返事を聞くとすぐ、カードのシャッフルを行った。彼のスパイラによるものか、カードの一枚一枚が宙に浮きながら互いにぶつかることなく縦横無尽に駆け巡り、その何秒か後、空中で再び一つの山札となり、静かに台の上に落下、シャッフルが完了した。

「このゲームはチップを使わず、単純に役の強さで競うよ。それに勝負は一回のみ。ずるずる長引かせては身も心もばてていくだろうし、何より観客の興を削いでしまうからね。勝負は三枚のカードで決まる。つまり、フォーカードやフルハウス、ツーペアは成立しない。ストレートフラッシュが最強の役ってことは変わらないよ……どう、分かった?」

白鳥が首を軽く右に傾け、『ミニポーカー』のルールの理解を確認する仕草を見せた。

「分かった、さっそく始めようぜ」

私と白鳥の両者は先手を白鳥として、互いに一枚ずつカードを三枚、山札から取っていく。

取った三枚のカードは伏せたまま、互いに自分の手元に横一列に並べる。

「それじゃお互いに、一枚ずつオープンしていくよ」

ホール全体に沈黙という名の、耐え難い緊張の糸が張り巡らされる。

磔にされた二人も、まるで我が身のことのように、二者の対決を見守っていた。

「一枚目、オープンっ」

白鳥、ハートのキング。対する私、スペードのキング。

(お、同じキングか……ふぅ、何かこれだけでホッとしてきたな)

「二枚目、オープンっ」

白鳥、ハートのクイーン。対する私、スペードのクイーン。

『オオオ――――――』

どよめく観客席。それに呼応するかのように、白鳥はニヤリ。

(なっ、マジかよ⁉ 偶然にも程ってモンがあンだろっ)

彼と全く同じ強さのハンドになり、不安の大波が先の私の安心を、あっけなく飲み込んだ。

残り、一枚。最悪でも引き分けに持ち込むとすれば、スペードのエース、ただ一枚。

それ以外のカードは全て、カスだと思うしかない。

長すぎず短すぎずの絶妙な間を置いて、白鳥の手と口元が、ほぼ同時に動きだした。

「それじゃあ三枚目……と行きたいところだけど、ここで一つお姉さんに提案だ」

「?」

彼の口から飛び出してきたのは、突然のルール変更。

「今のお互いの状況は五分五分。ボクもお姉さんも狙ってる一枚は共に「エース」だよね? なら思い切って、山札からエース四枚だけを抜き取って、その中から選ぶってのはどう?」

ここで私は、少しばかりの長考に入る。

(またまた極端なルール改定だなぁ、おい……そりゃまあ確かに、勝てる確率は一気に跳ね上がるけどよ、白鳥の勝つ確率だって同時に上がっちまうだろ? 仮に拒否したとしてアイツに勝つとしたら、悪くともフラッシュかストレート、最悪でもワンペアを狙うしか……)

そして、決意した。退路など何処にも無いのだから、これ以上迷っているヒマはない。

「……よし、乗ってやるよ」

「ククッ、度胸あるね、お姉さん。じゃあデッキから四枚、エースを取って」

一貫して笑みを絶やさぬ彼を一瞥し、私は言われたとおりに山札からエースの四枚を抜き取り、裏返して台の上で横一列に置いた。するとその四枚が台から一センチ程浮き、残像が見えるほどの速さで、互い違いに動き始める。

これでは自分の望みの一枚がどれなのか、全く把握できなかった。

やがてカード達は各々動きをピタリと止め、再度横一列に並ぶ。

「さぁ、ボクのとお姉さんの、一枚ずつ選んでいいよ」

やるべきことは簡単、スペードのエースを手元に引き寄せ、白鳥のはダイヤかクラブのエースを選べばいい―――引き分けだなんて、甘っちょろい考えは捨てろ。

「オレはこれ、お前のは……これだ」

結局、自分の一枚は私側から見て左端、白鳥のは右端の一枚を選択した。

自ら選んだ一枚を手元に寄せ、彼が宣言する。

「では三枚目……オープンっ」

(頼むッ、スペード……スペードのエースをッ!)

