オリヴァルド・シスト
「さぁ、存分に楽しんでくれたまえ」
シスト家別邸の食堂。
大きな円卓の上座に当たる場所で、シスト商会の現会長――レフィーの兄である『オリヴァルド・シスト』が両手を広げて歓迎の意を示した。
オリヴァルドはレフィーの兄というだけあり、実に整った容姿の美丈夫だった。妹と同じ夕陽色の瞳に、赤みがかった茶髪を整髪料で整え、ナチュラルブラウンのスーツを着こなしている。背丈は百八十ほどで、ジェイグより少し低いくらい。商人でありながら体格も大きく、引き締まった身体つきをしていた。
テーブルの上には、豪勢な料理の数々が山のように乗せられている。ミラセスカが海沿いの都市なこともあって、海鮮料理が多いが、もちろん肉や野菜もふんだんに使われていた。
食堂内には高価そうな調度品の数々が並んでいるが、けっして派手ではなく、落ち着いた雰囲気を醸し出している。夜もすっかり更けているが、シャンデリアが照らす食卓の上はまるで別世界のように見える。
ジェイグやアルやファリンなどは、目の前のご馳走に目を輝かせている。確かに美味しそうな料理が並んでいるが……リオンはその料理のラインナップを、少し意外に感じていた。
(なんというか、庶民的な料理が多いな)
料理の量は多く、おそらく食材も質の良いものを使っているのだろうが、料理の見た目はあまり洗練された感じでは無い。手掴みで食べるような鶏の骨付き肉や、頭から食べれるような小魚の塩焼き、カットフルーツの盛合せなどが大きな皿の上に盛られており、各自が好きに取り分けて食べるスタイルのようだ。どこぞの王宮の食堂とも思える場所で出される料理にしては、庶民的というか、豪快な感じがする。
食堂内の雰囲気と、相手が大商会のツートップということもあって、てっきりフルコースのような高級料理が出てくると思っていたのだが……
「ふふ、冒険者の君達なら、こういう感じの方が良いんじゃないかと思ってね。でも味の方は保証するよ」
オリヴァルドが親しみやすい笑みを浮かべてウインクを送ってきた。どうやらただの冒険者であるリオン達に合わせてくれたようだ。シスト商会の会長は、随分と気さくな人物らしい。
もっとも、リオンの内心を見抜いた洞察力や、二十代前半とは思えない深みのあるオーラは、さすがは若くして数千人の商人をまとめる大商会のトップなだけはある。
「お心遣い、感謝します」
「……妹から散々話は聞かされていたが、君は冒険者にしては珍しく、随分と紳士的な男のようだね」
「お、お兄様!?」
リオンが丁寧に頭を下げて礼を述べると、オリヴァルドは何とも人好きのする笑顔でそう言った。頬を染めたレフィーが慌てているが、特に気にせずに話を続ける。
「レフィーといったら、浮遊島から帰ってきてからというもの、毎日君の事ばかり話してくるんだよ。君に助けられたこととか、君がどれだけ紳士的で優しい人物だとか。今日、君を招待することも、とても楽しみにしていてね。こんなに幸せそうなレフィーの笑顔を見るのは初めてかもしれないな。そうそう、レフィーの水着姿はどうだったかな? 君に見せるんだと、張り切って選んだらしくてね。気に入ってくれていると兄としても嬉しいんだが……」
「……その辺にしてあげてください。妹さんがまた倒れてしまいますよ」
ペラペラと妹の惚気話を語る兄オリヴァルド。隣では自身の行動を盛大に暴露されたレフィーが、今着ているドレス以上に顔を真っ赤にして、頭から湯気を出している。昼間、ビーチで倒れる前と同じ状態だ。
そんなレフィーの居たたまれない姿にリオンが助け舟を出したのだが、それを見たオリヴァルドは実に嬉しそうな表情でうんうんと頷いた。
「いや~君は本当に優しい青年だな~。さすがは妹が選んだ男だ。どうだい、もし良かったらこのまま二人でここで暮らすというのは? 妹も喜ぶと思うんだけど」
「お兄様!?」
いきなりの爆弾発言にレフィーが夕陽色の瞳を大きく見開いて兄を凝視する。ジェイグとアルとファリンもかなり驚いたようで、ぎょっとした顔をしている。ミリルは我関せずといった様子で黙々と食事を続けているが。
