ビーストの謎
「さてと、これで一通りの地理は把握できたな」
浮遊島の最果て。空と大地の境目を覗き込んで、リオンが小さく息を吐いた。
黒の翼がこの島にやってきて、今日で一週間。リオン達浮遊島残留組四人は、ビースト達と交流を深めるのと並行して、この島の地理や資源、生態調査を進めていた。
この調査にダルルガルム達森の民は同行していない。魔力を持たない彼らでは、魔法で身体を強化したリオン達に付いてこられなかったからだ。
この島に住む種族——リオン達は『ビースト』と呼称する——は二足歩行し、人語を話すが、身体は虎やウサギなどの動物という不思議な種族だ。もっとも彼らからすれば、リオン達人間や、ファリンやミリルのような獣人の方が不自然極まりないのだろうが。
そんな不審極まりない来訪者であるリオン達だが、一応こうして単独行動が許される程度にはビースト達との信頼関係を築けるようにはなっていた。
現在はこの島の大半を占める森を抜け、外周部をグルリと見て回っていたところだ。一応大地の終端には、ビースト達が誤って島から落ちないよう木製の柵が取り付けられている。リオン達がそこから落ちるようなヘマはしないが、あえて身を乗り出すような真似をするつもりはなかった。
「地図の方は大丈夫そうか?」
「ええ、今朝、彼らにも確認してもらったわ」
ティアが懐から五十センチ四方の紙を取り出して、こちらに渡してくる。この二週間の調査で、リオン達が作り上げたこの島の簡易地図だ。
「じゃあ、この辺りで少し休憩しよう」
リオンがそう号令をかけると、ファリンが真っ先に「ニャー」と楽しそうな声を上げた。ここ一週間、ほとんど森の中で生活をしていたので、遮る物のない陽の下に出られたのが嬉しいのだろう。早速、草の上にゴロンと横になって日向ぼっこを始めてしまった。
そんな妹の姿を見て和んだ後、リオンは手ごろな大きさの石に腰を下ろし、地図を広げる。地図が風で飛ばされないよう、自身の魔法で無風状態を作り上げるのも忘れない。
真っ白な正方形の紙には、この島の地形と集落や魔空船の場所、バレリアの着陸予想地点、さらにはジェイグが調べた鉱脈資源などの情報が書き込まれている。決して見やすいものではないし、距離の縮尺も完璧ではないが、素人が即席で作ったにしては上出来だろう。
もちろん、全ての場所を見て回ったわけではなく、魔空船で上空から見た島の形を基にビースト達の情報で補完した部分も多いが。
「あとめぼしい場所で見て回れてないのは、『禁域』くらいだが……」
地図の最上部、この島の北端に位置する場所を指差してリオンが呟く。
『禁域』とは、ダルルガルム達森の民からそう呼ばれる山岳地帯のことだ。文字通り、その付近一帯は、ビースト達によって立入が禁止されている。理由は、その場所が彼らの祖先がこの地に足を踏み入れた発祥の地だかららしいが……
「やはり少し気になるな……」
「あんなのちょっと高いだけの岩山だろ? まぁオリハルコンの鉱脈でもあるってんなら別だけどよ」
折り畳んだ地図を片手に思案顔のリオン。
その後ろから頭越しに地図を覗き込んだジェイグが、鍛冶師らしい発言を口にした。
ジェイグの言う通り、禁域などと仰々しく呼ばれてはいるが、遠くから見る限りは、何の変哲もない岩山がそびえたっているだけだ。植物はほとんど生えていないらしく、青みがかった岩肌がむき出しになっている。おそらく動物も棲んでいないだろう。
だがリオンが気にしているのは、禁域の外観や生態系の話ではない。
「俺が気になってるのは、彼らの祖先の話だよ」
頭上のジェイグの顔を仰ぎ見るように首を反らして、リオンがそう説明する。
「彼らビースト達の体の構造に不自然な点が多いのはわかるか?」
「ただの動物が人間みたいに歩いてしゃべってんだ。不自然なのも当たり前だろ」
「まぁそれもそうなんだけどな……」
大きな肩を竦めて、こちらの意図とは少々外れたことを言うジェイグに、リオンが苦笑いを浮かべる。
そんな相棒とは対照的に、リオンのもう一人のパートナーは的確にリオンの言いたいことを読み取ってくれた
「リオンが言ってるのは、彼らのちぐはぐな体のことよね?」
ティアの問いに、リオンは短く「正解」と告げて笑った。
一方、まだよくわかっていないジェイグは頭にハテナマークを浮かべて、ティアに説明を求める。
