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救出作戦開始

「……まるでちょっとした城だな」


 小高い丘の上から眼下に広がる光景を見つめるリオンが、驚嘆と呆れとわずかの感心を含んだ呟きを零した。


 森を抜けた先にある半径百メートルほどの円状の窪地。その中央にそびえる女帝の棲み処は一本の巨大な樹……いや、正確には窪地の外周部分から中央に向かって伸びた植物のツタが中心部で絡まり、一本の大樹のように見えているのだ。所々に魔物が出入りするための穴が開いたその姿は、リオンの言う通り魔物の棲む城とも言えるだろう。


城の周囲には配下の魔物の姿が。どうやら外にいるのはゴブリンなどの下級の魔物から中級くらいまでらしい。それがまるで蜜にたかるアリのように、城を中心にうじゃうじゃと群れを成していた。


 ガルドラッドを出発して三日目。女帝の棲み処の近くまで辿り着いた討伐隊一行は、出発前に予め与えられた各々の役割を果たすために周囲に散っていった。


 その役割は大きく分けて三つ。先行して女帝の棲み処に潜入し、囚われた人々を助け出す『救出部隊』、配下の魔物を相手にする『殲滅部隊』、そして城に乗り込んで女帝を討つ『討伐部隊』である。


 黒の翼のメンバーはそれぞれの班に二人ずつ配置された。救出部隊にファリンとティア、殲滅部隊にジェイグとミリル、そして討伐部隊にリオンとアルだ。


 事前に潜入した冒険者のお陰で内部の構造はある程度把握できている。囚われた人々が女帝の近くにいるのならば、討伐部隊と救出部隊は一つにまとめられたのだが、どうやら女帝のいる場所と監禁場所が離れているらしい。


 また、もしも要救助者の安全を確保する前に女帝を討伐してしまうと、周囲の魔物の洗脳が解け、彼らが襲われる可能性がある。だからこそ救出部隊が先行し、要救助者の安全を確保。それができて初めて、女帝を討伐することができる。


が、ここでも少し問題が発生する。


 潜入に成功し、囚われた人々の元に辿り着いたとしても、彼らを助け出せば、彼らから魔力を奪っているであろう女帝に、こちらの存在がバレるのではないかということだ。そうなれば、救出部隊は敵地の奥で魔物に囲まれることになる。囚われた人々を守りながら戦うのは、いかに高ランクの冒険者達と言えど難しい。


 ゆえに、救助部隊は監禁場所に辿り着き次第、外の部隊に合図を送る手筈になっていた。その合図を待って、城の周囲を囲んでいた殲滅部隊が一斉に暴れ出し、敵の戦力を分散させる。


 そして、最後の討伐部隊は配下の魔物との戦いを極力避け、一直線に女帝を目指すわけだが……これは殲滅部隊に配下の魔物を殺され、さらに捕らえた人間を奪われた女帝が、己の劣勢を悟って逃亡されるのを阻止するためでもある。


いくら殲滅部隊が囲んでいるとはいえ、女帝の配下には飛行型の魔物もいる。高ランクの冒険者の集団とはいえ、空に逃げられれば追いかけるのは難しい。その前に、何としても女帝の息の根を止めなければならないのだ。


「ティア姉とファリン達はもうアネットさん達のところに着いたかな?」

「作戦が順調なら、もうそろそろ着く頃だろう」


 隣に立つアルからの問いに、女帝の城を真っ直ぐに睨み、そしてすでにその内部に侵入している二人の家族の姿を想いながらリオンが答える。


 この部隊編成への黒の翼の班分けは容易だった。


ティアとファリンが救出部隊に組み込まれるのは当然。


身の丈を超える大剣を軽々と振り回すジェイグは、対集団戦では無類の力を発揮する。広範囲に攻撃可能な魔導具を扱うミリルも殲滅部隊が適任だ――ミリルが「試したい新作があるのよね~」といういつもの発言に、コンビを組むジェイグが顔を引き攣らせていたが……


