エピローグ2 ~永遠に共に~
本日2話目。エピローグは残り1話。幕間を入れると2話投稿します。
エピローグ1を見ていない方は、そちらからどうぞ。
リオンの前世の世界でも今の世界でも、多くの国家や民族で結婚という制度は存在する。それを結婚式という形で祝うことも。
そしてどちらの世界でもその式のやり方は国や民族、あるいは信仰されている宗教で異なっていた。
まぁ現代日本はキリスト教とや仏教、日本神道など、様々な形式を選択できたりするが。
ちなみにリオン達がいたエメネア王国でも信仰されている宗教はあったが、あまり盛んではなかった。結婚も神ではなく、国に誓いを立てていたらしい。
そしてこのガルドラッドがあるラナーシュという国家では、結婚の際には信仰する神の前で結婚を誓う。場所は教会じゃなくても良いらしく、ガルドラッドでは街の中央の広場で宣誓の儀が行われる
しかしガルドラッドでは、広場での宣誓に至るまでの過程が独特だ。
まず結婚式は町全体を挙げて行われる。新郎新婦は昼頃から夕方まで、ほぼ半日をかけて馬車で町中を練り歩くことになっていた。
新郎は騎士のように鎧に盾に兜、マントを羽織り、剣を携える。新婦はドレス姿に様々なアクセサリーを身に着ける事になっていた。
鍛冶と鉱山の町ガルドラッドでは、鉱山資源だけでなく、武器防具、そしてあらゆる装飾品が名産となっている。そのため様々な店の武器防具、アクセサリーを身に着け町を練り歩くことで、町とそれぞれの店の宣伝にもなるというわけだ。
今回は新郎が鍛冶師なので、武器防具は全てエクトルか師匠であるギルムッドの作だが、アネットの装飾品は全て、町の細工師達から貸し出されている。
元日本人のリオンからすれば、「神聖な結婚式を見世物に……」と思わなくもないが、郷に入っては郷に従え。それに結果として、多くの人から祝福を受けることになるので、それはそれで悪くはないのだろう。
「アネットさん、素敵ね……」
白馬に引かれた車の上で少し恥ずかしそうに、だけど幸せいっぱいの笑みを浮かべるアネットの姿に、ティアが見惚れている。
アネットの今の装いは、淡い桃色のマーメイドドレス。装飾品はティアラ、ネックレス、イヤリング、ブレスレットにアンクレットと、実に多種多様な物を身に着けている。
ただし指には何も着けていない。新婦が身に着けていい指輪は、愛を誓う結婚指輪だけだ。その結婚指輪は式の最後、広場で行う宣誓の儀の時に改めて受け取る事になっている。
「アネットさんはともかく……エクトルの方は少し緊張しすぎだろう」
新婦の隣に座る新郎の姿に、リオンが苦笑いを浮かべる。
エクトルはマントを羽織った騎士風の装束をしているのだが、体つきも細く、精悍さに欠けるエクトルでは、正直あまり似合っていない。おまけに緊張で顔が完全に強張っているし、剣を掲げる手が震えている。剣の出来は素晴らしいので、それが余計に持ち主の醜態を際立たせていた。
「あの一件で少しは男らしくなったかと思ったんだが……」
「ふふ、良いじゃない、あれくらいは。緊張はしてるけど、二人ともとっても幸せそうだわ」
「まぁな」
二人の晴れ姿をまるで自分の事のように喜ぶティアに、リオンの顔にも自然と笑みが浮かぶ。
車上では、エクトルの様子にアネットが気付いたようだ。少し呆れたように苦笑いを浮かべた後、そっとエクトルの方へ身を寄せ、緊張に震える彼の手に自身の手を添えた。
それからしばし見つめ合った後、二人の顔に笑顔の花が咲く。それでエクトルの緊張も少しは解れたようだ。
まぁ男としては少し情けなくも思えるが、あれはあれで幸せな夫婦のあり方の一つなのだろう。
そうして午後から始まった式は、ひとまずは順調に進んだ。新たな門出を迎えた二人には、町の人だけでなく、ガルドラッドを訪れた観光客達からも多くの祝福の声が贈られた。
