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プライベートビーチにて

 繰り返す波音。静かに吹く風に乗って、潮の香りが運ばれていく。


 白い砂浜。青い海。照り付ける太陽。ヤシの木のような南国風の植物。


 そして――


「とりゃあああああああああああああああああああ!」

「ひゃっほおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

「ウッ、ニャアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 ――切り立った崖の上から海に飛び込むバカが三人。


 冒険者パーティー『黒の翼』のメンバー、『ジェイグ』『アル』『ファリン』だ。


 三人は海面に大きな波飛沫を立てたあと、そのまま水中鬼ごっこを始めたらしい。完全に子どもに戻っている。三人のうち二人は、すでに成人を迎えた大人なのだが。


 そんなトロピカルな風景を、黒の翼のリーダー『リオン』は、陽の光を遮るビーチパラソルの下でのんびりと眺めていた。


 世界を股に掛ける大商会である『シスト商会』。ここはその代表であるシスト家のプライベートビーチだ。世界有数のリゾート都市である『観光都市ミラセスカ』から、馬車で十分ほどの距離にある。


 ビーチの幅は百メートルほど。両側を海に飛び出した崖で囲まれているので、誰かに覗かれる心配はない。ここに降りてくるのも、シスト家の別邸を通らなければならず、今はリオン達とシスト家の使用人くらいしかここにはいない。ミラセスカのビーチよりも風も波も穏やかで、海水も澄んでいる。泳ぐにも遊ぶにも最高の環境だろう。


 さて、リオン達がどうしてこのビーチでリゾート気分を満喫しているかというと、それは当然、シスト家から正式な招待を受けたからだ。


 先日の浮遊島『ビースピア』の調査の折、シスト商会はギルドに多大な支援を行った。それだけでなく、商会自体からも人手を派遣した。


 元々、ビースピアへの調査要請は、リオン達黒の翼が頼んだものであり、シスト商会には恩がある。なので、ギルドへの報告等が済んだあと、改めて礼をするためにシスト商会本部へ向かったのだが……そこでリオンが訊ねてきたと知ったシスト商会のご令嬢、レフィーニアこと『レフィー』に捕まった。


 レフィーはビースピアの調査にも同行しており、その際、ちょっとした事故からリオンに助けられて以来、誰の目に見ても明らかなくらいの好意を向けてくるのだ。


 今回の招待も、様々な理由を付けて黒の翼を――というかリオンを誘おうと必死だった。


 曰く、改めて助けてもらったお礼がしたい。


 曰く、ビースピアという商業的にも価値のある情報をもたらしてくれたお礼がしたい。


 曰く、浮遊島冒険の疲れを癒すなら、絶好の保養地がある。


 曰く、シスト商会として、黒の翼と専属契約をしたい。


 曰く、せっかくのご縁なので、黒の翼と良き友人になりたい。


 曰く、曰く、曰く、曰く……なんかもう、とにかく必死だった。


 このお嬢様、仕事が絡めば超が付くほど優秀なのだが、残念ながら恋愛に関してはレベルゼロ。いつも仕事で発揮している話術はどこへ行った! とツッコみたくなるくらい、モジモジあたふたわちゃわちゃ……終いには涙目になって、縋るような視線を向けてくる始末。


 リオンとしては、色々と面倒なことになるのは目に見えていたので、丁重にお断りしたかったのだが……普段は凛とした優秀なお嬢様の憐憫を誘う姿に、渋々招待を受け入れてしまった。なにせ恋敵であるティアですら思わず受け入れてしまうほどだ。その破壊力の凄さが理解できるだろう。


 まぁ結果としてこんな素晴らしいリゾートで、セレブのような休暇を過ごせることになったので、仲間達からは非常に喜ばれていた。


「あんたは混ざんないわけ?」


 リオンが、海ではしゃぐ家族の姿を見守る休日のお父さんのようにぼ~っとしていると、隣から声がかけられた。黒の翼のメンバーの一人、天才(暴走?)魔導技師の『ミリル』だ。


 着替えが終わるや否や一直線に海に向かって全力ダッシュした三人と違い、ミリルはパラソルの下でビーチチェアに寝そべり、のんびり読書に耽っていた。一応タンキニタイプの水着は着ているが、水に入るつもりは無いのだろう。上から白いパーカーを羽織り、丸いレンズのサングラスをかけていた。


