ミュンストル防衛戦1
「やれやれ、ずいぶんと厄介な事態になったもんだねぇ」
静まり返るギルドの奥から落ち着いた女性の声が届いた。リオンが、いやギルド中の全ての人間がそちらに視線を向ける。そこにはこのギルドのマスターであるシルヴェーヌの姿が。長い銀髪を揺らしながら足早にこちらに向かって歩いてくる。
「何を腑抜けた顔をしてるんだい、まったく……あたしのギルドの人間がこんなことくらいで取り乱してるんじゃないよ」
飄々(ひょうひょう)とした口ぶりはいつも通りだが、纏う空気がこれまでとは明らかに変わっていた。昨日のエクトルとの交渉の場でリオンに向けられた殺気のような重苦しいものではないが、誰もが目を奪われるような、そんな存在感を放っている。
シルヴェーヌの登場で、不安と焦燥に静まり返っていたはずのギルド職員が、落ち着きを取り戻していく。これが元一級冒険者、このガルドラッドという要所のギルドを任せられた人物のカリスマか……とリオンは小さく感心の声をあげた。
「今すぐに緊急依頼発動の準備を。町の各方面に連絡し、町にいる冒険者を可能な限り集めるんだ。空港にも連絡して、魔空船を一隻、すぐに動かせるように手配しておくれ」
カウンター内にいる職員に次々と指示を飛ばすシルヴェーヌ。指示を受けた職員達が、まるで弾かれたように慌ただしく動き始めた。書類の準備を始める者、何かの紙を持ってギルドを飛び出していく者、動かずにさらなる指示を待つ者など様々だ。
そんな職員達に、シルヴェーヌは一瞬だけ小さく笑みを浮かべた。だが、すぐに気を引き締めなおし、指示を続けていく。
「それと、すぐに私の名前で書状を書くから、それを持って軍のガルドラッド支部に向かっておくれ。こんな非常事態だ。お互い協力しないとねぇ」
「軍が所有する魔空船は使わせてもらえないでしょうか?」
「……あっちはあっちで救援の準備はしてるんだろうけど、軍の魔空船を動かすのは難しいだろうね。ミュンストルに向かったとはいえ、それが魔物の全てとは限らない以上、この町の安全が確認されるまで軍は大々的に動くわけにはいかないはずだよ」
自分の推測の正否を問うように、シルヴェーヌが先ほどの兵士に視線を向ける。シルヴェーヌと職員の会話を聞いていた兵士は、申し訳なさそうに俯き、小さく首を横に振った。やはりシルヴェーヌの言う通り、ガルドラッドの軍がミュンストルの救援に向かうのは時間がかかるようだ。軍の人間であるこの兵士が、わざわざギルドに駆け込んできた時から予期していたことだが。
ギルドと軍の関係性というのは、場所によって異なる。人によって異なると言う方が正しいかもしれない。
軍の仕事は主に国、あるいは町の治安維持と防衛。反面、冒険者の仕事は何でも屋のようなもので、依頼によってその内容は多岐にわたる。軍と冒険者ギルド。二つの大きな組織は、普段、暗黙の了解で、お互いの仕事の領分を侵さないようになっていた。
軍としては、自分達が国や町を守っているという誇りがある。冒険者としても自分達の生活がかかっている以上、軍があまり魔物狩りや商隊の護衛に積極的になられるのは困るというわけだ。
もちろん今回のような緊急時には、ギルドと軍が協力することもある。しかし、場所によっては、連携が悪かったり、お互いにいがみ合って対処が遅れたりといった問題が起こることもあるのだ。
というのも、規律を重んじる軍からすれば、冒険者というのは無法者の集まりに見えるらしい。一方、軍の人間を飼い犬と蔑む冒険者がいるのも事実だ。
ただ、お互いの冒険者の中には、ギルドでランクや名を上げ、軍に志願する者もいる。逆に、規律や上下関係などを嫌って、軍を辞めて冒険者になる者もいる。結局のところ、その人個人の考え方によるということだ。
