謎の真相
「これは……」
「な、なんだよ、これ!」
その光景を目の当たりにしたリオンとアルが、驚愕と困惑の声を零す。
二人が入った室内は、薄汚れた白い壁に覆われた正方形の部屋だ。一辺は二十メートルくらい。出入口はリオン達が入ってきた一か所だけ。天井に取り付けられた少ない魔導灯が、室内を薄暗く照らしている。
そしてそんな魔導具の灯りに照らされる無数の巨大水槽。
天上から床まで伸びた円筒形のガラスが、室内に等間隔に並べられている。中には小さな気泡すらなく充満した薄緑色の液体。一見するとどこかの水族館の展示物のように整然と並べられた水槽の中には、しかし魚の一匹もいない。中にいるのは無機質な鎖付き腕枷で天井に繋がれた人間。人の顔に様々な動物のパーツを組み合わせたような身体を持つ、奇妙な人間だけだ。
いや、この場合“いる”という表現は正しくないだろう。
何故なら中の人々は、腕の枷以外、その身に何も着けていない。口には呼吸器のような物も無い。そもそも呼吸や心臓の拍動など、生命活動の兆しが欠片も見られないのだ。入り口近くのものしか確認していないが、おそらく全ての水槽が同様の状態だろう。
つまりここにあるのは全てが死体。二十体以上の死体が、謎の液体の中を漂っているのだ。
さっきの部屋にあった解剖された死体から考えるに、これは水槽ではなく死体の保存容器。おそらくこの薄緑色の液体は、ホルマリンのように死体を腐らせない成分を持つ薬液なのだろう。わざわざ個別に入れているのは、観察用の標本のような意図もあったのかもしれない。
「なぁリオン、これって……」
「……ビースト達の研究のため、というのが一番考えやすい理由ではあるが……顔が人間というのが謎だな……」
アルの言葉にならない疑問を察して、リオンが仮説を口にする。もっとも今の状態では、これ以上のことはわからないが。
正直に言えば、さっきの研究室といい、この死体置き場といい、気になることは山ほどある。だが、今優先すべきことはこの場所の持ち主を探すことだ。
「……とにかく隠れる場所は無さそうだが、一度部屋の中を確認しよう」
一度部屋の奥まで行き、人がいないことを確認する。室内にはガラス容器以外に物は無いので、人が隠れることはできない。隠し部屋みたいなものがないかも軽く確認したが、発見できなかった。
「一度戻ってミリル達に合流しよう。こっちに人がいない以上、ここの主はミリル達が行った方へ逃げたはずだからな」
アルを連れて、リオンは来た道を引き返す。部屋を出る時に、一度アルが何とも言えない表情で後ろを振り返ったが、すぐにリオンの後に続いた。
T字路を直進し、ミリル達の後を追う。
さっきの死体保管室までの距離と同じだけ走ると、すぐにミリル達の背中が見えた。どうやら先には小さな部屋があるようで、ミリルは部屋の入り口付近でしゃがみ込んで床を見下ろしている。
ファリンはその隣に立ち、同じように下を向いていたが、リオン達が近づいてくる気配に気付いたようだ。顔を上げて、こちらに手を振ってくる。
「リオン! アル! どうだったニャ?」
「妙な物はあったが、“生きてる人間”はいなかった。そっちは?」
「……こっちはこの部屋で行き止まりニャ。人どころか、ネズミ一匹見当たらニャいニャ」
“生きてる人間”という部分に、ファリンが一瞬眉根を寄せたが、すぐに切り替えて自分達の調査結果を説明する。
そしてそのファリンの言葉は、この洞穴内にリオン達以外の人間が存在しないという事実を示している。