式の見学、兼護衛の任に就く黒の翼だったが、今のところは変な騒ぎも無い。馬車や街道の警備は、ガルドラッドの軍がやっているので、元々これと言って出番も無い仕事なのだが。せいぜいたまに騒ぎに巻き込まれて迷子になった子供を親元に届けたり、馬車の前に飛び出した犬を保護したりしたくらいだ。祝いにかこつけて昼間から飲んだくれている連中もいたが、特に問題を起こすようなことも無かった。
しかし式も終盤に差し掛かり、宣誓の儀を執り行う広場へやってきたところで、それは起こった。
「おい、見ろよアレ。あの女、魔物に攫われた穢れた女だぜ」
「うわ、本当だ。魔物に犯された女なんて、よく嫁に貰おうなんて考えるもんだぜ」
「あんな貧弱な野郎だ。穢れた女くらいしか相手にしてくれなかったんだろうよ」
広場近くの店で酒でも飲んでいたのだろう。顔を赤くした三人の冒険者風の男達が、広場全体に聞こえるくらいの大声で二人を嘲笑ったのだ。当然その不快な声は、広場へ到着し、手を取り合って馬車を降りようとしていた二人の耳にも届いている。
その声が届いた途端、アネットの顔が蒼白に染まった。周囲の視線を避けるように顔を俯かせ、肩を震わせている。
そんなアネットの背中に手を添え、彼女を支えるエクトルの表情にもはっきりとした影が落ちていた。
ほんの数分前までお祝いムードだった広場は、今では葬儀の場のように重い沈黙が漂っている。
そんな幸せな空気をぶち壊した馬鹿共は、なおも楽しそうに不快な言葉を続ける。
「てゆうか、このままじゃあいつの腹から魔物が産まれちまうんじゃねぇか?」
「出てくるのはゴブリンかオークかトロールか」
「げぇっ、やめてくれよ。ゴブリンの赤ん坊なんてみたら、飲んだ酒全部吐いちまうよ」
そんな口汚い言葉を口にしながら、大声を上げて笑う三人。
よく見ると、そいつらはリオン達がガルドラッドに来た初日に絡んできた連中だった。あの時は自分達よりはるかに格上なリオン達を前に、尻尾を巻いて逃げ出したが、どうやらまだこの町に居たらしい。
もしかしたら、奴らも女帝討伐作戦に参加していたのかもしれない。虜囚となっていたアネットにすぐに気付いたのも、それなら納得がいく
ちなみにすでに出来上がっている奴らは、邪魔者を排除すべくリオン達が、周りを囲んでいることには当然気付いていない。
だが、黒の翼の面々が彼らの排除に動くよりも早く――
「いい加減にしろ!」
震えるアネットを抱きしめるように支えるエクトルが、燃えるような怒りを叫んで、中傷を続ける三人へ剣を向けた。
「これ以上、私の妻に変な言いがかりを付けるのは止めろ!」
これまでに見たことが無いくらい険しい表情で、三人を睨みつけるエクトル。
まさか気弱そうで身体つきも貧弱なエクトルが、冒険者である自分達に噛みついてくるとは思ってなかったのだろう。少しの間呆然と目を丸くし、言葉を失っていた三人だったが、すぐに我に返ると、再びその顔に嘲るような笑みを浮かべた。
「おいおい兄ちゃん。そんなひ弱な腕で俺達とやろうってぇのかよ」
大柄な男が一歩前へ出て、背中に負った大剣の柄に手を掛けた。脅しのつもりなのだろう。エクトルを見下ろす目には、わずかな殺気もこもっている。戦いの経験など無いエクトルに勝ち目など無く、無様に逃げ出すか、泣いて許しを請うとでも考えているのだろう。
だがそんな相手を前に、エクトルは一歩も引かなかった。覚悟を宿した目で、屈強な男達を睨み返している。
「私は命懸けで彼女を守ると誓った。だからあなた達が彼女の心を傷付けるなら、私はあなた達を絶対に許さない!」
怒りと興奮で軽く我を忘れているのだろう。男達が反論をする前に、啖呵を切ったその口でさらに言葉を続ける。
