天崎兄妹と神様の導き(前編)
二〇一X年七月七日、某県にある黄石市。兄貴が失踪して、もう一か月が過ぎた。
ここ一か月間で私は毎晩、オチが同じ内容の悪夢を見せられ続けている。
おかげで起床時間は七時半から七時に繰り上がるわ、生活習慣も乱れに乱れるわの百害続きだ。髪はグシャグシャ、頭は重いし、お腹も痛い。体内に嫌な虫でも棲み付いたか。掛け布団のタオルケットも、ベッドのシーツもぐちゃぐちゃの有り様。
小学校高学年までおねしょする癖はあったけど、寝相は昔から悪くなかったはずなのに。
寝起きでもこんなに言葉が脳内で飛び交っているってことはもう、頭にだいぶ血液が巡っているってことだろう。でも、首より下はまだまだダルい。
「ん~、っしょっと」
力一杯でとりあえず上体は起こすことができた。だけどもすぐに力が抜けてしまい、再び枕元に倒れ込む。二度寝なんかしちゃいけないのに。
何故なら今日は、三笠山高校の学園祭『螢星祭』の当日だからだ。
『螢星祭』という名称は、学園祭の日が七夕と丁度重なっており、夜空に浮かぶ天の川の星々を無数の蛍の光に喩えたことから来ている。
いつもはドライな私でも、それを初めて聞いた時は思わず感心した。でも、蛍の光にしては随分とカラーバリエーションが豊富なのでは、と内心突っ込まざるを得ないのだが。
話を戻すと、私は今年の螢星祭の実行委員に運悪く(?)選ばれてしまったのだ。それでも実行委員に選ばれたからには、と自分なりにやれることをやってきた。
そして今日は、その成果が見事にカタチとなって実を結ぶことであろう。
「おりゃあ!」
もう一度、身体全体に力を込め、勢いよく上体を立て起こす。
よし、今度は倒れない。そのままタオルケットを端にやり、両足をベッドの外へ持っていき、腰掛けた状態で五秒ほど伸びをする。これだけで、眠気が大いに吹き飛ぶのだ。
あとは窓の外から差し込む朝日を浴びて体内時計を調節すれば、朝の目覚めは完璧だ。
「う~ん、ホント気持ちのいい朝……んん?」
三笠山高校の校章にもなっている、大・中・小、三つの山が笠のように連なる『三笠山』の山頂が突如、朝日より眩い光を放ったのが見えた。
しかしその光は瞬時に消えてしまい、脳内まで完全に覚醒しきっていなかった私はそれを、たまたま日の出の光が三笠山山頂から出てきたのだろうと解釈し、特に気には留めなかった。
「まぁ……いっか。さて、仕度仕度~」
過ぎたことはさっさと忘れ、私はいつも通りに身支度をし始めた。衣替えしてから毎日着ていくワイシャツとスカートはいつもベッドの傍に置いてあり、靴下も完備。抜かりはない。
汗ばんだ薄地のパジャマを脱いで軽く体をペーパータオルで拭き、ワイシャツから順に、上から下へと制服を身に着けていく。
ここまでは、いつも通り。
それなのに、お気に入りの櫛だけは何故かここ一か月の間、見当たりもしない。
「お~い、隠れてないで出てこぉーい―――はぁ、今日もダメ、か」
朝から余計に動き回ったせいで、額が汗ばんでしまった。
これ以上は時間の無駄ときっぱり諦め、ボサボサの頭のまま、リビングへ向かう。
頭頂部の毛束はシロサイの角みたく撥ねているが、いちいち気に掛けるのも億劫である。
リビング入口の天井にその角が当たり、先端が柔軟にしなって、弾性で再び元に戻る。
そこはすでに、父と母がいつもの日常を展開していた。母はすでに朝食の仕度を終え、父は新聞を読みながら、優雅にダージリンティーを口にしている。
「おはよー、お二人さん」
気だるく、挨拶。私から見て、より近い距離にいた母が、返事をした。
「おはよ。あらぁ、由里。いつにも増して、頭がミョンミョンしてなぁい?」
「え、あぁ気にしないで。最近、いつもこんな感じじゃん」
早速、突っ込まれた。無理もない。人ごみの中で友達や親を見分けるのに、髪型は一番重要な要素の一つだしな。多くの人が皆、そう言うに違いない。
「お、ホントだ。由里、さすがに今日は学園祭なんだから、その頭は不味いんじゃないか?」
「ああもう親父までぇ……いいじゃん、ほっといてくれよぉ」
「そうかいそうかい、なら気にしない~」
少し強めの口調で返す。それに対して父は、語尾をわざとらしく伸ばして返してくる。
なんか不快だが、すぐにどうでも良くなった。それにしても、二人とも兄貴が居なくなったというのに、相変わらずのいつも通りだ。失踪届なぞいつぞや知る、である。
でもここでそれを切り出すと、リビングの空気がどんよりとすることは目に見えている。
だから私は、兄貴が帰ってくるその日まで、口は堅いままでいようと決めたのだ。
ここで少しばかりだが、家族のプロフィールを紹介しよう。興味が無ければスキップしても構わない。
まず、母の『天崎すみれ』から。立教大学経済学部卒業後、大手広告会社に就職。勤務五年目にして現在の夫とめでたく結婚。以後、日々の家事に追われつつも、従来の仕事にも精を出す、しっかり者の働き者だ。密かに私は憧れている。
続いて、父の『天崎英利』。東京医科歯科大学医学部卒業後、独立はせずに地元の大学病院に常勤。常にマイペースで、相手をおちょくるような口の利き方が玉にキズだ。
でも、私や兄貴に色々と干渉することは無いので、別にウザったくは感じない。
後は―――私の兄貴についてか。兄貴の名前は『天崎会人』。会人は「あいと」って読む。
帝都理科大学理学部で、宇宙物理学を専攻している。身長は私とほぼ一緒だが、目つきは男のくせに妙にパッチリとしていて、やけに女々しく頼りない顔立ちが特徴である。
そんな兄貴は昔から何度も自動車に撥ねられたり、海で波にさらわれたこともあったけど、それでも奇跡としか呼べない生還を繰り返し果たしてきた。自分で〝世界一の死にぞこない〟と言ってたしな―――しかし今回ばかりは、私にも分からない。
「由里、今年の螢星祭はあなたが実行委員なのよね? 何か面白いイベントでも考えたの?」
食卓のテーブルに私と反対の席に座っている母が、その身を乗り出して話かけてくる。
「ズズズッ……うん、それなりに盛り上がれそうなものを考えたよ」
私はなめこの入った熱々の味噌汁をすすりながら返事をした。
なめこ入りとは、お母さんも分かってるな。
「へぇ~、どんなのどんなの?」
「抽選で選ばれた人に、一夜限りの主人公になってもらうんだよ」
「んまっ、それは面白そうねぇ。私も参加しちゃおうかしら?」
お母さんの心は、すっかり学生時代に逆戻りしていた。
「別に拒否はしないけど、選ばれるとしても宝くじ的確率だよ?」
「ホントかしら? きっと何か裏があるに違いないわぁ」
下手な勘繰りをする母に、父が突っ込みを入れる。
「お母さん、参加するならまずは、見た目をどうにかしないとな」
「なにぃ~? これでも私、肌年齢はまだまだ二十代前半の自負があるのよぉ?」
「あ~悪かった、前言撤回! お母さんは怒っても可愛いから、若作りの必要はない!」
「まったくもう、相変わらずなんだからぁ、お父さんはっ。チュッチュしちゃーうぞぉ?」
(……はぁ、このバカップルどもめ。一生やってろぃ)
二人が蒸し暑い朝っぱらからホットにいちゃつく様子を尻目に食事を済ませ、私は早々と自宅を後にした。
玄関から数歩進んで吸い込んだ空気は程々に湿っぽく、夏の青空をより近くに感じさせる。
自宅近くの東京湾から吹きつける潮風も、何処となく藻の匂いが濃い。
そして家から出て三〇歩もしない距離に、いつもの男が、私が望まなくとも待っていた。
「ちぃ~っす! 相変わらずのボサボサヘアーだな!」
「おっす。相変わらずのチクチクヘアーだなー」
私はロートーンでそいつに返事をする。このやり取りは、ガキの頃から続いている。
「お前、今年は螢星祭の実行委員なんだろ? 期待してるぜー?」
「ま、ほどほどにな。過度な期待はしないようにっ」
「あ~もう~、相変わらずのドライガールだなぁ、由里ちゃんは~。オンナの子は笑顔で、明るく、愛想良く、が一番だろ~ぉ?」
あーうっとうしい。高校入学直後、この男は意味不明なキャラチェンジを起こしたのだ。
黒野慶大は私と同級生で、昔からの幼なじみである。ソフトモヒカンでツンツンした黒頭のハイテンション野郎、クラスの異性をいつもいやらしい目で観察しては妄想に耽る、熱烈筋金入りの変態だ。
さすがにこんな紹介の仕方をしては可哀想なので長所を挙げるとしたら、運動神経抜群なところだ。足の速さは国体に出れるほどらしいが、普段の様子からではそんなのも微塵に感じない。あとは、ゲームが上手いところか。ゲーセンではなく、テレビゲームの方だが。
って、これじゃあ褒めてるつもりが結局は貶してるのと変わらないな。でも根は良い人間だし、昔から異性とあまり接点のない自分を何かと気遣ってくれる、憎めない奴でもある。
「しょうがない、少しだけなら教えてやる」
「お、マジで⁉ どんなんどんなん?」
正直引いてしまう程の食い付きっぷりだったが、気にせず私は続ける。
「七夕の夜の空の下で、織姫と彦星が……」
「あ~、分かった! 告白し合うんだろ?」
(ったくまだ全部言い切ってないのに、この早漏めが)
「まあ、そんなもんだよ」
黒野の態度が気に食わなかったが、適当に返事をして受け流す。
「ぬっへっへ。お前にしちゃあ、随分とロマンティックなイベントを思いつくでねぇの」
黒野がえらく気持ちの悪い笑い声を交えて、わざとらしくなく茶化してくる。
「別に良いじゃんかよ。高校生にもなりゃ、みんなそういうイベントを心待ちにしてても全然おかしくもなんともねぇだろ?」
自分にしては珍しく、自信を持って強気に返答した。
「はいはいそーだねそのとーりだね、天崎って実は、生粋のロマンチストなんだよね~」
しかし黒野は両腕を頭の後ろで組んで、煽る気満々の言い草で返してくるばかり。
寝不足のせいか、今日の私はコイツを半殺しできそうな気がしていた。
「おい、慶大君♪」
私はおもむろに立ち止まり、空を仰いで呆けた顔を見せる黒野の注意を引く。
「ん? な~に……えっ?」
黒野は、私の右手がチャックの開いていたカバンの中へと吸い込まれゆく光景を目にし、その数秒後に右手に握られている物を見つめ、戦慄することとなった。
「……これ以上オレを侮辱したら、そのトンガリ頭を皮ごと剥ぎ取ってやるからな?」
私はなぜかカバンの中に入れてあったバリカンを取り出し、電源を入れて刃を振動させた。
黒野の額からはすでに、一粒の冷や汗が頬から顎へと滑り落ちていた。
「め、目がマジですよ、由里ちゃん……」
「あぁん⁉ 聞こえんなぁ?」
寝不足で完全に開かない両目を眉間の皺寄せで細め、彼の眼前にバリカンを突きつけると、
「いや、その……すすす、すいませんしたぁ~っ!」
黒野はその場からロケットスタートで逃げ出した。なるほど、確かに国体に出てもおかしくはない瞬発力だ。地面から巻き上がる土煙が、そのいい証拠になっている。
私は走り去る一人のバカを見ながら妙に得心し、いつものテンポで歩を刻みつつ、学校へと向かっていった。
私こと天崎由里が通っている県立高校『三笠山高校』は、東京湾に隣接した市である黄石市に設置されている。校訓は『体則如鋼・心則如水』。
生徒数は一学年あたり三〇〇名、一クラスあたり三〇名から四〇名。進学実績は、毎年一人か二人が難関大学に合格する程度で、学生の大半は都内の私立大学か駅弁国立に進学、といった具合である。就職の道を選択する者は例年、卒業生全体の一割前後である。
校舎に着いた私は朝イチで螢星祭の実行委員の仕事があるので、すぐさま校内の会議室へと向かった。他の実行委員たちは皆すでに集合しており、ビリは私だった。だが私はそれについては咎められず、代わりに自分のボサボサ頭について注意を食らった。
次からは気を付けてねと、童顔の実行委員長に釘を刺されたが、これはそう簡単に直せるもんじゃないことを分かってほしいと、言い訳するばかりであった。
先述のことを除けば、会議は順調に進行した。もっとも、学園祭の準備は前日の段階で九分九厘完了していたので、後は段取りの確認といったことしか無かったからなのだが。
そして会議も終わり、男女の声が四方八方へと入り乱れる教室へと、足を運ぶ。
教室中を見渡せば、クラスの出し物の準備も最終段階へと至っていた。私たちのクラスは紅茶とコーヒーがメインの喫茶店で、その名も『ルージュ・エ・ルノワール』。
この店名を聞けば、ほとんどの生徒が心中で「中二くさっ」とか「オサレ(笑)」などと口走るのだろうが、他クラスの話のネタに盛り込まれるなら本望である。
それと今年の螢星祭は全てのクラスの共通事項として、教室の中央に七夕用の大きな笹を設置する約束がある。この笹竹は「恋愛成就の笹神様」という名がつけられており、相合傘の要領で自分の名前と結ばれたい相手の名前を書いて笹の葉に吊るしておけば―――後は夜のイベントまで、楽しみに待てばいい。
実はこれこそ私が考案した、今年の螢星祭のメインイベントなのだ。生徒会の面々には「見た目と違ってユニークな発想するねえ」と評され、実に複雑な気持ちを抱かされたが。
ここまでの経緯をあれこれ思い出していると、クラスメイトが二人、私の元へやってきた。
「おっはよ~ん、ユリぃ~。お仕事お疲れ~っ」
「お~っす! アタシからもお疲れ~、っと」
最初に話しかけてきたのは、我が永遠なる悪友其の壱―――美井悠亜。
甘ったるい猫なで声と、少し癖っ毛なライトブラウンのショートと、それに負けない幼げで明るい笑顔がチャームポイントだ。しかし、その性的魅力満点なキラースマイルの影には―――おっと、これ以上は言えない。
だが何といっても特筆すべきは肉付きの良さで、制服の上からでも容易に判別できる緩急極まるナイスボデーを誇っている。きっと、いや絶対、クラスの野郎共は飢えた眼をギラつかせながら、悶々とした日々を送っているに違いない。
悠亜の後に続いてきたのは、我が永遠なる悪友その弐―――小佐野ジュン。
今どきにしては珍しく名前がカタカナなので、初めて会った時から印象的だったのを覚えてる。本名が片仮名の女性と言えば、大正生まれが主流らしかったからだ。
容姿はといえば、身長が私とほとんど変わらずの一七〇センチで、セミロングの黒髪を高い位置できゅっと結っている。スポーツ万能で陸上部のエースでもあり、今年はインターハイに出場予定なんだとか。黒野のヤツも、ジュンに一度しごかれりゃいいのに。
顔立ちは一言でいえば、ヅカの男役がピッタリだ。キリリとした両目がめちゃカッコイイ。声も違和感が全くない。それから、体付きは筋肉質だけど、出てるトコは出てる。
「ねぇ、ユリぃ。さっきから何でわたしらをジロジロ見てんの~?」
「なんというか……オヤジ臭いぞ、正直」
視線を泳がせる私の両目を覗き込み、二人が口々にコメントしてくる。
「へ? ……あー、ワリぃ、ワリぃ! 二人ともまじまじと見ると、オレよりずっとイイ体してるな~って……ハッ!」
(ヤベッ、オレとしたことが何言ってるんだ⁉)
「ええっ! ユリったら、わたしらをそんな目でぇ⁉ ……ナントモ意外だねぇ」
悠亜が槍投げの構えのようなポーズを取り、大胆にリアクションする。
「どうしたんだよ、由里ぃ……もしかして、エロ神様にでも憑りつかれたかぁ?」
二人は、心配というよりは好奇の眼差しを以て、私を見つめていた。
「こんな午前中からムラムラする奴があるかぁ! オレは思春期盛りの男子じゃねえっつの!」
と言いつつ、今の自分は盛りの付いた雄猫のようであった。
一方、ジュンは間髪入れずに更なる追い打ちをかけてくる。
「おっかしいよなぁ、今までの由里はもっとこう……気だるい感じなキャラだろ?」
「そうそうっ! ユリはいつもユーウツで、アンニュ~イな顔してるもん!」
(単に寝不足なだけだっつの。そこは察しろよな)
「もしかして恋の病? ラブ・イズ・ブラインドってやつ? まームリもないよねー、だってユリのお兄ちゃんカワイイし頭もキレッキレだから、似たような男の子の一人や二人、好きになるのも不思議じゃないもんねぇ」
(こいつ、ウチの兄貴をそんな目で! ……悠亜は思った以上に面食いだったのか。そんなに気があるなら、兄貴が帰ってきた時に仲介役になってやるべきか?)
