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禁域

 『禁域』


 ビースト達がこの浮遊島に降り立った発祥の地であり、限られた者以外立ち入ることを許されない領域。標高五百メートルほどの岩山であり、草の一本さえ生えていない裸の山だ。島の動物達も寄ってこないので見回る必要もなく、子供達も足では少々遠いため、ビースト達もほとんど近づくことのない場所である。


 リオン達が戦場としていた場所からはさほど離れてもいないのだが、どうやらそこに逃げ出したバレアス兵や、それを追った獣人奴隷達が入り込んでしまったらしい。そのため、ビースト達の要請を受けて、リオン達がそいつらを追い払うべく向かうことになった。


 禁域に向かっているのは、リオンの他にはミリル、アル、ファリンの四人だ。ジェイグは先の戦闘のダメージが酷いので、今回はお留守番。また応援を要請した側の人間が全員その場を離れたり、疲労でまともに動けないのはマズいので、ケガ人の治療もあったティアにも残ってもらった。


 なお禁域の場所は把握しているし、そもそも森からでも禁域の岩山は見えるので、ダルルガルム達の案内は断った。時間はもう夜だ。家族も心配しているだろうと、先に森の民の集落へ帰ってもらった。それにダルルガルム達とリオン達では、移動速度も異なるので、リオン達だけで行った方が早い。


「あ~やっぱ久々の実戦は良いわ~。アルと訓練はしてたけど、船の中で本気で暴れるわけにもいかないしね~」


 一番先頭を走るミリルが、軽く雑談をしながら、目に付いた敵に片っ端から魔弾を叩きこんでいた。どうやら魔空船での船旅による運動不足と、ギルドとの交渉等で色々とストレスが溜まっていたらしい。嬉々とした表情でバンッバンッと銃声を響かせている。


「まぁそう思って連れてきたんだけどな……とりあえずアルが不満そうにしてるから、そろそろ交代してやれよ」


 追随するリオンが苦笑いと共に忠告すると、発砲を続けるミリルが肩越しに振り返る。


 そわそわ、そわそわとアルが暴れたそうにミリルを見ている。


 ティアの癒しパワーにより精神を持ち直したアルだが、溜まっていた鬱憤を発散できたわけではない。むしろミリルに色々振り回されたり、お姉さま方に弄り回されたりと、ストレスの溜まり具合はミリルよりも上だろう。


 そんな弟の姿に、ミリルがしょうがないわねぇとでも言うように銃の台尻で後頭部を掻いた。そして腰のホルスターに愛銃をしまって走る速度を落とすと、アルの後方に回って背中を叩く。


 その意図を理解したアルが、「よっしゃ!」と喜びの声を上げると、自身の新しい武器、黒銀色の双剣『黒翼刃(こくよくじん)』を手に駆けだした。


「まったく、アルは子供だニャ~」


 その背中を見送ったファリンが、やれやれとでも言うように肩を竦めた。ちなみにファリンは最年少。黒の翼ただ一人の未成年だ。


 リオンとミリルがそんな年少二人の姿を見て、微笑ましいといった様子で苦笑いを交わした。


 ここまでの道程では、十人近いバレアス軍の残党を拘束してきた。彼らは既に戦意を失って戦場から逃げ出した連中だ。彼らを発見したリオン達(主にミリル達獣人三人)の姿に恐慌状態となり、狂ったような声を上げながら襲い掛かってきた。


 だがそんなヤケクソな攻撃がリオン達に通じるはずもなく、張り切り過ぎたミリルの手で、登場と同時に全員が撃沈させられていた。一応魔弾の威力も貫通性も抑えているので命に別状はなく、先に降伏していた連中と一緒に仲良く捕虜の仲間入りとなっている。


 またこの島には魔物はおらず、いるのは魔力を持たない動物のみ。何匹か襲ってくることもあったが、全て返り討ちに合っている。一応、貴重な新種の動物という可能性もあるので、追い払うか気絶させるに留めてはいるが。


 なお途中で会った獣人連中にも起動状態のテレパスを貸したうえで、すでに戦争が終結し、ギルドから応援が来ていることは伝えている。復讐心に駆られてバレアス兵を追っていた彼らだったが、幸い同じ獣人であるミリル達三人の説得を聞き入れてくれたので、面倒なことにはならなかった。


