エメネアの騎士
エメネア王都からリオンたちの育った孤児院『黒ふくろうの家』までは、徒歩で三十分程の距離がある。
周囲を林と広大な畑に囲まれた緑豊かな所で、晴れた日には外を走り回る子どもの笑い声が聞こえてくる。買い物のときなどに多少の不便さがあるものの、リオンはこの孤児院とその周りの風景を気に入っていた。
魔物のいる地帯からはそれなりに離れているうえ、軍や冒険者によって近郊の魔物や危険な動物は、定期的に駆除されるため、孤児院の近くに魔物が出ることはほとんど無い。
リオンたちが大きくなってからは、たまに見回りをしていたが、魔物と出会ったのは一度きり。それもいつも狩りをする森の辺りまで行った時だけだ。
エメネア王国の農作物の多くはこの辺りの畑で収穫されるため、万が一の事態に備えて近くに警備兵の詰所もある。孤児院の子どもが魔物に襲われる可能性は、まず無いだろう。
リオンとミリルが黒ふくろうの家の近くまで辿りついた時には、もうすっかり日も落ちていた。
街の明かりもこんなところまでは届かないので、この付近は基本的に夜になると真っ暗だ。リオンもミリルも暗闇くらいで怖がったりはしないが、やはり孤児院の明かりが見えたときには少しホッとしてしまった。窓から漏れる温かな明かりが、「おかえりなさい」と迎えてくれているような気がする。
「ちょっと遅くなったな」
「まぁ原因はティアのお説教のせいだけどね」
「いや、もとはと言えばお前が――」
チャキッ
「……何でもない。何でもないから、早く銃から手を離せ」
ちょっと不利になると、すぐに銃に手をかける。きっとミリルには、『悪・即・弾』とかいう正義があるに違いない。
そんないつものやりとりをしながら、黒ふくろうの家への道を歩いていた二人だが、ふと前方にいつもと違う光景を見つけた。
「誰かこっちに来てるわね」
ミリルが訝しむように目を細めて、視線を前方へと向ける。
リオンも油断なく周囲の気配を探った。
暗くてはっきりとは見えないが、どうやら前から二人、こちらに向かって歩いてきているようだ。その手に小さな灯りが見えるが、さすがにこの距離からでは二人がどのような人物かはわからなかった。
この道の先には黒ふくろうの家しかない。しかし、こんな時間に子ども達や先生が外に出るとは思えない。今の黒ふくろうの家ではリオンとミリルが最年長であり、下には十歳以下の子どもしかいないのだから。周囲の農家の人も、さすがにこんな暗くなってから孤児院を訪れることはない。
前方の人影が近づくにつれて、リオンとミリル警戒の色を強めていった。
(村民……ではないな。感じる気配が違う。しかも片方はかなりの手練れだ)
こちらに向かってくる二つの気配を探っていたリオンが、相手の実力の高さを敏感に感じ取っていた。特にそのうちの一人から放たれる圧倒的な強者の空気に、リオンは油断なく目を細める。
向こうもこちらの気配に気づいているのか、少し離れた位置で足を止めた。どうやらこちらの様子を探っているようだ。
「そこにいるのは誰だ!?」
暗闇から男の怒鳴り声が響く。大人の男にしては少々高めの声。そんなに年上ではないだろう。声とともに灯りが高く掲げられたので、おそらく声の主は灯りを持っている方か。
その声のトーンから、向こうもこちらを警戒しているのがわかるが、敵意や悪意は感じられない。素直に返事をするのが無難だろう。
「向こうの孤児院の者だ!」
ミリルと視線だけで意思の疎通を図り、リオンが誰何の声に答えた。
ミリルはいつでも撃てるように、腰の銃に手をかけている。
向こうはリオンの声で、こちらが子どもだと気付いたのだろう。わずかに警戒を緩めたのが気配でわかった。
もっとも、それに合わせてこちらが警戒を解くことはないが。
「怖がらなくてもいい! 我々はエメネア王国騎士団に属する騎士である!」
こちらが子どもだから怯えていると思ったのだろう。大きな声ではあるが先ほどよりもはるかに穏やかな声音で、向こうの二人が自分たちの身分を明かす。
ミリルの表情を見る限り、まったく怯えてなどいないのだが。むしろ完全に狩人の眼だ。向こうがちょっとでも怪しい素振りを見せようものなら、「たまぁ取ったるで~!」とか言いながら弾丸ぶっ放しそうだ。
リオンも当然怯えるようなたまではない。男が騎士と名乗っても警戒を解くことなく、相手の気配を探っている。
「エメネアの騎士なら、その証となる徽章を持っているはずだ。それを灯りにかざしてくれ」
リオンの要求に、「ほぉ」と感心したような声が返ってくる。子どもでありながら、騎士と聞いても警戒を緩めず証拠を求める冷静さと、その堂々とした態度に思わず声が漏れたようだ。
男達からの返事はなく、代わりにガサガサと音がする。おそらく徽章を外しているのだろうが、証拠が提示されるまでは警戒を解くつもりはなかった。
そして待つこと数秒。
掲げられた灯りの傍に、二つの徽章が掲げられた。
それは龍を象ったメダル。首からかけられるように細い鎖がかけられており、国王から賜るエメネア王国の騎士の証に間違いなかった。
相手の身分は確認できたのだが、逆にリオンの頭にはさらなる疑問が浮かんできた。
(騎士なのは間違いない……だが、なぜ孤児院に?)