そして残ったリオンとアルは、討伐部隊に選ばれた。まぁ|部隊≪・・≫と言っても、その役を担うのはリオンとアル、シルヴェーヌの三人だけだが。そのシルヴェーヌも、突入の助勢をしてくれるだけで、城の内部にまでは付いてこない。さすがに全体の指揮官が、敵陣のど真ん中に突入するのはマズい。むしろ戦闘に直接参加すること自体がかなり驚きだった。


 なお、二級と四級という高ランクとはいえ、まだ冒険者としては若輩である二人が大任を任せられることには、他の冒険者から少なからぬ反発があった。


また、緊急依頼の報酬は一律だが、依頼中の魔物の討伐報酬や素材は倒した冒険者の物になる。そのため女帝という非常に珍しい魔物の素材は、他の冒険者からしてもかなり魅力的な獲物なのだ。


 だが、いくら女帝のみの討伐を目的にし、他の魔物を全て無視してもいいとはいえ、ギルドマスターであるシルヴェーヌとグラフの強い推薦があったため、全員がそれに従うよりなかった。


「合図と同時に突入だ。準備はできてるな?」

「当ったり前だろ? オレを誰だと思ってるわけ?」


 ミリルのマネをするアルからは、大役を前にした緊張は感じられない。アルのモチベーションを示すように、ふさふさの狐尻尾が高く上げられていた。エメネア城潜入の時のように焦って失敗することはもう無いだろう。


「なかなか似ているじゃないか。今度ミリルの前で見せてみろよ」

「……やめてよ、また魔導具の実験台にされる」


 意地悪な笑みを浮かべるリオンに、アルの肩と狐尻尾がシュンと下がる。どうやら魔物の女帝より、我が家の女帝の方が怖いらしい。


 この地方一体の命運を賭けた戦いを前にしては少々緩んだやり取りを続けながら、リオンとアルはティア達救助部隊の合図を待ち続けていた。







女帝の城の内部は、まさに植物の迷宮といった様相を呈していた。


魔物が出入りする通路の壁は、全て暗緑色のツタで形作られており、所々に毒々しい色をした花が咲いている。


通路の広さは場所によってバラバラ。人が一人通るので精いっぱいのところもあれば、ダイナドランのような大型の魔物も通れそうなほど広いものもある。それがまるで植物の根のように不規則に広がり、侵入者を惑わせる。


城の中は入り口から数歩も入り込めば、月明りは届かない。だが、薄緑色の不気味な光を放つ小さな花が、廊下の壁や天井に点々と咲いているため、薄暗くはあるが内部の視界はそれなりに保たれていた。


もっとも、魔物に見つからないようファリンの闇魔法を用いて隠形しているので、ティア達にその光が届くことは無かったが。


(事前に斥候が内部の様子を調査してくれてなかったら、ここまでスムーズに潜入できなかったでしょうね)


 ファリンの作り出す闇に身を潜めるティアが、顔も知らない功労者に感謝の念を送った。


ティア達の配属された救出部隊は全部で十四名。それが闇属性持ちを中心に五つの班に分かれて行動している。


ティアはファリンと二人だけだ。ファリンの闇魔法の実力を考えれば、単独参加の冒険者を一人二人加えても全く問題は無いのだが、ミュンストル防衛戦で注目の的となった|流星の女神≪ミーティア≫と組みたがる男性冒険者が殺到したため、ファリンと二人だけで行動することになった。


なお、救出部隊には他の女性の冒険者もいたが、ファリンと同じく闇属性持ちだったので一緒に行動する意味が無かった。


わざわざ部隊を分けたのは、五人分の闇魔法によるマナの枯渇を防ぐのと、大勢で動いて魔物に見つかるリスクを低減するのが目的だ。万が一どこかの班が魔物に見つかった場合は、殲滅部隊の出動を前倒しになる。同時にその班は囮となり城内の魔物を監禁場所から遠ざけることになっていた。


