衝突
「果たして神の愛とやらは、あんた達を守ってくれるかな?」
リオンを取り囲んでいたバレアスの兵達の頭上に、裁きの雷のように無数の矢が降り注ぐ。
「――っ!?」
リオンへ刃の切っ先と戦意を向けていた兵士達から、驚愕の声が上がる。
そんな驚愕と混沌が支配する戦場へと変わった場を視界に入れながら、リオンはわずかにマクレア達から距離を取る。
「落ち着きたまえ! 追撃を警戒しつつ、無事な者は怪我人の手当てを!」
咄嗟に抜いた剣で矢を防ぎながら、マクレアが部下に指示を飛ばす。しかも周囲の部下を守るために、風の魔法まで発動している。そしてそんな中でも、距離を取ったリオンへの警戒を外さないところからも、やはりマクレアの実力の高さが窺えた。
リオンを取り囲んでいた兵士達はある程度臨戦態勢だったため、自身でも剣や魔法で防ぎ、あるいは回避できていた。
だがそれ以外のキャンプ準備をしていた連中などは完全に防ぎきることは難しく、その体にあちこちに矢が突き刺さっていた。
「驚いたよ……いつの間に攻撃指示を?」
マクレアが驚嘆と感心を含んだ表情で肩を竦める。
リオンが姿を見せてから――いや、それ以前からもリオンの所作に対して警戒を怠ってはいなかったのだろう。それでも会話の最中に、それも何の前触れもなくあれだけの攻撃が飛んでくるとは考えが及ばなかったようだ。
「さぁな? あんたの大好きな神様にでも聞いてみたらどうだ?」
森の端にまで下がったリオンが、敵を挑発するように肩を竦めてそう嘯く。
リオンの背後の森の中には、闇魔法で隠れたファリンが待機しており、リオンがマクレアの話を遮るように右手を上げたのを合図に、さらに後方に控えていたビースト達に指令を出していた。そして敵が攻撃態勢を整えるのと同時に、矢が一斉掃射されたというわけだ。
「さぁどうする? こちらの迎え撃つ準備が万端なのは見ての通り。すぐにこの島を去らない限り、裁きを下されるのはあんた達の方になるぞ」
殺気立つバレアス陣営。リオンは余裕の笑みを浮かべて森の奥へと後退していく。
「――!」
言葉はわからずとも、リオンが自分達に敵対したことは理解できたのだろう。バレアスの兵士達が鋭い声を上げて追いかけてくる。
「待ちな――っ!」
マクレアが先走った部下を制止すべく口を開く。だがそれは新たな矢によって妨害された。
冷静さを欠いた兵達が森の中へと誘い込まれていく。
(追手は八人。一小隊、いや分隊ってところか。もう少し欲しかったところだが……まぁ贅沢も言ってられないな)
敵の動きを把握しつつ、リオンはバレアスの追手が自分を見失わない程度の速度で後退を続ける。
森の中は、地上では見慣れない樹や草花が生い茂っている。リリシア先生の訓練や、冒険者としての経験から、森での戦いに慣れているリオンには何の問題もない。だが、重い金属製の防具を身に着けたバレアスの兵にとって、この環境下での進軍は困難だ。その敵の数も多い。進行速度にもバラつきがあり、全く連携が取れていなかった。
それでも兵達は愚直にリオンの背中を追ってくる。
だがバレアス兵も、ただがむしゃらに追ってくるだけではない。
途中、リオンの行く手を遮るように魔法を放ってくる。
それらを時には回避し、時には刀と魔法で撃ち落としていくリオン。だがその数の多さから、対応に追われているうちに徐々に距離を詰められていく……
……かに見えるが、そんな苦し紛れの魔法に苦戦する程、リオンは未熟ではない。
「――――! ――――――っ!」
距離が近づくにつれ、敵のリーダーらしき人物が笑みを浮かべながら大声を上げた。
