まさかの陥落
「たっだいま~。ちゃんと生きてる~?」
気の抜けた再会の第一声を発しながら、ミリルがリリシアズアークから降りてきた。言葉の割に、仲間の心配をしていた様子は皆無である。むしろこれ以上ないほどのドヤ顔だ。フサフサの尻尾が、その内心を表すようにブンブンと振られている。
どうやら絶好のタイミングでの帰還と、バレアス軍の本体を撤退に追い込んだことにご満悦の様子。
また魔導具大好きっ子のミリルのことだ。仲間の窮地を颯爽と救った功績だけでなく、人生二度目の魔力砲を盛大にぶっ放せたのが嬉しくて仕方ないのだろう。
「お帰り、ミリル。さっきは助かった。一番美味しいところを持っていったな」
「でしょ? この大天才ミリル様に感謝するのね」
リオンの素直な称賛に、小さい胸をこれでもかと張って誇らしげに笑うミリル。ブンブンブンブンと尻尾の勢いも増す。
「よぉ、ミリル! ど派手に決めてくれやがったなぁ、おい! 脅かしやがってこの!」
「おっかえりニャ~、ミリル!」
「おかえりなさい、ミリル」
「ちょっ、バッ、やめ、やめなさいっての、こら」
そんなミリルの頭をガシガシと乱暴に撫でるジェイグと、ピョンと大好きな姉に抱き着き、頬をスリスリして再会を喜ぶファリン、さらにはそのファリンごと妹二人を抱きしめるティア。仲間内で最も小柄なミリルが仲間三人もみくちゃにされ、満更でもなさそうな顔で抵抗する。
そして二週間ぶりの再会を喜ぶ家族四人を、いつになく優し気な眼差しで見守るリオン。
実は暴走して魔力砲を余計に一発ぶっ放した爆裂娘には、この微笑ましい光景の後でティアのブリザードが待っているのだが……関わりたくないので、ミリルには黙っておこう。
そうしてリオンはその視線をもう一人の家族の方へ移す。
「アルもお帰り……で、何かあったのか?」
先に出てきたミリルからかなり遅れて姿を見せた弟分に迎えの言葉を掛けたリオンだったが、どこか疲れた様子を見せるアルに怪訝そうに首を傾げる。
「あぁ、ただいまリオン……いや、実はさ――」
狐耳と尻尾をペタンと力なく垂らしながらも口を開いたアルが言うには、どうやら二人がギルドの応援要請に行った観光都市ミラセスカでの出来事が原因らしい。
ミラセスカはリゾート都市だ。航空路が整備されたことにより、一年を通して世界中からバカンスに訪れる客で溢れている。
その町で二人はギルドとの交渉や物資の補給、万が一のための魔導具の精製などで大忙し。基本的にはそれらはミリルが中心で行われ、アルはその補助として町のあちこちを歩き回ることになったのだが……どうやらその道中で、バカンスに来ていたお姉さま方にえらく気に入られたらしい。
アルは十五歳ですでに成人を迎えているが、小柄で童顔なため実年齢よりもかなり下に見られる。やんちゃ小僧といった感じの雰囲気も、かなり年上受けしそうな感じだ。そしてその可愛らしさを倍増させる狐耳と尻尾。貴族のご婦人方や冒険者のお姉さま達のストライクゾーンのど真ん中を直撃しちゃったらしい。
そして南国のリゾート都市ということもあり、水着や露出の高いドレスの女性たちにもみくちゃにされ、お持ち帰りされそうになる中を必死に逃げ出して帰ったと思えばミリルに遅いと怒られ、ただでさえ忙しさで削られた体力と精神力が根こそぎ削られてしまったようだ。
さらに不幸なことにその女性達の中にいた冒険者は、今回の浮遊島探索隊にも参加しているらしい。さすがに身内以外の同乗をミリルが許可しなかったので、空の旅の最中は逃げられていたが、到着した今となってはどうなるかわからない。ふと見れば、アルをロックオンしたお姉さま方の野獣のような視線が……張本人のアルからすれば、気が気じゃない状況なのは間違いないだろう。
「……ギルドとの交渉ではちっとも役に立てないし、ミリル姉の実験には付き合わされるし、おまけに料理までミリル姉がやろうとするし……」
「……大変だったな」
死んだ魚のような目でこれまでの経緯を語るアルに、リオンが居たたまれない表情でその肩に手を乗せる。普段であれば、そんな話を聞いたリオンもミリル同様面白がってけしかけるところだが、さすがにリオンが肩に手を置いただけでウルウルした目で見上げてくるアルを前にはドS心も引っ込むというもの。かなりの重症である。
まぁそういうところが、年上女性の心を鷲掴みにするのであろうが……
とにかくアルには早急に癒しが必要だと、皆の優しいお姉さん、ティアに助けを求める。
そして恋人の救援要請を瞬時に察するティア。すぐさまその女神にも迫る包容力で疲れ果てたアルを包み込む。その慈愛のオーラによって瞬く間に脱力させられた可愛い弟を、優しく抱き留め、そのまま流れるように膝枕へ移行。優しく髪を撫でられたアルはそのまま安らかな眠りへと誘われる。なんという圧倒的な姉力! なんという凄まじい母性!