リオンの隣に座るティアは、戸惑いの表情だ。リオンがそれを受け入れるとは思っていないはずなので、おそらくオリヴァルドが妹のために強引な手段に出ないかを心配しているのだろう。
そしてその言葉を受けたリオンはといえば――
「オリヴァルド会長はご冗談がお好きみたいですね」
――苦笑いを浮かべてオリヴァルドの発言を受け流した。恋愛ごとに関しての経験値は低いリオンだが、こういった手合いとの腹の探り合いは慣れている。そんなリオンにとって、この程度の発言で動揺することなど無い。
「……これでも妹のためを考えての提案なのだけどね……なぜ、冗談だと?」
あっさりと自身の提案を流されたオリヴァルドが、苦笑いを浮かべてその理由を訊ねてくる。
そんなオリヴァルドの問いに、リオンは簡単なことだと言うように軽く肩をすくめてみせる。
「シスト商会の会長ともあろうお方が、俺達の本質を見抜けないとは思えませんから」
「君達の本質?」
一見すると、挑発的にも聞こえるリオンの発言に、しかしオリヴァルドは特に不愉快そうな顔はせず、笑顔のまま問い返す。
その問いを受けたリオンは一度仲間の顔を見回して告げる。
「俺達は黒の翼。風に乗り、自由に空を飛ぶのが俺達の生き方です。ときおり地上で羽を休めはしても、同じ地にずっと留まることはありません」
堂々と自分達の生き方を主張するリオンに、仲間達は同意するように笑みを浮かべた。
そして自身の提案を断られた形になったオリヴァルドはといえば――
「アッハッハッハッ、やっぱり断られてしまったか! 君は本当に空が好きなんだねぇ!」
――実に愉快そうに声を上げて笑っていた。どうやらリオンの言う通り、彼なりの冗談だったらしい。
もっとも本気の部分が少しも含まれていなかったかといえば、そうでもないかもしれないが。
「確かに君を、いや君達を一所に留めておくのは難しそうだ。どんなご馳走や富や名声よりも、未知と自由を求める。それが君達の本質なのだろうね。いや~妹の恋路は中々に大変そうだ!」
「お、お兄様! わ、私は、その、別に……」
本人がまだ告白もしていないというのに――好意はバレバレだが――平然と妹の気持ちを暴露する兄オリヴァルド。妹のレフィーが恥ずかしそうに目を伏せ、指をモジモジさせている。
「……それと、俺には心に決めた人がいるので、他の女性と暮らすわけにはいきませんし」
なんかレフィーとの関係が既成事実化してしまいそうなので、先にやんわりと釘を刺しておく。もっともそれの効果があるかと言われれば……
「なに、複数の女性の養うのも男の甲斐性さ! 大丈夫! 君ほどの男なら、愛する女性が十人いても全員幸せにできるさ!」
この結果である。やはり根本的に結婚や恋愛に関する価値観が違うらしい。まぁシスト商会の会長ともなれば、結婚や恋愛も世間体が絡んでくるので、色々と難しいのかもしれないが。
「まぁ僕も、妻はまだ二人だけなんだけどね! ハハハハ!」
笑えない。というか二人でも多いし。しかも『妻は』ってことは、“愛人”はたくさんいるのかもしれない。
前世の日本で言ったら大顰蹙を買いそうなこと――そもそも日本で重婚はできないが――を笑って言うオリヴァルドに、リオンは黙って苦笑いするに留める。オリヴァルドと自身の恋愛観などについて議論するつもりはない。この場に彼がいるのも、そんなことを話すためではないだろう。本題は別にある。
とはいえ、食事中に堅苦しい話をするのは、遠慮したいところだ。
なので上機嫌に話すオリヴァルドの話に適当に相槌を打ったり、リオン達の旅の話を振られて当り障りのない話を披露したりしながら、黒の翼の面々はシスト家ご自慢の料理に舌鼓を打ったのだった。
まぁその間、オリヴァルドの発言にレフィーだけでなく、ティアもハラハラさせられていたようだが……
「ところで、君達は今後の行動予定はもう決めているのかね?」
そうして全員の腹が満たされ、食後のお茶運ばれてきたタイミングで、オリヴァルドが何気ない顔でそう言った。表情は相変わらずの爽やかな笑みに見えるが、その瞳の奥に、計算高い商人としての光が宿っているのにリオンは気付いた。
