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狂戦士

「さぁ、殺し合おうぜぇ」


 舌なめずりをしながら獰猛な笑みを浮かべるのは、巨大なバトルアックスを肩に担いだ蛮族のような男だった。無造作に束ねられた血のように紅い髪。傷痕だらけの身体。ギラギラと怪しい光を放つ瞳は、真っ直ぐリオンへと向けられている。


 全身から溢れるように放たれる殺気と闘気は、燃え盛る炎のような熱を持ちながらも津波のような圧を持ってリオンを襲う。同時に、この大瀑布のような威圧と存在感を、声を掛ける直前までリオンに気付かせることは無かった。それらは男の実力の高さを示す何よりの証拠だ。


 そして先程の発言と、獰猛な笑み。


 まるで血に飢えた野獣が服を着て歩いているようだ、とリオンは内心で警戒レベルを引き上げながらも、それを表に出すことなく、目の前の男に冷ややかな声を向けた。


「聞こえなかったのか? お前は誰だ?」


 鋭い眼光と強烈な威圧を冷静に受け流すリオンに、男はさらに笑みを深くした。


「良いねぇ、その反応。このオレの殺気を平然と受け流すか。そっちの嬢ちゃんも美味そうだし……クハッ、滾ってきたぜぇ」

「……まともな会話もできないのか? 頭の悪い男だ」


 男の視線が一瞬、ミリルに向けられたのを見て、リオンが声のボリュームを上げる。


 しかし男はリオンへ視線を戻しはしたが、リオンの発言に特にイラだった様子も無く、狂的な笑みを貼り付けたままだ。


「別に誰だって良いじゃねぇか。敵だよ敵。それだけわかりゃあ殺し合うには十分だろ?」

「理由もわからず襲われるのは実に不愉快だが」

「細かいことはどうでもいいじゃねぇか。楽しもうぜ、殺し合いをよぉ!」


 そんな叫びと共に、獲物に飛びかかる前の肉食獣のように男が腰を落とした。男の放つ殺気が一気に膨れ上がる。


 チッ、と舌打ちをしながらも、男を迎え撃つべくリオンが居合いの構えを取る。


 ミリル達もそれぞれの武器を手に身構えた。


 だが――


「待ちなさぁい、クラッド」


 どこか艶のある女の声が、一触即発の空気を静めるように響き渡った。同時にコツ、コツと軽い足音が“二つ”、目の前の男の後ろから聞こえてくる。


 男の挙動を警戒しながらも、リオンがわずかに視線を男の後ろの方へと向けると、すぐに大小二つの影がこちらにゆっくりと向かってくるのが見えた。


 その影は、目元を不気味な仮面で隠した二人の女だ。どちらもフード付きの外套を羽織り、顔も髪も見えないが、大きい方はそのシルエットから間違いなく女性だとわかる。もう一人はやたらと小柄で、女性らしい凹凸も無いが、やたらとフリフリの付いた黒のゴシックスカートを着ている。女の子で間違いないはずだ。


 その場の視線を集める大きい方の女は、しかしそれらを気にした素振りも無く、悠然と室内を見回すと、紅く艶めく口元に薄らと笑みを浮かべた。


「なかなか素敵な部屋ねぇ。ここの主の狂気と妄執を感じるわぁ」


 フフッ、と妖しく笑う女の感想、というか感性に若干の薄気味悪さを感じつつも、リオンはそれを表に出すことなく口を開く。


「次から次へと変な連中が来るな……それで、あんたはその男の仲間ってことでいいのか?」

「あら、変とは失礼ねぇ。お姉さん、傷付いたわぁ」

「質問に答えろ。それともあんたもそっちの戦闘狂と同じ、話の通じない馬鹿なのか?」


 頬に手を当ててため息を吐く女へ、リオンは鋭い視線を向ける。


「冗談の通じない男はモテないわよぉ? まぁとりあえず質問に答えると、一応イエスってことでいいわぁ」

「お前達は何者だ? ただの冒険者には見えないが、まさかここの関係者か?」

「それはぁ、ひ・み・つ♪ でもここのことはあなた達が発見するまで何も知らなかったわよぉ」

「ここに何しに来た?」

「随分と面白そうなモノ・・見つけたみたいだからぁ、お裾分けを頂こうかと思ってねぇ。本当ならあなた達がいなくなった後で良かったんだけどぉ、貴重なお宝を破棄しようとしてるんだものぉ。仕方ないからぁ、こうして出てきたってわけよぉ」


 核心の部分を躱しながらもリオンの問いに答える謎の女。正体は判らないが、今この島にはギルドの集めた冒険者やシスト商会など大勢の人間が来ている。その中に紛れ込んでいたのだろう。


 それよりも問題なのは、この場所で行われていた研究や実験体のことが、怪しい連中に知られてしまったということだ。リオン達が懸念していた事態――この非人道的な研究が、邪な連中に引き継がれ、新たな犠牲者が出ること――が現実になってしまう。


 また厄介なのは、リオン達のこの場所での言動が彼らに筒抜けだったことだ。それはすなわち、リオン達の目を掻い潜って監視を続けていたということ。自惚れるわけではないが、リオン達は世界でもかなり上位の実力者だ。その中でもリオンは、数少ないランク二級の冒険者。しかも他の三人は、五感に優れた獣人だ。その四人の目を欺くほどの隠形。仮に闇魔法を使ったのだとしても、そう簡単にできることではない。それだけでも敵の実力の高さが窺える。


 いざ戦いになれば数ではこちらが有利。だが相手の得体の知れない雰囲気が不気味だ。特に“待て”をされた腹ペコの狂犬のような視線を向けてくる紅髪の男。奴の纏う覇気は、これまでリオンが戦ってきた中では間違いなく上位だろう。決して勝てない相手ではないと思うが、できることなら争いは避けたいところだ。


「邪魔すんじゃねぇよテメェ。せっかく上手そうな獲物を見つけたってのによぉ」

「だから止めたのよぉ。なるべく殺さないようにって言われてるでしょぉ?」

「ちっ、めんどくせぇなぁ! 殺して奪った方が楽しいじゃねぇかよ」

「“楽しく”はないわよぉ。まぁ“楽”ではあるかもしれないけどぉ」


 不機嫌そうに、後から現れた女に噛みつく蛮族のような男。そんなイラ立ちを、女は妖艶な笑みを湛えたまま受け流す。


 残る小柄な女は、その間一言も発することもなく、無機質な視線を向けてくるだけ。仮面の奥の赤い瞳には、何の感情も浮かんでいない。外套の隙間から覗くゴシックな服装といい、まるで仮面をつけた人形のよう。


(……いや、わずかだが視線に動きがあるな。俺達を観察しているのか?)


