初めての浮遊島上陸
「ここが、浮遊島……」
降り立った大地で、リオンが感慨深げに辺りを見渡しながらそう呟いた。
周囲は辺り一面生い茂る草木のジャングル。おそらく地上では見たことのない植物だと思う。しかし植物にあまり詳しくはないリオンにしてみれば、地上にある森と違いは感じられない。
魔空船はそんな樹海の中にぽっかりと空いたスペースに着陸した。
高度数千メートルの空の上だというのに、気温はそれほど寒くない。少し涼しいくらいだ。空気も地上とほとんど変わらないのか、息苦しさも気圧の変化もほとんど感じない。
「何か、あんまり地上と変わんねぇな……」
「もっと見たこともない生き物とかがウジャウジャいると思ったのに」
一見するとここが空の上の島かどうかはわからない風景に、後から降りてきたジェイグとアルが拍子抜けした顔で感想を溢す。女性陣も同様らしく、戸惑った表情でキョロキョロと辺りを見回していた。
リオンも一瞬皆と同じような感想を抱いたが、空を見れば、太陽との距離が近い。時折、雲の欠片が傍を通り抜けていく。間違いなく、ここは空の大地、浮遊島だ。
それを実感したリオンは、かねてから浮遊島に来たら一度はやろうと決めていたことを実行に移すことにした。
突然ティアの手を取り、腰くらいの高さまで持ち上げる。そして困惑するティアを余所に高々とその呪文を叫んだ。
「バルス!」
その瞬間、確かにその場の空気が完全に凍った。どうやらこの世界では呪文の効果が異なるらしい。
数秒のフリーズからどうにか回復した黒の翼の面々は、「言ってやったぜ」と満足げなリーダーに微妙な、あるいは冷たい視線を向ける。
「……リオン……何だ、今のは?」
その場を代表して口を開くジェイグに、リオンがドヤ顔で答える。
「滅びの呪文だ」
「到着早々なに物騒な呪文唱えてんだてめぇ!?」
「いや、空飛ぶ島に来たら、一度はやっておかないとな」
「てめぇはここに何しに来た!?」
興奮したジェイグのツッコミをスルーして、リオンは「やはりあの石が無いとダメか……」と誰も理解のできない独り言を呟いている。
「ふふっ、リオンったらもう」
「……この奇行を微笑み一つで受け止めるティアも凄いニャ」
「……もうこのバカップルは放っときなさい」
意味は分からずとも、手を握られている事実にご満悦のティアに、ファリンが驚きに目を丸くし、呆れたミリルが話を強制的に終わらせた。
「それで、ここからどうすんの? 全員で探索に行くわけ?」
「そうだな……魔空船に見張りは必要か?」
「扉は鍵が無いと開かないし、外装は全部ミスリルとオリハルコンの合金製。窓も魔導強化ガラス。おまけに防御魔術が重ね掛けされてる。大砲でも打たれるか、オリハルコン製の武器でも持ってこない限りは簡単には壊されないわけよ」
「魔物は?」
「船には魔物除けの魔術もかかってる。そもそも魔物には魔空船なんてただの金属の塊、攻撃されること自体少ないわ。よっぽど大型の魔物でも出ない限りは大丈夫よ」
この島はそれほど大きなものではなく、空から全体を見渡せた。大きな魔物の影は無かったので、魔物に魔空船を壊される心配はないだろう。
「さすが、王族専用船。安全対策も万全だな」
「言っとくけど、今言った魔術のほとんどはあたしのお手製なわけ。あんな国のへっぽこ技師のへっぽこ魔術と一緒にしないでよね」
一国のお抱え技師をへっぽことこき下ろし、実際にそれを超える魔術を構築したと平然と言ってのけるミリル。エメネア脱出の時にも思ったが、やはり魔術と魔導具製作については天才と呼んでも過言ではないのだろう。
「これで暴走癖さえなければ……」
「何か言った?」
「いや、何も。だからさっさと銃をしまえ」
怒るとすぐに銃弾をぶち込む癖も、ミリルの『これがなければリスト』に追加された。
「まぁ初めての浮遊島だ。いきなり遠くに行くつもりもないし、一先ずは周囲を探索しよう」
初めての浮遊島探検で、いきなりお留守番というのも可哀想だ。最初は周囲を軽く探索するだけのつもりだし、全員参加で問題はないだろう。
「探索は二手に分ける。ティアとファリンは俺と一緒に西側を、ジェイグ達は東側を。暗くなる前には戻ってくるように」
