エピローグ2 ~ビースピア~
リオンがシスト商会のご令嬢、レフィーニアことレフィーに色々と振り回された日から二週間。ケガによる体力低下なども治り、完全回復したリオンはなかなかに多忙な日々を過ごすことになった。
特に大変だったのは、ビースト族――リオン達が仮で付けた呼称が、ギルドにより正式な種族名と認められた――とギルドとの交渉の仲立ちだ。
ギルドでは、基本的に先住民族のいる浮遊島は、その先住民に占有権があるという扱いになる。一つの国として扱うかは、その島の文化レベルや民族性などによって異なるが、あくまで対等な立場で関係を築いていくのだ。
ゆえに、この島は全てビースト族に所有権があり、この島から何かを持ち出したいのなら、ビースト達に何らかの対価を払うか、その島の一部の所有権を譲渡してもらう必要があった。
だがビースト族はそもそもの文化レベルが低すぎた。取引の概念もないし、言葉はペルニカ語だが文字は知らない。簡単な調査の結果、この島は珍しい鉱物や有用な植物の宝庫だとわかったが、ビースト族にはその価値を理解できなかった。
当然、そんな彼らがギルドとまともな交渉などできるはずも無く――
「欲しいのならば好きなだけ持っていくがいい」
――などと言い出す始末。ギルドやスポンサーであるシスト商会からすればありがたい話なのだろうが、このままではビースト達が知らないうちに貴重な資源が一方的に略取されることになりかねない。
そのためギルドとの交渉には、ビースト側の代理交渉人として黒の翼が間に入ることになった。これはビースト達の総意であり、彼らの信頼の証でもある。一応、リオン達は冒険者であり、ギルド側の人間でもあるのだが、この島の第一発見者であり、この島を聖バレアス教国から守り抜いた功労者ということもあり、ギルド側もこれを了承した。
そうして始まった交渉では、ビースト達の今後の生活に最大限の利益が出るような道を模索した。その結果、様々な取り決めが交わされたが、特に重要なのは以下の三点だろう。
この浮遊島――ビースピアと命名されたこの島の平地の一部をギルドに譲渡。そこに地上人用の町を作り、ビースト達との相互交流を図ること。
ビースト族に地上の技術や知識などを教えるための教育機関の設立。
ビースト達を保護する法規範の制定。
一つ目の取り決めは、ギルドからの要望だ。
この島の動物達の秘密――人工的に作られた合成生物だということ――はリオン達の口からギルドに伝えられている。その合成方法は今のところ不明だが、今後の研究でそれが判明すれば、畜産業や養殖などに活かせるかもしれない。
また植物の方はこの島で自生した物だが、地上にはない新種の植物も多くあり、食用や薬学方面などで期待が寄せられている。すでに薬学研究で何らかの成果が出始めているらしく、かつて治療院で働き、医学方面の知識もあるティアが興味を持っていた。
それらの研究のためには、やはり長期的な生活拠点が必要だ。また地上から物資や人の流れてくる以上、そのための住居や倉庫等を建てるためにも広い土地が必要だった。
そのためギルドとしては、対価を払い続ける土地の借用よりも、譲渡が望ましいということで、草原地帯と今回バレアス軍に焼き払われた土地をギルドに譲渡した。もちろん森の方はビースト達の領地なので、森の開拓は禁止。森に調査に入れるのはビーストの許可を得た者のみなど、細かいルールも決めた。
なおこの土地の譲渡は、ビースト側にも利がある。
今後、これらの土地にはギルド主導により、様々な施設が建造されていくだろう。だが地上数千メートル上空にある浮遊島で、そのための人員を地上の人間だけで確保するのは難しい。今回の派遣隊にもかなりの人数が参加しているが、そのほとんどが冒険者であり、地上での生活があるのだ。ある程度の初期調査が終われば地上へ帰還してしまう。
なのでその作業人員として、ビースト達に協力してもらうのが最善。そしてそれによりビースト達と地上人との仲が深まるだろうし、地上の建築技術を学ぶ絶好の機会でもある。もちろんそれ以外にも、地上の物資――主に金属製品や医療物資など――を対価として受け取る約束にもなっている。