アルが困惑に首を傾げるが、リオンはそれよりも先程からこちらを振り返ることなく何かに集中しているミリルに意識を向ける。
「それは……魔術陣?」
ミリルが一心に見ていたのは、複雑な幾何学模様の中に文字らしきものがびっしりと書き込まれた図形。魔術を使用するための媒介の一つ、魔術陣だ。
その陣を見るミリルの表情は真剣そのものだ。リオン達が来たことには気付いているだろうが、そのことを気に掛ける余裕が無いほど集中している。
魔術に疎いリオンには、その魔術陣の内容は一ミリも理解できない。だが二メートル四方の小さな部屋の床を埋め尽くすほどの大きさの魔術陣だ。その魔術の効果が、一般的に使われている魔術よりも遥かに高度なものだというはわかる。
だがミリルは自他共に認める魔術の天才だ。かつて魔空船の操縦室で、何百とある魔術陣の内容をほんの一瞬で解析したこともある。おそらく現在発見され、公表されている魔術は全て把握しているのだろう。
そんなミリルが、これだけの時間をかけてもなお解析できないとなると、それはすなわち――
「アーティファクトか……」
聖遺物――アーティファクト。
史実にも残っていない遥か昔に栄えた文明が残した魔導具を、そう呼ぶ。現在使われている魔術の多くは、アーティファクトを解析した末に用いられるようになったものだ。現在でも様々な秘境や魔境で新種のアーティファクトは発見されている。魔空船に使われている魔術も、飛行アーティファクトの発見と解析によってもたらされたものだ。
アーティファクトを発見した冒険者には、ギルドから多額の報酬が約束されている。ものによっては、それこそ一生遊んで暮らせるほどの額が手に入る。冒険者にとっては一獲千金の夢を叶える財宝であり、世界にとっても至宝と呼べるだけの価値のある遺物なのだ。
ただしアーティファクトの解析は困難を極めるため、発見はされたが、未だに解析できていないものも多い。
「解析はできそうか?」
直径二メートルはある魔術陣を穴が開くほどの視線で見つめ続けるミリルに、リオンが声を掛けた。解析の邪魔はしたくはないが、この空間の主を発見できなかった以上、もう一度先程の死体保管室と研究室を探索する必要がある。その前に、この魔術陣の情報を少しでも得られればと思ったのだ。
「……おそらく、対になる魔術陣のある場所と、この場所を繋ぐ道を作る魔術……だと思うわ。ここに二つで一つを表す魔術文字がある。それにここ。ここの模様、ギルドが用いる通信魔術に似てる。こっちの古代数字は、座標ね。多分、ここにいた奴は、これを使って逃げたというわけよ」
魔術陣の一部を指差しながら、ミリルが説明する。
ちなみにギルドの通信魔術というのは、固定電話のようなものだ。同じ魔術がかけられた場所同士で会話ができる。通信の相手は、陣に描かれた座標――電話番号のようなもの――を書き換えることで変えられる。通信先の座標を知らなければ使用できないということでもあるが。
ただ、その魔術陣自体がかなりの大きさであり、大地に直接描かなければ魔術を発動できないため、携帯電話のように持ち運ぶことはできない。その上魔術の起動自体にもかなりの魔力を消費するうえ、通信相手との距離や通信時間に応じて消費する魔力の量も増える。そのためギルドや、国の重要拠点など、限られた場所でしか活用されていない。
「新しい通信魔術という可能性は?」
「もちろんその可能性もあるわ。けどこの場所に、あたし達が来る直前まで誰かがいたのは間違いないわけよ。そしてあんたやあたしが見つけられない以上、もうそいつはここにはいない。なら、何らかの手段でここを逃げたってわけ」