ジェイグとファリンもアルに声を掛けようとしていたのだが、ティアの慈愛コンボで一瞬にしてKOさせられたためタイミングを逸してしまった。リオンが事情を説明すると、ファリンは呆れたように笑って肩を竦め、ジェイグはアルに羨望と嫉妬の視線を向けていた。
「弟に嫉妬するなよ。みっともないぞ」
「うっせぇよ! 恋人いる男は黙ってやがれ!」
「何を言う。ジェイグにはマリアンヌがいるだろう?」
「おめぇふざっけんなよ! 誰が恋び――」
「何よ、あたしがいない間に何か面白そうなことになってるわけ?」
自分に恋慕する森長の娘(ゴリラ)のことを指摘したリオンに激昂するジェイグだったが、好奇心たっぷりに話に入ってきたミリルによって物理的に話を遮られてしまった。しかも下から顎を押し上げられたため、舌を噛んで悶絶している。
「まぁその話は落ち着いてからな。あっちの船からも人が降りてきたみたいだし、そろそろこっちの連中にも色々と説明する必要がある」
「ま、しょうがないわね。その代わり後でちゃんと教えなさいよ」
視線を横に向けてそう言うリオンに、その視線を追ったミリルがちょっと拗ねたように小さく肩を竦めながらも素直に同意した。どちらも両手で口を押えながら地面を転がる家族はスルーだ。自称・皆のお兄さんが、俺にも癒しが欲しいと泣いたのは言うまでもない。
そうして家族との再会を喜んだリオン達は、ティアとアルを除いてそれぞれの陣営への説明や折衝に取り掛かることにした。ファリンは元奴隷獣人達のところへ、ジェイグはビースト達のところへ。
そしてミリルとリオンは、黒の翼のリーダーであるリオンを紹介するため、ギルドの応援部隊の下へと向かっていた
「そういえば、ギルドは随分と大盤振る舞いしたな。正直、こんなバカでかい船を二つも出してくるとは思わなかったぞ」
その途中、リオンはずっと感じていた疑問をミリルへ投げかける。
ギルドへの応援依頼を指示したリオンだったが、いくらバレアスとの衝突があるとはいえ、これだけの大部隊を派遣してくるとは予想していなかったのだ。それも元とはいえ一国の国王専用船であるリリシアズアークよりも巨大な船を、二隻も用意している。この島の規模や有用性を考慮しても、少々過剰なのではと思える。
そんなリオンの疑問に、ミリルは「ああ」と何かを思い出したように呟くと、歩みを止めることなく説明を始める。
「この島に来たギルド関係者は、全体の半分くらいよ。残りの半分は個人が雇った私設部隊ってわけ」
「私設部隊?」
ミリルが言うには、どうやらミリルとギルドの話を聞いていたシスト商会のお嬢様が、今回の浮遊島派遣にお金の匂いを嗅ぎ付け、一枚噛んできたらしい。どうやらそのお嬢様は黒の翼にも興味があるようで、なんとそのお嬢様本人もこの島に来ているという。この過剰とも思える規模の人員と船はお嬢様の護衛と同時に、リオン達へのアピールでもあるのだろうとの話だ。
「大商会のお嬢様ね……また面倒なことにならなければいいが」
「まぁあたしが見た感じだと、多少傲慢で我が強いところはあるけど、商人として通すべき筋はしっかり通す人だと思うわよ。頭もかなりキレるし、少なくとも金や権力であたし達をどうこうするようなタイプじゃないわね」
「……お前が傲慢とか言うか」
「何か文句あるわけ?」
「いや、別に」
魔銃に手を掛けるミリルに、両手を上げて降参を示すリオン。二週間ぶりのお約束のやり取りを交わしつつ話を続ける。
「まぁミリルがそう言うなら大丈夫だろう。それにビースト達の今後を考えれば、支援は多いに越したことは無い。バレアス本隊を追い払ってくれたことといい、ホントに助かった」
「まっ、しっかり感謝することね」
「ああ、感謝してる。だからそんなミリルにプレゼントだ」
素っ気ない態度を取りながらもブンブンと振られる狼尻尾を見れば、照れ隠しであることはバレバレなミリル。そんなツンデレぶりに温かい目を向けるリオンが、ご褒美をあげると告げた。