「ふんふん、つまり由里はアタシらを恋敵として見なしていたという訳か……いやあ、勘違いしてすまんかった、ゴメン!」
悠亜もジュンも傍若無人、自分勝手に話を進めている……と、私が冷徹に分析する傍ら、
「でもさぁ、今年の螢星祭はひ・と・あ・じ違うよねぇ?」
悠亜が何の前触れも無しに、笑顔で話題をシフトチェンジしてきた。
「ああ、由里が思いついたとなれば尚更だよ。な、由里?」
ジュンが悠亜のペースに合わせ、さらに私にも悠亜に合わさせようと振ってくる。
「へ? ……あ、ああ、だろ~? ナイスアイディーアだったろ~?」
(よかった、あっさり話題を変えてくれて助かったぜ。まったくもって、悠亜の『シャベリズム』には付いていけんわい)
「うーん……今日のユリ、やっぱりナンカ変だよ~?」
左頬に人差し指を当て、首を傾げなから、悠亜は私を怪訝に見つめてくる。
(おぉ、鋭い鋭い。オンナの勘はやっぱり恐ろしいな……一応、オレも女だけど)
「ああ、同感だ。夜までしっかり持ってくれよ? これはアタシらからの労いの言葉だから、ありがたく受け取るんだぜ?」
ジュンは右手の親指を立てて、自身の言葉に強調を加える。悠亜はこのタイミングを見計らっていたかのように踵を返し、上半身だけ私の方を向きながら、一言放った。
「というわけで、わたしらは喫茶店の宣伝ってことで校門の方まで突撃してくるから、それじゃーに~♪」
「健闘を祈るぜ、由里! 期待してるからなーっ!」
まだ返事も思いつかぬうちに、二人は廊下へと消えていった。
そういえば、あの二人は売り子だってことをすっかり忘れていた。でも悠亜とジュンの二人が看板娘であれば、男も女もわんさか集まってくるに違いないだろう。
我ながら良き悪友を持ったものだと、一時の感慨に耽ける私であった。
そんなところへズケズケとやってきたのは―――なんだ、アイツか。
もう言わなくても分かるだろう―――〝アイツ〟だ。
「おいーっす! 今朝方ブリぃ~フっ」
そう、イメチェン大失敗のアホ面男、『黒野慶大』であった。
「なんだお前、いたのか」
「おいおい酷いよ由里ちゃ~ん! もっと俺に優しくしてくれたっていいだろぉ?」
「はいはい、慶大君は寂しがり屋の甘えんぼさんですねーぇ」
黒野と視線を合わさず、やはり適当に返事をして受け流す。
「それよりお前、自分のクラスの手伝いしなくていいのかよ?」
今度は私が、黒野に話題を吹っ掛ける。
「いーのいーの! 何だか今年は女子たちがミョ~に張り切っちゃってるから、俺ら男子はテキトーに遊び呆けてても、問題ナッシングなのよん♪」
どうやら、思ったより効果はいまひとつだったみたいだ。押しが弱いのかもしれない。
「今こうして俺が楽できるのも、誰かさんのおかげだしなっ」
黒野は上機嫌にそう言って、私に同意を促す視線を向けてきた。
「あ~そうかい。なら思う存分、楽しんでくればいいんじゃないですか?」
(こう言っとけば、さすがのバカでも離れてくれるだろう)
「できればそうしたいんだけどさあ……」
だが、黒野はどこか遠くを見やりながら、物憂げに語り続ける。
「ほかのダチはみ~んな別のクラスの女子を漁っててさあ、俺は別にそこまで興味湧かなかったから抜け出して来ちゃったんだよねぇ……」
(黒野のやつ、高校デビューしててっきりチャラ男になってたかと思いきやそうでもなかったのか。これは幼なじみとして称賛すべきか軽蔑すべきか……ここはひとまず、様子見だな)
「ふ~ん、ほんで?」
「そこで俺はせっかくならと思って……」
言う黒野の顔は、言い終える前から、とうにニヤつき始めていた。
(あぁなんだ、いつも通りか)
「他校の女子をナンパして連れてこよう、というわけね」
「そうそう! 外部のオナゴ達を連れ込んで……って、なぜバレたし!」
黒野は悔しそうに、両手で頭を抱えながら後ろへ反り返った。
(……やっぱりな。ってかお前、そんなに女受けする顔もキャラもしてねぇだろうに)
「はぁ……もう軽蔑通り越して、お前を無視してもいいか?」
「そ、そんなぁ~!」
黒野の顔は今にも、作画崩壊しかけていた。
(よし、追い打ちを掛けよう)
私は即座に、脳内で出した決定事項を実践した。
「それじゃ店が開店するまで、さよならさよならぁ~」
私は教室の入り口である引き戸をガラガラと、途中からガァーッと勢いよく閉めた。
「グエッ! ……待ってよ天崎! まだ話の続きがあるんだって!」
黒野は、諦めが非常に悪かった。
引き戸が閉まるギリギリのところで、自身の右手首をストッパー代わりにしたのだ。
「おいっ、天崎―――え?」
黒野は右手を誰かが握っている感覚を得た。女子にしてはやや大きいものの、たおやかな指先をしている。黒野はその指先の感触が、由里のものだと信じて疑わなかった。
趣味である妄想の経験からして、その時の彼の自信は、極大値に達していた。
「由里、やっぱりお前は最高だ―――」
黒野は返事を待たぬまま、勢いよく引き戸を左手で払ったのだが……
「そ~んなに続きを語りたいんだったら、アタイと一緒に語り明かそうじゃな~い?」
「―――はへ?」
閉ざされかけた扉を開ければ、あら不思議。そこには黒野が見上げるほどの背丈とガタイの良い、般若のような強面をした「女子」が、黒野を見下ろしていたのだった。
「語 り 明 か し た い ん で し ょ ?」
「……サ、サチヨ?」
黒野はその女巨人の名前を、恐る恐る口にした。
「う~れしい~っ! アタイの名前をちゃーんと憶えててくれるな~んてっ」
サチヨと呼ばれたその「女子」は告白に成功した乙女の如く、体をくねらせながら恥じらいの表情を顔に浮かべる。しかし黒野の視界には般若面の赤鬼が、その屈強な体に反して面妖な舞を興じている様にしか映らなかった。
そんな異界の魔物を目の当りにした黒野は、
「あ、ああ、あ……×▲&%×$○◇ェ――――――ン!」
おそらく脱兎よりも速い初速度でその場から脱走した。
加えて、呂律も回っていなかった。
「黒野のヤツ、去り際に何つったんだろ? どうもすいませーん、かな?」
「多分、『Auf Wiedersehen』じゃないの? ドイツ語でさようならとか、また会いましょうって意味よ……もう、黒野君ったら照れ屋さんなんだからっ」
「そ、そうなのか……色々とありがとな。あとで何かお礼するよ」
「そんなの気にしないでっ。それじゃアタイは用事があるから、まったね~ん」
サチヨは用を済ませるなり、軽やかなスキップと共にどこかへ去っていった。
(また会いましょうって……絶対自分の都合の良いように解釈しただろ、あの女……てか、いつドイツ語習ったんだよっ!)
言うまでもないことだが、サチヨは黒野に思いを寄せている。幸か不幸か、クラスも黒野と一緒である。もっとも、二人が両想いになるには天文学的確率の向こう側へと到達せねばならないだろうが―――っと、もうこんな時間か。そろそろ螢星祭本番だな。
さあ、張り切って参ろうではないか!
「いらっしゃいませっ! お客様三名様のご来店ですね?」
「ご注文入りまーす! 紅茶一つにコーヒー二つ、シルヴプレぇ!」
(ふへへ、舌っ足らずな発音がこれまた萌えですなぁ……おおっと、ヨダレが)
私達のクラスの出し物である喫茶店『ルージュ・エ・ルノワール』は期待以上の大盛況であった。その成功の裏を種明かせば来年から真似をし出すクラスが出てきそうだが、出し惜しみはやめておこう―――ズバリ、「萌え」と「コネ」だ!
前者は言わずもがな、我がクラスの女子の精鋭達を(嫌がる子も含め)フリフリのメイド姿へと変身させ、道行く男共をホイホイ釣っていったのだ。
しかも釣れたのは男性客だけではない。専用のタキシード衣装を身を包んだジュンがひとたび接客に出れば、彼女(否、ヅカっぽいから〝彼〟と呼ぶべきか)に一目ぼれした女子達が次々と店内に殺到、事前にクラスの女子達に仕込まれたという『卒倒ウインク術』により、学内ダントツの売り上げに大いに貢献してくれたのである。
後者については少し賭けに出たこともあったが、マージンは十分に取れた。
紅茶用のティーメーカーは調達するのに些か苦戦したが、コーヒーメーカーに関しては私の父がカギとなった。父の勤め先の大学病院内の給湯室や休憩所にはコーヒーメーカーが至る所に設置してあり、余りがあったのだ。そこで私は父に頼み込み、それらを拝借したというわけだ。喫茶店内の収容人数上、三台もあれば事足りたので、病院側も快諾してくれた。
サンキュー、親父。そしてありがとうベリタス―――じゃなかった、バ○スタコーヒー。
学園祭の出し物も終了時刻をとうに過ぎ、どの階の教室もが着々と片付けに取り掛かっていた。校内のどの窓からも夕日が顔を隠し、七夕の夜の主役たちにバトンタッチをする様子が見て取れる。
私は実行委員として螢星祭の夜のイベントの打ち合わせを済ませた後、自由時間を徒然に校内の廊下を散歩して潰していたのだが、そこで一人の少年との、ちょっとした邂逅があった。
(ドンッ……ゴテッ!)
「Oh pardon, Ça va(すみません、大丈夫ですか)? お怪我は?」
その少年はどこか聞き覚えのある国の言葉で、ぶつかって倒れ込んだ私を気遣ってくる。
(コイツが喋ってるの……フランス語かな?)
「うぅ、いっつつ……だ、大丈夫だよ……め、メルシィ」
優雅に笑みを浮かべる少年へと、私は無意識に赤らめた顔で返事をした。
「Du rien(お気になさらずに). ご無事で何よりです。さぁ、どうぞ僕の手をとって」
「すっ、すまねぇな。こっちこそ前を見てなくって……」
私は体を起こしながら、彼の紳士的振る舞いに対して礼を言いつつ、謝り返す。
「Pas de probleme! 気にしなくていいですよ。では僕はこれで。Au revoir!」
(すっげー爽やかな「パリジャン」だったな。危うく惚れちまうトコだったよ)
少年は胸に片手を添えて軽く一礼、廊下の奥へと、歩み去っていった。柄にもなく、私は彼の纏う雰囲気にすっかり飲み込まれていたことを、今更ながらに実感した。
そして時は誰にも止められることなく、螢星祭はいよいよ、運命の夜を迎え始める。
「みなさーん! こんばんはぁ――――――っ!」
『『こんばんは――――――ッ』』
文月の夜の蒸し暑さを吹き飛ばす轟声第一波が、校庭に鳴り響く。
「まだまだシャウトが足りないよ~っ? こーんばーんわぁ―――――――――――っ!」
『『こーんばーんわ―――――――――――ッ』』
孟秋の宵の寝苦しさを運び去る轟声第二波が、校外にあふれ出す。
「よかったぁ! みんなワタシの〝すうぃーとボイス〟にメロメロになったかと思ったよぉ」
司会の女子生徒が会場の歓声に対し自画自賛のコメントを、高校生とは思えないくらいの幼く透き通る声で、螢星祭特設ステージ上から軽快に返すと、
『『マキナちゃん可愛いぃぃぃ――――――ッ』』
観客の女子が、黄色い歓声を上げる。
『『マキナたん〝ぐうカワ〟なりぃぃぃ――――――ッ』』
それに続いて、男子が野太い歓声で対抗する。
(……よく訓練されてるな、この観客共は)
私はステージ裏で「会長」のパフォーマンス、それから十二分に訓練された観客の合いの手に呆れるほど感心していた。
そう、今ステージの上で愛嬌たっぷりに司会をしている彼女こそが今年度の螢星祭実行委員長であり、三笠山高校生徒会長でもある三年生『星見屋麻季名』その人だ。
名は体を表す、とでも云うが如くその取って付けたような名前(もちろん本名である)と、いかにもオタ……もとい、オトコ受けしそうな年不相応の幼児体型が「すうぃーと」な、クリッとした緋色の瞳が特徴の女子生徒である。
もう少し容姿について特徴を挙げておくと、光の反射で水色にも見える瑞々しい銀色の髪が肩ギリギリまで下りており、旋毛より少し後ろの毛束を、藍色の長いリボンでまとめている。衣装のデザイン形態は、アイドルユニットのような白を基調としたジャケットと黒のミニスカのセットで、よくよく観察すると細部に会長自らのこだわりが見て取れる。
まず、ノースリーブの肩口はラメ入りのギザギザカットで彩られており、まるでスターダムの階段を駆け上がり始めた、新人アイドル歌手のようだ。
ジャケットの襟から中央のライン全体にかけては、白と対照的な黒で縁取られている。衣装の裏地の色も黒だ。そしてスカートの上には動くたびに細かくひらひらと靡く、薄いレースの白布を兼ね備えている。正直なところ、この螢星祭のためだけにここまで気合いの入った衣装を準備できる会長の本気には、心底恐れ入った。
こうして長々と説明している間にも、会長の進撃は立ち止まることなく、続いていく。
「改めましてこんばんは! 今夜、この螢星祭の司会を務めさせていただく『天の川からの使者』こと、星見屋麻季名ですっ! 今日はみんな、ここ三笠山高校に集まってくれてほんっっとにアリガトウ! 本校の子たちも、そうでない子たちも、これから始まるドキドキワクワクのビッグイベントで思いっっっきり盛り上がっちゃってねぇ! それじゃ、オープニングコール行っくよぉ! せーのぉ……」
『「マキナちゃんの、らっきぃ・らぁきぃ・みるきーうぇいリサイタル、スタートぉ!」』
直後、ステージの前面に設置されていた火薬が爆発し、七夕にちなんだ七色の火柱が次々と舞い上がり、これから始まる一人の小さな歌い手の存在を大いに盛り上げる役目を果たした。マキナ会長は火薬の爆発直前で両耳を塞ぎ、膝を少し折り曲げて防音態勢を取っていた。
ここまでの流れは全て、私と会長の計画通りだ。
火薬の爆裂音と共に吹き上がった火柱がその寿命を全うすると、直後にステージ両脇の巨大スピーカーから賑やかな音楽が流れ始めた。会長は体を反転させ、前を振り向いて宣言する。
「ではさっそく、七夕の夜に捧げる一曲、『カササギの橋立て』を皆さんにお送りします!」
会長がそう宣言すると、会場から喝采が送り返される。
(ここまで来ると会長のワンマンショーだな、こりゃもう……)
私はステージでノリノリに歌いまわす会長を見てふと、アイドルよりもアイドルしているのでは、と少々おかしな日本語で感想を口にしていた。会長の歌声は先の明朗快活な幼な声とは一転して艶やかでつやのある、まるで神々の怒りを鎮めるために祭壇で熱唱する歌姫のようであった。そういえば、会長が実行委員の人だけに『カササギの橋立て』の歌詞カードを特別に用意していたのを思い出した。すぐにポケットから取り出して、目を歌詞の方へと向ける。
さよならの瞬間から胸が苦しい
次は一年先かも分からないから
天は気まぐれ 意地悪ばかり
愛する人は未だ岸辺で泣いている
涙落ちれば川は溢れて狂い出す
泣けば泣くほどあなたは霞んで消えていく
そんな時 空からふわり舞い降りた
一羽の鳥は私にこう告げた
泣き止みなさい 泣いては橋が架けられない
気付かされた私は涙が止んでいた
その鳥の名はカササギ
天の川に橋を渡す小さき使者
白と黒の翼で羽ばたけば
怒れる川には光の橋が架かり出す
やっと会えた ようやく触れ合えた
その身の温もりが再び涙を流させる
次会うときは泣いたりなんてしない
美しき二人は去りゆく鳥に誓いを立てる
(……うわ、すげ。会長って一体、ナニモンなんだよ)
歌詞は二番目まであったのだが時間の都合上、会長は一番を歌えるだけで精一杯だった。
この唄に出てくるカササギが白と黒の体色をしていることから察するに、会長のコスチュームはカササギをモチーフにしていたのかと私は解釈した。冷静に分析する自分とは対照的に、会場は拍手の渦に飲み込まれ、異様なまでの熱気を噴出していた。
その後も会長は曲のジャンルを問わず(ゲストアーティストと)歌っては踊り、無事にオープニングが終了したことを確認、会場の観客達にひとまずのお別れを告げる。
「みんなぁ、どうもありがと~っ! この後はぁ、お祭りの主人公になる織姫様と彦星様に頑張って貰いましょう! でわでわ~『天の川からの使者』こと星見屋麻季名は、この辺で一時撤退致しますっ! それじゃみんなっ、〝アイル・ビー・バック〟―――きゃっ!」
マキナ会長は決め台詞共々小走りで退場していったが、彼女の体がステージからあと一メートルというところで不意にズッコケた。おかげで会長自慢のミニスカが捲れてしまい、薄ピンクの「きゅーと」な下着がレース越しに、見事に観衆の面前で披露されてしまったのだ。
言い忘れていたが、螢星祭特設ステージの中央奥、会長が先程まで立っていた真後ろには、三×四メートルの液晶スクリーンが配備されており、彼女の挙動一つ一つがアップで映されていたのだ。
『『ぬぅおおおおおおおおおおおおおおお』』
観客(特にオトコ達)にとっては予想外すぎるこの演出にエキサイトしないものが居ないはずもなく、鼻血を出しながら雄叫びを上げる者、股間を膨らませながら卒倒する者、ポケットから残像が見えそうなほどに素早くスマホを取り出して写メを撮ろうとする者、等々。
その破壊力はタキシード・ジュンのウインクを爆竹とすれば、会長のそれはクラスター爆弾以上のものであった。だがそんな混乱の最中でも取り乱すことなく、彼女はゆっくりとその場から身を起こし、床にペタンと女の子座りをすると片手を後ろに持っていき、恥ずかしそうに頭を掻いてみせた。
「あっちゃー、マキナちゃん転んじゃいましたぁ……てへッ☆」
失態を物ともしない会長の、爛漫で煌々たる笑顔が、会場に降り注ぐ。
『『マキナたーん! 今すぐオレの嫁になってくれぇ~~~~~っ!』』
野郎共の無骨で露骨な欲望が、粘り気のある声となって会場を乱れ飛ぶ。
それに応えて笑顔を続けるマキナ会長の頬は、うっすら紅色に染まっていて愛らしかった。
凡夫なアイドルなら即行で退場する所を、かえってそこで足を止め、しかもファンを喜ばせるアドリブまでやってのける、彼女こそ『アイドルの鑑』というべき人物か。
転倒から十数秒後、マキナ会長はその場からそっと立ち上がると観衆に笑顔を振り撒き、
「それじゃ改めて、最後まで楽しんでくださいねぇ~~~!」
両手を膝の上にそろえて軽いお辞儀をし、これまた愛嬌たっぷりに小さな手をぶんぶんさせながらステージ裏へと消えていった。
そして完全に消える直前で、またしてもすっ転んだ。
(あざとい、あざとすぎるよ会長。もうアンタがこの祭の主役でいいだろ……)
螢星祭メインイベント実行委員の立場としては考案者である私の方が上だが、今回ばかりは彼女に二枚も三枚も食わされてしまった。しかしこれはこれで女として、色々と勉強させられた気がする。だが私にはあんな真似、コロッセオに放たれた猛虎に空手で立ち向かえと言われているようなものなので、脳内のイメトレだけで正直精一杯である。
と、そこに先ほど見事な色仕掛け(という名のハプニング)を見せてくれたマキナ会長が、私の元へと近づいて来た。
「会長、大仕事お疲れ様ですっ!」
私は会長に心から労いの言葉を掛ける。よく見ると、先ほどステージ上で二回も転んだせいか、コスチュームの胸のあたりがひどく汚れていた。
「あ、由里ぃ! どうだったぁ、ワタシのステージパフォーマンスはっ?」
会長は両目を輝かせながら、さっそく私に感想を尋ねてくる。
私は彼女の胸の汚れを気に掛けながら、率直な称賛を彼女に送った。
「そりゃもう、サイコ―ッスよ。あんなに会場を盛り上げられるのは、会長だけッスから」
「ホントにホントに~? あれでもワタシ、すっごい緊張したんだよ~?」
会長は疑わしそうに、しかし嬉しそうに私の顔を見つめて問い直してくる。
「お世辞なんか言ってませんって。会長、とっても可愛かったッスもん」
(くっ、汚れの事をいつ切り出していいか、全くタイミングが掴めんっ)
「そっかあ……由里が言うなら間違いないね、ありがと。この後は、由里がこのイベントを盛り上げる番だからね。ワタシに負けないくらい、会場を盛り上げちゃってよね!」
会長は、私の胸部までしかないその背丈を爪先立ちで高くさせ、さらに右手を肩いっぱいに伸ばして私の左肩をポンと叩き、鼓舞してくれた。
会長直々のエールとあって、私はもちろん畏れ多くも受け取ったのだが、それ以上に会長の背伸びをする仕草が、自販機の高い所へ手を懸命に伸ばす小児を彷彿とさせ、あまりにも愛くるしくて思わず、
(い、いかん! 会長、そりゃ反則ですって! 何かに目覚めちまいますってっ!)