 そうして進むこと一時間。すでにすっかり日も落ちて、月明りだけが辺りを照らす頃、森を抜けたリオン達が禁域へと到着した。


「ここが禁域か……」

「見た目は何の変哲もない岩山よね」


 足を踏み入れた禁域を見渡しながら、リオンとミリルが呟く。


 その言葉通り、目の前にそびえ立つのは、これといって特徴もないただの岩山だ。大小さまざまな灰色の岩。地面は砂利ばかりで、草花の一本も無い。森を抜けて少し進んだ辺りから、まるで二色の絵の具で塗り分けられたかのように森が途切れている。


「ここから急に何も生えなくなってる」

「地質の問題でしょうね。固い岩と石ばかりで水分を留めておけないから、植物が育たないのよ」


 足元を見て首を傾げるアルに、ミリルが説明をする。


「ここがビースト達の発祥地ってことになってるが……今のところは特に何もなさそうだな」

「船が着陸できるような場所でもないわね。生き物が生活できるような場所でもないし……」

「となると、何かそういう伝承が残るような出来事が過去にあったのか……」

「あるいは危険な岩山に子供達が近づけないように戒めていたのが、いつの間にか最初の理由が忘れられていったって可能性もあるわね」

「リオンもミリル姉も、そういうのは後にしてさっさと行こうぜ」

「二人が議論してたら朝になっちゃうニャ」


 未知への好奇心から禁域やビーストの謎について検討を始めた二人を、年少二人が呆れ顔で諫める。空や魔導具以外でも、知的探求心が強いリオンとミリルは時折議論を始めては、寝るのも忘れて二人で盛り上がったりすることがある。その度にティアからお叱りを受けるのだが、残念ながら二人の探求心を止めることはできなかった。なんだかんだでやっぱり似た者姉弟(兄妹?)な二人なのだ。


 とはいえ、アル達の言うことはもっともであり、バレアスの残党がここに逃げ込んでいる以上、さっさと残党狩りを再開する必要がある。すぐに思考を切り替えると、リオンとアル、ミリルとファリンの二組に分かれて山登りを始めるのだった。




 残党狩りを始めて二時間。捕らえた敵の数は十を超えた頃、リオン達は山の頂上付近で合流を果たしていた。


 麓で二組に分かれた後、さらに一人ずつが互いに見える距離を保ちつつ捜索をしたので、森側に潜んでいた連中は全て発見できたはずだ。森の中と違って見晴らしが良く、隠れられる場所も少なかったので、捜索自体はわりと簡単だった。


「さて、あと残っているのは反対側の斜面だけだが……まぁこっちはそこまで念入りに調べる必要はないか」

「そうね、臭いも特に残ってないし、残党が反対側まで逃げ込んだってことは無いはずよ」


 ミリルの発言に、アルとファリンが頷く。人間よりも嗅覚に優れた獣人三人の意見だ。ここまでの道でも大活躍だった彼らがそう言う以上、禁域での残党狩りはほぼ終了と見ていいだろう。


「一応少し降りてみて、特に何もなければ今日はもう戻ろう」

「う~ん、できればもう少し色々と調べてみたいところではあるんだけど……」

「それはまた今度でもいいだろ。森長やダルルガルム達に頼めば、調査くらいはさせてもらえるだろうし」


 リオンとしても、ミリルの気持ちはよくわかるのだが、さすがに今日は戦い続きで疲れている。消費した魔力も回復していないし、傷は治っても流れ出した血液までは戻らない。多分、ベッドに倒れればすぐに眠りに落ちてしまうだろう。


 ミリルもそれは解っているので、リオンの言葉に特に文句も言わずに従った。


「ところで今日はビースト達の所で寝るのか?」

「いや、せっかくリリシアズアークが戻ってきたんだ。ギルドの船とも近いし、今日からはそっちで寝るよ」

「ファリンも久しぶりのふかふかベッドで寝たいニャ。もう草と葉っぱのベッドはこりごりニャ~」


 のんびりと会話をしながら、登ってきたのとは反対側の斜面を下りていく四人。油断なく周囲を警戒しているが、厳しい戦いの生き残った直後ということもあり、どこかリラックスした空気が流れている。


