鍛冶師ジェイグと日本刀
ジェイグの悲鳴によって、さっきまでいた場所の近くには獲物がいなくなってしまった。
そのことにぶつくさ文句を言いながら、(ジェイグからは「お前のせいだろうが!」と怒られた)リオンはジェイグとしばらく森の中を探索した。
結果、一時間ほど森の中を歩き回ったが収穫はゼロ。
仕方なく二人は狩りの場所を変えることにした。
現在、リオンとジェイグは森を出て少しのところにある草原にいる。
街道からもある程度距離があり、水場も近いため野生の猪や牛、さらにはダチョウによく似た鳥などの大型の動物を狩ることができるのだ。
おまけに季節は夏。
暑さに攻められた喉の渇きを潤すために、野生動物たちの水場の需要は高い。
ただし魔物ではないとはいえ野生動物の中では大型であり、そいつらはどれも突進力に優れている。その大きな体で突進されれば、普通の子どもの体ではひとたまりもないだろう。
さらに体格が大きいということは体力もあるということだ。
普通の弓やナイフ程度では一撃で仕留めることはできないため、当然狩りの難易度も上がる。
まぁそれは二人が普通の子どもだったらの話だが。
「おりゃあああああああ!」
雄々しい雄たけびを上げたジェイグが、突進してきたバッファローのような牛の体当たりを身体で受け止める。そして、牛の二本の角を両手でガシッと掴むと、体重八百キロくらいはありそうな牛の体を持ち上げ、そのまま勢いよく地面に叩きつけた。
地面に背中から打ち付けられた牛は、「ブモオオオオオ!」と痛々しい鳴き声を最後にピクリとも動かなくなった。
「うしっ、一丁上がり!」
「ジェイグ、寒い」
「ダジャレじゃねぇからな!」
背後からの冷ややかな声に、ウガーッと文句を言うジェイグ。
体長三メートル近くありそうな牛の突進を真正面から受けたというのに、全くもって元気そのものである。
「相変わらずの馬鹿力、それに頑丈な身体だな」
「ふん、魔法と素早さでは勝てないけど、力と体力ならまだまだ負けねえよ」
力こぶを見せつけるように両腕を上げて、ジェイグがマッスルポーズを決める。何となくイラッとするドヤ顔はともかく、そのポーズは鍛え上げられた筋肉と屈強な戦士のような体格と相まって、随分と決まって見えた。
そう言うならリオンのヘッドロックくらい簡単に外せただろうとは思うが、まぁあれはいつものじゃれ合いの延長なので無理に抵抗はしなかったのだろう。
「まぁ力で勝てないのは別にいいが……一つ聞いてもいいか、ジェイグ」
「ん?」
「その背中の大剣は飾りか?」
ジェイグのもう一人、というかもう一つの相棒である大剣、ツーハンデッドソードを指してリオンが訊ねる。
これまでに何度も二人で狩りに来ているし、低ランクではあるが魔物相手に戦ったこともある。なので、ジェイグの強さは理解しているし、その大剣の威力も知っている。
つまり今の問いはそれだけの剣を持ちながら、巨大な牛を相手に生身でぶつかるジェイグのやり方を皮肉ったものなのだが……そんなリオンの真意に気付かないジェイグは、さも当然といった顔でその問いに答えた。
「これ使ったら真っ二つになるからな。毛皮も肉も安くなっちまうだろ」
「いや、かわして横から首を狙うとか」
「そんなことしなくてもあんな牛の突進くらいどうってことねえよ」
「別にそこを問題にしてるわけじゃないんだがな」
「それによぉ、俺にとってはこのやり方が一番効率がいいんだよ」
「……そうか……ならいいんだ」
自信満々に胸を張るジェイグに、これ以上の問答は無駄だと悟ったリオンは静かに引き下がった。
当然納得したわけではないが。
内心では「この脳筋が!」と叫んでいるが。
ちなみにジェイグの言い分が、先ほどリオンがバウンドラビットを狩った時のものと同じであることに二人は気付いていない。