だが建築技術以外にも、全体的な技術文化レベルの低いビースト達が、地上から学ぶべきことは多い。そのための教育機関として、町にビースト専用の学校を作ることも約束させた。それが二つ目の重要な取り決めだ。
そして最後の取り決め。
ビースト達は体内に魔力を持たない。単純な身体能力だけなら、大抵の人間よりは上だろう。だが魔法による身体強化を使えば、そんな差など容易く引っ繰り返されてしまう。そして魔力が無いということは、魔導具を使えないということだ。その差は技術的な意味でも、戦力的な意味でも大きい。
つまり地上の人間からすれば、ビースト達を支配下に置くことなど容易いということだ。先の戦いでバレアスがそう目論んだように。
そしてそれは個人を相手にした場合も同様だ。この島に来た冒険者であれば、たとえ低ランクであろうとビースト達を圧倒できる。そのため今後のビースト達の立場は非常に危ういものとなっている。
ゆえに彼らを保護するために、地上人がビースト族に危害を加えないようなルールを制定することは必須事項だった。いくらギルドという組織が彼らを対等な民族と認めたとしても、人間の中には彼らを害するような邪な者も多くいるのだから。そして将来的には、地上でもそのルールが適用され、ビースト族が地上を訪れることができるようになればいいと思う。
あと、この島の資源の取引については、まずはビースト達に金銭取引の概念や物の価値などの必要な知識を教えてからでもいいだろうということでまとまった。物流ルートなどの確立など、色々と整備が必要なことも多いので、それが形になるまでは保留でも構わないという判断だ。
なお物資の流通や資源の販売については、シスト商会が中心となっているらしい。
そうしてギルドとビースト族との関係を取り持っていたリオンだったが、その間に他のメンバーも色々と動き回っていた。
ティアは基本的にはリオンのサポート。リオンは頭が切れるが、知識面ではティアの方に分がある。ギルドの細かな規定や、国際的なルールなど、リオンに足りない知識を補ってくれる頼れるパートナーだ。
もっともあの日以来、何かにつけてリオンへのアプローチを目論むレフィーを牽制するのに忙しいようで、サポートに集中できていなかったが。とりあえず威嚇のようにブリザードを起こすのは止めて欲しい。関係ないギルド職員のプードルやコーギー達まで凍り付くハメになっているから。
ミリルは、アーティファクトの解析のためにあの地下研究所に籠っている。
やはりあのアーティファクトは空間転移用の魔術で間違いないらしい。ただ魔術陣に使われている転移先を示す座標が、遠距離通信で使うものと異なっているため、実用化まではまだまだ時間がかかるとのことだ。「せめて転移先の魔術陣の場所がわかれば楽なんだけどね」と、ミリルが渋い顔で報告に来ていた。
アルはミリルの補佐だ。研究に没頭して寝食を忘れがちな姉に手を焼いているらしい。もっとも、この島までの道中で妙に気にいられた冒険者のお姉さま方から逃げられているので、特に文句も無いようだが。
ジェイグはビースト達の世話をしている。ギルドも注意しているのだが、荒くれ者の多い冒険者が大勢来ているため、何かとトラブルも多い。そういった問題からビースト達を守るため、一番彼らと仲が良いジェイグにサポートを頼んだのだ。またこの島を去るまでに、可能な限りビーストの子供達へ稽古を付けてあげたいらしい。
ただマリアンヌ――森長の娘、ジェイグに惚れているゴリラのビースト――がいつもジェイグのあとをつけてくるらしく――
「彼女持ちのリオンは超美人な金持ちお嬢様に惚れられ……アルは色んなお姉さんにモテモテ……なのに何で……何で俺はゴリラなんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
――と血の涙を流して叫んでいた。形は違えど、黒の翼男衆には女難の相でも出ているのかもしれない。
最後に、ファリンは解放した奴隷獣人達のケアをしていた。
彼らの処遇については、基本的にギルドに一任することになる。おそらくどこかの国に難民として受け入れてもらうことになるだろう。だが、長い間奴隷として苦しめられてきた彼らの、人間に対する恐怖や不信は根強い。幸い派遣されたギルド職員には獣人も多いので、奴隷達を解放し、彼らからの信頼もあるファリンが間に入り、彼らの心のケアを含め、色々と世話をしてもらっていた。