「しばらくはミラセスカの町で活動します。ビースピアの事後処理も残ってますし、今回の旅で消費した物資や魔石の補充もしたいです。それに……」
リオンがそこで話を止め、オリヴァルドに探るような視線を向けた。
その視線とわずかな沈黙だけで、リオンの気にしていることに気が付いたのだろう。オリヴァルドは表情をわずかな憂いを乗せた真剣なものに変えた。テーブルに両肘を突き、商人にしては少し大きな両手を組む。
「妹から話は聞いているよ。動物との合成人体実験、その被害者達がもしかしたらミラセスカから連れ去られたかもしれないと。しかもその実験の主導者達が、次は魔物と人間の合成をも目論んでいることも……」
レフィーがオリヴァルドにどこまでの情報を与えているのかがわからなかったが、どうやら問題ないらしい。
先日までリオン達が滞在していた浮遊島『ビースピア』で発見された実験については、ギルドの方で情報規制が敷かれている。下手な情報を漏らせば、それを模倣する輩が現れかねないためだ。そのため実験の詳しい内容や、その首謀者の拘束がなされるまで、関係の無い人間に情報を漏らすわけにはいかなかった。
だがオリヴァルドが相手では話が別だ。レフィーは商会の代表として調査隊に参加しており、オリヴァルドはその商会のトップだ。決して無関係と言える立場ではないし、レフィーが報告を行っていても問題は無いだろう。ギルドとも深い関係のあるシスト商会の会長が、ギルドが規制している情報を漏らすとは考えられない。
とはいえ、シスト商会の細かい内情まで知らないリオンからすれば、情報の扱いには注意が必要だ。情報の漏えいでギルドから罰せられるなど、シャレにならない。
「その件については、我々の方でも調査を行うつもりだったが、君達も独自に動く気かい?」
「乗り掛かった舟です。俺達としても気にはなりますし、いずれギルドの方からも正式に調査の依頼が来るでしょう。そうなる前に、ある程度の情報は掴んでおきたい」
オリヴァルドの問いに頷くリオン。リオンとしても、あのような非道な実験は見過ごせない。危険の度合いによっては手を引くことも考えるが、それを判断するためにも情報は必要だろう。一度関わってしまった以上、何もせずに放っておくことなどできない。
それに情報を規制したいギルドとしても、この件に関わる冒険者は少なくしたいはず。そういった意味では、実験場の発見者であり、高ランクパーティーである黒の翼への依頼は確実だろう。まだギルドで情報を整理しているうちに、こちらでもある程度の情報を仕入れておきたかった。
リオンの答えに、オリヴァルドは深く頷くと、真剣な表情のまま、リオンへレフィーと同じ夕陽色の瞳を向けた。
「ならこの際、シスト商会と君達、黒の翼で専属契約を結ばないか?」
オリヴァルドの提案に、リオンは特に驚くことも無くその目を細めた。他のメンバーもその提案を予想していたのだろう。落ち着いた様子でリオンとオリヴァルドの会話に耳を傾けている。
『専属契約』とは、文字通り冒険者が一個人、あるいは組織の専属冒険者になるということ。今回で言えば、相手は契約の相手はオリヴァルド個人ではなく、シスト商会となる。
専属契約のメリットは、依頼を受けなくても一定の報酬を受け取れること。契約相手が大物であればあるほど、その報酬額も大きくなる。活動資金の援助も受けられるだろう。冒険者の中には、名を上げて、どこかの国の貴族やお金持ちの専属になることを目標にする者もいるくらいだ。世界に名を轟かす大商会からの誘いなど、誰もが羨むものであることは間違いないだろう。
それに対してデメリットは、自由な活動ができなくなること。ギルドを通しての契約となるので、冒険者としての身分は変わらないが、今後の活動はシスト商会の指示に従わなければならなくなる。契約内容によっては、普通にギルドの依頼を受けることも可能だが、大きく制限を受けることになるだろう。
そうなれば当然、リオンの出す答えは一つしかない。
