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勝利の女神……?

「さて被告人、判決を前に何か言っておくことはあるか?」


 バレアス軍との戦いが一応の終結を迎えてから二時間。


 合流したティア達から一通りの治療を受け終えたリオンが、これから罪人に審判を下す裁判官のようなことを言った。


 もっとも鮮やかな赤眼を吊り上げ、剥き身の日本刀で肩をトントンする姿は、裁判官というよりはむしろ地獄の鬼。子供が見たら間違いなくトラウマレベルの代物だ。復讐に燃えていた獣人達でさえ、怒りを忘れて震えあがっている。


 そしてそのリオンの姿を目にした捕虜達の心境は一つ。


 ――降伏する相手を間違えた! だ。


 そんな敵味方問わず震え上がらせるリオン。


 当然、その怒りの矛先が向けられた相手にとって、その恐怖は他の比ではないだろう。


 だが、青白い顔で審判を待つその者――ジェイグは、そんな状況でもなお決然とした表情で顔を上げ、覚悟の滲んだ声で言葉を紡ぐ。


「とととと、とりあえずず、ここ、氷だけははは、外してくれませんかねぇ」


 ただし別の意味で震えてはいた。


 現在ジェイグは凸凹の氷の台座の上に正座し、さらには足の上に碁盤のような直方体の氷塊をいくつも乗せている状態だ。その様はまさに前世日本の江戸時代にあった拷問・石抱きのごとく。まぁ手頃な石がなかったので、リオンが魔法で作った氷で代用している分、過酷さが増しているのは言うまでもない。


 何故リオンがこのような仕打ちを行っているかというと、それはもちろん先程のバレアスとの戦闘時にリオンの指示や家族の誓いを無視して突っ走り、結果、自分やリオンの身を危険に追い込んだことに対するお仕置きだ。合流したビースト達と共に降伏したバレアス兵を拘束し、獣人奴隷達による逃亡者の追撃が一区切りつき、事態がある程度収集した段階で抑え込んでいたリオンの怒りが爆発したというわけである。


 そしてお仕置きが始まっておよそ十分。リオンは冷え切った声でジェイグの愚行と罪状を淡々と話し続けた。その間ジェイグは、これまでに見たことが無いほどのリオンの怒りと威圧に晒されながら、氷の冷たさと重さに耐え続けた。そもそも台座は拷問道具であると同時に拘束具でもあったので、逃げることもできなかったのだが。


 とはいえ、今回は自分に非があるのは自覚していたので、その厳しすぎる罰も甘んじて受け入れていた……ようだが、さすがに限界が来たらしい。


 青白い顔で震えるジェイグに、リオンは慈愛に満ちた笑みを浮かべてそっと手を伸ばす。


「反省が足りないな。追加だ」

「ちょ、ま、ま、待て、待ってってぁああああああああああああああああああ!」


 迸る冷気! ズンッと鈍い音を立ててジェイグの太腿の上に積み重ねられる氷塊! 脛に食い込む氷の刺!


ジェイグの絶叫が浮遊島に木霊した。


 一辺の情けもない所業に、あちこちから戦慄の眼差しが向けられる。分厚い毛に覆われたビースト達までもが激しく震えているのは、魔法の冷気に当てられたわけではもちろんない。


「さて、それじゃあ判決に移るとするか」

「おかしくね!? 何で判決前にすでに罰受けてんの!?」

「どうせ有罪は確定だ。時間は有効に使わないとな」

「ならもう判決とか必要なくね!?」

「これからの覚悟を決める時間くらい与えようという、せめてもの俺の慈悲だ」

「まだ続くのかよ!? しかもこれからさらにひどくなりそうだし!」


 遠回しにまだまだお仕置きが続くと言われ、ジェイグが愕然とした表情を浮かべた。そして助けを求めるように周りへ視線を向ける。


 友人のはずのビーストを含めた全員が、そっと視線を逸らした。


 ジェイグは絶望した。


 ちなみにいつもリオンをなだめてくれるはずのティアは、今はこの場にいない。ファリンもだ。ティアはバレアス兵の残党と戦い負傷した獣人達の治療に回っている。ファリンは解放した獣人達をまとめるため奔走中だ。


