守りたいもの
「ここがアネットさんが消えたっていう湖か……」
穏やかな湖畔に辿り着いたリオンが、グルリと周囲を見渡す。以前、ガルドラッドの町に来た時に魔空船の上からは見ていたが、実際に来るのは初めて。その時に受けていた依頼が、こことは町を挟んで反対側の鉱山地帯でのものだったからだ。
生活用水として使われているだけあって、水は澄んでおり、湖面に真っ青な空と白い雲を映している。対岸まではかなりの距離があり、森の緑と湖の青のコントラストが何とも穏やかな気持ちにさせてくれる。今回の依頼が終わったら、皆でピクニックに来るのもいいかもしれない。その時はアネットも一緒に。雄大な大自然に囲まれたリオンは、改めてそう決意する。
「……それで、お前はいつまで拗ねてるんだ?」
「………………別に」
リオンの斜め後方で、今回の捜索の相棒が、どこかの不機嫌クイーンのような返事をした。野球の試合に負けた中学生みたいな顔で、リオンの斜め後方に控えているアルだ。先ほど武具店で、依頼人であるエクトルやギルムッドに噛みついた件で損ねた機嫌が、未だに回復しないらしい。心なしか、狐らしくピンと立った耳も、ふさふさの尻尾もどことなく元気がなさそうに見える。
「店でのことなら別に怒ってないぞ?」
「べ、別にそんなこと気にしてるわけじゃねえよ!」
「依頼人にケンカを売るのは褒められた行為じゃないが、言われた本人が許した以上、俺から特に言うことも無いしな」
「だから、別に気にしてないって言ってんだろ!」
間違いを指摘された子どものように否定の言葉を繰り返すアル。ムキになって反論するのが気にしていた何よりの証拠なのだが、リオンは口には出さなかった。
「……ギルムッドやエクトルのことにまだ納得がいかないか?」
今度は反論は無かった。リオンの言葉に、アルは黙って俯く。どんな言葉よりも明確なアルの答えだった。
少しの逡巡の後、アルは顔を上げた。その純粋な瞳を迷いで揺らしながらも、真っ直ぐにリオンを見つめる。
「リオンは……リオンは何とも思わないのか?」
「……色々と思うところはあるが、お前の考えていることとは違うだろうな」
アルの気持ちも分からなくはないが、少なくともリオンはあの二人に否定的な感情は抱いていない。アルにもそれがわかったのだろう。リオンの目から逃げるように、アルはリオンに背を向けた。
「やっぱり、いくら考えても納得できないよ。自分の娘が行方不明になったのに、探しにも行かずにあんな風に笑って過ごしてることも、大切な婚約者の捜索を見ず知らずの他人に任せることも……そんなの絶対におかしいだろ?」
小さな背中が震えていた。両の拳を固く握りしめて。大人の騎士さえも圧倒するほどの実力を持つアルが、今は道に迷った幼い子どものように頼りなく見えた。
この世の中には様々な家族がいる。赤ん坊を孤児院の前に捨てたり、三歳の子どもを森に置き去りにしたり。そんな連中を何度も見てきたリオンやジェイグ達からすれば、その身を心配し、捜索のための手を尽くしているギルムッド達に対して否定的な感情を抱くことは無い。
だが、アルは家族というものに対しての理想が強すぎるきらいがあった。アルがここまで二人の事にこだわるのも、それが原因だろう。
アルの両親は、幼いアルとアルの姉を守るために魔物に立ち向かい、そして殺されたという。ごく普通の商人だった二人に魔物と戦うだけの力はなかっただろう。間違いなく死ぬとわかっていて、それでもなお我が子を守るために勇気を振り絞ったのだ。
そして、残されたアルの姉も、魔物の攻撃からアルをかばって死んでいる。当時、アルの姉は七歳。病弱で、戦うどころか普通に生活することさえ難しい女の子だったという。
アルはそんな両親を、姉を守れなかったことを今でも悔いている。だからこそ、たった一人の娘を探しに行かないギルムッドや、ケガを理由に婚約者探しを他人任せにするエクトルが、アルには許せないのだろう。
アルの境遇を知っているリオンには、アルの気持ちも理解できる。だがそれと同時に、ギルムッド達の苦悩もわかってしまうから……