「その手段がこのアーティファクトだという根拠は?」
リオンの問いに、ミリルは少しバツが悪そうに頬を掻く。
「実はあんた達が来る前に、一度この魔術陣を起動させてみたのよ」
「お前なぁ……危ないマネするなよ……」
「さっきも言った通り、この魔術の効果は推測で来てたから大丈夫よ」
簡単に言うが、得体の知れない魔術陣を起動するのは危険を伴う。使用者に害を及ぼす魔術は早々無いが、むやみに起動すべきものでは絶対ない。
リオンが呆れと少しの怒りを込めて睨むが、ミリルは逃げるように視線を逸らす。だが「ティアに言っておくか……」とリオンが呟けば、条件反射のように「ゴメンナサイ、キヲツケマス」と頭を下げた。やはり黒の翼での最恐は、ティアで間違いなかった。
「で、起動した結果はどうだったんだ?」
「こうなったわけよ」
溜息混じりにリオンが話を戻すと、ミリルが魔術陣へ魔力を通す。複雑な幾何学模様と文字が光り輝き、魔術の発動を知らせる。
直後、魔術陣の真上の空間が揺らいだ。その揺らぎはすぐに淡青色の光を放ち、縦に長い楕円を形作る。まるで陽光を受けて輝く水面を見ているようだ。
リオンは先程のミリルの説明と、目の前の現象から、『ゲート』という言葉が頭を過った。前世で好きだったアニメやゲームに、こんな感じの空間転移魔法は定番だった。
「触ってみるといいわ」
ミリルが顎でそう促してくる。おそらく自分も色々調べて、危険性は無いと確認してあるのだろう。
リオンは無言でそのゲート(仮)に手を伸ばし、躊躇いなくその手を突っ込んだ。
「……何も起きないな」
揺らめく空間を通り過ぎた瞬間も、特にこれといった違和感はなかった。ゲートによって見えなくなった手の先の感触もある。感じる温度や空気の感じも、今いるこの洞窟内と何も変化は感じられなかった。
リオンが溢した呟きに、ミリルが「でしょ?」と言うように肩を竦める。さらに二人のやり取りを横で見ていたファリンが、ゲート(仮)を回り込んでリオンの反対側に立った。そんなファリンを見ていたリオンの手を、リオンよりもやや小さな手が優しく握る。
「突き抜けてるのか、これ?」
「そういうことニャ」
揺らめく空間の向こうでファリンが手を上下に振る。それに合わせてリオンの手も上下に振られた。さらにリオンの顔の少し下あたりの高さから、ファリンがゲート(仮)から顔を出した。リオンが手を繋いだまま一歩下がると、ファリンがピョンとゲート(仮)を飛び越えてくる。
さらに今度は、ミリルが適当な大きさの石を拾って、空間の揺らぎの向こうへ放り投げた。直後、コツンッという軽い音がゲート(仮)の反対側から響く。どうやら無機物だけを転送させる、みたいな効果も無いらしい。
その後、後で見ていたアルもゲート(仮)をくぐってみたが、何が起こることも無く室内を往復しただけだった。
「で? この結果について、天才魔導技師様のお考えは?」
「多分、この座標の場所にある魔術陣が壊されたのね。繋ぐ先が見つからないから、通り抜けても何も起きないってわけ」
まっ、詳しく解析してみないと確証はないけどね、と両手を頭の後ろで組んだミリルが魔力の供給をストップした。ゲート(仮)は、出現したときとは違い、まるで幻だったかのようにフッと一瞬で消えてしまった。
「話は分かった。だがまだ隠し通路を使った可能性もあるだろ?」