組織同士でも、上に立つ人間の考え方次第で関係性は変わってくる。先ほどのシルヴェーヌの言葉や兵士の態度を見る限り、この町の軍とギルドの関係は良好とまでは言わなくても、とりあえずの問題は無いのだろう。
「一足遅かったみたいだねぇ」
一通りの指示を終えたらしいシルヴェーヌが、リオンとアルに小さく声をかけてくる。飄々とした態度はそのままだが、どことなく疲れたような色が滲んでいた。さっきまでは部下や他の冒険者の手前、表情には出さないようにしていたのだろうが、色々と事情を知っているリオン達の前で少し気が緩んだのかもしれない。また、リオン達の実力を認めている証でもあるのだろう。
「ええ……懸念していた通りに」
「でも、まさかミュンストルが標的にされるとはねぇ……てっきり襲われるとしたらガルドラッドが先かと思ってたんだけど……」
それについてはリオンも同感だ。アネットは女帝にさらわれた可能性が高い。そしてアネットが行方不明になったのはガルドラッド近くの湖だ。女帝がガルドラッドに住む人達を餌として狙っていると考えるのは当然の帰結だろう。
それに、ミュンストルよりもガルドラッドの方が町の規模が大きい分、人口も多い。魔物を操り、女帝などと呼ばれているが、あくまで本能で動く魔物でしかない。ゆえに、より多くの餌に女帝がつられると踏んでいたのだ。
だからこそ、女帝の存在を疑いながらもティア達二人だけでミュンストルに向かわせたのだが……
「ガルドラッドに来てくれれば、もう少し楽に撃退できたんだけどねぇ……」
経済的な要所であるガルドラッドと違って、ミュンストルは町の規模が小さい。当然、防衛に携わる兵士の数も、防衛のための機能もガルドラッドに比べて少なくなっている。冒険者ギルドはあるが、冒険者の数も質もガルドラッドよりは劣っているだろう。高ランクも含む五百体の魔物の群れを撃退するのは難しいだろう。たとえティア達がいたとしてもそれは変わらない。
だからこそ、リオン達は一刻も早くミュンストルへ辿り着かなければならない。
「魔空船の準備にはどれくらいかかりそうですか?」
シルヴェーヌの心労は察しているが、今のリオン達にもそれを気遣っている余裕は無い。落ち着いているように見えるが、本当は今すぐにでもギルドを飛び出してしまいそうな心をどうにか押しとどめているのだ。今はギルドが魔空船を用意できるだろうと踏んでここに留まっているだけで、もし準備に時間がかかるというのなら、今すぐ別の移動手段を考えなければならない。
リオン達の魔空船は、ガルドラッドからは山を挟んで反対側。山の中腹にある洞窟に隠してある。どんなに急いでも四時間以上はかかる場所なので、ここでシルヴェーヌ達が用意する魔空船を待っている方が早いだろう。
余談だが、洞窟の入り口はジェイグの魔法で塞いである。見つかることはまず無いだろう。
「魔空船の準備はおそらく一時間半くらいで終わるはずだよ。ただ、武器の積み込みや冒険者の収集もあるから、出発は三時間後くらいかねぇ」
「となると……移動時間も考えると、向こうに着くのは五時間後か……」
シルヴェーヌの答えに、リオンが顎に手を当てて思考を巡らせる。だがそれも数秒の事。すぐに顔を上げ、アルの方を振り返って告げる。
「俺は一足先にミュンストルへ向かう。アルはジェイグとミリルを連れて後から魔空船で加勢に来てくれ」
早口で告げられた指示にアルが一瞬だけキョトンとした表情を浮かべる。だがすぐに真剣な表情で力強く頷きを返した。
それを見届けたリオンは、ギルドの出口に向かって踵を返す。
「ちょ、ちょっと待ちな」
そんなリオンを慌てた様子でシルヴェーヌが引き留める。いつもの飄々とした態度が崩れているところは初めて見たが、それだけリオンの行動がシルヴェーヌの想定の範囲を超えていたということだろう。
「ミュンストルまでは、馬でも九時間以上かかるんだよ? 仮に休まずに飛ばしても八時間はかかるだろうさ。仲間が心配なのはわかるが、魔空船の準備を待った方が早い」
