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ミュンストル防衛戦4

「リオ……ン?」


 リオンの腕に抱きあげられたティアが、何かを確かめるようにリオンの名を呼んだ。リオンを見上げる空色の瞳がパチクリと瞬きを繰り返している。


 どうやら突然の事態に思考が追い付いていないようだが、どうやら意識ははっきりしているらしい。


 そのことにリオンはホッと胸を撫で下ろした。


 だが、それも一瞬の事。すぐに気を引き締めなおすと、顔を上げて周囲の様子を探る。


(……あそこか!)


 目的の人物はすぐに見つかった。


 今いる位置から十メートルくらいの場所。街灯の柱の陰に、水色の髪の間から猫耳を生やした少女が倒れているのが見えた。


「ちょっと跳ぶから、しっかり掴まってろ」

「え? あ、うん……」


 惚けたままのティアに声をかける。戻ってきた返事からはいつもの大人びた雰囲気が消え失せていた。どうやらショックが大きすぎて一時的に思考年齢が退行してしまったらしい。


 平時であればそんなティアの反応を楽しんでいるところだが、当然今はそれどころではない。言われるがままにリオンの黒コートの胸元をギュッと握りしめたティアを一瞥すると、ダンッとリオンが力強く地を蹴った。


 十メートルの距離を一瞬で跳び越える。ロングコートの裾が翼のように広がった。


 倒れたファリンのすぐ傍に着地したリオンは、抱えていたティアを下ろし、崩れ残った建物の壁に寄りかからせた。


「これを飲んでいろ」


 ベルトに取り付けた革製のポーチから、リオンがコルクで栓をした金属製の試験管のような物を二つ取り出し、ティアの手に握らせる。


 それは二種類のポーション。服用者の体力と魔力を回復させる魔法薬だ。飲めばすぐに全快するほど劇的な効果があるわけではないが、ものの数分で何とか歩ける程度には回復するだろう。


 ポーッとした顔で、コクリと頷くティア。まるで言葉を忘れてしまったかのようだ。


(いつまでもこの状態というのは、さすがに困るんだがな……)


 先程、リオンの奇襲を受けて倒れたダイナドランだが、まだ死んだわけではない。側頭部にリオンの全力の跳び蹴りを食らったため、軽い脳震盪を起こしているだけだ。少し時間が経てば、またすぐに動きだすだろう。


 本来であれば、奇襲の一撃でカタを付けたかったのだが……攻撃を間に合わせるのに必死で剣を抜く暇が無かった。


(まぁポーションを飲めば復活するか……一応、気つけの効果もあるしな)


 横目で様子を窺うと、ちょうどティアが一本目のポーションに口を付けているところだった。


 それを確認したリオンは視線を戻し、横向きに倒れたままのファリンの傍に膝を付く。


(息はあるな……傷は多いが深刻なものではない……呼吸もそれほど乱れていない。あとは臓器や脳にダメージが無ければ良いが……)


 ファリンの体をあまり刺激しないように容体を確認していくリオン。一応、冒険者として最低限の医学知識は持っているが、せいぜい簡単なケガや病気、それと解毒の応急処置ができる程度だ。さすがに目に見えない部分のダメージまで診断できるわけではない。


(とりあえず今は表の傷だけでも治療しておこう。心配するのはそれからでも遅くない)


 再び腰のポーチからポーションを取り出した。コルクの栓を親指で押し開けると、出血の多い傷から順に中の液体を垂らしていく。


 薄紫色の液体がかけられた傷口から、グラスに炭酸水を注いだときのようなシュウウウという音がする。傷に沁みたのか、ファリンの体がピクリと小さく痙攣した。そして、液体と同じ色の煙が薄く立ち上り始め、その煙の奥ではファリンの体の傷がゆっくりと塞がっていくのが見えた。


 一般的にポーションには三種類ある。ティアに渡した二種と、今ファリンに使っている傷の治療用。どれもそれなりに高価なので、危険が付き物の冒険者といえど大量に持ち歩けるようなものではない。


 そんな貴重な薬品を惜しみなく使用するリオン。一本目が空になると、再びポーチからを取り出して、同じように振りかけていく。所持していた分を全て使い切った時には、ファリンの体からにはかすり傷程度しか残っていなかった。


