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聖バレアス教国

「わりぃ、遅くなった」


 合図から半刻程経った頃、ジェイグが集合場所に駆け付けた。すでに準備を終えている仲間達を見回して、ジェイグが右手を顔の前に挙げて謝罪する。


 ちなみにこの場にファリンはいない。リオンの指示で魔空船着陸地点へ偵察に行っている。


「子供達は?」


 事情は理解しているので遅刻に関しては触れずに、リオンは話を変えた。


「“チビ達”は全員村に送り届けた。おめぇの言う通りにちゃんと言い聞かせたから、こっちに来ることはねぇだろうよ」

「……そうか」


 報告するジェイグの顔を鋭い視線でしばし見つめた後、リオンは小さく息を吐いて頷いた。そのまま特徴的なその赤い瞳を、雲一つない青空へと向ける。


 戦いを前にしたリオンの態度としてはどことなくはっきりしない。ジェイグが怪訝そうな顔で首を傾げる


「何かあったか?」

「いや、悪い、気にするな……まぁ予想通りの展開になったな、と思ってな……」

「ん?」


 珍しく歯切れの悪いリオンに、傾げた首の角度を深めていくジェイグ。ジェイグを見る赤い瞳には、わずかに憂いの色が滲んでいる。


 だがリオンがそれ以上は何も言わずに踵を返すと、近くで待機していたビースト達の元へ向かった。


 ジェイグもいつもと異なる様子のリオンに傾げた首を逆側へ捻り、傍にいたティアへも視線を向ける。だがティアもリオンの変化には気付いているだろうが、心当たりは無いようだ。小さく首を横に振る。


 大事な戦いを前に懸念は残しておくべきではない。しかし黒の翼メンバーからのリオンへの信頼は絶対だ。少々の懸念事項など、その信頼の前では霞んでしまう。リオンが言う必要が無いと判断した以上、それ以上の追及をすることも無かった。


 程なくして、偵察に行っていたファリンが戻ってきた。相手の人数や装備、様子などを詳細に伝えていく。


 一応、魔空船が見えたという合図の直後、リオンの方でも確認したらしいが。森の中にいても“天脚”を使えば、空へ飛びあがって魔空船を視認することは可能だろう。


「さて、念のため確認しておくが、さっきこの島の西に着陸した船のうち一台は、以前にあんた達が見たものと同じで間違いないんだな?」

「ああ、間違いないよ」


 ファリンの報告を聞き終わったリオンが、周りにいたビースト達に問いかける。その問いには、魔空船の発見者だろう犬顔のビーストが答えた。


 無いとは思うが、前回来ていたという連中が実はバレアスではなく、今回の五機の船は偶然この島に辿り着いたという可能性もあった。今のビースト達の答えで、その可能性もなくなったが。


 リオンはその答えに頷くと、集合していたビースト達を見回すように顔を動かしながら話を続ける。


「先程、俺達の方でも確認した。船の数は五機。敵の数は間違いなく千を超えるだろう。船の先端にバレアスの国旗と同じ印が描かれていた。間違いなくバレアスの船だ」


 リオンが言った敵の数は、あくまで敵兵の数だ。調査や鉱物の採掘が目的である以上、乗員全てが戦闘員ではないだろう。


 対して、こちらの戦力はビースト達が二百人ほど。敵の五分の一にも満たない。そのうえビースト達は魔力を持たない。正面からぶつかれば、待っているのは一方的な蹂躙だ。


 また、いくらリオン達の実力が飛びぬけているとはいえ、千の敵を相手にするのは困難だ。せめてこの場に、対集団戦や罠の扱いが最も得意なミリルがいれば状況は変わったかもしれない。だがミリルはギルドの応援を呼びに行ってまだ戻っていなかった。ミリル以外の仲間が魔空船を操縦できれば、ミリルを残すことができたのだが……それも今更の話だ。