(まぁ彼らがそんな失敗したりしないでしょうけど)


女帝討伐の緊急依頼にはランク制限が設けられたため、集った冒険者は全員が中級以上だ。女帝に洗脳され、思考力の低下した下級や中級程度の魔物に発見されるようなヘマはしないだろう。


現在はファリンの先導に従い、薄暗い廊下を真っ直ぐに突き進んでいる。時折、見張り役の魔物を察知したファリンから合図があると、天井に張り付いたり、物陰に隠れたり、時には少し引き返して別の通路に身を潜めたりしてやり過ごす。


下級の魔物数体であれば物音一つ立てずに仕留めることは可能だが、それは最終手段にしたい。死体の隠し場所が無いうえ、血の匂いで潜入がバレる可能性があるからだ。


ゆえに、囚われた人々を早く助け出したい気持ちを押し殺して、ティアは監禁場所までの道程を慎重に進んでいた。


そうして二人が潜入を開始して三十分ほどが経った頃、前方を歩くファリンがティアの前に手をかざした。本日、何度目になるかわからない静止の合図だ。


闇魔法の中では術者以外は魔法の影響を受けて外の状況をほとんど把握できない。魔法内にいる味方の姿は把握できるよう調整してくれているので、潜入中の簡単なやり取りは、基本的に身体の接触とハンドシグナル、アイコンタクトなどで意思疎通を図っている。


(奥の部屋に魔物の気配……数は十二体……か)


ファリンのハンドシグナルを読み取ったティアが、口元に右手を当てて状況を分析する。魔物の構成はオークとウォーリアウルフ(二足歩行の狼、ランクは七級)が六体ずつらしい。


(確か事前の調査では、監禁場所まであと少しのはず……だとしたら、奥にいる魔物は見張りかしら……)


どうやら奥の部屋はそれなりの広さがあるようだ。ティアとファリンならば、気付かれることなく通り抜けることは可能だろう。


だが……


(監禁場所までの距離を考えると、できればここで倒しておきたいわね)


捕らえられた人達を解放しようとすれば、ここにいる魔物達はすぐさま監禁場所に駆けつけてくる。どうせ戦うことになるならば、守るべき者がいない今のうちに仕留めておくべきだろう。


「ファリン、この場に他の組が来たら、それを察知できる?」


一度、奥の部屋から離れた後、ファリンの耳元に顔を近づけて小声で尋ねる。さすがにシグナルに無いやり取りは会話で伝えるしかないからだ。


ティアの問いに、ファリンは一瞬だけ顎に手を当てて考える素振りを見せたが、すぐに任せろと言うように笑顔で頷いた。周囲の気配を探りだした。


ティアとファリンは救出部隊の先頭だったので、残りの組はティア達の後ろからやってくるはず。さすがに魔物十体を騒がれずに全て仕留めるのはティア達でも無理だ。後続の班と協力できるならそれに越したことは無い。


事前の打ち合わせでは監禁場所で集合することになっていたが、冒険者の世界で作戦通りに事が運ぶことなどそう多くない。この程度の変更は許容範囲だろう。


程なくして、後続の組がティア達の後方から姿を現した。


どうやら向こうはこちらの気配を把握できていなかったらしい。中級以上の実力を持つ冒険者の隠形を見破り、かつ自分達の気配は直前まで悟らせないファリンの実力に随分と驚いていた。


中には自分達よりも遥かに若いファリンに負けたことで、少し自信を喪失した者もいたようだ。さすがに敵地のど真ん中で落ち込んでいる場合ではないので、すぐに持ち直したが。


 魔物のいる部屋から少し離れた場所に集まった冒険者達にティアが指示を出す。


「私達は奥のウォーリアウルフを狙います。他の組は入り口側と左右から奇襲してください。合図はこちらで出します」

「任せてくれ」

「俺の腕前、見ててくれよな」

「女神の仰せのままに」


ティアの判断に特に異論は出なかった。こういった役割に慣れていないティアは内心でホッと胸を撫で下ろす。


ただ、ティアの指示を聞いていた冒険者達の、特に男の冒険者の気合の入り方が異常だったのが少し……いやかなり気持ち悪かった。数少ない女性冒険者の空気が冷え切っているのにも男達は気付いていないようだ。