 そうして五分ほど山を下り、そろそろいいかとリオンが帰還を考え始めた頃だった。


 ガコンッ


 高さ三メートル近い大岩を飛び降りたアルの足元で、そんな機械的な音が響いたのは。


「へ?」


 気の抜けた声とともに、アルが自分の足元へと視線を向けた。リオン達もそれに続く。


 暗くてわかりにくいが、どうやらアルの右足が踏んだ地面が正方形に陥没している。少し大きめの石の表面が真四角に凹んでいることから、明らかに自然にできた段差ではない。


「え~と……何かのスイッチ踏んじゃったみたい……」

「……そうみたいだな」


 ポリポリと頬を掻くアルに、リオンが周囲への警戒を深めながら応える。こんなところにスイッチがある理由も不明だが、何が起こるかもわからないので、すぐさま退避を指示することもできない。最悪、足を離した瞬間に爆発する可能性だってあるのだから。


 だがその心配が杞憂であったことは、すぐにわかった。


 わずかな間の後、ゴゴゴゴと唸りのような音が鳴り始め、先程アルが飛び降りた大岩がゆっくりと横にスライドし始めたのだ。その大岩は横に二メートルほど移動すると、ガコンと何かがハマるような音を再度響かせて、その動きを止めた。


 そして元々大岩があった場所には――


「……階段?」

「そうみたいね」


 斜面にぽっかりと空いた洞穴。斜め下に続くその穴には、確かに人工的に作られたとわかる階段があった。月明りの下では入り口付近しか見えないが、流れ込む空気の気配から見る限り、かなりの深さがある。たとえ日が登っていても奥までは見通せないだろう。


 もう危険はないだろうとスイッチから足を離して穴の奥を覗き込むアル。


 アルに並んで穴の奥を観察していたミリルが、今度は動かなくなった大岩やアルの踏んだスイッチを調べ出す。


「……これ、物理的な仕掛けじゃないわね。複数の魔術がかけられてる」

「魔術?」


 ミリルの発言に、リオンが怪訝そうな声を返す。別にミリルの解析を疑ったわけではない。魔力のないビースト以外に知能を持った生物の存在しないこの島に、魔術を使った仕掛けがあるという事実に疑念を持っただけだ。


「その魔術はこの岩扉を開けるだけじゃないのか?」

「もちろんそれも一つ。あとはスイッチと入り口の隠蔽と、対になる何かと反応する魔術がかけられてるわね」

「なるほど。隠した入り口のスイッチを探すための魔術ってことか」

「そーゆーこと」


 確かにこんな何もないところに隠されたスイッチだ。似たような岩ならあちこちにあるし、ヒントも無しで探すのはかなり面倒だろう。


「ビースト達は、ここのこと知ってたのかな?」

「その可能性は低いわね。この仕掛けは魔力がなきゃ動かない。動物が踏んだり、落石でスイッチが押されても反応しないってわけ」


 アルの疑問をミリルが否定する。つまり今回は魔力を持つアルが踏んだから扉の仕掛けが作動したが、仮にビースト達がこのスイッチを踏んでも何も起こらないと言う訳だ。


 そして魔術どころか魔力も持たないビースト達が、当然こんな仕掛けを作れるはずがない。


 つまりこの島にはかつて、ビースト達以外に魔力を持つ人間が居たということになる。


 正直、ここまででもかなりの驚きの連続だ。だが仕掛けの解析を進めていたミリルの口から、さらに驚くべき事実が飛び出した。


「しかもこの魔術、割と最近かけ直された形跡があるわね」

「!? それはどの程度前のものかわかるか?」

「ん~、正確にはわからないけど、多分二、三カ月も経ってないわね。魔術陣を描くのに使う魔術薬にほとんど劣化が見られないもの」


 落ち着いた様子でそう説明するミリルだが、その表情はかなり険しい。リオンもある懸念が浮かんでいるのだが、おそらくミリルも同じ考えに至っているのだろう。


 すなわち――


「……中に誰かいる可能性もある、ってことか」


 リオンの言葉にアルとファリンも警戒レベルを引き上げて、洞穴の奥を見据える。


「どうすんだ? 入るのか?」

「開けてしまった以上、放置もできないだろう。中にいるのが危険な人物だった場合、どんな行動に出るかわからないからな」


 中にまだ人が残っていた場合、リオン達島の外の人間が居ることはすぐに知られてしまう。もう既に気付いていた可能性もあるが、魔力が無いと開かない扉が開いた以上、リオン達の存在が知られてしまったのは間違いない。まさかこんな隠蔽の魔術まで使って隠していた入り口に、侵入者対策がされていないわけがない。