リオンの仲間がミュンストルへ向かったことは話している。なので、シルヴェーヌの目からは、リオンが仲間の身を案じるあまり、焦って冷静な判断ができなくなっているように見えるのだろう。
だがそれも仕方のないことだ。今のリオンがやろうとしていることを理解できるものなど、そうはいない。力強く頷いたアルでさえ、リオンが何をしようとしているのかはわかっていないはずだ。それでも何も反論せず指示に従うのは、問答している時間さえ惜しいことが分かっているから。そしてリオンへの絶大な信頼ゆえだろう。
もちろん今のリオンは冷静さを失ったりしていない。多少の無茶をすることは理解しているが、愛する家族のためならばその程度のことは無茶にも入らないというだけだ。
本当は説明している時間も惜しいのだが、シルヴェーヌがリオンという強力な戦力を訳の分からない理由で単独行動させるとは考えられない。事情を話さないままリオンがいなくなれば、残されたアル達の立場も悪くなる可能性もある。仕方ないとリオンはシルヴェーヌに向き直り、その考えを説明することにした。
だがそのリオンの言葉が、かえってシルヴェーヌを混乱させることになるのだが……
ミュンストルの外壁。南北に二つある門のうちの一つ、ガルドラッド側の門の前に陣取ったラナーシュ軍の戦線が魔物の大群を迎え撃つべく準備を着々と進めていた。
「町に着いて早々大変なことになったわね……」
門の上部、兵士が見張りに使う小さな塔の上からそんな様子を見下ろしながら、ティアが重い口調で呟いた。
朝早くにガルドラッドの町を出たティアとファリンは九時間ほどの旅路を終え、つい先ほどミュンストルに辿り着いたばかりだった。町に入るための手続きを終え、ギルドへ向かおうとしたところで、魔物の接近の報を聞いたのだ。
その知らせが届いた後、ティア達冒険者は一度ミュンストルのギルドに集められた。そこでミュンストル防衛の緊急依頼が正式に発令され、ティア達二人は休む間もなく他の冒険者と共にこの場所に配置されることになったのだ。
ちなみに高ランクの冒険者であるティア達が、なぜ最前線ではなくこの場所にいるのかというと、それは飛行型の魔物が町に入るのを阻止するためだ。
現在群れの中で確認されている飛行型の魔物で最も脅威なのが、討伐ランク三級の魔物、バードレオだ。ミュンストルにいた冒険者の中で、討伐経験があったのはティアとファリンの二人だけ。ゆえに二人は反論の余地も無く、ここに配置された。ミュンストル程度の規模の町に三級や四級の冒険者がいることの方が珍しいので、それも仕方のないことなのだが。
「魔物の大群とか、勘弁してほしいニャ……」
ティアの隣では、ファリンが見張り台の柵に身を乗り出し、うにゃぁと洗濯物のようにもたれ掛かっている。足が地面に付いていないので少々危なっかしく見えるが、今のファリンならこの程度の高さ全く問題にならない。それこそ猫のごとく軽やかに着地を決めてしまうだろう。
「リオンの言っていた通り、女帝が現れたのは間違いないんでしょうね」
「アルルーンカイゼリン……だったかにゃ? 先生が冒険者時代に倒したっていう……」
ファリンが足をパタパタとさせながら、顔だけをわずかに持ち上げティアの方に向ける。ティア達がリリシア先生から女帝の話を聞いたとき、ファリンとアルはまだ幼かったため、その場にはいなかった。なので、女帝についての詳しい話は全てリオンとティアから聞いた。
もっとも、ジェイグは女帝の話をすっかり忘れてしまっていたらしい。リオンの説明の間、アルとファリンと一緒にへぇ~と頷いていたので、リオンとミリルから絶対零度の視線を向けられていた。
「ええ……先生の時もそうだったらしいけど、今回も高ランクの魔物が手駒になってるみたいね……」
