森での出会い
『獣人』。
地上でそう呼ばれる種族を簡単に説明すると、「耳が他の動物のものに置き換わり、その動物の尻尾と身体能力等を備わった人種」となる。
耳と尻尾以外は、普通の人間と外見的な違いはない。他の人種族との結婚も妊娠も可能。人との間の子供は、人か獣人のどちらかで生まれる。
かなり昔の時代では種族間で争いもあったらしいが、今では一部の国や地域を除いて、人も獣人も仲良く暮らしている。エメネアのように昔から獣人と共存していた国では、すっかり人と血も混じり合っているため、たまに普通の人同士の親から獣人の子供が産まれたり、獣人の両親とは全く違う動物の獣人が産まれることもあった。
そんな獣人と比べると目の前の虎男は、遥かに獣に近い。顔は野生の虎そのものだし、全身も黄と黒の毛に覆われている。服は着ているというよりは、腰回りと上半身にぼろ布を巻いているだけ。剥き出しの手足は指も長く、人に近い形をしているが、爪は鋭く肉球もある。
討伐ランク五級の魔物にウェアタイガーというのがいる。こちらも二足歩行する虎だが、そいつと違って魔力の反応は無い。何よりその目は理性なき魔物とは絶対に違う。確かな知性や理性、感情を宿しているのがわかった。
「驚か、ないのか?」
こちらへ油断なく向けられていた虎男の瞳が、わずかに見開かれた。
「その姿に、という意味なら、失礼ながら十分驚いているよ。あんたのような種族を見るのは初めてだからな」
「……奴ら、初めて、俺を見て、腰、抜かした。言葉、聞かず、攻撃、してきた。それに、森も、たくさん、荒らした」
「その『奴ら』というのは、俺達と同じような種族だったのか?」
「そうだ」
どうやらリオン達が来る前に、この島に先に上陸した連中がいたらしい。一番乗りじゃなかったのは残念だが、今はがっかりしている場合ではない。
「その『奴ら』がどんな連中かはわからないが、おそらくあんたを魔物と勘違いしたんだろう。気を悪くしないでほしいが、俺もあんたと似た姿の魔物は見たことあるからな」
「マモノ? 何だ、それは?」
怪訝そうに虎の鋭い眼を細める男。この島には魔物が存在しないのか、それとも別の言葉で呼ばれているのか。
「まぁそういう名前の敵種族、とでも考えてくれ」
「そうか」
特に興味もなさそうに虎男は頷くと、こちら三人の姿をゆっくりと見回した後で話を続けた。
「オマエ達、何者? 何しに、ココに、来た?」
リオン達はそれぞれ名乗った後、自分達は地上から来たこと、目的はこの島の調査であること、他に仲間が三人いること、改めてそちらと争う気が無いことなどを端的に伝えた。
話の中でわかったのだが、どうやら彼らはこの島が空に浮かんでいる事実を知らなかったらしい。一応、他の浮遊島の存在は知っている――この島からも他の島は見える――が、島の下にさらに大地があることには気付かなかったという。
「信じられん……」
「悪いが、事実だ。俺達に付いて来れば証明できるが、すぐには難しいな」
基本的に、浮遊島で先住民族が確認された場合、その扱いは慎重を期す。規模にもよるが、ある意味『空飛ぶ国家』と言っても過言ではないのだ。それが世界中のあらゆる国を領空侵犯することになる。過去は仕方ないとしても、今後は文明や武力のレベル、民族性や規模など明確に調査を行う必要があるので、こちらの一存で彼らを外に連れ出すわけにもいかない。
ちなみに浮遊島の領有は、各国にとって禁忌となっている。そもそも領空という概念は存在しなかった世界だったが、魔空船が発明されてからというもの、各国は空への警戒が必須となった。今はまだ主要都市近辺くらいしか整備されていないが、いずれは各地の関所にも対空設備を設け、国家間の行き来はこれまで以上に難しくなると考えられている。
そんな中で、一つの国が浮遊島を自国の領土として支配すれば、それだけで戦争の引き金になりかねない。
よって、基本的に浮遊島の扱いは中立。国が探索隊を派遣することはあっても、資源や情報を持ち帰るだけ。持ち帰ったものは公表するも独占するも自由だが、持ち出せないもの――建造物や大型のアーティファクトなど――は発見したとしても占有権は主張できないものとなっている。
「地上、別の島、どっちでもいい。俺達の、生活、邪魔、しないなら」