自分の目の前にいるのは同性の女の子のはずなのに、はからずも私の顔面からは火が、前髪で隠れがちな青白い額からは汗が、それぞれ吹いているのを実感できた。
吸い込まれそうな緋色の双眸に見つめられ、過剰な量の空気が、私の肺胞に酸素を満たす。
(こっ、こうなったら、なるようになるんだ!)
私の右手は既に制服右側のポケットへと伸び、カモミールの刺繍が施されたハンカチを持って、会長の胸部ど真ん中へとタッチダウンしていた。
私の行動を予測できなかった会長は、思わず後方へ数歩後ずさり、
「ひゃっ⁉」
と、蚊が人間の張り手に驚いて啼くのを止めたような、か細く短い悲鳴を上げた。
「す、すいません会長。つい気になってしまったモンで……」
私の一言で事態が呑み込めたのか、マキナ会長はそのままその身を委ねてくれた。
何はともあれ、会長のコスチュームの汚れに手を掛けることのできた自分は続けて、ハンカチで彼女の胸に付いた汚れやら、埃やらを拭き取っていった。
今の私の行為はもはや例える必要も無いだろうが、敢えて例えるならば、幼稚園児が地面のぬかるみに足を滑らせ転倒して汚した制服を、先生が優しく叱りつけながら用意してあったハンカチで一生懸命に拭き取ってあげるかのようであった。
そんな保護者目線でいられるこの作業をしばらく続けていると、ふと気がついてしまった。
会長の、その―――胸の柔らかさに。
自分のとは比べ物にならないくらい、いや、比べては失礼なくらいにささやかで、食べ物に喩えるのも憚られるくらいの、極上の柔らかさに。
衣装の生地が薄いことも手伝って、触れるたびにやんわりとした肉感が、ハンカチ越しに伝わってくる。加えて、直に触ってみたいという欲望が善行を悪行へ変えようと、私の中のモラルをも、掻き乱してゆく。
(あーもぅオンナなのに何考えてんだろ、自分……あぁ、でも止められんっ)
野郎共には到底不可能な芸当を、会長を目の前にして私は堂々とやってのけていた。
私の始めた目的としての行為は、いつの間にか会長の胸部を堪能するためだけの、下劣な手段へと変貌していたのだった。しかし、そんな卑しい行為がいつまでも許されるはずもなく、
「ちょっと、由里⁉」
頭上で風船がパァンと破裂したかの如く、マキナ会長の声が鋭く耳を劈き、
「はいっ? ……はっ、すすすすみませんっ!」
私は一気に、夢見心地から目が醒めた。
「もう十分だってば……どうもありがとね」
私の非礼にも関わらず、会長は実に懐の深い態度で礼を言ってくれた。
「いいえ、そんなぁ。大したことじゃないッスよ、ハハハ」
私も見え見えの取り繕いながら、彼女の礼に応える。
そんな私に会長は、
「んふっ。さっきの由里、時が止まったような顔しちゃってたよ」
茶目っ気たっぷりに笑い返してくれた。
「……えっ、そうなんスか?」
「そうそう、まさにそんな顔……っと、今だっ」
「うぇっ⁉」
二人の声が重なった上にさらに、私の顔の前に何かが、覆い被さって来た。
「由里、おでこが汗でびっしょりだよ? 熱でもあるんじゃない?」
会長はもう一度背を伸ばし、右手をすうっと私の顔面まで滑らせるようにして運びつつ、汗ばんだ額に手の平全体をくっ付けてきたのだった。
「いいい、いえっ! 熱なんかありません、ござぁいませんっ!」
私は必死をこいて会長の発言を、否定の言葉を二重にして真っ向から取り消そうとする。
だが必死になればなるほど、額からは汗が沁み出てくるのがよく分かった。
「ふーん……」
会長は私の汗だくの額からようやくその手を遠ざけた。案の定、会長の紅葉のような右手の平には、気持ちの悪いくらい透き通った、私の脂汗がまとわりついていた。
会長はそれをしばらくじっと眺めた後、あろうことか私の目の前で――――――
(ペロッ)
「んなっ⁉」
(ペロッ、ペロペロッ)
「んな、なななぁ~~~っ⁉」
そう、その手の指先に付いた汗を、チョロっと可愛らしく出した舌で舐め取ったのだ。
しかも一回舐めただけではまだ分からないとばかりに小首を傾げ、今度はより多く汗の付いた手の平の至る所をぺろぺろと舐め回したのだった。まるで、仔猫が傷ついた自分の肉球を優しく、丹念に舐め上げるかのように。そして確信を得たのか、会長は小さく頷いた。
「これは……熱によるモノじゃないね」
すっかり会長の奇行に魅せられていた私は、彼女の回答ではっと我に返り、
「じゃ、じゃあ一体何なんスか?」
と、ほぼ反射的に質問をし返した。
「これは、ねえ」
「そ、それは?」
会長は妙に間を取ってくる。正直、間なんてどうでもいいから、早く答えてほしかった。
「「…………」」
体感時間で約五秒後、舌なめずりの音が私の耳朶を強かに叩いたかと思うと、
「―――うむっ、ワタシの味覚に狂いなし! これは緊張の汗だねっ」
マキナ会長は、未だ私の脂汗が付いている右手を、惜しげもなく広げて見せてきた。
「き、きんちょーのあせ?」
私は思わず、会長からの答えをオウム返ししていた。
「うん。だって由里の汗、とってもしょっぱいもん。でも、無理もないよね。だって、由里には螢星祭の大トリを任せちゃったワケだし、緊張しない方がおかしいよ―――ダイジョーブだって! ワタシも付いてるんだし、絶対成功するよっ!」
念には念を、と会長は私を引き続き鼓舞して励ましてくれた。ここは素直に喜んでいいものだろうか。だが、生意気なセリフを言って会長を悲しませたくはなかったので、
「ありがとうございます! オレ、全力で螢星祭を盛り上げますから!」
とびっきりのぎこちない笑顔で、会長からの激励に応えた。
「そっかそっかぁ。なら思う存分、楽しんでコイっ」
会長は、私を晴れ舞台へ送り出すサイン代わりの、未だに汗が乾ききっていない右手で握りこぶしを作り、正拳突きのようにガッと前へ突き出してきた。
「会長、さすがにその手じゃマズいですって。これで綺麗にしてくださいッス」
先ほど制服の左ポケットにしまい込んだばかりのカモミールのハンカチを取り出し、会長に手渡した。会長はそれを左手で受け取ったのだが、
「お、おぅ、ありがと……でもさぁ」
と、口ではそう言いながらも右手は拭かず、スカートの左ポケットへとハンカチを丁寧にしまい込み、ポケット越しにそれをポンポンと叩きつつ、私にこう言った。
「こんな綺麗なハンカチで汗拭くわけにもいかないし、近くに水道があるから、それで手を洗った時に使わせてもらうよ。そしたら今度洗濯して返すからさ。それじゃ、次のステージまでグッドラック! 由里も急いで仕度しなよぉ……」
「あっ、ちょっと会長⁉」
次の出番までの時間が惜しいのか、彼女は舞台裏の水飲み場まで猛ダッシュしていったのだが、
「ふぎゃっ」
数秒後、少し遠くの薄暗い場所で、間の抜けた声が聞こえた。多分、演技ではないだろう。
(あーあ、せっかくキレイにしてやったのに。先が思いやられそうだな、こりゃ)
「会長ぉ~! ダーイジョーブッスか~ぁ?」
私は敢えて少し意地の悪い声で、会長を心配する一言を掛けた。
「ワタシのことは気にするなぁ~! とにかく、早く行くんだぁ~!」
会長の姿は暗闇でよく判らなかったが、地面に張り付いた姿勢のまま頭だけを私のいる方へわざわざ動かしてまで返事をしてくれた。
彼女はステージの時よりも盛大にズッコケたせいで、私の目線からだとパンモロであった。
おまけに転んだ時の衝撃で下着が深く食い込んだせいか、鷲掴みすれば指が深く沈んでいきそうな、豊潤な臀部までもが露わになっていた。
割とおせっかい焼きな私は、彼女へさらに一言添える。
「会長! パンツとオケツが丸見えで~すよぉ~!」
「ウルサァーイ、分かっとるわぁ~! イチイチ大声出すんじゃなぁ~い!」
やはり暗闇ではっきりしなかったが、会長の顔は熟れた蛇苺の如く、真っ赤っかであった。
「やれやれ、流石にこれ以上構っては居られないな……」
私は会長の桃尻と別れを告げ、ステージ裏を後にした。
新暦七夕の星空の下、三笠山の会場は先ほどのマキナ会長の名パフォーマンスで興奮冷めやらぬ雰囲気だった。私がマキナ会長とあれこれしていたうちに、ステージ上には各学年・クラス毎に教室の中央に置かれていた笹竹が、いつの間にかずらりと〝顔〟を揃えていた。
ここで云う〝顔〟とは、笹の葉に吊るされている短冊を指すことに注意されたい。今夜それらの〝顔〟の中には、実際にこのステージ上で本物の顔を合わせる可能性があるからだ。
観客の生徒達は、男子も女子もこれから始まる笹神様の御導きによって「織姫と彦星」という名の主人公になるやもしれぬのだ。
そして、その笹神様というのが―――
『皆さんこんばんはっ。今宵の螢星祭の大トリを努めます〝笹神様〟こと、天崎由里でぇす!』
他でもない、私である。察しが付いていた人も少なくはないか。
「ひゅ~っ! 笹神様せくすぃ~!」「姐さん、サイコーっす~っ!」
(あ、あまりおだてんじゃねーよ、恥ずかしいんだよっ!)
野郎共の、会長の時とはまた属性の違う煽りやら、後輩の賛辞の声やらが私の耳に飛び込んてくる。が、私としては今、非常に落ち着かない。
声は出るのに、顔面はガチガチに強張っているのが、イヤというほどよく分かるのだ。
理由は言わずもがな、私がこの笹神様の配役にされてしまった事実、ただ一つである。
事の始まりは二週間前の、螢星祭実行委員会の放課後会議にまで遡る。
「―――とゆーわけで、笹神様の配役は由里ちゃんで決まりぃ! はいッ拍手拍手!」
螢星祭実行委員長のマキナ会長が、高らかに叫ぶ。
「由里ちゃんおめでとう! いよっ、笹神様ぁ!」
(パチパチパチパチパチ!)
「ちょっと待ったぁ! ……何で、なんでオレが笹神様なんスかぁ⁉」
不本意な採用を即刻で取り消そうと、実行委員達に一人で立ち向かう私に、
「ちっちっちっ。甘い、甘いよ由里ちゃん! ラグドゥネームより甘~いっ!」
化学物質だか何だか訳の分からない喩えを交えて返答してきたのは無論、マキナ会長であった。それを機に、彼女の中では謎のキャラ作りが始まっていた。
「いいかい、由里ちゃん。今年の螢星祭のステージパフォーマンスを考え出したのは他でもないチミだ。チミが出してくれたアイデアは、お世辞抜きにしても大変素晴らしい。そしてチミが想像力をフルに働かせて生み出してくれた笹神様も、非常に価値あるモノだ。だからワタシは自分の親切心をグググっと前に押し出して、チミに今年の大トリを任せようと思うんだ。どうだい、悪い話ではなかろう? 皆もそう思うだろう?」
((コクッ、コクッ))
実行委員全員が事前に示し合わせていたかのように、腹が立つくらい同じタイミングで首を縦に振り、会長の意見に賛同の意を示していた。
「……というわけだ。チミの拒否権は最早取り上げられたも同然、ここは素直にイエスと頼むよ、由里ちゃん!」
((コクッ、コクッ))
またしてもこいつらは会長の言いなりである。会長は自分の都合に合わせてテンポよく進む会議の様子を見て、次第に盛り上がってきたらしく、
「ここ~でや~らね~ばだ~れがやる? 引け~ばソンソン、入~るれ~ばトントン♪」
などと囃し立てながら机の上で膝立ちになり、おもむろに手拍子を始めたのだ。
『『ここ~でや~らな~きゃだ~れがやる? ひけ~ばそんそん、い~るれ~ばとんとん♪』』
実行委員の生徒達も、彼女の後に続く。
(おいおいおいっ、どーゆー状況だよこれはっ)
私は目の前の、異様としか取れない人間達の、異常なまでの統率力の高さに怯えていた。その時はまだ彼らの行動原理がさっぱり理解できなかったが、現状に耐えかねて自分の机を、
(ダァン!)
と叩きつけると、彼らは一瞬にして会長の洗脳から解けるようにして行動を止め、やや緊張した面持ちで私の俯いた顔を覗き込んでいた。顔を下に向けたまま、ここぞとばかりに私は反撃に転じようと、顔をさっと前へ向け、真正面の会長をきっと睨み付ける。
「ゆ、由里?」
会長は私の剣幕に恐怖を覚えたのか、束の間に素に戻っていた。
「会長! アンタはどこまでオレをバカにするつもりッスか! こんな物の頼み方じゃ、誰もアンタのお願いなんか聞いてくれやしないッスよっ⁉」
自ら作り出したこの優勢を殺してしまわないよう、私は会長に食ってかかる。
「会長が今よりずーっとマシな頼み方をしない限り、オレはぜっっったいに、笹神様なんてやらないッスからね!」
(よし、完全に自分の独壇場だ。このまま一気に……)
「由里……ヒドイっ」
(―――あれ?)
会長の表情は、私が彼女の行動を糾弾している内に、とうに曇り始めていた。
「かっ、会長! オレにそんな手が通じると思ってんスか?」
次第に暗雲立ち込める会長の表情を前にしてもなお、私は攻めの手を崩さない。
―――しかし、
「バカバカバカっ! 由里のデレスケェ―――ッ! ……う、うあああああああん!」
時すでに遅し、会長の涙は未だ不毛の会議室に、局地的大豪雨をもたらした。彼女の不満の爆発を目の当りにした実行委員の連中は、見るに見かねて私の方を一斉に振り向き、
(あーあ、泣かしちまったか)
(これは情状酌量の余地なしだな)
(きっと軽罪でも、執行猶予すら与えてくんないだろうねぇ)
(謝罪するなら今の内だよっ、由里ちゃん!)
などと普段使うことのないテレパシーを、今回に限って私にビュンビュン飛ばしてきた。
私はその一つ一つにいちいち構っているワケにもいかないので、
(わーった、わぁったよっ! 謝りゃいいんだろっ⁉)
と、彼ら全員が待ち望む同一の答えを、一斉に返信した。
(チキショー、多数派が正義の、世の中のバカ野郎ぉ!)
そして、今度は会長に優しく微笑みかけながら、
「会長、その、意地張っちまって申し訳なかったッス……ほら、会長も笑ってくださいよ。そんな会長のくしゃくしゃした顔、オレはもうカンベンッスからね?」
と、その時思いついたありったけの慰め言葉で、会長の機嫌を取り戻そうとした。
本心 (のつもり)からの謝罪のおかげか、彼女は両手で大粒の涙を拭い、私に言った。
「うんっ、ワタシ、もう泣かないよ……由里、ワタシの方こそごめんね? 泣いてばかりじゃ何も始まらないって分かってるのに―――馬鹿だな、ワタシ」
会長は思いの外、懇切丁寧に謝り返してくれた。
すると私は突如襲ってきた、得も言われぬ後ろめたさに駆られて、
「もういいッスよっ! これ以上頭を下げられたら、オレの立場が危うくなりますって!」
自分が不利になっていくような言葉を、無意識に返してしまっていた。
「分かった、もうこの件は無しだね。えっと、その代わりさ……由里?」
会長は、私との身長差を上手い具合に生かした上目遣いで、私を見つめて来る。
「はいっ、何スか?」
「ワタシが密かに提案した、由里にピッタリの仕事があるんだけど……やってくれるかな?」
この時、私は会長の口にした〝ピッタリの仕事〟という言葉を文字通り解釈していまい、
「もちろんッス! 喜んで引き受けますよっ!」
と、何の疑いも無しに快諾してしまった。その一言を耳にした瞬間、会長は―――
「ホントぉ⁉ やったぁ~っ! みんな、由里が引き受けてくれるってよぉっ!」
「ありがとう、由里ぃ! いよっ、ミセス七夕!」
「やっぱお前しかいないよなぁ、あの二人をヨイショするのはっ!」
「先輩が今年の天の川のスターになれるように、全力でお手伝いしますっす!」
(ちょっと待て、何だよ「あの二人」って。何だよ、「天の川のスター」って!)