「だいたい、彼女は魔物に穢されてなんかいなかった! 彼女はちゃんと初めてだった!それは私が、この目でちゃんと確認している!」
「ちょっ、エクトル何言ってるの!?」
突然のカミングアウトに、驚いたアネットがエクトルの腕の中で勢いよく顔を上げた。
だが興奮しきったエクトルは止まらない。
「彼女の身体はキレイなままだった! キレイ過ぎて、危なく私の理性が飛びかけるくらいだ! それに反応もとても可愛らしくて……だからお前達が言うようなことは絶対にあり得ないんだ!」
エクトルの大胆な告白に、耳まで真っ赤になったアネットが「もうやめてぇ!」と言うように、両手で顔を覆った。
少し離れたところで、彼女の父親が複雑そうな表情で笑っている。
リオンの隣では、ティアが頬を赤く染め、そっと視線を逸らした。
さっきまで漂っていた重い空気は、今ではふわふわとした甘いものへと変わっていた。皆、「ゴチソウサマです!」とでも言うようにニヤニヤしている。
(あの二人、ずっと両想いだったのに、まだ経験なかったのか……)
密かにそんな驚きを感じながらも、リオンは宣誓の儀の前に心のライフがゼロになりそうなアネットを助けるべく、エクトルと男たちの間に割って入った。
「あ~……その辺にしとけ、エクトル。あとは俺達に任せろ」
リオンの言葉に、エクトルはようやく我に返ったらしい。「はっ!? 私はいったい何を?」と、記憶喪失にでもなったみたいなことを言った後、両手で顔を覆ったまま、産まれたての子犬のようにプルプルと震えるアネットを見てアタフタとしだした。
周りからはヒューヒューと囃し立てる声が飛ぶ。
そんな中、エクトル達に絡んできた三人は、
「「「し、しししししし獅子帝!?」」」
「『し』が多いな、おい」
リオンの顔を見て、盛大にパニくっていた。二カ月以上ぶりだが、リオンの顔は忘れていなかったらしい。酒で赤くなっていた顔は、今では真っ青になっている。
「さて、今回黒の翼は全員、新郎新婦の護衛を請け負っております。当然、二人に危害を加えようとするバカ野郎は、俺達が心を込めて『おもてなし』させて頂きます」
神聖な儀礼の場に相応しい丁寧な口調と態度で、リオンが三人に粛清を告げる。
それと同時に、逃亡を図ろうとした三人の肩に、ポンと手が置かれた。
「あちらへご案内しますこの野郎」
「オレ達がた~っぷり『おもてなし』してやるよ」
「ミリル特性銃弾のフルコース、魔導具のデザート付きよ」
ジェイグ、アル、ミリルの三人が男達を笑顔でホールドした。
男達は絶望した。顔色は青を通り越して真っ白になっている。
「や、やめ、許し――あぎゃぎゃぎゃあ!」
許しを請おうとした男達は、「うっさい、しゃべるな」の二言と同時に、ミリルの電撃で口を封じられた。
「あ、式の邪魔にならないよう、やるなら離れてからにしろよ」
「「「りょーかーい」」」
リオンの指示に三人は短く答えると、ブスブスと黒煙を上げる男達を引きずって広場を離れて行く。
鉱山近くの空き地で、顔をボコボコに腫らし、頭以外を地面に埋められた三人の男性冒険者が発見されたのは、翌日未明の事だった。
「永遠の愛を、あなたに」
「ずっと、あなたの傍に」
ガルドラッド広場の真ん中で、大勢の参列客に見守られながら、エクトルとアネットが誓いの口づけを交わす。結婚式の流れは全然違うのに、指輪の交換や誓いのキスはあるんだなと、リオンは少々場違いな感慨に浸っていた。
こうして宣誓の儀は何事も無く終了した。
この後は、このまま広場を使っての晩餐会となる。披露宴というよりは、もっとカジュアルな立食パーティーといった感じだ。特にお色直しだとかウェディングケーキ入刀などのイベントも無いらしい。