 潜入前のドタバタから、鈍感なティアもさすがにその理由は察してはいる。


あまり考えないようにしているが……


どうやら移動中の馬車でのリオンとティアのイチャイチャは、ごく一部の人間にしか見られていなかったらしい。散開後、ファリンがティアにだけ聞こえるように「リオンの恋人だって教えたらどうなるかニャ?」と悪戯っぽい笑みを浮かべて言っていた。作戦後に巻き起こりそうな騒動を予感して、ティアは内心で大きなため息を吐いた。


 魔物に気付かれないよう、壁際を通って部屋を通り抜けていく。そのまま反対側の出入口まで到達した二人は、他の組が配置に着くまで、その場でジッと息を潜める。


 この場の魔物の強さはたいしたことは無い。


だが、一体でも仕留め損ねると、仲間を呼ばれる可能性がある。そうなるとこの後の救出活動はかなりやり辛くなるだろう。


失敗は許されない。


ファリンの作り出す暗くもどこか暖かさを感じる闇の中で、ティアは肩に入った力を抜くように小さく息を吐いた。


 そうして数秒後、ファリンがティアの肩を叩いた。どうやら他の班も配置に着いたらしい。


 その合図でティアは即座に魔法を発動。


拳大の光球が上空に向かって放たれる。


 暗緑色の怪しい光のみの室内に突如現れた眩い光源。その場にいた魔物視線が全て、天井付近を漂う光球に集まる。


 その瞬間、ファリンは闇魔法を解除。


漆黒の闇が突風にかき消される霧のように掻き消え、視界が一気に広がっていく。


同時にティアが駆け出した。


 ――そして一閃


一番近くにいたウォーリアウルフの首を魔弓の刃で切り落とす。


凶悪な狼の顔が、酷く間抜けな表情を張り付けたまま横にズレ、グチャッと生々しい音を響かせて地面に落ちた。


すぐ傍では、ファリンも別のウォーリアウルフの下顎に鉤爪を突き刺していた。右手に装着された四本の刃の先端が、狼の顎を突き抜け、後頭部から顔を覗かせている。光球を見上げたまま頭部を貫かれたウォーリアウルフは、何が起こったかを理解する間も無いまま絶命した。


 その他の場所でも、身を顰めていた冒険者達の手によって、室内の魔物は全て仕留められていた。声を出されないように全員が頭部を狙い、一撃のもとに命を絶ち切る手腕は見事なものだ。さすが中級以上の冒険者のみを集めた部隊なだけはある。


「お疲れ様です。皆さん、見事な手際でした」


 集まってきた冒険者達に労いの言葉をかける。男達は言わずもがな、女冒険者達もどこか誇らしげにそれぞれアクションを返してきた。


「事前の調査ではこの先が囚われた人達がいる部屋のはずです」

「ああ、仲間の匂いも強くなってる。まず間違いないだろう」


 冒険者の中の一人――見た目からして、おそらく犬の獣人だろう――が、ティアの言葉を肯定する。どうやら先の防衛戦で仲間の一人を連れ去られたらしい。仲間の姿を探すように、通路の奥の暗闇を真っ直ぐに見つめている。


「早く皆を助け出しましょう。ただし、何が起こるかわからないので、油断はしないように」


 全員に注意を促したあと、ティアとファリンの二人は隊の先頭を走る。もはや姿を隠す必要は無い。この先の囚われた人々を助ければ、すぐにこちらの動きは伝わるのだから。ならばここから先は、敵に見つからないことよりもスピードが重要になってくる。