「彼らビースト達の体は、いくつかの部位が他の動物のものと置き換わってる。ゴリラの手に肉球が付いてたり、ウサギのビーストに犬みたいなフサフサの尻尾が付いてたり……まるでその部分だけ、誰かが取り換えたみたいに……」
ティアの言う通り、ビースト達の体は、所々のパーツがベースとなる動物とは異なる動物のものになっている。ビースト達は全部で五百人ほどいるらしいが、リオン達が見た全てのビーストが、誰一人として単一の動物の特徴だけでできてはいなかった。おそらくビースト全てが同じ特徴を持っているのだろう。
「でもよ、親のビーストの血が混ざりあった結果なんじゃねぇか?」
そういえばそうだな……と、顎に手を当ててビースト達の姿を思い出していただろうジェイグが、そんな疑問を口にする。
様々な種の動物のビーストがいる彼らだが、不思議なことに生殖に関しては同種の動物同士じゃなくても問題がないらしい。実際、この一週間で豚とウサギ、虎とサイ、犬と猿など、様々な組み合わせのビースト夫婦を目にしている。
「いや、何組か家族を見てみたが、子供は全て、どちらかの親と全く同じ体の構造をしていたよ」
ジェイグの言った内容は、リオンが真っ先に思い浮かべた仮説の一つだ。当然、すぐに検証した結果、その仮説はすぐに否定された。
「……そういや森長んとこのアイツも、親父にそっくりだったな」
リオンの述べた反証結果から何かを思い出したジェイグが、物凄く渋い表情を浮かべながら、誰にも聞こえないような小さな声でそう呟いた。
だがそんなジェイグの独り言は、地図が飛ばされないよう魔法で風を操っていたリオンの耳に“偶然”届いてしまう。
「アイツ、なんて呼び方は酷いだろう? ちゃんとマリアンヌと名前で呼んでやれよ」
ニヤリと口の端を釣り上げて、リオンはジェイグの顔を見上げる。
独り言を聞かれていたことに気付いたジェイグの顔に、「しまった……」という表情が浮かぶ。
マリアンヌとは、先ほどのジェイグの言葉からもわかる通り、森長の娘。ゴリラのビーストだ。
年は十七でジェイグの一つ下。ちょうどリオンやミリルと同い年の女の子だ。
ゴリラだが……。
ビースト達の成長は人間とあまり変わらないようだが、医療技術などの問題で平均寿命がやや短い分、成人年齢や結婚適齢期は地上よりやや早いらしい。ビーストで十七歳は、結婚適齢期後半といったところだろうか。
そんなマリアンヌちゃんだが、ビースト最強の戦士の娘というだけあって、やはり父のように強く逞しい男が好みらしい。森の戦士の中では、森長と肩を並べられるのはダルルガルムくらいだ。ゆえにマリアンヌも幼いころからずっと彼に憧れていたらしい。
だが、ダルルガルムは現在三十三歳。マリアンヌが物心ついた時にはすでに結婚しており、五人の子を持つ父親である。その感情は『恋』というよりは、『憧れ』というのが正解だろう。
そんな憧れの相手ダルルガルムを、ジェイグは闘儀の舞台で圧倒した。最後はダルルガルムの漢気に絆されたジェイグが、ガチンコの殴り合いを始めた結果引き分けに終わったが、その熱戦は、闘儀から一週間が過ぎた今でもビースト達の間で熱く語られるほどのベストバウトだったらしい。
そしてマリアンヌも、他のビースト達と同じくその試合を見ていた。そんな彼女がジェイグに心を奪われるのは、自然な流れといえるだろう。以来この一週間、彼女はジェイグへ猛アピールを続けている。
普通の人間であるジェイグに、ビーストが恋をしたわけだが、多種多様な動物のビースト同士が番になる彼らの恋愛観では、種族の壁など無いに等しい。むしろゴリラのビーストである彼女は、他のビーストよりも人間の方が種族的には近いのかもしれない。
もっとも、それはビースト側の価値観であって、人間側からすればなかなかに受け入れがたいようで……
「別に恥ずかしがることないんだぞ? ちゃん付けでも呼び捨てでも愛称でも、お前の好きに呼んでやればいい。なんならいっそ『マリアちゃん』とでも呼んでみたらどうだ? 鳴いてドラミングするほど喜んでくれるかもしれないぞ」
「呼ぶか! 怖ぇわ!」
いつものようにからかうリオンに、割とマジなトーンで突っ込みを入れる程、対応に苦慮しているらしい。
まぁだからと言って、攻め手を緩めるようなリオンではないが。
「せっかく恋人ができるチャンスなんだぞ? 男のお前がもっと積極的にいかないでどうする」
「いかねぇよ!」
「あんなに愛されてるのに、何が不満なんだ?」