ゴミ? の処理から戻ってきたジェイグ達三人も含め、黒の翼も全員パーティーに参加している。アルとファリンは料理にまっしぐら。ジェイグとミリルはこの町の鍛冶師や細工師達と意気投合したらしく、リオンにはよくわからない技術的な話で盛り上がっている。
「素敵な結婚式だったわね」
「そうだな」
ティアはアネット達の結婚式の雰囲気に当てられたのだろう。いつもよりリオンにベッタリになっている。飲み物には酒も含まれているので、もしかしたら少し酔っているのかもしれない。
この世界での飲酒は、国にもよるが成人である十五歳から可能だ。仲間内ではファリン以外が当てはまる。
ティアは別に酒好きというわけではないが、その場の雰囲気に合わせて嗜む程度には飲む。
ちなみに仲間内で酒に一番強いのはジェイグだ。次にリオン、ミリルときて、アルとティアが同じくらい。まぁ競ったことはないので、正確ではないが。
「ねぇリオン……」
「何だ?」
「…………ううん、やっぱり何でもないわ」
小さく首を振って、ティアはリオンの胸に寄り添うように頬を寄せた。やはり少し酔っているようだ。すでに夜も更けているのでわかりにくいが、ティアの頬はかすかに火照って赤くなっている。
そんなティアの肩をそっと支え、その金糸の髪を撫でる。
ティアはうっとりとした表情で、その手の感触に身を任せていた。
下手したら主役の新郎新婦以上にいちゃつく二人に、周囲から生暖かい視線が向けられる。だがそれ以上に、この町で大の人気者になった流星の女神の愛らしい姿に見惚れる者と、そんな女神を独占するリオンへの嫉妬と殺気の視線を向ける者も多かったが。
「ティア、リオンさん」
そんなちょっぴり近づきにくい空気を醸し出す二人を呼ぶ声。
その声に二人が顔を上げると、本日の主役の新郎新婦がこちらに手を振りながらやってきた。
エクトルもアネットも、今は身動きの取りやすい装いに変わっていた。
エクトルは剣だけはそのままに、服は貴族風の礼装に。
アネットは膝上丈スカートのシルバードレスに、金刺繍のストールを羽織っている。アクセサリーは結婚指輪を除けば、シンプルなネックレスだけだ。
「エクトルさん、アネット……結婚おめでとう。アネットのドレス姿、とっても素敵だったわよ」
「ありがとう、ティア」
女性二人がまるで数年来の親友同士のように手を取り合い、嬉しそうに言葉を交わしあう。年が近いこともあってか、この二人はあの事件以降すっかり仲良くなったらしい。話の内容は知らないが、この町に滞在しているこの二か月間、アネットの部屋で談笑する二人をよく見かけていた。
ちなみに二人が仲良くなった一番の要因は、恋する乙女のシンパシーだったりする。やはり年頃の乙女の一番の話題が恋話というのは、異世界でも変わらないらしい。
「二人ともおめでとう。エクトルも中々様になってたじゃないか」
「ありがとう、リオン。君たちのお陰で何とか無事に式を終えることができたよ」
「これからも色々と大変だろうけど、しっかりアネットさんを支えてやれよ」
「わかってる。僕の人生の全てを賭けて、アネットを幸せにしてみせるよ」
女の子達程ではないが、男二人もそれなりに気安い感じで挨拶を交わす。依頼中は色々あってどことなくよそよそしかった二人だが、今ではこの程度のやり取りを交わす程度には打ち解けていた。
まぁアルは相変わらずよそよそしいままだが……
「でも本当に素敵な式だったわ」
今日一日の出来事をうっとりとした表情で思い返すティア。やはり恋する乙女として、結婚式には並々ならぬ憧れがあるのだろう。
そんなティアの耳元に、アネットがそっと顔を寄せる。
「ふふ、次はティアの番ね」
「えっ?」
はにかむような笑みで囁くアネット。
それを聞いたティアが、目を丸くする。