ギルドで聞いた情報を思い出してティアが深いため息を吐く。
ファリンも再び柵にもたれかかり、うにゃ~と気の抜けた鳴き声を上げる。普段なら抱きしめたくなるような可愛らしい仕草だが、もちろん今はそんな気分になれるはずもない。ティアは視線を外壁下の戦線へと戻した。
すでにほとんど沈んでしまった夕陽が最後の光を放つ中、軍の手によって外壁の外にいくつもの篝火の準備が進められている。さらにその外側には簡易的なバリケードも建てられているが、五百を超えるという魔物の群れにどれほどの効果があるのか。
(魔物の数は五百以上……兵の数は三百五十、冒険者が百五十。数の上では互角なんだけど……)
この町の規模を考えるに、これだけの人数を集められただけでも上々だろう。とはいえ、ミノタウロスやバードレオなどの高ランクの魔物が混ざっている以上、この程度の人数では心許無い。それに兵士や冒険者の質もそれほど高くないことを考慮すると、先行きは暗い。ガルドラッドにもこの町の状況は伝わっているはずなので、救援が来るまで時間を稼ぐことができれば勝ち目も見えてくるだろうが……
(魔空船を使ってどんなに急いでも数時間はかかるでしょうね……それまで何とか持ち堪えられれば……)
悲観的になってしまう思考を断ち切るように、一度頭を振り、ティアはゆっくりと目を閉じる。
(リオンが、皆が来てくれる……そうすればきっと……)
目蓋の裏に最愛の人が、大切な家族の姿が浮かんでくる。それがティアの心を奮い立たせてくれた。
(リオンとこれからもずっと一緒にいるために、私も強くならないと……これくらいの逆境、絶対に乗り越えてみせる)
脳裏に浮かぶ優しい笑顔に再会を誓って、ティアは目蓋を上げる。ティアのすぐ傍ではファリンも同じように決意を固めたようだ。立ち上がり、凛とした目で真っ直ぐに外壁の外の景色を見つめていた。
それから三十分後、日が完全に落ちた頃に、彼方から赤い花火が打ちあがった。魔物の群れの接近を知らせる合図だ。
「各員、迎撃用意!」
魔術によって拡声された男の声が篝火と月明かりが照らす戦線に響き渡る。おそらくミュンストル軍の隊長の声だろう。外壁の外で待機していた兵士達が慌ただしく動き始める。
外壁上部でも動きがあった。取り付けられた大砲に兵士たちが次々と弾を込めていく。
今が夜ということもあり、砲撃の第一射の目標距離はここからでは視認できない。なので、魔物の大群がある一定のラインを越えた辺りで、前線にいる兵士が信号弾を打ち上げることになっている。今のはその前段階の合図。次の花火が上がった瞬間が、大砲発射の合図となる。
射手としてこの場にいる兵士達が緊張の面持ちで彼方の闇を見つめる。
一発目の花火から十分後。先ほどと同じ赤い花火が、先ほどよりも町に近い場所から打ち上げられた。
「総員、撃て!」
闇夜に響く声。
直後、外壁に取り付けられた大砲が一斉に火を噴いた。人間の頭部ほどの大きさの鉛の塊が、夜の空へと消えていく。その数秒後、着弾したのだろう音がティアの耳に届いた。
「次弾装填急げ!」
一撃目の効果を確かめる間もなく、次の砲弾の準備をする。ここからでは暗闇の先にいる魔物の姿は見えないので、確認のしようもないのだが。
命令を受けた兵士達が、統制の取れた動きで砲身に弾を込めていく。次の合図までさほど間もないので、まさに時間との勝負だ。
「着弾位置は初弾よりも三百メル手前! 発射角度の調整を忘れるな!」
砲身をわずかに下げ、照準を合わせる。
敵の姿が見えないため、自分達の攻撃が当たっているのかどうかさえ確認できない。兵士達の顔にも不安が浮かんでいた。だが、魔物が防衛陣の最前線に到達するまでにできるだけ数を減らしておきたい。仲間を信じ、発射の合図を今か今かと待ち続ける。
だが、そんな彼らの不安を嘲笑うかのように、事態は動く。