(あとは二人を安全なところへ――)


 治療を終えたリオンが、次の行動に移ろうとしたその時だった。


「……リ……オン?」


 意識しなければ聞き逃してしまいそうなほどか細い声であったが、確かに名を呼ばれた。


 その声にリオンが視線を落とすと、ファリンがゆっくりと目を開けるところだった。震えるまぶたの奥の瞳が、リオンの姿を見つける。


「っ! ファリン!」


 最後のポーションの容器を放り投げ、リオンがファリンの頬に触れる。


 自分はここにいると伝えるように。


「リ、オン……助けに……来て、くれたの?」

「ああ」


 リオンの力強い返事に、ファリンは一瞬だけ口元を綻ばせた。だがすぐに何かを探すように辺りを見回す。


「……ティアは?」

「安心しろ。ティアも無事だ」


 ティアの場所を教えるように、後ろを振り返るリオン。


 ティアもポーションのおかげでだいぶ回復したようだ。空色の瞳を不安そうに揺らしながら、おぼつかない足取りでこちらに向かってきていた。


 そんなティアにファリンの無事を伝えるように、リオンが笑みを浮かべて頷く。


 リオンの真意を正確に汲み取ったティアが安堵の笑みが零れ、その頬から一筋の涙が流れた。


「やっぱり、リオンは凄いニャ……おとぎ話に……出てくる、勇者……みたいニャ……」

「……そんな大層なもんじゃないさ」


 ティアの無事を確認したファリンが、嬉しそうに口にした言葉に、リオンが苦笑いを浮かべる。


 実際、今回の件は、リオンの見通しの甘さや読み違いが原因でもある。もう少し到着が遅れていれば、二人の命は無かったのだ。勇者だとか英雄だとか、そんなご立派な人物とは程遠い愚か者でしかない。


 だが、そんなリオンの言葉を、ファリンが笑って否定する。


「だって、いつも……ファリンや、ティアや、皆を守ってくれるニャ……今日も、こうやって助けに来てくれたニャ」

「かなりギリギリだったけどな」

「それでも、ニャ……きっとまた、ファリンがピンチになったら、絶対……助けに来てくれるニャ……」


 今にも閉じてしまいそうな瞳で、それでも力強くリオンを見据えるファリン。


「それは俺が勇者だからじゃないぞ」


 そんなファリンの視線をしっかりと受け止めながら、リオンが微笑みを返す。


「俺がファリンの家族だからだ」


 そんなリオンの言葉に、ファリンは穏やかに「そっかぁ……」と呟くと、本当に嬉しそうに笑いながらゆっくりと目を閉じた。


「……また気を失ったみたいだな」

「そうみたいね……」


 安心しきった表情で寝息を立てる妹の髪を優しく撫でる。リオンの肩越しにファリンの顔を覗き込むティアも安堵の表情を浮かべていた。


「ティアはもう大丈夫か?」

「ええ、大丈夫。まだちょっと体に力が入らないけど、普通に動く程度なら問題ないわ」


 見れば先ほどよりも足取りはかなりしっかりとしてきている。まだ顔色は青白いが、もう少し魔力が回復すれば良くなるだろう。


「ならファリンを連れて、ここから離れるんだ。規定通り、ギルドが避難施設になっているんだろ? そこに向かうと良い」

「……リオンはどうするの?」


 暗に別行動を指示するリオンに、ティアが不安げな表情で見つめてくる。


「そんなの決まってるだろ?」


 それに対してリオンはティアに背を向け、まるでこれから遊びに出掛ける子どもが家族に行き先を告げるような気軽さで、こう答えた。


「恐竜狩りだ」


 リオンの視線の先では、先ほどまでリオンの跳び蹴りで目を回していたダイナドランが活動を再開していたところだった。瞳に凶暴な光が戻り、その五メートルを超す巨体を起こそうとしている。


 倒れている間にも回復が進んでいたのか、ティアに抉られた片足の傷はかなり塞がっていた。起き上がる頃には、完全に消えているかもしれない。


「たいした回復力だな」

「大地のマナを摂取することで傷を治せるみたい」


 ティアの説明を聞いたリオンが「へぇ……」と感嘆の声を漏らして、ダイナドランの周囲に視線を巡らせる。さっきまでダイナドランが倒れていた場所、丁度奴の顔があった辺りの地面が不自然に抉れているのを見つけ、なるほどと小さく頷いた。