「もう、何を驚いてるのよ?」
「……まだ私には少し早いわよ」
「もう、そんなこと言ってたら、あっという間に婚期を逃しちゃうわよ。愛しのリオンさんともラブラブなんだし、あとは二人の意思だけじゃない」
「……そう、かしら」
アネットの勢いに少し押されるティア。
横目にそんなティアの様子を見ていたリオンが小さく僅かに眉を寄せる。
何となく返事に躊躇しているような、逡巡しているような感じがするのだ。
もっとも、そんなティアの些細な反応に気付けたのはリオンだけだったが。
「式を挙げる時には、絶対私にも知らせてね」
「……え、ええ、必ず」
返答に詰まるティアの肩を軽く叩き、アネットがティアから離れると、その首にかけていたネックレスを外した。蒼い宝石が光る、シンプルなネックレスだ。
「これ、ティアにあげるわ」
「え? でも、それはこの結婚式の……」
突然の申し出に困惑するティア。
そんなティアに、アネットはイタズラな笑みを浮かべると、強引にティアの手を取ってそのネックレスを握らせる。
「この町の結婚式にはちょっとした言い伝えがあってね、宣誓の儀を終えた花嫁が身に着けていたアクセサリーを手に入れた女性は、必ず幸せな結婚ができるの。だから、これはティアが受け取って」
どうやら前世の日本であった、ブーケトスのような縁起担ぎらしい。式の途中に身に着けていた全てのアクセサリーで有効みたいなので、その恩恵に預かれる女性は多そうだが。
結局、アネットに圧し負ける形で、ティアははにかんだような、困ったような曖昧な笑みを浮かべてそのネックレスを受け取ることになった。
何となくぎこちない笑みを貼り付けたままのティアが気になったものの、さすがに今日の主役二人を放っておくわけにもいかず、リオンも会話を続ける。
その後、すでに出来上がっていたギルムッドが、娘の前で号泣したり、間違えてリオンに向かって「娘をよろしく頼むぅうううう!」と縋りつき、娘から鉄拳制裁を食らったりした。
さらにはジェイグ達黒の翼メンバーも合流して、どんちゃん騒ぎ。その騒ぎは他の住民や観光客を巻き込んで、夜遅くまで続いた。
その中で、アルがエクトルと和解……というか、これまでの暴言等を謝罪する一幕もあった。その時のアルの様子を一言で表すなら『ツンデレヒロイン?』。その姿がアネットを含む町のお姉様方の琴線に触れたらしく、しばらくアルはモフモフされていた。
しかしリオンはそんな騒ぎに巻き込まれつつも、少し様子のおかしいティアがずっと気になっていた。
遠く見えるは町の灯り。夜もすっかり更け、もうすぐ日が変わろうかという時分になっても冷めやらぬ喧騒が、遠くここまで届いている。
そんな光景を横目に見下ろしながら、リオンは高台へと続く坂道を登っていた。
(……なかなかに絶景だな)
主な街道沿いに真っ直ぐに並べられた魔導灯。それが式の中心となっている中央の広場から、放射線状に広がっている。その光景を上から見ると、まるで大きな光の花が咲いているよう。
きっと魔空船に乗って真上から見たらまた違った美しさがあるかもしれない……明日の出発を前に改造を終えたはずの船を思って、リオンは少しのもったいなさを感じていた。
(もっとも、次にこの景色が見れるのはいつなんだろうな)
普段のガルドラッドであれば、このような夜景はお目にかかれない。あの眩いばかりの灯りは、今日の結婚式があるからだ。次にこの町で結婚式が開かれるのは、果たしていつの事なのか。この町の住人ではないリオンには、与り知らぬことだ。
「結婚式、か……」
ポケットの中の感触を確かめながら、ポツリとそんなことを呟くリオン。
エクトルとアネットの結婚式は素晴らしいものだったと思う。
