遠い背中
王都平民街の北部。貴族街と平民街を隔てる水路にほど近い路地裏。王城と外壁の北門を結ぶ大通から少し脇に逸れた辺りに、一組の男女が夜の闇と同化するように隠れていた。二人とも同じ漆黒のフード付きマントを羽織り、大通りを行きかう人々の目を逃れるように気配を殺している。
一見すると、交際を禁じられた男女が人目を忍んで逢引しているように見えなくもない。だが、誰かがそんなことを口走ろうものなら、女の方が全力で嫌がり、男の方がそれを見て激しいショックを受ける未来が簡単に想像できる。
何故なら……
「そろそろ皆が来る頃かしら」
「だな。まぁ誰が最初に来るかはわかんねぇけどな」
この場にいるのが、ジェイグとティアだからだ。
現在、別行動中の四人との合流地点に一足早く到着した二人は、一仕事を終えてこの場に向かっているだろう仲間の姿を、首を長くして待っていた。
「お、早速一人着いたみたいだな」
ジェイグが向かってくる気配に気付いてニヤリと笑う。
その直後、すぐ傍の店の屋根の上から黒い影が一つ飛び出してきた。その影は、舗装された石畳の上に音もなく着地すると、路地を歩く二人に向かって右手を上げる。
「おまたせ」
まるでデートの待ち合わせ場所に到着したかのような気軽さで声をかけてきたのは黒髪赤眼の青年。ジェイグの親友であり、ティアの想い人であるリオンだ。
「お疲れ様、リオン」
屋根の上から現れたリオンの許に駆け寄り、いつもの穏やかな笑みで労いの言葉をかけるティア。最終作戦中なので、さすがのティアもいつものラブラブ光線は抑え気味だ。もっとも、完全に抑えきれていないところが実にティアらしいのだが。
(こんな時でもティアは変わんねぇなぁ……)
ティアの後ろでそれを見ていたジェイグも、ティアの態度に思わず苦笑いが浮かんでくる。
「お、他の三人も着いたみたいだな」
ティアの労いに小さく笑みを返したリオンだったが、すぐに他の三人が到着したことに気付いて周囲を見渡す。
先ほどのリオンのように、周りの建物から次々と影が飛び降りてくる。今回の作戦中は全員が漆黒のフード付きマントを着ているため、本当に影が動いているように見えるのだ。
「ニャ!? 何でリオンが一番乗りしてるニャ!?」
「あんた、ここから一番遠い南門の破壊に行ってたわよね?」
変身猫耳娘ことファリンと、炸裂魔導技師ことミリルが先に到着していたリオンに驚愕の視線を向ける。
それもそのはず。ジェイグとティア以外の四人は、反乱軍の王都突入に先立ち、王都外壁にある四つの門を、同時に爆破したあとでこの場所に集まっている。この場所は王都北部にあるため、南門を担当していたリオンがこの場所にたどり着くには、王城や貴族街を迂回しなければならないのだ。屋根の上を行けば、ほぼ一直線にここに来ることができる他の三人よりも早いというのは異常だ。
「ああ、魔法を使って空中を走って来たからな」
さも当たり前とでも言うように、リオンが一番乗りの理由を告げる。
空中を走るというのは、リオンがかつて空を飛ぶための実験の過程で編み出した、魔法による空中ジャンプの事である。空を飛ぶことはできないが、家と家の間隔がやたらと広い貴族街の屋根の上を、誰にも見つかることなく走り抜けることくらいはできるのだ。
まぁそれでも三人の中での最長距離を、誰よりも早く走破したことには変わりないのだが。
「……もう、あんたの規格外の行動にはツッコまないことにするわ」
「リオンはきっと、魔空船から落ちても平気な顔で戻ってきそうニャ……」
獣耳少女二人から呆れた顔をされたリオンだったが、特に気にした風もなく、最後の一人の仲間に声をかける。
「アルも上手くやったみたいだな」
「……ああ、うん」
しかし、アルにいつもの元気がない。夜の路地裏はただでさえ薄暗いうえ、アルはフードを外していないので顔色はうかがえない。だが、そのどことなく硬い表情からは、少し余裕が無さそうな印象を受ける。