「その可能性はこれから潰せばいいわけよ。手掛かりも残ってるかもしれないわけだしね。まっ、少なくともこの部屋にはこの魔術陣以外何も無いから、あとはあんた達が行った方か、その前の研究室ね。とりあえず先にあんた達が行った方から調べるわよ」
「これの解析はいいのか?」
「さすがのあたしでも、これをすぐに解析するのは無理よ。機材なんかも必要だと思うし。それに優先順位はここの調査が先でしょ。明日以降も時間はあるんだから、日を改めてじっくり解析させてもらうわ」
踵を返して部屋を出ていくミリル。その背中へ「本当は今すぐにでもここに籠って解析したいくせに」と心の中で呟いて、リオンが苦笑いを向ける。ミリルは口にしなかったが、帰りが遅れてティア(ついでにジェイグ)に余計な心配を掛けたくなかったのだろう。怒られるからというのも理由の一つだろうが。
そのミリルの内心に気付いていたのはリオンだけではない。ふと隣を見れば、洞察力に優れたファリンも「素直じゃニャいニャ~」とでも言うようにイタズラな笑みを浮かべていた。
まぁもちろんそれを指摘すれば銃弾が飛んでくるので何も言わないが。
しかしそんなリオンの生暖かな視線に気付いたミリルが、肩越しに振り返ってジト目を向けてくる。付き合いの長いミリルからすれば、リオン達の視線から内心を読み取るのは容易いらしい。ほら、早くしなさいよ、とつっけんどんな態度で照れ隠しをするミリルに、リオンとファリンは顔を見合わせて微笑むのだった。
なお残念ながら、基本鈍感少年なアル君だけは、そんなやり取りを不思議そうに眺めていた。
その後、リオンとアルが調べた死体保管室に戻ってきた一行。ミリルとファリンが薄緑色の液体の中に浮かぶいくつもの死体に、不快そうに顔を歪ませる。だが事前にリオンから情報を得ていたため、それ以上の反応を見せることなく、全員で室内を隈なく調べていく。
結果、死体保管室には隠し通路はおろか、手掛かりになりそうなものは何一つとして見つからなかった。
「ホントに、ここは死体を保管するためだけの場所みたいね」
室内の調査を終えたミリルが、死体が入ったケースに触れながら呟いた。
「このケース自体に何か仕掛けはありそうか?」
「ん~、一応ケース内の床と天上に、この水を入れ替える装置みたいなのが付いてるけど、あとは何もなさそうね」
円柱形のケースの中を覗き込むように移動しながら、ミリルがそう答える。ちなみにケースの材質はガラスではなく、少し特殊な材質らしい。ガラスよりは衝撃に強く、割れにくいという性質があるそうだ。
あと中の液体についても一応聞いてみたのだが、素っ気ない感じで「専門外」と言われた。
「それにしても、ここにある死体って何なわけ? 猿のビーストってわけじゃないだろうし……」
「さぁな……ビーストの亜種かもしれないし、ビーストの進化の先かもしれない。もしかしたらここにいた研究者は、それを研究していたのかもな」
室内の探索が全て終わり、あとは研究室らしき部屋の調査を残すのみとなったところで、話はここに並べられた謎の死体の件に触れられた。ミリルが何とも言えない表情で死体の一つを見つめる。
それは小さな女の子だった。おそらく年は十にも満たないだろう。他の死体同様、顔は人間に近いが、身体は動物の毛で覆われている。薄緑色の液体の中ではわかりにくいが、灰色っぽい毛だ。犬か熊だろうか。耳と尻尾は猫だと思うが、ここの死体はビースト達と同じで様々な動物の部位が組み合わさっている。身体のベースが何の動物かは判らなかった。
「こんな小さな子まで……」