 警戒して中に引き籠ってくれるなら、ティア達も呼んで万全の状態で乗り込むべきだろう。だがもしも外の人間を排除しようとするような事態になれば、到着したばかりでろくな連携も警備体制も整っていない今の状態では少なくない被害が出るかもしれない。


 ならばリスクを考慮したうえで、少しでも中の様子を確認しておくべきだろう。もちろんこれ以上は危険と判断したなら、すぐに撤退するが。


「ミリルを先頭に、ファリン、アル、俺の順で行く。ミリルはトラップを、アルとファリンはそれ以外を中心に警戒してくれ。撤退の指示は基本的に俺が出すが、三人が危険だと判断すればすぐに言ってくれ」


 扉同様、魔術的な仕掛けがあることを考慮して、魔導技師であるミリルを先頭に。獣人として聴覚や嗅覚に優れるアルとファリンが、その他の危険探知を担当する。リオンは全体指揮と後方を警戒する。


「魔術トラップならともかく、物理的なトラップは見逃す可能性もあるから、あんた達も注意するのよ。壁とか余計な物には触らないこと。足下もなるべくはあたしの歩いた部分を歩くこと。特にアル! せっっっったいに妙なことするんじゃないわよ!」

「何でオレだけに言うんだよ!?」


 騒がしいやり取りをしながら突入していく二人に、「一応静かにしておけよ……」とリオンが肩を竦める。まぁすでにこっちの存在が気付かれている可能性が高い以上、今更この程度の会話が聞かれても特に問題は無いが。


 足元は人工的な階段が続いていたが、壁や天井は自然の洞穴そのものといった感じのごつごつとした作りになっている。当然ながら明りの類は無く、中は真っ暗だ。既に外は夜だったため、魔導灯(ベルトに取り付けて手を塞がないタイプの物)を持ってきていたのは好都合だった。


 それぞれの武器を手に、最大限の警戒態勢で階段を下り、洞穴の奥へとゆっくりと進んでいく四人。洞穴は真っ直ぐだが、かなり奥まで続いている。深さは三十メートル、距離は百メートルほど進んできたはずだが、未だに終わりは見えない。


 道中では、たまにミリルが立ち止まり、壁や床、あるいは天井などを精査したり破損させることがあった。トラップを解除しているのだろう。幸い一本道のため待ち伏せなどはなかったので、特に問題も無く歩を進めていく。


 だが――


「……ちょっとマズいかも」


 また一つ、足元の魔術トラップを解除したミリルが、わずかに顔を歪ませて洞穴の奥を睨んだ。


 ミリルの言葉に、後に続いていた三人が警戒心を引き上げる。


 だがミリルは、その発言や表情とは裏腹に、再び先を進み始めた。むしろ先よりもその速度は早い。少し焦っているようにも見える。足を止めてリオンに状況を説明するより、先に進むことを優先したのが何よりの証拠だ。


 アルとファリンは後方を振り返り、こちらに「どうするの?」と伺うような視線を向けてくる。


 何か問題があったようだが、ミリルが進むと判断したのならそれほど深刻な問題でもないのだろう。一瞬の思考ののち、リオンがミリルに続くように頷くと、二人は無言でそれに従った。


「ミリル、状況の説明を」


 リオンも進軍を再開しながら、ミリルに声を掛ける。ミリルの判断力は信じるが、リーダーとして情報は共有しておく必要がある。


 ミリルも当然それは理解している。そのためトラップを警戒し、足早に歩きながらもリオンの指示に速やかに従う。


「トラップの隠蔽がお粗末。内容もそれほど危険じゃない。なのに解除に時間がかかるものが多いわけ」


 詳細は省き、要点だけを早口に伝えてくるミリル。それだけでリオンなら全てを理解すると知っての説明だ。


 当然その信頼通りに状況を全て把握したリオンが、小さく歯噛みする。


「なるほど。目的は逃亡か、隠滅か、あるいは迎撃の準備……」

「ええ。すでに手遅れかもしれないけど、少し急ぐわ」

「頼む。だが焦るなよ」

「任せなさい」


 言葉少ないやり取りで通じ合う二人。だがそれは最も付き合いが長く、頭の回転速度が同レベルかつ高レベルな二人だからできる会話であり、残念ながら年少組二人には通じなかったようだ。二人揃って可愛く首を傾げている。