「前方上空に敵影! 飛行型の魔物が多数! 確認できる限りで、ハーピー、ジャイアントバット、ウインドスネークがいます!」
ティア達とは別の見張り台に立つ兵士が、恐れを滲ませた声を張り上げた。静かに発射の時を待っていた兵士達が一斉に上空を見上げる。
そこには夥しい数の魔物が、翼をはためかせてミュンストルの町へと接近していた。その数は確認できるだけでも百体以上。
「くそっ! こんなにいるのかよ!」
近くにいた冒険者の一人が憎々し気な声を漏らし、ギリッと歯を食いしばる。群れの中に空を飛ぶ魔物がいることはわかってはいた。だが、思っていたよりもその数が多い。事前の情報では、飛行型の魔物は五十前後と聞いていたが倍以上はいる。今のところ、まだバードレオの姿は見えないが……
「目標変更! 上空の敵を狙え! 町に近づくまでに一匹でも多く撃ち落とせ!」
先ほどよりも焦りを含んだ声が響く。敵との距離と接近速度を見るに、大砲での迎撃は一度か二度が限度だろう。
「弓兵隊および銃隊も配置に付け!」
砲身の発射角度を再調整している後ろで、弓と銃を持った兵士達が隊列を整える。弓兵が五十、銃兵が二十といったところか。銃兵が持っているのは、ミリルが使っている魔銃ではなく、火石と呼ばれる可燃性の石の粉末を利用する火銃である。ミリルのように自作するならともかく、魔銃は高価なうえ取り扱いが難しいので、基本的に軍の一般兵は皆火銃を使う。
「砲撃第二射、撃て!」
再びの砲撃命令。雲とわずかな月明かりを背にする魔物の群れ目掛けて、黒色の砲弾が発射される。
唸りを上げて空を奔る砲弾。それに気づいた魔物達が回避行動を取る。敵の数が多いため、避けきれずに被弾する魔物もいたが、効果は薄く、そのほとんどが無傷のまま進軍を続けていた。
「くそっ!」
隊長の罵声が空しく響き渡る。高まる恐怖と焦りから、自身の声が増幅されていることも忘れているようだ。
(この距離から大砲で飛行型の魔物を狙っても意味が無い……空の魔物は弓と銃に任せて、大砲は地上の魔物に的を絞るべきなのに……)
そんな戦況をティアとファリンは落ち着いた様子で眺めていた。上空の敵を狙った砲弾が悪手であることはわかっていたが、つい一時間ほど前に町に着いたティア達は軍の上官の顔など知らない。魔術で拡声されているため、誰が声を出しているかもわからないため、助言のしようもない。。
「ええい、何をしている!? 次弾装填急げ! 奴らを町に近づけるな!」
思う通りの成果が出ないことにシビレを切らしたのだろう。キーキーと裏返った声で、隊長が砲撃主達にがなり立てる。こういう時にリーダーが動揺を露わにするのは愚の骨頂なのだが、そんなことを考えている余裕など無いのだろう。命令された兵士達の様子を見る限り、もしかしたら普段からあのように感情的に喚き散らすタイプなのかもしれないが。
「ああいうのを見ると、ファリン達にはリオンがいて良かったって思うニャ……」
来るべき戦いに備えて体をほぐしていたファリンが、ティアにだけ聞こえるくらいの声量でそう呟いた。
「まぁこんな状況じゃ仕方ないとは思うけど……」
辛辣な意見を述べるファリンに曖昧な笑みを返すティア。気持ちはよくわかるが、直接口に出すのは少し憚られた。
ファリンの表情を見る限り、呆れているというわけでもないようだ。彼らの実力と実践経験を踏まえれば、あれくらいの反応は普通なので、特に気にもしていないのだろう。むしろあれだけの数の魔物を前に、普段と変わらない様子で会話を交わす二人の方が異常なのかもしれない。
(でも、このままだとマズいわ……何とかしないと)