その言葉はわからないが、おそらくこの追走劇の勝利が見えてのことだろう。その声を聞いた周りの兵士達からも安堵と喜悦の感情が漏れる。
そして次の瞬間。
リオンの背後で光が爆ぜた。
それは目の前で太陽が生まれたかのような眩さで、リオンを追っていた者達の眼の灼いていく。
「ガアッ!?」
次々に上がる苦悶の声。今の爆発に殺傷力は無いが、閃光を間近で見た者は両眼を押さえて悶える。
中には位置の関係で難を逃れた者もいた。だが突然の事態に動揺し、反応が遅れている。
そしてリオンがその隙を逃すはずもない。
爆発が終わるのを待って振り返ったリオンは、自分の作戦通りに事が運んでいるその光景を横目に周囲へ合図を送る。
直後、草木の陰から何本もの矢が放たれた。
先程の矢の雨のような無差別のものではない。眼を灼かれ、あるいは呆然としている敵の手足を的確に射抜いていく。
中にはどうにか攻撃を回避し、リオンへ反撃を行う者もいた。しかしリオンの間合いに入った瞬間、リオンの新しい愛刀『輝夜』によって剣を根元から斬り裂かれたうえ、両手両足も切り裂かれて動きを止めた。
「……良い感じだ」
手に馴染む感触。鉄の剣をまるでバターのように斬り落とす切れ味。その名の通り、夜空に輝く月と星々のような刀身を眺めて満足気に頷く。
(とはいえ、ちょっと切れ味が良すぎるな……危なく手足を斬り落とすところだった)
オリハルコン製の武器は、素人が適当に振っても岩くらいならば簡単に斬り裂くだけの切れ味がある。さすがに鉄を斬るのは相応の腕がいるが、逆にリオンの腕がなければ、兵の四肢は胴体と永遠にお別れしていただろう。
この戦いでのリオン達の勝利条件は、ギルドの応援が到着するまでの時間稼ぐこと。もしくはバレアスを消耗させ、撤退に追い込むことだ。バレアス兵を全滅させられれば一番だが、それを達成するにはかなりの綱渡りが必要だ。いくらリオン達でも、千人近い兵士全てを相手にするのは厳しい。
指揮官であるマクレアを倒せば相手も瓦解するだろう。しかし一対一なら間違いなく勝てるが、この状況ではそれも難しい。リオンに挑発され頭に血が上ってはいたが、進んで前線に出てくるタイプでもないだろうし、何の利もなく決闘を受けるようなこともしないだろう。
ならば、あえて敵兵を殺さず負傷した状態で放置する。もちろんすぐに復帰不可能な程度のケガを負わせたうえで。敵にその回収や治療を行わせることで、逆に相手方の消耗を狙うのだ。
回復薬も食料も、こんな島では補充もままならない。この世界には回復魔法があるとはいえ、それも万能ではない。重傷であればあるほど治療には時間も魔力も消費する。自身の魔力が尽きれば使えなくなるし、そもそも回復魔法が使える生属性の適性者自体も少ないのだから。
(まぁそれでも厳しいことには変わりないんだがな)
そんな憂いの感情を、刀に付いた血と共に振り落として、リオンは輝夜を鞘に納めた。
「うまくいったみてぇだな」
森の奥の暗がりからジェイグが顔を出した。エメネアへの復讐作戦の際と同じフード付きの外套を纏っている。
「にしても、またとんでもねぇ魔導具を作ったもんだ。隠れてたってのに、危なく目ん玉灼かれるかと思ったぜ」
「直接的な殺傷力が無いだけ、まだマシな方だろ」
「ちげぇねぇ」
別行動中のじゃじゃ馬娘を思い出し、二人で苦笑いを交わす。
先程の閃光爆発はリオンの張った罠だ。
ミリル特性の閃光弾『もう一つの太陽』。
魔力を送ると三秒後に爆発。内蔵された高密度の光の魔石が、強烈な閃光を放つ。
リオンはこの場所に辿り着くまでに、わざと敵に距離を縮めさせた。そしてもう一つの太陽を発動状態にして草木の陰に隠したのだ。
