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戦争の終結

 時間は少し遡る。


 バレアスのキャンプ地に潜入を果たしたティアとファリンは、現在、バレアスの所有する魔空船の中にいる。五隻あるうちの一番小さな船だ。マクレアという名の敵将が乗っていたのだろう船と比べれば、外観も装甲も何もかもが見劣りする。中に入ったのはこの船だけなので内部の様子は比べられないが、おそらく内装もかなり質が低いのだろう。床も壁も天井も船体に使われている金属がむき出しの状態で、所々に錆がこびりついていた。


 魔導灯の数も少なく、ティア達が今いる廊下はかなり薄暗い。悪臭も酷い。血と汗の臭いに、食べ物の腐ったような臭いが混ざって充満している。しかも熱を輩出する機能は無いのか停止しているのか、船の中は嫌な熱気がこもっている。ティア達の服は温度調節の魔術が施されているので、ほとんど気にならないが、それでも肌が露出した部分には少しの蒸し暑さを感じた。今は停船中だが、飛行中は全動力がフル稼働になるため、さらに熱気がこもると予想できる。


「私達の船がリリシアズアークでホントに良かったわ……」

「まったくだニャ。船を改造してくれたミリルに感謝感謝だニャ」


 囁くような小さな声で、ティアとファリンが自分達の船の恵まれた環境と、それを整備した家族のありがたみを実感している。あの自重を知らない爆裂娘の魔導具を、二人が手放しで褒めるのは何気に珍しい。


 そんな二人だが、その姿は未だにバレアス兵士(♂)のまま。周りに誰もいないのでファリンも声は変えていない。いかつい男兵士が女言葉や猫語を話す光景は実に気持ちが悪かった。


 基本的には敵の目を避けて潜入しているとはいえ、万が一敵と遭遇した場合に、即戦闘とならないよう魔術は維持する必要があったので仕方ないのだが。


 また、いくら敵の姿に化けているとはいえ、二人はバレアスの言葉は喋れない。声をかけられればアウトなので、目立たずに行動する必要があった。


(まぁこの船に入ってからは、敵兵の姿もほとんど見なくなったけど……)


 どうやらこの船は貨物の運搬船らしく、兵士が生活するような部屋がほとんどない。もちろん乗組員用に最低限の船室と設備はあるのだが、それらは全て船橋付近――船の上層部に集中しているので、ティア達がいる下層には人の気配はほとんどなかった。


 もっとも貨物船と言っても、運んでいるのは“物”だけではないが……


 敵船の奥に入り込みながらも、二人は特に迂回や潜伏等することもなく真っ直ぐに目的地を目指していた。変身魔術で姿を借りた兵士から聞き出した情報があるので、目的地の場所を間違えることもない。むしろ船に乗り込むまでの方が時間的にも労力的にも大変だったと言えるだろう。


 それでも決して油断せず、警戒に警戒を重ねて進むことおよそ十分。


 二人は目的の部屋の前まで辿り着いた。目の前に両開きの分厚い金属扉がある。取っ手にはこれまた大きな金属錠。一見すると、重要な品をしまい込む金庫のようにも見える――だが、ティア達はそれが牢獄であると知っていた。


 目的地へと到着したことで魔術を維持する必要のなくなった二人が、元の姿に戻る。


「大勢の人の気配がする……ファリン、中の様子を詳しく探れる?」

「任せるニャ!」


 ファリンにだけ聞こえる声量で、ティアがお願いをした。身体強化をすれば聴覚も強化できるが、獣人であるファリンの耳は人間であるティアよりも優れている。そのため、ファリンに部屋の中の様子を確認してもらったというわけだ。


 そうして沈黙すること数秒。猫耳をピクピクさせるファリンの顔が徐々に悲痛に歪んでいった。


「……すすり泣く声、呻き声……話し声も聞こえる……ほとんど何を言ってるかわかんニャいけど………………みんな、すごく、辛そう……ニャ……」


 ファリンが今にも泣きだしそうな声で、ポツリポツリと中の様子を伝えてくる。心優しいファリンのことだ。中の人達の声を直接聞いて、心を掻き毟られるような痛みを感じているのだろう。