 そんな弟と妹の姿に苦笑しつつリオンが状況を説明する。その内容を要約するとこうなる。


 一つ、この通路のトラップは、侵入者の撃退ではなく時間稼ぎのためのもの。

 二つ、目的は逃亡、こちらを迎え撃つ準備、何か都合の悪いものを処分するため。

 三つ、相手の思惑通りかなりの時間が経過しており、すでに目的を果たされているかも。

 四つ、希望を信じて安全かつ慎重に急ぎましょう。以上。


 まぁこんな軽い感じではないが、要点を絞ってわかりやすく説明した。前を歩くアルとファリンが「「なるほど(ニャ)~」」と頷く。子供を引率する教師の気分だった。


 程よい緊張感とリラックス状態で進むこと、さらに十分。


 前方に開けた空間と、そこから漏れるぼんやりとした明かりが見えてきた。


「……人の気配は無し。トラップにだけ注意して」


 先頭を歩くミリルが小さな声で注意を促した。二丁の魔銃を構え、研ぎ澄ましていた気配がさらに鋭くなる。


 ファリンが肩越しにこちらを見上げてくる。闇魔法で姿や気配を隠すかどうかを確認しているのだ。


(……いや、トラップを警戒するミリルの邪魔になる。このまま進もう)


 ファリンの視線に、リオンは無言で首を振る。闇魔法は奇襲には向いているが、闇の中では使用者以外が周りを把握できなくなる。ファリンのトラップや気配探知能力は仲間内でもかなり高い方だが、ここまでの罠の数を考えるとミリルに任せる方が安全だ。


 リオンの判断にすぐに納得したファリンは、両手の鉤爪手甲『銀影爪』を構えてミリルの後に続いた。


 前方の部屋の少し手前で止まったミリルが、目を細めて中の気配や罠の有無を確認したあと、リオンを振り返って頷いた。どうやら確認できる範囲に問題は無いらしい。


 リオンが頷きを返すと、ミリルは前に向き直り、指で突入のカウントダウンの合図を出す。


 三……二……一……!


 全ての指が折られた瞬間、四人は明りの点いた室内へと飛び込んだ。


 事前の打合せも無く、しかし完全に息の合った動きで四方へ武器と警戒の目を向け――そして驚愕に目を見開いた。


 その部屋には誰もいなかった。


 ……いや、正確には生きた(・・・)人間は、誰もいなかった。


 室内はどうやら何かの研究室のようだ。奥行きが長い長方形の部屋。広さは、黒フクロウの家のリビングと同じくらいか。


リオン達が入ってきた入り口横や、前方奥の壁は大きな棚で埋め尽くされ、中には得体の知れない薬品らしき液体やそれを扱う器具が並んでいる。


 向かって左側の壁には、分厚い本が隙間なく詰め込まれた本棚。背表紙に書かれた文字は、ギルドでの公用語であり、リオン達が普段から使っているペルニカ語だ。今いる場所から見える範囲では、医学や魔導技術に関する物が多く見られる


 反対側の壁には作業机が一つ。机上には実験に使う器具や何かの資料が散乱している。机の引出しは全て開け放たれており、中に入っていたであろう紙や道具が床にぶちまけられていた。机の手前では、木製の肘掛け椅子が蹴倒されている。


 その惨状は使用者の粗雑な性格のせいというよりは、何かに気付いて慌てて逃げ出した結果なのだろう。最低限重要な物だけは持って逃げようとしたのだろうが、この状態を見る限り、何か残っている可能性は高そうだ。


 そしてその机の隣には、病院にあるような縦長の診察台が置かれており、その上には――


 ――腹や胸を切り開かれ、身体のパーツをバラバラに切り取られた死体があった。


 診察台の上の死体からは真っ赤な血が今なお流れ出している。この状態になってからさほど時間が経っていないらしい。だがそれにしては台の上や、床に流れ落ちた血液の量が少ない。死後少し経ってから、身体を切り刻まれたのだろう。


 この研究室然とした部屋の状態と、本棚に並んだ書物の内容から考えると、死体を切り刻んだのは猟奇的な理由ではなく、研究を目的とした『解剖』なのだろう。バラバラの死体を見る限り、『解剖』というよりは『分解』と表現したくなる有様だが。