敵の眼を眩ませるだけなら敵の眼前に直接放り投げても良かったのだが、それだと発動までのわずかな間に敵に対処される可能性があった。それに魔導具の形状が相手に知られ、次に使う際の効果が見込めなくなる。
なにより敵が設置型の罠だと勘違いしてくれれば、それだけ進軍を遅らせることができる。時間を稼ぐためには、道具の使い方にも工夫が必要だった。
(まぁ魔導具に頼ってばかりもいられないけどな。数も多くないし)
(ま、そこはリオンの作戦の次第だな。頼りにしてるぜ、相棒)
倒れている敵兵に聞こえない程度の声でぼやくリオンの肩を、ジェイグがバシバシと叩く。気楽に言ってのける相棒に、リオンはイタズラをする子供のような顔で指示を出す。
「なら、その分お前にはキリキリ働いてもらうことにしよう。まずはこいつらの装備を全部奪う。本体はそこら辺に転がしておけ」
「了解。ったく、何が悲しくて野郎の身ぐるみ剥がさにゃなんねぇのか……」
「つまり女なら良いと……お前、それ強姦魔の発想だぞ?」
「さりげなく距離置いてんじゃねぇよ! そーゆー意味じゃねぇから!」
「わかってるわかってる……ティアとミリルに報告しないとな……」
「やめろよ!? 死ぬぞ! 俺の心と体が!」
ティアに哀れみと悲しみの視線を向けられ、ミリルにボコボコにされる未来が見える。確かに、二通りの意味で殺されそうだ。
そんな感じにリオンにツッコみつつも、作業の手は止めずにジェイグが敵の装備を剥がしていく。
「まったく、マリアンヌという相手がいながら……」
「それもやめい! だいたい、あいつとは何の関係も――」
ヒュッ! ザクッ!
ジェイグの顔の真横を矢が通り過ぎた。
「……マリアンヌは作戦に参加してないよな?」
「……アイツだったら、弓なんか使わず特攻してきてるよ」
飛んできた矢は、ジェイグが作ったものだ。なのでジェイグの発言にマリアンヌが怒ったのかと思ったのだが……確かにあの森長の娘なら、矢よりも先に手が出るだろう。
では誰が? とリオンが首を捻っていると、ジェイグが大きなため息を吐いた
「知らねぇのか? あいつ、村の男達からスゲェ人気なんだぞ」
意外そうに眉を持ち上げるリオン。だがすぐにそうでもないか、と首を振った。
ビースト達は何事も、強さを基準に考える傾向がある。それは男性選びにおいて顕著だが、どうやら女性の方も同じらしい。
「ジェイグがそんな人気者の心を射止める、か……早くミリルとアルにも教えてやりたいな」
「三人でからかう気満々じゃねぇか……チクショウめ……」
装備を奪い終わった兵士を適当に放り投げて、ジェイグがぼやく。二人が戻ってくれば、リオンがバラすまでもなく知られることだ。そう遠くない未来予想図に、ジェイグがますます疲れたように肩を落とすのだった。
聖バレアス教国、浮遊島キャンプ。
中隊長以上の階級の者が集うテントにその報告がもたらされたのは、黒髪赤眼の冒険者との邂逅からおよそ二時間後の事だった。
「森へ入った隊員は全員重体か重傷で、現在治療中。装備も全て奪われました」
「何たるざまだ……」
円卓を囲んでいたうちの一人が、頭を抱える。全滅した隊の上官に当たる男だ。
あの冒険者が森に逃げ込んでから、さらに二つの分隊が偵察のために森へ入った。だが結果は今の報告に会った通り。森の中に張り巡らされた罠にはまり、全部で二十四名の兵士が返り討ちにあった。
報告をしているのは、最初に冒険者を追った隊の一人だ。幸いすぐに動ける程度の傷だったので、こうして報告のための呼び出しを受けることになった。もっとも右足の健と左肩、脇腹を射抜かれているので、しばらく戦線復帰は難しいだろうが。