「ティアがまだ来てないしな」


 シスト家のメイドさん――南国のビーチなのにメイド服は完全装備――が用意してくれたジュースに手を伸ばすミリルを横目に、リオンは覇気の無い声でそう返事をした。普段はクールなリオンも、今日ばかりはリラックスモードだ。


 先日までいたビースピアでは、未知の新種族との交渉から始まり、一国の調査団を相手に戦争を仕掛けたり、謎の襲撃者と死闘を繰り広げたり、ギルドの調査隊と交渉したりと、ずっと気を抜けない状態が続いていた。なので、しばらくはのんびりと心身を休めたかった。


 それにせっかくの休日だ。家族と遊ぶのも楽しいが、やはり最初は、最愛の恋人である『ティア』とリゾート気分を満喫したい。


 そんなリオンの気持ちを理解しているのか、ミリルは鮮やかなアクアブルーの炭酸ジュースをストローで飲み込むと、口元にニヤリとした笑みを浮かべてリオンに視線を向ける。


「ティアの水着姿…………凄いわよ」


 楽しみにしてなさい、とでも言うようにドヤ顔で重要な情報をくれるミリル。彼女がわざわざ口にするくらいなのだ。よっぽど凄いのだろう。否が応にも期待が高まる。


「……マジか」

「……マジよ」


 無言で見つめ合うリオンとミリル。数秒の沈黙ののち、どちらともなく右手を上げ、グッとサムズアップを交わす。


 普段はクールだが、リオンも男だ。最愛の恋人の水着姿に期待するのは当然の事だろう。


「あと、あのお嬢様も凄いわよ」

「……そっちはあまり聞きたくなかった」


 だが次の情報で、期待に膨らんだ心が一気に萎んでいく。


 なぜならそれは、これまでに何度も繰り返された女の争いが始まることを意味しているからだ。当然、その原因でもあるリオンは、そのど真ん中で巻き込まれることになる。


「せっかくの南国リゾートが、修羅場に変わるのか……」

「何を贅沢なこと言ってんだか、この幸せ者が」


 哀愁漂う表情で遠くを見つめるリオンに楽し気なツッコミを入れて、ミリルは読書に戻った。基本的にレフィーを含んだリオンの三角関係について、ミリル達仲間四人は傍観姿勢だ。特に焚きつけもしなければ、フォローもしない。成り行きをただ見守る(楽しむ)だけだ。


 そんな薄情な姉(妹?)に恨みがましい視線を向けるリオン。


 しかしミリルは、そんな視線をどこ吹く風とばかりに無視すると、リオンにはよくわからない魔術の本に目を向けながら、ジュースをズズッと飲み干した。


 するとすぐさまメイドさんの手により、空のグラスが下げられ、おかわりが差し出される。それに見向きもせずに「ありがと」と礼を言うミリル。客のくせに図々しいことこの上ない。完全にセレブのお嬢様気分である。


 まぁもっとも、身長が百四十センチに満たず、ビーチチェアの丈が余りまくっているので、全然格好がつかないのだが。おまけにミリルは、未成年のファリンにも負けるくらい胸がぺちゃんこ――


 チャキッ


「今変な事考えなかった?」

「何でビーチにまで銃持ち込んでるんだよ……」


 同情するような表情でミリルの水着姿を見ていたリオンに、物凄い速さで銃口が向けられていた。当然、すぐさま両手を上げて降参の意を示すリオン。白く美しい砂浜を赤い血で汚すわけにはいかないのだ。


「もう……また二人でふざけ合ってるのね」


 そんないつも通りのやり取りを交わす姉弟(兄妹?)の耳に、鈴の音のような優しい声が届いた。


 降参のポーズのまま、リオンはその声の方に顔を向けて――


「おまたせ、リオン」


 ――完全に思考が停止した。


 リオンの目の前に、美しさそのものとも思えるような光景があったのだ。


 砂浜の白さも霞むほどの、白く艶やかな肌。すらっと伸びた手足。出るところは出て、引っ込むべきところは引っ込む完璧なバランスを誇る姿態に、瞳と同じ空色のビキニ。パステルイエローのシャツが露出を抑えているが、豊かな双丘により形作られる魅惑の谷間は惜しげもなく晒されている。陽光を浴びて輝く金色の髪の上に乗せたむぎわら帽を片手で押さえながら、リオンへ少し恥ずかしそうにはにかんだ笑みを向けている。