二人のカードを捲り返す摩擦音だけが、無声の大広間いっぱいに反響する。

表になった互いのカードの絵柄を視認して、二秒あったか否か、

「……⁉ そ、んな」

「ククッ、ククククッ」

目の前で起こってしまった結果に、唖然とした。白鳥は、俯いて笑っていた。

―――クラブのエースと、スペードのエース。

そう、スペードを引き当てたのは、私の方だった。思わず、驚喜のガッツポーズ。

「おめでとう、お姉さん。第一ゲームは、お姉さんの勝ちだよ」

白鳥が悪意を消した笑顔を、称賛の言と拍手に乗せ、私に贈ってきた。

広大な客席からも、惜しみない拍手が舞台の上の挑戦者に降り注いだ。

「はぁ、何とかなりましたね、マキナ会長」

「うんっ、そだね。由里ぃ、次で決めちゃってぇ!」

葉月が、唯一動かせる頭部だけを会長へ向け、彼女も葉月の声に呼応する。

「任しといでくださいっス! 次で終わりにしてやりますよ!」

会長からのエールを受け気合十分と、敬礼を交えたウインクを飛ばしつつ、私は答える。

その五秒ほど後、白鳥側の台座の鎚がジェットコースターの上昇時のような、緊迫感を煽る電動音を鳴らしつつ、柄の端を支点として偏角三〇度から九〇度へと回転した。黒光りするハンマーの鉄が破壊対象の球体をちょうど、四五度の俯角で見下す形となる。

「あ、そういえばこの台座の仕掛けの事を言い忘れてたね。見ての通り、この台座に付いているハンマーは二段階で作動する仕組みで、一試合終わると敗者の方の台座のスイッチが入ってハンマーが一端垂直に起き上がる。そして二回目の敗北を喫すると……待ち構えていた鉄鎚がズドン! LSはガシャンっ! ベリタス人と関わった記憶と共に、LSは木端微塵になって一巻の終わり、ってワケ」

白鳥は自身の腕をハンマーに見立て、視覚的に良く分かる説明をする。私はそれを聞き、

「成る程、分かりやすくてケッコーケッコー……んで、次のゲームは?」

現在優勢なこともあって、意気揚々と次の試合を期待する私。

「ククッ、その自信、どこまで持つのか楽しみだよ……第二ゲームはお姉さんの集中力と忍耐力を試させてもらう『S・ダーツ』だよ」

白鳥の面相は、再び残忍さを含んだ冷笑へと戻っていた。

「エス……ダーツ?」

私は『S・ダーツ』の〝S〟の意味が分からなかった……スーパーか? スペシャルか?

「このゲームにはね、奥のお二人さんの協力が必要不可欠なんだ」

「はっ? ……まっ、まさか冗談だろっ⁉」

人間、近未来の出来事を予測しようとするとしばしば、悪い結果を優先させてしまう生き物である。そんな私も例に漏れることなく、悪い予感を的中させてしまった。

「冗談じゃない……本気さ。お姉さんはあのベリタス人のお兄さん、ボクはあの小さな神様がダーツの的だよ……じゃ、始めよう」

すると、先程までトランプの置かれていた台座が舞台下にゆっくりと沈み、十秒ほどして再び上がってくると、先のカードが六本の、鏃が金属製のダーツへと取って代わられていた。

もはや彼は一刻の猶予すら、私に与えてくれないらしい。

「こっ、この丸い模様は一体⁉」

「あの子、一体どういうつもりなの?」

また、マキナ会長と葉月の十字架にも変化が現れ始めた。彼らを縛り付けていた漆黒の布の表面に直径十センチ程の、銀色に光る丸い印が出現したのだ。具体的には、両方の掌、左右大腿部中央、ヘソに、両肩、そして―――心臓にほぼ近い、胸部のど真ん中。