 特にファリンにとっては、中にいる彼らもある意味で仲間だ。彼らに感情移入してしまっても仕方ない。


 一度交渉や偵察に来ていたリオンやファリンの話は聞いていたし、今いる船内の状況からも予想はしていたが、現実は想像よりも遥かに残酷らしい。


「……バレアス兵がいるような様子はある?」


 ファリンに労わるような目を向けつつも、一番大事なことを確認するティア。外から鍵がかけられている以上、無いとは思うが念には念を入れる必要がある。


 ファリンは少しの間耳を澄ませたあと、小さく首を横に振った。


「そう……他に何か気になることはある?」

「……あ……数人だけだけど、ペルニカ語を話してる人がいるニャ」

「っ!? その人達は何て言ってるの?」


 ファリンが口にした情報から、リオンの推測が当たっていたことを知ったティア。小さく驚きを表しながらも、早口でファリンに先を促す。


「……男の人の声……泣いてる誰かを励ましてるみたいニャ……」


 こんな絶望に塗れた場所で、それでも誰かを思い遣ることができる。まだ生きる希望を捨てていないことに、ティアはそっと胸を撫で下ろす。ファリンの顔にもわずかな安堵の色が見える。


 もしも彼らが全てに絶望し、己の生さえも投げ出してしまっていたら……彼らの説得はより困難なものとなってしまう。ティアとファリンは、彼らを助けるためだけにこの場に来たわけではないのだから。


 思わず胸に当てた手をティアはゆっくりとファリンの頭に乗せて、優しくその髪を撫でる。


「……じゃあ早く彼らを安心させてあげましょう……ね?」


 慈愛に満ちた声で、そう提案するティア。


 ティアに頭を撫でられたファリンが小さく頷くのを見て微笑みを浮かべた後、ティアは思考を切り替える。


(リオンの推測が当たって良かった。助け出したあとのこともそうだけど、まずは彼らと話ができないと次の作戦に進めないもの)


 彼らの置かれた境遇を思えば素直に喜べないが、ペルニカ語を話せる人がいるというのは朗報だ。彼らの説得を円滑に始められる可能性が高くなる。


「行きましょう」


 そう言って、ティアが魔弓『天月』を上段に構える。魔力を矢に変えて放つ魔弓だが、中央部の持ち手以外、弓の上下部分は片刃の曲刀となっており、近接戦も可能な武器だ。


 それを鋭く振り下ろす。


 天月は、ジェイグとミリルが共同で作り上げた自慢の逸品。材質は、魔力浸透率が現存する金属の中で最も高いミスリル製。おまけに使い手は、実は黒の翼の中で魔力量や魔力操作技術が最も高いティア。大きいが、おそらくただの鉄でしかない錠など、包丁で野菜を切るようなものだ。


 結果、重い金属錠はあっさりと真っ二つになった。落下音を防ぐため、取っ手から外れる前にファリンが両手で残骸をキャッチする。


「開けるわよ」


 取っ手に手を掛けて、ファリンと一度だけ目を合わせる。


 無言で頷きを返すファリンを確認すると、扉の片側を引き開け――


「こんにちはニャ~」


 その隙間から顔を出したファリンが、満面の笑みで手を振った。


 ポカンとした視線――獣人達の驚きに満ちた視線が一斉にファリンに注がれる。


 そう、ティア達が目指していた場所というのは他でもない。バレアスの人間達が亜人と呼んで迫害し、奴隷にされてしまっている獣人などの他種族達が閉じ込められている部屋だ。


 真っ先にファリンが顔を見せたのは、同じ獣人のファリンであれば言葉の通じないバレアス獣人にも怯えられないと考えたからだ。ファリンが成人に満たない少女だというのも、彼らの警戒心を和らげる一助になるだろう。


 案の定、閉じ込められていた獣人達は驚いて言葉を失いつつも、怯えた様子は見られない。


 続いてティアが姿を見せると、一部の獣人達はわずかに怯えた様子が見られたが、ファリンに向ける表情から、彼女の仲間だとすぐに理解したのだろう。獣人達に大きな混乱はなかった。