「大変ありがたい申し出ではありますが、お断りさせて頂きます」
穏やかな口調で、しかしはっきりとオリヴァルドの提案を拒否するリオン。条件や待遇を聞くこともせずに断りの言葉を述べるリオンに、黒の翼のメンバーは全員が当然とばかりに頷いている。
一方、提案をあっさりと断られたオリヴァルドは、表情を変えることなくリオンを真っ直ぐに見詰めていた。
「理由を聞いても?」
「先程も申し上げた通りです。俺達は黒の翼。風に乗り、自由に空を飛ぶのが俺達の生き方です。その翼に、余計な荷物は載せられません」
理由を聞いても、やはりオリヴァルドの表情はほとんど変わらない。ふむ、と何かを考えるように顎を触っているが、ここまでは彼も想定通りなのだろう。
(まぁ当然だろうな。さっきのレフィ―との件で、こっちのスタンスは伝えてある。専属契約なんて自由を拘束される提案、俺達が呑むなんて最初から考えていないはずだ)
交渉の手法の一つとして、最初に無理な要求を提示して、あとでより受け入れやすい本命の要求をするというものがある。オリヴァルドの先程の専属契約も、断られる前提のものだ。
相手の要求を断るという行為は、思いのほか精神的な負担が大きい。相手の要求がどうであれ、断った側は少なからず罪悪感を覚える。たとえ無意識レベルのものでも、交渉の場では大きな効果がある。
そんな状況で、より受け入れやすい条件の要求を出されれば、最初からそちらを提示されるよりも相手は要求を呑みやすくなる。譲歩してもらったという意識も働くので、その効果はかなり高い。
(さて向こうはどこまでの譲歩案を出してくるのか……)
リオンとしては、自分達の自由が制限されるような提案は基本的に全て却下だ。いくら金を積まれようがそれは変わらない。
だがそれは向こうも理解していること。リオン達が金で靡くような冒険者だとは、オリヴァルドも思っていないだろう。ならば彼はどのような提案をしてくるのか。
向かいに座るオリヴァルドの夕陽色の瞳を真っ直ぐに見つめる。相手はまだ若いとはいえ、大商会のトップに立つ百戦錬磨の商人だ。こちらがオリヴァルドの取った手法に気付いていることも理解しているだろう。次は、そのうえでの提案だ。間違いなくリオンが受け入れられるギリギリで、かつ自分達に利する案を出してくるはず。
リオンの視線を受け止めたオリヴァルドは、その端正な顔にうっすらと笑みを浮かべて、その譲歩案を口にした。
「では、こちらからは君達の活動に一切の口出しはしない、という条件ではどうかな?」
(!? これはまた随分と……)
そうしてオリヴァルドが口にした案は、こちらの活動への一切の不干渉という、専属契約の利点のほとんどを放棄するような内容だった。おそらく前もって話を聞いていただろうレフィーを除いて、話を聞いていたその場の誰もが怪訝そうな顔をしている。
リオンも表情を変えないように注意していたが、内心ではその内容に驚きを覚えていた。
(そんな専属契約に何の意味が……)
活動に口出しをしないということは、シスト商会がリオン達に対して何の拘束力も権限も持たないということ。確かにそれであればリオン達はこれまで同様、自由に活動ができるだろう。
だがそれではリオン達と契約する意味が無い。優秀な冒険者を囲い込むのは、自身の護衛や、自由に動かせる戦力を期待してのものだ。好き勝手に動き回られたのでは、いざという時に頼れない。シスト商会にとって、何のメリットもないはず。
もっとも、オリヴァルドが自身に何の利も無い提案をするはずがない。つまりこの提案には、必ず裏があるということで――
(いや、あくまで活動に口出しはしないというだけで、俺達の行動へは口出しが可能だ。つまり……)
数秒の思考ののち、オリヴァルドの要求の意図を正しく把握したリオンが口を開く。
「会長の望みは俺達がもたらす浮遊島関連の情報……ってことですか」
「さすが、頭の回転が速いね。冒険者にしておくのがもったいないくらいだよ」