水中に浮かぶ少女を見上げ、アルが怒りを堪えるように歯を食いしばる。
「実験のために殺された、とかじゃなければ、まだ救いはあるんだがな……」
リオンがアルの気を静めるように、ポンとその小さな肩に手を置いた。
何らかの理由で死んだ人間を運んだだけならば、研究のためとして、まだ何とか理解はできる。先程の研究室で分解解剖された死体を見た後では、どうしても忌避感や嫌悪感は否めないが。特にこんな小さな女の子が、と思えば尚更だ。
「まぁ医療の研究ならこんなことよくあることなわけよ。あまり良い気はしないけどね」
「確かにな。特にこれだけ人間と体の構造が違えば、病気の治療方法も変わってくる。その点は、今後ビースト達と接していくうえで考えないといけない問題かもな」
分野は違うが、魔術や魔導技術の開発・研究者であるミリルは一定の理解はあるようだ。もっとも、人間の死体を切り刻んだりする行為への忌避感情は拭えないようだが。
リオンはそんなミリルの発言に、これから始まるであろう地上の人々とビースト達との技術や情報の交流に考えを巡らせる。そういう意味では、ここにあるビーストとは少し異なる人達も、ビースト達を知るうえで役に立つかもしれない。
「そうね。この島にはビースト達以外にも新種の生物がいっぱいいるわけだし、生物学者の連中は泣いて喜びそうね」
「まぁ俺達にはあまり関係ない話だけどな」
リオン達はあくまでこの島の発見者であり、ただの冒険者だ。報酬を貰えば、あとのことはギルドに任せるだけ。さっきの転移魔導具らしきアーティファクトの解析には、ミリルもある程度関わるだろうが、それ以外の分野でリオン達が口を出せるようなことはなかった。
「………………」
「どうした、ファリン? 珍しくそんな難しい顔して」
年長二人がそんなやり取りを交わす中、ずっと黙ったままだったファリンの様子に気付いたアルが声を掛ける。
「珍しくは余計だニャ!」
「あいてっ!」
声を掛けられたファリンは、とりあえずアルの発言の『珍しく』の部分にきっちり噛み付いた後、ケースの中に浮かぶ少女の死体を見上げて首を傾げた。
「ニャんとニャくニャんだけど……」
「ニャが多いな……イタッ、ちょ、噛み付くなって」
余計な茶々を入れたアルに、再びファリンの愛の噛み付き攻撃が炸裂した。
「それで? 何か気付いたことがあるわけ」
じゃれ合う二人を引き離し、余計なことを言わないように羽交い絞めにしたアルの口を両手で塞いだミリルがファリンに問いかける。リオンも真剣さを宿した瞳でファリンを見つめる。
ファリンは知識では年長四人組には敵わないし、思考速度でもリオンやミリルに劣るが、洞察力には優れており、着眼点も良い。そのため他のメンバーが気付かないようなことに気付くことがあるのだ。
そんなリオンとミリルの視線に、ファリンは少し自信のなさそうな様子で口を開いた。
「特に根拠があるわけじゃニャいんだけど……ここにいる人達、ニャんかビースト達の仲間じゃニャい気がするニャ?」
「どういうこと?」
ファリンの発言にミリルが首を傾げる。ここの死体は全て、顔以外はビーストと同じ特徴を持っている。故にリオンもミリルも、人間が猿から進化したように、ビースト達の進化か変化の形だと思ったわけだが。
(待てよ……)
だが、リオンはファリンの言葉に何か引っかかるものを感じて、顎に手を当てて思考を巡らせる。
(そもそもビースト達の身体の構造からして、おかしな点が多い……まるで継ぎ接ぎの人形みたいに……そしてそれはここの連中も……っ!?)