空の魔物達は町まであと少しのところまで近づいている。どうやら壁の外側にいる兵士や冒険者を完全に無視して、そのまま町まで向かってくるつもりらしい。地上の魔物達もすでにここから目視できる距離まで近づいている。まもなく最前線では戦闘が始まるだろう。町の人々を守るためには、ここにいる者だけで空の魔物を全て撃退する必要がある。
そしてそれはここにいる兵士達全てが理解している。だからこそ、精神的に追い込まれているのだろうが。
(今のままじゃ彼らに私の声は届かない……彼らが完全に冷静さを失う前に声を届けるには……)
今この場にいる者のほとんどは、ティアが上級冒険者だとは知らない。そのうえまだ冒険者としては若いティアの指示など、誰もまともに取り合ってなどくれないだろう。
(こんな時、リオンならきっと……)
大好きな人の後ろ姿がティアの脳裏に浮かんだ。その後ろ姿に導かれるように、ティアは手にした魔弓を空に向けた。
同時に、ティアの体から膨大な量の魔力が迸る。月と炎の明かりしかない闇夜を、ティアの光の魔力が眩しく照らし出す。
「あれは、冒険者か?」
「何て凄まじい魔力だ……」
「……美しい」
突然の輝きに、その場にいる誰もがティアに視線を向けた。そしてその膨大な魔力と、眩い輝きの中で佇むティアの姿は、兵士達に魔物の恐怖を忘れさせたらしい。誰もが惚けたような表情で、感嘆の声を漏らす。
そんな中、ティアは魔弓に自身の魔力を流し込む。迸る光がティアの両手の間に収束し、輝く魔法の矢を形作っていく。
(まだ早い……あと少し……)
弓を構えたまま、静かに魔物の接近を待つティア。使用者から一定の距離を離れると霧散してしまうアウラの性質上、敵が一定距離まで近づく必要がある。それに、自身の実力をこの場で示すためには、この矢を外す訳にはいかない。必中の射程まで魔物が近づくのを、精神を研ぎ澄ませて待ち続ける。
魔物達の方もティアの存在に気付いたのだろう。魔物も正常な状態であれば、ティアの魔力を警戒して様子を見るか、別の相手を探すだろう。だが、女帝に操られた魔物からはそのような判断力は失われる。女帝の命令に愚直に従うだけの傀儡に成り下がるため、魔物達は何の躊躇いもなくティアに向かって降下を開始した。
(今だ!)
一直線に滑空してくる魔物目掛けて、魔法の矢を解き放った。まるで光の尾を纏って流れる彗星のように、魔物が飛び交う夜空を突き進んでいく。地上にいた兵士や冒険者達までもが、驚きの声と共に顔を上げ、魔法の流星を見つめていた。
だが、彼らが真に驚くのはここからだった。
魔物まであと十メートルほどのところで、魔法矢が分裂した。一つの彗星が十五の流星群へと変わり、魔物の群れへと向かっていく。先ほどの砲弾よりも速度は上だ。そのうえ、ティアの思い描いた通りに途中で軌道を変える。さらに魔物自身が高速でティアへ向かっていた。結果、ティアの放った十五本の魔法矢の全てが、魔物の羽を、胴体を、頭部を破砕し、撃ち落としていった。
「魔法矢を十五本も……」
「あの子は何者だ?」
「……女神様」
これはティアが一度に放てる魔法矢の最大数での攻撃だ。魔弓の使い手が同時に放てる魔法矢の平均は三~五本。上級冒険者でも平均十本前後であることを考えれば、ティアの実力の高さは誰の目から見ても明らかであろう。
一部に妙に熱の籠った視線があったが、とりあえずティアの狙い通り、自身の実力を示すことができた。さらに数発の魔法矢を打ち込み、先頭にいた連中を撃墜したティアは後ろを振り返り、惚けた表情でこちらを見上げる兵士や冒険者達を見下ろし、告げる。
「身動きの素早い空の魔物は私が相手をします! 銃隊の方達も援護をお願いします! 大砲と弓は全て地上の魔物に向けてください!」
沈黙に包まれた外壁にティアの凛とした声が響き渡る。たった今数十体の魔物の群れを一掃してみせたティアの声は、拡声されていた隊長の声よりも兵士達の耳に、心に届いただろう。