「プレゼントォ?」と訝し気にこちらを見上げてくるミリルに、リオンはニヤリと口の端を吊り上げる。
「一ヶ月、ジェイグがお前の魔導具開発に協力してくれるそうだ」
「あら、それはありがたいわね。でもどうやってあいつを納得させたわけ?」
「まぁジェイグへのお仕置きも兼ねてだ。今回、色々やらかしてくれたんでな」
「へぇ……その件については、あとでゆっくり聞かせてもらおうかしら」
ミリルの眼がスッと細められる。リオンの声のトーンや表情から、ジェイグの“やらかし”が、少々質が悪かったと察したのだろう。どうやらジェイグにはお仕置きの前にも、ミリルから雷が落ちそうだ。おそらくティアもお説教に加わるだろうから、ジェイグに救いは無い。すでにリオンから手酷い仕打ちを受けているのだが、リオンも止めるつもりは毛頭なかった。
そうこうしているうちに、近寄ってくる二人に気付いたのだろう。ギルドの制服を着た二人組がこちらへ真っ直ぐに向かって来た。四十前後の細身の男と、三十代前半くらいの女性だ。今回の派遣隊の現場責任者だろう。
「初めまして、獅子帝殿。冒険者ギルドミラセスカ支部より参りました、プードルです」
「同じくコーギーです。あの黒の獅子帝にお会いできて光栄です」
それぞれ挨拶をし、リオンと握手を交わす二人。犬か! とリオンが内心で二人の名前にツッコミを入れていたのは内緒だ。名は体を表すとは言うが、確かに二人の顔は獣人でもないのにそれぞれの犬種に似ている。もっともこの世界にはどちらも存在しないが。
ちなみに、あの恥ずかしい二つ名がすでにガルドラッド以外でも普通に浸透していることに、リオンが内心で深い、それはもう深いため息を吐いていたのも内緒だ。ギルドが正式に認定し、冒険者カードにも記載が追加されてしまっているので、その呼び名を止めさせることは難しいだろう。なので気にしないのが一番だと、戦闘に赴くときのように全力で心を静めたリオンは、さっそく話を進めようとする。
「……そういえば、今回の調査隊派遣にはシスト商会のご令嬢も同行されているとか。こちらとしても一度挨拶しておきたいのですが」
と、そこで先程のミリルの話を思い出したリオンが、そう話を切り出す。今後の方針や情報交換など話すべきことは多いが、すでに日もほとんど落ちている。旅の疲れもあるだろうし、こちらも過酷な戦いを終えたばかり。詳しい話は明日にすべきだろうが、せめて顔合わせくらいはしておいた方が良いだろうと考えたのだ。ビーストの代表である森長や獣人奴隷の代表者は、本格的な話合いをするときに紹介すればいい。
「ああ、レフィーニア嬢でしたら、あちらの船に乗っておいでです。ご紹介しますので、どうぞこちらへ」
どうやら彼らとは別の船に乗っていたらしい。案内に従い、彼らについていくリオン。二隻の船は横並びに着陸しており、搭乗口は片側にしかないため、船を迂回していかなければならない。
その道中でリオンは改めてその大型船の外観を観察する。
リオン達のリリシアズアークよりも一回りほど大きい船体は、全体的にどこか巨大な魚のよう。左右に大きく広がる両翼も、翼ではなくヒレに見える。外壁全体はほぼ純ミスリル製のようだが、おそらく動力部などの重要箇所にはオリハルコンも使われているのだろう。全体を白く塗装され、白銀と白金のコントラストが見事に調和している。船体横や船底に深紅の文字で書かれたシスト商会の文字がリオンとしては少し残念だが、宣伝としてのインパクトは十分過ぎるだろう。芸術性と実用性を兼ね備えた、まさに空飛ぶ広告塔である。内部まではわからないが、中々に立派な船だと思う。
もっともリオンにとっては、やはり自分達の船が一番なのだが。無類の空好きなのでついついじっくりと眺めてしまうが、やはりそこだけは自信をもって断言できる。