「まずは話がしたいんニャけど、言葉のわかる人はどこかニャ?」


 獣人達を怖がらせないようにあえて明るく振る舞いながらも、視線は室内を隈なく見渡して目的の人物を探す。


 そしてわずかな沈黙の後、部屋の奥の暗がりから困惑と警戒と期待を等分に孕んだペルニカ語が返ってきた。


「あ、あんた達は、もしかして、冒険者……なのか?」


 ティアがその声の聞こえた場所へと視線を向けると、虎耳と尻尾を生やした男が片膝立ちの体勢でこちらを見ていた。


 背はリオンとジェイグの中間くらい。年はおそらく二十代中盤から後半といったところか。ややワイルドな顔つきながらも、切れ長の瞳には理知的な光が感じられる。やつれた頬からは長い奴隷生活の苦悩が見えるが、その身体には衰弱してなおはっきりとわかるほど、戦いを生業とする者特有の無駄のない筋肉を纏っていた。


 ファリンに目を向けると、小さく頷きが返ってくる。どうやら先程部屋の外で聞いた声の主らしい。


 間違いない。


 彼こそがかつて魔空船でバレアスに不時着した事件、『バレアスの獣』で行方不明になっていた冒険者だ。ギルドへは彼らは全員処刑したと伝えられていたが、魔空船や諸外国の情報を持っている彼らを、そう簡単に殺すとは考えにくい。ギルドと同じく、リオンも彼らの生存の可能性は高いと思っていた。


 そして生きているならば、国家の命運を賭けた浮遊島大遠征に、バレアスは彼らを連れてくるはず。何せバレアス軍は、自国から出たことがない連中がほとんどだ。魔境の探索経験もないし、長距離で魔空船を飛ばしたことも少ないだろう。


 そんな中、冒険者としての知識や経験を持つ彼らは、間違いなく役に立つ。バレアスが彼らを連れてこないはずはないとリオンは踏んでいた。


 そしてその予測は当たっていた。


 ファリンは目的の人物を前にパッと瞳を輝かせると、軽やかな足取りで虎獣人の男に近づき、こちらを見上げる視線に合わせるようにしゃがみ込んだ。ティアもそのあとに続く。


「初めましてニャ! 冒険者ランク三級、冒険者パーティー『黒の翼』のファリンニャ!」

「同じく『黒の翼』所属、ランク二級のティアと言います。おそらく同じ冒険者の方だと見受けられますが……」


 顔の横に自身の冒険者カードを掲げて自己紹介をするファリンとティア。カードには所属のパーティー名やランクが記載されており、偽造やねつ造が不可能なため、身分の証明になる。


 相手の男が目を丸くしているのは、部屋に充満する重い空気を吹き飛ばすようなファリンの快活さからか、二人のランクの高さからか。


 だがすぐに我に返った虎獣人の男は、何かに納得したように一度頷くと、ティアの方へ力強い眼を向けてきた。


「俺はザックス。カードは奪われて手元にはないが、冒険者ランクは四級だ。パーティー『翼ある獣』のリーダー……だった」


 苦渋と悲哀に満ちた表情で、自身の立場を過去形で表現するザックス。


 一瞬表情に疑問の色が浮かびかけるも、すぐに何となくの事情を察したティアとファリンがわずかに視線を泳がせた。他にまだ生きている(・・・・・)仲間がいるなら、その情報は聞く必要があるが、今ここでそれを聞いてもいいものなのか……。


 そんな二人の気遣いを察したザックスが、ぎこちない苦笑いを作って二人が言葉にしなかった問いに答える。


「翼ある獣は、同じ村の幼馴染四人で結成したパーティーだった。結成してもう十年以上になる。あとから二人増えて六人になったんだが、全員同郷でガキの頃からの付き合いだ。みんな家族同然に――それこそ結婚して本当の家族になった奴もいるくらい仲の良いパーティーだった……」


 痛みに耐えるように俯くザックスの話に、ティアは思わず目を丸くした。きっと隣で話を聞いているファリンも、同じく思ったはずだ。


 自分達と似ている……と。


 そんなティア達の驚愕に気付くことなく、ザックスは話を続ける。


「でもその仲間は、バレアスの連中に殺された……今生きているのは、もう俺とこいつの二人だけだ……」


 そう言って、肩越しに振り返って背後を見るザックス。


 ファリンがその視線を追うと、そこにはザックスの陰に隠れるようにしてこちらを見つめる丸い獣耳を生やした少女の姿が。おそらく熊かネズミの獣人だろう。やつれた体や色艶を失った灰色の髪でわかりにくいが、年はファリンより少し上くらいか。みすぼらしい奴隷服から覗く肌には痛々しいほどの無数の傷がある。