「それじゃさ、由里。さっそくだけど、そこのドアを開けてみてよっ」
「え……は、はいッス」
すっかり機嫌を取り戻したマキナ会長に言われるがまま、会議室の中にある木製のドアの金属ノブに手を掛けてゆっくりと左に回して戸を押し、部屋の中へと足を踏み入れる。
そこで真っ先に、私の目に入り込んできたのは、
「じゃじゃぁ~んっ! すごいでしょ~?」
「こ、これは一体……ナンスカ?」
一匹の、毛むくじゃらの「怪物」であった。その「怪物」は、目を凝らしてよく見ると、山ほどの濃い緑色の葉で形作られていた。
「あれあれぇ~? いくら賢い由里ちゃんでもまだ分からないのかなぁ?」
先程までのしおらしさは何処へやら、会長は大層嬉しそうな目つきで、私の顔を執拗に見つめてくる。
「あ……あっ!」
その時、私の脳内で「ピッタリの仕事=何か」という等式が、パッと組みあがった。
会長も、私の顔が閃きを得たのだと読むと、口角を一層吊り上げては言った。
「むっふっふっ、どーやら分かっちゃったようだね?」
またしても時すでに遅し、私の脳内で「ピッタリの仕事=何か」という等式の、「何か」の解が、今更になって出てきたのである。
実行委員の奴らが口にしていた単語を上手く差し引いていけば、その具体的な答えは自ずと導き出せた。私の論理回路に多少の無理があることは、大目に見てやって欲しい。
(つまり、「何か=(七夕)―(あの二人=織姫と彦星)―(天の川)―(スター=星)=ピッタリの仕事=……」)
「―――笹と、短冊?」
答えを得た私の脳内は、ますます混乱していた。その混乱から生じた疑問は、自然とマキナ会長の方へと投げられていた。会長は、私の腑に落ちない顔を見て、ますます嬉しそうだ。
「会長! 一体これはどういう―――」
「ちっちっちっ。惜しい、惜しいよ由里ちゃん! あと一歩でフィニッシュだってのにさ~」
人差指を左右に揺らしながら、会長は私にダメ出ししてくる。
「由里ちゃんが導いた答えにはあと一つだけ、不足してるモノがあるっ。それはっ!」
会長が限界まで伸ばした左腕を天井へ突き出し、左手の人差指をピンと立てたと思いきや、静止させた腕を前方に九〇度回転、緑の「怪物」に向けて照準を定めた。
それを見た実行委員の内の二人が、一緒になって「怪物」に纏わりついている葉っぱをがさがさと取り除き始めた。中に誰か入っているのかと些細な疑問が生じたが、葉っぱを取っても取ってもその肝心の中身が、姿を現さない。
深緑の鱗が剥がれ落ちていくにつれ、やがて代わりに中から姿を見せたのは、
「ここっ、これはっ!」
「そう、これこそが、由里ちゃんの答えに不足していたモノなのだよ」
モノ―――つまり、この部屋で最初に見た「何か」とは―――
「そんな……冗談でしょう?」
「―――由里ちゃん特製の、七夕コスチュームで~す!」
会長がいつの間にか葉っぱで出来た絨毯の上に移動し、その「七夕コスチューム」を目立たせるように、両手を衣装の近くでヒラヒラと揺らす。
そして私の脳内では、
(笹と短冊に、コスチューム……あ、ああ、あああ、ああああ)
「―――さ、笹神様ぁぁぁぁぁぁぁぁ~っ!」
自ら考案して生み出した空想の神が眼前に降臨した、まさにその瞬刻を迎えていた。
特製七夕コスチュームをその身に纏った『笹神様』は、かく語りき。
《 貴女はこの私を写し世に生み出してくれた、云わば創造主。されど我が身が此の世で肉体を保つには、誰かしらの拠り所が無くてはならぬのです。ですが創造主の貴女ならばそれは容易きこと。どうかこの切なる望みを、叶えてはくれぬでしょうか? 》
笹神様は哀しみに暮れた瞳で、未だ夢現の私へ、勝手な頼み事を持ち出してきた。
その時の私はというとほぼ完全に理性を失い、笹神様の言いなりにされていたような感覚を覚えている。ゆえに私は、
「笹神様のお望みとあらば、如何なる難事でも叶えて差し上げましょう……」
などと、本心でもない言葉を口にしてしまっていた。
それを聞いた笹神様は両手をガッチリと組み、喜悦の声を上げる。
《 嗚呼、何という謝辞の極み! もはや言の葉ではこれ以上の喜びを紡ぎ出すことは出来ません! ……それでは創造主。たった今より貴女はこの私と肉体を一にし、三笠山の祭礼の首尾よき成就、そして三笠山の永久なる繁栄をこの場で……誓いますか? 》
「……はい、誓います」
私は笹神様に誓い、そして笹神様は、かく語りき。
「―――とゆーわけで、笹神様の配役は由里ちゃんで決まりぃ! はいッ拍手拍手!」
螢星祭実行委員長のマキナ会長が高らかに叫ぶ。
「由里ちゃんおめでとう! いよっ、笹神様ぁ!」
(パチパチパチパチパチ!)
気付けば私は、皆が会議室の元の席にそれぞれ着席して、私を何やら褒め称えていることが理解できた。私には何故か、目の前の光景に見覚えがある。そう、因果の紡糸をここで悉く焼き尽くさなければいつしか糸がリボンを編み、一度捻れては布地の切れ端同士が繋がり、〝メビウスの輪〟が出来上がってしまうことを、私は辛うじて憶えていたのだ―――
以上が、一週間前に私が実際に経験した、事の真相である。
誰が何と言おうが、これが真実である。
そして私は今、螢星祭特設ステージで大トリを任されているのだ―――この「せくすぃー」な笹神様のコスチュームと共に。この衣装に関してはあまり詳しく語りたくないのだが、あいにく今の私は文字だけでしか他人に情報を伝えることが出来ない。やむを得ず説明させてもらう。
まず衣装全体の外観だが、私の第一印象からすればローマ字の「エックス」である。どういうことかといえば、緑をメインとした腰より下まで伸びるガウンのような上着がそれを余す所なく表現しており、エックスの二直線の交点である部分は胸の中ほどから、ヘソより少し上までしかなく、これこそが「恥ずかしい」の原因なのである。
胸元はブイ字に大きく開き、あまり自慢できる程の大きさではない乳房によって形成された谷間が丸見えなのだ。もちろんヘソ周りも大胆に露出している。幸い下の方はマキナ会長のような捲れやすいミニスカではなく、動きやすいがそれでも自分には短く感じる、上半身に合わせた深緑色のホットパンツである。それからボサボサの頭部には、オリンピアの勝者が被ることを許される月桂冠になぞらえ、笹の葉を緻密に編み込んだ特製の冠が乗っかっている。
この他には、両手首に銀色のリストバンドをしているということくらいで、十分伝わっただろうか。
それでは再び、会場の司会を再開するとしよう。
『笹神様』として今ステージの上に立っている私―――天崎由里は、たった今からこの七夕の夜空の下、三〇組(予定)もの『運命の二人』を決めるという天命を、遥か上空から見守ってくださっているであろう織姫様と彦星様から仰せつかっている。
そしてもう一人、私の仕事をサポートしてくれる「相棒」が、帰ってきた。
「三笠山よぉッ! ワタシは……還ってきたぁッッッ!」
そう、『天の川からの使者』こと、星見屋麻季名会長である。
『『マキナちゃ―――んっ』』
マキナ会長の再登場に、歓喜の雄叫びがうねりを上げながら会場を行き交う。
「みんな~! このマキナちゃんが、これから笹神様のお仕事をお手伝いすることになりますがぁ……いいかな~ッ?」
『『いいですとも―――――っ』』
彼女はとても機嫌が良さそうだ。そういえば、さっきステージ裏で派手に転んだはずなのに、コスチュームの汚れはなぜか綺麗さっぱりと無くなっている。替えの衣装でも用意していたのだろうか。
「わぁ~い、みんなありがとぉ―――ッ!」
(「がとー」だけに……ゲフン、ゲフンっ! やっぱり、何でもない)
兄貴が高校生の時に友人から借りパクしたブルーレイで観た、巧妙な人間ドラマと個性豊かな○ビルスーツの織りなすアニメ作品のことをふと思い出し、思わす突っ込まずにはいられなかったことを、どうか許して欲しい。
「それじゃマキナちゃん、そろそろ行ってみようかぁ?」
私は頃合いを見て、彼女に高めのテンションで、次のステップに移行するよう促す。
ちなみに、私が会長に対してタメ口を聞いているのは言うまでもない。今ステージの上にいるのは「会長」ではなく、あくまで「マキナちゃん」という、一人のアイドルであるからだ。
「うんっ……あっ!」
(よしっ……えっ⁉)
マキナちゃんが段取り通りに返事をしたと思いきや、いきなり何かを思い出した短く高い声を出した。いくらアドリブマスターの彼女とはいえ、これ以上のアドリブを挟んでは、学園祭の終了時刻までに全行程が完了しないまま終わってしまうことは承知しているはずなのだが―――一体何を企んでいるのか。
「笹神様、笹神様ッ! 緊急事態だよッ!」
どうやら、アドリブ芸を披露するのではないらしい。
「どっ、どうしたの、マキナちゃん⁉」
神妙な面持ちをするマキナちゃんに、私がすかさず繋ぎを入れる。
「笹が……」
「笹が?」
「――――――一本、足りない」
『「ええええええっ!」』
私を含め、会場全員のリアクションが、一致した。すぐに落ち着きを取り戻した私は、
「足りないって……どこのクラスの笹が無くなっちゃったの、マキナちゃん⁉」
マキナちゃんに威勢よく聞き返す。
「えっとね……えっとね」
彼女は何故か伏し目をキョロキョロさせ、答えるのを躊躇っている。
会場もマキナちゃんの表情を伺いながら、次第に動揺を喧噪へと変えていく。
(……会長、早く言っちゃってくださいよ! 時間押してるんスよっ!)
私はいざよう会長の耳元で、少し呼気を強めに囁いた。それに対応してくれたのか、
「そ、それはぁ……」
マキナちゃんが、その小さな胸いっぱいに息を吸い込み、そして叫んだ。
「二年、九組ですっっっ!」
『『ええええええっ⁉』』
二年九組の生徒全員が、再び叫び出す。
ざわめきはあっという間に伝染し、会場全体の秩序を再び乱していった。
(お、おい、待ってくれよ。それって……オレのクラスじゃねえかあああッ!)
何を隠そう、私も二年九組の一人なのである。
本音を言えば、今すぐこの場で悲鳴を上げたかったが、
(ハッ、いかんいかん! 私は笹神様……私は笹神様……)
と心中で自己暗示を繰り返し、悲鳴の代わりとしての、、
《 鎮まれえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッッッッッッッ! 》
遠雷の如き咆哮をマイクに乗せ、会場を一喝した。
当然として会場は静まり返り、皆の視線がステージ上の私に一点集中する。
観客は数拍子ばかりキョトンとした後、すぐにざわめく前の状態に戻った。
「皆さん、落ち着いて聞いてください。これから始まる抽選会についてですが、当初は一年生から順に進行予定でしたが、只今起きた不慮の事態のために、抽選する学年の順番を変え、一年・三年・二年の順とします!」
とっさの機転により私がそう説明すると、主に二年生達のテンションが上がっていったのが少なからず確認できたが、特段注意するほどのことでもなかった。そこに、マキナちゃんが待ってましたと言わんばかりに彼女専用のマイクを握りしめ、こう言った。
「じゃ~あ~、生徒さん達だけが主役じゃ勿体ないからぁ……先生方にも『運命の二人』になってもらっちゃいましょ~~~ッ!」
『『ウェ~~~イ』』
会場の生徒は、今までとは違う声色の歓声を上げた。若者特有の「ひやかし」の歓声だ。
一方の教師用の会場席では、様々な年代の教師達がそれぞれ、自身の心中を吐露していた。
「いや、こりゃ参ったねえ」
「やだわぁ! アタシ、もうとっくの昔に結婚してるのにぃ」
「ここでもし『運命の二人』に選ばれれば、二年一組の愛しのあの先生と……グハアッ!」
一応言っておくが、こっちはあくまで臨時のイベントであって、別に選ばれたとて何の特典があるワケでもなければ、未婚の教師たちの婚活促進パーティを催そうとしているワケでもない。気が付くと実行委員の数名が、横一列に並んでいる二九本の笹の右端に、教師たちの名前が書かれた短冊が付けられた臨時の笹を、せかせかと準備していた。
(会長も人使いが荒いな、相変わらず)
額に汗する彼らを苦笑交じりに見届けながら、笹が用意し終わったことを確認すると、
「え~、では準備も整ったことですし、いよいよ行っちゃいましょう! 準備はオーケィ、マキナちゃん?」
私の右横で笹をひとしきり眺めていた、マキナちゃんに呼びかける。
「うんっ♪」
マキナちゃんも、至極のスマイルで私からの呼び掛けに応じる。
「「それじゃー、本番いっくよーッ!」」
私とマキナちゃんが完璧に、同時のタイミングで言い放つ。
『「三、二、一―――お願いします、恋愛成就の笹神様‼」』
皆が叫んだ直後、ステージの裏側に設置されていた火薬が点火され、七夕にちなんだ七色の尺玉が夜空へ次々と舞い上がり、天の川映える黒闇の夜空へ、華と咲いた。
何時とも、何処とも、誰とも知らぬ、渺渺たる暗闇の拡がり。
そこに、入口は見当たらない。出口らしきものなら、ある。
赤と青の口を大きく広げた、正八角形の二つのトンネルからの、幽かな灯りと共に。
しかしそれらは奥行きを持たず、前後どちらからでも、同じ色のまま。
八角形の、各々同色の金属枠に囲まれただけの、質実簡素で対称的な造り。
その双子の巨門の前に二人、少年と少女が互いの面を向き合わせ、渡り合っている。
「御主人、いい加減に考えを改めてください!」
少女を〝御主人〟と呼ぶ、その少年。
外見は白黒を基調とした、シンプルな夏の軽装に身を包んでいる。
「なに言ってるの。私の不完全な肉体の補完として、お前の肉体が一時的に無くなるだけの話じゃない。今になって一体、どういう風の吹き回しなの? ねぇ、ハスク?」
少年を〝ハスク〟と呼ぶ、その少女。
外見は十才を超えるか超えないかの、幼い顔立ちと身体付きをしている。
「違う! 貴女は何も分かっていないッ!」
少年は、少女の背後まで突き抜けていきそうな怒声を、躊躇なく放った。
「僕は『一人の人間』として、『唯一の存在』としてこの世の生を全うしたい! それなのに貴女は僕を、未だに木偶としか考えていないのでしょうっ⁉」
幼い少女の整った、秀麗な眉目が途端に跳ね上がる。
「黙りなさいっ! たかが分身の分際で生意気なのよ、アンタ! リーテと同じベリタス人の戸籍も、専用のスパイラも与えたっていうのに、一体何が不満だってのよ!」
点火した少女の怒りの導火線は星の瞬く間に燃え尽き、大爆発を起こした。
だがそれ以上に、少年の怒りは深刻だった。
「貴女は鬼だ、死神だ! 人ひとりの命も天秤に掛けられない、地獄の閻魔大王だっ!」
容赦のない罵声の瀑布が、少女の憤怒を易々と飲み込む。
「僕は所詮〝抜け殻のハスク〟だ。ならば抜け殻らしく、いつまでも、しぶとく這い残ってやるっ!」
少年はそれを捨て台詞に、青く光る穴の中へと、走り去っていった。
少女は一人、巨門の双光に照らされながら、自らの素足を眺めるように下を向く。
「何が鬼よ、死神よ、地獄の閻魔大王よ……全っ然分かんない」
少女はその場に膝を抱えて座り込み、胴体と太ももで出来たV字の隙間に、顔を埋める。
「あの子の気持ちなら、全部……全部分かってると、思ったのに」
塞ぎ込む少女の身体は次第に淡く、赤く輝いていき、暗闇全体を薄紅色へと染め尽くす。
「私が未熟だから? 私は所詮……〝姉さん〟の異物に過ぎないから?」
抱えた両膝を締め上げ、少女は一人、震えを起こす。
「嫌よ、そんなの……絶対に、ゼッタイに―――イヤ!」
薄紅に染まった空間が律動し、少女の内なる力の制御が、崩れていった。
いよいよ、長らくしてこの瞬間に現在が追いつき、追い越していった。
笹神様の私は、各クラスの笹に付いている色とりどりの短冊から一枚を手に取り、まず女子生徒の名前から読み上げる。そして私はその短冊を、ステージの右端にある実況台で熱況してくれているマキナちゃんに手渡し、彼女が相手の男子生徒の名前を読み上げるというカタチで進行していった。このやり方のほうが、私がマキナちゃんに短冊を渡してから彼女が口を開くまでの絶妙な「間」が生まれ、会場全体が得も言われぬ緊張感に包まれるからである。
では、その途中経過までをハイライトして行こう。
「ではさっそく、一年一組の笹から行ってみま~~~っしょうッ!」
彼女の高らかな号令と共に、私は氷上を優雅に滑り歩くように目的の笹へと向かっていき、おびただしい数と色の短冊一枚一枚を、入念に見て回っていった。
(ほうほう、色々あるもんだなあ。特にこの「冴羽」ってやつはモテモテ君じゃないかあ? ……ざっと全体の四割は独占してるし)
「むぅ? どうやら笹神様は、かなり悩んでおられるようですぞぉ~?」
顎に手を添える私を見て、マキナちゃんが私の心理を的確に分析している。
(うーん、ここはやはりこの「冴羽」と一緒の娘を……いやいやいやいやっ、待てよっ? よく見れば、「坂崎」ってのも人気だなあ。なんかこっちのほうが面白そうな展開になりそうな気もするけど……よしっ、コレに決めたぁッ!)