 一応、バレアスの獣人達もリオンがファリン達のリーダーだとは理解している。自分達を解放してくれたことへの恩も感じているだろう。


 だが長年の迫害により根付いた人間への恐怖や嫌悪感は、そう簡単に拭えるものではない。ゆえに獣人達とリオンとの橋渡し役として、同じ獣人であるファリンには彼らのまとめ役を頼んでいるというわけだ。


 助けは来ない。


 その現実を悟ったジェイグは、目尻に大粒の涙を溜めながら、ゆっくりと俯いて沈黙した。


 その姿は、まるで介錯のために潔く首を差し出す武士……ではなく、どう見ても飼い主に叱られて項垂れる大型犬だった。


「……………………まったく」


 そんな哀愁を誘うジェイグの姿に、リオンは大きな溜息とともに肩を竦め、表情を緩めた。そして輝夜を鞘に納めると、空いた右手を横に振るう。すると氷が一瞬で水になり、大地に吸い込まれて消えた。乗っていた台座が無くなったため、地面に落ちたジェイグが「いてっ」と小さく悲鳴を上げる。


 突然解放されたことに理解が追い付かないのか、一瞬キョトンとしたジェイグだったが、すぐに怪訝そうな表情に変わってリオンを見上げた。


 そんなジェイグの視線を真っ直ぐに見つめ返したまま、リオンは地に座るジェイグに目線を合せるように片膝立ちになると、握りしめた拳を突き出してジェイグの胸を軽く叩いた。そしてその顔にぎこちない笑みを浮かべて口を開く。


「本気で、心配した」


 その瞬間、ジェイグは何かをグッと堪えるように、固く口元を引き結んだ。


 今リオンが短く告げたその言葉は、家族への深い愛情が詰まったもの。勝手なことをした相棒を責め、自分の命を疎かにした仲間の行動を悲しみ、でも大切な家族の無事を心から喜んでいる。


 そしてどこか弱々しさが見えるその笑みは、リオンの不安と願いの表れだ。


 家族を失うことへの不安。


 もう二度とこんな真似はしないでくれという願い。


 先程まで見せていた鬼のような怒りも、紛れもないリオンの本心だろう。


 だがそれはジェイグのことを想うが故のもの。今見せている微笑みも、誰もが震えてしまうほど激烈な怒りも、全ては家族への愛情の表れだ。


 そしてたとえ家族を相手であろうと、滅多に弱い部分は見せず、いつも毅然とした態度を崩さないリオンのその姿は、どんな罵倒の言葉よりもジェイグの胸の内を抉り、どんな責め苦よりもその心を締め付けた。


「……ホントに、すまねぇ……もうぜってぇにあんな馬鹿な真似はしねぇ」


 先とは違う震えを堪えながら、ジェイグがリオンの赤い瞳を力強く見つめて謝罪と誓いの言葉を告げる。


 リオンはそんなジェイグの目をしばらくジッと見返していた。そうしてその誓いに納得したように頷くと、握っていた手を二人の顔の間に掲げる。


「絶対だぞ」

「ああ、ぜってぇだ」


 いつものように拳をぶつけ合って約束を交わす二人。


 そのままその手を掴むと、リオンがジェイグを引っ張って立ち上がらせた。


 時間は既に夕方。空高く浮かぶこの島にも眩しい夕日が差し込む。


 そんなオレンジ色の光を背に、友情や家族の愛情を確かめ合うように手を握りあう二人。顔には男臭い笑み。激しい戦闘を終えた直後ということもあり、服もボロボロ。血や泥はある程度落としているが、それでもまだ体は薄汚れている。だがそれが却って良いアクセントになり、なんだか熱い空気を醸し出している。その光景はまるで男の友情を描いた映画のラストシーン、あるいは一枚の絵画のようだ。


 夕日とはまた別の眩しさに、それを見ている周りの者達が目を細める。


 そして――


「じゃあ、判決を下すぞ」


 さっきまでと変わらぬ笑みで、リオンが冷徹な一言を言い放った。


 ジェイグの頭上に『!?』というマークが浮かぶ。それはリオンの言葉を理解できたビースト達も一緒だ。「許したんじゃないんかい!」という心の中のツッコミが聞こえてくる。