なお今は少し後ろを歩くミリルは、リオンとは別の理由で興味深そうに船を観察していた。自分の手がけた船に絶対の自信があっても、魔導技師としては他の船はやはり気になるのだろう。その視線が主に兵装の方に向けられているのが若干気がかりだが。
「ああ、あちらにいらっしゃいました。あそこに居られるのが、シスト商会副会長、レフィーニア嬢です」
そうして魔空船を観察しているうちに、反対側まで辿り着いたリオン達。プードルが指し示す先へ視線を移す。
「魔導灯の設置を最優先に! 日が完全に落ちてしまえば天幕の設営もできませんから!ああ、それは向こうで構いませんわ。それとビアンコは、調理班に夕食の準備を急がせるように伝えなさい。それと会食用の特別メニューも。ああ、あとマチルダ、船から降ろした備品はしっかり確認しておいてくださいな。また数が合わないって泣き言言っても聞きませんからね」
そこには鮮やかな深紅のドレスに身を包んだ美女がいた。魔空船入り口から降ろされたタラップの傍で、部下と思われる者達に次々と指示を出している。
身長はリオンより少し低いくらいか。その胸元にたわわに実る双丘とくびれた腰。遠目に見てもそのスタイルの良さがわかる。そして耳元や首元、華奢な手や腕に輝く宝石類に深紅のドレス。派手過ぎるようにも思える装いだが、それも彼女の鮮烈な美貌の前では霞んで見える。
赤みを帯びた茶色の髪と夕暮れの薄明りの中でなお輝く白磁の肌。知性と自信に満ちているキリリとした夕陽色の瞳。何もしていなくても自然と感じる気品と風格。そして幾人もの年上の者達を従えるカリスマ性は、商家の娘というよりどこかの国のお姫様のようだ。
リオンの恋人であるティアも負けず劣らずの美貌の持ち主だが、そのベクトルは正反対だ。ティアが暗闇を優しく照らす月ならば、彼女は眩しく輝く太陽。穏やかに寄り添い、包容力に満ちた聖母がティアなら、レフィーニアはそのカリスマ性で人々を導く聖処女、あるいは戦乙女だろうか。
そんな百人いれば全員が見惚れるほどの絶世の美女を前に、しかしリオンは特にこれといった反応も見せず、平然としている。キレイな人だとは思うが、ティアの方が可愛いくらいにしか考えていなかった。
そうしてプードルとコーギーに先導されて近づいていくと、向こうもこっちに気付いたらしい。書類や部下達の間を行ったり来たりしていた視線が、ふとこちらへ向けられる。
その瞬間だった。
魔空船から積み荷を運ぼうとタラップを降りていた乗組員が、突如吹いた強風に煽られバランスを崩したのだ。
幸い乗組員本人はどうにか体勢を立て直し、階段を転げ落ちるのは免れた。だが重ねて持ち運んでいた大型の木箱の一つが、横滑りしてタラップの横へと落下していく。そしてその真下には書類から顔を上げたばかりのレフィーニアが。頭上の危機には全く気付いていない。
「危ない!」と誰かの叫び声が響く。
その声に反応したのか、あるいは生物としての本能が危険を察知したのか、レフィーニアが頭上を仰いだ。そして自分に迫る落下物に、その夕陽色の眼を見開く。
誰もがその華奢な身体が、積み荷に押し潰される光景を幻視しただろう。
だがその未来が訪れることは無かった。
ドンッ! という大地を震わすような音を響かせながら地を蹴ったリオンが、風の抵抗を魔法で減衰させた上での高速移動で、一瞬でレフィーニアとの距離をゼロにした。そして恐怖と驚愕に硬直したままのレフィーニアを抱き寄せると、さらに風の魔法を発動。積み荷の落下速度を減速させ、もう片方の手でそれをキャッチした。
ふぅと安堵の息を吐いて、リオンは片手で持った積み荷をヒョイと地面に下ろす。それなりの重量はあったが、一流冒険者であるリオンにとっては大した重さではない。中身が何かわからなかったので、一応風魔法で衝撃を殺したため、木箱は音もなく地面にそっと落ちた。
そうして自身の腕の中で、犬に吠えられた猫のように身を縮めているレフィーニアへと視線を向けた。