 よく見ないと気付かない程度の動きだが、わずかに顔と目の向きが動いている。どうやらリオン達の顔を一人一人確認しているようだが、やはりその視線に感情の色は感じられなかった。


 リオンが少女の様子を横目に見ている間に、相手の話し合いは終わったらしい。女の方が一歩前に出ると、そのしなやかな手を頬に当てて訊ねてくる。


「それで、どぉ? ここにあるモノ《・・》、お姉さんにお裾分けしてくれないかしらぁ?」


 まるでこちらの答えを見透かすように笑う女の問いかけ。


 リオンは一瞬眉を顰めるが、すぐに返答することなく、横目で仲間達へ視線を向ける。


 その視線に気付いた三人は、まるで示し合わせたかのようにそっくりな不敵な笑みを浮かべてリオンを見つめた。


 その予想通りの反応にリオンも同じ笑みで応えると、一瞬で冷え切った視線を女の方へと戻す。


「断る」


 短い拒絶の言葉。同時に溢れ出す凍てつく氷の刃のような殺気。


 常人では腰を抜かすか気を失いかねない程の威圧に、しかし女は笑みを絶やすことなく、男は嬉々とした様子で口元を吊り上げ、少女は相変わらずの無反応で受け流した。


「ケチねぇ……別に良いじゃなぁい、こんなにたくさんあるんだからぁ」


 女が小さく首を振ってわざとらしいため息を吐く。


 そんな女の言動に――特にそこに見え隠れする女の価値観に、リオンは不快そうに鼻を鳴らす。


「つまらない芝居は止めろ。初めからこっちが承諾するとは思ってないだろう」

「……できれば穏便に終わらせたかったのは本当よぉ。ねぇ考え直さなぁい? たかが死体一つ(・・)のために危ない橋を渡る必要なんてないじゃなぁい」

「くどい。だいたい死んでるとはいえ、人間をモノ扱いするような奴に、この人達を渡すわけにはいかないな」

「……クールな見た目なのに、中身は意外と熱いのねぇ。そういうところは結構お姉さんの好みだけどぉ……まぁしょうがないわねぇ」


 再びのため息。そして背中から二本の大型ナイフを取り出すと、飛びかかる寸前の猛獣と化している紅髪の男に視線を向ける。


「暴れなさぁい、クラッド」


 女が口を開いた瞬間、クラッドと呼ばれた男が消えた。


「「なっ(ニャッ)!?」」


 敵の姿を見失ったアルとファリンが驚愕の声を上げる。


 だが――


「疾っ!」


 鋭い呼気と共に、リオンが居合抜きを放つ。


 やや低めの軌道を描く刃。一見、何もない虚空を斬り裂いたかに見えるが――


 ギィンッ!


 神速の刃が、地を這うように急迫していたクラッドの巨大戦斧を受け止めた。必殺の一撃同士がぶつかり合う衝撃が伝播し、周囲の死体ケースが激しく震える。


「クハッ!」


 己の攻撃を止められたというのに、クラッドの表情には溢れ出すような喜悦が浮かんでいる。まるでずっと探し求めていたお宝を見つけたトレジャーハンターのようだ。


(チッ……やはり止められたか)


 対するリオンはいつも通りの冷然とした表情。本当は一の太刀で敵の武器を弾き、続く二の太刀で斬り伏せるつもりだったのだが、相手の一撃の重さに受け止めることしかできなかった。これでリオンの刀が輝夜じゃなければ、間違いなくこちらの武器はへし折られていただろう。


「オラァッ!」


 だが一度は拮抗した攻撃も、膂力ではやはり相手の方が上らしい。短い咆哮と共に、強引に振り抜かれた戦斧が、刀ごとリオンを弾き飛ばす。


 砲弾のように飛ばされるリオン。だが勢いの半分は衝撃を逃がすために後ろへ跳んだからだ。ゆえに特に焦ることもなく風の魔法で衝撃を緩和し、素早く体勢を整える。


「ボケっとするな! 二人はあの小さいのを狙え!」


 振り抜かれたバトルアックスが近くのガラスケースを粉砕する中、その音に負けない声でアルとファリンに檄を飛ばす。


 敵の実力を前に固まっていた二人だったが、その声にハッと我を取り戻すと、意識を残る敵へと向ける。


 少女は既にさっきまでの場所にはいなかった。周囲を探ると、わずかだが感じる気配が高速で室内を移動しているのがわかる。身を隠しながらの奇襲を狙っているのだろう。


 なおもう一人の女には、ミリルが自慢の二丁魔銃で雨のような銃弾を浴びせている。リオンと同様、クラッドの動きが見えていたミリルは、クラッドをリオンに任せ自分は女の相手をすることにしたらしい。