そうして今日、一通りの役割を終えたリオン達黒の翼は、一度帰還するギルド調査隊の半分と一緒に、この浮遊島――ビースピアを去ることになった。ギルドへの報告と今回の報酬の清算のため、一緒に『観光都市ミラセスカ』へと向かう。
「色々と世話になったな」
「それはこちらのセリフだ。むしろ受けた恩が多過ぎて、返す算段が付かないくらいだ。できればしばらくこの地に留まってもらいたいのだがな……」
「俺達も名残惜しくはあるが、こっちも色々と都合があってな。それに空は好きだが、さすがにそろそろ地上が恋しくもなってきた。予定通り出発させてもらうよ」
見送りに来た森長と、リオンが握手を交わす。後ろには他のビースト達の姿もある。どうやらビースト総出で見送りをしてくれるらしい。
黒の翼の面々も、それぞれ交流のあったビースト達と別れの言葉を交わしている。号泣するマリアンヌに抱擁され、ジェイグが悲鳴を上げているが見なかったことにした。
「またこの地を訪れてくれるのだろう?」
「ああ。ミリルがこの島に目印を付けてくれたからな。そのうち顔を見せに来るつもりだ」
目印というのは、もちろん魔術によるものだ。バレアスの連中が使っていた期限付きのものではなく、ほぼ半永久的に効果が続く。空を漂うこの島も、その魔術があれば容易に辿り着くことができるらしい。
ちなみにこの魔術は、元々ある魔術にミリルが手を加えたオリジナルらしい。それを知ったギルドの魔導技師が、その有用性に驚き、目の色を変えてミリルに突貫した結果、銃弾で撃退されるという一幕もあった。ギルドの職員に銃弾ぶっ放すのはやり過ぎだと注意したが、「しょうがないじゃない! 気持ち悪かったのよ!」と鳥肌の出る腕を擦っていた。
「ならばその時を楽しみにしていよう。そなた達への恩義と友愛を、我らは決して忘れない。またいつでも好きな時にこの島を訪れて欲しい。そなた達のお陰で彼らとも上手くやっていけるだろう。次にそなた達が来るときには、この島も彼らの手によって様変わりしているかもしれないな」
「ああ、楽しみにしている」
その後、ダルルガルムら森の戦士達とも言葉を交わし、リオンはギルドの船へと向かう。出発前の最後の打合せをするためだ。黒の翼の他のメンバーも、各々のタイミングで向かっている。
(ミリルとアルは先に向かってるか。ファリンはまだ話をしてるみたいだな。ジェイグは……放っておこう……あれはかなり時間がかかるだろう)
島にいる間はずっと一緒に行動していたわけではないので、各自のビースト達との交友関係はバラバラだ。なので集合時間だけ決めて、あとは各自で別れの挨拶を澄ますようにしたのだ。
リオンは森長やダルルガルムなど、代表的な連中としか関わらなかったので、挨拶も手短に住む。ミリルとアルは、そもそも滞在期間が短いのでビースト達との交流はほとんどない。ファリンは森の戦士達に金属武器の扱いなどを教えていた関係で、彼らからの人気は高い。
だがおそらく仲間内で一番挨拶に時間がかかるのはジェイグだろう。マリアンヌだけでなく、ビーストの子供達とも色々と積もる話もあるだろう。まぁマリアンヌの抱擁を抜け出せたらの話だが。
(あとはティアだけど――)
「リオン!」
ちょうどその姿を探していたところに、その本人から声がかけられた。どうやらリオンがギルドの船に向かうのを見て、あとを追ってきたらしい。
「ずいぶん早かったな。もう話は済んだのか?」
「ええ、一通りは」
「まだ時間はあるし、もっと話をしていても良かったんだぞ? 弓を教えた戦士達とか一緒に料理した奥様方とか、話したい相手は結構いただろ」
リオンの隣に並び腕を組んでくるティアに話しかける。ティアも多くのビースト達と交流する機会は多かった。不愛想なリオンと違い、穏やかで優しいティアはビースト達からも人気がある。挨拶にはもう少し時間がかかると思っていたのだが。
「女の人達には、ちゃんと料理のレシピも渡したし、森の戦士の皆にもちゃんと挨拶したわ」
「レシピ渡したって、ビースト達は文字が読めないだろ?」
「地上の人達との交流に備えて勉強するみたい。私の料理を気に入ってもらえたみたいで、早く作れるように勉強頑張るって言ってたわ」