リオンの回答に、オリヴァルドが手を叩いて賞賛を送る。兄の提案の裏を読み切ったリオンに、レフィーが蕩けた表情をしているが、そちらは見ないようにした。
「なぁ、つまりどういうことなんだ?」
「俺に訊かれてもなぁ……」
アルとジェイグがぼそぼそとそんな事を言っている。どうやら二人はリオン達の話に付いてこられなかったらしい。
「要するに、あたし達のやることには口出さないから、代わりに旅先で美味しそうなものを見つけたら自分達に必ず知らせろってわけよ。それもギルドよりも早くね」
「もし契約が無ければ、そういった情報はギルドを通してしか入手できない。そしてその情報を入手できるのは、他の人達と同じタイミングになるわ。でも私達から直接情報を入手できれば、シスト商会は他よりも優位に立てる。浮遊島の資源を、他よりも早く入手したり独占したりもできるわ」
そんな男共二人に、ミリルとティアがわかりやすく説明を行う。男共に混じってファリンも感心したように頷いていたが、これである程度他の連中も話を理解してくれただろう。
「もちろん、情報の見返りは十分に用意するよ。それに旅に必要な物資は、商会が格安で提供しよう。食料も魔石も武器も防具も魔導具も、我が商会ならすぐに手に入れられる」
「随分高く評価して頂いているみたいですね。俺達の今のランクは魔物退治によるものです。秘境探索の実績はほとんどない。必ず貴重な情報を持ち帰れるとも限らないんですが」
「ハハ、まぁそこは妹の初めての想い人だからね。兄として応援したくなるのも当然だろう」
「お、お兄様!?」
またも妹の秘めた? 恋心を盛大に暴露するお兄様。レフィーはともかく、こっちの身内まで動揺するので、そういった冗談はやめて頂きたいところだ。
リオンが呆れているのに気づいたのだろう。「すまないすまない」と話の腰を折ったことを軽く謝罪すると、オリヴァルドが話を戻す。
「まぁ実際、君達のことは高く評価してるよ。なにせ全員がまだ十代でありながら、平均ランク三級の新進気鋭のパーティーだ。しかも、内二人は二級……いや、今回のビースピアの件の処理が完了したら、一級昇格だってあり得る。人間性も良い。そのうえ自分達で魔空船を所有し、お金や名声よりも未知への冒険を目的にしているときた。こんな優良品に手を出さなかったら、僕は商人として一生後悔するだろうね」
やや興奮した様子でリオン達への評価を捲し立てたオリヴァルド。商人としての顔を維持しながらも、その表情は最高のオモチャを目の前にした子供のようにキラキラと輝いている。少々大げさな気もするが、今の言葉は間違いなくオリヴァルドの本心だろう。
「それに、実績という点で言えば、今回のビースピアの発見と動物合成実験の情報は、我々にとって福音と呼べるほどの価値がある」
そう言って笑みを浮かべるオリヴァルドに、アルやジェイグ達の視線がわずかに鋭くなる。
「あぁ、勘違いしないでくれたまえ。命を粗末に扱うつもりはないし、ましてや人体実験などという非人道的で悪魔的な事柄に手を染めるつもりはない。これでも商人としての矜持は持っているつもりだし、そもそもそんな危ない橋に手を出さなければならないほど、我が商会の業績は悪くないからね」
アル達の懸念を察したオリヴァルドが、すぐさまそれを払拭にかかる。人体実験などという非道が露見すれば、たとえ世界有数の商会と言えど破滅は免れない。リオンやティア、それにミリルなどは、オリヴァルドがそんなリスクを冒すほど間抜けだとは思っていなかった。
「君達は、あの実験の有用性に気付いているようだね」
リオン達三人の様子に笑みを深めたオリヴァルドが、試すような視線をこちらに向けてくる。
そんなオリヴァルドの態度に、ミリルが面白くなさそうに鼻を鳴らすと、当然だとでも言うように肩を竦めて答える。
「動植物の品種改良に使うってわけでしょ」
「「「ひんしゅ、かいりょー?」」」
ジェイグ、アル、ファリンの三人が声を揃えて首を傾げた。
そんな三人の様子に小さく息を零すと、ミリルが詳しい説明を行う。