 そしてリオンもそれを初めから解っていたため、クラッドの動きにのみ集中し、アルとファリンをさっきの指示を出したのだ。


「ウラァッ!」


 再びの咆哮。


 一瞬で距離を詰めたクラッドが、バトルアックスを斜めに振り下ろす。


 轟! と唸りを上げて迫る一撃を、今度は受けずにバックステップで回避。眼前ギリギリを通り過ぎる大質量の刃の動きを冷静に見極め、逆に今度はこちらから前に出る。


「疾っ!」


 上段からの斬り下ろし。煌めく星空のような刃が、紅色の頭部へと吸い込まれるように振り下ろされ――


「っ! ぐはっ!」


 さらに前へ踏み込んできた敵のショルダータックルがリオンを弾き返した。振り下ろした刀がわずかに敵の肩口に食い込んでいるが、相手が気にした様子もない。


 背中から倒れ込んだリオンへ、今度は敵の戦斧が振り下ろされる。


 横へ転がるようにして攻撃を回避したリオン。だが地面を粉砕する程の一撃が衝撃波となって広がり、リオンはさらに勢いを増して吹き飛ばされてしまう。


 地面をバウンドしながら転がるリオンがどうにか体勢を立て直した直後、首の後ろを突き抜けるような悪寒が奔る。


 直感に従い身を屈めるリオンの真上を、死神の鎌が唸りを上げて通り過ぎた。リオンの黒髪の先が、千切れ飛ぶ。


 横薙ぎに振るわれたバトルアックスは、周囲のガラスケースを飴細工のように粉砕した。中に入っていた薄緑色の液体が溢れ出し、周囲に広がっていく。


「くそっ!」


 地を這うような体勢のリオンが、焦燥の声を上げながらも足下に広がる液体に手を突っ込んだ。


 直後、薄緑色の液体がいくつもの槍となって敵へ襲い掛かる。


 元々ある液体を使うことにより発動時間を短縮した魔法による攻撃。


 だがクラッドは巨大な戦斧を盾にすることで、それらを防いだ。槍の威力に圧され、わずかに後退するが、すぐさま反撃の姿勢を整える。


 しかしその一瞬の隙を突き、リオンは大きく後退。一度流れを断ち切るため、敵から距離を取る。


 追撃は危険と判断したのだろう。紅い髪の男クラッドはわずかに戦斧の切っ先を下げ、興奮した様子で口の端を大きく吊り上げた。


「クハッ! 良い! あんたは良いぜぇ獅子帝サンよぉ! その殺気! 反応速度! 攻撃力! 最高だ! 最高だよあんた! クハッ! クハハハハハハハ!」


 傷を負った左肩から飛んだ血飛沫を浴びた顔で、狂的な哄笑を上げるクラッドと言う名の男。先の戦争で沈めたマクレアとは異なる狂気を感じる。


 狂人。


 そんな言葉が脳裏に浮かぶ。まさにその言葉にピッタリの男だろう。


「何がそんなに楽しいんだか……」

「楽しいに決まってんだろぉ! さぁもっとオレを滾らせろ! 最っ高の殺し合いをしようぜぇ!」


 犬歯を剥き出しにして吠えるクラッドが、再び戦意を滾らせて斧を構える。


「リオンッ!」


 だが戦闘が再開されるよりも早く、焦りの滲む声でリオンの名が呼ばれた。


 その声にリオンがわずかに意識を周囲に向ける。


 先程のクラッドの攻撃で壊されたガラスケース。そのすぐ傍で、アルとファリンが無数に迫る炎弾や投針の攻撃を凌いでいるところだった。


「あの女の子が!」


 双剣で投針を叩き落しながら、視線を別の方向へ向けてアルが叫ぶ。


 その視線の先では、ガラスケースの中にいた小さな女の子の死体を肩に担いで、仮面の少女が部屋を出ていくところだった。


(くそっ、そっちが狙いか!)


 あまりに好戦的な男の姿に、てっきり自分達を殺してから死体を奪っていくと考えていたリオンは、自分の思い違いにイラ立ちながらも、頭は冷静に状況を分析する。


「二人はあの子を追え! ミリル!」

「任せなさい!」


 名を呼ばれただけでリオンの意図を察したミリルが、仮面の女から距離を取ると、左手の銃で女を牽制しつつ、右手の銃を別の方向へ向けた。


 それと同時に、魔法と針による攻撃を捌ききったアルとファリンが、仮面の少女を追うべく駆けだした。


 直後、少女が消えた廊下の先から飛来する無数の針と炎の矢。自分を追う二人への牽制のために少女が放ったのだろう。


 だが今度はその攻撃を防ぐ素振りも見せずに直進するアル達。高速で迫る針と炎が二人を蹂躙する――


 ドパアァンッ!


 ――直前、そんな破裂音を発して飛来した魔法の銃弾が、二人に迫る全ての攻撃を撃ち落とし、あるいは撃ち消した。


「行きなさい!」

「サンキュー、ミリル姉!」

「感謝するニャ!」


 視線を交わすことなくそう言い合うと、アルとファリンは仮面の少女を追って廊下の先へと駆けて行った。


「いくら荷物を抱えてるとはいえ、あの子達じゃ追い付けるはずないわよぉ」


 ミリルからの牽制射撃が止んだのを機に、仮面の女が、アル達二人が出て行った部屋の入り口を塞ぐように移動してそう言った。リオンやミリルが二人に追随しないよう時間を稼ぐつもりなのだろう。


「それはどうかな? 単純な走力なら、あの二人はかなりのレベルだぞ? それにあの少女がどれだけ強かろうと、二人がかりで負けるほどとは思えないが」

「そうでしょうねぇ。あの子の実力は私やクラッドには劣るものぉ。でもぉ、この事態を予期していた私達が、何の準備もしていないと思ったのかしらぁ?」


 女の言葉に、リオンの視線が鋭さを増す。


「……もしかしたら、破壊したり停止させたトラップを修復したのかも」


 一度態勢を立て直すためにリオンの傍まで寄ってきたミリルが、小さな声でそう推測する。なるほど、確かに自分達が仕掛け直した罠ならば、その場所は全て把握しているだろう。いくらアル達の足が速かろうと、罠の全てを凌ぎながら逃げる相手に追い付くのは難しいかもしれない。