「では事前の話通り、まずは俺が奴らとの交渉に出る。その交渉が決裂した場合は、奴らを地点一まで誘い込む。あんた達はさらに後方で待機だ」


 人間を、それも一国の代表とも呼べる相手のため、問答無用で攻撃するわけにはいかない。相手がギルド非加盟国で、ギルドとも色々と問題を抱えているとはいえ、事前の話し合いもなしに攻撃を仕掛ければ、国際的なギルドの立場も、ギルド内での黒の翼の立場も悪化しかねない。


 とはいえ、その交渉が上手くいくとはリオンも他のメンバーも考えてはいないが。そもそも“交渉”以前に、“意思疎通”ができるかどうかも怪しい。仮に“言葉”が通じたとしても、“話“が通じるとは限らない。


「あんた達の役目は、あくまで遠距離や死角からの陽動と攪乱。可能な限り奴らの視界には入るな。迎撃は俺達がやる」


 魔法の使えないビースト達を敵の前に出すわけにはいかない。どんなにビースト達の身体能力が高かろうと、魔法で身体強化を施した者には敵わないのだから。


「罠や攻撃のタイミングはなるべくこっちで指示するが、俺達の戦闘中に敵が散開したり森を迂回しようとしたり時は、各々の判断に任せる」


 ダルルガルムが率いるビースト達に、リオンは淡々と指示を出す。その後ろ姿には先程までの憂いの気配は感じられなかった。


 気のせいではないだろうが、気にするほどのことではなかったのだろう。その背中を前に、些細な心配など霧散していった。


「最後になるが、勇ましく戦うことも大事だが、まずは自分と仲間の命を最優先に行動しろ。俺達もそうする。生きていれば、いくらでも挽回の可能性はあるんだからな」


 一度全体を見回してから告げたリオンの言葉。それは共に戦うビースト達を慮ってのものだが、以前のリオンの忠告を聞いているジェイグからすれば別の意味にも聞こえた。


 ――状況が不利になれば、赤の他人よりも家族の命を優先する。


 それはリオンの信念であり、いざその時になればリオンは迷わずビースト達を見捨てるだろう。ジェイグもそれは理解しているし、納得もしている……はずだ。それでもリオンのようにはっきりと割り切れないのが、自分の弱さなのだろう。


「では、各自持ち場に付いてくれ。無事を祈る」


 リオンの号令に従い、各所に散っていくビースト達を横目にジェイグはモヤモヤした気持ちを拭えずにいた。








 バレアスの船団は、以前発見した魔術陣が残っていた場所に着陸していた。森に覆われたこの島の中で、魔空船が着陸できる場所は少ない。リオン達が上陸した場所も使えるが、五機もの船を泊められるほどの広さはなかった。


 リオンは、ファリンと共に森の中に身を隠しながら、彼らの様子を伺っている。


 バレアスの連中は現在、船の近くにキャンプの準備をしているらしい。船の中でも生活できるだろうが、外に見張りは必要だろうし、調査隊の拠点も必要だ。


 この島を発見した時の位置と、太陽の位置、さらには島の外縁から何度か確認した地上の様子から計算すると、現在位置はペルニカ大陸とアフィリア大陸の間の海域だろう。いくら魔空船の足が速かろうと、バレリアからこの島まで数日はかかる。その間ずっと船の中にいたとなると、彼らも何日かは外で過ごしたいだろう。


 また拠点設営と同時に、兵士らしき連中は武器などの用意を始めている。その数は三十人程。全体の数から考えて、おそらく彼らは先遣隊なのだろう。このあとすぐにでも森に入ってくるかもしれない。


「数は想定内。練度は……まぁまぁだな」

「エメネアの兵と比べると、少し装備が貧弱な感じがするニャ」


 敵の戦力を冷静に分析する二人。全ての兵士を確認する事はできないし、もちろん個人差もあるが、ここから見た限りではバレアス兵の実力は決して高くはないと感じられた。


 一般兵士の剣は鉄と魔鉄の合金のようだが、鎧は鉄製の急所部分を除いてほとんどが青銅で作られている。さすがに指揮官クラスの武具になるとグレードは上がっているが、ファリンの言う通り、確かに装備は質が悪い。