幸せに溢れたあの光景を思い出しながらも、リオンの心はこの先にいるであろう人物を思っていた。
程なくして、リオンは目的の場所へと辿り着く。
そこはガルドラッドの町を見下ろせる高台。今尚続くパーティー会場から、歩いて三十分ほどの距離にある。
リオンは知らないが、そこは二か月前、本日の主役二人が永遠の愛を誓いあった場所でもある。
そんな場所に、リオンの探していた姿があった。
「ティア」
リオンの最愛は、白銅製の柵に身を預け、眼下の景色を眩しそうに見つめていた。今はこちらの呼びかけに振り返って、空色の瞳を丸くしている。
「……リオン、どうしてここに?」
それはもちろんティアを探していたからだ。
パーティー会場からティアが消えていたのはすぐに気付いた。
それだけならこんなすぐに探しに来たりはしなかったのだが、その前のティアの様子がやはり気になった。なので、酔って絡んでくるジェイグやギルムッドを適当に躱して、こうしてここまで追いかけてきたのだ。
もっともそれをそのまま言葉にするのは、ティアの心配性が移ったみたいで少し照れくさかった。
「いつも空を見上げてばかりだからな。たまにはこうやって、景色を見下ろしてみるのも悪くないだろ?」
ティアの隣に並んで、リオンは夜に輝くガルドラッドの街並みを見下ろす。
もっともリオンのそんな誤魔化しがティアに通じたとは思っていなかったが。
案の定、リオンの内心を全て見透かしたティアは、「もう……心配性なんだから」とリオン以上に照れ臭そうな微苦笑を浮かべて、リオンの隣に寄り添うように並んだ。
「キレイね……」
「ああ……そうだな」
リオンの肩にそっと頭を預けるティア。夜風がティアの長い髪を撫でていく。
「……明日でこの町ともお別れね」
「……また来ればいいさ。魔空船があるんだ。いつでも遊びに来れる」
「ふふっ……今度来るときには、アネット達にも子供ができてるかもね」
「かもな」
そんなことを語らいながら、穏やかな時間を過ごす。
ふと会話が途切れた。流れるのは心安らかな沈黙。どちらからともなく視線が合い、どちらからともなく口付けを交わす。
長い触れ合いのあと、互いの感触を名残惜しむように唇が離れる。空色の瞳と目が合うと、ティアは少し恥ずかしそうに目を伏せた。まだ慣れていないらしい。
もっともそれはリオンも同じだったが。
そうして幾度かのささやかな、だけど熱い触れ合いを交わした後で、再びガルドラッドの街並みに視線を向けたリオンが、徐に口を開いた。
「………………ティアに、謝らなきゃいけないことがあるんだ」
少し困惑した視線をリオンの横顔に向けるティア。何も言わずに、じっとリオンの言葉の続きを待っている。
「俺には人生を賭けて、追いかけて……叶え続けたい夢がある。そして、その夢にはきっと終わりはない。だから俺はこの先ずっと、夢と共に生き、そして夢の中で死ぬだろう」
その夢を語るリオンに、迷いは無かった。
それが難しい道であることは理解している。命の危険があることも。
だが、それでもと願った夢だ。そして既にその入り口に足を踏み入れている。今更迷うことなどあり得ない。夢を追うのを止めた時、リオンはリオンでなくなってしまうから。
「だからきっと……俺は、エクトルのようにティアの為に人生の全てを賭けることはできない。アネットのように、普通の女性としての幸せをティアに与えることは……できないかもしれない」
しかし迷いは無くとも、ずっと隣にいて欲しいと願ってやまない少女をその夢に付き合わせてしまうことに、後ろめたさを感じないわけではない。今日のような幸せな一幕を見た後なら尚更だ。
ましてやその光景を、羨むように見つめる最愛の姿を見てしまったのだから……
「それについては本当にすまないと思っている……だけど……」