「バレアスに不時着してすぐに、仲間の二人が殺された。大事な船も奪われた。俺とこいつとこいつの兄貴、それとそいつの嫁さんは、そのまま奴らに捕らえられた。こいつの兄貴は奴らに捕まった後も嫁と妹を守ろうと必死に頑張ったんだ。でも奴らはその反抗的な態度が気に入らなかったらしくてな……二人の目の前で拷問されて、殺された。嫁さんの方は、それで心を壊してな……飯も食えずに、そのままあいつの後を追うように死んだよ……俺達はもう翼も牙も失った、ただの家畜でしかない」


 徐々に震え始めた声で、凄惨ともいえる経緯を語り終えたザックスに、ティアは何一つ言葉をかけることもできなかった。


 これがもし自分達の立場だったとしたら……そう考えるだけで、ティアは胸がバラバラに引き千切られるような痛みを感じる。それは彼らのパーティーと多くの共通項を持つが故に、より強いシンパシーを感じているというのもあるだろう。


 特に最愛の人を目の前で殺されたという女性の心中は、察するに余りある。


 話を聞いていて、強く頭に浮かぶのは、最愛の人の姿。


 もしリオンが同じ目に合ったら……考えたくもない……。深く考えたら、きっと自分は衝動を抑えられなくなる。今すぐこの場を飛び出して、リオンの無事を確認せずにはいられなくなるだろう。


 込み上げてくる不安と焦燥感を押さえ込むように、リオンから貰った指輪にそっと触れる。


 そうして心を落ち着けた後、再度後ろの少女の方へ視線を向けると、揺れる藍色の瞳と目が合った。話をしている間、彼女はずっとこちらを見ていたらしい。そこには、わずかの警戒と怯え、そしてそれ以上の縋るような、救いを求めるような切実な色が見える。


 先程のザックスの話では、彼女も兄を目の前で殺されているらしい。そんな彼女に何と言葉をかけるべきか。


 ティアがそうして逡巡していると、丸耳の少女が小さな口が動いた。


「……て……さい」

「え?」


 小さく震える唇を懸命に動かして吐き出された声は、まるで声の出し方を忘れたかのようにかすれて上手く聞き取れなかった。


 ティアが彼女の言葉を聞こうと少し顔を近づけて――


「たすけて、ください」


 ――その願いを聞いた。


 少女のつぶらな瞳から、ポロリと涙の雫が零れ落ちる。それでもその瞳には、生きる意志が、確かな希望の光が見える。


 きっと何度も折れそうになったはずだ。悲しみに暮れ、憎しみに胸を焦がし、絶望に心を塞ぎ、全てを諦め……きっと自身の死を望んだこともあっただろう。


 それでもこの絶望と苦痛の日々に抗い続け、その果てに現れた希望に救いを求めている。


「わたしたちを、たすけてください……おねがい……おねがい、します」


 そんな彼女に、縋るように懇願するまだ幼さの残る少女を前に、ティアの胸が痛む。


 なぜならティア達は、決して彼女達を助けに来たわけではないから。


 救いを求める手を、素直に握ることができない現実に、わずかな罪悪感を覚える。


 それでもティアは伝えなければならない。


 自分達がここに来た目的を。


「ごめんなさい。それはできないわ」


 それは少女の救いを拒絶する言葉。


 だがそれを聞いた少女の顔に絶望は浮かばなかった。


 なぜならティアの顔に浮かんでいたのは、救えないと嘆く罪悪感でも、自分達を切り捨てる冷酷さでもない。


「だって私達はあなた達を救いに来たんじゃないもの。私達はあなた達にお願いに来たの」


 慈愛の女神のように優しく、同時に戦乙女のような力強い笑みだったから。


「戦ってください! 私達と一緒に!」










「全員、とっつげき~! ……ニャ!」


 高らかに気勢を上げるのは黒の翼の妹分、猫娘のファリンだ。ジェイグ作の鉤爪手甲『銀影爪』を付けた右手を高々と掲げて、一直線にこちらへ駆けてくる。


 その背後には大勢の獣人達。数は三百人程だろうか。男女入り乱れ、陣形など関係ないがむしゃらな突進だが、その目に宿る怒りと闘志は間違いなく本物だ。


 それも当然だろう。


 何せ彼らはバレアスの人間達に不当に迫害され、苦汁を舐め続けてきた奴隷達なのだから。強大な国家と言う権力と、数の暴力に屈し、その立場を甘んじて受け入れてはきたが、その内ではずっとその理不尽で不条理な境遇に負の感情を貯めこんでいたはずだ。