「ならあんた達を倒して、俺達も後を追うだけだ」

「あらぁ、私達を相手にそれができるかしらぁ」


 真っ赤なルージュを塗られた口元に怪しい笑みを浮かべて、女が両手にナイフを構える。


 殺し合いに水を差された形のクラッドは、戦闘再開を口にしたリオンに再び燃え盛るような戦意を向けた。


 そんな二人の敵に、しかしリオンとミリルは揃って不敵な笑みを浮かべて告げる。


「確かに一対一なら手こずるかもな。だが――」

「――二対二ならどうかしらねっ」


 直後、リオンとミリルが同時に地を蹴った。


 リオンは一直線にクラッドの下へ。


 ミリルは立ち並ぶ死体ケースを迂回するように走る。


「そうだっ、かかって来い! その心地良い殺気で、オレをもっと滾らせろ!」


 嬉々とした表情で迎撃の構えを見せるクラッド。身の丈を超える戦斧を振りかぶり、リオンへ狙いを定める。


 そんな敵を前に、リオンは大きく地を蹴った。敵の間合いギリギリで宙へと進路を変える。


 リオンの突然の行動に、わずかに訝しむように目を細めたクラッド。


 死体ケースを足場に、三角跳びの要領で敵の頭上へと跳び上がると、空中で身を翻し天井へと着地・・する。そのまま天井へしゃがみ込むような体勢で、足に力を溜める。かつて巨大恐竜型魔物ダイナドランを屠った技『轟天』の室内版だ。


 大技の気配に、リオンを見上げるクラッドが笑みを吊り上げ、迎撃の構えを取る。はなから逃げるという選択肢は眼中にないらしい。真っ向から叩きのめすつもりなのだろう。


 そしてリオンが、溜めた力を解き放つ。


 その瞬間――


 雷光が地面を埋め尽くした。


「ウォッ!?」


 クラッドが驚愕の声を上げて、わずかに足下へ視線を向ける。


 そこには死体ケースから溢れ出した薄緑色の謎の液体が広がり、クラッドの足を濡らしていた。そして広がる液体にまるで蜘蛛の巣のように、紫電が奔っている。


 それは気配を消したミリルが放った電撃。隠密性を上げるために威力は押さえているうえ、敵に向かって放ったのではなく液体に直接流し込んだだけだ。決してミリルへの注意を怠っていなかった敵の間隙を縫った一撃。


 それは威力を抑えた上、広範囲に広がってしまったため、大したダメージは与えられない。


 だが一瞬とはいえ、敵の身体を硬直させ、さらにはわずかだが意識をリオンから逸らすことはできた。


「轟天」


 文字通り天に轟く雷鳴のごとき音を鳴らして天井を蹴ったリオンが、雷のごとき速度で落下する。


 雷撃のショックで身を固くしながらも、何とか斧を掲げて防御の構えを取るクラッド。


 轟音。


 落雷のように打ち下ろされたリオンの一撃がクラッドの防御をわずかに崩し、その胸に縦一文字の傷をつける。


(これでも仕留めきれないか……っ!)


 会心の一撃とも言える技を完璧とは言わずとも防がれたことに、内心で悔しさを滲ませるリオン。しかし直後、着地の瞬間を狙って接近していた仮面の女の姿を視線の端に捉えた。


 全力を込めた技の直後。回避も迎撃も防御も間に合いそうにない。


 しかしリオンに焦りはない。何故なら――


「させるわけないでしょ!」


 頼もしい姉(妹?)がここにはいるのだから!


 割って入ったミリルに、女の両手のナイフが交差するように振るわれた。ミリルはそれを二丁の魔銃で受け止める。


「っ!」


しっかりと敵の攻撃を防ぎつつも、器用に敵の身体へと向けられた二つの銃口が同時に魔力を放つ。


 身を捻ると同時に、受け止められたナイフを使って銃を逸らすことで、どうにか直撃を避けた仮面の女。器用にも身を捻った勢いを利用して鋭い回し蹴りを繰り出す。


 その小さな体をさらに屈めることでその蹴りを躱したミリル。その頭上を女の長い足が通り過ぎ――


 ――直後、日本刀の刃が閃いた。


 ミリルの行動や敵の動きを呼んでいたかの如き横薙ぎの一閃。しゃがんだミリルの頭上を越え、蹴り足を振り抜いたままの体勢の女へ迫る。


「くぅっ!」


 致命の刃を、半ば強引に後ろに倒れ込むことでどうにか回避する女。だが完全に避けきることはできなかったようで、脇腹を浅く斬り裂かれ、わずかに血飛沫が上がる。


 このまま接近戦を続けるのは危険だと判断したのだろう。倒れ込む勢いそのままに地面に手を突き、体操選手も真っ青な側転や後転を繰り返して距離を取った。


 さすがに女を追う余裕まではなく、距離を離されるのを黙って見送るリオン。


 だがその背後にも凶刃が!


「オレに背ぇ向けてんじゃねぇよっ!」


 犬歯を剥き出しにしたクラッドが、振りかぶった巨大な戦斧を手に叫ぶ。これまで狂的な笑みを浮かべていた顔には隠し切れない怒りが。リオンに深手を負わされたことよりも、リオンが自分ではなく女の方に意識を向けたことに対してのもののようだ。


 全長二メートルを超える大斧が、リオンごとミリルまで叩き潰す勢いで繰り出される――


 ドパァンッ!


