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虜囚と鍛冶師の苦悩

今回は短めです。

最近がちょっと長かっただけかもしれませんが……

(あれからどれくらい経ったのかな……)


 酷い睡魔に襲われた時のようなボンヤリとした意識の中、アネットはすでに何度目になるかわからない問いを繰り返した。


 体だけでなく、時間の感覚もすでに麻痺している。薄く開かれた目蓋の先にはずっと薄暗い世界しか無いので、今が朝なのか夜なのかさえわからない。最初の頃は、時折見える魔物の姿に酷い恐怖を感じていたが、数日も経てばそれさえも感じなくなってくる。人間の慣れとは恐ろしいものだ。


 自身の置かれている状況は、未だによく理解できていない。魔物に捕らえられたことはわかるが、自分がこうして生かされている理由は謎のままだ。たまにオークやゴブリンの姿も見える。奴らに自分の体が穢されているのでは……とも思ったが、この数日、奴らがそのような行為に及んだ記憶は無い。もっとも、意識を失っている時間の方がおそらく長いので、その間に襲われているかもしれないが……


 なるべく考えないようにはしているが、この恐怖だけはどれだけの時間が経っても慣れてくれることは無かった。


(私……ずっとこのままなのかなぁ……)


 ――生きていれば誰かが必ず助けに来てくれる。


 そんな漠然とした希望は、時間と共に不安に飲み込まれていき、やがて諦念へと変わる。深い水の底を漂っているようなぼやけた視界と音のない世界では、自身の心を守ることさえ難しい。もし最愛の人との思い出が励ましてくれなければ、とっくにアネットの心は壊れ、湖に投げられた石ころのように、光の届かない闇の底へ沈んでしまうだろう。


(……エクトル)


 残酷な世界から優しい思い出の中に逃げ込むように、アネットは目を閉じて最愛の人の姿を思い浮かべる。


 思い出の中のエクトルは、やはり剣を打っている姿が多かった。亡くなった両親も鍛冶屋を営んでいたためか、子どもの頃から剣を作るのが好きだったエクトル。共に暮らすようになってからも、時間があればアネットの家の工房へ行っては、アネットの父が仕事をしているのを食い入るように見つめていた。


 父さんや親方みたいな立派な鍛冶師になる――そんな夢をいつも語って聞かせてくれた。そして、そんな夢を語るエクトルの笑顔が大好きだった。


 剣を作っているとき以外は頼りないところもある。ガルドラッドの町でたくさんの職人たちを見ていると、そんな気弱でどうするのか……と心配になることも多い。だからこそ、自分が支えてあげたいとも思うのだが。


 エクトルからプロポーズを受けた時は本当に驚いたものだ。エクトルも自分と同じ気持ちだったこともそうだが、剣を打っているとき以外はオドオドしてばかりのエクトルが、ものすごく真剣な表情で真っ直ぐな思いをぶつけてきてくれたからだ。こんな凛々しい顔もできるんだ……と十五年以上も一緒にいたのに、今更ながらにちょっと感心してしまった。おかげでプロポーズのドキドキが五割り増しくらいになったと思う。心臓が破裂してしまうんじゃないかと心配になるくらいだった。


 そんな優しい思い出の数々が、壊れそうなアネットの心を何とか繋ぎ止めてくれていた。閉じた目蓋の裏に浮かぶ笑顔が、アネットの心を温かい何かで満たしてくれる。


 だが、それと同時に冷たく暗い感情も満ちていく。


(もし……もし私があの魔物達に穢されていたとしたら……エクトルがそれを知ったら、どんな顔するかな……)


 一度でも魔物に体を穢された女性は、たとえ助け出されたとしてもその後の人生は悲惨なものだ。まず結婚することは不可能になる。魔物に犯された女性を抱きたいと思う男などいないのだから、それも当然のことだ。もしかしたら魔物の子を身籠っているかもしれないし、そうでなくても差別や偏見に晒されることも多いのだ。働き口を見つけるのにも苦労するだろう。助け出されたあとで自殺してしまう女性も少なくないという。