「ルールはとぉっても簡単。ボクとお姉さんでダーツを一本ずつ、全部で三本使って合計得点を競うんだ。得点の内訳は、手が三〇点、太ももが二〇点、ヘソが一五点、両肩が二五点、そして胸の部分は……五〇点だよ」

「……」

私は返事すらせず、ただ彼の説明を黙って最後まで聞く、それに専念していた。

「それからね、ダーツが的に刺さっても、本人は痛みを感じないようにしてあるから安心して……以上で、説明は終わりだよ。さぁどうぞ、お姉さんから投げて」

白鳥は表情を崩さず、私にゲーム開始の合図を告げる。

(鬼になれ……余計な心配はするな……意識を研ぎ澄ますんだ……)

乱れがちな呼吸を一定のリズムに整え、的である葉月の方を向く。

葉月も言葉こそ発しないものの、覚悟の目つきで私の投擲を待ち構えていた。

台の上の赤いダーツを一本手に取り、おおよその距離―――二メートル半を掴む。

そして両目を目標地点に見据えつつ、手首のスナップを十分に利かせ、投げた。

放った矢は緩やかな風切り音と共に飛んでいき、程無くして彼の胸部中心に突き刺さる。

白鳥の言う通り、葉月の方は苦痛に顔を歪めることなく、無傷のようであった。

葉月の身の安全を確認して、安堵に勝るとも劣らない、喜びの声を漏らす。

「や、やったぞっ、のっけから最高とくて―――」

私がそう言い終える直前、葉月の十字架全体に、白い線が走ったのを目撃した。

それとほぼ同時刻、白鳥の両目と口元が、より一層細まって行くのを察知した。

この間、約一秒。その半秒後、葉月の十字架の隅から隅までが、白く発光した。

「―――ぐああああああああああっ」

葉月が、絶叫する。彼の全身を駆け巡る、白けた雷光の檻から飛び散る火花の音と共に。

私は、絶句する。自身の脳味噌を強かに揺さぶる、苦悶に満ちた彼の形相と叫喚と共に。

それから暫くすると十字架の電撃は止み、全身が黒く煤けた葉月は、音もなく項垂れた。

彼のすぐ横で事の一部始終を見ていたマキナ会長は口が半開きのまま、畏れに満ちた緋色の両目から大粒の涙を、今にも枯れそうなくらい流していた。

そんな白鳥は私達の反応を無視して右手を前に掲げ、自身の標的へと掌を見せつけた。

「ぉぃ、ゃめ―――」

彼は私の掠れた叫び声に耳一つ貸さず、次の一瞬には彼の右掌からは青い弾丸―――よく見るとそれは白鳥用のダーツ―――がピストルの空砲と酷似した発射音と共に打ち出され、さらに次の一瞬ですでに、マキナ会長の心臓部分、銀の印のど真ん中に矢が突き立っていた。