 ――その寸前、銃声が鳴り響き、数発の銃弾がクラッドを襲った。


 リオンの身体越しにミリルが放った魔弾が、リオンの脇を抜け、クラッドの身体に収束するように左右前方から迫る。


「チィッ! クソガァッ!」


 人一人を間に挟んでの銃撃。まともに見えていないはずなのに、寸分の狂いも無く急所を狙う銃弾に、イラ立ちを露わにしながらも斧を盾にして防ぐクラッド。しかも防がれることを予期していたのか、全ての弾が急所を狙ったわけではないらしい。足を数発の銃弾が掠め、傷を増やしていく。


 さらには女に斬撃を放ったリオンが、その勢いのままに振り返り一閃。防御態勢だったクラッドの斧に遠心力を乗せた一撃を放つ。


「ぐおおおおぉっ!」


 ミリルに足を撃たれていたクラッドは、リオンの攻撃の勢いを受け止めきれず、弾き飛ばされた。背中から壁に衝突し、「ぐはっ」と苦しげな声を漏らした。


 すぐさま追撃に移ろうとしたリオンだったが、背後から無数の氷の矢が飛来したため、回避を余儀なくされた。ミリルと反対方向へ横に跳ぶ。


 その隙に壁際まで飛ばされたクラッドが、手持ちの魔法薬で回復を図る。こちらも魔法で阻止しようとするが、まだいくつか残っていた死体ケースが邪魔となり、回復を許してしまった。


「ちっ、仕切り直しか……面倒な」

「まっ、一筋縄で行く相手じゃないのは分かってたわけだし、またぶっ飛ばせば良いわけよ」


 完全に戦いの流れを掴んでおきながら、仕留めきれなかったことにわずかに悔しさをにじませるリオン。ミリルもそれを惜しみつつ、だが強気な姿勢は崩さない。


「……ずいぶんと息の合った連携ねぇ。むしろ心が通い合っていると言うべきかしらぁ」

「「まぁ(まっ)こいつとは赤ん坊の頃からずっと一緒だしな(ね)」」


 ナイフを持ったまま手を頬に当て、困ったように首を傾げる仮面の女。


 女の言葉に、全く同じ仕草で肩を竦め、同じセリフを口にする二人。似た者同士、まるで双子の姉弟(兄妹?)である。ある意味では恋人のティアや、自他共に認める相棒のジェイグ以上に通じ合っていると言えるだろう。赤ん坊の頃からずっと一緒にいる二人にとって、互いの行動や考えなど手に取るように解る。


 そうしてまずはどちらかだけでも先に潰しておくか、とアイコンタクトすらなく考えを一致させたリオンとミリルが、仮面の女の方へ狙いを定める。


「あらあらぁ、二人から求められたら、お姉さん困っちゃうわねぇ」


 二人の殺気を向けられた女が、おどけた調子で両手で頬を挟み、身をくねらせた。その余裕の様子に、二人がわずかに警戒を強める。


「でも――」


 そんな二人の様子に動きを止めた女。


 赤いルージュを塗った口元に妖艶な笑みを浮かべて告げる。


「――そのせいで厄介な獣を怒らせちゃったみたいよぉ」


 その瞬間。


 今までに感じたことのないほど莫大に膨れ上がった殺気が、リオンを襲った。


 あまりのプレッシャーに、思わず女の方へ向いていた視線や警戒の全てを、背後へと向けてしまう。


 そこには空間がゆがんで見えるほどの殺気と覇気を身に纏い、憤怒の表情でリオンを見つめる紅髪の男、クラッドの姿があった。


「何よそ見してんだよ獅子帝……オレを……オレを見ろよ……テメェの殺気も闘志も怒りも技も攻撃も! 全部オレにぶつけろよ! オレを、オレだけを見ろよ、獅子帝ええええええええええええええっ!」


 狂った愛の告白のような言葉を叫びながら、クラッドは地面にバトルアックスを叩きつけた。


 怒りに任せた癇癪のような一撃。


 だがその威力は凄まじく、地面や壁は放射状に大きくひび割れ、砕けた地面が礫となる。部屋の端にいながら、地を伝った衝撃だけで部屋にあった全ての死体ケースを粉砕した。


「ずいぶん愛されてるわね……」

「……殺したいほど愛してる、か? ヤンデレだけでも勘弁してほしいのに、それが男とかキツイにも程がある」

「さっきのお嬢様といい、あんたモテ期でも来てるんじゃないの?」

「ぐっ、今それを言うなよ……くそ、ある意味こいつ以上に厄介な難題が待ってるんだった……」


 虎の、いや狂犬の尾を踏んだと知った二人が、苦々し気な表情で軽口を叩き合う。特に帰ってからも難題が待っていると思い出したリオンは、口いっぱいの苦虫を噛み潰したような顔だ。物理でどうにかなる分、目の前の強敵の方がまだ楽に思える。


 まぁリオンが最も恐れているのは、お嬢様本人ではなくティアのブリザードの方なのだが。


 そうやって軽口を交わしつつも、その注意は眼前の敵へと向けられている。


 クラッドは依然として戦斧を叩きつけた体勢のまま動いておらず、その表情も紅の髪に隠れて窺えない。


 もちろん女の方の動きも警戒しつつ、男の出方を観察して――


 ――直後、男の姿が消えた。


「っ!?」


 その攻撃にリオンが反応できたのは、長年の戦闘経験と生存本能のなせる業だったのだろう。


 ほとんど無意識のうちに横に構えた愛刀・輝夜。


 そこに衝撃が走った瞬間、気付けばリオンの身体は壁に激突していた。


「かはっ!」


 全身に響く衝撃。肺から空気が強制的に押し出される。


 視線の先では、斧を振り切り残心するクラッドの姿。


 ワンテンポ遅れてリオンは、ようやく自分が敵の攻撃で吹き飛ばされたのだと理解した。


(速い……反応するのがやっと――っ!)


 全身を貫く悪寒。


 咄嗟にその場を飛び退いた瞬間、リオンがいた壁をクラッドの振るった斧が粉砕した。


 その余波だけで、リオンの身体はさらに吹き飛び、ゴロゴロと地を転がる。


(くそっ、一瞬でも動きを止めたら殺られる!)