 ギルドからは『流星の女神(ミーティア)』なんて二つ名で呼ばれているが、今のティアを前にすれば美の女神でさえ裸足で逃げ出しそうな気がする。


 そんな最愛の恋人の水着姿に、リオンは完全に心を奪われていた。隣でミリルが「ほら、言ったとおりでしょ?」とばかりにニヤニヤしているが、それも目に入らない。


 ――まいった。これは凄すぎる。


ふざけて取っていた降参のポーズが、奇しくも今のリオンの心境を正しく表していた。


「どうしたの、リオン?」


 瞬き一つせずに硬直したままの恋人の顔を、ティアが不思議そうな顔で覗き込んでくる。自然、前屈みになるため、危険な胸の谷間との距離が近くなる。


「……ああ、いや、すまない……あまりにキレイなんで、完全に見惚れてた」


 未だ回復しない思考をどうにか動かして、なんとか答えを返すリオン。いつもなら照れてしまう恋人への賛辞も、何の抵抗も無くこぼれ出すほどに動揺している。


 そしてそんなリオンの言葉は、ティアの心にも動揺をもたらすわけで……


「えっ? あ、その……あ、ありがとう……」


 真っ白な肌を一瞬で紅潮させたティアが、モジモジと恥ずかしそうにしながらもお礼を口にする。リオンに水着の感想を聞くつもりだったのだが、その必要もなくなった。


 その嬉しそうにしながらも、恥ずかし気に身をくねらせる姿も、リオンの心を鷲掴みにしているわけだが。


「……何かこの辺りだけ一気に気温上がったわね……ちょっと涼んでくるわ」


 熱い熱いと、パタパタと手で顔を仰ぎながら立ち上がったミリルが、他の三人がいるのとは反対側の崖へと向かう。二人だけの桃色空間を作り上げるリオンとティアに気を遣ったのか、本当に二人の熱気に当てられたのか……


 まぁどちらにせよその判断は正しかったのだろう。


 なぜならミリルが去ったすぐあとで、そこは戦場と化したのだから。


 恋する乙女二人の戦場へと。


「リオン様~!」


 その声が聞こえた瞬間、リオンは内心で「しまった!」と己の判断ミスを呪った。


 本当ならティアと合流を果たしたらすぐにでも、リオンはここを離れるべきだったのだ。崖の方へ行けば自然に二人きりになれる場所もあったかもしれない。もしくは水と風の魔法を使って、海中散歩もできただろう。


 ティアの水着の破壊力にやられていたので仕方ないのだが、すでに向こうがこちらを捕捉している以上、さすがにこの状況で逃げ出すのは失礼過ぎる。逃げるタイミングは完全に失われているのだ。


「リオン様~!」


 近づいてくる声に、小さくため息を吐きながらも、リオンは覚悟を決めてその声の方へ視線を向ける。


 そこには先ほどミリルとの話題にも上がったシスト商会のご令嬢、レフィーがこちらに向かって駆けてくる姿があった。


 爽やかな空色の水着を着たティアとは対照的に、レフィーは腰にパレオを巻いた鮮やかな真紅のビキニ姿だった。一見派手に見えるが、レフィーの鮮烈なまでの美貌の前ではあれくらいの方が合っているだろう。肩には質の良さそうな薄手のショールを纏い、花柄の日傘を手にしている。装いだけを見れば、紛うことなき深窓の令嬢だ。


 だが慌てて砂浜を駆けてくる姿は、飼い主に駆け寄る忠犬のよう。海水浴ということもあって今日はポニーテールにしているらしく、パタパタと揺れる赤みを帯びた茶髪がそのイメージを助長する。


 が、それ以上に揺れているのは、ティアに負けず劣らずの大きさを誇る胸だ。着ているのが布面積の少ないビキニということもあって、その破壊力は凄まじいものがある。まさに防御を捨てた完全攻撃特化の武装! あるいは戦略兵器か! それはミリルの造る魔導爆弾をも上回る威力を――