エメネアでは基本的に王国騎士が王都の外に出ることはほとんどない。王国騎士とは軍のエリートであり、戦争時以外での主な仕事は、王族の護衛や王都の防衛などである。
十年以上前には大型の魔物討伐に数百人規模の遠征があったらしいが、最近はそんな大きな出来事もない。せいぜい王都近郊で被害が出そうな規模のモンスターが出たときに、騎士数名が冒険者と協力して、その討伐を行うくらいなのだ。
少々不審な点はあるが、二人の身分は確認できたし、いつまでもここで睨みあっているわけにはいかない。目の前の二人組を完全に信用することはできなかったが、リオンは一応の警戒は解いた。
ミリルも同じ考えのようで、銃から手を離してはいたが、眼だけは油断なく二人の騎士に向けられている。
気配でリオンたちが警戒を緩めたのが分かったのか、騎士二人は徽章を下ろし、灯りを掲げたままゆっくりと近づいてきた。
「すまないね、警戒させてしまって」
お互いに顔がわかるくらいの距離まで来たところで、灯りを持っている方の騎士が声をかけてくる。
年は二十代半ばといったところか。金髪で全体的に整った顔立ちをした騎士だ。
顔には苦笑いを浮かべ、子どもを相手にしているのにとくに気取った様子も見られなかった。全体的にプライドの高い者が多いと言われる王国騎士にしては珍しいタイプだ。
もう一人の男は、おそらく四十代後半くらいの初老の騎士だ。オールバックにした灰色の髪に、丁寧に整えられた口髭。厳格そうな顔には深いしわとともに、大きな傷跡が刻まれている。年齢を感じさせない屈強な肉体はまさに歴戦の戦士といったところだ。
その姿を目にする前から感じてはいたが、実際に間近でその騎士を見ると、その空気に思わず気圧されてしまいそうになる。騎士からは敵意も殺気も放たれていないが、それでもこの威圧感だ。今のリオンでは、ミリルと二人がかりで挑んでも返り討ちにされるだけだろう。
リオン達の様子を窺うように動いていた鋭い視線が、一瞬だがリオンの刀とミリルの銃のあたりで止まったのがわかった。子ども相手でも隙を見せないのは、数々の修羅場を潜り抜けてきたからだろう。
「こちらこそ、知らなかったとはいえ騎士様に失礼な態度を取ってしまいました。申し訳ありません」
丁寧な口調で謝罪の言葉を述べ、頭を下げる。別に権力にへりくだるつもりは毛頭ないが、かといって無駄に王国騎士相手にいさかいを起こすつもりはない。それに完全に警戒を解いたわけでもない。不審な動きがあればすぐにでも動けるようにはしている。
「いや、こんな暗い中、得体の知れない人物を警戒するのは当然のことだよ。それに礼儀もしっかりしている。幼いのに大したものだね」
金髪の騎士が感心したように目を細め、リオンの態度を褒める。
「冒険者は慎重すぎるくらいが良いらしいので。それに礼儀などは孤児院でしっかり教えられますから」
「へえ……君は冒険者を目指しているのか」
「ええ、そうです。明日で十二歳なので、すぐにでもギルドに登録するつもりです」
その言葉を聞いた騎士たちが少し驚いたように眼を見開いた。
おそらくリオンの年齢をもう少し下だと思っていたのだろう。リオンはやや中性的な顔をしており、実年齢より少し年下に見られやすいのだ。
騎士たちの反応に少し苦笑いしながらも、リオンは先ほど浮かんだ疑問を訪ねてみることにした。
「ところで……孤児院で何かあったのでしょうか?」
「ん? ああ、別に大したことじゃないよ。ただ、最近王都近辺に盗賊が出たとの情報が入ったから、一応警戒するように言いに来たんだ。まぁ盗賊が出没した場所は、ここと結構距離があるから大丈夫だと思うけど……念のためね」
心配いらないと言うように、金髪の騎士が笑みを浮かべながら説明してくれる。
しかし、リオンは騎士のその説明に、さらなる疑念が浮かんできた。
(たかが盗賊程度に騎士が? よほど手ごわい盗賊なのか、それとも盗賊の規模が大きいのか……)