少し誇らしげに微笑むティア。確かにティアの料理は絶品なので、彼らの言うこともよくわかる。
「けどそれなら向こうも色々と話したいことあったんじゃないか? しばらく会えなくなるんだし……」
「まぁ私も名残惜しいとは思うし、向こうも色々話してくれたんだけどね……」
そう話しながらも、何故かリオンの腕を抱きしめるようにして密着するティア。左腕に当たる柔らかな感触は意識しない。二人きりだと甘々な恋人だが、普段は人前でここまで密着してくることは無いのだが……
そんなティアの態度を不思議に思っていると、何故か重い雰囲気を醸し出して話の続きを口にする。
「これから女の戦いが待ってるって言ったら、快く見送ってくれたわ」
ラブラブな感じで寄り添いながらも、何故か油断ならない様子で前方を見据えるティア。
その視線の先には――
「リオン様!」
――なるほど、確かにティアの敵がいた。
恋敵という名の敵が。
パタパタと、薄らと頬を染めた状態でこちらへ駆けてくるレフィー。獣人でもないのに、激しく降られる犬尻尾が幻視できる。その後ろでは、護衛と思わしき男性や秘書らしき女性が、突然走り出したお嬢様を慌てた様子で追いかけていた。
「お待ちしておりましたわ! もうお話の方はよろしいのですか?」
相変わらず、隣にいるティアを気にした様子は無い。というか、先日の夜同様、リオン以外見えていないのかもしれない。
そんな恋するお嬢様は、勢いのままに愛しい彼の胸に飛び込もうとする。
だが――
「こんにちは、レフィーニアさん」
――恋人からのインターセプト! ニッコリ笑顔なのに眼だけが笑っていないティアが、レフィーの前に立ち塞がった。
「あら、ごきげんよう、ティアリアさん」
想い人との間に割って入られた形のレフィーさん。一瞬、ほんの一瞬だけ眉をヒクつかせたが、そこは世界を股に掛ける大商会の副会長。ふわりと優雅に微笑むと、気品ある仕草でカーテシーを決める。レフィーの周囲に満開のバラの花が見える……気がする。
まるでどこぞのお姫様のようなオーラに、しかしティアも負けじとブリザードで応戦。バラの花なんて全部枯らせるどころか、凍らせて砕く気満々である。
もちろんどちらもただの幻なのだが……
「私達に、何かご用でしょうか?」
「私リオン様にお話がありまして……そこを通していただけます?」
「でしたらこのままお話されたらどうですか? リオンにも聞こえてますし」
「あくまで個人的なお話ですので。できれば二人きりでお話がしたいのですが」
何か話があるなら二人で伺いますよ~、と牽制するティアに、個人的な話なのでどいて、というかどっか行ってください、と返すレフィー。両者の間に火花がバチバチ。
「このあと私達はギルドの方と打合せがありますので。個人的なお話でしたら、時を改めていただけないでしょうか?」
「打合せには私も参加しますが、それまでまだ時間がありますわ」
「出発前でお忙しいのでは? こちらも出発の準備であまり時間もありませんし」
「それほどお時間もかかりませんので、ご心配なく」
ニコニコと上品に会話を続けているはずなのに、何故だろう……真剣で鍔迫り合いをしているように見えるのは……
どうやら先ほどティアの言った言葉に間違いはなかった。
これは女の戦いだ。
レフィーの後ろでは、突然始まった静かな戦いに、護衛さんと秘書さんがアワアワオロオロしている。リオンの目から見ても間違いなく実力者な護衛さんも、さすがに女の戦いでは無力らしい。
まぁそれはリオンも同じなのだが……
ふと護衛さんと目が合った。四十前くらいのちょっと苦労人っぽい感じのオッサンだ。おそらくこの行動力が有り余っているお嬢様に、色々と振り回されているのだろう。
…………フッ、とどちらともなく苦笑い。
(苦労してますね)
(あんたほどじゃねぇよ)
的な無言の会話が交わされた……気がする。ちょっと通じ合う二人だった。
そんな感じで護衛のオッサンと通じ合っていると、「あっ」と短い声が聞こえた。
リオンが視線を戦いの方へ戻す……よりも早く――
フニョン
――右腕が温かくてとても柔らかいモノに包まれた。
「さ、さぁリオン様! まま、参りましょう!」