 自分ももしエクトルに拒絶されたとしたら……蔑まれたとしたら……エクトルの前から逃げ出し、彼女たちと同じように全てを投げ出してしまうかもしれない。いつか助けが来て、自分がガルドラッドに帰ったとしても、エクトルの傍にいられないのなら……いっそこの場で全てを諦め、心を閉ざしてしまった方が楽な気さえしてくる。


 それでも……


(やっぱり会いたいよ……エクトルにもう一度会いたい……)


 もう二度と抱きしめてもらえなくても……


 もう二度とあの優しい笑顔を向けてもらえないとしても……


 たとえその後で命を投げ出すほどの絶望を味わうことになったとしても、せめて最後にもう一度だけ……


 零れ落ちた涙の感触さえ感じられないくらいにぼやけた世界で、アネットは自身の意識が途切れるまでずっと、最愛の人の名を呼び続けていた。









 ガルドラッドに戻ってきた翌日、魔空船の調査により、女帝の塒はほどなく見つかった。上空からでは正確な数や魔物の種類はわからないが、それでも三百は下らない数の魔物が確認されたらしい。


 その連絡が入るよりも前に、女帝討伐の緊急依頼が発令。数は少ないが、中ランクの魔物の姿も確認できたため、実力の足りない者が参加しないように制限が設けられたが、それでもかなりの数の冒険者が名乗りを上げた。そして今、百名近い数の冒険者がガルドラッドの正門前に集結し、出発の時を今か今かと待ち続けている。


 そんな討伐隊の中央部付近に黒の翼の面々はいた。中央部の馬車は作戦行動中の食料物資やギルドから派遣された指揮官を乗せるためのものだ。冒険者は本来、行軍中に遭遇した魔物の掃討、見張りや偵察などをしなければならないのだが、リオン達は女帝の存在を察知したこと、ミュンストル防衛での活躍などでその実力や功績が認められたことでそれらが免除されている。その分、女帝の塒を強襲するときには、最前線に立つことも約束させられているが。


 今回の女帝討伐ではガルドラッドのギルドマスターであるシルヴェーヌ自らが指揮を執ることになっている。滅多にない事例ではあるが、逆を言えばそれだけギルドが女帝を危険視しているということでもある。また、今回集められた冒険者の中には、リオンと同じく二級の冒険者も数名いる。そんな連中を指揮するには、ギルドマスターくらいの格が無ければ務まらないのだろう。


 ちなみにこの場にティアとファリンはいない。二人には先に馬車に乗り込み、休んでもらっているからだ。


 先日のダイナドランとの戦いの傷や疲れは、この数日の間に癒えている。だが、二人には女帝討伐とは別に大事な任務があるので、念には念を入れて、休息を取ってもらうことにしたのだ。


 その任務とは、女帝を討伐するよりも早く捕らえられた人々を救出すること。救出よりも早く女帝を倒してしまうと、女帝のコントロールを失った魔物が暴走し、捕まっている人達に危害を加える危険性がある。そのため、討伐部隊の攻撃に先行して、数名の潜入部隊が女帝の塒に侵入。捕らえられた人々を外へ連れ出す手筈になっている。


 闇魔法や変身魔術が得意なファリンにとって、潜入はお手の物だ。また捕らえられた人々は女帝の麻痺毒で動けなくなっているはずなので、脱出のためにもある程度の治療が必要だ。そのため、回復魔法だけでなく医学や薬学の知識の豊富なティアは、この作戦の要となっていた。


 そうして出発予定時刻まで残り半刻。シルヴェーヌや他のギルド職員等と、今後の予定などの最終確認を行っていたリオン達の元を、エクトルが訪ねて来たのだ。最初はただの見送りかと思ったのだが、目の前に立ったエクトルの表情を見て、リオンは嫌な予感がした。そしてエクトルの放った一言でその予感が当たっていたことを知った。


「お願いします! 私も一緒に連れて行ってください!」


 ガバッと音がしそうなくらいの勢いで頭を下げたエクトルが、そう叫んだ。普段のオドオドっぷりはどこへ行った? と思うくらいのはっきりとした声色。周囲で積み荷の確認をしていた職員や商人、出発までの時間潰しに雑談をしていた冒険者の視線が一斉にこちらに集まる。


(まさか彼がこう出て来るとは思わなかったな……アルに感化されたか?)