「あの実験はずいぶんと危ない方向へ向かってたわけだけど、違う動植物同士の良い所を掛け合わせるってのは、割と昔から試みられていたわけだし。まぁせいぜい違う種の個体同士を配合させたり、優れた性質を持った個体だけを選りすぐったりするくらいだけど」
こういった品種改良の手段は、前世でも長年研究され、実際に行われてきたものだ。例えば同種の果実で、甘味は強いが暑さに弱い種と、甘味は弱いが厚さに強い種を人工的に配合させ、甘くて温暖な気候にも耐えられる果実を作り上げる。あるいは速さ自慢の馬と体力自慢の馬を掛け合わせ、より優れた子供を産ませる等だ。
しかしそれらは基本的に同じ動植物同士の組合せでしかない。品質改良の幅は、あくまでその動植物の種族の中だけのものだった。
だが今回発見された実験では、異なる動植物同士での合成が可能だった。もしこれで研究が進めば、他種族の優れた特徴を兼ね備えた個体を作り上げることが可能となるだろう。組合せ次第では、全く未知の特徴を持った個体が生まれることだってあり得るだろう。
「養殖不可能と言われている魚介が養殖可能になれば、より多くの食材が皆の食卓に並ぶことになる! 季節や天候に左右されない、強い野菜や果実を作れば食糧不足に悩むことも無くなる! 家畜の質や繁殖力を高めれば、高品質のものは高級肉として富裕層に売り、低所得層には安く多くの肉を提供することができる! あの研究は、宝の山に等しい大発見だよ!」
嬉々として合成体の可能性を語るオリヴァルド。あの研究の有用性はわかるし、商人として昂る気持ちはわからないでもないが、妹を含む女性陣が若干引いているので、少し落ち着いた方が良いと思う。
「おっと失礼。今後の展望を考えていたらつい興奮してしまった。驚かせてしまって申し訳ないね」
女性陣の反応に気付いたオリヴァルドが、バツが悪そうに頭を掻く。リオンはそれに苦笑いを返すだけで、そのことに対しては特に何も言わなかった。
だが釘を刺すべき部分は、しっかりと伝えておくべきだろう。
「植物はまだしも、動物合成については注意が必要だと思います。オリヴァルド会長であれば、その危険性についても予測しているとは思いますが」
「もちろん、実験や研究には最大限の配慮をする。生態系に影響が出ないよう、合成動物はしっかりと隔離し、決して外には逃がさないようにする。情報も、ギルドと協力して漏洩を防ぐ。商会では、そういった研究用の離島もいくつか所有しているから、研究は全てそこで行うつもりだよ」
「……さすがです」
前世でも、遺伝子組替等は行われていた。なので植物の品種改良については好きにすればいいと思う。
だがそれが動物相手となれば話は別だ。合成による品種改良が行われ、より強く繁殖力の高い種が生まれ、万が一それが野に放たれれば、既存の生態系に深刻な問題を与えかねない。前世でも、外国から持ち込まれた外来種が、在来種を絶滅の危機に追いやった事例もある。
その辺りの危険性は、聡明なオリヴァルドならばわかっているとは思っていたが、対策までしっかりと想定の上だったらしい。もちろんそれでも万が一が無いとは言えないが、部外者がこれ以上口を出せる問題ではない。
「少し話が逸れてしまったね。それでどうだろう? 詳細な条件はこのあとでさらに詳しく詰めていくつもりだが、我々との契約について考えてもらえないだろうか」
オリヴァルドだけでなく、レフィーもリオンに真剣な眼差しを向けてくる。
本来であれば、このような重要な判断をする場合、一度持ち帰ってじっくりと判断すべきだろう。
だがオリヴァルドもレフィーも多忙な身だ。こちらも一度依頼を受けてしまえば、長期間拘束される可能性もある。この場を逃せば、回答はいつになるかわからないだろう。
二人とは、会ってまだ一ヶ月も経っていない。レフィーとも、魔空船での移動中は一緒ではなかったし、オリヴァルドに至っては、昨日顔合わせをしたばかりだ。全面的に信用はしていない。