町の景色から顔を上げて、リオンはティアの揺れる瞳を真っ直ぐに見つめる。
「それでも俺は、これからもずっとティアに傍にいて欲しい」
自分勝手な願いだとは解ってる。自分は相手のために人生の全てを捧げることはできないのに、相手には自分のために人生を捧げろと言うのだ。傲慢と罵られても仕方ない独り善がり。全部解ってる。
「それでも俺は、ティアが欲しい。俺と一緒に、夢の先へ来て欲しい。だから……」
ティアから視線を逸らすことなく、リオンはコートのポケットからそれを取り出した。
「これを、受け取って欲しい」
驚きに丸くなったティアの眼前に、捧げるように差し出した物。
それはリオンの誓いの証。
光の魔石が白く光る、ミスリルの指輪。
ガルドラッドに着いたその日、ティアが足を止めて見つめていた、あの指輪だった。
「俺の人生の全ては捧げられないけど、残りの全てを賭けてティアを守る。幸せにすると誓う。これはその証だ……受け取って、くれないか?」
差し出されたリオンの手を、誓いの指輪をじっと見つめるティア。
先とは違う沈黙が二人の間を流れる。
その空色の瞳からは、ティアの答えは読み取れない。
そんな、リオンにとって果てしなく長い静寂の時間は……
「もう……そんなこと気にしてたのね……」
呆れるように漏れたティアのため息だった。
もっともその宝石のような瞳には涙が滲み、月光と街灯りに照らさる顔には曇り一つない笑みが浮かんでいた。
そんなティアの笑顔に見惚れながらも、リオンはそれ以上の動揺に晒されていた。
「いや、でも、さっきエクトル達の結婚式を見て、何か言いかけてたし……」
「あれは、私もアネットみたいに、ずっとリオンの傍にいるねって言おうと思ったの!」
「は? でも、じゃあなんで途中で言うの止めたんだ?」
「だって、何故か周りから視線を感じたから……大切なことだから、そんな所で言いたくなかったんだもの……」
その正体は、主にティアに好意を寄せる男共がティアに見惚れる視線と、リオンへの嫉妬の視線だ。
「じゃあアネットからの結婚の話で返事に詰まっていたのは?」
リオンの問いに、少し言いにくそうにティアがわずかに眉を寄せる。
「あれは……アネット、私を年上だと勘違いしてるような気がして……」
ティアが、何とも言えない表情をしている。
だが言われてみると、確かにそうかもしれない。
アネットは、エクトルと同じ二十三歳。ティアの五つ上だ。
この世界では十五で成人とされる国が多い。身分や職業にもよるが、一般女性の結婚年齢の平均は二十代前半だ。対してティアは十八歳。結婚してても全くおかしくはないが、まだ焦るような年齢でもない。
だが先ほどのアネットは、妙に結婚を急かすような、危機感を煽るような発言をしていた。年上、少なくとも自分と同い年くらいには思っているかもしれない。
ティアはもともと容姿が大人びている。その上、そこらの一般的な女性に比べても、その人生は波乱に満ちていると言っても過言ではない。そのせいか同年代の女性よりも落ち着いた印象を受けるらしく、実年齢より少し年上に見られることも多かった。
……断じてティアが老けているというわけではない。
「今、何か変なこと考えなかった?」
「いや、何も」
ティアの笑顔が冷たい! リオンはシルヴェーヌを相手にする以上に必死に表情を取り繕った。
「じゃ、じゃあ、二人の結婚式を羨んだんじゃ……」
「それは……少しは、良いなぁと思ったけど、そこまで深刻には考えてないわ」
「……一人でこんなところまで来たのは?」
「ただの酔い覚ましよ」
と、いうことらしい。つまりはリオンの完全な勘違い、空回りというわけだ。
そう理解した途端、顔が一気に熱を帯びる。さっきまでの恥ずかしいセリフも思い出した。今すぐ高台から飛び降りて逃げ出したい。