「傷の回復理由は分かったが……たった数分で意識を取り戻したことも驚きだな」


 ダイナドランを奇襲した際、ティア達を助けるため、リオンは自身が出せる最大の速度を出していた。完全に無防備な状態で、身体強化と風の魔法で加速を施した渾身の蹴りを側頭部に受けたわけだ。いくらダイナドランと言えど、あと数分は目を覚まさないと踏んでいたのだが。


「……一人で戦うつもりなの? 他の皆は?」

「まだ来ていない。まぁもうすぐ到着するとは思うがな」


 ティアの問いに軽く肩をすくめて答える。だが、その背中に不安げな視線を感じたリオンは、わずかに振り返って告げた。


「心配するな。俺があんな頑丈なだけのデカブツにやられるはずないだろう?」


 敵を侮っているのではない。ティアを気遣うために気張っているわけでもない。決まりきった事実を説明するかのように、リオンが淡々と告げた。


「それに……」


 そう前置きして、リオンが再びダイナドランを見据える。


「人の大事な恋人と妹を傷つけたんだ……その報いは受けてもらわないとな」


 その瞬間、空気が変わった。


 リオンを中心に、刺す様な冷気が漂う。凍てつく氷のようなリオンの怒りが、体中から溢れ出している。まるでそこだけが極寒の雪山とでも繫がってしまったかのように、夏の夜の生温い空気が急速に凍り付いていった。


 ティアが後ろで息を飲んだのがわかった。リオンは基本的に感情を表に出すことが少ない。ずっとリオンを見てきたティアでさえ、リオンがここまで怒ったところを見るのは初めてだった。


 ようやく立ち上がったダイナドランもリオンの気迫に気圧されたように後退し、リオンの出方を窺っている。


「ファリンを頼む。ああ、それと、おそらくギルドにも魔力ポーションがあるはずだ。これからまだ何があるかわからない。少しでも魔力を回復しておくと良い」

「…………わかったわ」


 苦渋の色を滲ませながらも、ティアがそう呟いた。


 ティアも、このままダイナドランを放置できないことや、自分が残っても足手まといなこともは理解しているのだろう。そうでなければ、あのティアがリオン一人を残していくことを了承するはずもない。


「急いで回復して戻ってくるから……」


 眠るファリンを抱きかかえたティアが、リオンの背中に声をかける。


 そんなティアの未練を断ち切るように、リオンが剣を抜いた。


「じゃあそれまでに終わらせる」


 不敵で攻撃的な笑みとともに。


 その姿を見てティアも踏ん切りが付いたのだろう。駆けだした足音が遠のいていった。


「さて……」


 足音がある程度遠くなったことを聞き届けたリオンが、ダイナドランを視線で射貫きながら、一歩一歩距離を詰めていく。


「さぁ狩りの時間だ、デカブツ。女帝の存在を考えれば、お前も哀れな被害者でしかないのかもしれない……それでもお前を斬らない限り、この怒りは収まりそうにないんだ」


 今度はダイナドランも後ずさりはしなかった。その鋭い爪を大地に食い込ませ、自身に悠然と近づいてくるリオンと正面から対峙している。


 だが、その立ち姿に先ほどまでの威厳は無い。まるで恐竜と人間の立場が逆転してしまったかのようだ。鋭い牙を剥き出しにして唸るその巨体が、どこか追い詰められた臆病な子犬のようにも見えて、何だか酷く滑稽だった。