私は勢いよく狙いを定めた短冊を笹の葉からむしり取り、頭上に高く掲げた。と同時に、
「おーっと! どーやら笹神様が、記念すべき一組目を決めたようです!」
彼女がテンションを急上昇させ、マイクにその幼な声を吹き込む。それに私は続き、
「ではっ……〝織姫様〟から発表いたしますっ!」
私が声を大にして宣言すると、会場がふっと静まり返る。
発表を待つ女子達の生唾の嚥下する音が、生々しく聞こえてきそうなくらいに。
充分に息を吸い込み、とことんまで緊張感を高め、呼名と同時に一気に開放する。
「――― 『新山瑞穂』さんです ―――」
会場のやや後ろの方から、一人の右手がすっと挙がった。すかさず近くにいたカメラマンが彼女を写し、その姿がステージの巨大スクリーンに映し出される。
だが、カメラマンの撮影が下手糞なせいで、肝心の彼女の顔がよく見えない。唯一確認できる頭部に注目すると、私の髪色より暗い、長い茶髪のツーサイドアップであった。
『うおおおおおおおおおおおっ』
野郎共が唸り出し、会場を暑苦しく盛り上げる。
『瑞穂』と呼ばれたその女子生徒は恥ずかしそうに顔を両手で隠しつつ、薄暗い会場の通路を事もなく通過、笹神様のいるステージの上へと上がって来た。
「さあさあやって参りました、新山瑞穂ちゃん! と~っても恥ずかしそうです!」
マキナちゃんが、未だ両手を顔から放さない瑞穂を囃し立てる。しかし彼女は上手い具合に両手をずらし、私にだけその素顔をチラつかせていた。それを見て、私は大いに驚愕する。
(由里ちゃ~ん、お久しぶり~っ)
(おっ、お前は⁉)
ついに、瑞穂の顔を覆っていた神秘のベールが取り除かれる。ついでに、私の記憶も蘇る。
「皆さんこんばんはっ、新山瑞穂ですっ!」
瑞穂は、首を軽く左へ傾げながら、素人離れした優美な微笑を、会場一杯にぶちまけた。
彼女の、いかにもおしとやかな印象を目の当りにしたオトコ共は、
「あんな娘、ウチの学校にいたんだぁ……」
「かっ、かわええ……アイドルなんかな~?」
「ちょっ、オレあとであの娘にサイン貰ってくる!」
一瞬で彼女にココロを奪われていた。しかし瑞穂の中身を知る私にとっては、今の彼女の笑顔は小悪魔がこの世を忍ぶ為の、一枚の分厚い化けの皮そのものにしか思えなかった。
それを証明してくれるのが、我が懐かしくも忌まわしきあの、屈辱の過去なのである。
私と瑞穂が初めて出逢ったのは、私が六つ、瑞穂が五つの時であった。母が教育熱心だった所為もあって、都心にあるかなり本格的な子役養成所に、私は通わされていたのだ。
そこで初めて顔を合わせた私達二人はすぐに気が合い、仲良くなったのだが、その当時に私が彼女から負わされた心的外傷は、未熟すぎた私のハートに、余りにも深すぎる爪痕を残していったのである。
「―――か、け、き、く、け、こ、か、こ」
「―――か、け、き、く、け、こ、か、こ」
「は~い、二人ともお上手お上手ぅ♪ それじゃ、このまま次もいってみましょ」
カマっぽいレッスンの先生が、私と瑞穂のカ行の発音を褒める。問題は、「次」である。
「「はいっ!」」
二人は、お互い負けじと元気よくお返事する。瑞穂が、私に先立つ。
「さ、せ、し、す、せ、そ、さ、そ」
「いいわよいいわよ~ぉ。じゃあ次、由里ちゃんの番っ」
カマっぽい先生が笑顔で、私に「忌まわしきあの行」の発音をするよう、促してくる。
「しゃっ、しぇっ、ひっ、しゅっ、しぇっ、しょっ、しゃっ、ひょっ」
「……ぷっ」
私の拙いサ行の発音に、瑞穂は私の横で意地の悪そうに口から吹き出してみせた。
「う~ん、ダメねぇ~……もう一回やってみてちょーだい?」
「しゃ、しゃっ、ひっ……」
(うぅ~、はちゅおんできないぃ)
私が心の中でもどかしく呟いていると、瑞穂の顔はみるみる引きつっていき、
「ぷ、ぷぷっ、ぷっ……ちゃ――――っはっはっはっはっはっはっはっはっ!」
ついに私の目の前で、笑いの衝動を爆散させたのだ。一度笑い出した瑞穂は、
「あーっはっはっはっはっはっ! ひぃーっはっはっはっはっはっはっはっ!」
などと、就学前の子供にしては大層不快で奇怪な笑い声を上げながら、文字通り抱腹絶倒して、教室の床をのたうち回ったのである。だがそれでも負けず嫌いな私はムキになって、
「し、しゃっ、ひっ……うっ、うわあああああん!」
何度も再チャレンジしたが一向に上達せず、失敗の度に瑞穂は転げ回り、私は結局大泣きして、カマっぽい先生に助けを求めたのであった。
もう一つ、忘れてはいけない思い出があった。
それはある晩、私と瑞穂、母親達の四人で、居酒屋で夕食の席を共にする場面から始まる。
「ごめんねぇ、由里ちゃん。こんなお酒とオジサンだらけの場所になっちゃって」
「そんな別に謝ることないのにぃ。この子は生まれた時からウチの主人の酒とタバコにまみれて育ってきたようなもんだから……ねぇ、由里?」
「うんっ! あたち、おちゃけくちゃいところも、タバコくちゃいところもへーきだよっ!」
お母さんもとんでもないコトを言ってくれるなと呆れつつ、〝当時の思い出其の二〟を脳内で復元しているわけだが、こんな場所でも私は瑞穂に嫌がらせを受けていたのである。
とりあえず、会話の続きを聞いてほしい。
「由里ちゃんったらタフなのね~っ! ウチの瑞穂にも見習わせたいわぁ。ねぇ、瑞穂?」
「うんっ! ゆりちゃんオトナだねー!」
「みーちゃんありがとー! あたち、もうオトナぁ!」
そういえば当時は瑞穂のことをみーちゃん、って呼んでたっけ。
「由里、お母さんたちはアツカンで一杯やってるから、由里と瑞穂ちゃんはお茶漬けとかで良いわよね?」
この時点で話の全容が見えた方はおそらく、私と好き嫌いが似ているに違いない。
「うん、おちゃじゅけたべるー!」
「みずほもおちゃづけにするー!」
私と瑞穂の二人は、母の勧めでお茶漬け定食を頼むことにした―――のだが、不都合が起きた。二人とも鮭茶漬けを頼んだはずなのに、何かの手違いで私だけ、今でも大の苦手の〝名前を呼ぶ気もしないあの食べ物〟が入ったお茶漬けが来てしまったのだ。
遠慮せず店員に言って取り替えてもらえば良いものを、またもや私の中の負けず嫌いがそれを邪魔したのである。鮭茶漬けを頼んだ瑞穂は美味しそうにそれを食していたが、茶碗に盛られた茶漬けの上を陣取るあの食べ物をじっと睨みつけ、一向に箸の進まない私を見て、
「あれぇ? ゆりちゃん、おちゃづけたべないのぉ?」
と、いかにも自然な入り方で私に話しかけてきた。
「しょ、しょんなことないもんっ! しゅぐたべるもんっ!」
この時下手に強がらなければ最悪の事態は回避できたのに、私は彼女の目の前で強がってしまった。それが、彼女の中の〝意地悪スイッチ〟をぱちっと、オンにしてしまったのだ。
「じゃーあ、みずほがあーんしてあげる~」
「い、いいよっ! ひとりでたべれるもん!」
私がそう言った正にその直後、瑞穂は私の箸を手に取っていた。
そして不敵な笑みを浮かべながら、
「はいっ、ゆりちゃん。あ~んっ♪」
「ん、んんんん―――ッ!」
意固地になった私は口を噤み、瑞穂からの無慈悲な攻撃に徹底して抵抗する。
しかしこのままでは膠着状態になってしまうと察したのか、瑞穂は一端、私の口元にしつこく近付けていた箸を遠ざけ、私の茶碗の中に戻した。そして、私が安堵の溜息を一息ついたその時、瑞穂の脳内では私を攻め落とすための合理的解決策が、すでに完成していたのである。
「あれっ、ママたちがいないっ!」
瑞穂が叫ぶ。
「えっ⁉ ……ままァ!」
瑞穂の大嘘を真に受ける愚かな私が鳴き、鉄壁の守りを固めていた口元がぽかりと開く。
瑞穂はまさに思い通り、と言わんばかりに再び私の箸を素早く手に取り、
「えいっ」
と瑞穂が一言、掛け声を出した瞬間、
「んもぉっ⁉」
私の口内には薄赤い、潰れた紙風船のような物体が詰め込まれていたのだった。
「ん~っ! んぅ~っ! んんんんんんんッッッッッッ!」
私は、その物体を口に入れたまま声にならない声を上げ、座敷の畳の上で両手を口に当て、両足をじたばたさせながら、赤き物としばし時間を共にしていたのであった。
その光景を私の視野の内でほくそ笑んでいた瑞穂はそのうち、
「ママー、由里ちゃんが梅干し食べたら、ヘンになっちゃったー」
と、まるで玩具として遊んでいた昆虫が突然動かなくなった時に親や先生を呼びつける園児の如く、カウンターでほろ酔いしていた母親たちを呼んだのであった。
口の中の異物と格闘していた私は早くそれを吐き出せばよかったものを(我慢強い人なら共感できるかもしれないが)その異物が放つあまりの酸性の強さにかえって口がすぼみ、出すに出せなかったのである。へべれけ上機嫌な私の母親が来てくれてからは、
「由里っ、飲み込んじゃいなさいっ!」
と、まさかの逆の手段を取れと言ってきた。早く楽になりたかった私はそれを信じ、
「むぐぐ……ごくんっ!」
と、それを嚥下させ、ようやく呼吸を取り戻した。その一部始終を目撃していた一匹の子狐は、その細めた両目の裏に女優としての片鱗を、早くもキラリと光らせていたのだった。
―――以上で、私の回想を終えるとする。
如何だったであろうか? これらの経験は恐らく、他の人には有りそうできっと無い、唯一無二の経験だと自負している。自負したところで、何も増えたり減ったりする訳でもないが。
「あのぉ……マキナちゃん、私に少しだけ、自己紹介の時間をくれませんか?」
瑞穂はマキナちゃんに、唐突なお願いを申し込む。
「いーよいーよぉ~っ! イっちゃいなYO!」
マキナちゃんは即行で、彼女の意思を実現させた。私の言い分は、無視された。
瑞穂は男達の喜声をその身に浴びながら、自己紹介を始める。
「ありがとうございます! ……では改めましてっ、新山瑞穂です!」
瑞穂はアイメイクをせずともその長く、綺麗に伸びたまつ毛をした瞳を輝かせる。
「実は私、中学一年まで子役をしていました。とはいっても、売れっ子という程には売れませんでしたけど……でもですね、実は私と笹神様には意外な共通点があるんですよぉ? ねっ、笹神様?」
瑞穂はクルッと私に振り向き、絶えなき笑顔で見つめてくる。
「ほっ、ほえ⁉」
何の準備もしていなかった私は、完璧に裏返った声を上げてしまった。
それを見て彼女は両目を一層細め、再び前を向いて、こう言った。
「実はですね、私は今ここにいる笹神様こと天崎由里先輩と、昔一緒の子役養成所に通っていたんですっ!」
『『ええええええええっ!』』
観客がどよめき出す。それを必死に収めるため、私は観客に向かい、
「ちょ、ちょいッ! 私はべつにドラマなんか出演してないし、養成所もすぐにやめちゃってるからっ!」
と、補足をした。が、瑞穂は私の下手な弁明に容赦なく、トラウマを引きずり出してくる。
「そうでしたよね~? 由里先輩ったらレッスンがあまりにハードすぎてぇ、しょっちゅう私に泣きついてましたもんねぇ~?」
「んなっ⁉」
(オ、オイ! 勝手に脚色すんじゃねえッ! そりゃあ、サ行とかタ行が上手く発音できなくて泣きじゃくってたことは事実だけどさ……)
瑞穂の波状攻撃に、すっかり私は顔に泥を塗られてしまった。その泥も、私の火照りに火照った顔面の熱さで水分が飛び、ひび割れすら起こしそうだ。
気付けば会場の生徒達が、
「ボサ子(私のあだ名である)って、昔は泣き虫だったのか……」
「天崎先輩にも、カワイイ時代がちゃんとあったんすね」
「ユリちゃん、ぐうカワなりぃぃぃぃぃ!」
口々に私のことをネタに会話をし始めた。いよいよ我慢の限界が来始めた私は、
「マキナちゃあ~ん、早く彦星様の発表をしてよぉ~!」
と、マキナちゃんの元へ泣きつくように走っていき、手に持ち続けていた短冊をバトンタッチの動作で彼女にポンッ、と手渡した。が、彼女の眉間には、しわが寄っていた。
「うーん、時間があればもーちょっとだけ、瑞穂ちゃんの話を聞きたいんだけどなぁ」
流石の私も、この時の彼女のマイペースぶりには腹が立った。
ここぞという時に限ってこの『似非ロリ女』は、空気を読まない困ったちゃんなのだ。
(会長ぉ、時間押せ押せですよ、押せ押せっ!)
「むぅ、分かったよぉ……それじゃ、瑞穂ちゃんのお相手を発表しますッ!」
気圧されたマキナちゃんは渋々ながらも私の熱意を認め、司会を続行した。
会場の観客が皆、空気を読んだかのように黙り込む。
「―――『岩瀬岳彦』君ですっ! さあ、ステージに上がっちゃって~っ!」
彼女が名前を読み上げると、ステージ裏から一人の黒縁メガネを掛けた、冴えない見た目の男子学生が現れる。彼の顔を目にした私とマキナちゃんは、同時に心中でリアクションする。
((お、お前かいっ!))
「いやぁ~参っちゃったなあ、はっはっは!」
手で頬をポリポリと掻き、照れる仕草を見せる後輩の岩瀬岳彦は、螢星祭実行委員の中でも一番目立たないほどに、キャラが平凡すぎる一年生である。
(ま、今回ばかりはお前に同情してやるよ、みぃーちゃん♪)
今日この瞬間、私は初めて瑞穂に勝ったと内心で歓喜し、彼女の目線が岩瀬に集中している内に目を細めて、背後でニマ~っとしてやった。一方の瑞穂は笑顔のままで、
「それじゃ岩瀬君、これからよろしくねっ!」
(おのれ由里、この私をハメよってぇ……)
私の笹神様としての仲介人の役割を無視し、彼への(上辺だけの)好意を、簡潔に示した。
「こっ、こちらこそよろしくお願いします!」
(これぞ有頂天の極み……ありがとう、笹神様!)
岩瀬はこれまた照れ臭そう(内心は舞い上がって)に、彼女の申し入れに応じた。
直後、会場から静かな拍手が送られた。
野郎共の目は無論、笑っていなかった。
(ふっ、哀れなウブ彦君。せいぜい末永く、瑞穂とのランデブーを楽しんでくれ)
私は岩瀬に、せめてもの祝辞の言葉を、心の中で掛けてやった。
それから抽選会は順調に進み、マキナ会長の所属する三年十組の番がやって来た。
が、結果は私の予想通り、短冊は会長の名前でびっしりと埋め尽くされていた。これではいちいち選んでいる意味がないので、私は適当にその中の一枚をひょい、と取り上げた。
「では、発表します……『星見屋麻季名』さんでーす!」
「わぁーい、笹神様に選ばれちゃったぁ! 笹神様だ~いすきっ!」
大した間を置かず、彼女の本名を読み上げた。彼女は嬉しそうに小さく飛び跳ねる。
(これも所詮、出来レースだよな)
会長は私の呟きに気付くことなく、渡された短冊に書かれた相手の名前に目を向けた。
「じゃ、ワタシの相手に相応しい幸運な男子は、っと……んぅ? 斑鳩ぉ?」
マキナちゃんは相手の正しい名前が読めず、困った顔をして首を傾げる。とそこへ、
「マキナちゃーんっ! それは俺のコトですか―――ッ⁉」
会場のどこからか張りのある、爽やかで甲高い男の声が聞こえる。すると、
「とおおおうっっっ! ―――シュタっ!」
群衆の中から一人、目にも止まらぬ速さで跳躍、マキナちゃんの前で華麗に着地する。
「あっ、あなたはッ?」
「俺は人呼んで〝恋の狩人〟―――そしてっ!」
背丈が一六〇程の、謎の金髪男子生徒はその細身を起こし、顔を上げる。
「今から貴女のプリンスとなる男、『斑鳩隼』とは、俺のコトですッ!」
斑鳩と名乗る男の顔立ちは端正で美形ではあったが、マキナちゃんに向けて微笑んだ際に見せつけた口の中の白い歯の一本には……青のりが張り付いていた。
(うわ~惜しい、惜しいよっ、あと一段で完成のトランプタワーくらい惜しいッ!)
(第一印象がダメな男に、モテ期は一生やってこない、っと)
私とマキナちゃんは、率直な感想を心で述べる。その間に斑鳩は彼女の元へと詰め寄る。
「さあ、笹神様! 今すぐ誓いの言葉を……」
―――その時一瞬だけ、斑鳩の周囲の空気が音を立てて振動したような気が、した。
「ゴメンナサイ、隼さんっ!」
直後、マキナちゃんは斑鳩へ向けて頭を下げた。
「へ?」
斑鳩は呆けた声を出し、豆鉄砲を食らった一羽の鳩のように、両目が点と化していた。
「ここにいる皆さんがご存じの通り、ワタシはこの螢星祭のアイドル……アイドルはいつ、如何なる時でも平等に崇拝されるべきであって、そこに色恋沙汰を織り交ぜる訳には参りません。どうか、今宵の祭事に限っては、ご容赦くださいませっ!」
(うわ、やっぱり会長ってすげ。説得力有りすぎだろ、そのロリ顔に反して!)
私は再び、会長の言語運用能力に驚かされていた。確かにこれだけ理屈の通るゴタクを並べられては、言われた相手も屈服せざるを得ないだろう。そして案の定、斑鳩は、
「そ、そこまで言われると俺の立つ瀬がぁ……ああ、恥ずかしいっ……とぉ―――うっ!」
己の分をわきまえたのか、登場時と同じ掛け声でその場から大跳躍し、
「いつかあなたの想い人となるまでぇ、修行して帰って参りま―――すッ!」
と言ってステージ裏へと姿を消したのだが、程なくして、
『んごぁ―――、んごぁ―――、んごぁ―――……』
という、彼の断末魔のような悲鳴が、舞台裏で木霊した。おそらく着地時に、舞台用の小道具と激突したのであろう。深追いは、すまい。
些かのハプニングもあって酣に近づく螢星祭のメインイベントであるが、三年十組の番が過ぎてからは平穏無事に進行、臨時で実行した教師たちの抽選会も、私のクラスの担任と瑞穂のクラスの女担任が共に新任だったことも手伝って、めでたく結ばれた。
そして今度はあのバカ―――黒野慶大が在籍する、二年七組の番がやって来た。
(……おっ、発見、発見♪ いつもバカで、伸ばした鼻の下が中々戻らないやつだけど、ここは女神に等しき高次の存在である笹神様の私に免じて、たまにはアイツにも花を持たせてやるかな、っと!)
「さぁ、笹神様が二年七組の笹から短冊を、一枚手に持ったぁ~ッ!」
司会のマキナちゃんが声高らかに実況する。
「では、発表します……」
(お願いします、笹神様。どうか、どうかこのわたしの名前を……呼んでっ!)
会場の人の波に漂う一人の少女が、両手を組んで笹神様に祈る。
「―――『望月リナ』さんです―――」
(えっ、ウソっ……わたし、えらばれちゃったっ)
その少女は必死に現実を受け入れようと、脳内で何度も自身の名を反芻する。
(モチヅキ、リナ……もちづき、りな―――望月、リナ!)
「はいっ、ハイッ! わたしっ! わたしですっ!」
私が会場に目を凝らすと、一人の小柄な女子生徒がその両腕をちぎれそうなほどに左右に振り回し、繰り返しジャンプをしてアピールしているのが見えた。私は彼女の姿を視認するや、
「カメラさん、あっちあっち! ……では望月さん、ステージの上まで来てくださいっ!」
カメラマンに指示を出しつつ、彼女をステージへと呼びつける。その呼び掛けに応じたリナという少女はとても愛嬌のあるフォームで走りながら、私の元までやって来た。
「あなたが、望月リナさんですね?」
私が彼女の本人確認をする。深い瑠璃色の瞳とふわふわした短いブロンドの、日本人離れした容姿だ。しかし目鼻立ちは高くなく、そこにささやかな日本人的要素を感じられる。
「はいっ」
リナは笹神様へ感謝のしるしとばかりに、天真爛漫、純真無垢な笑顔を見せてくれた。
(ぬおっ、やばい可愛すぎるっ、眩しすぎるうううっ!)