「その愛情表現がおっかねぇんだよ! 『プレゼントよ』って、熊みてぇにでっけぇクモの死骸持ってくる女いるか!? トラウマになったわ」
「ビーストにとってはご馳走らしいからな。脚が絶品らしいぞ」
「知らねぇよ! じゃあオメェが食いやがれ!」
「まぁ食べても問題ないなら一度試してみてもいいかもな」
「……オメェ、意外とチャレンジャーなんだな」
リオンの意外な食に対する豪胆さに、ジェイグが引いた表情をする。
リオンとしては、ご当地グルメや食材を堪能するのも旅の醍醐味だと思っている。前世でも空好きが転じて、飛行機に乗って海外旅行も何度かしている。日本ではゲテモノとして敬遠されているが、虫を食べる食文化は海外には割と多い。翔太(前世のリオン)も父と一緒にチャレンジしていたため、クモが相手でもあまり忌避感がなかった。
とはいえ今の段階でビースト達の食べる食事を口にするわけにもいかない。ビーストには平気でも、地上の人間にとっては毒ということもありえるのだから。研究が進むか、食料に困窮するまでは、この島のグルメはおあずけだ。
「……話が逸れたな。それでビースト達の身体的特徴についてだが……」
巨大クモ食の話にティアの表情が曇り始めたので、ジェイグをからかうのをやめて話を戻すリオン。
脱線の原因はお前だろ、とでも言いたげな顔をしていたジェイグだが、それを言えば藪蛇になるとわかっているのだろう。何も言わずにリオンの話の続きを待っている。
「まぁ複数の動物のパーツが混ざり合っているのも進化の結果と言われればそれまでなんだがな。ただ、自然にそういう形になったにしては、部位の繋ぎ目部分にはそう結論するのを躊躇うだけの不自然さがあった」
「確かに……毛の色や質が突然変わってたりしたものね」
先日討伐した深緑の女帝のように、植物が突然変異で魔物化するような世界だ。動物が人間のような進化を遂げていても、驚きはするがそこまで問題視はしなかっただろう。だが、彼らビーストの体の造りからは、何度見ても感じる違和感を拭うことはできなかった。
「それと……正直、これが一番の疑問なんだがな……」
そう前置きしながら、リオンは黒コートの内ポケットから、ネックレス型の魔導具を取り出して言った。
「何で俺達はビースト達と言葉が通じるんだ?」
そのリオンの疑問に、ティアが「あ!」と声を上げた。
対照的に、ジェイグはキョトンとしている。
リオンが手に持っているのは、『テレパス』。冒険者ギルドに加盟している国の人間のほとんどが持っている一般的な魔導具だ。
地上には五つの大陸があり、大小全て含めると百近い国家がある。人種についても、エルフやドワーフ、獣人やヒューマンなど様々で、さらにその中からも住んでる地域や文化によって民族が分かれている。
前世の地球でもそうだったように、国や民族が違えば、使用している文字や言語も異なるのは当然だ。この世界でも言葉の壁というのは確かに存在した。
だが現在、そのような言語の問題は、このテレパスの発明により解消されている。
魔術にはさほど詳しくないので難しいことはわからないが、テレパスを簡単に説明すると『魔術による自動翻訳機』だ。以前、ミリルから聞いたところによると、話し手の言葉を互いのテレパスの力で、相手にとって理解できる言葉に変換しているらしい。だから、相手の知らない物、相手の言語に存在しない物は変換されることなく、発した音がそのまま伝わるとのことだ。
この魔導具は、魔空船が発達し、ギルドが世界に拡大する少し前に広まった。もしこの魔導具がなければ、冒険者ギルドの発展も遅れていただろうし、リオン達の旅も不便なものになっていただろう。
しかしビースト達はテレパスなど持っているはずがない。そもそも彼らには魔力がないので、テレパスに施されている魔術を起動することさえできないのだ。
「でも、私達は彼らとほとんど問題なく話ができる……つまり、彼らが私達と同じペルニカ語を使っているってことになるわね」
「ああ、そういうことだ」
ペルニカ語とは、リオン達がいたペルニカ大陸で使われている言語だ。世界最大の大陸『ペルニカ』は、二百年ほど前まで一つの国に統一されており、国が分裂したあとも多くの国では言葉や文字はそのまま使われ続けている。そのためペルニカ語は、世界一使用する国家の数が多い言語となっている。
ビースト達に文字を書く文化はないそうだが、魔力を持たない彼らの言葉が理解できている以上、彼らがペルニカ語を話しているのは間違いない。リオン達はテレパスがある生活に慣れ切っていたので、それに気付くのが遅くなってしまった。