「グ……グガアアアアアアアアッ!」


 強者としての意地を示すように、あるいは目の前に迫る恐怖に負けそうな自身を鼓舞するように、ダイナドランが咆哮を上げる。


 それを合図に、リオンが強く地面を踏み抜いた。ドンッという衝撃音とともに、疾駆するリオンの背後に粉塵が舞い上がる。


「ガアッ!」


 ダイナドランが短く吠えた。


巨大な右腕を振るい、その鋭利な爪がリオンを切り裂かんと迫る。


「ハッ!」


 短い掛け声とともに、再び響く轟音。


 更なる加速と共にリオンが大きく地を蹴って跳び上がる。迫る攻撃を、あえて敵の懐に飛び込むことで回避した。


 そして、一閃。


 ダイナドランの無防備な胴体に、銀色の閃光が奔った。肉を切り裂いたとは思えないほど硬質な音を響かせて、リオンの剣が敵の下腹部に真一文字の傷を刻む。


 剣戟の威力に圧されたのか、リオンの追撃から逃れようとしたのか、ダイナドランが後ろに大きく後退した。


「逃がすか!」


 着地の瞬間を待つことなく、リオンが空を蹴った。魔法により空気を圧縮し、即席の足場を作ることで、数回程度なら空中での移動を可能にする。『天脚てんきゃく』と名付けたリオンの得意技だ。


 開けられた距離を再び縮めるリオン。


 だが、ダイナドランは腹部への攻撃を避けるように、体を大きく捻った。


「ガアアッ!」


 否。


 それは回避ではなく攻撃だった。


 巨体を大きく反転させ、ダイナドランが硬質な皮膚で覆われた尾を振るう。巨人が大木を振り回したかのような大質量を伴った薙ぎ払い。


「っ! ちぃっ!」


 壁が迫ってくると錯覚するほどの攻撃に、リオンが再び天脚を使う。上方へ跳び上がったリオンの足の下ギリギリを、ダイナドランの尾が唸りを上げて通り抜けていった。


(あの尻尾を振り回されるのは厄介だな……範囲が広いうえに、あの威力だ。下手したら外壁あたりまで弾き飛ばされるかもしれない)


 大きく跳び上がった空中で体勢を整えるリオンは、ダイナドランの尾が瓦礫の全てを薙ぎ払い、半径数メートルの範囲を更地に変えてしまうのを戦慄と共に眺めていた。


「だが、戦いの最中に敵に背を向けるのは、あまり良い選択とは言えないな」


 風の魔法で落下位置を調整。重力に引かれるまま、リオンはダイナドランの背に着地した。


(……とはいえ、背中側にダメージを与えるのは、一筋縄じゃいかなそうだな)


 ブーツ越しにでも伝わってくる硬質な感触。まるでゴツゴツとした巨岩の上に立ったような感覚に、リオンが思案顔を浮かべる。


 リオンの力ならば、たとえ完全に切り裂くまではできなくても、傷をつけるくらいはできるだろう。だが、その程度の傷をつけたところでダイナドランの巨体と回復力の前では意味が無い。


 ならば……と、リオンはダイナドランの背を走り出した。ダイナドランがリオンを振り落とそうと暴れ出すよりも前に、首元まで駆け上がる。


「よっと!」


 軽い掛け声と共に、リオンがダイナドランの首の横辺りにある適当な出っ張りに左手をかけた。ダイナドランの皮膚はごつごつとした岩肌のようになっているので、掴む場所を見つけるのは容易だ。


 そして、ダイナドランの背を蹴る。まるで剣玉の玉のように、左手を軸にダイナドランの首をグルリと回りこんだリオンは、ミスリルサーベルをダイナドランの喉元に突き立てた。


「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 特大の咆哮がミュンストルの町を震わせる。間近でその絶叫を耳にすれば、聴覚に異常をきたしそうな爆音だったが、その前にリオンは剣を抜いてその場を退避していた。


(思ったよりも硬いな……あの程度の傷しか付けられないとは……)


 一度大きく距離を取ったリオン。痛みにもがき、土埃を激しく舞い上げているダイナドランの傷を観察し、小さく息を零す。


 下腹部と首元。ダイナドランの体の中で比較的柔らかい部分を狙ったのだが、その手応えは思っていた以上に鈍かった。実際にできた傷も浅い。


 つい先ほど、ファリンが付けた傷よりは深いのだが、その傷はすでに消えてしまっているので、それをリオンが知るはずも無かった


(まぁ狙いさえ絞れば、確実にダメージを与えられることははっきりした。あとは奴にマナを補給させなければ――)


 ダイナドラン攻略の道筋を探るリオン。


 しかし、直後に起こった異変に、眉を顰めることとなった。


(傷が……回復している……?)