「リオン……?」

「……すまない、悪気は無かった」


 隣から猛烈な冷気が! 反射的に謝罪の言葉を口にして、視線を逸らす。


 何度も言うが、リオンも男だ。最愛の恋人が隣にいたとしても、グラマラス美女の水着姿に視線が引き寄せられてしまうのは仕方ないだろう。


 もちろん悪いとは思っている。反省もしている。だから南国リゾートにブリザードを起こすのは止めて頂きたい。


 そんなリオンとティアの間に奔る緊張に気付くことなく、レフィーは自身の想い人の元へ一直線に向かってくる。


 だがここは砂浜だ。こんな足元の不安定な場所で慌てて走ってきたら――


「申し訳ございません、着替えに手間取って――キャッ!」


 ――案の定、リオンの手前で砂に足を取られた。走ってきた勢いを止めることができず、ビーチチェアに座ったままのリオンに向かって倒れてくる。


 リオンの眼前に、魅惑の大きな二つの果実が広がる。このままではリオンの顔面は、あの二つの果実に押し潰されることになるだろう。


 これがラブコメだったら、完全なるラッキースケベなシチュエーション。偶然にも手が胸に触れるところまでがお約束だろう。


 だがリオンは、そんなラブコメの主人公とは違う。一流冒険者としての身体能力と体術を駆使して、そんなお約束を全力で回避する。


 だってそんなことになったら、ティアの機嫌が氷点下まで下がるから。『南国』を『南極』に変える勇気はリオンにはない。


 まぁ回避とはいうが、本当に避けるわけではない。それをするとレフィーがケガする危険性があるからだ。色々と振り回されてはいるが、自分を想ってくれている女性を無下にすることなどできるはずがない。


 よって合気道の応用で、レフィーの肩にそっと手を当てて体を反転させる。さらに倒れる方向をズラすことで、リオンの太腿の上に横座りするような体勢に調整した。そして背中に手を当てて衝撃を吸収することで、レフィーにケガどころか痛みも感じさせることなく、無事に受け止めることに成功したのだ。


「ふぅ……」


 最悪の事態は回避したリオンが、小さく息を吐く。ホントにこのお嬢様には手を焼かされる、と内心で苦笑いしながらも、膝の上に座ったままのレフィーに目を向ける。


 転びそうになったためか、レフィーは目をギュッと瞑っていた。自身に訪れるであろう衝撃を今か今かとビクビクしながら待っている。


「レフィー……レフィー!」


 未だに状況に気付かないお嬢様の頬を、そっと叩く。恋人でもない女性の顔に触れるのはどうかと思ったが、何せレフィーはビキニ姿。ショールも転んだ拍子に肌蹴てしまっている。ただでさえ不機嫌な恋人の前で、女性の剥き出しの肌に触る勇気はリオンにはなかった。


「……ん……え? ……え?」


 リオンの呼び掛けでようやく目を開いたレフィー。夕陽色のキレイな瞳がリオンを見つめ、パチパチと瞬く。


 どうやら転んだショックから、思考能力が落ちているらしい。顔を下に向けて自身の状態を確認し、顔を上げてリオンの顔を見つめるという動作を何度か繰り返している。


 まぁ実は、この現状の危険性を正しく認識できていないのはリオンも同じなのだが。


 ここはビーチだ。リオン達は海水浴に来たのであり、それはティア達が水着姿であることからもわかる。


 当然、リオンも水着を着ている。黒の海水パンツに、上は白の薄手のシャツを羽織っている。ボタンは留めていないので、胸元は丸見え。細身だが、鍛え上げられた肉体を惜しげも無くさらしている。所々に傷跡が見えるが、それもワイルドな男らしさを醸し出していると言えるだろう。


 つまり現在のレフィーは、そんな状態の想い人(リオン)に横抱きにされ、手を頬に添えられた上に至近距離から見つめられているわけだ。


 そしてレフィー自身も水着姿。しかもビキニというかなり露出の高い水着だ。リオンに見てもらおうと、秘書のアマンダと相談の上、勇気を出して選んだが、本当は羞恥心で心臓がどうにかなりそうなくらい緊張していた。この恋するお嬢様は、その猪突猛進な行動力とは裏腹に、恋愛への耐性は皆無。今の自身の姿と同じく、防御力はゼロなのだ。