以前ダルルガルムが、奴らと“話”が通じなかったというのも、正確には“言葉”が通じなかったということだろう。ペルニカ大陸から遠く離れた島国であるバレアスの連中に、ペルニカ語が通じるはずがないのだから。
「でも、それっておかしいわよね……」
「たまたまあいつらが同じ言葉を使うってだけだろ?」
「バカか、お前は……少しは鍛冶以外の本も読んで歴史を勉強しろ」
いまいち事態を飲み込めていないジェイグに呆れつつも、リオンが丁寧に説明をしてやる。
「この世界で記録が残っている最古の文明の時代が何年前かはわかるか?」
「確か、二千年じゃなかったか?」
「正確にはおよそ千九百年前だ。その最古の記録の中にも浮遊島は登場する。そしてそれ以降の歴史の中で、新たに大地が空へ浮かんだという記録はない。つまり浮遊島は千九百年以上前から、既に空に存在したということになる」
リオンの話す歴史講義を、ジェイグは腕を組んでうんうんと頷きながら聞いている。学校教師のように指を立ててリオンは講釈を続ける。
「ペルニカ大陸が、かつてのペルニカ帝国に統一されたのはおよそ五百年前。それまでは大小様々な国家が存在し、文化も言語もバラバラだった。つまり、それまでペルニカ語は五つある大陸の中の一つの一国家でしか使われない、少数派の言語しかなかったんだよ」
「なるほど……で?」
話の核心に触れてもまだ察しの及ばないジェイグにため息を吐きつつも、リオンが根気よく話を続ける。
「地上千九百年の歴史の中で、存在が確認されている言語の数は二百を超え、今でも百近い言語が使われている。同じ地上、同じ大陸ですらそうなんだぞ。それが千九百年以上も交流のなかった浮遊島で、全く同じ言語が発達するなんて確率的にまずあり得ない」
言葉というのは、移り変わりやすい。前世地球でいえば、国同士が地続きで隣り合うヨーロッパ地方でも、歴史の中で統一と分裂を繰り返し、現代では各国で違う言語が使われている。日本国内でも、地方ごとに使われる方言がある。現代でも、一年ごとに新しい言葉が生まれ、古い言葉が使われなくなっていた。
ちなみに他の浮遊島で発見された先住民で、今のところ言葉が通じた例は無い。魔力はあったので、テレパスを使うことで問題なくコミュニケーションが取れているらしい。
ジェイグもようやくリオンの話をある程度理解できたのだろう。難しい顔で「そう言われりゃ確かに……」と唸り始めたので、今度はティアが代わってリオンへ疑問をぶつけてくる。
「リオンの方で何か理由に心当たりはある?」
「仮説で良いならいくつかは……この島全体にテレパスと似たような効果をもたらすアーティファクトがあるとか、そう遠くない昔に、何らかの手段でペルニカ語を話す人物がこの島に来たとかな」
「何らかの手段って?」
「さすがにそこまではな……だが今でも未発見のアーティファクトや魔術は発見されているんだ。俺達の知らない何かがあってもおかしくはないさ」
むしろそう言った『未知』を発見するために、リオン達のような冒険者がいるのだから。
「とりあえず、ここでこれ以上考えても結論はでない。できれば、禁域とやらを調査してみたいところではあるが、せっかく築いた良好な関係に今の時点で水を差す気もない。この問題は、今は保留だな」
リオン達は浮遊島の探索調査を目的にしてはいるが、基本的に先住民である彼らの文化慣習を尊重するつもりだ。本格的な調査交渉は、ギルドの調査員に任せるとしよう。
「じゃあそろそろ一度集落に戻ろう。バレアスが戻ってくる日も近い。そっちの対策も本腰を入れて動かないとな」
一応、この島の地理の把握はバレアスを迎え撃つための情報収集も兼ねている。これで罠や待ち伏せなど、迎撃準備をスムーズに行う事が出来るだろう。
椅子代わりにしていた岩から立ち上がり、軽く体を解すリオン。
ティアはリオンから受け取った地図を折り畳みながら、草むらに寝転がっているファリンに声をかける。
「ほら、行くわよファリン……ファリン?」
「……ムニャ……お肉がいっぱい……ニャフフ……」
寝ていた。とても幸せそうな寝顔だ。
どうやら横になっているうちに眠ってしまっていたらしい。ファリンは頭も良く、洞察力、観察力に優れてはいるが、興味の無いことには全く関心を示さない。どうやらビースト達の謎は、彼女の好奇心を刺激しなかったようだ。