 さっきまで喉元を抉られた痛みに呻き、もがいていたはずのダイナドランだが、今はその二本の足でしっかりと大地を踏みしめて立っていた。リオンが付けたばかりの二つの傷は、舞い上がった土煙のせいで多少見にくい。だが、その傷がまるでビデオの逆再生のようにゆっくりと塞がっているのはわかった。


(土も食べていないのにどうやって……)


 薄まっていく土煙の向こうでに構える敵を、リオンは注意深く観察する。


(俺と戦う前に摂取していたマナを使った? いや、だとしたら傷ができた直後に回復が始まっていたはず……もしも他にも回復手段があるとしたら厄介だが……)


 当初、リオンが考えていたのは、手数を増やし、回復する暇を与えずに倒すという方法。ゴリ押しとも取れる単純な戦略だが、あまり戦いを長引かせたくないリオンとしては、それが一番有効な手段だった。


 しかし、地面を食らう以外にも回復の手段があるとしたら、リオンはその回復速度を超えるだけのダメージを絶えず与え続けなければならない。それも敵の攻撃を掻い潜ってだ。当然、難易度は急上昇するし、リオンの体力や魔力の方が先に尽きてしまうかもしれない。


(ジェイグ達が到着するまで時間を稼ぐという手もあるが……予定通りの時間に救援が到着するとは限らないし、俺の心情的にもそれは最終手段にしたいところだな……とりあえずもう少し様子を――)


 高速で思考を巡らせていたリオンだったが、ダイナドランが新たな動きを見せたことで、中断を余儀なくされた。


 短い咆哮と共に、ダイナドランが大きく跳び上がった。体長五メートルを超える巨体からは考えられないほどの跳躍で、目障りな敵を押し潰さんと迫る。


「くっ!」


 敵の思いがけない攻撃に、リオンも大きくバックステップして、敵の落下地点から距離を取った。


 直後、砲弾が直撃したかのような衝撃音を響かせて、ダイナドランの巨体が大地を揺らした。むき出しの地面がクレーターのように窪み、蜘蛛の巣のようなヒビが放射状に広がる。砕けた大地の破片が、火山が噴火したように激しく舞い上がる。


「ガアアアアッ!」


 更なる雄叫び。着地したダイナドランが、周囲の瓦礫や舞い上がった大地の礫を巻き込んで、その尾を振るう。弾かれた無数の散弾が、後退途中のリオンに津波のように押し寄せてきた。


 対するリオンはその波を冷静に見極め、大きく地を蹴った。横や上へではなく前へ。自身に迫る破壊の波に向かって真っ直ぐに進んでいく。


「この程度!」


 気迫の声を上げたリオンが、自身の前方に風の防壁を生み出した。高速で迫る石礫や瓦礫が、まるでリオンを避けるように軌道を逸らしていく。


 全ての散弾を潜り抜けたリオンが、再びダイナドランに肉迫する。


「はぁっ!」


 ダイナドランの体の前側に回り込んだリオンが、剣を振り上げた。ダイナドランの下腹を斜めに大きく切り裂いていく。


 だが、新たに刻まれた傷は、斬られた端からゆっくりと塞がっていった。


(今度は回復が始まるまでの間がほとんど無かった……)


 さっきとの違いを確かめるように、リオンはもう一度ダイナドランの体に傷を付ける。今度もすぐに回復が始まり、傷はあっという間に塞がってしまった。


 それを確認したリオンは、それ以上の追撃を止めた。一度考えをまとめるために、ダイナドランから距離を取る。

 

 幸いなことに、ダイナドランは土煙のせいでリオンの姿を完全に見失っていた。ダイナドランは火山地帯や、熱帯の荒野など生物が棲みにくい環境下で暮らしている。おまけに硬質な皮膚でほとんどの攻撃を弾いてしまうため、天敵と呼べる相手がいない。敵に襲われる心配が無い以上、気配を察知する感覚が鈍いのは当然と言えた。


(やはり傷の回復を阻止しないと、奴を倒すのは難しいな……いったいどうやって地属性のマナを吸収しているのか……)