「あっ、んああっ……アアアアアアアアアア」

的に食い込んだ矢は十字架放電のスイッチとなり、電流は瞬く間に彼女を覆う電気伝導体の布を伝い銀製の十字架に到達、凄絶な電子の奔流が、会長の繊細な肉体に直撃する。

感電地獄に喘ぐ彼女を見やりながら、白鳥は電撃発生の仕組みを冷徹に解説していた。

最初の数秒は静電気程の威力だったが、それ以降はもう、目も当てられなかった。

「アハハっ、お兄さんより〝神様〟の方がいい声で啼いてくれるねぇ」

内に潜めていたもう一つの感情を露呈するかのように、白鳥の顔は愉悦に溺れていた。

マキナ会長の苦しみに悶える表情が堪らないのか、葉月の倍は有ろうかという時間の中、彼女は五臓六腑に染みわたる、高圧電流の激烈マッサージを施されていたのだ。

彼女の緋色に輝いていた瞳からは光が消え失せ、悲鳴は嗚咽へと変わっていった。

「……そういう、ことかよ」

彼らのむごい有様から目を伏せていた私は、静かにそう呟いた。

白鳥に対する陽性の憤りよりも、彼の言葉を深読みできなかった自身に対する陰性の怒りの方が、勝っていたのだ。

「S・ダーツの〝S〟は……サディスティックの〝S〟ってかよ」

私とは対照的に、嗜虐心たっぷりに彼らを見つめていた白鳥は、こう返した。

「そう解釈されるとは心外だなぁ……このゲームの〝S〟は、投げる側と的にされる側にそれぞれ精神的、肉体的苦痛を与えるって意味で『suffering』の〝S〟だと捉えて欲しかったんだけどなぁ……」

そして私は、ようやく実感できた。

目の前にいる、無邪気さと悪意の中間の心理の下で『ゲーム』を行う一人の少年の残虐さ、そして何より、人間の単純な心の動きを利用した、初手で持ち上げ、二手で徹底的に落とすという、天晴れとも言うべき彼の狡猾さを。

一戦目のルール変更も、勝つべくして勝った、ただその事実を作らせるだけの、茶番。

そして二戦目で思い知らされる、茶番が本番へと変遷する、地獄のゲームの始まりを。

「さあさあ、小っちゃくてスウィートな神様、もっと激しいのを一つ……ん、あれぇっ?」

それまで一定の旋律で流れていた白鳥の幼く、しかし沈着した声が突如、琴線の切れたように調和を乱し、頓狂な一声となって私の耳元へと流れ着いた。

声の異変の元となる彼の視線の先、マキナ会長の方へと、私も目を向ける。

「かっ、会長っ……⁉」

一見、彼女はすでに息絶えているように思えた。しかし、決定的な違和感があった。

まず最も目を引く点は、彼女の髪。光の当たり具合で水色のようにも見える、瑞々しい銀色の髪が一本も、ピクリとも動いていない。藍色のリボンも、また然り。

 第二点に、彼女の首から下。葉月が電気ショックを受けている時、彼の全身が不随意的に小刻みに震えつつ、時には蛇行の如く胴をくねらせていたのに対し、石像の如く動かない。

 そう、それはまるで彼女の肉体だけが、時が止まったかのように。

 いや、彼女自身が肉体の時を止めたかのように。

「あれぇ、どうしちゃったの神様ぁ? もしかして、死んじゃったの?」

調律の狂ったままの声で、白鳥は会長の変化を不思議そうに見つめていた。

すると彼の問いに応答するように、ホール全体にとある声が、木霊した。

《 ―――姉さんはそれくらいじゃ死なないわ。仮死状態になっているだけよ――― 》

「ほぇ?」

白鳥が一層調子っぱずれな声を出し、首を左右にうろちょろとさせる。

「こ、この声は……何で⁉」

声のおよそ一秒半後、観客席中央の通路階段前方の踊り場が淡い、赤い光に満たされた。

程なくして光が消え、そこに現れたのはつつじ色のブラウスを身に纏っただけの、金髪の少女。

小豆色をした踊り場の床に素足をつけ、舞台上の私達を見下ろす形で立っていた。

「〝神秘仕掛けの神〟此処に見参っ! な~んちゃってッ」

奇怪な決め台詞と共に、少女は決めポーズをとった。細かく描写すれば、首を右に傾げつつ左目でウインク、右人差し指を口の左端に当てる、左手でブラウスの裾を摘まみ上げる、踵を上げながら左足を僅かに内側にひねる、この四つの動作を同時に行っていた。