だが今後の事を考えれば、金銭や物質的な援助というのは非常にありがたい。しかもこちらの活動に対して口出しをしてこないならばなおさらだ。いわば全面的なスポンサー契約ということ。こちらで入手した情報を与えるという条件付きだが、それらはギルドを通せばいずれ知れ渡るもの。ギルドを通して正式に契約を結べば、ギルドから文句を言われることも無い。ギルドにも仲介手数料というメリットがある。ならば先にシスト商会に知らせたところで問題は無い。
もちろん、そうして繋がりが深くなれば、商会から依頼を受ける機会は増えるだろう。だが活動については口を出せない以上、断ったところで契約違反ではない。依頼の内容やこちらの状況を吟味したうえで判断を下せるので、こちらも特に問題は無い。逆に今回の件に関しては、行方不明者の情報収集や捜索など、互いに協力することもできるだろう。
また、この話に何か裏がある可能性も低いだろう。黒の翼の冒険の成功が前提の話だが、一応商会側の利は確保されている。聡明なオリヴァルドがこれ以上の欲をかいて、こちらの不興を買うとも考えにくい。
当然だが、正式に契約を結ぶとなれば、ギルドを通した書類などはこちらでもしっかりチェックする。まさかリオンやミリル、ティアがそれらを見落とすとは、向こうも考えていないだろう。ギルドも、専属契約に関しては細心の注意を払う。特にリオン達のような高ランクパーティーであれば尚更だ。ある意味ではシスト商会以上の大規模組織であるギルドを敵に回すような真似はしないだろう。
総合的に判断すれば、この契約は決して黒の翼にとっても悪いものではない。
細かい部分はすり合わせる必要があるが、あとはこちらの気持ち次第だ。
そこまで考えたリオンが視線をオリヴァルドから外し、仲間達の顔を見回す。
最初にミリルの反応を窺った。彼女もリオンと同じく、この提案についてあらゆる可能性を検討していたのだろう。腕を組み、口元に片手を添えた体勢で、俯いていたミリルは、リオンの視線に気付いて顔を上げる。
こういった重要な判断を下すとき、リオンは真っ先にミリルに相談する。頭のキレるミリルなら、リオンが見落としていた事柄にまで考えが及ぶこともある。逆に彼女もリオンに同意したならば、自分の判断に自信が持てる。
ミリルもそれはわかっている。なので、特に気負いした様子も無く、いつものように肩を竦めた。
「あたしもあんたと同じ結論よ。細かい条件次第では、受けてもいいんじゃない?」
最終的な判断はあんたに任せるわ、とだけ付け加えて、メイドにお茶のおかわりを要求していた。相変わらずなミリルの態度に苦笑いを浮かべつつも、信頼の証と受け取って次はティアに視線を向ける。
ティアも、リオンやミリル程ではないが頭はキレる。純粋な知識の量では、彼女に敵う者はそうはいないだろう。リオンの判断に従う傾向はあるが、知識豊富な彼女だからこそ気付くことも多い。
そんなティアは、リオンの視線を受けて微かに微笑むと、小さく首を横に振った。どうやら彼女の方からも特に異議は無いらしい。
その他の三人は、全面的にリオン達の判断に任せるつもりのようだ。話についてこれているかも怪しいので、そこは信任を得たということで納得しておく。
「詳しい条件次第ですが、黒の翼としてはその話をお受けしても良いと考えます」
仲間全員の意思を確認したところで、リオンがリーダーとして結論をオリヴァルドに告げる。
その言葉を聞いたオリヴァルドとレフィーは、兄妹らしいそっくりな笑みを浮かべて、喜びを露わにした。
「そうか! それは良かった! では詳しい条件については、後日ギルドも含めた三者で詰めていくことにしよう。日程はギルドを通して連絡しよう。それで構わないかね?」
「ええ、それで。商会からはどなたが出席されますか?」
「私が参りますわ」
打合せの場に出席する人物を訊ねると、レフィーがそう答えた。
「副会長が出てくるほどの話し合いではないと思うが……」
「それだけ商会としては黒の翼との関係に重きを置いているということですわ、リオン様」
さすがに実務的な話し合いの場にオリヴァルドが現れるとは思っていなかったが、副会長であるレフィーが出席するというのも意外だった。だがレフィーがそう答える以上、リオンがそれ以上口を挟むことはできない。