 物陰に身を潜めたリオンが、ダイナドランの様子を窺う。


 ダイナドランはその大きな頭をきょろきょろと振り、黄土色の煙の向こうでリオンの姿を探し続けていた。


(やれやれ……間抜けというか何というか……このウザったい土埃は自分が巻き起こしたものだろうに。それで自分の首を絞めるとは――)


 呆れ半分に心の中で愚痴をこぼしていたリオンだったが、その言葉の中に引っかかりを覚えて、思考を止める。


(土埃…………)


 リオンは少しずつ収まりつつある大地の煙幕を見回した。


(そうか……舞い上がった砂や土にも大地のマナは含まれている。意識してかどうかはわからないが、奴がそれを吸い込むことでマナを補給しているとしたら……)


 リオンの仮説が正しければ、より土煙が濃くなっていた時の方が傷の回復タイミングが早かったことにも合点がいく。


(なら、風で土煙を全て吹き飛ばせば……いや、敵が暴れるたびにそんなことをやっていたらキリがない。それに土煙が上がってから魔法で風を起こすまでの時間にマナを吸収されるだろうし……)


 ダイナドランに視線を向ける。いくら探しても見つからないリオンの姿にいら立ちを募らせたのだろう。見当違いの方向に尻尾を叩きつけていた。そして、粉塵が再び舞い上がる。


(何とか土煙が舞い上がるのを阻止できれば……)


 リオンの隠れている物陰まで流れてきた粉塵を忌々しげに見つめる。ダイナドランの近くにいた時は、風を纏っていたが、今は何もしていない。リオンは顔のあたりまで漂ってきた煙を左手で乱暴に払った。


(くそっ、砂が汗でくっ付いて気持ち悪いな)


 手の甲や首に張り付いた微細な土の粒子に、リオンが不快そうに眉を顰める。汗の水分を吸った砂の粒が、黄土色から黒っぽい茶色へと変色していた。


 そんなこびりついた大地の砕片を目にした瞬間、リオンの脳裏に電流が走ったような感覚が沸き起こった。


(この方法なら……回復の阻止、敵の攪乱が同時にできる。それにもし俺の考えたとおりなら、簡単に奴を追い詰めることができるかもしれない)


 予想外の敵の回復力に攻めあぐねていた状況に光が差した。剣を握る右手に自然と力がこもった。


(それじゃあ恐竜狩りの第二ラウンドと行こうか)


 不敵な笑みを浮かべたリオンが魔力を練る。周囲に漂う空気中のマナを、自身のアウラで染めていく。


 十分なマナに干渉出来たところで、リオンは魔法を発動させた。


 周囲を漂う土煙を飲み込み、あたりを白い霧が覆っていく。まるで黄土色の木製の壁を真っ白なペンキで塗りつぶしていくように。あるいは世界を作り替えるように。


「グガアッ!」


 異変に気付いたダイナドランが、戸惑いの叫びをあげる。真っ白な霧に飲み込まれそうになる姿は、お化けに遭遇した子どもの様に怯えていた。


 そうしてリオンが魔法を発動させてから一分も経たぬうちに、ダイナドランとリオンのいる場所から半径三十メートルくらいの空間が、冷たい霧に覆われてしまった。


「ガアアアアアアアアアアアッ!」


 視界を遮られたダイナドランが、いら立ちと怯えを滲ませながら、大きく尻尾を振り回す。風を巻き起こし、自身を包む霧を吹き散らそうとしているのだろう。それとも、霧に紛れて近づいているであろうリオンを警戒しているのかもしれない。


(もっとも、そんなデタラメな攻撃を食らうほどバカではないがな……)


 攻撃の隙間を縫ってダイナドランに近づいたリオンが、落ち着いた様子で一撃を加える。


「ガアッ!」


 痛みに呻くダイナドランが、リオンを引き裂こうと爪を振り下ろす。


 だが、その時にはリオンは攻撃の範囲内から離脱しており、その強靭な爪は大きく地面を抉っただけだった。


(回復は始まらないな……やはり俺の予想通りだったわけだ)