「鉱物資源が不足しているらしいからな。そこまで回していられないんだろう」

「世知辛いニャ」


 よく見ると、彼らが乗って来た魔空船の内、四機は鉄と魔鉄の合金のようだ。残りの一機は一般的な魔空船に多い、ミスリルと魔鉄の合金製だ。


(もしかしたらあれが、ギルドから奪った船なのかもしれないな)


 気にはなるが、今は戦力の分析が先だ。リオンは思考を切り替えて、視線を船から人へ戻す。


 と、その時。


「――っ!」


 キャンプの奥の方から、大きな声が聞こえてきた。


「――――っ! ――――――――っ!」


 テレパスは使っていないらしく、何を言っているかはわからない。だが声のトーンからは怒りの感情がこもっているのはわかった。


「ずいぶん怒ってるニャ~」

「新人がヘマでもしたかな」

「あんなに怒鳴ったら、頭の血管がプッツンしちゃうニャ」

「それはいいな。敵の上官が一人減る」


 そんな軽口を交わしながら、二人は声の聞こえる方へ目を凝らす。


「…………」


 そして目に入った光景に、同時に口を閉ざした。表情も完全に消えて、視線が温度を失っていく。


「――――っ! ――――――っ!」


 貧相な装備を見る限り、怒鳴り声を上げているのはただの一般兵だ。年も若い。おそらく軍内での階級は下から数えた方が早いだろう。


 そんな下っ端が怒鳴り声――あの剣幕を見るかぎり、あれは罵声だろう――を浴びせているのは、地に倒れ伏す猫獣人の青年だった。


 やせ細った体に纏っているのは服とも呼べないようなぼろ布だけ。首には魔術の施された首輪――おそらく魔法を封じるモノ――が、足には鉄球付きの足枷が取り付けられている。全身は泥と垢に塗れ、痣や傷だらけだ。獣人の特徴である猫耳の片方が欠け、尻尾は半ばで千切れてしまっていた。


 その痛々しい姿に、リオンは改めてバレアスでの亜人の扱いを思い出す。


 間違いない。あの獣人の青年は、奴隷だ。


 青年の足元には、武器の納められた樽があり、中身が地面にぶちまけられている。おそらく青年が運んでいて、誤って落としてしまったのだろう。彼の体格を考えれば、あの大きな樽は文字通り荷が重すぎる。責められるべきは彼にあの荷を任せた者の方だと思うが、そんなことは関係なく、兵士は奴隷の青年に罵声を浴びせ続ける。


 よく見れば、青年の周囲には同じ格好をした獣人が大勢いた。だが彼らは、同胞である青年を庇うことなく、むしろ怒りの矛先が自分に向かないように無関心を装い、自分達の作業を続けている。


(完全に心を折られている……いや、これが彼らにとって“当たり前”である以上、最初から反抗心など無いのか)


 リオン達が育ったエメネアには身分制度はあれど、奴隷に身を落とすのは犯罪奴隷くらい。それも鉱山や遠洋漁業など、危険かつ特殊な場所にしかいなかった。これまで訪れた国も同様であったため、奴隷を見ること自体、初めての事だった。


 リオンの視線の先で、罵声を浴び続ける青年が、弱々しく地に手を突いて顔を上げる。


 その顔は青白く痩せこけていて、一目で栄養が足りていないのが分かる。目には生気が感じられない。兵士に殴られたのだろう。その頬には殴られた跡があり、口の端からは血が流れていた。


「――――っ! ――――――――――――――っ!」


 立ち上がれない獣人の青年に、兵士はさらなる罵声と共にその腹を蹴り上げた。仰向けに転がった青年に、兵士はさらに追い打ちをかけるようにその細い体目掛けて足を振り下ろす。


 さすがにやり過ぎだと思ったのか、近くにいた他の兵士が二人に近づいていく。奴隷であろうと労働力には変わりない。自国内でならともかく、未開の地である浮遊島で、働き手を無駄に潰すことはないだろう。