とある可能性に思い至ったリオンの背に、今までに感じたことが無いほどの悪寒が奔りぬける。まるで醜い悪魔の舌でその身を撫でられたような、そんな強烈な不快感だ。
そしてその可能性は、ファリンの次の言葉で、より現実味を増すことになった。
「まるでファリン達みたいニャ獣人や人間が、動物の身体にニャったみたいニャ」
一瞬の沈黙。
直後、ミリルが弾かれたようにリオンの方へ顔を向けた。
どうやら一拍遅れて、ミリルもリオンと同じ考えに至ったのだろう。ミリルにしては珍しい、自分の考えが信じられないといった表情。小さな口が「まさか」とでも言うように動くが、驚愕のせいか言葉にはならなかった。
そんなミリルに、リオンは無言で頷きを返す。
そして話に付いていけずに首を傾げているアルと、二人の反応に戸惑いを浮かべるファリンを置いて、リオンとミリルは同時に部屋を飛び出した。込み上げる焦燥と不快感に突き動かされるように。
「ミリルはそっちの机を中心に! 俺はこっちの本棚を漁る!」
「了解!」
全速力で一つ前の部屋、分解解剖された死体のあった研究室に戻った二人は、そのまま流れるように部屋の中を引っ掻き回し始めた。棚の本を一冊ずつ手に取っては、ざっと中を確認しては放り投げていく。引き出しを強引に引っ張りだし、中身をぶちまける。
「どうしたんだよ二人とも!?」
「ニャにごと!?」
リオンとミリルを追いかけてきたアルとファリンが、いつになく慌てた様子の年長組二人に困惑と驚愕の声を上げる。
しかし説明している時間も惜しいとばかりに、リオンは「後で説明する!」と返すと、手を止めることなく本棚を漁り続ける。ミリルも無言で作業に集中しているらしい。血と薬品の臭いが充満する室内に、二人のあげる慌ただしい音だけが響く。
それから十分ほどが経過した頃――
「っ! リオン!」
部屋の反対側で響いた叫びに、リオンがバッと音が鳴るほどの速さで振り返った。
そこには引出しが全て引き抜かれた机を前に、薄手のノートのようなものを凝視したままのミリルが、慌てた様子でリオンを手招きしていた。
リオンは持っていた本を無造作に放り投げるとミリルの隣に駆け寄り、その手の中にあったノートの表紙を覗き込んだ。
そこには――
「……動物合成……人体実験記録」
ギリッと音が鳴るほどに歯噛みしたリオンが、吐き捨てるようにその文字を読み上げた。その胸の内には、「やっぱりか……」という怒りと、「嘘だろ……」という驚愕が綯い交ぜになっている。
「これって、どういう、こと……?」
「動物合成って……人体実験って何だよ!?」
ただでさえ困惑に陥っていたファリンとアルが、その表紙に描かれた無機質な文字を見てさらなる混乱を露わにする。ファリンなど、普段の猫語を忘れるほどに動揺しているらしい。
弟と妹の戸惑いの声が響く中、ミリルがパラパラとノートをめくっていく。そしてその中身を見て深いため息を吐いた後、ゆっくりと顔を上げてアルとファリンを見つめる。
「さっきファリンが言った通りよ。この人も、あの部屋にある死体も、この島にいる動物達も……そしてビースト達も、自然に生まれてきた未発見種族なんかじゃない。この島で、人間の手で作り出された、合成生物――それが彼らの正体よ」
そうしてミリルがそのノートの内容を、要点だけを絞って読み上げていく。
“記録”と銘打たれているが、その内容はほとんど持ち主の日記のようなものだった。実験の詳細のような記述は無く、あくまでその実験を行うまでの経緯や実験過程、そして最終的な考察などが書かれている。
この島で数百年前、他種族より身体能力などで劣る人間族に、動物の身体能力を与えて強化する実験が行われていたこと。
しかし当時の技術では、魔力も持たず、見た目もほとんど獣という失敗作しか生まれなかったこと。
そのため、実験は長い間凍結され、その間この島は放置され、忘れ去られていたこと。
それが二十年ほど前、ここの新たな主であり、このノートの執筆者が、偶然この島へ転移するアーティファクトを発見したこと。