少女は桃色に煌めく二つの瞳で舞台を見やると、雲の様に重さを感じさせない身体をふわりと浮かせ、ミツバチの様に悠々とした飛行速度で舞台の上まで滑空してきた。

「あぁ、やっぱり来てくれたんだねぇ……神様ぁ」

翡翠色をした白鳥の眸子が、今までになく強烈に輝き出した。

待ちに待った願いがこれから叶うという純粋な期待を、胸一杯に膨らませながら。

つまり彼にはもう、勝負事など『アウト・オブ・眼中』なのであった。

「何でお前がこんなとこまで? 今日はもう、限界じゃなかったのか?」

「虫の知らせってやつよ。身内の危機に駆けつけない阿呆が、何処に居るっていうの?」

この場に無理を押して現れたのは、エティアなのだった。彼女はマキナ会長の元へゆっくり飛んで行き、姉の頬に細い指先をヒタッと付けるなり、頬から顎へと滑らせていく。

「マキナ姉さん、久しぶり。こんな形で再会するとは思ってなかったけど」

エティアは暫くすると舞台の床に降り立ち、葉月の方を向いてそっと微笑み、呟いた。

「大丈夫よ、ハスク……そのまま眠ってなさい」

 無論、葉月は動かない。

 と、ここで先程からトロンとした目つきでエティアを眺めていた白鳥が、口を開いた。

「ねぇ、神様ぁ……神様はボクの今までの頑張りを認めてくれたから、ここに来てくれたんだよねぇ?」

垂涎する彼の欲望の声を聞いたエティアは、私と彼に挟まれる位置まで歩いて来て言った。

「うーん……そうね。いいわよ、叶えてあげる」

悉く予想外の返答をした彼女に度肝を抜かれ、私の思考は一時停止となる。しかしこの反応は、全くの勘違いなのであった。彼女の言動は一貫性を欠いているように見えて、実は初志を貫徹する行動をとるための全き策略の構築を、すでに開始していたのだ。

腕を後ろに組みつつ、エティアは白鳥の方を向いて続ける。

「でも貴方の願いを叶えてあげるには、尋常じゃないくらい多量の魔粒子が無いとだめなのよねぇ……そうだっ、貴方の作ったあの人形達から貰ってもいいかしら?」

すると白鳥は笑顔で大きく頷いて、

「うん、いいよ、いくらでも使ってっ!」

と、あっさり承諾した。

彼の返事に応えるようにエティアは体を観客席の方へ左にくるりと九十度回転させ、組んでいた両腕を解き、右腕はだらりとしたまま左手を頭上に掲げ、人差し指を立てる。

すると観客達の肉体が赤く輝く粒子となって、頭頂から徐々に分解されていき、それらすべてが彼女の指先一点に一粒残らず収束していった。観客席全てが空席になる頃には、彼女の頭上にはバレーボール大の淡く赤い、光の球が完成していた。

「んーまだ足りないなぁ……ねぇ、貴方のLSに入ってる青い魔粒子も貰っていいかしら?」

眉をしかめるエティアの表情を見て、白鳥は既に彼女の次の要望を了解していた。

「いいよぉ……遠慮しないでぇ、神様ぁ」

エティアはすぐさま白鳥のLSにある青い魔粒砂を、垂らしていた右手を持ち上げて翳すことで掌へと吸い寄せ、左手と同様に球状の発光体へと変換させる。

(エティアの奴、こんなに魔粒子集めて一体、どうやって願いなんか叶えるんだ?)

ただただ、私は無言でその場に立ち尽くし、現況を眺めるに尽きた。

「あっ、それからあの二人にくっ付いてる黒い布と十字架、貴方から貰ったこの魔粒子で解いちゃってもいい? 姉さん達にも手伝って貰わないと、力が足りないのよ」

白鳥はもはや声にもせず、惚けた顔のまま、首を縦に振った。

エティアは右掌に溜めた青い光の球を、マキナ会長達の十字架の方向へと翳す。

すると、青い球が長い二本の光の帯へと変わり、磔にされた彼らの身体へと一直線に飛んでいった。光の帯は戸愚呂のように彼らの十字架へと巻き付いていき、その二本ともが十字架の端から端までを「喰った」。