 未だに頭を下げたままのエクトルを見つめながら、リオンが小さくため息を吐いた。


 エクトルが突然このようなことを言い出した理由はわかっている。現在、リオン達はエクトルの依頼を受諾中だ。いくら緊急依頼を受ける為とはいえ、依頼人に何の説明も無いまま依頼を中断するわけにはいかない。アネットが女帝に捕まっている可能性が高い以上、厳密に言えば中断するわけではないのだが、そのことも含めてエクトルとギルムッドには説明しておく必要があった。


 ゆえに、今回の経緯や状況は全て二人には説明してある。一先ひとまず生存の可能性が高くなったことには二人ともわずかながら喜色を見せていたが、現在進行形で魔物に捕らえられ苦しんでいることを思うと素直には喜べないといった様子だった。


 その時、ギルムッドからは、改めてアネットの救出を頼まれたのだが……エクトルはずっと顔を俯けていた。黒の翼全員のエクトルへの印象は、気弱でいつもオドオドした青年というものだったので、まさかその話を聞いて、作戦に同行する気でいたとは思ってもみなかったのだ。


 どうしたもんか……と顔を上げるとシルヴェーヌと目が合った。そのシルヴェーヌの面倒くさそうな目がこう言っている。「あんたの依頼人だろ? さっさと何とかしな」と。


 別にシルヴェーヌに助けを求めたつもりは無いが、リオンとしても面倒であるのは同じだ。なので、もう一度ため息を吐いた後で、リオンは短くこう答えた。


「駄目です」


 問答無用、話し合いの余地無しとばかりに、リオンは踵を返す。強い口調で言い放ち、はっきりとした態度を示せば引き下がると思っていたのだが、エクトルの決意はどうやらリオンが思っていたよりも固かったらしい。背を向けたリオンのコートの裾を掴んで引き留めると、切羽詰まったような眼差しでリオンを見上げてくる。


「お願いします! アネットが魔物に捕まっていると聞いて、居ても立っても居られないんです!」

「……気持ちはわかりますが、戦えないあなたが付いて来たところで何もできないでしょう?」

「それは…………でも……それでも少しでもアネットの傍に居たくて……少しでも早くアネットの無事な顔が見たくて……」


 肩を震わせて、そう懇願するエクトル。周囲からはエクトルに同情する視線が集まる。アルは先日の一件があるせいか、複雑な表情を浮かべているが、ジェイグなどはかなりほだされてしまったようだ。もしリオンが答えに迷う素振りを見せれば、間違いなくエクトルの援護に回っているだろう。だからと言って、リオンの答えが変わることなど無いが……


「……アネットさんは俺達が助け出して、できるだけ早くあなたの元へ連れて帰ります。だから町で大人しく待っていてください」

「皆さんの邪魔はしません! 足手まといだと感じたら、見捨ててもらっても構いません! だから――」


 なおも食い下がるエクトルに、生半可な説得では効果が無いと悟ったリオン。少しきついことを言うことになるが、仕方ないか……と説得の方向性を変えようかと思い始めたところで、それよりも早くしびれを切らした者がいた。


「そういう問題じゃないわけよ」


 リオンの後ろで二人のやり取りを見ていたミリルだ。リオンと考え方が似ていて、かつリオンよりも短気なミリルのことだ。端で聞いているだけでも我慢の限界だったのだろう。リオンの隣に並び立ち、イラ立ちを滲ませた青と緑の瞳でエクトルを睨みつける。


「例えばの話だけど、もしあんたの工房に子どもが入り込んだらどうする?」

「そ、それは……」

「有無を言わさずに追い出すでしょ? そのガキんちょが『邪魔はしないから』って言ったとしても。そりゃそうよね。工房には危ない物が多いもんね。下手に弄られたらそのガキんちょが大ケガするだけじゃ済まないくらい」