「基本的にギルド……というか俺達はあんた達に迷惑をかけるつもりは無い。調査が終わって、ここに中立の証を残せばすぐに帰る」
今後のためにも、冒険者が浮遊島を調査したときには、その証を残すことが推奨されている。中立地帯との証明にもなるし、調査が重複することも防げるからだ。後日ギルドが本格的に調査をするための目印にもなる。
「俺達が去った後も知り合いがまた来るかもしれないが、その人達もそっちが敵対さえしなければ、あんた達の生活を脅かしたりはしないはずだ」
地上のルールやギルドの仕組みなど、全部を説明できたわけではない。だが無用な争いをするつもりはないことを重点的に訴える。
それでも虎男や、周りの四人の警戒は薄れない。これはリオン達がどうこうと言うよりも、会話の中で度々出てくる『奴ら』というのが原因だろう。
「その『奴ら』というのは、この島に元々いたのか?」
「違う。この島、俺達の仲間だけ。奴ら、灰色、光る箱から、出てきた」
光る箱とはおそらく魔空船の事だろう。魔空船の素材は鉄に魔鉄、ミスリルなどが多く、それらの金属は全て銀色だ。石や動物の骨製の矢尻から察するに、彼らには金属を加工する技術は無いのだろう。
リリシアズアークを先に見られなくてよかった。あの船から出てくるところを見られていたら、その『奴ら』の仲間という疑いを晴らすのに苦労しただろう。こんな風に彼らと会話をするのはずっと骨が折れたはずだ。
「その光る箱は、俺達がこの島に来るための移動手段だ。おそらくその『奴ら』というのは、俺達とは違う勢力だろうな」
可能性としては三つ。ギルドか、どこぞの金持ちが依頼した冒険者による一団。どこかの国の調査隊。リオン達のような個人船持ちパーティーの場合もあるが、可能性は一番低い。
「そいつらのことで何か覚えてることはあるか? 何か言ってたとか」
「奴ら、話、通じなかった。ただ、全員、同じ、光る硬い服、着てた」
「光る硬い服……ああ、鎧のことか」
戦士らしき彼らが全員普通の衣服を着ているところを見ると、鎧も言葉からして存在しないのだろう。
(同じ鎧を着ていたということは、どこかの国に所属している可能性が高いな……)
今の情報からそう推察する。冒険者はあまり鎧を好まないし、そもそも仲間同士でお揃いの装備をすることがない。
「他には?」
「奴ら、いた場所、こんな、柄の布、あった」
虎男が腰に帯びていた剥き出しの骨刀で、地面に模様を描く。あまり上手いとは言えないが、おそらく片翼の鳥の背後に三又の槍の絵だろうか。これまでの話を考えると、どこかの国の国旗と考えられるが、残念ながらリオンに見覚えは無い。
ティアに視線で知っているか訊ねると、その絵に顔を近づけるように身を屈めた。
「多分、聖バレアス教国の国旗ね。三又の槍の旗なんて、珍しいし」
「バレアス……確かギルドに危険指定されてる国だったな」
「ええ、そうよ。場所はペルニカ大陸の北西。ギルドには非加盟で、とある事件があってから、他国と色々複雑な関係になってる国ね」
ペルニカ大陸とは、地上に五つある中で最大の大陸だ。リオン達が生まれ育ったエメネア王国や、先日まで滞在していたガルドラッドもその大陸にある。
ティアの説明に納得すると同時に、その情報の厄介さにリオンは額を押さえてため息を吐いた。
「よりによって非加盟、しかも危険指定国か……面倒なことにならなければいいが」
未知の種族との交流というロマンはあったが、初めての浮遊島冒険は色々と雲行きが怪しくなりそうな気配がする。
『冒険者ギルド』。
その存在は魔空船という時代を変える大発明によって世界中に広まった。世界に大小含めて百近くある国のほとんどが加盟している世界一の大組織である。
主な業務は冒険者への仕事・依頼の斡旋。依頼は一般人からのお使いに始まり、要人等の護衛、ギルドからの魔物討伐や秘境・魔境の探索要請など多岐に亘る。危険な仕事も多い分、登録される冒険者には試験などを通して自身の実力を証明する必要があった。
そんな冒険者という実力者が多数所属するギルド。そんな世界規模で巨大な力を保有する組織を加盟国が容認するのは、当然加盟国にメリットがあるからだ。
中々手が回らない魔物の掃討や、国内の秘境・魔境の探索。さらには一般市民の細かい要請にも応えられるうえ、冒険者が取得した素材は国にとっても貴重な資源だ。その経済効果はかなりのもの。