六人全員で行動しても効率が悪いが、初めての秘境で二人ずつに分けるのもリスクがある。二手に分ける場合、特に事情があるときを除いては、遠距離攻撃が得意なティアとミリル、他の四人に比べて年も若く戦闘スタイルも似ているアルとファリンを別々に分けることが多い。となると必然的に、リオンとジェイグも分かれることになる。
「絶対に無理だけはしないように。じゃあ良い冒険を」
反対方向へと歩き出す三人に手を振って、リオン達も深い森の中へと入っていった。
「ティア、この動物に心当たりはあるか?」
つい今しがた仕留めた獣を観察し終えたリオンが、後に立つティアを肩越しに振り替える。
目の前に横たわっているのは、何とも奇妙な動物だった。頭の見た目は猪。だがその目は猫のように光り、牙は人食いザメのようにノコギリ状。四本の脚は兎のように後脚が発達し、体は頭に比して小さくアンバランスだ。おまけにこちらに襲い掛かってくるときには、木の上を伝って頭上から大口を開けて襲い掛かってきた。
魔力の反応は無いので、魔物ではない。そもそも魔物でも動物でも、こんなおかしな生物は一度も見たことがなかった。
「私も見覚えは無いわ」
ティアの記憶力はメンバーの中でもダントツだ。元々読書好きで知識量はジャンルを問わず豊富。ギルドに保管している魔物や危険な動植物のリストは全員が目を通しているが、ティアはそれらの情報が全て頭に入っている。
そのティアが首を横に振ったということは、未発見の新種生物の可能性は高いだろう。
この島固有の生物か、それとも地上でもどこかに生息しているのか。
「周りの植物はどうだ?」
「南方の温暖な地域の植物に似ているかしら。ただ、花とかは見たことないものも多いわ。それにこれらの樹々が生息するには、この島の気候は合わないはずなんだけど」
確かに今の気温からすると、温暖とは良い難い。雲とほぼ同じ高さにある浮遊島の気候がどのように変化するのかはわからないが。
「というか気候以前に、そもそも空の上なのに何でこんなに暖かいんだ?」
この島の高度は一万メートル近い。にもかかわらず、現在の気温は体感で二十度前後。リオン達がいたガルドラッドの季節が夏だったとはいえ、さすがにこの高度でこの気温はそもそもおかしい。
「それについては諸説あるみたいだけど、島それぞれに気温を一定に保つ結界のようなものが張られているって説が有力みたい。だから浮遊島ではあまり天気が大きく変わらないらしいわ」
「じゃあ植物が育つための水分はどこから?」
「大地が周りの雲を吸収しているって説が主流ね。だから大きな島や、島群が通った後は、地上もしばらく雨が降らないって話よ」
リオンの疑問に淀みなく答えを返すティア。ティアの隣では、ファリンも「ニャるほど~」と楽しそうに話を聞いている。これがジェイグやアルだったら、二人の話にハテナマークを浮かべて頭を捻っていただろう。それか飽きるか。
まぁジェイグはミリルと一緒に、技術者としてリオンやティアとは別の視点から調査を行っているはずだ。東側は上から見たところ、そう遠くない距離に岩場があった。地質や鉱物などの調査も行いやすいだろう。
リオンもティアも、冒険者としての知識は豊富だが、その道の専門家ではない。ある程度の考察はするが、基本的にやることは採取と狩猟。あとは危険な魔物などがいないかを探査する。難しい研究などはギルドの研究者達に任せるしかない。
「とりあえずこいつの解体は無しだな。新種の場合、ギルドで解剖したいだろうし」
幸いこの妙な猪はそれほど大きくはない。面倒ではあるが、血抜きだけを済ませて死体は船まで持って帰ることにした。船の厨房には人が出入りできるくらい大きな冷凍室もあるので、地上まで腐らせずに運ぶこともできる。
手慣れた手つきで死体の処理を進めるリオン。血の匂いに他の獣や魔物が寄ってくるかもしれないので、ティアとファリンは周囲の見張りだ。
「あっちから何か近づいてくるニャ」
ファリンが森の奥を指差しながら二人に告げる。リオンやティアにはまだわからないが、猫の獣人であるファリンの方が感覚は鋭い。
「数は?」
「足音からして、多分数は五。魔力の反応はニャいけど、足が凄く速い……ここに来るまで一分もかかんニャいと思うニャ」
魔力が無いなら魔物ではない。隠密能力に優れた魔物なら魔力も隠すことが可能だが、この距離で気配に気付ける以上、その可能性も低いだろう。