 そう考えていたリオンだったが、即座にその考えが甘いものだったと思い知ることになる。


「――――、――――――」

「ハハッ、――、――――――」


 短い会話。そしてその直後、近づいてきた兵士二名が獣人への攻撃に加わったのだ。


 最初の一人と違い、あとの二名の表情に浮かぶ感情は、“愉悦”。見るに堪えない暴行を加えながら、嗜虐的な哄笑を上げているのは、言葉が分からなくとも理解できた。


(……想像以上に酷いな……ファリンを連れてくるべきじゃなかったか)


 同族――それもファリンと同じ猫科の獣人が、種族を理由に目の前で理不尽な虐待を受けている。その衝撃は、リオンが感じるものよりも遥かに大きいだろう。それを表すように、いつもは天真爛漫なファリンがその愛らしい顔を悲痛に歪め、震える手が縋りつくようにリオンの黒コートを握りしめている。


 本当なら今すぐにでも止めたいところだが、状況がそれを許さない。そもそも彼らからしてみれば、国民の一般的な価値観に基づいた行動だ。誰も彼らを止めようとしないのが

その証拠である。リオン達からしてみれば非人道的な行為でも、他国の価値観にまで口を出せる立場ではない。


 そのためリオンは、気を落ち着かせるようにファリンの頭を優しく撫でる。


 ファリンは揺れる金色の瞳でリオンを見上げていたが、少しして落ち着いたのか、もう大丈夫だと言うように小さく頷いた。その表情にはまだ微かに翳りがあるが、作戦に支障はないだろう。


「じゃあ予定通り、交渉に行ってくる。ファリンはここで待機していてくれ」

「ん……わかったニャ」


 最後にポンポンとファリンの頭を軽く叩いて、待機指示を出す。


 元々、ファリンは交渉決裂時に真っ先に陽動をするために連れてきたのであり、交渉はリオン一人でするつもりだった。亜人差別のあるバレアスを相手の交渉に、獣人のファリンを同行させるつもりなどない。それに最初から決裂が前提の交渉だ。ならばわざわざこっちの戦力を相手に教えてやる道理はない。


 見送るファリンの視線を背中に感じつつ、リオンは森の中を駆け出す。すぐに出て行かないのは、待機しているファリンの位置を気取られないようにだ。


 そうしてキャンプ地を迂回するように数分程走った後、一番質の良い装備をした兵士を見つけたリオンは足を止めた。


 白塗りされた鎧はおそらく純ミスリル製。腰に帯びた剣の材質はわからないが、柄にはめられた魔石を見る限り、かなりの業物だと推察できる。周りの兵士が準備に駆け回る中、用意された椅子に悠然と座っているところを見る限り、軍の中でもかなり高い地位にいるのだろう。


 やや黄色味の強い黄金の髪を全て後ろに撫でつけ、薄く笑みを貼り付けた顔は端正と言うことを迷わないほどに整っている。だがわずかに細められた目からは、どことなく蛇のような印象の光が感じられた。


 外見だけを見ると、生まれ持った身分だけで地位に着いたボンボンに見えなくもないが、実力は決して低くはない。もっともリオン達に比べれば、やや劣るのだが。


 その男がリーダーかどうかはわからないが、少なくともそれに近い人物だと当りを付ける。


(さて、まずは相手がどう出るか……)


 さすがに問答無用で攻撃されたりはしないと思うが、言葉が通じないため相手の反応が分からない。一応予備のテレパスを持ってきてはいるが、素直に着けてくれるとも思えなかった。


 とはいえ、行くしかないのは変わらない。リオンはギルドカードとテレパスを手にすると、相手を刺激しないようゆっくりと森の外へと歩き出した。


「――――!?」


 森から姿を見せてすぐに、剣を構えた兵士によってリオンは取り囲まれた。一応、両手を上げて近づいたので、問答無用で取り押さえられることはなかった。


「――――! ――――――――!?」


 正面に立った兵士が大声で何かを言っている。


 十中八九、誰何の問いかけだろうと、リオンはギルドの紋章が見えるようにカードを掲げた。ギルド非加盟の国だが、兵士の中にはもしかしたら紋章に覚えのある者がいるかもしれない。