そいつが、その実験を引継ぎ、より人間に近い合成体を生み出すことに成功したこと。
だが結局、魔力を失うという結果は変わらなかったこと。
そして――
「次の計画として、同じ魔力を持つ生物――魔物と人間の合成に移行する……」
ノートの最後に描かれた文字を読み上げたミリルが、隠し切れない怒りと嫌悪を宿した顔を上げた。アルやファリンにも同じ感情が浮かんでいる。きっと自分も同じような顔をしているのだろう。
「つまりこの場所は――いや、この島全体が、そのふざけた実験をするための実験場だったんだな」
「そういうことよ。そして人体実験である以上、実験に使われたのは生きた人間。自らこんな実験の被験者になる連中がいるわけないし、間違いなく非合法な手段でさらわれてきたんでしょうね。つまり、ここにある死体は全部、この胸糞悪い実験の犠牲者達ってわけ」
「なんだよ……なんだよそれっ! ふざけんな! ふざっけんなよっ!」
込み上げる負の感情を必死に押し留めて事実を確認するリオンとミリル。だがそれを聞いていたアルは、その湧き上がる感情のままに声を荒げ、傍にあった机に、力任せに拳を叩きつけた。分厚い机の天板に大きな亀裂が入る。
「……まさに悪魔の実験……神をも恐れぬ所業ってやつか……正直、反吐が出そうだ」
「同感ね。あたしも魔導研究者なわけだけど、ここまで研究に魂を売る気にはなれないわ」
すぐそばの診察台の上で無残な姿を晒している哀れな犠牲者を見て、素直な感想を言いあうリオンとミリル。記録から滲み出るような悪意に気分が悪くなったのか、青い顔をしているファリンの背中をミリルが擦っている。
「しかしこうなると、ここにいた奴を逃がしたのは悔しいな」
「さすがにあんな転移魔術があるなんてわかんないし、しょうがないわよ。こんな手掛かりがあっただけでも運が良かったわ」
「まぁな。ちなみに研究資料とかはなかったのか?」
「他にめぼしいものは無いわね。多分、そいつが全部持って行ったんでしょうよ。でもこれだけは壁と机の間に落ちてたから、見落としちゃったってわけ」
そういうことらしい。確かにこんな自分の犯罪記録にも等しいノートを置いていくとは思えない。おそらくリオン達の侵入に相当焦っていたのだろう。
だがこれでビースト達に抱いていた謎のほとんどは解明された。
複数の動物のパーツが混ざり合っているのは、合成実験の結果だ。合成というのがどういう手段、方法を持って行われたかはわからないが、あの不自然な部位の繋がりは、おそらく外科的な手段で繋ぎ合わされたのではないだろうか。
人間と同じ知性を持ちながら、魔力を持たないビースト達。テレパスを使えない彼らと言葉が通じる理由は、このノートや部屋に残された本が全て、リオン達の母国語であるペルニカ語で書かれていることから推測できる。
おそらくこの場所に繋がる転移アーティファクトの片割れは、ペルニカ大陸のどこかにあるのだろう。だから数百年前に彼らを作り出した研究者や、ビーストに変えられた実験の犠牲者達もペルニカ大陸の出身で、全員がペルニカ語を使っていた。
ここが彼らの発祥の地というのは、彼らがここで作られたから。ビースト達がそのことを知らないのは数百年の時間の中で、その記憶を忘れてしまったからか。あるいは実験の影響で、人間だった時の記憶は失われたのかもしれない。
「まぁそれがわかったところで、ビースト達には言えないけどな」
「まったくね」
そう言ってリオンが肩を竦めれば、ミリルが全く同じ感じに肩を竦めて同意する。
こんな非道な実験が行われていたこと、その首謀者が地上に逃げたこと、そしてそいつが魔物と人間の合成を進めていることなどの情報は、全てギルドに報告する必要がある。話はすでにリオン達だけの手に負えるものではない。
だがこの実験のことも、この場所のこともビースト達の耳には入れない方が良いだろう。自分達が元は人間で、底知れない悪意の末に作り出された存在だと知れれば、少なくない衝撃を受けるはずだ。彼らの誇り高さを考えれば、そのことは容易に想像がつく。