レフィーニアは切れ長の目を子供のようにパチクリさせて、リオンの顔を凝視していた。突然の事態に思考が追い付いていないのだろう。二人の身長差と、咄嗟に抱き寄せた関係上、顔と顔の距離は十センチほどしかない。今の状況だけを見れば、リオンが彼女に迫っているようにも見える。
そんな自分達の現状を特に意識することもなく、リオンはレフィーニアの身体を見下ろす。別に広く開いたドレスの胸元から見える谷間を覗いたわけではない。念のため怪我が無いか確認しただけだ。落ちたのは木箱一つだとは思うが、中身がこぼれていないとも限らない。万が一小さな金属片なんかも一緒に落ちていたとしたら大変だ。
そうして特に問題は無さそうだと判断したが、念のため本人にも確認しようと視線を上げる。そこにはまだ驚愕の抜けきらないまま固まっているレフィーニアの顔が。
危なく死ぬかもしれない目に遭ったのだ。それも仕方ないだろう。
そんな彼女を安心させようと、リオンはレフィーニアの夕陽色の瞳を真っ直ぐに見詰め……そして微笑んだ。
「ケガはありませんか? お嬢さん」
バキューーーン!
何かが撃ち抜かれる音が聞こえた……ような気がした。
同時にレフィーニアの顔が、着ているドレスの色にも負けないくらい真っ赤に染まる。瞳は潤み、リオンを見つめる視線が熱を持ち始める。恐怖と驚愕に強張っていたはずの手を、その豊満な左胸に押し当てている。まるで見えない何かで心臓を撃ち抜かれたかのように。
様子のおかしいレフィーニアに、ん? とリオンの頭の上に『?』が浮かぶ。
ちなみにリオンが『お嬢さん』などと、どこぞの貴族紳士のような言い方をしたのは、まだ彼女の前で紹介を受けていなかったからだ。さすがに顔も知らない男からいきなり名前で呼ばれるのは不気味だろうと配慮した結果である。
その配慮がどういう結果をもたらしたかに気付くのは、もう少し後の話だが。
「大丈夫ですか? どこか痛むところでも?」
「ひゃい! だだだだ大丈夫でひゅ!」
全然大丈夫そうに見えなかった。噛みまくってるし。
「どうかしましたか? 何かあったなら遠慮なく言ってください」
真剣な表情でレフィーニアの顔を見つめるリオン。さらに近づく二人の距離。
レフィーニアの顔が凄まじい熱を持ち、頭から沸騰したように湯気が噴出した。
「にゃにゃ、にゃんでもごにゃいませんでしゅぅ!」
お前はファリンか! と突っ込みたくなるほどの噛み噛みっぷり。しかも混乱からか丁寧語が迷走している。先程までの理知的な態度やカリスマ性の欠片も無い。
だがとりあえず本人も言う通り、ケガなどは特になさそうだ、とリオンは内心で首を捻りつつもレフィーニアから距離を取った。
「お嬢! ご無事ですか!?」
「お嬢様! お怪我は!?」
今回のアクシデントに固まっていた人達も、ようやく正気に戻ったのか、慌てた様子でレフィーニアの傍へと駆け寄ってきて、彼女の無事を確認すべく声を掛けてくる。
「…………(ポ~……)」
だが声を掛けられた当の本人は、心ここにあらずといった表情で真っ直ぐにリオンを見見つめたまま固まっている。周りの声も全く聞こえていない様子だ。彼女のおかしな姿に、駆け寄ってきた連中が慌てふためいていく。
そんな中リオンは、やけに熱っぽい視線を向けてくるレフィーニアの様子に、酷い既視感を感じていた。
(……この表情……なんか小さい頃のティアに似ているような……)
そう、今のレフィーニアの自分を見る表情は、子供の頃のティアが自分に向けていた表情とそっくりだったのだ。かつて勝手に孤児院を抜け出し、森で魔物に襲われていたのを助けたあと、入院から帰ってきたリオンへティアが向けていた表情と。
あの時の出来事がきっかけで、リオンへ好意を抱くようになったというのは、自分でも何となく察していたし、ティア本人からも直接聞かされていた。自分の宝物を披露するように、幸せそうな顔で思い出を語るティアに、リオンは何とも気恥ずかしい想いをしたものだ。