 そんな期待をしていたリオンだが、周りの兵士はギルドカードへ一度目を向けて困惑の表情を浮かべるだけだ。


 それならばと、今度は逆の手でテレパスを差し出す。


「これが何かわかるなら、身に着けてもらえると助かるんだが」


 言葉が通じないことを示すように、あえてペルニカ語で話しかけるリオン。テレパスはギルドが世界に広めたモノだが、魔空船と一緒にバレアスの手に渡っているかもしれない。


 しかし今度の思惑も不発だったらしく、相変わらず返ってくるのは困惑と疑念、それと警戒の感情だけだ。リオンが下手な動きをすれば、すぐさま襲い掛かってきそうな雰囲気である。


(やれやれ、手荒な真似はしたくなかったが……まぁ仕方ないか)


 こうなったら最終手段。テレパスを発動状態で強制的に押し付けようかとリオンが身構えたところで――


「引きたまえ。彼とはボクが話をしよう」


 リオンの耳に、はっきりと意味の分かる声が届いた。


 直後、リオンの正面にいた兵士が道を譲るように横へ移動すると、後から先程リオンが見つけたリーダーらしき装備の兵士が歩み出てきた。


「ボクの名は、マクレア・ドルフレイゲン。偉大なるバレアスティグル神に仕える司教だよ。それと同時に、国に三人しかいない聖騎士の一人でもある。以後お見知りおきを」


 芝居がかったような仕草で右手を胸に当て、恭しく一礼をするマクレアと名乗る男。どうやらバレアスでは、軍関係者にも教会内での役職が与えられるらしい。


 口元と耳に届く音が明らかに合っていなかったにもかかわらず、彼の言葉の意味ははっきりと理解ができた。そしてマクレアの言葉で周りの兵士達が戸惑うことなく身を引いたところを見ると、彼らにもマクレアの言葉が理解できたということでもある。彼がテレパスを身に着けていることは間違いないだろう。


(テレパスの存在や効果は、部下も知ってるのか)


 周りの連中にマクレアの行動に疑問を抱いたそぶりが無いので、そう推察する。もっともリオンがテレパスを見せても反応がなかったので、実物は見たことがないのかもしれない。


「冒険者ギルド所属パーティー、『黒の翼』のリーダー、二級冒険者のリオンだ」


 相手に名乗られたので、礼儀としてこちらも名乗り返す。とはいえ今回の交渉では下手に出るつもりはないので、敬語はなしだ。


 リオンが二級冒険者と聞いても、マクレアに大した反応はなかった。ギルド非加盟国の人間なので、おそらく意味を理解できていないのだろう。余裕のある笑みを浮かべたまま、底の見えない瞳でこちらを見つめている。


 もしギルド加盟国の人間だったならば、たとえ黒の翼の名は知らなくても、二級冒険者という事実に何らかの反応を返すだろう。敵となる可能性があるならなおさらだ。高ランク冒険者の実力の高さは、敵にとって脅威以外の何物でもない。


 まぁ余裕があるとはいえ、やはり一定の警戒はされているようだ。リオンがマクレアの実力を見抜けたように、向こうもこちらの実力はある程度見抜いているはず。だが自分の実力に相応の自信があるのか、数的に優位な状況だからか、余裕の表情は崩れない。


「それで? その冒険者君が、我が聖バレアス教国の神聖なる地に何の用だい?」


 当然のようにこの島の占有を前提に話すマクレアに、不快感を覚えるリオン。だが、すぐに気を取り直して反論を口にする。


「……ここはあんた達の国じゃないだろう」

「いいや、この地は間違いなくボクらのものだよ。この空は、偉大なるバレアスティグル神のお膝下だ。一月前、この空で、ボクらの同胞がこの地に導かれた。しかもこの地には、ボクらが求める資源が山のように眠っている!」