 そんな敵の様子を離れたところから窺いながら、リオンは自身の思惑の一つが功を奏していることを確認した。


 リオンがダイナドランを霧に閉じ込めた理由は複数ある。


 一つは自身の姿を隠して敵をかく乱すること。


 濃霧の中に身を隠すことで、リオンは実に容易にダイナドランの懐に潜り込むことができるようになった。ダイナドランの気配察知能力の低さが、その状況に拍車をかけている。


 なお、視界を遮られているのはリオンも同じだが、数々の戦いを経験してきたリオンの気配察知能力はダイナドランの比ではない。おまけに霧はリオンの魔力で作られたものなので、霧の中の状況把握はそれほど難しくない。


 二つ目は土に水分を吸収させることで、大地のマナの吸収源である土埃が舞い上がるのを防ぐこと。


 先ほどダイナドランの右腕が地面を叩いた際も、あれだけの衝撃にも関わらず粉塵が舞い上がることは無かった。この二つの目論見は成功したと言っても問題ないだろう。


 そしてもう一つの霧の理由。


 それは戦いを再開してから五分ほど経過した頃に、その兆候が見られ始めた。


「グ……ガアア……」


 霧の中で暴れるダイナドランの声が段々と弱々しいものへと変化していく。動きにも先ほどまでの力強さは無く、地震のように大地を揺らしていた尻尾攻撃も軽い振動を伝えるだけだ。


(魔物で、体はデカくても、やはり爬虫類……体温調節は苦手なようだな)


 明らかにキレの落ちた右腕による攻撃を容易にやり過ごし、ダイナドランの腹部に連撃を加えたリオンが、小さく笑みを浮かべた。つい少し前までは一撃を加えては離脱というヒットアンドアウェーを繰り返していたのだが、ダイナドランの動きが目に見えて遅くなったため、一回の接近で数度の斬撃を放つことができるようになった。


 ダイナドランの動きが鈍くなったのは、大地のマナを吸収しようと地面を食らおうとするたびに一撃を浴びせていることも大きな原因の一つだ。結果、傷を回復することができず、ひたすらにダメージを蓄積させていくこととなっている。


 そして最大の原因は低温の霧による体温の低下だ。


 ダイナドランを包む霧の温度はリオンの意思によって限界ギリギリの温度まで下げられている。さすがにあれだけの巨体を凍らせることはできないが、空気そのものは確実に冷やされている。


 おまけに風の魔法も同時に使用。ダイナドランの体表の水分を気化させることで、さらに体温を奪っている。


 水分というのは液体から気体に変化する際、周囲の熱を奪う作用がある。それは「気化熱」と呼ばれるもので、生物が運動などで体温が上昇した際に汗をかくのも、夏場に地面に打ち水を行うのもこの作用を利用しているからだ。


 ダイナドランは火山帯や熱帯の荒野など、気温の高い場所を棲み処にしている。大雨による土砂崩れや女帝が原因なのだろうが、もともとこの町の気温はダイナドランが生活できるような場所ではなかった。それでも大地のマナを吸収することで、どうにか生存してこれたのだろう。しかしその供給を絶たれたうえ、さらなる低温状況下に晒されれば、簡単に衰弱してしまう。


(ステータス異常を与えて、じわじわ甚振ってるみたいで、あまり気持ちの良い戦い方ではないな……)


 一度離脱してダイナドランの様子を窺っていたリオンが、前世でやっていたRPGゲームを思い出して、ため息交じりに自嘲する。


 そういったゲームでは、たまに敵に毒や麻痺などの状態異常を引き起こす攻撃があった。敵が使ってくることも多かったが、リオンはそういう技を使って戦うのはあまり好きではなかった。所詮はゲームの中でのことだし、作戦として有効なのも理解はしている。ただなんとなくイメージが悪いというか、姑息というか……そんな印象を持っていただけだ。


(まぁ、さすがに本当の生死を賭けた状況で、作戦の清濁を考慮する気など毛頭ないが)


 つい数日前の戦いでは、多くの人間を利用し、巻き込んでいる。復讐という手前勝手な事情で、関係のない人間の命もたくさん奪ってきた。そんな自分が、今更魔物を相手にこんなことを考えているというのは、実に滑稽な話だ。