 ツタの壁が続く薄暗い廊下を一気に駆け抜ける。左側へカーブを描きながら続く一本道には魔物の姿は無く、一分も経たずに目的の場所へと到達した。


「これは……」

「ちっ、薄気味わりぃ」

「これが女帝の……」


 そこは妖しくも幻想的な場所だった。


ここに来るまでにも見かけた暗い緑光を放つ花が部屋の至る所に咲き乱れ、部屋全体を不気味に照らしている。見慣れない、血のような赤い花からは、風も無いのに細かな花粉が吹き上がる。緑光を受けてさらさらと室内に降り注ぐそれは、まるで緑色の雪のようだ。


 そして壁面には何十人もの人間の姿……まるで壁に飲み込まれたかのように、項垂れたままいくつもの太いツタに絡め取られている。胸から上だけが壁から飛び出したその光景は、まるで人間の剥製はくせいだけを陳列した博物館のようだ。


「ザイグル!」


 室内の異様な光景に立ち尽くしていたティアのすぐ後ろから、悲痛な叫び声が弾けた。


室内を覗き見た冒険者――さっきの犬の獣人――が捕らえられた仲間を見つけたようだ。入り口で立ち止まったままのティアとファリンを押し退けて、仲間を助け出そうと駆け出す。


「待って!」


 ティアがその肩を慌てて掴んだ。急に跳び出した獣人を、強引に引き留める。


「何故止める!」


獣人の冒険者は、犬歯を剥き出しにし、噛みつかんばかりの勢いでティアを睨みつけてきた。仲間を目の前にして、少し頭に血が上っているようだ。


「落ち着いてください。この部屋に漂っている花粉……もしかしたら人間の動きを封じるための毒かもしれません。不用意に部屋に入っては危険です」

「…………そうだな……すまない」


 食って掛かってくる犬の獣人をどうにか宥める。ティアの説明に、一応納得はしてもらえたようで、忌々し気に室内を睨みながらも何とか引き下がってもらえた。


それを見届けたティアは、改めて部屋の入り口からざっと室内を見回す。


 赤い花の花粉は捕らえた人間が吸い込みやすいように噴射されているようだ。そのためティア達がいる部屋の入り口付近までは漂ってこない。だが、その部屋には今いる場所以外に他に出入り口は無かった。風で花粉を排出するのは難しいだろう。


「あの花そのものをどうにかするしかないわね……」


 呟いたティアが、入り口に近い場所にある花に魔弓を向けた。淡い光を纏った魔弓から五本同時に放たれた魔法矢が、すでにティアの代名詞にもなった流星ミーティアのように薄暗い室内を奔り抜ける。


 バシュッ、という小さな炸裂音を響かせて、赤い花に魔法矢が直撃した。衝撃に散った赤い花弁が、まるで血飛沫のように弾け飛ぶ。


 別の場所では、ティアの意図を理解したファリンや他の冒険者が、魔法や飛び道具などを使って赤い毒花を散らしていく。燃え広がると人質が危険なので、冒険者が使っているのは風や水、雷や光の魔法だ。雷や光魔法も引火する危険はあるが、ただ花を撃ち抜くだけで加減を間違えるほど未熟な者はこの中にはいないだろう。


 そうしてものの五分ほどで全ての毒花を散らすことができた。念のため先ほどの犬の獣人が魔法で作り出した霧で空中に残った花粉も全て落とし、舞い上がることが無いようにして、ようやくティア達は室内へと踏み込んだ。


「速やかに拘束を外して下さい。ファリンは外の部隊に合図を」

「了解ニャ!」


 ティアの指示に従って、冒険者達が素早く散開していく。先ほどの犬獣人の冒険者は、真っ先に仲間の元へと駆けよって行った。


 そんな中ファリンだけは、一人来た道を逆走していく。冒険者達が囚われた人達を助け出している間に、ファリンは外で待機中の殲滅部隊に合図を送る手筈になっているのだ。具体的にはミリル特性の魔導爆弾――火を使わない特殊仕様らしい――で城の壁を破壊する。さすがにこの部屋の中で爆弾は使えないので、一つ前の部屋の壁を破壊することになるが。