 そんな恋愛紙装甲なレフィーが、現状を正しく認識すればどうなるか……


「あ、あう……あう、あう…………」


 金魚のように口をパクパクさせ、変な声を漏らすレフィー。顔だけでなく全身がゆでだこのように紅潮し、頭から湯気が出そうだ。身体は小刻みに震え、夕陽色の瞳は混乱でぐるぐるぐるぐる。今にも卒倒してしまいそうだ。


 そんなパニック状態の恋する乙女に心配そうな視線を向けつつ、リオンが口を開く。


 レフィーを一瞬で陥落させた時と同じ微笑みと共に――


「砂浜で走ったら危ないぞ。せっかくのキレイな肌に傷が付いたら困るだろ?」


 ――無自覚にとどめの一撃を放った。


「キュゥ~~~~………………(ガクッ)」

「あ、おいっ! レフィー! レフィー!!」


 羞恥心が限界を突破したお嬢様は、意味不明な声を上げて気を失った。リオンが慌てて呼び掛けるが、意識を取り戻す様子は無い。もっとも、気を失ってるのにどことなく幸せそうに見えるのは、きっと気のせいではないだろう。


 レフィーを追ってきた秘書のアマンダが、リオンの膝の上で気絶した上司を見て、すぐさま状況を把握。申し訳なさそうにレフィーを抱き上げるリオンから彼女を受取ると、部屋まで送り届けてくれた――本当はリオンが自分で連れて行こうとしたが、女性の自室に本人の許可なく上がるのは悪いと自重した。


 こうして図らずもティアと二人きりになれたわけだったが……その日一日は、海底散歩をしながら、恋人のご機嫌を回復させることに全力を尽くすことになったのだった。










「何やってんだかね~あいつも」


 リオン達のドタバタを肩越しに振り返りながら、ミリルが呆れたような笑みを浮かべる。


 ミリルは基本的に彼らの関係にはノータッチだ。家族としてリオンとティアの恋は応援しているが、だからといってレフィーの邪魔をする気も無い。恋愛は当人同士の問題だ。家族であろうとそこに口を挟むべきではないとミリルは考えている。


 なのでこうして彼らに背を向けて離れていっているわけだ。


(まぁあとでからかいはするわけだけど)


 口は出さないが、傍観して楽しむくらいは許されるだろう。リオンからすれば迷惑極まりないし、ティアとしては気が気じゃないだろうが、そこは当事者だけで解決すればいい。


 それにあのお嬢様がどんなに頑張ったところで、あの二人の気持ちが離れるとは思えないのだから。


(そういう意味では、あのお嬢様も根性あるわよね~。普通、あの二人のラブラブぶりを見たら、間に入ろうとか思わないと思うんだけど)


 実は本人に自覚は無いが、リオンは女性にかなりモテる。


 元々容姿は整っているうえに、冒険者としては一流。感情をあまり表に出さないので冷たい印象を与えがちだが、基本的に物腰は柔らか――ただし身内は除く――だし、優しく気遣いもできる――ただし身内は除く。特に、普段はクールで少しミステリアスなリオンがたまに見せる微笑みは、そのギャップと相まってかなりの破壊力を持っている。あのレフィーが一瞬で陥落させられたのが、何よりの証拠だ。


 では何故、決して鈍感ではないリオンが、その事実に気付いていないかといえば……それは当然その隣に、女神と称されるほどの美女、ティアがいるからだ。ティアの美しさを見ればたいていの女性は気後れするし、ティアとリオンのラブラブな関係を見て、それでもアプローチを掛ける勇気のある女性は、まずいないだろう。


 もしティアがいなければ、リオンが女性に言い寄られる回数を数えるには、両手じゃ全く足りなかっただろう。


 いくらレフィー自身がティアに負けないくらいの美女とはいえ、あの二人の間に割って入る度胸はなかなかのものだと思う。そういった意味では、ミリルはあのお嬢様を評価しているし、その他の面でも割と好ましく思っている。


(少なくともあたしには絶対無理だわ。ま、そんな気はこれっぽっちも無いわけだけど)


 普段は魔導具や魔術にしか興味を示さないミリルだが、決して色恋沙汰に興味が無いわけではない。普通の女の子程、恋に焦がれたりはしないが、ティアとリオンの関係は、見ていて羨ましいとは思う。リオンがどうという話ではなく、愛する人と結ばれて幸せそうなティアの姿は、女ならば誰でも夢見るものだろう。