 そして今、自分達を苦しめる国を離れ、自分達を苦しめ縛るあらゆる鎖から解放された彼らを、止めることなどできるはずもない。


 さらにバレアス兵達に追い打ちをかけるように、獣人達の背後から一隻の魔空船が浮かび上がった。ティアやファリンがそのことに特に反応を示さないところを見ると、あの船を動かしているのは獣人達の誰かなのだろう。


「貴様らの仕業か!? いったい、何をしたぁっ!?」


 口の端を吊り上げ、不敵に笑うリオンと、安堵の笑みを浮かべるジェイグに、マクレアが怒りの形相で叫ぶ。その顔には先程までの余裕はなく、まるで追い詰められた犬のように吠えるだけだ。


「別に、俺らはなぁんもしてねぇよ」

「言っただろう? 勝利の女神が微笑んだだけだと」


 同じ仕草で肩を竦めるジェイグとリオンのコンビ。二人の言う通り、バレアスの本陣に潜入し、獣人奴隷達を解放し、戦場へ焚き付けたのはティアとファリンだ。もちろん全ての作戦を考えたのはリオンだし、作戦が成功したのはジェイグと協力して陽動に当たったからではあるのだが、所詮はただのサポート要員。作戦成功の最大の功労者は二人であることは間違いない。


 実際、無事に敵陣へ潜入し、獣人達と接触を果たしたティア達だったが、そこからも一筋縄ではいかなかった。


 早くにティア達の思惑に協力してくれたザックスだったが、他の獣人達全てがすぐに追従してくれたかと言われればそうではない。


 まず言葉が通じないのだ。長い間彼らと一緒にいて、ある程度バレアス語を話せるようになっていたザックスが間に入ってくれたが、彼らに現状やリオンの作戦を理解させるだけでも結構な時間を消費した。


 予備のテレパスは持っていたが、奴隷達は全員が魔力封じの首輪をハメられていたため、魔術が使えない。ティア達が代わりに起動させても、彼らが身に着けた時点で魔力を霧散されて効力を失ってしまうのだ。


 ゆえに敵船の内奥という危険な状況の中で、それなりの時間を使ってどうにか自分達の現状を理解してもらったのだが、バレアスの獣人達はリオンの立てた作戦への協力に簡単には首を縦に降らなかった。


 やはりいきなり現れ、素性もわからないティア達を信用できるはずもない。彼らからすればバレアス軍を相手に自分達を助けるだけの実力があるのかも不明だ。同じ冒険者であるザックス達と違って、ランクによる実力の証明は難しい。冒険者四級のザックスが敵に掴まっている以上、説得力も薄い。一応、ここまで敵の目を掻い潜って潜入を果たしている以上、それなりの実力があることは理解してもらえていたようだが、自分達の命を預けるに足るとは思えなかったようだ。


 何より深層心理に刻みつけられた人間という種族への恐怖が、彼らの心を縛り、立ち上がる気力を奪っていた。


 どうしたものか、とティアとファリンも頭を抱え――たりはせず、むしろそれもリオンの想定通りだったため、それならば、と彼らにある条件を提示した。


 ――なら、皆さん全員をこの場から解放できれば、作戦へ協力してくれますか? と。


 当然、できるはずがないと諦念を持って返されたティアだったが、彼らがこうして決起している姿を見れば、結果は自ずとわかるはず。


 ここでも猛威を振るったミリル印の魔導具の数々と、ファリンの変身魔術による奇襲とそれによる疑心暗鬼。さらにはその混乱に乗じて、ティアが『不可視インビジブル』を使い奴隷達の首輪のカギを盗んだ。そうして解放されたザックスの協力も得て、本陣を壊滅させ、見事奴隷達を解放させて見せたのだ。


 勇猛果敢に戦うティア達の姿は、彼らに戦う勇気を奮い立たせもした。同族であり、まだ幼さの残る少女であるファリンを前に、強大だと思っていた敵が逃げ惑う光景は、彼らが敵への恐怖を拭うには十分だった。


 その後、バレアス兵から奪った食料や武器を彼らに分け与えたティア達は、完全に彼らの信用と信頼を獲得した。そうして戦う手段と魔力を得てしまえば、長年蓄積した彼らの怒りと憎しみを抑えるものは何もない。ティア達が再度声をかけるまでもなく、バレアスに苦しめられ続けた獣人達は、自分達の手で完全なる自由を掴み取るべく立ち上がったというわけだ。