リオンを見上げるレフィの顔がすぐ近くにあった。どうやら一瞬の隙を突いて、リオンへの接触を果たしたらしい。あのティアの防御を掻い潜るとは、意外と実力は高いのかもしれない。
もっともその顔は真っ赤に染まり、鮮やかな夕陽色の瞳は落ち着きなく動き回っていたが。明らかに自分の大胆な行動で羞恥心やらなんやらが天元突破している。そんなにテンパるくらいならやらなきゃいいのに、やはりティアへの対抗心だろうか。もしかしたらいつもティアがしているのを見て、うらやましかったのかもしれない。
そんな突撃お嬢様にしてやられたティアはというと……
「うぅ~」
笑顔装甲が崩れ、涙目で悔しそうに唸り声を上げていた。中々にレアな恋人の表情に、リオンのS心がくすぐられていたのは内緒だ。そしてそんな風に怒りながらも、実力行使で引き剥がしにかからないところは、やっぱりティアだなぁとも思う。
まぁ実はここ数日、ティアがこうしてレフィーにやり込められるのはお約束になっている。記憶力が抜きんでて目立っているが、ティアは頭の回転も速い。にもかかわらずこうして苦汁を飲まされているのは、やはり相手が悪いということだろう。
レフィ―はこの若さでシスト商会の副会長を務める才媛だ。従業員が数千人規模の大商会を取り仕切り、百戦錬磨の商人や富豪、果ては王侯貴族までを相手に渡り合ってきたレフィーを相手に、ちょっと頭が回る程度の女の子が勝てるはずもないのだ。
結果、ここ数日、ティアの機嫌は絶不調だ。その度にリオンが慰めているのだが、いつも以上に甘えてくる恋人が可愛いので、実はちょっと喜んでいたりする。
とはいえ、さすがにこのままにしておくのは可哀想だし、レフィーと二人きりになるつもりもない。
さてどうしたものか……とリオンが頭を悩ませていると、周囲から妙な視線を感じた。もちろんティアとは別の。
ふとその視線の元を窺うと、そこには鬼のような形相でこちらを睨む男達の姿が。どうやらシスト商会の構成員らしい。
全員がリオンに対して怒りと殺意を抱いているのは同じ。ただその感情の源泉は、人によって違うようだ。
年が若い連中の怒りの源泉は嫉妬だ。その理由が二人の美女に好意を向けられているからか、それとも彼らのボス、レフィーニアに対する特別な感情故かはわからない。
一方、ある程度年齢が上の連中は……あれは間違いない。親バカだ。明らかにリオンに向かって「このガキィ! 何うちのお嬢を誑かしてんだコラァ!」と訴えている。もちろんそんな事実は無い。
とりあえずこのまま好きでもない女のために針の筵というのは勘弁してほしいので、リオンは内心でため息を吐きつつレフィーへと視線を向ける。
「悪いがレフィー、会議が始まる前に仲間と話したいこともある。それに恋人がいる身であまり家族以外の女性と二人きりになるのは避けたい。俺はこのままティアと一緒に打合せ場所へ向かうよ」
やんわりとレフィーの誘いを断るリオン。ティアの表情がパッと和らぐ。
かたや、さっきまでの優雅さやテンパりお嬢様はどこへやら。誘いを断られ、涙目しょんぼりお嬢様へ。
リオンの心が罪悪感でグッサグッサと刺される。ついでに周囲からの視線もグッサグッサ刺さる。「このガキィ! 何うちのお嬢を泣かしてるんじゃコラァ!」という声が聞こえる気がする。ホント、勘弁してほしい。
だがリオンは、前世の日本に大量発生していた優柔不断主人公とは違う。そんな庇護欲を掻き立てまくるお嬢様の泣き顔なんかに惑わされたりしないのだ。
魅惑の双丘による拘束を名残惜しみながらも解き、立ち去ろうとするリオン。
しかしお嬢様はめげない!
「で、でしたら、会議室までご一緒してもよろしいですか!? 案内も必要でしょう!?」
逃がさん! とばかりにリオンの腕を抱き寄せるレフィー。その豊かな双丘が、より強く密着する。いや、もはや埋没していると言ってもいいくらいだ。
リオンとて男。ジェイグのように無様に鼻の下を伸ばしたりはしないが、なんの感慨も抱かないかと言えば嘘になる。
だがティアの手前、決して邪な感情は抱いていない。
ましてや「ティアとどっちが大きいのだろう」などと考えているはずがない。
……
…………
………………嘘です。それはちょっと考えました、ごめんなさい。
ムギュゥ!