 実際、好意を向けられているリオンはともかく、ティア自身もレフィーのことは嫌ってはいないように思える。同じ人を好きになっていなければ、きっと良き友人になれたのではないだろうか。


(これから先どうなるかはわかんないけどね。まぁあまりにもあいつの負担になるようだったら、少しは手を貸してあげるけど)


 ミリルにとって、リオンは大切な家族で、大事な弟だ。どっちが上かはお互い言い分はあるが、そこは譲らない。


 そんな家族としての愛情とは別に、リオンには多大な恩がある。五年前の炎の夜からずっと……同時に、色々なものを背負わせてしまった負い目も……


本人は気にしていないだろうが、ミリルはきっと一生忘れることはできないだろう。


 多分これからも、頭は切れるのにどこか不器用なあの男は、家族のために多くの重荷を背負おうとするだろう。


 だからこそあの夜に自分に課した誓いだけは、絶対に守り抜く。


 ――あいつがこれから背負う重荷を、少しでも軽くできるように。


(まぁなんだかんだ言っても、あいつが他人の好意をないがしろにする筈ないわけだけど)


 結論として、結局傍観しながら適当にからかうのが正解なのだろう。なので今日も帰ったら、ジェイグ達と一緒に盛大にからかってやることに決めたミリルだった。


(さて、考え事しながら歩いてたら、結構遠くまで来ちゃったわね)


 気が付けば、周囲の景色は随分と変わっている。地面は砂から土へ。丘の上へと登って来たので、海面が結構下に見える。崖の天辺まではまだ距離があるが、せっかくここまで来たのだし、上まで登ってみてもいいかもしれない。


(上なら景色も良さそう……ん?)


 ふと横を見ると、丘の上へ上るのとは別にもう一つ道があった。どうやら崖の下に降りられるらしい。


(一応、整備された道みたいね。てことは、この下に何かあるわけ?)


 よく見なければ見落としてしまうような道だったが、一度気付いてしまえばやはり気になるのが人間。別に特に目的地があったわけでもないので、ミリルはその道を降りてみることにした。


 シスト家が別邸を建てているだけあって、この辺り一帯には魔物除けの魔導具が整備されている。戦闘技能も持った使用人達が定期的に見回りもしているようだし、魔物を警戒する必要もないだろう。


 道は崖に沿って湾曲した形で下まで伸びている。それほど高さも無いので、歩いて一分ほどでミリルは崖下へと辿り着いていた。


「へぇ……」


 道の先にあったのは、小さな入り江だった。天井も含め、周囲を崖に囲まれているため、別邸やビーチからは死角になっている。海からは見えるだろうが、近くまで来なければ気付くことはないだろう。とはいえ、道が整備されている以上、シスト家の人間は知っているだろうが。


 天然の洞穴となった入り江には、風もほとんど入ってこない。波も穏やかで、魚が泳いでいるのが肉眼でも確認できる。崖からは木の根が飛び出しており、中々の景観を楽しめる。ミリルが思わず声を出してしまうくらいだ。ティア辺りは気に入りそうな感じがする。


(二人きりになるなら絶好の場所ね。あとであのバカップルにも教えてやるか)


 もしかしたらレフィーは、リオンをこの場所に誘いたかったのかもしれないが……残念ながらリオンがレフィーと二人きりでここに来るとは思えないので、別に問題ないだろう。


(とはいえ、あたし一人で長居するのもなんだし、そろそろ戻るとしましょうかね)


 ビーチからでも見える崖の上ならともかく、死角となっているこの場所にいつまでもいたら仲間も心配するだろう。特に心配性の長女辺りが。


 自然と目に浮かぶ光景に苦笑しながらも、ミリルは来た道を戻ろうと踵を返し――




 ――ミ……ル……




 どこからか聞こえた声に、足を止めた。


 入り江の方を振り返って辺りを見回す。


(……誰も、いないわよね)


 入り江の中には特に隠れる場所もない。そもそもこの広さの空間で、ミリルが気配を察知できないとは考えにくい。


(気のせいか……)


 何かの音を聞き間違えただけだろう。そう結論付けてミリルは前を向き――


 ――ミ……リル……


「誰!?」


 バッと音が出るくらいの勢いで振り返った。


 今度はさっきよりもはっきり聞こえた。しかも自分の名前を呼ばれた。決して気のせいじゃない!