「……とはいえ、ティアも心配しているだろうし、そろそろ止めを刺しておくか」


 倒れる一歩寸前といった様子のダイナドランを一瞥したリオンは、真上に大きく跳び上がった。一度の跳躍で限界までくると、天脚を使ってさらに上昇。それを数回繰り返した頃には、リオンの体は地上五十メートルほどの高さまで到達していた。


 実はリオンには、ダイナドランに致命傷を与える技はあった。だが、あの硬い皮膚と巨体を断つには、かなりの溜めと助走が必要となる。隙も大きい。また、長距離からの突進技であるため、標的であるダイナドランが動き回っていると狙いを定められず、使うに使えなかったのだ。


 最後の跳躍を終えたリオンは、体を上下に反転させた。そうして天脚で作った足場に逆さまの状態で着地。さらに風の魔法で、自身の体を空中に固定させた。


 空中に作り出した天井で、折り曲げた足に力を込めていく。それが限界まで高まった瞬間、リオンは自身を空中に繋ぎとめていた魔力を消し去る。


轟天ごうてん


 まるでロケットのように空中から地面へと跳び出したリオン。自身の脚力と、足場となっていた圧縮した空気の開放。そして重力によって加速したリオンが、五十メートルの高さを落下していく。


そうして、地上を力ない足取りで歩くダイナドランの頭部へと差し掛かった瞬間、リオンが両手で構えたミスリルサーベルを振り下ろした。


「はあああああああああっ!」


 裂帛の気合。そして金属製のハンマーで岩を叩き壊したような硬質な音が響き渡った。


 渾身の一撃を振り切ったリオンは、再び体を反転させると、地上へと静かに着地した。霧で濡れた地面が、ビチャリと湿った音を立てる。


「ガ……グ……ァ……」


 声とも取れないような音がダイナドランの口から洩れる。リオンはそんな敵の様子を確認することも無く跳躍。ダイナドランから大きく距離を取った。


 その直後、ダイナドランの頭部から夥しいほどの血液が噴き出した。あらゆる攻撃を弾いて来た硬質な皮膚ごと、リオンの『轟天』がダイナドランの頭を叩き斬ったのだ。体の右側、頭頂部から下あごにかけて真っ直ぐに。


 頭部を半分以上も切り裂かれたダイナドランの体がグラリと揺れた。五メートルを超える巨体がゆっくりと横に倒れていく。そして、地面を揺らす轟音と振動をミュンストルの町に響かせて、大地の猛者はその命を散らした。


「硬っ……」


 そんな倒れ伏す強敵を背後に、リオンが少々間の抜けた声を漏らした。ミスリルサーベルを地面に突き立て、両手をプラプラと力なく振る。


 先ほどの轟天は確かにダイナドランの体を切り裂きはしたのだが……その衝撃というか反動が思いの外強かったので、剣を握っていたリオンの両手が少々しびれてしまったようだ。しかめ面で両手をプ~ラプラさせる姿は、激戦を制した少々情けないかもしれない。


「恐竜狩りはもうこりごりだな……割に合わない」


 もしこれから先、どこかの町でダイナドランの討伐依頼があっても、絶対に依頼を受けるのは止めよう。もしくはジェイグ達に任せよう。


 そう心に決めるリオンだった。


ミュンストル防衛戦も次回で終結です。

さすがに4とか5まで続くと、何かサブタイトルが手抜きっぽいww

良いタイトルが思いついたら変えるかもしれません。

ガチバトルが続いていましたが、次回は後始末って感じになると思います。

まぁ2章はまだ続きますが。


今回、新たな技が二つ出てきました。

今はサーベル使ってますが、リオン君の武器は日本刀ですので、技名は漢字二文字で統一しております。

中二好きの作者としてはこういうの考えるの楽しいので、また何か思いついたらちょくちょく登場させる予定です。

ただしボキャブラリーとセンスがあるかどうかは別問題ww


余談ですが、轟天の辺りを執筆中、何故か私の脳内にドラゴンボールでナムが使っていた超天空×字拳が浮かびました。

技のモチーフではないんですがねww

全然似てないしww


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― 新着の感想 ―
[気になる点] ~RPGゲームを思い出して、 RPGのGがゲームの略称なので、ゲームゲームになってしまっています、 RPGを思い出して、 かと思われます。
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