 もちろん戦場にいたリオン達は、そういった詳細までは把握していないが。


「それで、どうするんだ? 解放された獣人達の数は、遠目に見ても三百はいる。あんた達の残りの兵力とほぼ同数だ。個々の実力は兵士であるあんた達には敵わないだろうが、あんた達が積もりに積もらせた怒りと憎しみの大波は、そんな実力差程度、簡単に押し流すぞ」


 長年の奴隷生活による衰弱も、彼らの溢れんばかりの闘志の前では大した問題にはならないだろう。むしろリオン達の奮闘により疲労が蓄積し、士気も下がったバレアス兵は、完全に逃げ腰になっている。


 そのうえ獣人達の先頭にいるのは、ティアとファリンだ。獣人解放のために戦った彼女達も相応に疲弊しているはずだが、リオン達ほどではないだろう。リオン達ほど集団戦が得意ではないとはいえ、戦力としては十分に過ぎる。


「ちなみに俺達を倒したり人質にしたりしても、彼らは止まらないぞ。なんせ彼らと俺達は、何の面識もない。そもそもこの距離だ。認識すらしてないだろうな。あんた達に残された道は、蹂躙か、降伏か……まぁもし後者を選んでも、許してもらえるかは知らないけどな」


 浮遊島という限られた空間で拠点も脱出手段も奪われた以上、バレアス兵に撤退という選択肢は既にない。戦って死ぬか、わずかな生の可能性に縋ってずっと見下してきた種族を相手に命乞いをするか。


 もっとも長年理不尽に虐げられてきた獣人達の怒りと憎しみが、降伏した程度で収まるとはバレアス兵達も思っていないのだろう。リオンの言葉はマクレアにしか通じていないはずだが、冷徹な笑みを浮かべるリオンの態度に、バレアス兵の間に不安と動揺が加速していく。


「き、きさっ、貴様らぁ! よ、よく、もヨクモよくもぉっ!」


 感情が飽和したのか、壊れた操り人形のように気味の悪い動きをしながら、ろれつの回らない口で無意味な言葉を叫ぶマクレア。総大将として冷静に状況を判断すべきなのだが、その余裕は完全に失われているらしい。今なら容易に打ち倒せる程に隙だらけだが、側近に囲まれているので手を出すのは難しいか。


 もっともその側近達も、自分達が完全に追い詰められていることは理解しているのだろう。リオン達への警戒は怠らないながらも、その顔には隠し切れない諦念の感情が浮かんでいた。


「あんな下等種族共に何を怯んでいる! 殺せっ! そいつらも、あの亜人共も、壁向こうの獣共も、皆殺しだ! 一匹残らず殺しつくせ! 殺せころせコロセコロセ殺せぇえええええええ!」


 そんな部下達の動揺を理解しているのかどうかは不明だが、その中心で大将であるマクレアが狂ったように殺戮を命じる。


 完全に冷静さを失い、玉砕とも思えるような命令を下すマクレアに、バレアス兵達に失望や諦念の色が濃くなる。マクレアに近い立場の人間の中には、逡巡しながらも命令に従うそぶりを見せる者もいた。下級兵の中には、同じように冷静さを失い半ば自棄になって剣を構える者も少なくない。


 そんな敵の心情を正確に見抜いていたリオンは、そのわずかに残った戦意を断ち切るように愛刀・輝夜を横薙ぎに振るった。刃が風を切り裂く甲高い音が戦場に鳴り響く。そして短い残心の後、ゆっくりと相手に見せつけるように刀を正眼へと構えた。


 その隣では、相棒であるジェイグが身の丈を超えるツーハンデッドソードを肩に担いで臨戦態勢を取る。


 直後、二人の身体から迸る殺気と剣気。


 その姿は雄弁に物語っている。


 ――向かってくるなら、構わない。ただし、死ぬ覚悟で来い! と。


 満身創痍の身体から放たれているとは思えないほどの威圧。事実、ジェイグは魔力切れを起こしているうえ、両者共に傷だらけ。リオンはまだ戦う余力を残してはいるし、ティア達がリオン達の下に辿り着くまで、しのぎ切る自信もあったが、数で攻められれば押し切られる可能性もあった。