そして今、その当時のティアと目の前の彼女の表情がダブって見えるということは――
(いや、まさかこんなことで……相手は大商会のお嬢様だぞ……魑魅魍魎が跋扈する社交界で、各国の貴族や豪商を相手にしてきた才媛が、たかが一度命を助けられただけで……しかも一介の冒険者を相手に、こんなチョロインみたいにあっさり落ちるわけが……)
どこぞの鈍感系主人公ではないとは思うが、さすがのリオンも目の前の女性が自分に向ける感情に関しては理解が及ばない。
もっともレフィーニアというお嬢様の内情は、実はリオンの想像とかなり異なる。
確かにレフィーニアは幼い頃から父に連れられて行った社交界で、自分よりも身分の高い貴族や王族、自分達から美味しい蜜を吸おうと寄ってくる同じ商人連中などと鎬を削ってきた。生まれ持っての美貌と聡明さ、父から受けた英才教育により、父の威光だけでなく彼女自身も各界から注目と称賛を集める才女である。
そんな彼女には、当然ながら言い寄る男が後を絶たなかった。
だが彼女の父親は、相手の地位や家柄には興味が無く、娘には本当に好きになった男と一緒になって欲しいと願っていた。彼女自身も自分の地位や資産、さらにはその美貌を前に欲に濁った眼を向けてくる男達に、あまり良い感情を向けていなかった。
もちろん二人がそういった考えを、直接表に出すことは無かったが。
もちろん彼女にも信頼している男はいる。父がただの小さな商家のせがれだった頃から苦楽を共にし、今も家令筆頭として尽くしてくれている執事や、自分の腹心の部下や仲間達等。
だが彼らはどちらかといえば家族に近く、彼ら自身もレフィーニアを可愛い娘や妹のように見ている。そもそも自分よりも一回り以上も年上なので、そういった対象ではなかったのだ。
その使用人達が、自分達の愛するお嬢様に言い寄る不逞な輩を許すはずもなく、ありとあらゆる手段を使って彼女を守っていたという事実も、レフィーニアの今の状況を作り上げる要因の一つになっていた。
とはいえ、彼女も一人の女の子。本や劇にもなるような恋物語に憧れを抱いたり、おとぎ話の中に出てくる王子様や正義の騎士を妄想したりする、普通の乙女でもある。
さてそこへ自分のピンチに颯爽と現れ、自分を守ってくれた男が現れた。その男は中性的な顔立ちで、荒くれ者の多い冒険者にしては随分とキレイな顔をしている。激しい戦いの後ということもあって、衣服などに薄汚れた部分が目立つが、それも男性的な魅力であり、その少し危険な香りが乙女心をくすぐっていた。
また彼女を見るリオンの目も、レフィーニアの心を揺さぶる原因のひとつだった。
それは、これまでレフィーニアが見てきたどの男よりも澄んだ色をしていたのだ。向けられる視線にも、薄汚れた欲の色は一切無い。下卑た下心も感じられない。まるで夕焼けに染まる真っ赤な空を見ているようだった。
そして極め付けが、その一見冷たそうな顔立ちから放たれた優しい微笑みだ。しかも『お嬢さん』なんて甘い声――レフィーニアにはそう聞こえた――で囁かれたのだ。そもそもダンス以外であんな至近距離まで男性に顔を近づけられたことも、力強く抱き寄せられたこともない。完全に不意打ちだった。
「……………………(ポ~……)」
そうしてその不意打ちがクリティカルヒットした結果がこれである。何かお祈りするみたいに手を組んでるし、無意識なのか徐々に距離が近づいて来てるし。
周りにいた連中も、レフィーニアの状態から、その心中を察し始める。
社交界で鉄壁の防御を誇っていた我らのお嬢様が、初対面の冒険者に一発で陥落させられたのだと。
リオンを見る周囲の目が変わった。大商会のお嬢様を一瞬で篭絡した――本人にその気無し――その手腕に敬意と畏怖の視線を向ける者。自分達の大切な娘、あるいは妹を誑かした不埒者へ憤怒や憎悪を抱く者。お嬢様の初恋に、微笑ましくも好奇の目を向ける者など様々だ。