「空を飛んでいるといっても、奴らには遠距離からの攻撃手段はありません! 攻撃の際には必ずこちらに向かって降りてきます! そこを狙えば命中させられるはずです! ただ、向かってくる魔物全てを撃ち落とすのは難しいと思うので、冒険者は撃ち漏らした魔物から皆を守ってください!」
伝えるべきことは全て伝えたとばかりに、ティアは空へと向き直り、新たにやってくる魔物と対峙する。ティアの言葉が届いたかどうかはわからないが、やれるだけのことはやった。あとは彼らの判断に任せるしかないだろう。
ティアの指示に最初は戸惑いを見せていた兵士や冒険者達も、すぐにその内容を理解したようだ。ある程度の冷静さを取り戻したらしく、落ち着いた様子で隊列を組みなおしていく。一部の兵士が、「女神様の仰せのままに!」「我々には女神の加護がある!」と変な勢いになっていたりもするが、今のところ問題は無いし、恥ずかしいので聞かなかったことにした。
大砲も地上の魔物へと狙いを移したようだ。すでに地上の魔物も視認できる距離まで到達しているので、地上の合図なしに発砲することができる。砲撃準備が整ったものから順に火を噴いていった。
また、自身の命令を聞かなくなったことで、隊長が何やら喚いているが、もはや部下の耳には届かないようだ。戦いが終わったあとで、この部隊は懲罰を受けるかもしれないが、さすがにそこまでティアが心配してやる義理もなかった。
「今のティア、ちょっとリオンみたいだったニャ」
ティアの隣で微笑みを浮かべたファリンが、ティアの一連の行動をそう評した。洞察力に優れるファリンは、ティアが誰の姿を想って今の行動をしたのか見抜いたのだろう。
そんなファリンの言葉が恥ずかしくもあり、誇らしくもある。そんな感情を誤魔化すように、ティアは少し照れたような笑みを浮かべてファリンの頭を優しく撫でる。
「ファリンは私のサポートをお願いね」
「まっかせるニャ!」
鉤爪付の右手をビシッて掲げて、元気いっぱいに応えるファリン。ティアに頭を撫でられ、ウニャ~と大層ご機嫌な様子だ。
思わず抱きしめたくなる可愛らしさだが、残念ながら今はそんなときではない。魔物の第二陣はすでにティアの射程圏内へと近づいている。後続も次々と押し寄せてきているので、すぐにこの場は乱戦状態となるだろう。しっかりとファリンの柔らかな髪の感触を味わったあと、ティアは魔弓を空へと向ける。
先ほどはこの場の信頼を勝ち取るために最大出力で魔法矢を放った。おまけに兵士達の注目を集めるために光の魔法で派手な演出までしてみせた。だがもうその必要は無いので、威力よりも精密さを求める必要があるだろう。長期戦になるのは間違いない以上、あまりアウラを使いすぎるわけにもいかないのだから。
「行くわよ、ファリン」
「がってんニャ!」
降下を始めた魔物に狙いを定め、魔弓に込めた魔力を解き放った。五本の魔力の塊が、必殺の一撃となって空を奔る。
それと同時に、ティアのすぐ横から雷鳴が鳴り響いた。ファリンの放った三本の稲妻が、紫色の光を放ち、バチバチと空気を焦がしながら、ティアの魔法矢を追従する。
後方からは火石の弾ける音がした。大砲の音よりも小さな音なので、おそらくティアの指示通り銃隊が援護してくれているのだろう。
それらの攻撃に空の魔物は次々と撃ち落とされていった。魔法矢によって頭部や胴を粉砕されるもの。紫電に貫かれ、煙を上げながら絶命するもの。銃弾に羽を撃ち抜かれ、ジタバタともがきながら地面に叩きつけられるもの。運よく死を免れた魔物は、銃隊や砲撃手に牙を剥くも、それを待ち構えていた冒険者によって迎撃されていった。
「魔物が次々と……」
「さすが女神様だ!」
「イケるぞ! 女神様に従えば、魔物など恐れるに足らん!」