基本的に盗賊の討伐は冒険者に依頼されることが多い。冒険者の方がフットワークも軽く、商隊の護衛などで盗賊を相手にすることが多いので適任なのだ。農村部の警備にあたる一般の兵士が、冒険者と協力することはたまにあるが、エリートである王国騎士がたかが盗賊のために、しかも討伐ではなく警告のために動くなどかなり異例のことだ。
ミリルも同じ疑問を抱いたのか、僅かに眉を潜めている。
「まぁ、すでに冒険者ギルドには討伐依頼が出てるから、心配しなくても大丈夫。近日中に討伐されると思うよ」
リオンたちが少し怪訝な顔をしたのを、不安になったと勘違いしたようだ。金髪の騎士がリオンとミリルを交互に見つめて、微笑みを浮かべる。
正直、今の説明では納得できない部分が多い。しかし、騎士が心配いらないと言っている以上、この件をこれ以上訪ねても無駄だろう。下手をすれば騎士の言葉を疑っていると取られかねない。明確な理由もなく、王国騎士と敵対するわけにはいかない。
「そうですか……わざわざこんなところまで来ていただいてありがとうございます」
「これも仕事だからね」
「じゃあ僕たちはこれで失礼します」
「ああ、じゃあ気を付けて……といっても、君たちの家はすぐそこだけど」
これ以上話すこともなかったので、早々に話を切り上げて退散することにする。
普通の子どもだったら騎士に憧れたりするのかもしれないが、リオンは騎士などに興味はない。むしろ国家権力なんて面倒くさそうなものには、極力関わりたくはなかった。
それはミリルも同じようで、挨拶をするリオン置いてさっさと歩き出していた。
「少年」
ミリルに続こうとリオンも歩き出したところで、今まで一言も喋らなかった初老の騎士が声をかけてきた。威厳に満ちた低い声だ。
「冒険者になると言っていたが、その腰に帯びているのが君の剣かね?」
「ええ、そうですが……」
「……少し見せてもらっても構わんかね?」
初老の騎士の言葉にリオンは一瞬だけ眉を顰める。だが、いくらなんでも騎士が子ども相手に騙し討ちしたりはしないだろうと考え、素直に渡すことにした。
刀を腰から外して、鞘ごと初老の騎士に手渡す。
刀を受け取った騎士は、鞘や柄の部分を興味深そうに眺めたあと、素早く刀を引き抜いて刀身を灯りにかざした。
「これはどこで手に入れたのかね?」
「知り合いの鍛冶師に頼んで作ってもらいました」
リオンの言葉に初老の騎士が目を細める。
「私は今まで数々の剣を見てきたが、こんな剣は初めて見た。片刃だがサーベルとも違う。それに鞘や柄の形状や装飾も独特だ。これはその鍛冶師のオリジナルの剣か?」
「いえ、前にどこかの本で見た異国の剣を真似て作ってもらった物です。刀というそうです」
まさか本当は前世の日本で作られた物だとは言えないので、そう説明せざるを得ない。
ちなみにジェイグやティア達にも同じ説明をしている。孤児院の本は全て読み尽くしているティアには不思議そうな顔をされたが、最終的には、街に出た時にでも呼んだのだろう、と勝手に納得したようだ。
「ほう……実物を見たことない異国の剣をわざわざ作ったと?」
「ええ、まぁ。最初は軽い実験のつもりで作ってもらったのですが、使ってみたら以外に使い勝手が良かったので、そのまま使うことにしたんです」
これももちろん嘘だ。最初から、完成したら実戦で使う気満々だった。
初老の騎士としては、見慣れぬ怪しい剣を持っているリオンが気になるのだろう。自分の問いに淡々と答えるリオンに、鋭い視線を向けてくる。
しかし、リオンが表情一つ変えないのを見ると、これ以上の追及は無駄だと諦めたようだ。「そうか」と短く呟くと、素早く刀身を鞘に戻し、刀をリオンへと返してくれた。
「呼び止めてすまなかった。それと冒険者は危険な仕事だ。決して無理はしないようにな」
初老の騎士は手短にそう告げると、クルリと踵を返して歩き出し、もう一人の騎士とともに夜の闇の中へと消えていった。
「何だったのよ、あいつら……」
立ち止って振り返っていたミリルが、騎士たちが去って行った方を見つめながら少し不機嫌そうに呟いた。騎士たちの目的がわからず、モヤモヤしているのだろう。