 素早く体勢を立て直したリオンは、すぐさま地を蹴り移動を開始する。


 直後、今いた地面も砕け散った。


「リオン!」


 珍しく焦燥の滲んだミリルの声が聞こえる。そちらに目を向ける余裕はないが、おそらく援護射撃をしようとしているはず。だがクラッドの動きが速すぎて、上手く狙いを定めることができないのだろう。


 それでもどうにか敵が真っ直ぐにリオンを狙うと予測し、その軌道上に弾幕をばら撒こうとして――


「あらぁ、私の事も忘れないでほしいわぁ」

「!? チィッ!」


 スルリと音も無く近づいて来た仮面の女の攻撃に、その動きを止められてしまった。クラッドほどの脅威は感じないが、リオンの援護をできるほどの余裕はないだろう。


 反撃の糸口さえ見つからず、必死に逃げ続けるリオン。


 どうにか回避は成功しているが、そのたびに室内にクレーターが作り出され、ケースから放り出された死体が両断されていく。


「どうした獅子帝ぇ! 逃げてばっかじゃちっとも滾らねぇぞぉっ!」


 怒りだか狂喜だかわからない叫びを上げるクラッド。飛び散った石礫が自らの身体にも傷をつけているが、そんなことお構いなしに暴れ狂う。


(狂人というのは間違いだな……あれはもはや狂戦士――暴れることしか能のないバーサーカーだ)


 暴虐の嵐をどうにか躱しながら、内心でそう毒づくリオン。わずかにでも反応が遅れれば即死する極限状況に、リオンの呼吸もあがってくる。


(くそっ、やっぱり体力が戻り切ってないな……これくらいで息が上がるとは……)


 朝の開戦から、ほとんど一日中戦い続けたのだ。傷は癒えてはいるが、回復魔法でも体力までは戻らない。蓄積した疲労の影響は決して軽いものではない。


 だが――


(この程度の苦難、これまでにだってあったさ!)


 復讐を誓い、強くなるために戦い続けたこの五年間。


 いくつもの修羅場を潜ってきたリオンにとって、たとえ敵の方が強かろうと、自分の生を諦めるなんて選択肢はない。それに――


(そろそろ慣れてきた!)


 敵の方が強いのなら、それに合わせて自分が成長すれば良い。


 その言葉通り、リオンの回避速度は確かに上昇し、回避行動にも余裕が生まれ始めていた。


 そして何十回目かわからない敵の攻撃の瞬間――


「ハッ!」


 短い呼気と共に跳び上がったリオン。ムーンサルトのように真上へ回転しながら大きく跳んで敵の攻撃を回避すると、そのまま敵の頭部目掛けて刀を振り下ろす。


「クハァッ!」


 リオンがついに自分の動きを捉え始めたことが嬉しいのか、クラッドの口から特徴的な笑い声が零れた。


 と同時に、渾身の一撃を叩きこんだ直後とは思えない速度で斧を振り上げ、リオンの攻撃を受け止めた。落下の勢いも加えたリオンの斬り下ろしだが、クラッドの凄まじいまでの膂力によって弾き返される。手に伝わる痺れにリオンの表情が歪む。


 身動きのとりにくい空中で、致命的な隙を晒すリオン。眼下のクラッドが追撃の刃を振りかざす。


 だがその状況もリオンの予測通り。


「はぁっ!」


 自身の後方に発現させていた氷の矢が、クラッド目掛けて雨のように降り注いだ。


 敵はすでに攻撃態勢に入っている。回避も防御も間に合わない――




 ――甘ぇよ。


 そんな言葉が聞こえた。


 直後、クラッドの周囲にその髪と同じ紅色の炎が巻き起こる。


 渦を巻くように燃え上がる炎は、リオンが放った氷矢の全てを一瞬で溶かし蒸発させた。


(俺より後に発動させたのに……速すぎる)


 リオンが魔法を発動させるまで、クラッドが魔法を使うそぶりはなかった。つまりリオンが魔法を使うのを見てから魔力を練り、大気中のマナに干渉したということ。だというのに、リオンの氷矢を蒸発させるほどの威力の魔法を使った。


 たとえ敵の干渉速度がリオンを上回っていたとしても、あり得ない発動スピード。


 何かカラクリがあるのだろうが、今のリオンではそれを見抜くことはできない。


(強い……まさかここまで強い奴がいるとは……)


 極限状況の中、自身の思考とは裏腹に、まるでコマ送りのようにゆっくりと動く世界で、リオンは死神の鎌が自身へと振るわれる瞬間を見ている。


 そんな感覚にリオンは覚えがあった。


 かつて、自分が今の自分とは違う人間だった頃の記憶。


 自分に向かって猛スピードで突っ込んでくる一台の車。ぶつかってから意識を失うまでの一瞬の光景。


 前世で空野翔太として生きていた自分の最後の瞬間――忘れ得ぬ、死の記憶だ。


 今、あの時と同じように、目の前の男の振う戦斧の刃が、リオンの命を奪おうと――



 ――リオン


 愛しい人の、人達の声が聞こえた。


(死ねない……)


 リオンの身体が動く。


(死ねない!)


 時が停滞した世界で、リオンの身体だけが加速する。


(こんなところで……)


 弾かれたままの腕が、時を置き去りにして振るわれ――


「死んでたまるかああああああああああああああ!」


 二つの刃が衝突した。


 その衝突の余波は凄まじく、まるで二人の間で空間が破裂したかのような衝撃波が広がった。宙にいて無防備なリオンだけでなく、地に足を突いていたクラッドまでもが、耐え切れずに弾け飛び、壁に背中から激突した。


「がはっ!」


 もっとも何の抵抗も無く吹き飛ばされたリオンの方が、やはりダメージは大きかった。激突した壁は蜘蛛の巣が広がったように放射状にひび割れ、リオンの口からは空気と一緒に鮮血が溢れ出す。どうやら内臓にも相当なダメージを追ったようだ。


「リオン!」


 力なく崩れ落ちるリオンを悲鳴のような声で呼びながら、ミリルが駆け寄ってくる。敵である仮面の女に背を向けている状態。いつも冷静なミリルにしてはあまりに不用意な行動だ。それほど今のリオンの状態は危なく見えているということだろう。


「リオン! リオンッ!」


 幸いにも敵から攻撃を受けることなくリオンの下へ辿り着いたミリル。壁に背を預けて座り込んだような状態のリオンに、縋りつくような勢いで飛びついてくる。青と緑のオッドアイには涙の雫が滲んでいる。