「誰かいるの!? 隠れてないで出てきなさい!」


 ミリルが声を張り上げるが、それに返事はない。ただ自分の声が崖に反響して返ってくるだけだ。


 入り江の奥や海側まで謎の声の主を探すが、やはり人どころか魚や虫以外の生き物の姿さえ無かった。


(誰もいない……? でも確かにあたしを呼ぶ声が…………ん?)


 謎の声に自分の名を呼ばれるという体験に、不快感を露わにしながら周囲に視線を巡らせていると、波打ち際に何かがキラリと光るのが見えた。


 すぐさま駆け寄り、それを拾い上げる。


(……ペンダント?)


 それは細い金属の鎖が付いたペンダントだった。ペンダントトップは四つの小さな正方形が組み合わさって、大きな正方形が形作られている。小さな正方形は青と緑の宝石――ちょうどミリルのオッドアイと同じ色の組合せだ――が二つずつ交互に入っている。ちょうど大きな正方形の対角線上に、同色の宝石が並ぶ形だ。


 永らく海水に晒されていたせいか、鎖やペンダントトップの金属部分はほとんど錆びついてしまっているが、宝石は今もなお美しい輝きを保っている。


(あのお嬢様の落とし物かしら……落としてから結構時間が経ってるみたいだけど)


 ――やっと、会えた……ミリル……の……いミリル……


(!?)


 再び響く謎の声。間違いなく聞こえた。


 しかもミリルの気のせいでなければ、その声はまるで頭の中に直接響いてきたような――


「……お~い、ミリル~」


 また名前を呼ばれた!


 今度は入り江の入り口の方から声が――


「お、いたいた。こんなところで一人で何やってんだよ、おめぇ」

「…………ジェイグ」


 そこにいたのは見慣れた赤毛の大男。黒の翼の最年長、ジェイグだった。片手でカラフルなボールを弄びながら、入り江へと入ってきた。海水に濡れた海水パンツに、上半身は何も身に着けず、タオルを肩にかけている。普段はツンツンと逆立っている赤毛も今はしおれ、毛先から時折海水が滴り落ちていた。


「って、なんだここ!? すっげえ雰囲気の良い場所じゃねぇか! リオンとティアに教えたら喜びそうだな!」


 入り江の中を見回して、ジェイグが感嘆の声を上げる。考えることがミリルと一緒なのは、付き合いの長い家族ならではだろう。


 いつも通りの仲間の姿に、ミリルは大きく息を吐いて緊張を解く。得体の知れない声に名前を呼ばれるという状況に、自分でも気づかぬうちに肩に力が入っていたようだ。


(ジェイグの声……だったのかしら……)


 もしかしたら崖の上でミリルを探していたジェイグの声が、風に乗って入り江まで運ばれてきたのかもしれない。声の場所がわからなかったのは、入り江を囲む崖に声が反響していたとも考えられる。


(でもあたしがこいつの声を聞き間違えるなんて……)


 自分で立てた推論に自信が持てない。だが、それ以外の可能性が考えられないのも事実だ。この入り江にミリルとジェイグ以外に人がいないのは確実だ。まさか姿も見えず、気配もない存在がいるとも思えない。そんなのまるで幽霊だ。あまりに非科学的すぎる。


 ゆえにミリルはジェイグが声の主なのだろうと結論付けることにした。もっとも本人にそのことを訪ねれば、得体の知れない声にビビっていたと勘違いされそうなので、口に出すことは決してなかったが。


「お? 何だ、そのペンダント。おめぇのか?」


 ミリルの傍まで寄ってきたジェイグが、ミリルの手の中にあるペンダントを覗き込んでそう訊ねてきた。


「はぁ? あたしがこんなもん買うわけないでしょ?」

「いや、おめぇだって女なんだし、アクセサリーの一つや二つ、持ってたっておかしかねぇだろ」

「そういうの興味ないわよ。だいたいあたしにこんなキレイなペンダント、似合うわけないじゃない」


 人に言われれば反発してしまうが、自分に色気が無いのはわかっている。女の子らしく着飾るようなガラでもない。こういうのはティアやあのお嬢様みたいな美女か、ファリンのような可愛い美少女が身に着けるべきものであって、自分のようなちんちくりんが持つものではない。