「まぁここで考えててもどうしようもないだろ? 帰って先生から話を聞けば何かわかるかもしれない。それにすっかり遅くなってしまったからな。さっさと帰ろう。」
「……そうね」
この場にいても結論が出ないのは、ミリルもわかっているだろう。何となくスッキリしない顔でリオンの言葉に小さく頷くと、ミリルは孤児院へと歩き出した。
リオンは最後にもう一度だけ、騎士たちの消えていった暗闇へと視線を向ける。
(あの初老の騎士……おそらく先生よりも強い……妙なことにならなければいいが……)
不自然な騎士との邂逅に、リオンの胸にかすかな不安がこみ上げてくる。
そんな思いをかき消すように、リオンは小さく首を振り、孤児院へと続く道を歩き出すのだった。
月明かりと手に持った魔導灯に照らされた田舎道を、二人の騎士はしばらくの間無言で歩き続けていた。
二人とも考えていることは同じ。
先ほど出会った二人の子どものことだ。
「あの二人、どう見ます?」
五分ほど歩いたところで、若い騎士は口を開いた。難しい顔をしている自分の上司、シューミットに質問をぶつけてくる。
「……正直、とても十二歳前後の子どもとは思えんな」
この世界のほとんどの国では十五歳で成人となる。冒険者には十二歳からなれるとはいえ、実際にその年齢から登録する者はほとんどいない。
いや、できるものはいないと言うべきか。
冒険者の仕事は、モンスターの討伐や危険区域の調査や探索、商隊や学者の護衛など様々なものがある。ほとんどの仕事が多かれ少なかれ危険と隣り合わせのものであるため、冒険者にはそれ相応の実力が求められる。
ゆえに、冒険者に登録するには、少なくとも最低レベルの依頼を達成できるだけの実力をギルドに示す必要がある。登録の際に中級以上の冒険者と手合わせをし、強さを認められて初めて冒険者となれるのだ。これは依頼人や冒険者自身、さらには冒険者ギルドの信用を守るために必要な措置だ。
なので、登録可能年齢になったばかりの少年が勇んで登録に向かっても、大抵の場合実力不足で弾かれる。冒険者の世界は決して甘くはないのだ。
(だが……あの二人ならばあっさり登録を認められるだろう。それどころか、中級ランクくらいなら、簡単になってしまうかもしれん)
もっともどんなにギルドの承認を得ても、世間一般的には若い冒険者は信頼されにくい。なので、あの二人にどんなに実力があっても、なかなか苦労はするかもしれない。
それでもあの少年たちなら、実力でどうにかするような気がした。それだけの強さを秘めている。数々の戦場を潜り抜けたシューミットの勘が、はっきりとそう告げていた。
「ですよねぇ……王国騎士を相手にあんな堂々とした態度で、しかもシューミット隊長の睨みにも眉ひとつ動かさないし。十歳くらい年誤魔化してんじゃないかと思いましたよ」
自分の部下でもある若い騎士が、見当違いのところに着目していることに、シューミットの口から思わずため息が漏れる。
それと、今の発言に若干聞き捨てならない部分が……
「……別に私は睨んでなどいないが」
「ええっ! あんな怖い顔で見てたのにですか!?」
「……私はそんなに怖い顔をしていたか?」
「ええ、そりゃあもう。普通の子どもだったら泣いて逃げちゃいますって」
「……そうかそうか……ところで、明日からのお前の訓練メニューだが、全ての訓練を倍に増やそうと思う」
「ええええええ! そんなことしたら僕が泣いて逃げちゃいますって!」
「ふっ、お前もあの子たちに負けてられないだろう?」
「そんなあああああ!」
自分の軽口の代償に打ちひしがれる部下に苦笑いを浮かべながらも、シューミットの心には重く暗いものが浮かんでいた。
(もしも私が今日の結果を上に報告すれば……あの将来有望な少年たちの未来を閉ざしてしまうかもしれない……)
それは孤児院訪問の本当の理由。
シューミットだけ秘密裏に命令のあった、とある懸念事項の最終確認。
もしその結果を受けて上が動けば、いつかあの少年と剣を交えることになるかもしれない。
それも命をかけて……
そうならないことを願いながら、シューミットは部下とともに、王都へと暗闇の中を歩いて行った。