またギルドは絶対の中立公正を謳っており、新たなアーティファクトや魔術の情報は加盟国に平等に公開される。無論、対価も必要だが。
もちろん強力な戦力や主要情報を有するギルドの存在を危険視するものも多い。しかし所属する冒険者は、別にギルドに忠誠を誓っているわけではない。あくまでギブ&テイクの関係が成り立っているだけであって、仮にギルドが何らかの陰謀を企てても、それに簡単に従ったりはしないだろう。たとえばギルドがどこかの一国で何か事を起こしたり重要性の高い情報を隠したりすれば、他の加盟国からの信用を失い、活動自体ができなくなる。
そんな形で、成り立っている冒険者ギルドではあるが、当然全ての国がそれを容認しているわけではない。宗教、経済、民族性等、様々な理由により、ギルドの設立を認めない国や地域もあった。
そういった国が相手では、浮遊島先住民に対する不可侵だとか、そういったギルドのルールを前提に話をすることもできない。それどころかギルド所属の冒険者が敵視される可能性もある。
その一つがバレアスというわけだ。
「で、そのバレアスってのはどんな国なんだ?」
腕を組み、顎に手を当てたリオンがティアに訊ねる。
「大陸から遠く離れた島国で、独自の宗教を政治の中枢に置いた宗教国家らしいわ。『聖皇』と呼ばれる人物が実権の全てを握っていて、魔空船技術が発達した今でも他国との交流を避けているみたい。小さな島国だから、他の国から侵略の手も伸びないし、ギルドも中々手が出せないみたい」
「危険指定されている理由は?」
「……宗教上の理由で亜人差別が横行してるの。獣人がバレアスに行くと、奴隷にされちゃうみたい」
「……なるほどな」
ファリンの方を少し気にしながら、ティアがそう説明する。亜人とは、獣人やエルフ、ドワーフなど、純粋な人間以外の種族を総称してそう呼ぶ。その亜人を差別する国の話など、獣人であるファリンにとっては聞いていて面白い話ではないだろう。悲し気に眉を下げるファリンの頭をリオンがポンポンと撫でる。
「しかし、そんな国が何でこの島に……」
「さぁ……ただ国土が小さい分、最近は金属や魔石等の資源不足が深刻だって話を聞いたことがあるわ」
「なるほど。それで不足分を浮遊島で補おうとしているわけだ」
素直に他国と交易を始めればいいものを。島国である以上、海洋資源は豊富だろうに。魔空船があるのなら物資の運搬もやりやすく、遠く離れた国とも交流を図れるはずだ。
宗教国家はこれだから……と、心の中でそう悪態を吐きつつ、リオンは話に付いて行けずに眉間にしわを寄せている虎男に向き直った。
「『奴ら』は今、この島のどこに?」
「いない。光る箱、乗って、どこかに、行った」
虎男の答えに、リオンは再び顎に手を当てる。
(去った……ということは、そいつらは先遣隊か? 再び戻ってくるかは、この島にどれだけ奴らが欲する資源があるかどうかによるな。ジェイグ達の調査の結果が気になるが、まずはそいつらの船の発着陸場所を調べる方が確実か)
もしもまだ戻ってくるつもりがあるなら、この島に物理的にも魔術的にも目印を残しているはずだ。
「その魔空船……光る箱があった場所はわかるか? もしかしたら『奴ら』とやらが戻ってくるかどうかわかるかもしれない」
「……それ、知って、オマエ達、どうする?」
「俺達も、この島をあまりそいつら荒らして欲しくはない。できればこの島を俺達の知り合いに委ねたいんだ。俺達の知り合いなら、あんた達に危害を加えることはないはず」
もちろんこの島に有用な物があれば、色々とギルドも関わってくるはずだが、先住民の意向を無視したりはしない。武力による脅迫や侵略を行えば、加盟国の間でギルドを危険視する声が高まることになるからだ。
「まだ俺達を信用できないかもしれないが、別にあんた達の仲間のところに案内してくれってわけじゃない。あくまで『奴ら』がいた場所を教えてくれればいいだけだ」
「…………わかった。案内、する」
決して警戒を解いたわけではないが、ひとまずは了解をもらえた。
「俺の名前はリオンだ。案内よろしく頼む」
「ダルルガルム。森の、戦士だ。歓迎、できないが、案内は、保証する、異郷の民よ」
差し出した右手を、虎と人の中間のような手が掴む。この島の住人達の間でも、握手は友好の証明になる。そのことに少しだけ感心するリオンだった。