そんなファリンの背中を見送ったティアも自身の役目を果たすべく、奥の方に拘束された女性の元へと走る。


(おそらくこれで女帝に私達の侵入が知られるでしょうね……急がないと……)


 拘束された女性を傷つけないよう注意しながら、ティアが壁のツタに魔弓の刃を突き立てる。


(思ってたよりも硬いわね……)


 予想以上に硬い手応えに、小さく歯噛みする。太いツタが幾層にも重なっているようで、破壊するのは少し手間取りそうだった。


 慎重に、迅速に救出活動を続けていると、監禁部屋の外から轟音が響き渡った。ファリンが魔導爆弾を爆発させたのだろう。爆発音の大きさと振動から、その威力の凄まじさがわかる。


(……少し強すぎじゃないかしら? ……帰ったら注意しないと)


 エメネア城潜入の際に使用した魔導爆弾の威力を思い出して、ティアが思わず冷汗を流す。作戦上、威力が高いのは好ましいことなのだが、凶悪化し続けるのは、それはそれでどうかと思う。身内の作品なだけに。


 実は予想以上の爆風で、起爆したファリン自身も軽い被害を受けていた。「ウニャア!」と可愛らしい悲鳴を上げて尻餅をついたファリンが、打ったお尻を摩りながら、帰ったら絶対文句を言ってやるニャ! と決意を固めていた。


 そんな二人の決意とほぼ時を同じくして、外で待機していた狼少女が、ヘクチッ! と可愛らしいくしゃみをしたのは、きっと偶然ではないだろう。


 そうして救出活動は続く。すでにティアが助け出そうとしている女性の体からは、ほとんど拘束が外れていた。あとは直接体を引っ張れば、助け出せるだろう。


「…………ェ……ル」


 そんなとき、ふとティアの耳に小さな声が届く。


 それは今にも消えてしまいそうなほど弱々しい声。あちこちから聞こえるツタを刻む音に紛れて聞き逃してしまいそうなボリュームだったが、それでも確かにティアには聞こえた。


「…………ト……ル」


 それは今、ティアが助け出そうとしている女性の声だった。さっきよりもはっきりと聞こえたその声に、ティアはその声の主を見つめる。


 俯いた顔は、ボリュームのある栗色の髪に阻まれて見えない。だが、長期間の拘束によってくたびれたエプロンには、所々に煤が付いているのがわかった。その汚れが、どことなくあの気弱な青年の作業着を思い出させて……


(もしかして……)


 ティアの中で芽生えた疑念は、次に女性が発した言葉によって確信に変わった。


「……エ……クト……ル」

「やっぱり……この人がアネットさん……」


探していた人物を見つけられたことに驚きながらも、ティアはアネットの体を壁の拘束から引っ張り出す。わずかに残っていたツタも千切れ、あるいは体から外れたので、助け出すのは簡単だった。


ぐったりと意識を失ったままのアネットの体を、地面にそっと横たえる。


「……可愛らしい人……エクトルさんとお似合いね」


顔に張り付いていた髪と土汚れを優しく払い除けて、ティアはその顔を眺める。


 こんな場所で長い間拘束されていたせいか、青白く少しやつれた顔は、それでも快活そうな女性の魅力を残している。髪留めに使われていた紐が千切れて乱雑に絡まった髪は、元々は三つ編みにでも結われていたのだろう。純朴そうなアネットにはきっとよく似合ったはずだ。