 室内に充満する血と薬品の臭いと、惨たらしく切り刻まれた死体。常人であれば、その惨状に嘔吐するか、失神してしまうだろう。修羅場慣れしたリオン達ですら、思わず眉をしかめるほどなのだ。普通の人間には耐えられまい。


 特に、リオンより鼻が利く獣人三人には、この部屋の悪臭はかなり辛かったようだ。今までに見たことないくらい顔を歪めて苦しそうにしている。全員が両手武器のため鼻を押さえることができないので、余計に苦しいのだろう。


 ちなみにここまでの道程で、四人がこれだけの悪臭に気付かなかったのは、嗅覚に優れたビーストが万が一にもこの場所に気付かないよう、魔術で臭いが外に漏れないようにしているのだろう。


「ミリル、トラップは?」

「…………パッと見た感じでは無さそうね。この部屋の状況見る限り、逃げた奴はかなり慌ててたみたいだし、魔術を起動している余裕はないでしょ。まさか自分の研究場所に、起動状態の罠を仕掛ける奴はいないでしょうし」

「まぁそうだな。そんな暇があれば、情報の隠滅なり持出に時間をかける」


 ひとまず危険は無いと判断したリオンは、最低限の警戒は残しつつもゆっくりと歩き出し、死体が置かれた台へと近づいていく。

 

 そして、その惨たらしい死体を見下ろしたリオンが、しかしその惨状とは別の理由でその顔に戸惑いを浮かべた。


「人間……? いや、ビーストなのか?」


 台の上の死体の顔は、リオンと同じ人間の男。年は三十前後くらい。特にこれといった特徴もない、この世界ではありふれた顔をしている。


 だが首から下の身体は、通常の人間では考えられない特徴を持っていた。


 胸と腹を真っ直ぐ縦に切り開かれた胴体は、爬虫類のような黄緑色のうろこに覆われている。クリーム色の体毛に覆われた腕は、手長猿のように長い。左腕が辛うじて肩に繋がっていなければ、別の動物のパーツだと認識してしまいそうだ。両足は豹のように黄色の毛の中に黒い斑模様がある。


 人間にしてはあり得ない身体。だがビーストというには、人間の顔が付いているのはおかしい。左腕を除く四肢や首は切り離されているが、傷の断面や左腕の状態から、ここにあるのは間違いなく全て同一の個体のパーツだと判断できる。


 一瞬、魔物の可能性を思い浮かべるが、こんな魔物は見たことが無い。浮遊島固有の新種の魔物の可能性はあるが、この島に魔物はいなかった。何よりリオンの堪が、この目の前の死体が知性と感情を持つ一人の人間だと告げていた。


「……色々調べたいところではあるが、今は先に進もう。ここにいた奴にまだ追いつけるかもしれない」


 リオンの後ろで死体の惨状に顔を歪ませていたアルとファリンがそう頷いた。ミリルはリオンがそう判断すると予想していたらしく、リオンが入ってきたのと反対側の出入口を調べていた。


 研究室を出て再びミリルを先頭に進むと、すぐにT字路に突き当たった。


「危険はあるが、ここは二手に分かれよう。俺とアルは左、ミリルとファリンは右に」


 先の戦いの疲労や状況判断力などを考えて、二手に分ける。ここの主に追い付ける可能性がまだ残っている以上、道を間違えるのは避けたかった。四人の中で最も罠探査技術の高いミリルとファリンを同じ班にすることになるが、先の部屋の状況から、この先にトラップが設置されている危険性は低いと判断できる。


 一通りの注意と警告を述べた後、二手に分かれて進む。入ってすぐの階段と違って、通路には魔導灯があり、道幅にもかなり余裕があった。アルと横並びになって先を急ぐ。


 そしてその先で見たものは――


「っ! これは……」

「な、なんだよ、これ!」


 一辺二十メートルくらいの正方形の部屋。


 そこに無数に並べられた、人一人が入りそうな大きさの円筒形の水槽。


 そして薄緑色の液体に満ちた水槽内に浮かぶ、先程の死体と似たような特徴を持つ人々の姿だった。

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[気になる点] ~子供達も足では少々遠いため、 子供達の足では少々遠いため、 でしょうか。
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