 青い光の帯が消え去ると、十字架の立っていた場所には、『S・ダーツ』によって受けた肉体の損傷も見当たらぬ綺麗さっぱりとなった、地に伏す二人の姿だけが残っていた。

「う、ううっ……ん? あれは、御主人……どうして?」

永き眠りから醒めたように葉月は両目を開き、そして〝彼女〟の存在を目にした。

「んっ、あ、あれ、ワタシ……⁉ エティアっ、なんでアナタが⁉」

会長も同様、予想だにしなかった〝彼女〟の輪郭が、はっきりと視界に入ったのだろう。

二人は完全に意識を取り戻し、立ち上がって彼女の元へと向かう。

「エティア、どうしてここが分かったの?」

マキナ会長がエティアへ率直な質問を投げかける。

「話はあとあとっ、それより手伝ってちょうだい、姉さん! それに、ハスクも!」

久々の姉妹の再会だというのに、彼女は忙しそうに顎だけを上げて、二人に告げる。

三人の間には不文律でもあるのか、会長と葉月はその一言で何もかもを了解していた。

「じゃあ姉さん、由里の右手に力を注ぎ込んで」

エティアは姉に振り向きつつ言い、マキナ会長も素早く行動に取り掛かった。

「分かった! ……由里、右手を差し出してっ、早くッ!」

「は、はいっ!」

これから何を始めるのか誰も教えてくれぬまま、私は慌てて右手を前に突き出した。

会長は私の右手に向け、小さな両手を翳し、厳かに次の言葉を紡いだ。

《 清澄にして深遠たる青き霊光、彼の手の右に宿り、裁きの代行たる力の盾となれ 》

「―――っ! オレの右手が……青く光ってる⁉」

会長の口から紡がれた不可思議の呪文より僅かの後、彼女の両手が濃い青の光に包まれ、それに同調するように私の右手も、手の内側から同じ青色の光が溢れだした。

「神様ぁ……まだ始まらないのぉ?」

もはや間抜けとしか呼べぬその声で、白鳥はエティアへと催促の言葉を掛ける。

「もうすぐよ、辛抱なさい」

対し、エティアは短い一言で彼を黙らせた。彼女は依然として、白鳥の方を向いている。

「よーし、次は私の番ね……由里っ、左手、出して」

「お、おうっ!」

彼女の仰せのままに、私は右手同様、左手も前方に素早く差し伸べる。

《 朱を焼払い緋を焦がす無双の赤光、彼の手の左に染まり、裁きの代行たる力の矛となれ 》

エティアは凛然たる声と共に、左人差し指を私の方へ振り向きつつ、私が差し出した左手へと定め、指先の淡い赤色の光球を再びあの、光の帯に変換して飛ばしてきた。

帯は左手首から指先へと巻き付き、球状だった時と同じ赤を光らせた。

「これでよし、っと……さぁ、貴方の願いが叶う時が来たわよ」

エティアは身体を舞台の床からそっと身体を浮かせ、空虚となった観客席の方へと後退し、これから始まる喜劇(?)を鑑賞する新たな客のように、舞台の最前列の一席で腕と足を組んで座り、全ての準備が整ったとばかりに、満足気に口角を持ち上げていた。