たとえオリヴァルドが妹に温かな笑みを向けていたとしても! レフィ―が妙に張り切っていたとしても! 隣でティアがレフィ―に警戒の視線を向けていたとしても! 他意は無いと言い聞かせるほかはない。
「いや~、君達が契約に前向きになってくれて本当に良かったよ。そうそう、契約の条件が他にあれば、何でも言ってくれたまえ。全てを承知できるとは保証できないが、最大限の配慮はするつもりだ」
「わかりました。交渉までに、こちらも条件をまとめておきます」
立ち上がりテーブルを回り込んだオリヴァルドが握手を求めてくる。リオンも席を立ち、オリヴァルドの大きな手を握り返す。
こうしてオリヴァルドとの会談は終わった……と思ったのだが――
「そういえば……君達は早速明日から情報収集に向かうのかい?」
お開きとなり、リオン達が各自に用意された部屋へと戻ろうとしたところで、オリヴァルドが思い出したように声をかけてきた。
「ええ、そのつもりです。まずはギルドで行方不明者の情報を集めようかと」
出入り口付近で振り返ったリオンが、そう答える。
ミラセスカに着いてからは、旅の疲れを癒すために休みを取っていたが、それももう十分だろう。あまりシスト家の世話になるのも、色々とマズい。主にリオンの既成事実的な意味で。
それに、これ以上あの実験の犠牲者を増やしたくはない。もしかしたら今もどこかで動物や魔物と合成されている人がいるかもしれないのだから。
リオンの答えを聞いたオリヴァルドは、何かを考えるように顎に手を当てて天井を見上げる。
「これはまだギルドにも報告していないんだが……実は十日ほど前、商会の関係者が雇った冒険者が数人、消息不明になったらしい」
「――それはどこで?」
新たな、それもリオンと同じ冒険者が行方不明になったという情報に、リオンがオリヴァルドへ鋭い視線を向ける。
「ミラセスカから南東に少し行ったところにある丘の近くだよ。その丘は見晴らしも良くて、ミラセスカの町を一望できるから、町の隠れた観光スポットにもなっている」
「何故冒険者をそのような場所へ?」
「最近、そこの近くにストームウルフの群れが現れるようになってね。幸い今のところ観光客に被害は無いし、今は丘の展望台に続く道は一時封鎖しているが、奴らが丘の上や街道の方にくる前に冒険者に退治してもらおうってことになったんだ。だけど……」
「その冒険者は戻ってこなかった、と……」
深刻な表情のオリヴァルドが、小さく頷いた。
「ストームウルフにやられたのでは?」
「ギルドに紹介してもらったパーティーの平均ランクは五級。人数は四人だ。対するストームウルフの討伐ランクは七級程度。いくら敵の数が多かったとしても、全滅するとは考えにくい」
確かに五級といえば、冒険者の中では中級の上位に分類される実力がある。敵の数が多かろうと、七級の魔物の群れ相手に全滅する可能性は低い。何か不測の事態があったと考えるべきだ。
「色々あって報告が上がってくるのが遅れたんだが、近々ギルドにも報告し、改めて彼らの捜索を依頼するつもりだった。もしよかったら君達が行ってみないか? もちろん後付けになるが、ギルドを通した依頼ってことにするし、この件は契約とは別口にする」
どうだろう? と訊ねてくるオリヴァルドに、リオンはわずかな思考のあとで頷きを返した。攫われたとみられる実験犠牲者達と、今回の行方不明冒険者。何らかの繋がりがあると考えるのが自然だろう。動かない理由がなかった。
リオンが承諾したのを確認したオリヴァルドは、後ろに控えていた執事に指示を出す。するとその執事は、懐から紙の束を取り出した。どうやら最初からリオン達にこの話をする気で資料を準備していたらしい。さすがは大商会の会長。実に抜け目ない男だ。
「行方不明になったパーティーの名前は『四天の焔』。リーダーの名前は……ミックというらしい」
渡された資料に目を通すリオンに、オリヴァルドがそう告げる。
こうして黒の翼は、観光都市ミラセスカを舞台にした悪夢に巻き込まれていくことになるのだった。