と、そこへ今度は逆の腕に慣れ親しんだ感触。まるで私の方が良いでしょ!? と言わんばかりに、リオンの腕を抱きしめる恋人。拗ねた顔も可愛いのだが、この状況は色々と精神的にキツイ。とりあえずちょっと頭の中で大きさを比べたのは謝るから、さりげなく腕を抓るのだけは勘弁してもらいたい。
そんな感じで両手に花という板挟み状態に陥っているリオン。どうにかこの状況を抜け出そうと、レフィーの説得に臨む。最愛の恋人であるティアを優先するのは、リオンにとっては空に星があるのと同じくらい当たり前のことだ。
「いや、案内は必要ないよ。前にも何度か行ってるし……」
「船は広いですし! それに部外者だけで歩くよりも、私もいた方が怪しまれませんし!」
「レフィーも忙しいだろう? トップ自ら案内する必要は――」
「リオン様は大事な方ですし! 今後も良い関係を築いていきたいですし!」
「……そういった商会との取引の話は、地上に戻ってからにしよう」
勢いあまって何か色々ぶっちゃけてらっしゃる。まぁさすがにこんな形で告白する気は無いだろうから、多分、主語が足りていないだけだろう。『シスト商会にとって』ということだと解釈して問題ないはずだ。
だからティア、そんなに腕に力込めなくても大丈夫だって……
しかしリオンが言葉を尽くしても、やはり引き下がろうとはしないレフィーお嬢様。必死に訴えるように涙目で見上げてくる。
おそらく反対側からも同様の目が向けられているのだろう。痛いくらいの視線を感じる。
他にもあらゆる方向から飛んでくる嫉妬と殺意の視線。この連中は、受け入れても断っても、恨まれるという結果は変わらないだろう。
正直「どないせいっちゅうねん!」とおかしな関西弁を叫んで投げ出したい気分だ。
とはいえ、このリオンが黙っていては話が進まないのも事実。ということで――
「……まぁそこまで言うなら、ついてくるくらいは構わない。だが何度も言っているが、俺には恋人がいるんだ。腕を組むのは止めてくれ」
――渋々ながら、レフィーの同行を許可した。これ以上粘られて時間を無駄にしたくないリオンにとって、最大限の譲歩である。
リオンの許可を得たレフィーは、そこでようやく自分の今の体勢を自覚したらしい。ものすご~く今更ながらに顔だけでなく全身を真っ赤にして、リオンの腕を放した。やはりこのお嬢様、その猪突猛進な行動力に恋愛経験が追い付いてない。アンバランスすぎる。
まぁだからこうして色々と振り回されているわけだが……
「ししし、失礼致しました! で、ではご案内いたしますわ!」
完全にテンパった状態でリオン達を促すレフィー。
その後ろを、腕を組んだままのティアと一緒に追いかける。互いに困った顔を見合わせた護衛と秘書の二人が、さらにその後ろに追随する形だ。
さすがに今は羞恥心が勝っているらしく、レフィーはリオンの斜め前を歩いている。だが――
……チラ、チラ……ソワソワ……アセアセ
度々リオンの方をチラチラと振り返っては、頬を染め、ティアが腕を組んでいるのを見ては、羨ましそうに体を揺らし、しかしリオンと目が合うと慌てて前を向く。さっきまでの勢いが嘘のようないじらしさだ。
そしてその恋する乙女の可憐さに、周囲の冒険者や商会の従業員達がノックダウンさせられたのも仕方の無いことだろう。同時に、リオンへの視線の鋭さが増すのも仕方の無いことなのだろう。
(ハーレムラノベの主人公って凄かったんだな……こんな状況を平然と受け入れるとは……勇者になれるのも納得だ)
前世で量産されていたテンプレ主人公達にちょっとした敬意を抱きながら、リオンは周囲の視線に精神をすり減らしていくのだった。
「だぁりぃいいいん! 行っちゃイヤァアアアアア!」
「だぁああくそっ! 放せってのこらっ! まともに話も出来ねぇだろうが!」
リオンが美女二人に挟まれ、嫉妬の眼光で針の筵になっていた頃、ジェイグは巨大なゴリラのビースト、マリアンヌの愛の抱擁から抜け出そうともがいていた。
ジェイグ達が今日、ビースピアを去ることは数日前からビースト達に伝えている。当然、ジェイグに惚れているマリアンヌとしては、ジェイグを引き留めるために何度もジェイグに接触を試みていた。