「リオン! リオ、ン……」

「……ケホッ! ……生きてるよ、一応」


 喉に溜まった血を吐き出したリオンが、掠れた声で何とか自身の無事を伝える。呼吸の状態などを見れば、リオンが生きていることくらいすぐにわかるはずだが、どうやら完全にいつもの冷静さを失っているようだ。


「……お前が泣いてるのなんて、久しぶりに見たな」

「う、うるさいわね! 無事なら無事ってすぐに言いなさいよ!」


 少し力の入らない手でミリルの目元を拭いながら、リオンが小さく笑う。


 最後にミリルの涙を見たのは、五年前。リリシア先生が死に、帰る場所を失った炎の夜以来だ。相変わらず、家族を失いそうな場面になると取り乱すところは変わらないらしい。


 本当なら、この手のかかる妹だか姉だかを今すぐ慰めてやりたいところだが――


「……まだ、終わってない」


 刀の鞘を杖のように地面に突いて、震える脚に力を込める。輝夜だと切れ味が良すぎて地面を貫いてしまうため、杖代わりにはならない。


 そうしてどうにか立ち上がったリオンの前には――


「クハッ、やはり立つかよ……それでこそ、オレが見込んだ男だ」


 巨大な斧を引きずりながら歩み来る、狂戦士の姿があった。


 頭から血を流し、口元にも血が滲んでいる。リオンほどではないが、衝突のダメージはクラッドの方にもあったらしい。


 だがクラッド自身以上にダメージを負っているのは、その手にある戦斧の方だ。


 一メートル近い幅の刃は、全体が大きくひび割れ、片側はほとんど崩れ落ちている。反対側も損傷が酷く、あと数度でも振えば、粉々に砕け散ってしまいそうだ。


 一方のリオンの輝夜には、これといって目立った傷は無い。細かい刃こぼれくらいはあるかもしれないが、まだ十分に戦うことができそうだ。


 それはリオンの実力云々というよりも、武器の性能差によるものだろう。相棒ジェイグが鍛えた最硬の金属オリハルコンとミスリル製の刀は、それだけの逸品だということだ。


 敵の武器は崩壊寸前。


 だがそれでも、やはり追い詰められているのはリオンの方だった。


「最後の反応は見事だったぜ。実に楽しい殺し合いだった」


 淀みのない動きでボロボロの斧を振りかぶるクラッド。ダメージの影響はほとんどないようだ。そしてたとえボロボロであろうと、それが巨大な質量を持った凶器であることは間違いない。それが振り下ろされれば、今のリオンでは為すすべなく叩き潰されてしまう。


 それがわかっているから、リオンは満身創痍の身体を押して立ち上がり――そんなリオンを守るべく、ミリルがその前に立ち塞がった。


「……何だ嬢ちゃん。今度はテメェが相手してくれんのか?」


 どうやら戦う前の言葉通り、ミリルもクラッドの食指を動かすに足る相手らしい。クハッ! と笑い声を上げてミリルを見下ろす。


「……あんたが向かってくるなら、最後まで抵抗してやるわよ」


 本来であれば、ここまで追い詰められた以上、素直にこの場の死体を全て明け渡してしまうのが得策だろう。相手の実力を見誤った故にこのような形になってしまったが、誰とも知れない死体のために、家族の命を賭ける気などない。


 だがこの場でそれを言ったところで、目の前の狂戦士は自分達を見逃しはしないだろう。


 なら最後まで望みを捨てずに抗うだけだ。


 敵を倒すことは難しいだろうが、ミリルの持つ魔導具を使えば、もしかしたら逃げのびることならできるかもしれない。仮面の女もいる以上可能性は限りなく低いが、座して死を待つことはしない。


「そうかい。まぁ獅子帝ほどじゃねぇが、嬢ちゃんもせいぜい楽しく殺し合おうぜ!」


 ミリルの闘志を心地良さそうに受け止めながら、クラッドが殺気を漲らせる。


 そして鈍器と化したバトルアックスを振り下ろし――




「そこまでよぉ」


 そんな間延びした声が聞こえたと同時に、ミリル達との間に影が滑り込んだ。その影は、右手のナイフを横から打ち払い、クラッドの斧の軌道を逸らした。すでにボロボロの状態だった戦斧は、そのナイフの一撃と地面を叩きつけた衝撃により、今度こそ粉々に砕け散ることとなった。


「……何のつもりだ、テメェ」


 粉々になった自身の得物には目もくれず、クラッドは目の前に現れた人物――仮面の女に鋭い眼光を向けた。


「何のつもり、はこっちのセリフよぉ。上から命令を忘れたのかしらぁ?」

「ああ? 可能な限り殺すなって話か? だが戦いになったら殺しても構わねぇって条件付きだっただろうが」

「それはあくまで戦った結果死んじゃったらって話よぉ。止めを刺しても構わないとまでは言われてないわぁ」


 突然の女の行動に怪訝な表情を浮かべるリオンとミリル。だがどうやらリオン達が死ぬのは、この女にとって――いや、その所属している組織にとってあまり都合が良くないらしい。絶対に殺すなとまでは言われていないようだが……