「敵に関する情報は?」
「それが……あの黒髪赤眼の男の他にもう一人、男がいたのはわかっているのですが、それ以外の仲間については確認できていません」
「たった二人にやられたのか!?」
椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった中隊長の一人が、円卓を乱暴に叩いた。
兵士がその身を小さく縮める。
「い、いえ、敵は他にもいたのですが……突然の閃光に視界を奪われ、敵の姿は確認できず……」
「閃光だと……赤眼男の魔法か?」
「いえ、敵が使用した魔導具のようです。あの冒険者が魔法を発動する素振りはありませんでしたし、また、敵二人がそう言っているのを聞いた者がいます……」
魔導具と聞いた幹部達が、揃って苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
バレアスでは金属だけでなく魔石の発掘量も不足しているため、他国に比べて魔導具技術がかなり劣っている。国内で開発されている戦闘用魔導具の種類も少ない。それにここ数年は、国内の魔石のほとんどは魔空船の製造に使われてきた。おまけに自国内では戦争も少ない。兵士は魔物との戦闘経験はそれなりにあるが、それに比べて対人、対魔導具への対処能力に難があった。
「魔導具の形状を見た者は?」
男が力なく首を横に振る。
兵士二十四名と装備を失い、得られた情報はわずか。その場の全員が、渋面を浮かべて押し黙ってしまった。
「そう悲嘆する程でもないさ」
そんな重苦しい空気を吹き飛ばすように、やけに軽い調子の声が発せられた。
テントの一番奥。円卓を囲む椅子の中で最も質の良いものに深く座ったマクレアが、ひじ掛けに頬杖を突きながら薄い笑みを浮かべる。
「確かに、失ったものは大きい。でも、得たものが全くないわけじゃあない」
「得たもの、ですか……」
戸惑いの声を上げる部下をよそに、マクレアは報告をしていた兵に視線を向ける。
「いくつか確認するけど、まずキミ達が襲われたのは森に入って十分後くらいであってる?」
質問の意図を理解できない様子だが、マクレアの有無を言わせぬ視線に、兵士は黙って首肯する。
「その時の彼とキミ達との距離は?」
「か、かなり接近していました……おそらく十メートルもなかったかと」
「その魔導具が発動したときの位置は? 彼とキミ達、どっちに近かった?」
「我々です」
意図もわからず投げかけられる質問に、周りの幹部連中が顔を見合わせる。
そんな周囲の困惑を意に介した様子もなく、マクレアは「ふむ」と腕を組む。そして少しの沈黙の後、ニッコリと笑みを浮かべて両手を叩いた。
「うん、わかった。報告ご苦労様。戻って休んでいいよ」
「え、あ、はい、失礼致します」
呆気にとられながらもどうにか敬礼を返して、兵士はテントを後にした。
「司教?」
退出する兵士の背中をしばし呆然と見送った後、マクレアの一番近くにいた者が声をかける。
「追いつけるはずがないんだよね」
「………………えっ?」
しかしそんな問いかけに返ってきたのは、まったく脈絡のない呟きだった。声をかけた方が反応に窮するほどに。
「いやね、あの子らの実力から考えると、とてもじゃないけど彼に追いつくのは不可能なんだよ。だって彼、強いから。それも物凄く、ね」
軽い口調でそう話すマクレアだが、最後の一言だけは重さが違った。それに気付いた幹部達は、一度唾を飲み込んだあとで恐る恐る口を開く。
「司教がそこまで仰るほど、ですか」
「うん。というか、ぶっちゃけボクより遥かに強いね」