 エクトルが口を挟む間も与えずに、ミリルが畳み掛ける。


「足手まといっていうのは、何をしてもしなくても邪魔になるから足手まといって言うわけよ。万が一、あんたが来たせいであたし達や他の冒険者に被害が出たら……女帝を取り逃がしてしまったとしたら、あんたどうするつもりなわけ?」


 ミリルの辛辣な、だが確実に的を射た指摘に、エクトルは何も言い返せなかった。掴んでいたリオンのコートの裾から手を放し、おぼつかない足取りで後ろへ下がる。


 重苦しい沈黙が続いた。時間にしてみれば一分にも満たないものだろうが、その場にいる者からすれば永すぎる静寂。


 そんな沈黙の後、未だに俯いたままのエクトルが、掠れるような小さな声で口を開いた。


「……ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」


 わずかに頭を下げてそう口にするエクトル。項垂れた顔からはその表情は読み取れない。だが、その肩を震わす感情はさっきまでとは異なるはずだ。きっと自身の無力さへの怒りや悔しさを、必死に押し殺しているのだろう。エクトルの両手はギリッと音がしそうなほどに強く握られていた。


「……アネットのこと、よろしくお願いします」

「……ええ、必ず助け出します」


 震える声で託された願いに、リオンがはっきりと頷く。リオンの答えをどう感じたのかはわからないが、エクトルはそれ以上何も言うことないまま、踵を返し、トボトボとガルドラッドの町の中へと戻っていった。


「……すまないな、ミリル。嫌な役回りをさせて」


 見えなくなるまでエクトルの背中を見つめていたリオンが、隣に立つミリルに視線を向ける。面白くなさそうな顔でエクトルの去っていった方を見つめていたミリルだったが、リオンの言葉にフンッと小さく鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


「別に……ちょっとイラついたから勝手に口を挟んだだけよ……」


 拗ねたような表情でそう言い訳するミリル。もちろんイラついたのも本心なのだろうが、本当のところはリオンの代わりに憎まれ役を引き受けてくれたのだろう。ミリルが先に言い出さなければ、同じようなことをリオンも言っていたはずだ。


「ありがとう、ミリル」

「礼なんかいらないわよ! あたしが勝手にやっただけなんだから!」


 小さく笑みを浮かべてリオンが礼を口にすれば、顔を赤くしたミリルが慌ててそう捲し立てる。そしてリオンの視線から逃げるように、背中を向けてしまった。


「こんな憎まれ役くらいなら、いつでも引き受けるわよ……」


 おそらく誰にも聞かせるつもりはなかったであろうその呟きは、風のイタズラかリオンの耳にも微かに届いた。もちろんそのことには触れることなく、リオンはミリルの肩を軽く叩く。


「さぁそろそろ出発だ。到着までは二日ほどかかるが、着いたら派手に暴れてやろう」

「当ったり前でしょ? 魔物が何百体集まろうと、あたしの魔導具で木っ端微塵にしてやるわよ」

「……やっぱり、ほどほどにな」


 腰のベルトに着けたポーチに触れながら、獰猛な笑みを浮かべるミリルに、顔を引き攣らせるリオン。「なんでよ!」とミリルが不満そうに声を荒げるが、近くにいたジェイグとアルもリオンと似たような表情をしていたので、気持ちは同じだろう。


 その後、シルヴェーヌから出発の号令がかかるまでの数分間、黒の翼男性メンバー三人で、ミリルに自重という言葉の意味を教えてやった。効果があったかは、定かではない。


若干暗い話にはなりましたが、彼ら二人の葛藤はしっかり描かないとなぁということで一話丸々エクトルとアネット二人の話です。

人の心情を描く難しさを再認識した回でもありますww

あとアネットさん、ようやく二度目の登場ですww


感想、ご意見、誤字脱字の報告等お待ちしております。

厳しいご意見なども真摯に受け止めさせていただきます。

よろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] ここまでもずっと気になってはいたのですが、 後書きの「ww」のせいで読後感が台無しになっています。
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