十年近い付き合い。なんだかんだで似た者同士なのである。
「さてと、それじゃあさっさと解体するか」
頭を切り替えたリオンが地面に寝転がる牛に向き直る。派手に叩きつけられて身動き一つしていないが、見たところまだ息はあるようだ。
もっともそれが幸運とはならないのだが。
澄んだ草原の空気を切り裂くような鋭い音が鳴りわたる。
その直後、倒れていた牛の太く逞しい首が、今まで繋がっていたことが嘘のようにあっさりとその根元から斬り落とされた。
あざやかな斬り口から血が噴き出す。まだ息があったためか、その勢いは鼓動を刻む速度に合わせて断続的だ。だがやがてそれも徐々に穏やかになっていき、数分で牛の血液のほとんどがその首から流れ出してしまった。
血がある程度止まると、再び風切り音。
すると今度は牛の大きな腹に、真一文字の斬れ込みが入り、残っていた血液がそこから溢れだしてきた。
「使い勝手については全く問題ないみたいだな」
それを少し離れたところで見ていたジェイグが満足気に頷いた。
牛の解体をしているのはジェイグではなくリオンだ。
ならどうしてジェイグがこんなに満足気なのかというと――
「ああ、何たってお前の自信作だからな。問題ないどころか、実に手に馴染んでるよ」
その答えは、リオンが腰に差している日本刀にあった。
今のリオンの言葉通り、この日本刀はジェイグの打ったものだ。
ジェイグはエメネア王都の武器屋で鍛冶師をやっている。
六歳になる前から弟子入りしていたので、もう八年くらいになるか。
適性属性が火と土だったので、鍛冶師としての適性はバッチリだったし、どうやら才能もあったらしい。親方にも気に入られ、メキメキと腕を上げたジェイグは、十になる頃にはもう、街に部屋を借りて一人で暮らしていけるだけのお金を稼いでいた。
二十歳で成人を迎える日本にいたリオンからすれば、十歳でそれだけの実力を身に着けるというのはどうにも違和感があった。
だが、この世界では十五歳で成人となるうえ、魔法の適性によって職業の適性がある程度決まる世界なのだ。鍛冶師としての才能に加えて、魔法の腕前も平均以上にあるジェイグにとって、鍛冶師はまさに天職だったのだろう。
そうしてジェイグは十歳の誕生日の翌日に孤児院を出た。
今は働いている鍛冶屋の近くで一人暮らしをしている。鍛冶の腕もさらに上達し、今ではもう中級冒険者が扱う武器くらいなら任せてもらえるようになっているらしい。
ちなみに二人が育った黒ふくろうの家では一人立ちするまでにいくつかルールがある。
一つ、五歳になるまで街に一人で行ってはいけない。
二つ、八歳までに必ず街で働き口を見つけてお金を稼ぐこと。
三つ、稼いだお金は一部を孤児院に入れ、残りは自由にしていい。ただし、一人立ちするための資金は残しておくこと。
四つ、十三歳になるまでには孤児院を出て一人立ちをしなければならない。
他にも細かいのはあるが、重要なのはこの四つだ。
孤児院の中でもジェイグは働き口を見つけるのが特に早かった。
そんなジェイグに日本刀の製作を頼んだのには、色々と理由があった。
前世の日本で、リオンこと空野翔太は自衛隊パイロットを目指していた。それは幼い頃からの夢であり、目標だ。翔太はそれを叶えるために何が必要かを考えた。
自衛隊学校に合格するための学力がいるのは当然。
自衛隊が軍隊である以上、それ相応の体力と格闘技の心得が必要となるだろう。
また、テレビで見た海外の軍隊の訓練の厳しさを見て、それに耐えるだけの精神力もいることが分かった。
ゆえに翔太は幼い頃から心身ともに鍛えるという目的のもと、近所にあるいくつかの武術道場に通い、様々な武術を身に着けた。
その中でも翔太が特に熱を入れたのは合気道に空手に剣道。
そして居合術だった。