私は不覚にも彼女の、その紛うことなき純潔の微笑みに思い切り魅了されてしまった。
しかし私は腐っても笹神様。すぐさま冷静を装い、彼女に質問を続ける。
「ゴホンっ……ではリナさん。貴女の運命のお相手は、どういう方だと思われますか?」
リナは頬に人差し指を軽く触れながら虚空を仰ぎ、ほんの僅かの思考の末に答えた。
「えーっと……頭のてっぺんがツンツンしている人でぇ、いつもはお調子者だけどホントはとっても優しくて、困ったときは運動神経抜群の脚で助けに来てくれる人です!」
(へぇ……えええっ⁉ ちょ、ちょっと待ってくれ、この娘本気かっ⁉ どう考えてもこれって……あのバカしかいねぇじゃんかあっ‼)
私は今度こそ心の中の動揺を隠せず、瞳孔を全開にして何度も短冊とリナの間を往復するように、頭まで大きく動かしながらせっせと見比べる。
(これも……これも全て、予定調和だってのか?)
《 ―――――― そうだ ―――――― 》
それはまさに青天の霹靂の如く、私の脳の奥底から突然重く、伸びやかに響き渡った。
(え、何だ……今の?)
大人びた少年のような、しかし徹底して情を排したその、姿なき〝声〟。
「笹神様、何やってんのぉ! 早くこのマキナちゃんに短冊を渡しなさ~いッ!」
(……はっ、会長の声⁉)
「はっ、はいぃっ! ただ今ぁ~ッ!」
理解の追いつかぬまま、私はマキナちゃんの命令に慌てて応じ、足早に彼女に短冊を渡す。
そして元の立ち位置に戻るまでの間、私は先の声について、再び思索を巡らせた。
(何だったんだ、さっきの声……どっかで聞いたことあるような気もする、がッ⁉)
が、近くにいたリナが不思議そうに私の顔を覗きこんで来たので、私は今の役目を忘れてはならぬとすぐさま自戒、彼女に不器用な笑顔を見せ、会場全体に視線を移した。
「では、リナちゃんのお相手を発表しますっ―――」
マキナちゃんが声を張り上げ宣言する。それを聞き、リナも表情を引き締める。
「……くろ―――」
《 ちょーっと待ったぁ―――ッ! 》
『「⁉」』
会場、それからステージ全体が、その怒声に圧し潰された。直後、
「ほあああ――――――っ!」
観客席中央で、先程の謎の男子生徒とは比べ物にならない程の風圧を発生させながら、黒く大きな物体が空中で高速回転しているのが見えた。物体の発射地点にいた数十人の生徒がマンガのように吹き飛ばされ、ステージ上の私達はその突風にさらわれまいと、しっかりその場で踏み止まった。そして、突風が止んだかと思うと今度はその巨大な物体が次第に回転速度を緩め、ステージの上にほとんど風を起こさず、静かに着弾した。
私はその物体の正体を知っていた。忘れていた人は、この直後の台詞で思い出してほしい。
「黒野君はぁ! アタイのものよぉ―――ッ!」
思い出してくれたであろうか。そう、自称『黒野のカノジョ』の―――
「サチヨぉ⁉」
である。ちなみに彼女の名前を口にしたのは、笹神様の私である。
(ナンデ……何でアイツが出てくるんだよッ⁉)
この台詞を呟いたのは無論、サチヨの「想い人」である黒野慶大である。茫然と観客席の中で立ち尽くす黒野の表情を見て、クラスの同級生が彼の背中を押す。
「ヘイヘイヘーイ、イッちまいなよ黒野くーん! 愛しのハニーが呼んでるぜ~?」
「まったく羨ましいぜ、お前みたいな奴にもあんな〝カワイイ〟彼女がいるなんてよぉ!」
黒野はさすがに頭に血がのぼったらしく、同級生の男子生徒達に向かい、
「うるせ―――ッ! テメーら半殺しにされてぇかぁ~~~ッ!」
と、その場で大乱闘を始めたようだった。
周辺の観客にもそれが伝染し、会場はすったもんだの大騒動となった。
一方のステージ上でも、一匹の女怪獣が、暴虐の限りを尽くす。
「ユぅ~リぃ~、なんでアタイの短冊を選ばなかったのよぉ~!」
「え、えと、そのぉ(流石にお前が織姫様ってのはちょっとぉ……)」
私には自分の選択した結果の責任を追及し、
「アンタにねぇ、黒野君の何が分かるって言うのよぉ! 今すぐ引っ込んでなさいッ!」
「ひうっ(この人、女? というよりそもそも……人間?)」
リナには容赦ない罵詈雑言を並べて脅し、罪なき彼女を涙目にさせ、
「それからアンタもっ! 実行委員長なら何でも思い通りにできるんじゃないのぉ⁉」
「……あん?(何このゲテモノ? 空気読みなさいよ、空気を)」
と、(何故か強気な)マキナちゃんまでとばっちりを受ける始末。さらにサチヨは、これだけでは飽き足らずと言わんばかりに、その巨躯を笹の群れの方へと揺らし、
「こーなったら、みーんなまとめてこーしてやるぅ~~~っ!」
スクリーン前で祭の進行を見つめ続けていた二十九本の笹竹全てをまとめて片手で薙ぎ払い、ばたばたと倒していった。さらにサチヨはそれらを、ステージの床がぶち抜けそうなくらい、大きな音を立てて踏みつけていった。
(か、完全にムリゲーだろ、こんなの……どうすりゃいいんだよ)
私も、怯えて私の左腕にしがみつくリナも只々目の前の、金剛力士の真赤な怒り顔も青ざめてしまいそうな悪鬼の大暴れに圧倒されるしかなかった。
が、しかし! この阿鼻叫喚とした空間の中でもただ一人、我を失わずにいた人物がいた。
「誰かぁ! この不届き者をつまみ出してくださ―――いっ!」
マキナ会長であった。そしてその直後、彼女の要請に応じたかの如く、
『『ウオオオ――――――ッ』』
観客席の中央と前後左右から迫力満点の雄叫びを上げ、五人の屈強な男子生徒達が、ぞろぞろとステージ上に登場したのだ。彼らは生ける災厄と化したサチヨの鈍重な、鉄骨に等しいその両手両足を寄って集って押さえつけ、彼女の動きを完全に封じ込めた。
その状態から、能面の如く無機質な表情を変えぬまま、
「何よアンタたちっ! 放しなさ……うきゃあッ!」
抵抗するサチヨをいとも容易くひょいと持ち上げ、そして―――
「いぎゃああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
ぶん投げた。登場時と再び、どでかい人間砲弾となった彼女は、地球の重力が織りなす美しい放物線に沿って、天の川浮かぶ幻想の夜の彼方へと、旅立っていった。
任務を終えた五人の巨漢たちは用を終えるなり、早々と観客席へ撤収していった。
来年の七夕の夜にはこのような悪夢が決して繰り返されぬよう、私は笹神様として、天の川の星の一つとなったサチヨの最期と共に、真心を込めて願うのであった。
「怖かったよぉ、笹神様ぁ!」
「よしよし、もう怖くなんかありませんよ~?」
リナは妹のように私の胸で泣き、私は姉のように泣きじゃくる彼女のために、胸を貸す。
それにしても、先程の男達はどうしてあんなにもタイミング良く登場してきたのか。
《 ―――――― あれこそが、『スパイラ』だ ―――――― 》
(……っな⁉ また「お前」かっ! 「お前」は一体、何なんだよっ‼)
またしてもあの、いやに余韻の響く〝声〟。
それにしても、〝声〟が唐突に発した『スパイラ』とは、何だ?
今すぐにでも答えが欲しいところだが、今の私は『笹神様』という仕事の真っ最中である。
泣き止んだリナをそっと身体から離し、すぐさま会場に向かって叫ぶ。
「皆さん落ち着いてください! 静かにっ、静かにしてくださーい!」
マイクを介した大音量の呼び掛けに、会場は一斉に急速冷凍された。
「皆さん、螢星祭はまだ終わってません! 二次会は、お家でやってくださいっ!」
二言目で観客達の視線は、山中で完全凍結した遭難者の如く、私の顔に注がれていた。
「はいはいみなさ~ん! あと二組、『運命の二人』が笹神様のお導きを心待ちにしているんですよぉ? 最後まで私達に付き合ってくださいっ、ヨロシクお願いしますっ!」
マキナちゃんが私の後に続いて観客達に頭を下げると、彼らは再び活気を取り戻し、何事も無かったかのように、騒動前の和気藹々とした雰囲気に回復していった。
私は、近い内に三度あの〝声〟が来るのでは、と警戒していたが、結局何分経っても訪れなかった。やはりただの偶然、些細な幻聴に過ぎなかったのだろうか。
すっかり落ち着きを取り戻した螢星祭の会場で二年七組の抽選会の続きは無事行われ、マキナちゃん直々に呼ばれた黒野と、すでに壇上にいたリナの告白タイムが始まった。
サチヨに乱暴された笹竹たちは、完全にとはいかないまでも、実行委員面々によって修復され、元通りとなった。彼らは口より手を動かす方が得意なのだろう。
(この人が黒野君―――この人こそが、わたしの求めていた運命の人だ)
(うわ、間近で見るとすっげー可愛い……何か、体ン中から色んな液体が出てきそうだぁっ)
俯き顔のまま、硬直する二人。
特に黒野は、顔以外にも背中が小刻みにぷるぷると震えているのが確認できる。
このままでは埒が明かないと思った次の瞬間、リナが動いた。
「く……黒野君」
「はっ……はひっ」
黒野の垂れ下がった頭部全体がジャックナイフの如く、素早く立ち上がる。
「わたしの……大切な人になってくださいっ!」
「ぜぜぜっ……是非ともっ、お〝な〟がいしますッッッ!」
『『 Fooooooooooooooo! 』』
(あ~あ、クライマックスで噛んでどうすんだよぉ……ま、結果オーライか)
「お二人ともおめでとう! 笹神様と三笠山のご加護が、どうかあらんことを!」
(ふぅ、これで二十六回目か。次の次でようやっと、感動のラストだな)
〝二十六回目〟とは、私が口にしてきた「祝福の言葉」のカウント数である。
なぜ予定より三回分少ないのかは、察してほしいところである。
そして、いよいよラスト―――私の在籍するクラス、二年九組の抽選会である。
(あっ、そういえばまだ笹が来てな……)
「おっ待たせ―――っ! 持ってきたよぉ―――っ!」
(おっ、丁度いい所に来たな……って、お前らナニやってんだよっ!)
クラスの出し物が終わってから長らく顔を合わせていなかったその二人組は、やってきた。別に実行委員でもないのに、なぜか『彼女ら』はやってきた。
「悠亜! それにジュン! どうしてあなた達が⁉」
私は笹神様なので、こういう口調で二人と喋らざるを得ないことは愚問である。
「いやぁ、ね……実行委員の人が笹を運んでいる途中で貧血で倒れてたモンだからさ……」
「アタシ達が代わりに、ね?」
二人は私にそう言って、理由を打ち明けてきた―――やたらと胡散臭かったが。
「まぁ、それはそれは……誠に感謝いたします!」
私は彼女らに優しく微笑み、礼を言う。それに対して二人は、
「「いやいやいやいやいやっ」」
と、やけに恭しく腰を低めに、揃って同時に手首から先をふいふいと振ってきた。
「では後はよろしく頼みますね、笹神様っ!」
「アタシからもお願いしますっ、笹神様っ!」
二人はそのままステージの階段を駆け下り、観客席へと消えていった。。
私は二人の怪しげな行動に心がモヤモヤとしたまま、司会を続けることになった。
そしてそのモヤモヤは、私が二年九組の笹を見るやヒヤヒヤに変わり、会場にはそれがガヤガヤとなって伝わり、密かに会場の最前列に移動して私の戦慄する姿を見ていた二人の表情は、ニヤニヤとしていた。
(あんの小娘どもぉ……何てことをっ)
私は今宵、幾度驚かされれば気が済むのだろうか。七夕の夜とは、こんなにも怪異的現象が立て続けに生まれ出でては我々の心を激しく揺さぶり、カゲロウの如く我々の知らぬ間にその儚き命の灯火を吹き消していくものなのか。
と、分かりづらい表現を並べていてはあまり臨場感が伝わらないだろうから、次の私の一挙一動で現況を示そう。
「いっ、一体これはどぉーういうことでしょう! 二年九組全ての男子達の標的はこの私、笹神様しかいないよぉ~ですっ!」
悠亜とジュンの思惑を掻っ捌いて、私は公然と事実を口にしてやったのである。
「きゃあっ、笹神様モテ過ぎぃ! このマキナちゃん、ヤキモキしてもいいですかぁ⁉」
『『いいですともおおおぉぉぉぉ』』
マキナちゃんも私の発言を耳にして悪ノリし出し、観客も合いの手で応える。
「ちょっと、ナニコレっ! ユリがパニクるのを期待してたのにぃ~」
「くっ、やはり由里相手では一筋縄ではいかなかったか……ああっ、無念なり」
悠亜は私の正反対の行動に納得が行かずむくれ上がり、ジュンはその場で首をガクッと落とし、髷を斬り落された落ち武者の如く、その長いポニーテールをゆらりと揺らした。
「ではマキナちゃんっ! 笹神様と織姫様という二足の草鞋を履くこの私に相応しき、彦星様の名を読み上げちゃって下さいっ!」
私は今のテンションを維持したまま、マキナちゃんへ一枚の短冊を手渡す。
「ハイサ、リョーカイ合点承知の助っ! ……それじゃー発表しちゃいますっ!」
彼女は敬礼と同時に、不等号の先端を向かい合わせたような両目で返事をしてきた。
(自分としては少々イケてる名前を選んだつもりだけど……果たして鬼が出るか蛇が出るか、仏が出るか……もしかしたら宇宙人が出る、か?)