 もちろん、そんな周囲の視線などまるで気にした様子もなく、リオンが無慈悲に判決を下した。


「ミリルの魔導具実験協力モルモット一ヶ月」

「……終わった」


 膝から崩れ落ち、一瞬で光を失った目で遠くを見つめたまま、ジェイグがポツリと絶望を言葉にした。瞳からは一筋の涙がポロリ。大きな体は恐怖に震え出す。


 ミリルを知らないビースト達も、言葉の通じないバレアス人も、リオンの下した罰の意味は誰一人理解できなかっただろうが、ジェイグのあまりに哀れな姿に同情を隠し切れないようだ。


 そんな哀れな相棒の肩に手を置き、「可愛い妹のために一肌脱ぐなんて、良い兄貴だろ?」とドSな笑みを浮かべるリオン。鬼畜だ……と、その場にいた誰もが思った。


(さて、これで獣人達の頭も少しは冷えたかな)


 そんな周囲の反応をしっかり把握していたリオンが、内心でそう呟いた。


 まだ疲労が残るうえ、事後処理も進めなければいけない状況で、なぜこんな身内のやり取りをわざわざ衆人環視の下で行ったかというと、それは捕らえたバレアス捕虜達の身を守るためだ。


 さっきまでの戦闘に加勢してくれた獣人達は、何年もの間、バレアスの人間達から迫害され、非道な行いを受けてきた奴隷だ。ティア達の手で拘束を解かれ、真の意味での解放を目指して武器を手に取った彼らだが、その原動力には人間達への復讐心が含まれている。それは戦いにおいては士気の向上に繋がるが、同時に復讐心に駆られて暴走する危険性もあった。現に逃げた兵士を追った連中の中には、すでに死んだ敵を相手に過剰な攻撃を加える者もいた。手に負えない程狂乱した連中は、力づくで気絶させなければならなかったくらいだ。


 今はファリンがまとめてくれているお陰である程度の落ち着きを見せた彼らだが、やはり長年溜まり続けた憎しみは一度の勝利程度では晴れるはずもなく、拘束され捕虜となった者達へ怒りの視線を向けていた。


 このままでは捕虜への私刑リンチが始まりかねない。


 かつて復讐に手を染めたリオン達としては、彼らの気持ちは理解できるし、復讐そのものを否定するつもりはない。無抵抗の相手を無闇に痛めつける光景は見ていて気持ちの良いものではないが、そもそも自分達に止める権利はないだろう。自業自得だとも思っている。


 だが冒険者ギルドとしては、捕虜は今後のバレアスとの交渉において有効なカードとなり得る。それを見殺しにしたとあれば、ギルドも良い顔はしないだろう。


 なので、獣人達の怒りが弾ける前に沸騰した頭に冷水をかけてしまおう。ついでに、自分の怒りも発散させてしまおうと始めた拷問劇だったというわけだ。


 自分達の都合で申し訳ないとは思うが、一応助け出した側であるので大目に見てもらおう。


「そちらの話は終わったかね?」


 やがて獣人達の様子を確認していたリオンへ、ペルニカ語で声がかけられた。


 やってきたのはゴリラのビースト、森長だ。後ろにはダルルガルム達森の戦士もいた。


 森長達は何故か微妙にリオンから視線を逸らしながら居心地悪そうにしている。まぁリオン達が命懸けで戦っているのを眺めていることしかできず、追い込まれた二人のために勇んで駆け付けてみれば、邪魔だとでも言うように土壁で拒絶された挙句、自分達とは別の者達の救援により戦いが終結したのだ。気まずさやら不甲斐なさやらを感じていたとしてもおかしくはない。決して先程のリオンの鬼畜っぷりに怯えているというわけではない……はずだ。


「連中の拘束を任せっきりで悪かったな」

「いや、先程までの戦いでは、我らは何も役に立てなかったからな。これくらい大したことではない」


 うつむきがちに首を振る森長に、リオンは困ったように肩を竦める。戦いが終わった後から色々と会話をする機会はあり、何度も気にするなと言っているのだが、やはり森長達の表情が晴れることはない。正直、これからギルドの連中が来て外の世界との繋がりが出来れば、ある意味では今回の戦い以上の難題も出てくるのだ。


 もちろん浮遊島の民族や自然・文化保護を謳っているギルドが、彼らに害をなすことは無い。だが魔力を扱えないビースト達は、言い方は悪いが地上の人々より劣っている。ギルドの庇護がなければ、またバレアスのような連中に狙われ、今度こそ蹂躙されることになるだろう。それを思えば、この程度の事をいちいち気に病んでいてはキリがないと思うのだが……今それを伝えても、意味はないだろう。