 そんなミリルの言葉に、ジェイグはどこか納得したように腕を組んで頷く。


「まぁ確かに、おめぇだったらそういう宝石より、魔石の方が喜びそうだよな」

「そうね、あたしもこれが魔石だったらってちょっと思ったわ」


 ジェイグの言い分には自分でも同意する。正直、宝石に高いお金をかけるくらいなら、魔導具に使える魔石を買うのは間違いない。


 ミリルの言に、やっぱりなと言いたげな呆れた苦笑いを浮かべるジェイグ。


「ま、あたしにはこういうキレイなのは似合わないわよ。ティア達と違って、女の子らしい水着も着れないしね」


 しかし続いたミリルの発言を聞いてその苦笑をすぐに引っ込めると、ジェイグは再びペンダントに視線を落とした。そして「そうか?」と首を傾げた後、ミリルのオッドアイを真っ直ぐに見つめてくる。


「似合わねぇってことはないんじゃねぇか? その水着だって、結構可愛いと思うぜ? それにほらこの宝石、おめぇの眼と同じ色で、すっげぇキレイだしよ」


 そう言ってニカッと笑うジェイグ。


 思わぬ不意打ちに、ミリルはポカンと口を開けてジェイグの顔をマジマジと見つめる。


「……あんた、頭でも打ったわけ?」

「打ってねえよ!」

「変な薬でも打ったわけ?」

「打ってねぇよ!」


 心外だ! とでも言うようにウガーッと怒鳴るジェイグ。何もおかしなことは言っていないはずなのに、頭のおかしい人、あるいは薬でキマっちゃってる人みたいな扱いを受ければ当然の反応だろう。


「いや、あんたの口からそんな歯の浮くようなセリフが出てくるとは思わなかったから」

「なんだよ! 人がせっかく褒めてやったってのによぉ!」

「慣れないことするからよ」

「褒められた側が言うセリフじゃねぇなぁっ!」


 ひとしきり叫んだあと、拗ねたようにそっぽを向くジェイグ。いつものことながら、この男をからかうのは楽しい。割と波乱万丈な生活をしているためか、こういった日常的なやり取りというのはどこかホッとするのだ。


 まぁそれはジェイグに限った話ではなく、他の家族全員に言えたことだが。


「ま、それはともかく、こんな色気も無い女に、アクセサリーなんて似合わないわよ」

「まぁ確かにティアとかと違って胸はねぇけど――」

「……死にたいようね」


 チャキッとジェイグの顎に魔銃を突き付ける。自分で言うのはともかく、人に言われるのは腹が立つのだ。


「何でビーチにまで銃持ち込んでんだよぉ!?」

「リオンと全く同じツッコミ入れてんじゃないわよ!」

「知らねぇよ!」


 静かな入り江に響き渡る二人の怒声。のどかな風景が台無しである。


「……まぁいいわ。そろそろ戻らないと、ティアが心配するわね」

「そういや、俺もティアやリオンに言われて、オメェを探しに来たんだった……」


 しばらくの間、ギャーギャーと他愛もない言い争いを続けていた二人だったが、少し日が傾いて来たのを見て、冷静さを取り戻した。無駄な時間を過ごした……と、互いに肩を竦めて苦笑いを交わし、崖の上へ続く道を上っていく。


 ちなみに拾ったペンダントは、ミリルのパーカーのポケットにしまった。あとで落とし主がいないか、レフィーにでも聞いてみるつもりだ。


「ったく、オメェが素直じゃねぇから……」

「あんたが慣れない褒め言葉なんて言うからでしょ。それと、そのボールは何?」

「あ、これか? 水毬っていうオモチャだ。普通の地面だけじゃなく、水でも砂でもよく跳ねるんだよ。この町のどこでも玉蹴りや玉投げなんかが遊べるって、ミラセスカのガキの間で流行ってるらしいぜ」

「へぇ~、ガキのあんたには丁度良いわけね」

「うっせぇな。そんなひねくれてねぇで、たまにはオメェも遊んでみればいいじゃねぇか」

「別にいいわよ。何が楽しいんだかわかんないし」

「ったく、可愛くねぇ奴」


 結局、帰り道でも憎まれ口を交わし合う二人。時折ミリルから物理的な攻撃が飛んできたりするのだが、そんな二人の表情は、言葉や攻撃の鋭い切れ味と違って実に楽しそうな笑顔だった。


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