あっけらかんと……だが、周りに座る彼らからしてみれば驚愕の一言を口にする上官に、誰もが言葉を詰まらせる。
「いや~ホント、会ったのがこっちの陣地内で良かったよ。一対一で敵対なんて、絶対にしたくないね」
死にたくないし、と言葉の物騒さとは真逆の口調で、マクレアは笑えない感想を口にする。
「そもそもあんな入り組んだ森の中で、身軽な冒険者と鎧を着た兵士が競争して勝てるはずもないし。それがもう少しで追いつける距離まで近づけたってことは、まんまと誘い込まれたってことだね」
追いつかれそうになったので魔道具で難を凌いだのではなく、巧みに敵を誘い込み撃退した。マクレアの指揮を妨害したタイミングも絶妙だった。敵は強者であると同時に、策略家でもあるということだ。
そして森に仕掛けられた罠の数々。偵察隊は罠もしっかり警戒していた。にもかかわらず敵は隊員全員を出し抜いて、隊を全滅させたのだ。二級の冒険者というのがどれだけのものかはわからないが、かなりの手練れということは間違いないだろう。
順調にいくかに思われた浮遊島上陸作戦に、思わぬ障害が発生した。幹部連中が重い溜息を零す。
そんな中、総大将であるマクレアは特に気落ちした様子はなかった。円卓に両肘を突き、両手に顎を乗せ、「でもね……」と話を続ける。
「巧みに誘い込んだあの子らを、彼――いや、仲間がいるだろうから彼らか。とにかく敵は殺しも捕らえもせず、装備だけを奪って放置した。何故だと思う?」
「我らの消耗を狙ったのではないかと。戦地では、重傷者はお荷物になりますから」
「じゃあ、どうして相手はそんな戦術を選ぶ必要があるのかな?」
続いた問いに幹部達の誰もが口を閉ざす。
「おそらく現状、あの冒険者達にはこちらを倒せるだけの戦力が無い。だからギルドとやらに応援を頼んでいるんだね。でもその応援が来るまでには、きっとまだ時間がかかると考えられる」
「つまり、奴らの目的は時間稼ぎだと?」
その通り、とマクレアが発言をした中隊長の一人に微笑んだ。
「あと、武器や薬も足りていないのかも。装備を奪ったのは、こちらの戦力を奪うだけでなく、それらを補充する目的もあったんじゃないかな」
最初の奇襲に使われた矢の中には、動物の骨や石を加工したものも含まれていた。いくらバレアス兵の防具のほとんどが青銅製とはいっても、そんな材質では強度が足りない。だが敵に加工技術を持った者がいるなら、奪った金属を流用することができる。
「とはいえ、相手の使った閃光弾は厄介だね。発動タイミングの良さから、おそらく魔力起動式の罠だろうけど……他にもいろんな種類の罠があって、しかもそれが森のあちこちにあるとしたら、進軍は遅れざるを得ない」
「ですが、こちらは時間をかけるわけにはいかない……確かに、厄介ですな」
「ならば亜人共を先行させて囮にするのはどうでしょう?」
「捕まった奴隷共が敵側に付いたらどうするのだ!?」
奴隷の亜人達は、首輪の魔術によって魔力を、枷によって肉体を封じている。ゆえに、自分達に逆らうことはできないが、それはあくまでこちらの手の内にいる間だけだ。敵の手に渡り、それらの拘束を外されれば、自分達に反感を持つ亜人達は間違いなくこちらに牙を剥くだろう。
「では、犠牲を覚悟で突破するか?」
「それこそ敵の思う壺ではないか!」
「魔空船で空から攻撃をするというのは?」
「我々はこの島に資源を求めてきたのだぞ! 砲弾や魔石を闇雲に消費すれば、この島を確保する意味が無くなる!」
いくつもの意見が飛び交うが、有効な策はなかなか浮かばない。会議は踊る、されど進まずとでも言うだろうか。