「ふふっ、戦いの場では冷静沈着で聡明な獅子帝さんも、女心に関してはまだまだなのね」
「……その呼び名はやめてくれ」
からかうように笑うティアに、リオンはどうにかそう返すことしかできなかった。
「そもそも、リオンに付いて行きたいって言い出したのは私の方じゃない。リオンがそんなに責任を感じることないのに」
「いや、そうは言ってもだな――」
何とか反論を試みるリオンの口を、しかしティアの人差し指がそっと塞いだ。
「だいたい、リオンは私がどれだけリオンを好きかわかってないのよ」
飲み込みの悪い生徒に教える教師のような態度で、ティアがそんな恥ずかしいことを言い出した。まだ酔いがさめていないのかもしれない。
「私は空を飛ぶって夢を追いかけるリオンが好き。夢を語るリオンの笑顔が好き。空を見上げる横顔も、空を飛んでる時のキラキラした眼も大好き。もちろん普段のクールな表情も、優しいところも全部好き。他にも――」
「わかった。わかったからティア。だからその辺に――」
「ううん、全然わかってないもん」
大好きの連発に限界を迎えたリオンの羞恥心が制止を呼びかけるが、何故か子どもっぽい口調で怒られた。酒のせいもあるだろうが、感情が昂ぶると精神年齢が逆行するのかもしれない。正直スッゴイ可愛いと思ったが、状況的に口に出すわけにはいかなかった。
「結婚だとか、普通の女の子の幸せとかどうだっていいの! 私にとって一番の幸せは、リオンの傍にいること! 私の夢は、リオンの夢を支えることなの! だから……」
そこで言葉を止めたティアが、ふっとリオンの胸に飛び込んできた。
「だからもう、さっきの言葉だけでもう充分幸せなの……幸せすぎて怖いくらい」
受け止めたリオンの胸に、ティアが顔を埋めた。少し戸惑いながらも、腕の中にあるティアの髪を優しく撫でる。
「ねぇ、さっきの言葉、もう一回言って?」
リオンの腕の中、顔を上げて潤んだ瞳を向けてくるティア。そんな瞳を至近から見つめ返して、ティアが望む言葉をもう一度口にする。
「ティアにずっと傍にいて欲しい」
「うん……」
「ティアが欲しい」
「うん……」
「俺と一緒に、夢の先へ来て欲しい」
「うん……」
「……愛してる、ティア」
「……私も、愛してる、リオン」
先よりもずっと長く……言葉では伝えきれない想いの全てを込めるように、ティアの細い体を強く抱きしめ、口付けを交わす。
そんな長いキスの後、リオンに寄り添ったままのティアが甘えるように言った。
「ねぇ……指輪、着けて……」
その願いに応えて、ティアの左手をそっと手に取る。
「誓うよ、ティア……俺が俺である限り、何があろうとお前を愛し続ける」
ティアは自身の薬指にリオンが指輪をはめるのを、目に焼き付けるようにじっと見つめていた。
「キレイ……」
左手の指輪を月明かりにかざすように持ち上げ、うっとりと眺めるティア。
そんなティアをもう一度強く抱きしめる。
「私も、誓うわ、リオン……」
リオンの胸にそっと左手を当てて、ティアも誓いの言葉を返す。
「あなたを愛してる。この先何があっても、ずっとあなたの傍にいる。ずっと傍で、あなたを、愛し続ける……」
二か月前、とある男女が永遠の愛を誓った場所。
その場所で、新たな恋人同士が同じく永遠の愛を誓う。
――この日から数カ月後、ガルドラッドのとある高台にこんな伝説が生まれた。
『その高台で愛を誓った二人は、永遠に幸せになれる』
その高台は、恋人の聖地として長く親しまれることになる。
そしてその発端となった二組の恋人達の話は、妙な脚色が施される形で広まることになった。
その噂を耳にした黒髪の冒険者が、その赤面必死の内容に悶絶することになるのだが……それはまた別の話である。