居合に熱中した理由もいくつかあるがその一つは、やはり刀という本物の武器を使う点にあった。
先にも述べたが、リオンは自衛隊に入るつもりだった。そして軍隊では訓練とはいえ、銃、つまり人を殺せる武器を持つことになっただろう。
当時の日本で、自衛隊が戦争に行くことはほとんどなかったとはいえ、それでも万が一ということもある。それに航空自衛隊を目指す理由である戦闘機も、紛れもなく武器だ。それこそ銃の何倍も恐ろしい兵器である。
そんな簡単に人の命を奪えてしまう武器を扱う心構えみたいなものが、居合をすれば身に付くのではないかと思ったのだ。
それに万が一の時の覚悟も……
もちろんそんな機会など訪れて欲しくはなかったが。
ちなみに居合を始めたもう一つの大きな理由は、とある漫画の影響がある。
多少の特異な点はありつつも、日本で普通の少年時代を過ごした翔太は、他の同世代男子と同じようにアニメや漫画が好きだった。ライトノベルなどもよく読み、ゲームも好んでやっていた。
その趣味の傾向はどちらかといえば広く浅くという感じではあったが、その中で特に翔太が好きだったのは、有名な剣客漫画だった。
刀一本で幾多の強敵を打ち倒し、銃を持つ相手にさえ真っ向から刀で戦いを挑み、そして勝利する。そんな漫画にハマった翔太少年が、習った数ある武術の中で居合を特に気に入ったのは当然の結果だった。
そして初めての居合で舞い上がった翔太少年が、思わず全力で漫画の技名を叫んでしまい、我に返って身悶えるという黒歴史が増えたこともまた当然の結果だったのだ。
実は翔太が一番好きだったのは抜刀術を使う主人公ではなく、主人公のライバルの某新撰組隊長だったのだが。
しかし、ファンタジー世界でお馴染みの剣や槍など様々な武器があったが、孤児院のある『エメネア王国』には刀は存在しなかった。
サーベルやシミターのような片刃の剣はあるにはあったが、リオンが欲しかったのは日本刀。それも現代日本で居合に用いられることも多い『打刀』と呼ばれる刀である。
初めてジェイグに刀を打ってほしいと頼んだ時には随分と首を捻られたものだ。
だが、冒険者として戦う以上、武器は必要だ。
ゆえに使い慣れた日本刀をリオンはどうしても手に入れたかった。
とはいえ、日本刀の構造は西洋式の剣とは製法も使い方も大きく異なる。
西洋式の剣はその重量を活かして『叩く』のに対し、日本刀は切れ味を活かして『斬る』のだ。
日本刀の性質は簡単に言うと、『折れず・曲がらず・よく切れる』である。それを実現するために、日本刀はその刀身に数種類の性質を持つ金属を組み合わせる必要があった。
衝撃を吸収するために比較的柔らかい金属で作られた芯鉄を、硬い皮鉄で包む。刃の部分が硬過ぎると刃こぼれする恐れがあるので、皮鉄よりも粘りを持たせた刃鉄を組み合わせることもある。
この構造をジェイグに説明した時には随分と驚かれた。
どうやらエメネアには複数の金属を混ぜ合わせた合金を使うことはあっても、強度の違う金属を組み合わせるという発想はなかったらしい。
だがリオンの説明で、ジェイグの職人魂には間違いなく火が付いたのだろう。最初は話半分で聞いていたジェイグも次第にリオンの話にのめり込んでいった。その夜は興奮のあまり寝付けなかったらしい。
そして次の日から、ジェイグによる日本刀製造が始まった。
リオンも何度もジェイグの働く鍛冶屋に足を運び、共に日本刀作りに夢中になった。
もちろんジェイグは鍛冶屋の仕事や、日々の修行もちゃんとやっていた。リオンも狩りなどで稼いでしっかり対価は払っている。親方の厚意で工房は安くはしてもらったが。
また、その過程でいくつかの嬉しい誤算もあった。
まず一つ目は、この世界の製鉄技術の高さだ。
日本刀には玉鋼と呼ばれる鋼が用いられるが、高品質の玉鋼を作るのはとても難しい。