「それでひとまず獣人……増援に来た連中についてだが、彼らにはバレアス軍の船で生活してもらうことにした。拘束した敵兵については、適当な場所に監禁用の建物でも作って、そこに閉じ込めておく」


 バレアス軍の乗ってきた船には、千人規模の兵士達が生活できるスペースも食料もある。獣人達が生活するには全く問題が無い。テレパスを使えないビースト達はバレアスの人々と言葉が通じないので、ギルドが来る前にトラブルを起こされても面倒だ。なので、基本的には彼らとは深く関わらないようにし、何かあればテレパスを付けた代表者を通じて連絡を取り合うことにした。


 本当なら捕虜の連中も船内に拘束したいところだが、獣人達の傍に置いておくと、せっかく一度は収拾させた怒りが再燃しかねない。リオン達がずっと見張るというのも事後処理もあって難しいので、獣人達とは離れた場所に拘束することにした。もちろん奴隷達が付けていた魔力封じの首輪を付けた上でだ。


「拘束場所ができたら、あんた達には見張りを頼むことになる。捕虜の魔法は封じているが、注意だけはしておいてくれ」

「了解した。死力を尽くそう」

「……俺達が言うのもなんだが、さっきの戦いの件はあまり気にしないでくれ。俺達が、俺達の都合で始めた戦いだ。あんた達を助けたのはその“結果”でしかない」


 たかが見張り一つに過剰な覚悟を返す森長達に、さすがにこのままでは居心地が悪いと改善を試みるリオン。


 リオンが口にしたのは紛れもない事実だ。バレアスと戦争を始めたのは、初めての空の冒険を邪魔されたくないというリオン達のわがままだ。冒険者として、未知の種族や自然を保護する理由もあった。


 だからこそ可能な限りビースト達への犠牲を減らそうと考えての作戦である。共に過ごすうちにビースト達を守りたいと情が沸いたのも事実だが、全てはリオン達側の都合を優先したうえでの結果でしかない。


「……たとえそうだとしても、我らが何もできず、ただ守られているだけだったのもまた結果の一つだ。いや、むしろ最後には我らの行動がそなた達の足を引っ張る結果になった。その結果に報いなければ、我らはそなた達に顔向けが――」

「一緒に戦えなければ友とは呼べないのか? 足を引っ張ろうが失敗しようが、許し合うのが友じゃないのか? もちろん何かあれば謝罪したり怒ったりもあるさ。だが互いに想いあっての行動の結果で、いつまでもギクシャクするのはなしだ。そんな“結果”のために俺達は命を賭けて戦っていたわけじゃない」

「そうそう。だいたい足引っ張ったってぇなら、今回は俺の方がリオンの足引っ張っちまったからな。そんでめちゃくちゃ怒られて、こっちも頭下げて、許してもらえて……まぁまだとんでもねぇ罰が残ってっけど、それで終わりだ。そりゃ反省も後悔もあるし、おめぇらもそうだろうけどよ、それでいつまでもウジウジすんのはなしでいこうぜ」


 リオンの言葉を聞いていたジェイグも加わり、ビースト達に変わらぬ友愛を示す。短い付き合いだが、彼らが気の良い連中だというのは理解しているし、彼らがリオン達の下へ駆け付けた行動は、結果はどうあれ嬉しいモノであったのは間違いない。


 それに戦いの行方次第では彼らを見捨てる可能性があり、ビースト達と一定の距離を置いていたリオンも、これからは何も憂うことは無い。そう遠くないうちに別れが待っているとはいえ、それでせっかく生まれ始めた彼らとの絆を無下にはしたくなかった。


 二人の言葉に目を丸くしていた森長だったが、その気持ちはしっかり伝わったらしい。しばし瞑目ののち、ゆっくりと開いたその瞳には先程の憂うような色は無く、深い親しみが込められていた。


「そなた達の勇気に敬意を。力になれなかったこと、迷惑をかけたことに謝罪を。そして示された友情に、多大なる感謝と変わらぬ友愛を。何か力になれることがあれば何でも言ってくれ。その恩と友情に報いるためなら、我ら森の民一同、尽力を惜しむことは無い」