さっと容体を見たところ、かなり衰弱しているが命に別状は無さそうだ。時々苦しそうにうめき声を上げているが、しばらく目を覚ますことは無いだろう。


「……エクト……ル………………エク……トル……」

「アネットさん……」


意識は失っている中で、それでもなお最愛の人の名を呼び続けるアネット。その姿に胸が切なく締め付けられたティアは、気が付けばその手を強く握っていた。


「大丈夫。もうすぐエクトルさんに会えますから」


 意識のないアネットには決して届くはずがない。それはわかっていても、それでもティアはそう声をかけずにいられなかった。


「ティア! 合図完了したニャ!」


 そうしてアネットの容体を診ていると、役割を終えたファリンが戻ってきた。


 いつもならばファリンの頭を撫でて労をねぎらうところなのだが……ティアはわずかに眉を顰めてファリンを見つめる。


「……爆弾一個で大丈夫だったの?」


 外の部隊への合図に使う予定の爆弾は、予備も含めて四つ持って来ていた。なのに爆発音は一発しか聞こえなかったので、おかしいと思ったのだが……


「……とんでもない、威力だったニャ…………」

「……帰ったら二人でミリルにお説教しましょうね」


 答えの代わりに、遠い目をして視線を逸らすファリンに、同情の視線を向けるティア。すでに外で戦闘を開始していた狼娘が、突然の悪寒に身震いしていたが、当然それを二人が知ることはなかった。


「でも、そのお陰で途中の通路も塞がったニャ。これで救助が終わるまで魔物が来る心配も無いニャ」


ファリンはすぐに気を取り直すと、その場の全員に聞こえるように状況を報告する。自分達の退路も塞がったということなのだが、この城の壁の材質は植物のツタだ。脱出するだけならば爆弾なり各々の武器なりで壁を壊すこともできる。先ほどの爆発で空いた穴から出ることも可能だろう。


 この救出作戦で一番ネックだった問題があっさり解決してしまった訳だが、ティアは気を抜くことなくファリンに指示を出す。


「なら、ファリンもこっち……っ!?」


 だが、その指示も強制的に中断されることになる。


 薄暗い部屋の中に突然出現した何かの襲撃によって――


「くっ!」

「ウニャ!?」


 ティアとファリンは、反射的に各々の武器を振るう。鋭い斬撃によって切り落とされた何かが、ボトッという鈍い音をたてる。


 襲ってきたのは、人間の腕くらいの太さの植物のつるだった。その一つ一つがまるで生きているかのような複雑な動きをしながら、二人へと殺到する。まるで蛇の巣にでも迷い込んだかのようだ。


 そこからさらに一撃、二撃、と次々に繰り出される攻撃を無心で迎え撃っていく二人。ザンッ! ザンッ! と、鈍い音の連続が室内に響き渡る。


「くそっ! 何だよこれ!?」

「次から次へとっ!」


 しかも襲われているのはティアとファリンだけではない。少し離れたところで救助活動を続けていた他の冒険者達にも容赦ない攻撃が牙を剥いている。


 だが、一人一人がバラバラに救出を行っていたことが仇になったらしい。前後左右から次々と繰り出される攻撃に、冒険者達は徐々に押され始めている。


「皆さん、このままだと押し負けます! 助け出した人達を守りつつ、中央に集まってください!」


 ティアの咄嗟の指示に、冒険者達は即座に従った。自分の近くの冒険者と徐々に距離を近づけながら後退していく。


 ティアとファリンも近くにいた冒険者と背中合わせに隊形を組んだ。自分が迎撃する範囲が半分、三分の一と狭まっていくことで、かなり落ち着いて敵の攻撃に対処することができる。


「おい、嬢ちゃん。これはどういうことだと思う?」


 逆手に構えたダガーで蔓の一つを切り落とした冒険者が、ティアに声をかけてくる。先ほどの犬の獣人だ。足元には同じ犬の獣人らしき男性が倒れている。おそらくザイグルと呼んでいた彼の仲間だろう。


「おそらく捕らえた人達を逃がさないように、女帝が攻撃をしてきたのかと……」

「だが事前の調査では、女帝の居場所はこことは離れていたはず……いくら自分の城とは言っても、こんなに早く辿り着くことが可能なのか?」


 確かにその疑問はティアも感じていた。近くを徘徊していた魔物が駆けつけてくるならともかく、遠く離れた場所にいたはずの女帝が来るにはあまりに早すぎる。しかも魔物を操ることができる敵の首領が、危険を顧みずに自ら敵を迎え撃とうとするだろうか、と。