しかしそれを予期していたジェイグは、魔法を使った全力の気配察知と身体能力を駆使してマリアンヌから逃げ続けた。だがさすがに今日は逃げきれなかったのだろう。ジェイグの性格を考えれば、親しくしていた戦士達や子供達に別れの言葉も告げずに島を去ることなどできるはずがなかった。
まぁそれが答えを先延ばしにしているだけだとは気付いていたが……
「ここに残れば良いじゃない! あたいと一緒にこの島で暮らしましょうよぉお!」
「だあああああ! まずは落ち着いて話をさせやがれえええええええ!」
結局、抜け出すまでに十分ほど時間を消費した。
「ぜぇ、ぜぇ……何度も、言ってるが、俺は旅を続ける……おめぇとは結婚しねぇ」
どうにか拘束を逃れたジェイグが、肩で息をしながらも自分の意思を伝える。マリアンヌに捕まったのはこれまでにも幾度もあったが、こうして面と向かってはっきりと拒絶の意思を示したのは初めてだった。
息切れしながらも真っ直ぐに自分を見つめてくるジェイグに、マリアンヌが悲しげな表情――もっとも顔はゴリラなので、ジェイグには感情は読みにくいが――を浮かべた。
「ダーリンは、あたいのこと、嫌いなの?」
「ダーリンじゃねぇし。いや、それはこの際置いといてだな……」
反射的に呼び名を訂正してしまったが、本題はそこではないと、ジェイグは頭をブンブンと振る。
「別におめぇが嫌いってわけじゃねぇよ。ちょっと強引すぎるのはアレだけど、こんなに女に好きって言われたのは初めてだしな。そこは素直に嬉しいとは思ってるよ。でも俺は旅をやめるつもりはねぇよ」
「じゃああたいも一緒に行く!」
「それもダメだ。俺らがしてんのは、危険な旅なんだよ。バレアスの連中との戦いみてぇのが、またあるかもしれねぇんだ。おめぇには悪ぃけど、家族のためにも、足手まといを連れていくわけにはいかねぇ」
食い下がるマリアンヌに、ジェイグが確たる決意を示す。まるでダルルガルムとの闘儀の時のような真剣な表情。それを見ればいくら強引な彼女でも、ジェイグの心が動かないことは察することができたのだろう。
だが頭で理解できても、心を納得させるのは難しい。なおもジェイグの心を自分に向けさせようと口を開こうとする。
「すまねぇが、何を言われても俺の答えは変わらねぇよ。おめぇを傷つけるのが嫌で、曖昧なまま逃げ続けた。それは悪かったと思ってる。でもやっぱり俺は、お前の想いには応えらんねぇ」
だがそれよりも早く、ジェイグは己の想いを告げた。彼女が傷付くとわかっていてなお、自分の心がマリアンヌに向くことは無いと、彼女の望みを切り捨てる。
「……やっぱりあたいがダーリンとは違うから? ゴリラだからダーリンはあたいを――」
「それはちげぇ。俺はおめぇらを同じ“人”だと思ってるし、友達だと思ってる。ビーストだからとか、ゴリラだからとか、そういうくだらねぇ理由でおめぇを受け入れないって言ってるわけじゃねぇよ」
マリアンヌの言葉を遮って、ジェイグが強くそれを否定する。
もちろんジェイグとて普通の男だ。女性に関して見た目の好みとかこだわりが無いかと言われればウソになる――なお本人は、大人っぽいキレイな女性が好みと言っている。
だがこうして純粋な行為を向けられれば、そういう些細なことなど関係なかった。先程も言葉にしたが、好意自体は嬉しかったし、強引な求愛行動から逃げ出してはいたが、マリアンヌの想いに自分なりに真面目に向き合ったつもりだ。
だがそれでもジェイグの心は変わらなかった。種族的な違いや見た目などの要素が全く意識しなかったかと言われれば、百パーセントの自信は無いが、逆に言えばそういった全てを含めて答えを出した。
もし自分の心が動けば、もっと他の答えもあっただろう。旅を続けることは決まっているし、旅に連れていくつもりもなかったが、仲間に頼めばビースピアに立ち寄る頻度を増やしてもらうことは可能だっただろう。だがそうまでするほど、ジェイグの心はマリアンヌに向くことがなかった。冷たい言い方ではあるが、結局はそういうことだ。