 始めは落ち着いた口調で話していたマクレアだったが、話を進めるうちにまるで何かに魅入られたようにヒートアップしていく。


「数年前、しもべを遣わし、ボクらを神の御許である空へとお招きくださったことも、全ては神のお導きによるもの! そしてその導きの許、ボクらはこの地へ辿り着いた! すなわち! この地こそボクらの神が、敬虔なる信徒であるボクらの為に与えたもうた新天地に他ならない! 慈悲深き神は、御身のお膝下に敬虔なるボクらをお招きくださったのだよ!」


両手を広げ、興奮した様子で演説を続けるマクレア。その眼からは、打算の色が一欠けらも感じられない。自身が主張する神のお導きとやらを心の底から信じ切っているらしい。


(なんともまぁ……宗教国家とは知っていたが、ここまでイメージ通りだとは思わなかった)


 黙ってマクレアの言い分を聞いていたリオンだったが、不快を通り越して呆れを覚えていた。


 前世も含めて、リオンのこれまで生活は宗教とは縁遠かった。


 前世の日本は、宗教を基にしたイベントは多い。だが、それはどちらかと言えば商業的な意図や、慣習として行うのがほとんどだ。本当に信仰心を持って、それらの行事を行っている人の方が少ないだろう。複数の宗教イベントが混在していることからしても、日本人の信仰心の薄さがわかる。


 今世で生まれ育ったエメネア王国も、あまり宗教の盛んな国ではなかった。一応、国教や宗教上のイベントもある。町には教会などもあるのだが、あまり訪れる人は多くない。そもそも育ての親であるリリシア先生自身が、森の奥の少数部族出身――しかもそこを家出してきた――なうえに、宗教というものに対してあまり良い印象を持っていなかったらしく、黒フクロウの家の子供達は皆、信仰心とは無縁の生活を送っていた。


 そんなリオンにとって、目の前で妄信的な主張を繰り広げるマクレアの姿は、酷く歪んだものに感じられた。別に信仰や宗教を否定はしないが、何事も行き過ぎると質が悪いものだ。


 正直、テレパスによって“言葉”は通じるようになったが、やはり“話”は通じそうにない。今すぐ回れ右して帰りたいところだが、一応形式上、最低限の交渉はしておかなければならないだろう。


「確かに地上の人間としては、あんた達の方が先にこの島に来たんだろうさ。だが、この島には先住民がいる。この島に所有権があるというなら、それはあんた達ではなく彼らの方だろう」


 冷然とした態度でそう主張するリオンに当てられたのか、それまでの熱っぽさが抜けてキョトンとした顔で「先住民?」と首を傾げるマクレア。少し考えるそぶりを見せた後で、首を傾げたまま口を開く。


「もしかして、服を着て剣や弓を使うという獣の事かな?」

「ああ、そうだ」

「キミ達は、あんな魔力も持たない獣も人として扱うのかい?」

「あんた達にはわからなかったかもしれないが、彼らは俺達と同じペルニカ語を話し、意思の疎通が可能だ。技術レベルは低いが、村を作り、仲間や家族もいる。姿形は確かに獣に近いが、そういう種族だと考えれば、彼らを人間として扱うのは特別おかしなことではないはずだ」


 ビースト達が言葉を話すという事実を聞いたマクレアが「へぇ……」と感心したように頷く。


「確かに、キミ達の言っていることが本当なら、彼らも人として見てもいいのかもしれないね」


 人種差別の激しいバレアスの人間なので、リオンの主張を認めないと思っていたのだが、少なくとも目の前のマクレアは納得したような態度を示している。そのことに少しばかり驚きを感じていたリオンだったが、続いたマクレアの言葉に耳を疑った。