やがて考えに煮詰まり、誰もが頭を捻り、あるいは抱え、口数も減ってきたところでマクレアがポンと両手を叩いた。
「なら、いっそこの森丸ごと焼き払っちゃおっか」
「…………………………は?」
サプライズパーティーの企画でも思い付いたような表情で、マクレアはそう告げた。
その場でそれを聞いている者達は、揃って口と目を丸くした後、間抜けな声を漏らす。
戦争において、火攻めというのは非常に有効かつ強力な手段である。歴史の上でも、数多くの戦でそれらの手段が用いられてきた。だが状況によっては逆に自分達の首を絞める結果にもなりかねないし、道徳や環境的な観念から言っても、それを用いるにはそれ相応の覚悟が必要だろう。
この浮遊島は、大地のほとんどが森で覆われており、それ以外の箇所も草花が生い茂っている。例外は、北方に位置する裸の山々だけだ。
つまり、森を焼き払うということは、この島に棲む生物全てを殺しつくすことを意味する。いくら人間至上主義に汚染された連中でも、さすがに初手でそれを選択するのは躊躇いがあった。
そんな幹部達の戸惑いの反応を、しかしマクレアは不思議そうに首を傾げて見回す。
「だって、ボクらが一番欲しいのはこの島の鉱物資源だよ? どのみちいずれは拠点を広くするために森は切り拓くんだし、それなら今のうちにさっさと焼き払っちゃってもよくない?」
「で、ですが、この島の亜人共を奴隷にするつもりだったのでは?」
「まぁできればそうしたかったんだけどねぇ。背に腹は代えられないし。それにさっさと占領しておかないと、彼らのお仲間が来てもお迎えできないしね」
冒険者ギルドは、非加盟国から加盟国への不当な侵略行為には武力をもって介入する。それはギルドと国が結ぶ憲章にも記載されているルールだ。もちろん国から正式な要請があればの話だが。
しかし逆に、ギルドは加盟国を守りはするが、国の侵略行為には一切加担しない。それは加盟国から非加盟国への侵略でも同様だ。また加盟国同士の争いにも関与はしない。
ギルドは加盟国に対しては平等が絶対原則である。そのルールを犯せば、ギルドの存在は国家間の火種になりかねない。
それらのルールについては、以前ギルドの交渉人が来た際に説明を受けており、マクレアも一通り把握している。
現状、この島はまだバレアスの完全な占領下になってはいない。この状態でギルドの応援が来れば、リオン達がこの島の住人と協力関係にある以上、この島はギルドの加盟国――あるいはそれに準ずる地域となるだろう。そうなればバレアスも退かざるを得ない。
だがもしバレアスがこの島を完全に支配下におけば、この島はバレアスの領土となる。そうなれば侵略行為を禁じているギルドとしては、この島に直接的な干渉はできない。もちろん交渉などの間接的な手段での接触は続けてくるだろうが、そんなものは後でどうとでもなるだろう。
「まぁこちらに延焼しないよう注意は必要だけどね。あの冒険者君とそのお仲間はその程度じゃ死にはしないだろうけど、一度炙り出しちゃえば数で押し切れるさ」
まだ躊躇した様子を見せる幹部達に悪魔が囁くように話を続けるマクレア。穏やかながらも有無を言わせぬ笑みに、反論を口にできるものは一人もいなかった。
「じゃあ神を愚弄した異教徒達と、神の子であるボクらに逆らう愚かな亜人共に裁きの炎を……」
この会議から一時間後、バレアス兵の手によって森に火が放たれた。
数十カ所から同時に燃え上がった炎は、風属性持ちの魔法によってさらに勢いを増す。
浮遊島特有の見慣れない、けれども生物学的に大きな価値のある動植物たちを飲み込んで、炎は地獄の業火のように一気に燃え広がっていくのだった。