 しかし、冷静さを欠いたうえ、すでに何度もリオン達の強さをその身に刻み込まれていたバレアス兵には、それを判断するだけの余裕は残されていなかった。


 リオン達の姿を目視できる距離にいた者達は、その威圧をもろに浴びて完全に心が折れたらしい。なりふり構わず逃げ出す者、全てを諦めて天を仰ぐ者、顔に絶望を浮かべて崩れ落ちる者などが現れ始めた。その混乱は後方の兵達にも瞬く間に伝播していく。


 そこへさらにダメ押しとばかりに、元獣人奴隷達の後方を飛ぶ魔空船から一発の砲撃が放たれた。


 その砲弾はバレアス軍までは届かなかった。意図したものかは不明だが、着弾したのは敵軍の数メートル手前。バレアス兵が放った炎により黒焦げになった大地を粉砕しただけ。爆風により吹き飛ばされた木片や礫がわずかに届く程度の距離でしかない。


 だがその一撃は、確かにバレアス兵の戦意をも粉砕した。


 阿鼻叫喚といった様子で我先にと逃亡を図るバレアス兵。前にも後ろにも逃げられないため、左右に散っていく。


「キサマラ、何をやっている! 敵前逃亡は背信行為だゾ! 神の御意思に背く気かっ!」


 もはや戦場ですらなくなった荒野で喚き散らすのはマクレアだ。血走った眼で「タタカエ! コロセ!」と叫んでいるが、すでにこの戦場で彼の言葉を聞く者はゼロに近い。マクレアを守護する側近達ですら、殉教と背信の間で揺れ動いているのが一目でわかる。


 自分の言うことを聞かない部下達にイラ立ちを募らせるマクレア。しまいにはその怒りと殺意を側近達に向け始めたが――


「――もう、黙れ」


 その隙を突いて一瞬で接近したリオンが、一刀のもとにマクレアを斬り伏せた。白目を剥いてうつ伏せに倒れたマクレアの背を踏み下ろし、鋭い視線で周囲を睥睨する。


 自軍は崩壊したうえ、総大将までも討たれた彼らに、もはや抵抗の意思などあるはずもなかった。


「さて、まだやるのか?」


 不敵な笑みと共に、短く言葉を投げる。


 テレパスを持たない彼らでは、リオンの言葉を正確に理解することはできなかっただろう。そもそも獣人達の怒号と、逃亡者達の悲鳴が飛び交う中で、リオンの声が届いたかどうかも怪しいところだ。


 だがこの場を逃げ出して、復讐に燃える獣人達に追われるよりは、リオンへ降伏した方がわずかでも生存の可能性があると判断したのだろう。まだ逃げずに残っていた者達は、次々と武具を捨て地面に跪くと、投降の意思を示し始めたのだった。


(思ったよりあっさり引いたな……てっきり神のために捨て身で特攻してくる奴もいるかと思ったんだが……)


 足元で倒れ伏すマクレアの先程の狂乱ぶりを思い浮かべ、内心で首を傾げるリオン。全員がこいつのように狂信的な連中だとは思わないが、側近連中の中にはそういった連中も少なからずいると思っていた。


 実際、周りに跪く連中の中には、剣を捨てた割にその瞳をギラギラと怪しい光で滾らせている者が見て取れる。降伏したフリで騙し討ちを狙っているのかもしれないが、それがリオンに通じると思っているとすれば浅はかとしか言えないが……


(まぁ言葉が通じない以上、尋問もできないしな……先に拘束してから考えるか)


 マクレアのテレパスを使えば話はできるが、それをしている隙に妙な真似をされても面倒だ。油断はできないが、ひとまずは彼らを拘束するのが先だと思考を切り替える。


(とりあえずこいつらの拘束は……人数も多いし、ビースト達に任せるとしよう)


 逃げた敵兵は、追走を始めた獣人達が処理してくれるだろう。すでに蹂躙劇とも呼べる状態な以上、逃げのびる可能性はほとんどない。ギルドから応援が来れば、残党狩りも容易だ。降伏した連中の処理については、復讐心に燃える獣人達と一悶着あるかもしれないが、そんな心配は全員を拘束し終えてから考えればいい。


 この戦いの勝利の女神二人が近づいてくるのを感じながら、一応の終結が見えた戦いに、リオンは内心で小さく息を吐いたのだった。

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