これでも内心ではドキドキしていた。運を天に任せるとは、まさしくこのことだ。
そして、マキナちゃんがこれで最後とばかりに、精一杯〝彼〟の名を叫ぶ。
「―――『フィルモワ・レゲール』君でぇすっ!」
『『……??????』』
その瞬間、会場にいた生徒達の誰もが一斉に、クエスチョンマークを頭上に生やした。
「……誰? 外人さん?」
「芸名にしちゃあ、チョッチ行き過ぎじゃね?」
「ウチの高校って、ずいぶんと国際派だったんだなぁ」
そしてこの二人も、マキナちゃんからの発表を聞いて、新たな反応を見せ始める。
「ちょ、ちょっとジュン! ユリったらとんでもない物を選びよったよォ!」
「ああ。どうやら形勢逆転のようだなぁ……何故ならッ!」
そして、二人は口を揃えて言い放つ。
「「〝フィルモワ・レゲール〟なんて人間はっ! この世に存在しないっ!」」
つまり、フィルモワ・レゲールという人物は、彼女らが作り出した架空の人物なのだ。
「ニュッフッフ! これはこれでまた、面白くなりそうですなぁ……ジュンちゃん?」
「ンッフッフ……勝負は最後までどちらに転ぶか分からないってやつだなぁ、悠亜?」
二人は今度こそ一泡吹かせてやったとばかりに、私の死角でせせら笑う。だが、またしても彼女らの思惑は、砂漠のオアシスが蜃気楼だったかのように、儚く散っていく。
《 待ってくださいっ‼ 》
何処からともなく発せられた一人の若き男の声が、会場全体に轟いた。
数秒後、マキナちゃんの司会席のちょうど後ろ、仕切りとなっていた壁を軽々飛び越えて壇上に着地したのは、奇しくも私が廊下で出逢ってしまった、あの少年だった。
まさかのご本人(?)登場とあって、会場は奇声にも似た歓声を上げる―――特に女子が。
「お、お前は……あの時のッ!」
会場の真っ黄色の声に迎えられたその少年は私よりも僅かに背丈が高く、本校の夏服の上に薄い前開きの藍色ベストを着用した、文句なしの美丈夫だった。
髪色はオオカミの如く灰色にくすんでおり、それとは対照的に瞳は鮮やかな紅色に輝いていて、「孤高の一匹狼」という名が相応しい容姿をしていた。
「ななっ、な~んとっ! 最後の最後で超ド級の大物が登場いたしました~~~ァ!」
マキナちゃんが彼の登場を大いに盛り上げる。そして彼女はすかさず、
「アナタが……フィルモワ・レゲール君でいいんですね?」
彼が本物かどうかを確認する。物的証拠は皆無だが、会場の熱狂ぶりから明らかに、誰もが彼を『フィルモワ・レゲール』と認めるであろう。彼も場の流れに沿うように、
「Oui, mademoiselle. 皆さん、僕がフィルモワ・レゲールです」
フランス語をさりげなく交えながら、執事の如く右腕を直角に曲げ、体の前に持っていきながら軽く一礼した。女子生徒達は次々とノックアウトされ、観客席で幾つもの群れと化していた女子の集団たちが、ドミノ倒しのように、ばたばたと倒れていった。
そして気絶した彼女らを担ぎ込むために大量の男子生徒が緊急要員として駆り出され、会場は瞬く間に虫食い穴だらけの、まばらな模様を描くこととなった。
それでも螢星祭のイベントにはさしたる影響はないと教師達から判断され、祭りはそのまま続行された。一方、あの『永遠なる悪友』二人はというと、
「ああっ、わたしもうダメぇ。これ以上ついてけない…………キュ~~~ゥ」
「お、おい悠亜! ……今回はアタシたちの負けだよ、由里。おめでとさんっ!」
悠亜はいざ知らず、ジュンは潔く負けを認め、倒れ込んだ彼女を立たせて担ぎ上げ、その場を後にした。一方の舞台上では折しも、最後の告白が始まろうとしていた。
「では、レゲール君っ! 笹神様へのラブコール、いっちゃってイッチャッテぇ~っ!」
「はい……アマサキ、ユリさん」
「は、はいっ」
(うえぇ、やっぱこう、真面目になられるとキンチョーするモンだなあ……顔、熱いし)
レゲールは、私と真正面に向き直って名前を呼んできた。私も、たどたどしく返事をする。
「是非僕の、フィアンセになってください」
レゲールは顔色を変えず、しかし温かさの籠った声で私にプロポーズしてきた。
「////////////」
(ダメだ、こりゃ……会長ン時よりもキンチョー感が、ダンチだっ)
私の視界は時が過ぎるにつれ二重にぼやけ、両目がグルグルと渦を巻いているようだった。
「? ……ユリさん、大丈夫ですか?」
レゲールが私の顔色を窺うように、少しばかりの前傾姿勢と前に出た両腕で意思を伝える。
先より大分その数を減らした観客達にも、最高潮の緊張が駆け巡る。
「だ、だだ、だだだっ、大丈夫ですっ! こっ、こちらこそ、よよっ……よろ、しく……お、おおお、お願いっ、します!」
返事の勢いに任せ、私はついに言い切った。
おそらくこの瞬間は、日本史には決して載ることのないどうしようもなく些末な出来事だろうが、自分史には、人生で最も心の臓が飛び出るかと思った瞬間第一位に輝くことだろう。
ちなみに第二位は、笹神様が降臨した〝あの瞬間〟である。
『パチパチパチパチパチパチパチ』
会場全体から惜しみない拍手が送られた。自分で企画したイベントとはいえ、まさか私自身がこの七夕の夜のヒロインになってしまうとは、露ほどにも思っていなかった。そういえばこの後には螢星祭のフィナーレを飾る三尺三寸の、特大の花火が打ち上がるのだった。
そして予定通り、花火は――――――打ち上がらなかった。
「うわっ⁉」
私の両目は、三笠山の山頂から降誕した紅き閃光と、東京湾の方角から爆誕した蒼き閃光によって、徐々に閉ざされた。私の視界が『双子の閃光』によって完全に失われるまでのおよそ一分半、私は目の前で次々と起きた「見えざる惨劇」のその一部始終を、目撃した。
「あ、あれは……人の腕⁉」
少なくとも、私にはそう見えた。紅き光出でし三笠山からは柳の枝の如き、細くしなやかな女性型の赤い左腕が、蒼き光出でし東京湾の沖合からは柏の幹の如き、太くたくましい男性型の青い右腕がそれぞれ、三笠山高校の上空へと顕現したのだ。
二本の腕は、占い師が水晶の前で左右の手を鏡合わせに構えるかの如く上空で静止し、両手の間には水晶の代わりに紫色に輝く、巨大な光の球体が現れた。
ここまでならば生徒達も、三笠山高校が密かに祭りの最後までとっておいた、盛大にして壮大なイルミネーション・ショーだと思い込んだだろう。
だが、その後こそが決定的に違った。紫色の球体は突如、その深みを増しながらさらに激しく輝き出し、会場の生徒・教師の面々に〝華やかなる殺人花火〟として、牙を剥いた。
その殺傷速度、範囲、精密性のどれもが最高水準の、圧倒的、人体破壊兵器。
薄れゆく視界の中、とある生徒二人組の会話を、私ははからずも耳にしてしまった。
「うわぁ、きれ~だねぇ」
「でも、何だかあれを見てるとさぁ、目が、何か……熱くなってこない?」
「あーほんとだー。それに……なんだか……カラダガ、クロクテ、ガサガサ、シテ、ヒカラビテ、キ――――――」
叫びたかった。
とにかく大きな声で叫んで、この悪夢から覚めたかった。
つい数十秒前までイルミネーション・ショーを見ていた学生と教師達の肉体は、様変わりしきっていた。目は、球体から発せられた高熱により瞬く間に眼球のタンパク質が焼け焦がれ、文字通りの目玉焼きに。さらに手、足、顔を始めとした表皮がみるみる褐色に変わり、皮脂や水分も奪い去られ、健康的だった高校生達の肌は、まるで玉手箱の煙を吸い込んで瞬く間に年を取った、死に際の老人のように変貌していった。
さらに紫の閃光は彼らを照り焼き、ついに彼らから完全に水分を奪い、干からびたミイラへと生まれ変わらせた。その時の会場はまさしく、包帯を解かれたミイラがそこかしこに投げ捨てられているかの如き「見えざる惨劇」の現場そのものと化していたのである。それから視界が閃光で埋め尽くされるまであと十秒というところで、私はステージの方へと目をやった。
「かっ、会長がいない⁉ ……それにお前、どうして平気でいられンだ、よっ!」
そこにマキナ会長の姿は無く、レゲールは私の方を向いて立ち尽くしていた。
なぜか彼は閃光の影響を全く受けておらず、無傷だった。彼は確かに私の方を見ていたが、彼の長い前髪が邪魔をして、その両の瞳を覗き込むことは叶わなかった。
それでも、視界が完全に光で塗り潰される一秒前、私はしかと目に焼き付けた。
彼が両手を握りしめながら肩を震わせ、歯を食いしばり、極度の苦悶の中、誰の耳にも届かぬ声なき声で―――ゴメンナサイ―――と唇を動かしていた、その瞬間を。
(―――――――――ん、う~ん、よく寝たなぁ……ん⁉)
「あっ、お兄ちゃんが起きたぁ! ……いっしっしッ」
「も~、何でまた寝ちゃうのぉ? ……みっしっしッ」
再び俺がとある民家のベッドの上で目を覚ますと、傍にはあの双子が。
そして身体の上には何やらボウリング玉大の、ねずみ色の球状の物体が、乗っかっていた。
「なっ、ナンじゃこりゃあ~ッ⁉」
遠慮のない派手なリアクションに、双子が笑顔で楽しそうに答える。
「それはね~お兄ちゃん……ボクたちの、兄弟だよっ!」
「きょ、キョーダイっ⁉」
自分の両目が、目の前の球体と同じくらいに丸くなった気がした。
「そーだよ、おっきなお兄ちゃんっ! あたしたちの兄弟がもーすぐ生まれるのっ!」
「も、もうすぐって……えええっ⁉ じゃあこれは……タマゴぉ⁉」
もう一方の片割れが前のめりになりながら、俺に大胆な事実を打ち明ける。とそこに、
「こらっ、あんたたち! お客様に迷惑かけるんじゃありません!」
やや離れたとことから、母親と思しき女性の声が双子に降りかかる。俺はその女性の姿を一目見てみたかったが、今は目の前の〝卵〟に完璧に意識が集中していた。
「「はぁーい」」
双子はそれを聞いて頭だけを女性の方へ向けながら、上っ面の返事をする。
その二、三秒後に俺の腹部の上で球体が突如、激しくうごめきだした。
「うわぁ、みてみて、ラニ! もうすぐ生まれそうだよっ!」
「ほんとだね、エル! 面白いからこのまま見てようよっ!」
しきりに卵を見つめていた四つの瞳が、ますますその輝きを増していく。
「ひっ、ひぃぃぃっ」
(まっ、まさかとは思うが、この〝卵〝から〝ヒト〟が……?)
余りにも常識外れなヒト誕生の瞬間を、俺はベッドの上で仰向けになったまま双子と共有していた。次第に卵の動きはその激しさを増し、ついにてっぺんに小さな穴が開いた。
その小孔からはなんと、白い湯気のようなものが圧力鍋の蒸気の如く噴出し、次第に卵殻が溶け出していったのだ。俺は思わず、
「おわあああああっ!」
その溶解中の卵を、自分が驚いた際にベッドから飛び上がったせいでほぼ垂直に、一メートルほど宙に打ち上げてしまった。だが双子は意外にも冷静に、宙を舞う卵を見つめ、
「「たあっ!」」
と、素晴らしきチームワークで見事に、四つの手でガッチリと捕捉したのだ。
「もぉっ、危なかったよ、おっきなお兄ちゃん!」
「何してくれんのさぁ、お兄ちゃん! 割れたらもともこも無いんだよ!」
双子は、取り返しが付かなかったかもしれない失態を犯した俺を、責め立てる。
「わ、悪かったよ、二人とも! ……ほら、早くそれをどっか平らなトコに置きなって」
俺は両手を自分の前にかざして、双子に許しを請うた。
「「わかってるっ!」」
双子はムスッとした声と表情で、非難がましく言い返してきた。
彼らは殻の表面積がじんわり小さくなっていく卵を、中央が浅く窪んだ、直径六〇センチほどの水盤のような白い容器の上まで持っていき、そろっと上手に乗せる。
そこへ騒ぎを聞きつけた母親が、驚くほどゆったりとした歩調で、自分に近づいてきた。
腰まで伸びた薄紫の長髪、トップモデル顔負けのすらりと伸びた、眩惑の脚線美。
「……⁉ あ、アンタはっ!」
その母親の全貌を見て、驚愕した。OLのような格好をした全身青ずくめのその女性は、
「うふふっ、お久しぶりね、アイト君」
「な、ななっ、ナウラ……さん?」
そう、ポス・ベリタス魔粒子研究所でイムレフ所長をやり込めた、『ナウラ』だった。
俺の返事を聞いた彼女は、優雅に微笑む。
「ええ、そうよ。『ナウラ』で合ってるわ。貴方の事は私の助手から聞―――あら、どうやらもうすぐ、あの子が生まれてくるみたいね」
ナウラは卵の中の赤ん坊の元気な産声を聞き、途中で自分との会話を打ち切った。彼女はほとんど溶けきっている卵の方に目をやったので、俺もその後に従うこととした。
見ると卵は殻の三分の二が既になくなっており、中から赤子の姿がはっきりと見えた。性器から判断するに、女児のようであった。地球人でいうヘソにあたる部分には、臍帯と思しき管が殻の内側の卵膜と繋がっており、卵殻はその管に取り込まれるように次第に縮んでいった。
そしてへその緒のような管さえも、卵殻を全て取り込むと短くなっていき、最終的には嬰児の臍へと吸収されていった。こうして目の前には、母と子を繋いでいたへその緒を綺麗に切り取った状態と遜色ない、一人の乳児が誕生していたのだ。
「わぁ~、生まれたっ! 生まれたよぉ、エル!」
「やったね、ラニ! ボクたちの妹だあっ!」
双子は自分たちの妹を前にして、体をいっぱいに使って大喜びしていた。
「こっ、こいつはたまげたなぁ……」
眼前で繰り広げられた奇跡とも呼べる光景を目撃した俺に、ナウラは微笑ながらに言う。
「そんなに珍しいかしら? この惑星では至極当たり前のことよ?」
ナウラの余裕綽々の態度を見て、俺は彼女に厚かましく説明を始める。
「俺達地球の人間とは似ても似つかないですって! 地球人なら卵から生まれるなんて、まず有り得ない! 我々地球人の場合はですね―――かくかくしかじか」
「……へぇ、そうなの? 色々と面倒な出産形態を取ってるのねぇ、地球人って」
ナウラは俺の懸命な説明の一字一句を丁寧に聞き取り、しっかりと感想も返してくれた。
少しばかり調子が出て来た俺は口の端を曲げながら、
「確かに面倒かもしれませんね。まぁ、もっとも俺は生物学上オスなので、女性の身体のことや出産については……性転換でもしない限りは、分からないでしょうけどね」
と、極端な例えを交えて話を振ってみる。
「ふふふっ、貴方って面白い子ね。正に研究者の卵、って感じ」
「俺もいつしか立派な研究者になって、あの子のように殻を思い切り破って見せますよ!」
どうやら異星人相手でも、使用言語が同じならば冗談は通じるようだ。
それとほぼ同時刻、赤ん坊が大声で泣き始める。
「それは頼もしいわねぇ……っと、こうしてはいられないわ! 早く、この子に授乳をしてあげないと」
「授乳……ってちょちょちょっ、ちょっと待ってください! 今この場でですかっ⁉」
彼女の突飛すぎる行動に付いていけず、俺は途端に取り乱す。
「あら、何をそんなに慌ててるの? 別に変なコトを始めるワケじゃないのよ?」
「いやそれは分かってるんですけど、ほらっ、さすがに女性の素肌を見る訳には……」
いくら人妻(?)とはいえ、他人の裸を見ることは、俺の中の紳士が許さなかった。勿論嫌いという訳ではないが、やはりきっちりとした手続きを完了させないままでは、喉に突き刺さった魚の小骨の如く、どうにもこうにも相手側の条件を飲み込むことが出来ない性分である。
「なんだぁ、アイト君って思ったよりウブなのね。私の胸を見て恥じらうようじゃ、第七研究所にごまんといる若い女の子達のを前にしたら、骨抜きにされること請け合いね」
ナウラは俺のあからさまな反応を見て、楽しそうにからかってくる。
第七研究所の所長がアレだからなのか、もしそれが本当ならば、彼女らの貞操が危ういのでは、とひどくお節介な心配を掛けてやりたいと思った。
「おちょくらないでくださいよぉ! ……そっ、そういやナウラさんもまだまだ俺から聞き出したいこと、たっくさん在るんじゃないですか?」
閑話休題を目的として、俺は話題を急変させる。
彼女はそれを聞き、生まれし赤子を抱き抱えながらワイシャツとブラを外し、白玉の如き素肌を惜しげもなく晒して授乳の準備を始め、同時に自分に返答してきた。
「ええ、そうね。それに、貴方も私から聞きたいことが色々あるんじゃない? この子に授乳しながらであれば、聞いてあげても構わないわよ?」
「わ、分かりました。どうぞ始めてください、俺への質問と……じゅっ、授乳も」
さすがの俺も覚悟を決めた―――たまには自分自身を欺いてもよかろう、と。
「エルっ、ラニっ、あんたたちは外で遊んでなさい! お兄ちゃんと大事な話をするから!」
「「はぁーいっ!」」
双子は元気盛り沢山に返事をし、家の外へと飛び出していった。
ナウラは早速俺の素性を簡潔に、手際よく聞いてきた。俺もテンポよく切り返す彼女に合わせようとあまり私的な事は交えずに、自分の前で堂々と授乳を続ける彼女に答えていった。
「ふんふん……成る程ねぇ。つまり、アイト君はいきなりポス・ベリタスの荒野のど真ん中にほっ放り出されて誰かしらのメッセージに導かれ、ビガロへと辿り着いたわけねぇ。ん~と、こういう場合はなんて慰めればいいんだっけ……あっ、ご愁傷様?」
ナウラはこの俺を気遣ったつもりらしいが、自分としてはもはや愚問だった。
「別にそんな言葉を掛けてもらうほど、落ち込んじゃいませんって」
それにしても、さっきからあの子は随分と幸せそうに母親の乳を吸っているではないか。
あまりじろじろと見ては色々と勘違いされそうなので、ちらちら程度にしか見ていなかったが、彼女は三〇代前半とは思えない程の張りと、形の整った若々しいバストを保っていた。
美容整形でもしているのか、と脳内に一瞬だけ禁忌の質問が浮かんだが、それは忽ち雲散霧消していった。
「あらそう? ……で、それからアイト君は研究所内で例の二人に連れられて、彼らの研究室をお邪魔した、という訳ね? で、偶然『マスティカ』に飲み込まれた、と」
ナウラはしきりに子へと目を遣りながら、俺の質問の答えを素早く整理し、暗唱する。
「はい、その通りです。それで、ここからが最も重要なのですが―――」
「貴方がマスティカに飲み込まれた後、一体どこに放り出されたか、でしょ?」
彼女が話の流れを読んで、即座に解答してくる。
「は、はい……理解がお早いようで何よりです」
自分も彼女の洞察力に感心しながら、必要以上に身構える。
「……ふふ、私ん家の真ん前よっ」
「はいいいっ⁉」
一般的な食卓用テーブルを挟んでナウラと会話をしていた俺は思わず両手をテーブルに突き、彼女に向かって体を近づけていた。が、それにより彼女の乳房と赤子に急接近してしまい、構図的に非常にマズかったので、即座に冷静になって身体を戻し、深呼吸をひとつ。
「失礼っ、取り乱しました……それで、どうして俺がそうなったのか、解明できますか?」
「そうねぇ―――」
ナウラは右腕だけで子を抱え、左手を頬に軽く当てて考え込む。が、
「……全然、さっぱりね。ごめんなさい」
左掌を天井に向け、お手上げのポーズをとって、あっさりと降参の意を示した。
「ですよね……こっちこそ、無茶言ってすいません」
「あ。でもね、結果から考えてもさっぱりな時は……逆に考えてみたらどうかしら?」
「……逆に? 一体それは、どういうことですか?」
彼女が持ち出してきた全く予測不可能なアイデアに、俺は遠慮なくその実を問い質す。
「つまり、たった一つの結果から途方もなく枝分かれた過去に右往左往するより、いっそのこと過去から掘り起こして、原因から結果までの一本道を繋いじゃうのよ……分かる?」
「なるほど、〝木に縁りて魚を求む〟ってことですかね」
彼女の言わんとしたことが理解できた自分は、その解決策の趣旨を換言して返答したが、
「ですがナウラさん、物理的に直接過去に戻れる方法なんて、あるんですか?」
すぐさま彼女の提案の問題点を指摘し、反論した。すると彼女は子供を乳房から離し、
「そこがミ・ソなのよ、アイト君♪」
はだけさせていたフロントホックの白いブラジャーと青いワイシャツを順に着直していき、先のセリフを口にしながら魔粒子研究所で俺に見せたあのウインクを、再び放ってきた。
年上はタイプではない俺の心には、やはり何の変化ももたらさなかったが。
「は、はぁ……と、いいますと?」
ナウラにその言葉の意味するところを聞くと突然、玄関の両開きの扉が勢いよく開き、
「それなら、ボクたちにおまかせさっ!」
「あたしたちの『スパイラ』で、何もかもカイケツだよぉ!」
外に遊びに行っていたはずのあの双子―――エルとラニ―――が帰ってきた。
「まさか証拠になるモノって…………あの子たち、ですか?」
「ええ。そのまさか、よ」
「―――へぇ~、つまりエルとラニはまだ九才なのに、もう『スパイラ』が使えるのかぁ」
俺は、ナウラから聞かされた双子の秘密を知った。
彼らは遺伝子の突然変異で、通常より遥かに早く『スパイラ』が発現した双子だったのだ。
「そのとーりだよ、お兄ちゃん! ボクたちは『スピリスト』なんだよっ!」
「おっきなお兄ちゃんも、ママのお手伝いをいーっぱいすれば 『スピリスト』かもよっ!」
双子が、快活さを示す様々な手足の動き―――ダンスにも見える―――を見せてくる。
「いや、俺は地球人だし、お前たちみたいにベリタス人の血は入ってないし……」
「……なら、試してみる?」
ナウラが懐から取り出した十センチ程の注射器を見て、戦慄した。
その注射器の中には黄緑色の液体がゴボリ、という気泡と共に発光していたのだ。
「けけけっ、ケッコーですっ。てか、まさかアンタの双子もそれでっ……⁉」
「もう、アイト君ったら真に受けすぎよ。そんなワケないでしょう? これは『ハカセ薬』っていう、一種の液体薬物よ」
随分とノリが良くなってきた彼女に対して、俺はますます気が滅入ってきた。
「ハカセ……飲んだりしたら、天才になれる薬なんですか?」
「違うわよぉ。〝博士〟じゃなくて、〝吐かせ〟って方の意味よ、アイト君」
それを聞き、俺は思わず汚い「吐かせ」の方の意味を取ってしまい、
「ってことは、異物を飲み込んだ時にそれを取り込めば―――」
(ビュオンッ!)