だが普通の動物でも決して危険が無いわけではない。三人は油断なく、森の奥の暗がりを警戒する。
やがて、リオンとティアにも相手の気配がわかった。
それと同時に、真っ直ぐこちらに向かっていたはずの気配が、違う動きを見せる。
「バラけた? こっちを囲むつもりか」
正体はまだわからないが、どうやら向こうにもそれなりに知恵があるらしい。こっちの気配にも気付いているようだ。
「ファリンは左側の二体を頼む。ティアは正面の一体を倒したら援護に回ってくれ」
二人から了解の返事を確認し、リオンも右側の二体を迎え撃つべく刀に手を掛ける。
やがて、遠目にだが相手の影が微かに見えた。
そして次の瞬間、リオンは驚くべきものを目にした。
ヒュッ という風切り音。
直後飛来したそれを、リオンは射線から避けると同時に右手で掴み取った。
「……弓矢、か」
飛んできたのは、動物の骨で作られた矢尻に矢羽の付いた矢。間違いなく人の手の入った道具だ。
どうやらティアとファリンも、同じように弓による狙撃を受けたらしい。危なげなく対処していたが、やはり驚いているようだ。
「人間か? 言葉が通じればいいんだが……」
魔力の反応が無いことが不可解だが、もし相手が人や獣人、エルフなどの亜人などに類する存在なら、理由も無く争いなどしたくはない。
「こちらの言葉がわかるなら聞いてくれ! 俺達からそちらに危害を加えるつもりは無い! 会話に応じる気があるなら返答を! なければ何もせず立ち去ってくれ! 次に攻撃を受けたときは、こちらも身を守るために戦わなければならない!」
風の魔法で全員に届くように拡声し、こちらの意思を伝える。
言葉が通じたのか、それとも聞きなれぬ叫びに反応しただけなのかはわからないが、その後の攻撃は来なかった。遠くてわかりにくいが、戸惑っているような気配を感じる。
少しの静寂ののち、ティアが向いている正面の森の中から、反応が返ってきた。
「オマエ達、奴らの、仲間、違うのか?」
聞き取りにくいガラガラ声だが、間違いなくリオン達と同じ言語。声の感じから、相手は男だろう。
「『奴ら』、というのが何を指しているのかわからないが、俺達はつい先ほど到着したばかりだ。仲間もここにいる二人を除けば三人だけ。その三人は俺達から見てかなり後方にいるから、おそらくあんた達が言う『奴ら』とは違うはずだ」
「証拠はアルカ? 奴ラト違う証拠」
今度はリオンの正面からの問い。こちらはおそらく女の声。多少発音に違和感があるが、さっきの男よりは聞き取りやすい。
「無い。そもそも『奴ら』というのが何なのかもわからないんだ。証拠など出せるはずない」
あくまで正直に、堂々と答える。こちらを信用させる上手い手段など無いし、こちらもまだ相手を警戒している。武器を捨てて相手に訴えるわけにもいかない。ただ真摯に対話を続ける以外に、お互いが歩み寄る方法は無いのだ。
再び正面の男のガラガラ声が響く。おそらく彼が向こうのリーダーなのだろう。まだこちらを警戒しつつも、様子を伺うように少しだけ近づいてきたらしい。
「こちらを、攻撃しない、本当か?」
「そちらから攻撃してこない限りはな」
「それを、証明、できるか」
「完全には無理だ。だが、俺達は戦いの腕にはそれなりに自信がある。そちらの実力は知らないが、少なくとも最初から騙し討ちに頼るほど、俺達は自分を過小評価していない」
リオンの答えに、沈黙が返ってくる。おそらくそれぞれに対応を考えているのだろう。姿ははっきりと見えないが、五つの気配がお互いを見合っているような気がする。
一分ほどの静寂ののち、再び男のガラガラ声が届いた。
「わかった。こちらも、オマエ達、聞きたい事、ある。でも、完全に、信用は、できない。だから、姿、見せるの、オレ、一人」
「それで構わない。冷静な判断に感謝する」
無用な争いを避けられたことに胸を撫で下ろす三人。まだ油断はできないが、それはここからの対話次第だろう。
ゆっくりと近づいてくる足音。
森の奥の暗がりから歩み寄る姿が、徐々にはっきりとしてくる。
そして――
(これはまた……ずいぶんとファンタジーな種族が現れたもんだ)
驚きに目を見開く三人。
そんな三人の前に現れたのは、ある意味、地上で獣人と呼ばれる人種以上に獣人らしい種族。
人間のような二足歩行の身体に、虎の顔を持つ男だった。