「なぁアル……お前には本当に守りたいものって、どれくらいある?」
アルの背中にリオンが問いかける。アルもどう答えていいのかわからなかったのだろう。アルからの返事は無かった。ただ、わずかに振り返ったその表情からはわずかな戸惑いが感じられた。
「質問を変えようか。もしギルムッドがアネットを探しに行ったらどうなると思う?」
「どうって……」
先程からのリオンの質問の意図を図りかねているのだろう。アルが怪訝な表情で首を傾げる。
「間違いなくエクトルも一緒に来るだろうな。自分の怪我なんて省みずに。それだけじゃない。他の弟子たちも協力を申し出るかもしれない」
「いいじゃないか、それで。そうすればアネットさんも早く見つかるかもしれない」
「……魔物に襲われる可能性だってあるのに、か?」
わずかに目を細めてアルを見つめるリオン。その視線を、問いかけを受けて、アルもリオンの言いたいことがわかったのだろう。ハッとしたように目を丸くする。
「それだけじゃない。もしギルムッドがアネットを探しに行って、その身に何かあれば、残された弟子達はどうなる? 鉱山と鍛冶の町とはいえ、七人もの鍛冶師見習い全てが次の師を見つけるのは簡単ではないだろう。特に、足にハンデを抱えているエクトルはな」
「……それは自分の娘よりも、弟子の方が大事ってことか?」
リオンの視線から逃げるように、アルが顔を俯かせる。
本当はもうアルもわかっているのだろう。ついさっき感情のままに暴走してしまった手前、素直に認められなくて意固地になっているだけだ。
しょうがない奴だ、とリオンは内心で苦笑しつつも、弟の肩に手を置く。前世を合わせた精神年齢的には親子と言ってもいいくらいの年齢差なのだが。
「なぁアル……お前にとって俺やティア達は何だ? パーティーの仲間、ただ同じ孤児院で育っただけの他人か?」
「そんなわけない! 皆大切な家族で、大好きな兄貴や姉ちゃんだよ」
リオンの問いを、アルが激しくかぶりを振って、否定する。その答えにリオンは小さく笑みを浮かべた。わかっていたことだが、実際に本人の言葉で聞くと嬉しい反面、少しくすぐったいような気持ちになる。それでもアルから目を逸らさずに告げる。
「確かに、血の繫がった家族というのは大事な絆であることは間違いない。だが、血の繋がりなどない俺達の絆だって、どこの家族にだって負けるものじゃない。そしてギルムッドにとっては、娘だけでなく弟子達ももう大事な家族なんだよ。だから娘のためとはいえ、他の家族を危険な目に合わせたり、路頭に迷わせるようなマネはできないんだ。エクトルにもそれがわかってるから、一人で勝手に動いたりできないんだろう」
だから冒険者に頼るしかなかった。たとえ行方不明者の捜索というのが、依頼としてあまり好まれないものだとわかっていても、誰かに縋る方法しか彼らには残されていなかったのだ。
「守りたいモノ、守るべきモノがたくさんあると、時に自由に身動きが取れなくなることもある。今のギルムッドやエクトルみたいにな。どちらも大切で、なのにどちらかしか選べない。そんな状況もあるってことだ」
「……だから聞いたんだな? 守りたいものはいくつあるって……」
リオンの言いたいことを理解できた弟を褒めるように、リオンはアルの頭をポンポンと軽く叩く。
「こういう問題は誰にでも降りかかる可能性がある。俺にもお前にもな。だから、そうやって困ってる奴がいて、自分が何かできるなら手助けする。それも冒険者の仕事なんだと俺は思うよ」
まぁ報酬は当然頂くがな、とリオンがニヤリと笑う。アルはリオンの言ったことを自分の中で消化している最中なのだろう。まだ難しい顔をしながらも、曖昧な笑みを浮かべていた。
「すぐに納得する必要もない。アネットさんの捜索をしながらでもゆっくり考えればいいさ。まぁ当然捜索には集中してもらうがな」
今度はアルもしっかりとした頷きを返してきた。ギルムッド達のことはともかく、アネットを助けたいのはアルも同じだ。湖までの道ではモヤモヤとした気持ちを抱えたままだったみたいだが、大事な場面ではしっかり気持ちを切り替えるだろう。特に、アルはエメネア城内潜入の時に焦りの為に失態を犯している。同じような過ちを犯すほどアルは馬鹿でも未熟でもない。