 万感の思いと共に深々と頭を下げる森長。後ろのビースト達もそれに続いている。やはりそこに先程のような気まずさはほとんど感じられない。


 森の“戦士”であることに誇りを持つ彼らの事だ。完全に割り切るのは難しいのだろう。


 だが義や情に厚い彼らのことだ。形はどうあれ、こうして示された友愛に応えないのも、また森の“民”の誇りが許さないのだろう。


「……大げさな連中だな」

「たとえ友であろうと、受けた恩には報いるもの。我らの友情の証だと思ってくれればいい」

「了解だ。まぁこれからも色々協力してもらうことは多いだろう。気兼ねなく頼らせてもらおう」


 お互いに笑みと共に握手を交わすリオンと森長。


 そんな二人を余所に、ダルルガルムが前へ歩み出てきてジェイグと向き合った。


「……オレ、強くなる。次、あれば、共に戦う。オマエ達と、一緒に」

「おう。頼りにしてるぜ」


 どうやらダルルガルムは森長達とは別の決意を固めたらしい。戦士としての誇りが誰よりも強いダルルガルムらしい言葉に、ジェイグはニヤリと好戦的な笑みを浮かべて彼と拳をぶつけ合った。


「――――――クヒッ――ヒヒヒヒヒ――」


 そうしてビースト達との関係を修復しつつ、改めて友好を深めていたリオン達だったが、意味の分からない言葉と不快な笑い声が聞こえてきたので、その方向に視線を向けた。


 そこにはリオン達の前に降伏し、ビースト達によって拘束されたバレアス兵達の集団があった。全員魔力封じの首輪を付けられたうえ、太い植物の蔦で手足を縛られている。捕虜同士背を預け合うように座らせられている彼らは、一様に顔をうつむかせ、自分達の敗北とこれからのことを悲観し、消沈しきった様子だ。


 だがその集団の手前。同じように拘束を受けながらも一人だけ仰向けに転がされた男が、虚ろな目で天を仰ぎながら狂的な笑みを浮かべているのが目に入った。あちこちが斬り裂かれ、自らの血で真っ赤に染まった衣服。見るからに瀕死だが、最低限の治療は施してあるので辛うじて命を取り留めている状態の男。バレアス軍の総大将、マクレアがそこにはいた。


 テレパスは既に回収しているので、マクレアの言葉も今は理解できない。そもそも魔力封じの首輪を付けているので、今の彼にはテレパスを起動できないのだが。


 リオンの手によって斬り伏せられたマクレアだったが、敵側の最重要人物ということもあって一応生かしておいたのだ。最終局面では完全に狂乱していたので、手加減するのも容易だった。


 どうやら意識を取り戻したようだが、相変わらずの狂った姿にジェイグが腐乱死体でも見たかのような「うへぇ」と言いたげな表情で、リオンに「どうするよ、アレ?」と視線を向けてくる。リオンとしてもあまり近づきたいと思えない状態だが、何らかの情報が得られる可能性もある。仕方ない、と溜息を一つ溢すと、マクレアの首輪を解除し、起動状態のテレパスを仰向けのままのマクレアの胸元に放り投げた。


「何かあるのか? 下らないことなら無理やり黙らせて――」

「……もうすぐ裁きが……我らの……神の使徒……神敵が……クヒッ、クヒヒヒヒヒ!」


 ブツブツと要領を得ない言葉を続けるマクレアに、リオンは短く舌打ちをした。一瞬このまま力尽くで黙らせようかと思ったが、その衝動を抑えて哄笑を上げ続けるマクレアの胸倉を掴んで強引に上半身を持ち上げた。


「まだ何かあるなら言ってみろ。憎き神敵がちょっとは絶望してやれるかもしれないぞ」


 狂的な光を宿した瞳を間近から覗き込み、挑発的な笑みを浮かべる。下手に痛めつけて吐かせるよりも、こう言った方がマクレアには有効だと思ったからだ。


 案の定、マクレアはその口元を三日月のようにニィッと吊り上げると、リオンの赤眼を歪んだ視線で射抜いた。


「これで勝ったと思うなよ! 神に仇名す異教徒共がぁっ! ボク達は先遣隊だ! ボク達が出発した三日後には、本隊が国を発つ手筈になっているんだよぉっ!」


 嘲笑うような、怒り狂うような声で、驚愕の事実を叫ぶマクレア。


 リオンは挑発的な笑みを消して、剣呑さを露わにその目を細める。


「本隊には千五百人の兵が乗っている! それも大司教様が率いる精鋭部隊だ! 彼らはボク達に代わってキサマラに神罰を下すだろう! 亜人も獣もキサマラ神敵も、全員皆殺しだ! 死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇっ! 神の偉大さをその身に刻みながら、苦しみもがいて死んでしまえぇええええええええええええええええええええええええええええっ!」