 そしてそれは、未だ溢れるほどの殺意を漲らせながらも、クラッドが強硬手段に出ないところからも推測できる。


「その嬢ちゃんはまだ戦う気があるみてぇだが?」

「あなたが向かってくるなら、ね。逆に言えばこのまま戦おうとしなければ、この子達ももう手は出さないんじゃないかしらぁ?」


 肩越しに振り替えりこちらへ視線を向ける女。仮面の奥の妖しげな瞳が、リオン達を貫く。


 ミリルが悔しさと不安の滲む表情でリオンの判断を待つ。


 そしてリオンは――


「……ああ、もう俺達の方から手は出さない」

「死体は持って行っても構わないわよね?」

「……好きにしろ。あと、ここを去る時にアル達と会っても、絶対に手を出すな」

「ええ、わかってるわぁ。あの子達を含めたあなた達全員、殺さないよう上から指示が出ているものぉ」

「……ならいい」


 胸の内にある感情の全てを吐き出すように大きく息を吐いて、そう告げた。


 女はその口元に笑みを浮かべると、未だに怒りの形相を浮かべたままの己の仲間に向き直った。


「と、いうわけよぉ。まさか逆らったりはしないわよねぇ?」


 暗に、逆らえばただじゃ済まないと伝える女。その対象が自身ではなく、女が『上』と呼んだ連中のことであるのは間違いない。


 頭では理解しても感情が追い付かないといったところだろうか。噛みしめた口元からギリギリと軋むような音が鳴る。


 そんなクラッドの態度に、女は頬に手を当て小さくため息を吐くと、手のかかる子供を相手にするような口調で言葉を続ける。


「それにこれはあなたにとっても悪くない話だと思うわよぉ?」

「あぁ? どういうことだ?」

「この子があなたと戦ってるわずかな間でさえ大きく成長していたのは、あなたにもわかったでしょぉ? それにこの子はまだ十七歳。伸び代はまだまだあるわぁ。そんな美味しい果実を熟す前に摘み取ってしまうのはぁ、実に勿体ないと思わないかしらぁ?」

「…………」


 女の提案に、クラッドの顔から少し怒りが消えた。真剣な表情で、女の言った言葉を思案している。


 迷いを見せるクラッドに、さらに女が畳み掛ける。


「それに、この子は今日一日ずっと戦いっぱなしだったわぁ。体力も魔力もかなり消費しているはずよぉ。そんな弱った獅子を相手に勝ったところで、あなたは本当に満足するのかしらぁ?」


 挑発するような笑みと口調。そして女が口にしたのは紛れもない事実だ。


 そのことにクラッドも思い至ったのだろう。自身のプライドを刺激された狂戦士から怒りも迷いも消え、代わりに「クハッ!」と喜悦の色が浮かぶ。


「良いぜぇ。今はテメェの言う通り、我慢してやるよ。その方がずっと楽しめそうだ」


 使い物にならなくなった斧の柄をぞんざいに放り捨てて、クラッドは踵を返した。


「あぁ、帰るならそこら辺の死体オモチャも持っていってねぇ」

「あ? ……ちっ、仕方ねぇな」


 真っ直ぐに出口に向かい始めたクラッドに、女がヒラヒラと手を振って笑う。


 肩越しに振り返ったクラッドは、気怠そうに紅の髪をガシガシと掻きながらも周囲を見回す。死体の入っていた容器は全て崩壊している。死体そのものは天井から吊るされていたため、ほとんどがぶら下がったままだが、一部は戦闘の余波で吹き飛んだり、あちこちに傷を負ったりしていた。


 そんな中から比較的傷の少ない死体を数体肩に担ぎ、クラッドは部屋を後にする。


「またな、獅子帝。次はきっちり、最後まで殺し合おうぜぇ」


 学校の同級生にまた明日と言うような気軽さで、振り返ったクラッドが物騒な事を言う。


「……できれば、二度と会いたくないな」

「つれねぇなぁ。まぁそんなこと言っても、どうせまた会うことになるんだろうけどな」


 クラッドの発言に、リオンがどういうことかと睨みつける。


「余計なことは言わなくていいわ。早く行きなさい」


 だがそれに対する答えが出る前に、これまでにない無機質な声で仮面の女が釘を刺した。


 男は「おぉ怖ぇ」と肩を竦めると、それ以上は何も言わずに姿を消した。


「さてとぉ、それじゃあお姉さんもそろそろお暇させて頂くわぁ」


 クラッドが去るのを見届けた女が、さっきまでと同じ間延びした口調に戻ってそう言った。仮面越しに女の瞳がウインクしたのが見える。それに対しリオンとミリルから何も反応が無いことに、残念そうにため息を漏らした後、クラッドの後を追って女が部屋を出ていく。


 リオン達はどうすることもできないまま、「じゃあまた会えたら会いましょぉ」といまいちはっきりしない別れの言葉を告げる女の背中を見送る。


「…………なぁあんた――」


 だが女の足が部屋の出口に差し掛かったところで、逡巡しながらも、リオンが女を呼び止めた。


「……何かしらぁ?」

「……………………いや、何でもない。逃げ切れるといいな」


 振り返った仮面の奥に覗く瞳をしばし見つめていたリオンだったが、最終的にはただ首を横に振り、皮肉を込めた言葉を返すだけに留めた。


 仮面の女は少しだけリオンの瞳を見返したが、結局は何も言わずにその場を立ち去ったのだった。





 それからどれだけ経っただろうか。


「……負けたな」

「……そうね」


 しばらく無言のまま、敵の消えた廊下の先の闇を見つめていたリオンがポツリと呟いた言葉に、震える声でそう返事があった。隣を見ると、オッドアイに涙の雫を溜め、けれどそれを決して溢さないように歯を食いしばるミリルがいる。


 心にあるのは負けた悔しさか、また家族を失わずに済んだ安堵か。どちらにせよ自分がミリルに心配を掛けたことに変わりはない。


 あまり力の入らない手をミリルの頭にポンと乗せた。いつもなら返ってくるはずの抵抗は無く、ふわりとした感触と温かさが掌を通して伝わってくる。リオンは思わずホッと小さく息を吐く。どうやらあと一歩で殺されるという状況は、自分の心にもかなりの重圧を与えていたらしい。


「……悪い、心配かけた」

「……うん」

「俺ももっと強くならないとな」

「……あたしももっと強くなるわ。次があれば、絶対に負けない」


 いつになく素直なミリルの髪をそっと撫でる。


 そうしてその後、逃げた少女を取り逃したアルとファリンが戻ってくるまで、二人は敗北の悔しさと生き残れた喜びを噛み締めながら、互いに強くなることを誓うのだった。

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[気になる点] ~上から命令を忘れたのかしらぁ?」 上からの命令を~ でしょうか。
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