「さぁ、それじゃあ捜索を開始するぞ」
そう言って、リオンはコートのポケットから一枚の布きれを取り出す。ギルムッドから預かったアネットの私物のハンカチだ。それをアルに手渡す。
アルを湖の調査に同行させたのは、別に今の話をするためではない。狐の獣人のアルはリオン達ただの人間よりも嗅覚に優れている。本物の狐ほどとはいかないが、身体強化魔法を使うことで、それにある程度近づくことが可能だ。すでにアネットが失踪してから一週間以上が経っているため、その方法がどこまで通じるかは不明だが、試してみる価値はあるだろう。
ちなみにギルムッドの弟子達には嗅覚に優れた獣人はいなかった。さすがにそんな人物がいれば、多少の危険はあっても、一週間も経過する前に一度くらいは試していただろう。
「アネットさんの匂いが残ってればいいんだけど……」
「まぁここに残ってなくても、捜索範囲を広げれば手がかりくらいはあるかもしれない。まずは湖沿いを森側に向かって捜索するぞ」
湖の南側に向かってリオンが歩き出す。その隣に並んで付いてくるアルが不思議そうに尋ねてくる。
「何で森側を先にするんだ?」
魔物が出るかもしれない地帯で単独行動は禁物だ。たとえリオン達の実力が高いといっても、ちょっとの油断が死に繋がることは二人には嫌というほどわかっている。ならば湖に向かって、まずはどちらか片方を捜索するしかない。アルが疑問に思っているのは、リオンが迷わずに湖の南側、森の方を先に捜索することを決めたからだろう。
リオンは足早に歩を進めながら、要点だけを端的に答える。
「アネットさんの失踪の原因に一つ心当たりがある」
「本当か!?」
さっきまでの曇り顔はどこへやら。アルが驚きと期待の目でリオンの顔を見つめてくる。
「でも、じゃあ何で皆の前では言わなかったんだ?」
「まだ仮説にすぎず、確証は無かったからな。下手に期待させて、やっぱり違いましたじゃかえってショックが大きくなるだけだ」
ギルムッドはともかく、今のエクトルにこれ以上の心的負担をかけるのはマズいだろう。
それはアルにもわかっているようだ。今までアルに黙っていたことについても、特に文句はないらしい。
ちなみに別行動中の二組には、細かい指示を出す時にこのことは話している。アルはその時まだご立腹中だったので、冷静になってから話せばいいだろうと今まで言っていなかった。
そんなリオンの言葉に、ひっかかりを覚えたのだろう。「でも……」と少し考えるそぶりを見せた後、アルがわずかな期待を込めた視線を向けてくる。
「期待させる、ってことは、もしリオンの心当たりが正しかったら……」
「ああ、おそらくアネットさんは生きてはいるだろう」
アネットの生存の可能性が高まったことに、わずかに顔をほころばせるアル。いつものようにはっきりとした喜びを示さないのは、リオンの言葉のニュアンスに、まだ予断を許さないだけのものが含まれていたからだ。
生きて『は』いるだろう……すなわち、命以外の部分で何らかの危機が訪れている可能性を示唆している。
(正直、心当たりが当たって欲しいかは微妙なところなんだがな……)
アルにも言った通り、リオンの考えが正しければ、アネットさんの生存はほぼ間違いない。それはとても喜ばしいことなのだが、それと同時に、とてつもなく面倒な事態が巻き起こっているということでもあるのだ。
それこそ最悪の場合、ガルドラッドの町だけでなく、この地域全体の生態系そのものを揺るがすような事態が……
「それで、リオンの考える心当たりって何なんだ?」
「ああ、それは――」
リオンがアルに説明を始めようとした、まさにその瞬間だった。
リオン達の前方から、やってくる魔物の気配に気づいた二人が、同時に己の武器に手をかけたのは。
「……かなりの数だな、リオン」
「ああ……だがこの気配は――」
魔法で強化を施した五感で、木々が生い茂る前方の森の中を探るリオン。その鋭敏な感覚で察知した気配の違和感に眉を顰める。