 マクレアは魂を憎悪という黒い炎で燃やし尽くすような絶叫を上げた。


 直後、まるでその魂の叫びが悪魔でも呼び寄せたかのように、彼方の空から巨大な質量が空気を突き裂いて進むゴオォという音が聞こえ始めた。その音はいくつも重なり合いながら大きくなり、真っ直ぐにこちらに向かって近づいてくる。


 その音で自分の言葉が現実になったと気付いたのだろう。マクレアが壊れたように不気味な哄笑を上げ始めた。その様子から、これ以上の情報は得られないだろうと早々に見切りをつけたリオンは、耳障りな声を物理的かつ強制的にシャットダウンした。


「くそっ、こいつらがやけにあっさり降伏したのはそれが理由か……」


 周りを見渡せば、捉えた捕虜達が皆遠くの空へ顔を向けている。その視線を追えば、確かに空の彼方に見える七つの点が徐々に大きさを増しているのがわかる。あれがバレアスの本隊らしい。先遣隊より二隻も多いことから、マクレアの言う通り人数も増えているのだろう。


 捕虜の連中は皆一様に勝ち誇った笑みを浮かべている。マクレアほどではないが、やはり狂信者の集団。瞳には狂的な光を宿し、ブツブツと何かを口走っている。おそらく神だのなんだのと似たようなことを口にしているのだろう。


 逆に元獣人奴隷達やビースト達は絶望の表情だ。特に獣人達は、長く過酷な奴隷生活に逆戻りする恐怖からその場に崩れ落ちたり、慟哭を上げる者もいる。


「まいったな……さすがにありゃあきついぜ」


 軽い調子でそう呟くジェイグだが、その表情には苦渋がありありと刻まれていた。先程の戦いでジェイグは魔力のほとんどを使い果たしている。体力の消耗も激しい。多少は回復したとはいえ全快には程遠く、とても大軍を相手に戦えるとは思えない。


 そしてそれはリオンも同じ。ジェイグ程消耗はしてないが、コンディションは最悪だ。


 それに先程の戦いでリオン達が二人で数百のバレアス兵を壊滅できたのは、ミリルの魔導具があったからだ。だがその魔導具もほとんどを使い切り、残りはわずか。いくら獣人奴隷達と力を合わせたところで、千五百人どころかその半分であろうと勝てるとは思えなかった。


「どうするよ、リオン?」


 ジェイグが引き攣ったような笑みを浮かべてこちらを向く。気が付けば別行動中だったティアやファリン達も慌てた様子でこちらに向かってきている。誰の目にも絶望の色は無い。ただ悲痛に顔を歪めているだけだ。


 三人は理解しているのだ。この状況でも、自分達には生き残る手段があり、リオンは最後には必ずそれを決断すると。


 ただしそれは自分達以外の多くの犠牲が伴うことも。


 解放した奴隷獣人達は、先程の戦いで多少数は減らしてはいるが、まだ三百人弱は残っている。その獣人達を壁の前に配置し、前線とする。獣人達が戦っている間に壁後の森の中に再度トラップを配置し、さらに時間を稼ぐのだ。


 その作戦ならばどれだけ大軍を相手にしようと、リオン達まで被害は出ない。最悪、前線やトラップ地帯を抜けられても、その間にリオン達は完全に身を隠すことができる。戦うのは難しくとも、リオン達四人の実力があればこの広い島の中で隠れきることは容易だ。


 だがその作戦を執れば、確実に獣人達は犠牲になる。前線が崩れれば、ビースト達も蹂躙されるだろう。


(ここまで来て……せっかくここまで来れたのに……くそっ!)