「もしかして仲間の中に恋人がいるの? あの胸の大きな白い人とか、猫みたいな女の子とか……」
「ティアはリオンの女だし、ファリンは妹だ。そんな関係じゃねぇよ」
まぁティアの見た目は、ジェイグの好みにドンピシャなのだが……リオンとのラブラブな関係を見てティアに好意を寄せるほど、ジェイグは愚かではない。ティアがリオンに惚れる前でも、特にティアのことは何とも思っていなかったなぁとは思ったが、その理由については自分でもよくわかっていないし、今更どうでも良かったので気にすることはなかった。
ファリンについては、可愛いとは思うが、やっぱり妹としか思えない。すでにこの世にはいないが、元々ジェイグには妹がいた。なのであれだけ年が離れたファリンは、やはり可愛い妹なのだ。
「じゃあ、あの小っちゃい狼耳の――」
「いや、それはねぇ」
速攻で否定した。は? 何言ってんの? とでも言わんばかりに力強く否定した。
ミリルの事は家族として、他の四人と同じくらい大事に思っている。分野は違えど同じ技術屋。話も合うし、何かと一緒にいることも多い。
だがそれが恋愛となれば話は別だ。あんな人を魔導具の実験台にしたり、怒ると平気で銃弾をぶっ放してきたり、心を抉るような辛辣な言葉を言ったりする恋人は絶対御免だ。だいたい、魔導具の神髄は破壊力にあり! みたいな開発を続けるミリルには、技術者として一度文句を言ってやりたいと思っていた。怖いから言わないが……
それに自分の好みはスタイルが良く、大人の魅力あふれる女性だ。確かに顔だけ見ればミリルは可愛い。その中身を知らなければ、間違いなく美少女だと太鼓判を押せる。だが自分の好みではないし、恋人にしたら今よりも酷い目にあうことは間違いない。
ゆえにミリルを好きになるなど、絶対にあり得ない!
という話を熱く、力強く説明するジェイグ。訊ねたマリアンヌの方が困惑する程の力説っぷりだ。
もっとも一番困惑したのは、恨み辛みを語っているはずのジェイグの表情が、今までに見たことがないくらい楽しそうだったからだということには、ジェイグ本人も気付いていないが。
そんな困惑の表情を浮かべながらジェイグの話を聞いていたマリアンヌだったが、ふいに何かに気付いたような、全てを悟ったような表情を浮かべて、「あぁ……」小さく息を吐いた。
「だーりんの心にあたいが……ううん、もう他の女が入り込む隙間なんて無いんだね……」
「あ? 何か言ったか?」
何故か悔しそうに俯いたまま、何かを呟いたマリアンヌ。いつの間にか始まっていたミリルへの一人愚痴大会に夢中になっていたジェイグが聞き返すが、マリアンヌがもう一度その言葉を言うことは無かった。
少しして顔を上げたマリアンヌは、瞳に涙を溜めたまま、しかし顔に朗らかな笑みを浮かべてジェイグを見た。
「わかった。悔しいけど、ジェイグのことはもう諦める」
「お? おう」
何があったかわからないが、いつの間にか自分の想いが通じていたことに驚きながらも、なんとか返事をするジェイグ。
そんな不思議そうな表情をするジェイグに、マリアンヌは苦笑いを浮かべる。
ジェイグはますます首を傾げた。
「でも、また遊びには来てよね。もちろん、そのミリルって子も一緒に」
「そりゃあまた遊びに来るよ。ミリルも家族なんだから当然だな」
なぜミリルだけを強調するのかわからないが、とりあえず了承の意を返す。旅はまだまだ続くのだ。リオン達もいずれはまたここに遊びに来ようと言っていたし、ジェイグもそのつもりだった。
相変わらず苦笑いのマリアンヌが気になったが、結局、そのあとで子供達が集まってきたので、この話はここまでとなった。去り際にマリアンヌが「そういう意味じゃないんだけど……まぁいいわ」と呟いていたが、その意味も結局聞けずじまいだった。
その後、群がってきた子供達に別れの言葉を告げると、案の定泣かれた。そんな子供達を宥めつつ、これからも訓練を続けること、両親の言うことをよく聞くことなどを言い聞かせ、また遊びに来ることを告げて、ジェイグはその場を離れたのだった。