(ただ数が多いだけじゃない……これは……)
その違和感の正体は、薄暗い森の中から現れた大量の魔物の群れを見た瞬間にすぐに理解できた。
そしてそれは、リオンの仮説が確信に変わった瞬間でもあった。
通常、『魔物の群れ』というのは、単一種類の魔物だけで構成されている。まれに二、三種類の魔物と同時に鉢合わせることはあっても、魔物の意思で他の魔物と群れを形成することは無い。
なぜなら魔物というのは、基本的に互いに捕食しあう関係にある。一度出会えば、徒党を組むどころか、その瞬間から生き残りを賭けた殺し合いが始まってしまう。子どもの頃に、ミリルの発明品によって大量の動物と魔物が押し寄せてきた時も、その道中ですでに激しい戦いを繰り広げていた。弱肉強食の世界に、馴れ合いなどというものがあるはずもないのだ。
だが……
「オークにゴブリン、ハーピー、ラミアにケルピー、トロールまでいるし……どうなってんだ、これ?」
目の前の異様な光景に、アルが困惑した様子で呟く。両手に小剣を握り、油断なく周囲の気配を探っているが、どこか戸惑っている様子だ。
それも無理もないことだろう。これだけの種類の魔物が、偶然に鉢合わせるのでもなく、一つの群れとしてリオン達を襲おうとしているのだから。数種類の魔物が入り乱れて群れを成しており、互いを敵とは全く認識していない様子だ。
ちなみにハーピーは、見た目は人間の女性だが、両手両足が鳥の手足のようになっている魔物。ラミアも同じく女性型の魔物だが、下半身が蛇の姿をしている。ケルピーは全身を灰色の体毛で覆われた水棲の馬の魔物だ。主に川に生息し、水の中でも生きていけるらしく、捕まえた獲物を水中に引きずり込んで溺死させ、その肉を食らう。トロールは体長二メートルを超す巨人。体中を体毛で覆われ、醜い顔を持っている。
「予想が当たって良かったと言うべきか、不運だったというべきか……」
魔物の坩堝と化した湖畔で、リオンが深いため息をこぼす。
「どういうことだ、リオン? こいつらがアネットさんの失踪と関係あるのか?」
「まぁそういうことだ。詳しいことはこいつらを片付けたあとで説明しよう」
「そうだな。こいつら放っておいたら、大変なことになりそうだし」
鋭い牙を剥き出してこちらを威嚇する魔物達を前に、アルが面倒くさそうに小剣で空を切る。魔物の数は全部で五十体ほど。かなりの数ではあるが、この湖は町の生活用水となっている。ガルドラッドからもあまり距離がない以上、放っておくわけにもいかない。
救いとしては、群れの中の魔物がそれほど強力なものではないところか。決して楽ではないが、今のアルとリオンの実力ならば問題ないだろう。
リオンもエメネア製のミスリルサーベルを正眼に構えて、魔物の群れと向かい合う。
「慣れない剣で大丈夫なのか? なんならオレに任せて休んでてくれてもいいんだぜ?」
「ふっ、言うようになったじゃないか。それならどっちが多くの魔物を仕留めるか勝負してみるか?」
「武器が悪いって後で言い訳すんなよ?」
「お前こそ、刀の無い俺に負けて泣くんじゃないぞ?」
これから二人でゲームでも始めるようなやり取りを交わして、リオンとアルは魔物の大群に向かって同時に地を蹴った。
一週間に一回を目指しているつもりが、二週間に一回くらいの投稿頻度に……
今よりも小説に打ち込むために、色々と勉強してるからなのですが、勉強しながらも書きたい衝動と日々戦ってます。
ただ、どんなに遅くなっても必ず完結させますので、温かい目で見守っていただければ幸いです。
2016/5/1、48部『指名依頼』に文章を少し追加しました。
第二章後半のためのちょっとした伏線になっております。
別に読まなくてもストーリー理解に支障はありませんが、もしよろしければご確認いただければと思います。
追加した文章の詳細は48部の前書き後書きに記載しております。
感想、ご意見、誤字脱字の報告等お待ちしております。
厳しいご意見なども真摯に受け止めさせていただきます。
よろしくお願いいたします。