ならばあえてその事実を彼らに伝える必要はない。
また実験の悪辣さを考えれば、おそらくこれらの情報はギルドでも情報規制がかかるはず。知るのはギルド上層部と関係者だけ。ビースト達に情報が漏れる可能性は低いだろうし、この情報のせいでビースト達の扱いが悪くなることも無いだろう。
だが、この場所や実験の事を伝えるうえで、一つだけ懸念事項があった。それは――
「ここにある死体をどうするか……だな」
死体保管室の方へ視線を向けたリオンが、思案顔でそう呟く。
そうリオンの懸念事項というのは、死体保管室に並ぶ二十体以上の死体をどう扱うかだ。
「まぁギルドに引き渡せば、間違いなく色々調べられるでしょうね」
「だよな」
リオンの懸念を把握していたのか、ミリルがそう言って診察台の上の分解解剖された死体を横目に見る。“調べる”などと当り障りのない言葉を使っているが、要はこの死体同様の扱いが待っているということだ。
ミリルの言葉と視線でそれを察したアルとファリンが、悲痛な表情を浮かべる。
ギルドの目的は理解できるし、仕方ないとも思える。だが悪魔的な実験の哀れな犠牲者達が、死後もその身を辱められ傷付けられるのはあまり気持ちの良い話ではない。
それともう一つ、ギルドに彼らを引き渡した際の心配事がある。
それは彼らの身体を調べることで、生物の合成方法が解明され、新たに実験を行う人間が出てこないかということだ。もちろんギルドが主体となってそんな実験を行うとは考えにくい。だが冒険者ギルドは、世界中に支部を持つ大組織だ。所属する人員は、冒険者以外にも数多くいる。もちろん情報は規制されるだろうが、この件に関わる上層部の中からこの悪魔の実験に魅入られる可能性が無いとは言い切れなかった。
「ギルドの連中には悪いけど、オレはこれ以上あの人達が苦しめられるのはイヤだよ」
「ファリンも同じ気持ちニャ……」
逡巡するリオンに、アルとファリンがどこか懇願するような眼差しを向けてくる。ミリルは「判断はあんたに任せる」とでも言うような表情で黙っている。
そんな仲間の視線に、決意を固めたリオンが頷く。
「実験と逃げた研究者の件は、このノート一つあれば十分説明できる。ギルドに知らせる前に、俺達で弔ってやろう」
ギルドに所属する冒険者としては、その判断は間違っているかもしれない。だが大事な弟と妹にこんな悲痛な顔をさせてまで、リオンはギルドに義理立てする気にはなれなかった。
パッと表情を明るくする二人に、「まぁ発見した物の扱いは、基本的に冒険者の自由だからな」と肩を竦めて苦笑するリオン。ミリルも「しょうがないわね~」と言いながら、リオンの判断に笑みを見せた。
そうして方針を決めた四人は、念のため他に資料などが残っていないかを確認し、しかしめぼしい物が何も残っていなかったため、そのまま死体保管室へと向かった。
「じゃあまずは全員ここから出してやろう。さすがにここに埋葬するわけにはいかないし、この人達もこんな穴倉よりも、明るい空の下の方が良いだろう」
再び訪れた部屋で、ズラリと並ぶ死体ケースを見回して、リオンが号令をかける。
それにアルとファリンが返事をしようと口を開く――
「おいおい、そりゃあマズいんじゃねぇのか、えぇ?」
――よりも早く、聞き覚えのない男の楽し気な声がそれを遮った。
「っ!? 誰だ!?」
リオン達以外には死体しかない部屋に響いた声。即座に臨戦態勢を整えたリオンが、その声のした通路へ誰何の声を上げる。
「良いねぇ……実に心地良い殺気だぁ……楽しくなりそうだなぁ、おい」
クハッ! という笑い声と共に響く重い足音。それはまるで自分の存在をアピールしているようにはっきりとした音を立てて、こちらへ近づいてくる。
そして――
「よぉ、獅子帝さん。やっと会えたなぁ、おい」
巨大なバトルアックスを担ぎ、血に飢えた野獣のような笑みを浮かべた男が、通路奥の暗がりからその姿を現した。
「さぁ、殺し合おうぜぇ」