どいつもこいつもマイペースで全くぶれないのが、何だかムカついてきた私だった。

だが私情を挟む隙も与えられず、今度はマキナ会長が私に呼びかける。

「由里っ、両手を頭の上に持って行ってっ!」

「ふぇ? ……はっ、はいっス!」

エティアの挙動に気を取られていた私は反射的に、会長の言う通りに両手を持ち上げた。

するとどうだ、私の頭上で二色に輝く両手の間に、紫色をした光の球が現れたではないか。

そう、まさに〝あの夜〟のような、悲劇の華という名の、〝あの殺人兵器〟が。

「うわっ、眩しいよッ、熱いよぉッ!」

白鳥は球体から発せられる、高熱を伴った紫光をモロに受け、とっさに両目を瞑った。

「ダメよっ! しっかり由里の方を見るのっ」

エティアの叱責が入る。白鳥は訳が分からぬまま、彼女の言う通りにした。

「おい、エティア! まさかコレ、オレをハメたのかっ……ぐあっ!」

 しかし彼女は、何も答えない。

紫の熱波は今にも私の両手を、細胞一つ残らず焼き尽くしそうな程の、膨大な熱量と光量を生み出していた。

「―――今よ、ハスクっ! お前に与えた最後のキーワードを唱えてッ!」

エティアが唐突に叫ぶ。それに、葉月が息を合わせる。

「はいっ」

葉月は潔く返事をすると、額にあの、エメラルド色の蜘蛛の紋様を浮かび上がらせながら左手を私の頭上の光に翳し、額の光と同調させるようにその手を輝かせ、詠唱を始めた。

《 双光の猛り鎮めし燦然たる白緑の光輝、片秀なる紫陽を喰らい、真秀なる白月の繭を成せ 》

 彼の左手の光が球状に収束、息もつかぬ間にエメラルドの光弾となって紫の球へ到達した。

 光弾は紫球の表面を包み込むように変形、伸張―――光が光を、飲み込んだ。

次の瞬間、私の両手に変化が起きた。

右も左も、純白に輝いている―――頭上のバスケットボール大をした、光と共に。

「上出来よ、ハスク」

作戦通りと、得意顔のエティア。

理解不能と、キョトン顔の私。

ひと安心と、平穏顔の二人。

「何だ、この感覚……あったかくて、すっげぇ落ち着く」

両掌の狭間で新たに生まれた光は白熱電球の如き熱さを感じさせず、白妙の積雪の如き冷たさも感じさせない。人肌に温められているかのような心地よさだけが、私の両手を包んでいた。

そして、ジオクス・ホールでエティアが言っていたことを、私はようやく思い出した。

《 ―――三つのキーワードを三人で一つずつ口にしないと〝それ〟が発動出来ないように、私が姉さんから生まれた時に細工を施したの――― 》

(こ、これがまさか……エティアの言ってた〝白き光〟ってやつか)

「―――っく、はぁっ、はぁっ」

「葉月っ⁉」

白鳥を向く私の背後で葉月が突然、両膝を突き、肩で息をし始めた。

「心配ないよ、由里……ちょっとした力の、使い過ぎさ」

(この光が消えたら今度こそ……今度こそ僕は、御主人に………)

風前の灯火を想起させる葉月の声が、微かに私の脳内で反響したような気がした。

そう感じた直後、観客席へ腰を下ろしたままのエティアが、口を開いた。

「私と姉さんは元々一つの存在で、姉さんの時限装置を解除するために私は〝光〟の一部を奪い去った……これは由里に教えた通りよね? この白い光は本来三色で一つ、つまり光の三原色と同義の光なの。でもこれはね、ただの白色光じゃあないのよ……ねぇ、姉さん?」

続きは任せた、という顔つきで、エティアはマキナ会長へと目配せをする。

「うん。こんなの初めてだから不安だったけど、上手くいってくれたみたい」

緋色の瞳を凛とさせ、私の頭上の光を眺めやりつつ、彼女は再び、口を開けた。

「由里……この光はね、ワタシの体内にあった時限装置『アギアフォス』の一部なの。『アギアフォス』はスパイラを悪用したり、人の道理を踏み外した者を罰する為の〝忘却と更生の光〟なんだよ。そして今、由里が掲げる光によって、あの子の中の暗闇も浄化されていくんだ……」

会長はそこで、口を結んだ。

私もひたすらに沈黙を貫き、頭上に掲げる自らの両手に、力を込める。

白球は次第にその大きさを増し、白鳥の両の瞳を、一色に埋め尽くしていった。

「これが……これがボクの夢に見た、地上の楽園かぁ……ハハ、アハハハッ!」

彼の目には一体、どんな光景が映っていたのか、誰にも解らない。

しかし彼は、夢想していた地上の楽園を、終に見つけ出したのだ。

須臾、あるいは悠久の快楽の中、悪夢のショーは終わりを告げた。

「ふふ、〝神様〟をナメたらいけないわよ―――〝お嬢ちゃん〟」



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