なおミリルだけは、呆れた様子で肩を竦めていた。助け舟を出す気はないらしい。
(……どうしてこうなった)
さすがのリオンも、ここまで来ればレフィーニアの態度が自分の勘違いとは思えなくなっていた。
とはいえ、まだ相手が直接的な行動に出ていない以上、こちらからはどうすることもできない。それにどうせ後でティアの事も紹介することになるのだ。別に自分からわざわざ恋人だと告げるつもりもないが、二人の関係を見てれば自ずと察して身を引いてくれるだろう。
まぁ一悶着くらいはあるかもしれないが……。
そんなリオンの考えが甘かったと思い知ることになるのだが、それは後の話だ。
とにかく今は話を進めようと、その場の空気に圧されて動けず、遠くから傍観していたプードル達を呼び寄せようとした。
だが、そこへ別の人物が声を掛けてきた。
「リオン、少し時間、あるか?」
独特な口調でそう訊ねてきたのは、虎のビースト、ダルルガルムだ。どうやらかなり急いで来たらしく、少し息が上がっている。
おそらく先の騒動は見ていなかったのだろう。すぐ傍にいるレフィーニアの様子や、周囲の空気に気付いていないのは、その余裕が無いのか、それともそういうことに無頓着なのか。まぁ多分、両方だろう。
「何かあったのか?」
周囲の目に居心地の悪さを感じていたリオンは、これ幸いとばかりにダルルガルムの話に乗っかる。レフィーニアを紹介してもらうために来たのだが、今の状況ではまともな話もできないだろう、少し時間を置けば彼女も冷静になってくれるだろうと、若干の言い訳をしつつ、ダルルガルムの下へと近づいていく。
「あ……」とレフィーニアの悲し気な声が聞こえた気がするが、きっと気のせいだろう。
「少々、困った、ことになった」
ダルルガルムがその虎の眉間にしわを寄せてそう言った。彼らしくない珍しい表情。そもそもダルルガルムの方からリオンを頼ってくること自体、かなりレアな状況だ。どうやらかなり面倒なことが起こっているようだ。
リオンが真剣さを宿した瞳で話の続きを促す。
「奴ら、生き残り、禁域に逃げた。オレ達と同じ、耳と尻尾の連中、奴ら、追っていった。知らない、連中、禁域入る、困る」
どうやら逃げ出したバレアス軍の残党が、ビーストでも一部の者しか入ることを許されない『禁域』と呼ばれる場所に入ってしまったらしい。その残党を追った獣人奴隷達も一緒に。
「オレ達、追った、連中の言葉、わからない。追い出せない、困る」
「俺達にそいつらを追い出してほしいってことか?」
「そうだ」
リオンの問いに、ダルルガルムがはっきりと頷いた。
「それは構わないが、良いのか? そうなると俺達もその禁域に入らなければならないが」
「オマエ達、構わない。森長も、認めてる」
リオン達だけならば、彼らの大事な土地へ足を踏み入れても良いらしい。それだけ自分達のことを信頼してくれているのだと、リオンは少しくすぐったいような気持ちになった。
「わかった。ならすぐにでも向かおう。仲間にも声を掛けてくる」
「すまない」
ダルルガルムに了承の意を伝えると、すぐさまミリルを連れてティア達の所へ戻ることにした。プードル達にも状況を伝え、レフィーニアにも改めて挨拶に伺うと謝罪した。その際、酷く悲し気な表情をしたレフィーニアから、「お帰りをお待ちしておりますわ」とまるで戦争に行く恋人へ向けるような視線とお言葉を頂戴し、リオンの顔が盛大に引き攣ったのは言うまでもない。周囲の視線にこもった様々な感情の温度が上がったのも言うまでもない。
「へぇ……禁域ねぇ……なんだか面白そうじゃねぇか」
「そうね。この島の秘密に関係しているかもしれないわ。私達も向かいましょう」
「……ん」
そして、そんな周囲の目とは別の感情を宿した六つの瞳が、禁域に向かったリオン達へ向けられていたことは、誰も知らない。