 すでにはっきりとわかるくらい大きくなった船団の影に、リオンは表情を変えずに心の中だけで悪罵を吐く。ティア達のリーダーがリオンであることは、ビースト達だけでなくすでに獣人達にも周知の事実。そのリオンが弱さや苦悩を露わにするわけにはいかない。


 だがどんなにリオンが思考を巡らせても、状況を打開する策は浮かばない。戦線を整えるための時間は必要だ。非情な決断を迫る時計の針がその時を示すリミットはすぐそこまで迫っている。


 そんな中、ビースト達は何も言わず、ただ真っ直ぐにリオン達を見つめるだけだ。その瞳には縋るような色も、共に戦おうという気概もない。ただ穏やかにリオンの言葉を待っている。


彼らは理解しているのだろう。絶望的なこの状況も、リオンの苦悩も決断を下す覚悟も。そしてここで自分達を見捨てるよう促せば、リオン達――特にジェイグやティア達に更なる精神的苦痛を与えることも理解しているのだ。だからこそ何も言わず、その覚悟を後押ししている。


(……何でそんな顔してるんだよ)


 そしてその言葉にならないビースト達の心意気が、その友愛が解ってしまうからこそ、リオンの心は締め付けるような痛みを覚えてしまう。


(それでも俺は……)


 たとえどんな犠牲を払おうと、たとえ仲間の心に傷を残すことになろうと、リオンは自分の心を凍らせて全てを決断する。


「…………獣人達に伝えてくれ。今すぐ壁の前に整列。迎撃の準備を――」


 頭の中で獣人達を戦いに参加させるための説明を考えながら、他の三人に指示を出そうとしたその時――




 ――リオン達の直上の空を、極光が突き抜けた。




 夕闇に染まり始めた空を白く塗り潰すような極大な魔力光は、遅れて耳に届いた轟音を置き去りに真っ直ぐに空を切り裂き、バレアスの船団の中心をいくつもの船体を掠め貫いていく。


 極光の射線に巻き込まれた船は、船体を大きく抉られ、衝撃に大きく傾いた。空いた穴から積み荷と思われる物体や、人間らしき影が空へ投げ出されているのが見える。


 積み荷の中には火石(火薬のようなもの)や、魔空船の燃料となる魔石もあったのだろう。大規模な魔力の光を浴びた結果、誘爆を引き起こし、あちこちで小規模な爆発が起こっている。複数属性の魔石の爆ぜる様は、まるで夜空に咲く花火のようで、その災害のような惨状の中でなければ心奪われるような光景となっただろう。


 やがて、数隻の魔空船を掠めた極光はゆっくりとその輝きを失い、空の彼方へ消えていった。バレアスの船団に致命的なまでの大きな爪痕を残して。


 そんなバレアスの船団に甚大な被害をもたらした極光に、浮遊島にいた誰もが言葉を失い呆然と空を見上げていた。


 例外は、その光の輝きに見覚えのあった四人だけ。


「そういえば、俺達の勝利の女神はあと一人……いや、二人(・・)もいたんだったな」

「女神って呼ぶには、かなりおっかねぇ二人だけどな」


 そう呟いて、極光の飛来した方角を、目を細めて見据えるリオンとジェイグ。


 ティア達二人も同様に歓喜と安堵に満ちた表情で、空の彼方を見つめる。


 その視線の先には済んだ輝きを放つ宝玉を抱く女性の像。そして暮れ始めた夕闇を背に飛翔するリオン達の船『大いなる母の愛(リリシアズアーク)』の壮麗な姿があった。


 その背後には、リリシアズアークにも劣らぬ勇壮な二隻の魔空船が追従している。どちらの船もミスリル特有の白銀色の輝きを放ち、大きさもバレアスのそれを遥かに上回っている。軍艦ではないようだが、砲台や明らかに何らかの魔導兵器と思われるギミックも施されており、その全てが威嚇するように真っ直ぐにバレアスの船団へと向けられていた。


 少々船の規模がリオンの予想以上だが、間違いない。


 あれらはミリルとアルが連れてきたギルドの応援部隊だ。


「やっと戻ってきやがった。待ちくたびれたぜ、ったく……」


 頼もしい家族の帰還と応援の到着に、緊迫から一転、安堵のため息を吐くジェイグ。そっとリオンの隣に寄り添ったティアがその手を握り、ファリンはピョンピョンと飛び跳ねながら大きく両手を振り、全身で喜びを表している。


 その視線の先で、恩師リリシア先生の姿を模した女性像が抱く宝玉が再び輝きを放ち始める。おそらく脅しのつもりなのだろう。これ以上こちらに向かってくるなら、もう一発デカいのをお見舞いすると。リリシアズアークの操縦席で、酷く獰猛な笑みを浮かべる爆裂狼娘の姿が頭に浮かんだ。