次々と撃ち落とされていく魔物の姿に、そこら中から歓喜の声が上がる。つい先ほどまで半ば恐慌状態だったとは思えないほどの浮かれっぷりだ。ティアへの熱がさらに上がっているが、それがこの場の士気を盛り上げているのならば、少しの恥ずかしさは我慢しよう。ティアの恋人であるリオンが来たら一波乱あるだろうが、ティアもそこまでは考えていなかった。
こうしてティアの活躍によって、態勢はこちらに傾きつつあった。百体以上いた飛行型の魔物も、半分近くまで数を減らしている。地上の様子までは把握できないが、大砲によって地上の魔物も確実に減っているはずだ。これならガルドラッドからの救援が来るまで持ち堪えられるかもしれない。その場にいる誰もが、そんな希望を持ち始めていた。
だが、そんな希望は次の瞬間、あっさりと打ち砕かれることになる。
その予兆に真っ先に気付いたのはファリンだった。水色の髪の間から覗く猫耳が、振るえるようにビクッと反応を示す。
「皆、逃げてえええええええええ!」
後ろを振り返ったファリンが必死の形相で叫ぶ。まだ向かってきている魔物がいる中で敵に背を向けるなど、普段のファリンでは考えられない行動だ。つまり、それほどの危機が迫っているということだろう。
(まさか……!)
ファリンの背中を守りつつ、周囲の気配を探るティア。そして、すぐにその気配に気付いた。
「みなさん、すぐにこの場を離れて!」
突然のティアの指示に、戸惑いの表情を浮かべる。ティアという実力者の存在と、自分達が想定以上に善戦していたことで、兵士や冒険者達から危機感が欠落してしまったようだ。士気を高めるばかりで、緊張感を保つことをしてこなかったことに後悔が押し寄せてくるが、今はそれを気にしている場合ではない。
「急いで! 外壁の中へ――」
必死に撤退を訴えるティアの言葉が途中で途切れた。
いや、正確にはより大きな音によって掻き消されたのだ。
後方に控えていた兵士達の真上――雲よりも高い天空から、巨大な魔物が雷のような速度で外壁に落下してきた。荒れ狂う風を纏ったその巨体が、固い石で造られた外壁を抉り、落下地点にいた兵士達をまるで紙切れのように軽々と吹き飛ばしていった。
「う、うわあああああ!」
正面からその突撃を受けた兵士が悲鳴を上げながら外壁の下へと落ちていった。外壁の高さはおよそ十五メートル。意識のある者は身体強化魔法を使えば助かるかもしれないが、衝撃で気を失っている者はまず助からないだろう。
「グルルルァッ!」
己の威光を示すように、魔物が雄叫びを上げる。体長三メートル近いその巨体から繰り出される咆哮が、物理的な圧を持っているかのように兵士達を襲う。
「ば、バードレオ……」
冒険者の一人が震える声でその魔物の名を呼ぶ。
「グルルルァッ!」
その声に応えるように、討伐ランク三級の魔物、バードレオの咆哮がミュンストルの街に響き渡った。
区切る良いタイミングまで書いていたら、思いの外長くなってしまいました。
一章ではリオン君以外、あまり戦闘シーンを描けなかったので、二章では他のメンバーの活躍をしっかり描きたいなぁと思ってます。
そんな訳で、今回と次回はティアが活躍します。
次回はファリンも頑張ります。
話は変わりますが、小説家になろうのランキングカテゴリーが変わりましたね。
ファンタジーがハイ・ローで分かれたり、異世界転生・転移のカテゴリーができたり……
拙作がどれにカテゴライズされるのかちょっと悩みました。
結果、多分ハイファンタジーになるんでしょうけど、『ハイ』って付くと高尚な感じがしてちょっと気が引けます(笑)
けど、異世界転移・転生以外の面白そうな小説を見つけやすくなりそうで、ちょっと楽しみです。
いずれは自分もローファンタジーとか書いてみたいなぁって思います。
まぁ黒の翼の完結が最優先ですけど。
感想、ご意見、誤字脱字の報告等お待ちしております。
厳しいご意見なども真摯に受け止めさせていただきます。
よろしくお願いいたします。