「ちょうどいい。連れてきた奴隷がちょっと減っちゃった(・・・・・・)ところだったんだ。現地で補充できるなんて、これも神のお導きだな」


 純粋に、自然に、なんの悪意も感じさせない笑みを浮かべて、口にした言葉。その中に不穏な気配を感じて、リオンが目を鋭く細める。


「減った?」

「ああ。思いの外長い船旅になっちゃってね。狭い船の中で部下達も色々と鬱憤が溜まってたみたいで、奴隷を何人か壊しちゃったらしいんだよ」


 まったく困った奴らだよね~、と、まるで買い与えたおもちゃを壊した子どもの話でもしているような軽さで笑うマクレア。リオンの心が急速に熱を失っていく。


「……殺したのか?」

「うん、そうみたいだね。まぁ仕方ないから途中の海に捨ててきたよ。何人かはまだ息があったみたいだけど、使い物にならなくて邪魔だからソレも一緒に捨てちゃった」


 感情の消えたリオンの声に気付くことなく、マクレアがヘラヘラと笑ってそう続ける。


 彼らの亜人に対する差別意識は、情報として知っていた。先ほどの獣人の青年への扱いを見て、その実態も理解したつもりだった。非道な行いだと心を痛め、怒りを覚えもした。


 その理解がまだまだ甘かったのだと思い知った。思い知らされた。


「さっきも言ったが、ここはあんた達の国じゃないし、彼らはバレアスの国民じゃない。あんた達に彼らを奴隷にする権利は無いはずだ」

「何を言ってるんだい? 亜人は全て、偉大なる神が与えたもうたしもべだよ? しもべの所有物は、主である人間の物。そして最初にこの島に来たのはボクらだ。ならもうこの島もあの獣達も、バレアス教国のものだ」


 前提条件となる亜人の認識。その認識があまりに違いすぎる。


 これ以上、マクレアにビースト達の権利を説いても無駄だろう。リオン個人としては、獣人らへの迫害について物申したいことが多々あったが、今はこの島を守ることが先決だ。


「……浮遊島の占有は、他国と様々な問題や軋轢を生みかねない。ギルドに管理を任せるのが得策だと思うが?」

「ボクらがこの島を手に入れて、余所の国に何の関係があるって言うんだい?」


 空に数多と浮かぶ島々との行き来が可能になり、地上人と天上人の存在がお互いに認知されて十年以上。地上の人々が、遥か頭上を通り過ぎる浮遊島を必要以上に警戒せずに済んでいるのは、冒険者ギルドの存在があるからだ。


 人のいない未開の島は、ギルドが管理し中立地帯とした。そこで手に入れた情報は、加盟国すべてに平等に公開し、資源も正当な値段で市場に流通させる。


 先住民がいる島は、ギルドが交渉し、ギルドへの加盟を進めている。全てが穏便にとはいかないが、それでも浮遊島に住む人々からすれば、広大な地上という新天地との行き来や、地上の情報や技術、資源の流通などのメリットがあることから、ギルドの輪は空にも広まりつつあった。


 その結果、ギルド加盟国は浮遊島からの攻撃をそこまで警戒することなく平和に暮らすことができている。


 だがもし、地上の一国家が浮遊島を占有したらどうなるか。


 島の影から他国の魔空船が飛び出してくるかもしれない。


 島から、攻撃を受けるかもしれない。


 そんな恐怖を、浮遊島が上空を通り過ぎるたびに味わうことになる。浮遊島の高度は、低いもので二から三千メートルほど。そんな高さがあれば、石ころ一つが恐ろしい兵器へと変わる。