前世の日本では、たたら製鉄と呼ばれる製法で作られていたが、この世界では製鉄は全て魔法と魔術によって行われる。魔術によって金属の成分を解析し、土と火の魔法と魔術を用いて製鉄するのだ。
鋼の強度は鉄の中に含まれる炭素の量などによって決まるが、この製鉄方法により鋼の中の炭素量を調整することが可能だ。また、この製鉄方法を応用することで、日本刀の製造工程にある折り返し鍛錬で行う不純物の叩き出しや、鋼内の炭素量の平均化をスムーズに行うこともできた。
二つ目の誤算は、魔金属の存在だ。
魔金属には前世のゲームやラノベなどで有名なミスリルやオリハルコンだけでなく、金属自体に微量のマナを含む魔鉄や魔銀などがある。ミスリルやオリハルコンは希少で高価なのでリオンではまだ手は出せないが、魔鉄などは割と安価で、普通の鉄よりは強度も魔力融和性も高い。
それらを用いることで、刀の強度や切れ味を高めることができたのだ。
それでもやはり日本刀作りは一筋縄ではいかなかった。
リオンも刀を使った経験や作り方の知識があるとはいえ、実際に作るのは素人だ。また、その知識も完璧ではない。当然、何度も失敗を繰り返した。
焼き入れや焼き戻しの適切な温度を間違えてボロボロの日本刀が出来上がったこともあった。芯鉄の製造が上手くいかず、数回の試し切りであっさりと折れたこともあった。
そんな試行錯誤を何年も繰り返し、ようやく半年前に異世界の国エメネアに初の日本刀が誕生したのだ。
完成した日本刀を受け取ったリオンのはしゃぎっぷりはかなりのもので、嬉しさのあまり孤児院の周りで日本刀を振り回し、目についた物を片っ端から斬って捨てるくらい暴走していた。
そしてその結果、孤児院内に先生の雷が落ちた。比喩的な意味じゃなく、魔法で本当に落ちたのだ。
普段は割とクールなリオンがここまではっちゃけたのは、新しい武器が手に入った喜びもあるが、やはり前世の日本での生活で身近だった物を手にし、かつての故郷を想って感極まったというのもあったのだろう。
ちなみに完成したその日は日本刀を抱きしめて眠った。
そして翌朝先生に見つかり、リオンの部屋に再び雷が落ちたのだった。
「前に作ってもらった物よりはるかに使いやすい。斬れ味も申し分ない。また腕をあげたみたいだな、ジェイグ」
「だろぉ? 最初の一本が完成するまでは時間もかかったし苦労もしたけど、今ならもうそこらの剣には負けねえくらいの質の刀が作れるぜ」
普段は軽口を叩き合っているリオンの称賛の言葉に、ジェイグが誇らしげに笑う。
刀の製造に関してジェイグには本当に苦労をかけたし、完成品のメンテナンスも任せている。ジェイグには本当に感謝しているので、いつか立派な冒険者になった時にはたっぷりとお礼を持ってくるつもりだ。それにジェイグは鍛冶師の仕事に誇りを持っており、その真摯な姿勢をリオンは尊敬もしている。
だからこそ、いつもは皮肉屋なリオンも、この時ばかりは素直にジェイグに賛辞を贈るのだ。
まぁ賛辞だけで終わらないのがリオンという男なのだが……
「じゃあ次はミスリルかオリハルコンで頼む」
「それはいいけどよ……しっかり代金は払えよ?」
「そこはあれだ、同じ孤児院のよしみで」
「お前、ミスリルとかオリハルコン製の剣がいくらするか知ってんのか!?」
「知らないわけないだろう。馬鹿かお前は」
「つまりはあれだな? ケンカ売ってんだなテメエは? いいぜ、買ってやろうじゃねえか! 俺の剣の錆にしてやるぜ!」
「上等だ、脳筋。お前の自信作の斬れ味、その身に直接味あわせてやる」
「誰が脳筋だああ!」
牛の解体そっちのけで、死闘という名の兄弟のじゃれ合いを繰り広げる馬鹿二人。
その後二人の戦いは、牛の血の匂いを嗅ぎつけたゴブリン共が大量に押し寄せるまで続いた。