 足元を這う蛇のように近づいていた蔓に魔弓を突き立てながらも、考えを巡らせるティア。


 だがその思考を邪魔するように、頭上から無数の蔓が降り注ぐ。


「任せるニャ!」


 力強い声とともに、頭上にスパークが弾けた。


 一瞬で作り出された紫電の剣が、ルーレットの針のように高速で回転する。ヴォン! と空気を焦がす音が響き、雨のように降り注ぐ蔓の全てを雷剣が焼き切った。


 熱量を伴って閃く雷光を恐れたのか、絶え間なく続いていた敵の攻撃の手が止まる。


 そして、全くの偶然ながら、その雷剣が生み出す閃光がティアの思考の答えを照らし出した。


「子ども……?」


 花が生み出す緑光の陰、室内の奥の暗がりやティア達が入ってきた通路の奥にそれはいた。


 全く同じ顔立ちをした五、六歳くらいの幼女。それが確認できただけでも六体はいる。


 見た目は人間の子どものようにも見える。頭頂部に生えた大きな花も、髪飾りと言われればそう見えなくもないだろう。


 だが、その花から髪の毛のように伸びているのは植物の蔓だ。先の焼け焦げたものや、断面が見えるものがあるので、先ほどからの攻撃は全て奴らのものだろう。


 そして、その体には足が無く、足先は壁や地面に埋まっていた。いや、体が埋まっているのではなく、生えているというのが正しいのだろう。見た目が人間と酷似しているので、その光景は不気味で仕方が無かった。


「おいおい、女帝に子どもがいるなんて聞いてねぇぞ」

「……元々、出現例自体が少ない魔物です。知られていない生態があったとしても不思議ではないですよ」


 生物の生存目的の一つは種の保存である。それは魔物であっても変わらない。だが女帝は出現条件ですら正確に解明されていない魔物だ。当然、繁殖行動も、いやそれ以前に繁殖が可能なのかどうかさえもわかっていない。


 だが、今、その生態の一つが明らかになった。歴史的な発見ではあるのだが、それを喜べるのは魔物学者くらいだろう。


(もしも……この子ども達が第二、第三の女帝になるとしたら……)


 女帝の危険度はすでに一級なので、これ以上上がることは無い。だがこの事実が明らかになれば、ギルドの認識は確実に変わるだろう。どういう処理がなされるかは、ティアにもわからないが。


「とにかく、敵の正体が分かったことは幸運です。あいつらが人質に傷付けることはないでしょうけど、こんな状況では救出もまともに出来ません。助け出した人達を奪い返されることがないよう気を付けながら、敵を撃破しましょう」

「了解ニャ! 子どもなんてティアとリオンのだけで十分ニャ!」

「ちょ、ちょっと、ファリン!? こんなところで何言ってるのよ、もう!」


 両の手の鉤爪を構えて攻撃態勢を取るファリンの爆弾発言に、ティアが真っ赤な顔で反論する。ずっと冷静沈着だった救出部隊リーダーが見せる初めての動揺が味方のおふざけというのはどうなのだろう。


 だが、ファリンの放った爆弾が火を着けたのは、ティアの羞恥心だけではなかった。


 |流星の女神≪ミーティア≫に心を寄せる男達にとって、今の発言は看過できるものではなかった。全員の顔に「リオンって誰だコラァ!」と書かれている。その嫉妬と怒りの炎は、きっと目の前の敵に向かってくれるだろう。


完全に八つ当たりだが……


 初めて動揺を見せたティアだが、すぐに気持ちを切り替えて、足元に横たわるアネットの顔を見つめた。


(今度は失敗しない……絶対守ってみせる!)


 そんな決意を固めて、ティアは意識を目の前の敵へと集中させるのだった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] ~その場にいた魔物視線が全て、天井付近を漂う光球に集まる。 魔物視線→魔物の視線 でしょうか。
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