 ちなみに浮遊島の下には、何か魔術的な力場が発生しているらしく、島から何かが落ちても地上までは届かないらしい。


 まぁ力場の外まで放り投げれば話は別だが。


「なるほどねぇ。実に興味深い話だ」


 リオンの説明を聞き終えたマクレアが、顎に手を当ててウンウンと頷く。自分達の行為の危険性を指摘された割には、表情に深刻さの欠片もないのは気になるが。


「理解したなら、撤退をお勧めする。あんた達が必要とする鉱物資源なら、ギルドを通せば適正価格で買い取ることもできるだろう」


 もっともそれはギルドへの加盟が前提だが、と付け加えて、リオンが話を終える。


 マクレアはそのあともしばらくの間、同じ姿勢のまま何かを考えているようだったが、やがて結論が出たのか、手を打ち合わせて大きく頷いた。


「そうか、よくわかったよ」


 そう言って満面の笑みを浮かべるマクレア。自分達の思惑が外れたにしてはおかしいその表情に、リオンが警戒心を強める。


 しかし――



「つまり神は、ボクらにこの世界の支配者になれと仰ってるんだ!」



「…………………………は?」


 さすがのリオンも、次に続いたマクレアの言葉には理解が及ばなかった。数秒の思考停止の末に、間の抜けた声をこぼしてしまう。


「……ちょっと待て。今の話からどう転んだらそんなふざけた結論になる?」

「だってそうだろう? 神はその御膝下である空へボクらを招いた。そして新たな奴隷と資源を与えるため、この地にボクらを導いた。そしてそれが他の国の異教徒達との争いの火種になる。ならばそれは、この地で力を蓄え、ボクらの神を信じぬ異教徒達に神の力を示せとの啓示に他ならない!」


 どこか恍惚とした表情で、両腕を広げて空を仰ぎ見るマクレア。その笑みに狂喜の色を感じて、リオンの頬が引き攣る。


「……空へ、招いた? 他人の船を強引に奪っただけだろう」


 この点については、リオン達も他人のことは言えないが、それはひとまず置いておこう。


「違うね。しもべの物は、全て神の子である人間の物だ。神は空へボクらを招くために、しもべである亜人を使ったに過ぎない」

「本当に招かれたっていうなら、そんな回りくどいことしないで、奇跡の一つでも起こしたらどうなんだ」

「そんな奇跡など無くとも、ボクらはいつだって神の愛に包まれている」

「その神の愛とやらの力があれば、世界を敵に回して勝てるとでも?」

「無論だとも。神の子であり、敬虔なボクらを神が見放すはずがない」


 堂々とそう言い切る狂信者の姿に、リオンは話し合いの道を完全に放棄した。元々可能性は限りなくゼロに近いとは思っていた。それが完全にゼロだと理解しただけだ。特に問題は無い。


(まぁ元々戦う心づもりはあったんだ。予想以上に相手の頭のネジがぶっ飛んでいるが、予定通り進めることにしよう)


 なおも神の愛とやらを熱弁するマクレアを前に、リオンが右手を上げた。


 その動作に気付いたマクレアが、顔に疑問の色を浮かべてリオンを見る。


「もういい。やっぱりあんた達には“言葉”は通じても、“話”が通じそうにない」


 マクレアがピクリと眉を動かす。


「あくまでこの島を出て行かないというなら、力ずくでも出て行ってもらうことにしよう」

「……なるほど。同じ人間でも、やはり野蛮な異教徒か……大いなる神の“愛”を感じられないなんて」

「それで結構。そんな神様より価値のある“愛情”なら幸せ過ぎるくらい貰ってる」


 家族や最愛の人の顔を思い浮かべて、リオンはマクレアの言う神の愛を切り捨てる。


 マクレアの顔から表情が消えた。


「では、偉大なる神のご意思に逆らう不届き者に、神の裁きを下すことにしよう」


 静かにそう告げて、マクレアが右手を掲げた。


 それを合図に、周りにいたバレアスの兵士達が剣を上げて、リオンへ切っ先を向ける。


「さぁ、審判の時間だ」


 先程とは違う嗜虐的な笑みを浮かべて、マクレアが攻撃の指示を下すべく右手を振り下ろす――


「あぁ、審判の時間だ。果たして神の愛とやらは、あんた達を守ってくれるかな?」


 ――よりも早く、リオンが口の端を吊り上げて不敵に笑った。


 そして次の瞬間。


 森の中から飛来した無数の矢が、マクレア達の頭上に降り注いだ。

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