「のごわっ⁉」
突然、角材の先端にでも突かれたかのように、鳩尾付近に集中した突風が巻き起こった。
それを受け、俺は的屋の景品の如く、椅子ごとコテン、と後方に倒される。
「アイトくぅーん、私達はコメディをやってるんじゃないのよぉ?」
彼女はテーブルの下から左人差し指を密かに自分に向け、射的の要領で撃ってきたのだ。
「ふげっ……すみませんっ」
俺は後ろに倒れ込んだまま、自分の失言を戒めるように彼女に謝った。
「あはははっ、おっきなお兄ちゃんがママにうたれたぁ!」
「ママおとくいの〝風のピストル〟だよ、お兄ちゃんっ!」
ラニが無邪気に笑い、エルが笑顔で解説をしてきた。
「これは尋問用の薬。口の堅い容疑者をあっという間に自白させるから『吐かせ』薬、よ」
ナウラが双子に続き、例の薬の使用方法を解説してきた。
俺はそれに答え、身を起こす。
「は、はい。さすがにそこまで言われれば理解できました―――んしょっと」
(冷静に考えてみりゃ、何でこの人が自白剤なんて物騒なモノを……ま、いいか)
もちろん、細々とした事はスルーの方向にしておいて、だ。
「それじゃ余興はこれくらいにして……準備はいいわね、エル? ラニ?」
注射器を滑らかに懐へとしまいつつ、ナウラが余裕の微笑で双子に確認するや、
「「あいあいさ~っ!」」
彼女の呼び掛けに応え、エルが左手、ラニが右手を上げながら二人でハイタッチをする。そして二人はそのまま手を繋ぎ、横並びになったかと思いきや突然、彼らの額から茨のような幾本もの、複雑怪奇な黒い紋様が現れた。唐突さもあったせいか、俺は弾かれたように二人の正面へと身体全体を回していた。
すると、その紋様の中心に突如〝茨の眼〟が開き、そこからオーロラのような二筋の光線が、俺の心臓一点を目がけて放たれたのだ。
「ぐわっ、お前たち、何を……」
光線は心臓を貫き、俺はまさかのゲームオーバー……にはならず、俺の身体を物ともせず透過、思わず後ろを振り返るとそこにはなんと、自分がこの惑星で初めて目を覚ましたあの荒野がフルカラーで、しかも高音質・高画質の映像として、壁に投影されていたのだ。
そしてその映像をよく見ると、誰かの足音と共に、見慣れない後ろ姿が映っていた。
「こ、これはまさか……俺⁉」
「そうよ。これがこの子達の『スパイラ』〝トロボリィ〟の力。この能力は端的に言えば、人の脳に残留している記憶や記録を視覚的・聴覚的に鮮明に、第三者の視点で再現できる優れモノなのよ。無機物に対してもある程度は有効なことも、実証済みよ」
ナウラは何処か誇らしげに、真剣な表情の双子を見遣る。
一方、再生中の映像は停まることなく続き、俺があの岩場を登り切って息を整えた直後、閃光に包まれる場面まで進んだ。そしてその場面こそが、第一のキーポイントとなった。
「なんだ、あれは⁉」
その閃光の中から現れたのは、一人の少女だった。
外見は小学生高学年ほど、俺の目の前で浮遊し、衣服を一切纏っていない代わりに淡い、赤色の光を薄く纏っていた。少女は光で目が見えない自分に優しく微笑み、少しだけ後ろに下がると今度は、左手を頭上に掲げた。
次の瞬間、その手には閃光が激しく渦を巻きながら一点に収束していき、次第にビガロの大パノラマが浮かび上がってくる。そして閃光を小さな左手に収めきった少女は、未だ両腕で顔を覆っている自分にそっと近づき、俺の両腕を握りながらそっと優しく、開放していった。
少女はその時も笑みを浮かべ、静かにその場から消えていった。
もちろん俺は、あんな少女を目撃した覚えはない。だが映像には「それ」がしっかりと写し残されていた。真相の究明に余念のない俺は、ナウラにすかさず要求する。
「ナウラさん。次の、俺がマスティカに飲み込まれるシーンまで、飛ばしてください」
「分かったわ、アイト君……エルっ! ラニっ!」
「「りょーかーい」」
双子は同時に声を発し、映像を四倍速で早送りしていく。そしてあの、今でも一番の懊悩の原因でもある、マスティカから出た謎の右腕のシーンの数十秒前で元の速度に戻った。
「あら? 何でマスティカの操作パネルが壊れているのかしら?」
ナウラが画面の右端に映っていた、俺が怒りにまかせて叩き壊したあの操作パネルについて早速言及してきた。俺は、咄嗟に思いついた嘘でやり過ごそうとする。
「アレはぁ……エミオの作った機械が暴走して、皆で慌てて止めようとしてたんですよぉ」
「ふ~ん、そうなの? それにしては随分と、穏やかな雰囲気じゃなさそうだけど?」
映像を見ると、自分が大暴れしているシーンの真っ最中であった。
(げっ、こんなトコまで再現しなくていいのに。頼むから、早く過ぎてくれぇ)
そう心の内で念じていると、いつの間にか例の場面まで来た―――と、ここでまた、
「あっ、またあの子がっ⁉」
少女が現れた。彼女は俺を助けるつもりなのか、光の右腕の握り拳に両手を翳し、念動力のような何かを行使し、飲み込まれゆく自分を引き止めようとしていた。
しかしその甲斐なく、俺は事実通りマスティカの光の渦の中へ飲み込まれていった。
それでも少女は諦めが悪いのか、なんと自ら光の渦の中へと飛び込んでいったのだ。
そして以降の映像こそが最も不可解で、最も事の真相へ近づいたと思しき時間帯であった。
「赤いトンネルに、青いトンネル……これが、マスティカの内部なのかっ⁉」
俺が右腕に飲み込まれた後、暗闇で待ち構えていたものとは、赤色と青色の、正八角形の巨大な二つのトンネルであった。
気を失っている俺の目の前にあの少女が再び現れると、彼女は俺の身体をお姫様抱っこのように軽々と両手で拾い上げてトンネルの目の前まで移動、そこで静止した。
映像の視点が少女の側面に移った途端、彼女の横顔には何故か涙が一筋、頬を伝っていた。
直後、何かがカランと、真っ黒な地面に音を立てて落ちる。少女が反応し、音のした方向に下ろした視線の先には、赤くてギザギザした何かが。
「あれは! ……そうか、また思い出したぞ」
「あら、あれってそんなに重要なものなの?」
「ええ。いざという時に役に立つかと思って、持って来たんです」
すると先程まで涙していた彼女は、途端に柔和な表情を作り出し、自分を抱き抱えたまま赤いトンネルの方へと少しずつ進み、がっぽりと開けた紅い口の中へと吸い込まれていった。
そして少女と自分が再び「現実」へと舞い戻った時、眼下に広がっていた光景は、とあるビルの屋上であった。そして彼女は眠る俺の顔を見て、何かを口にした。
《コ ウ ク、 タ オ イ ニナッ ――――――》
「ん? エル、ラニ。今のところ、巻き戻せるか?」
今の少女の台詞を聞き直したいがため、双子に映像の巻き戻しを頼み込む。
「ゴメン、お兄ちゃん。まだボクたち、巻き戻しはできないんだー」
「あと三年経ったらできるかもしれないから、待っててほしいなー」
が、まだそれはできないと即答されてしまった。
「そ、そうか。無茶言って悪かったな……もういいよ、映像止めて」
俺は双子に、映像の中止を促す。それを聞いた双子の〝眼〟は数秒後に額から消滅し、
「「つ、つかれたあーぁ……おやすみなさ~い―――zzz」」
その場でへなへなと座り込み、手を繋いだまま眠ってしまった。
ナウラはそれを目視するなりすかさず、
「あらあら、そんなトコで寝ちゃ駄目よぉ? そぉ~れっ」
右手を双子の方へと翳してつむじ風を巻き起こし、彼らをゆっくりと浮上させながら俺が寝ていたベッドの上まで運び、タオルケットをそっと被せて寝かしつけた。
「……ホント便利ですね、それ」
「そう? 私の〝シクローネ〟は『発現』してまだ、一年も経ってないのよ?」
俺の何気ない感想に、ナウラはまだまだと言わんばかりに、謙虚そうに返してくる。
「それで、アイト君。映像は最後まで見なくてよかったの?」
「はい。どうせあの後は、あの子が俺をナウラさん家まで運んでくれたんでしょうから」
確信はないが、自信をもって彼女に答えた。もっとも、あの少女がどうしてナウラ宅を選択したのかは、現時点ではさっぱりなのだが。
「成る程、確かにそうかもね……あ、そ~だっ!」
ナウラは何かを思いついたのか、目を天井に向けて両手の指先をポンと合わせる。
そして椅子から立ち上がり、やや遠くの方の引き出しから分厚い資料を取り出しきて、それをテーブルの上にばら撒いた。
「ナウラさん、これは一体……?」
「これだけあれば、きっとアイト君が知りたいことが網羅されてると思って、ね?」
資料には、大都市ビガロを様々な角度から見たスケッチや、魔粒子に関わる様々な現象をまとめた論文などがこれでもかと、細やかに記載されていた。
「なるほどぉ……では遠慮なく、色々質問させてもらいますね、ナウラさん♪」
「―――アイト君、貴方ったらその……貪欲過ぎよぉ」
「いやぁ~スイマセン! こんな自分でも知識欲だけは旺盛でして、ハハハッ!」
あれこれ彼女に質問するうち、ナウラはいつしか酔いつぶれたように突っ伏していた。
俺は若さ溢れんばかりにまだまだこれからだと、彼女へブイブイ言わせていた。
「それじゃ、このあたりで見聞したことを色々と、まとめてもいいですか?」
「もう、好きにしてちょうだい。私はここで落ちるわ――――――zzz」
というわけで、俺は彼女から聞いたこと、資料から吸収した知識を脳内にダウンロードしては整理し、時には用意してもらった紙とペンらしきものを使って理解を深めていった。その中で特に重要だと思ったものは丁寧にまとめたので、それらをもう一度読み返すことにする。
《 ~ 地球の存在する銀河系に位置する惑星『ポス・ベリタス』は年間を通じて気温が摂氏零度前後であり、周囲の恒星からの光が殆ど届かない極寒の赤き土地を持つ。地球との距離は推定で十から二十光年とされる。そこに住まう人類『ベリタス人』は、大気中に潜む謎多き物質『魔粒子』を発見・研究・活用し、高度な機械・光学文明を発展させた。それにより、都市中央の第一魔粒子研究所を中心として、同心円上に分野別の研究所を六ヶ所設置、惑星一の科学研究都市『ビガロ』を作り上げた。彼らの暮らしぶりは地球人と大差なく、インフラ設備や食料プラント等の日常的機能を担い手となっているのは、魔粒子に因るところが大きい。
地球の発見については今からおよそ十五年前、研究所の宇宙観測チームが開発した「高感度魔粒子アンテナ」により「ボイジャー二号」からの電波を受信、解析したことにより実現された。彼らは地球に人類の存在を見出し、〝可能性〟の名の下に惑星間ワープ装置『マスティカ』を開発・製造した。
そして彼らの予想は見事に的中、今からおよそ一年前に地球人とのファースト・コンタクトに成功した。彼らは地球人にベリタス人特有の能力『スパイラ』を、アイコンタクトや皮膚同士の接触により分け与えられることを発見し、一方で地球人にその存在を公に知られることを拒み、表面上は地球人たちと変わりない姿で社会に溶け込んでいった。
次第に彼らが地球での生活に馴染んでいった頃、スピリストとなった地球人同士を、研究所が新たに開発した魔粒子転送装置『ライフスフィア』(以下LS)を持たせた上で闘わせたその結果、彼らから得られた魔粒子は〝進化〟していることが確認された。研究所はこの後マスティカを通じて、〝進化〟した魔粒子を砂状の魔粒子『魔流砂』としてLSに閉じ込め、逐次転送させるシステムを築き上げていった。
システム完成後、研究所の面々は得られた魔粒子を用いてビガロの繁栄、ひいてはポス・ベリタス繁栄のために利用し、また地球人への恩を忘れまいと、闘いを勝ち抜く強者に対して幸運な出来事が起こる仕掛け『ミュネリス』をLSに施した ~ 》
「―――よっし、『ポス・ベリタス概略史』についてはこれくらいで十分だろ。それから次が、えーとぉ……『スパイラとスピリスト』についてだったな」
まとめ上げた二つ目の書類にも目を通し、漏れが無いか一字一句確認していく。
《 ~ ベリタス人はいつしか、大気中に存在する魔粒子を呼吸などによって体内に取り込むことにより、一人ひとりが千差万別な能力『スパイラ』を使えるようになり、それを使用するものを『スピリスト』と名付けるようになった。だだし魔粒子を体内に取り込んだ誰しもが使えるわけではなく、『発現』という現象が一度起こらなければならないことが分かっている。
『発現』が起きる年齢については通常、地球人でいうと中学生頃が一般的らしいが、遺伝子の突然変異により十才未満でも起こりうることが確認されている。ちなみにベリタス人は生まれつき額に固有の紋様が露出しているが、成人するか、スパイラを制御できるようになると意図的に隠すことができるようになる。紋様は、ビガロで暮らす彼らの社会的ステータスを示す手段の一つでもあり、本人確認等にも度々利用される ~ 》
「ふ~ん、やはりエルとラニは特別な子供なんだなぁ」
独り言を呟いていると、ベッドの方から双子達が、寝言で返事をしてきた。
「そーらよぉ、おにーひゃん……ぼぐだちはぁ、ろくへふぅ―――ムニャムニャ」
「あらいたひはぁ、ひょーらいりっぱなおまわりひゃんになるんやよ―――フニャフニャ」
(ふふっ、立派な夢だな……頑張れよ、二人とも)
俺は自然と、彼らの本当の兄のようにベッドですやすや眠る双子を、見守っていた。
男の子のエルはラニの兄で、フェイスサイドの前髪が長い、女の子らしい髪型をしている。
女の子のラニはエルの妹で、ナウラに似てさらさらとしたロングヘアーと、頭の横にローマ字の〝S〟を二つ、十字に重ねたような銀色に輝く髪飾りをしている。
因みにエルとラニは二人とも髪の色が母親と違い、濃い紫色をしている。ベリタス人は髪色だけは何故か遺伝せず、親と激しく色の異なる子が産まれることも珍しくないという。
「あらぁ、アイト君、まだ起きてたの? 今から外出すると、あの二人に捕まるわよぉ」
「え、ええ……わかってますよっ」
眠りが浅かったのか、ナウラが充血した目で忠告してくる。
彼女が口にした〝あの二人〟というのは、俺が「逮捕」された時に背後にいた『シニスト』と『ジュスト』である。二人は共に遠隔操作型のスピリストで、シニストは対象の眼球から彩光機能を麻痺させて視界を暗転させる『ノクタント』、ジュストは対象の小脳の神経細胞に干渉して対象の平衡・方向感覚を擾乱する『リヌテート』を持っていて、あの時の俺もそれらによって捕まったみたいだ。
彼女らはビガロ一の優秀な警官と評判らしく、エルとラニが憧れるのも当然という訳だ。
「へっくしゅん! ……うう~っ、今日は一段と冷え込んでいますね、ジュスト?」
「へっぷしゅん! ……ぬう~っ、もっと厚着しなきゃ駄目ですかね、シニスト?」
俺はナウラから貰った資料の数々を、折り畳み式財布のようなコンパクトなデバイスに吸い込ませて収納し、それをポケットに入れて席を立つと、家の玄関ドアまで歩いていった。
そこでゆるりと振り返り、この家の住人に謝辞を述べる。
「ナウラさん、エル、ラニ。短い間ながら、色々とお世話になりました」
さて、これから俺がやるべき事は山ほどある。此処に長居しては時間が勿体ない。まずはその第一歩、家屋の門扉をゆっくりと開け、数多色の光がさんざめくビガロの街並みと、相変わらず人気の感じられぬ肌寒い路地に、自らを導いていった。
吐息が光で散乱し、疎らに広がっては、色鮮やかに消えていく。
「う~、やっぱりこの寒さには慣れっこないな……誰か俺を、人肌であっためてくれぇ」
その時の俺はただ、誰も聞いてくれはしないだろうと思いつつ、ふとした欲を口にしただけだった。それなのに、自分の真正面でしっかりと聞いてくれていた者が、いた。
「―――ねぇアンタ。見ず知らずの相手に、いきなりそういう発言はどうなのよ?」
「うおっ、何だい君は⁉ いっ、いつからそこに⁉」
目の前からポッと出て来たその少女は、俺の顔をジトっと見上げている。
「ついさっきよ……ってか、早くソコどいてくれない? 私は先生に用があるの」
「せ、先生? ……ああ、ナウラさんのことか、ゴメンゴメン!」
彼女に言われるがままその場を動き、道を開ける―――同時に、俺は確信していた。
「ねぇ、君ってもしかして……」
「ワタシ? 私はナウラ先生の助手だけど? ……何か、文句でもあんの?」
そんなことは分かっている。そうではなくて、容姿についてだ。
白衣こそ纏っているものの、その背丈、顔立ち、体格は「あの少女」にそっくりなのだ。
第七研究所でちらと見かけた時にはよく判らなかったが、この助手は、ラフに切り揃えられた白髪のショートに、日本人的な栗色の瞳をしている。
「いや、別にないけど……それより、どうやってここまで来たんだい?」
「スパイラ使ったに決まってるでしょ。暴漢に襲われたら面倒だから光に隠れて来たのよ」
彼女は即答し、理由も付けてくれた。そして俺は、通算三つ目の質問をする。
「それじゃ後……もう二つだけ、聞いてもいいかな?」
「は~、ホントにその二つで最後にしてよ? ……それで、ご用件は?」
急いてる様子の彼女の気持ちを汲み取りつつ、聞きたいことを手短にぶつける。
「君の名前は?」
「『リーテ』よ。先生にそう呼ばせてるの。本名は『エスペリテ』だから、覚えといてね」
そして次こそが最も大切で、もっとも、当てずっぽうな質問。
「じゃあ、これで最後だ。 ―――俺達って、前にどこかで会わなかった?」
「えっ、そんなワケ……ないわけじゃあない、かな? フフッ」
その微笑みこそが、何よりの証拠だった。彼女は質問に答えると、家の中へと消え入った。
「……ははっ、はははっ! この惑星はほんっと、神秘まみれだな!」
そして、決意するに至った。
この惑星―――ポス・ベリタス―――の運命や偶然を生み出す可能性という名の糸を束ねては縄をこしらえ、輪を作っては帰るべき場所―――地球―――に投げては引っ掛け、我が生命果てるまで、この両の手で力強く手繰り寄せてみせる、と。
そのきっかけとなる出来事が起きたのは今より一か月後、妹に『再開』する形で始まった。