 そして魔力砲の再起動に追随するように、後の二隻の兵器も輝きを放ち始める。


 完全に臨戦態勢を整えたギルドの船団。


 それに対してバレアスの方は七隻のうちの四隻が半壊状態。残りの三隻も極光の余波や、吹き飛ばされた他の船が衝突し、少なくない被害を被っている。かろうじてどの船も飛行は可能のようだが、そう何度もあの攻撃に耐えられるとは思えない。ましてやギルド側の船と比べて、バレアスの船は装備も外装も大きさも、全てが遥かに劣っている。たとえ万全の状態であっても勝ち目は薄いだろう。無理やり浮遊島に強行着陸しても、結局は空から攻撃されておしまいだ。


 また万が一地上戦に持ち込めたとしても、あの規模の魔空船から考えて、バレアスと同程度の人員が搭乗しているはず。ギルドの研究員が多いだろうが、逆に言えばこれだけの規模の職員の護衛のために派遣された冒険者だ。どんなに低くても中級以上の冒険者で構成されているはず。装備の質もバレアスより上だ。負けることはあり得ないだろう。


 そしてそれはバレアスの本隊にも理解できたのだろう。いくら神だ何だと言っても、さすがにあのとてつもない威力を見せつけられれば戦意も失せる。フラフラと頼りない飛行ながらも、進路を反転した。


 自分達を置いていく本隊の姿に、捕虜達の間に今度こそ完全な絶望の空気が流れ始める。


 リオン達は絶対的な窮地を脱し、勝利の余韻に浸りながら互いを見やる。安堵と歓喜の笑みを交わし合い、未だに事態を飲み込めず、困惑と不安を抱えたままの解放獣人奴隷やビースト達に向けて、リオンが勝利宣言を口にする


「俺達の仲間が戻ってきた。戦いは終わりだ。今度こそ、俺達の勝利――」


 ずどぉおおおおおん!


 ダメ押しの極光! 比較的被害の少なかった三隻に追加ダメージ! 再び空に色とりどりの花火が舞った!


「「「「…………………………」」」」


 黒の翼の四人が、盛大に顔を引きつらせて固まった。脅しだと思っていた魔力砲が、まさか再び放たれるとは、それも逃走を始めた相手に向けて放たれるとは思ってもいなかったのだ。


 一応、轟沈はさせないよう射線は調整したようだが、敵方の被害は甚大だろう。まさかの追い打ちに涙目になっている敵の姿が目に浮かぶ。そして「たった一発で逃げ出すとは、なっさけないわね~」とでも言いながら、ギラギラした笑みを浮かべて魔力砲の起動装置に手を置く悪魔の顔も浮かぶ。


 おそらく普段はなかなか使う機会のない魔力砲を撃てると意気込んでいたのに、たった一発で逃げ出した敵に消化不良だったのだろう。しかも魔力砲は再充填を終えている。いつでも撃てます。


 ……我慢できなかったのだろう。


 「せっかくだし~♪」と鼻歌混じりにポチッとしちゃったのだろう。


 そして大破壊をもたらした極光の発射点であるリリシア像は、まるで自分の子供達を苦しめた不届き者へお仕置きをしたかのようだ。なんとなく、先生の像の顔が誇らしげに見える。怒ったリリシア先生の恐怖を知る|子供達(リオン達)からすれば、正直頼もしいよりも前に恐ろしさが込み上げてきてしまう。


 勝利の女神? 何それ?


 あれは暴虐と破壊の化身だ。


 リリシア先生を知らない獣人やビースト達の眼にも、大破壊をもたらした極光と発射源への隠しようのない畏怖が刻まれている。


「……あぁ、何か先生に怒られた時のこと思い出しちまった」

「……奇遇だな。俺もだ」

「……先生の雷は容赦の欠片も無かったニャ」


 ジェイグが青い顔で虚ろな目をし、リオンが遠い目をして空を見上げ、ファリンは寒さを堪えるように震える体を擦っている。仲間内でただ一人、先生の雷を落とされたことがなかったティアは困ったように笑いつつ、「あとでミリルに注意しておかないと……」と、爆発と破壊をこよなく愛する困った妹へのお説教を決意するのだった。


 ちなみにバレアス軍の船は、船体に甚大な被害を被り、フラフラと不安定な飛行ながらも一隻も墜落することなく浮遊島を離れ、空の彼方へと消えていった。

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