あの日から五年間、今日この時のために生きてきたようなものだ。それに鍛錬もその他の準備も十二分にしてきたとはいえ、この作戦が簡単なものでないことも確かだ。緊張も不安も当然。アルのように表にはっきりと出てはいないが、他の仲間も少なからず硬くなっているようだ。
もっともリオンだけは、普段通りのクールな表情のままだが。
とはいえ、このまま放っておくわけにはいかないだろう。命がけの戦いである以上、油断はもっての外であるが、緊張して本来の動きができなくなるのも命取りになる。
何か声をかけねば、とジェイグが口を開きかけたところで、凛とした声が暗い路地裏に小さく響いた。
「前に先生から聞いた話なんだがな……」
声の主はリオンだった。突然先生の話を始めたリオンに、全員が戸惑いながらもその話に耳を傾ける。
あんな悲しい事件はあったが、それでもこの五年間、リオン達は先生の話を避けたりはしなかった。むしろ特訓の合間には、先生達との思い出話に花を咲かせることも多かった。どんな辛く悲しいことがあっても、先生とあの孤児院で過ごした思い出は、今も六人の心の支えなのだ。
「冒険者が危険な戦いに挑むときの心構えには適度な緊張感が必要だが、同時に適度な余裕も必要らしい」
「ああ、そういえばそんな話を聞いたこともあったわね……」
リオンの隣で一緒にその話を聞いていたミリルが、懐かしそうに眼を細める。
「もちろん、それが油断に繋がるのはマズいが、追い詰められた時でもちょっとした冗談を言えるくらいの余裕はあった方が、結果として物事は上手くいくそうだ」
「確かに、先生ならどんなに追い詰められても、大胆に笑ってそうね」
先生の戦う姿を思い浮かべたのか、ティアが胸に手を当てて温かな笑みを浮かべる。六人は、本気で戦う先生を見たことはないが、ティアの言う通りの姿を誰もが容易く思い浮かべることができた。
「俺達は今から、最も大切で、だけど最も困難な戦いに挑むことになる」
「……」
アルは真剣な眼でリオンの話を受け止めていた。表情はまだ硬いが、それでも敬愛する先生の言葉を噛み締めるように拳を握っている。
「先生みたいに、とまではいかないまでも、先生の指導を受けていた俺達がそれを実践しないわけにはいかないだろ?」
「その通りニャ! ファリン達は先生の子どもニャんだから!」
ファリンが腕を組み、ウンウンと首を縦に振っている。ファリンの猫語も、ある意味、今の先生の話を実践していると言えるかもしれない。
「と、いうわけでだ……ジェイグ」
「ん?」
突然、話を振られて、ジェイグは思わず気の抜けた返事をしてしまった。名前を呼ばれるまで、リオンの話をかなり真剣に聞き入っていたので、思考が思い出の世界にトリップしていたのだ。
そんなジェイグの顔をやけに真剣に見つめながら、リオンははっきりと告げる。
「この場を和ます、とびっきりの冗談を頼む」
「まさかの丸投げ!?」
お笑い芸人も裸足で逃げ出すような無茶振りをされたため、隠れているということも忘れて全力でツッコミを入れてしまった。当のリオンはそんなジェイグの狼狽を気にも留めていないようで、口の端を吊り上げた嗜虐的な笑みを浮かべている。
「どうした? まさかできないとは言わないよな?」
「いやいやいやいや! おかしくね!? 普通こういうのって言いだしっぺがやるもんだろ!?」
「何を馬鹿なことを……冗談と言えば、存在自体が冗談みたいな奴がやるのがセオリーだろうが」
「そんなセオリーがあってたまるか!」
「……存在自体が冗談って部分はスルーか」
リオンの呆れたような呟くが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
さっきは思わず大声を出してしまったが、今は大通りの方には聞こえない程度の声量で漫才を繰り広げるジェイグとリオン。そんな二人の馬鹿なじゃれ合いを、最初は呆然と見ていた四人だったが、いつもと変わらない二人の姿に自然と笑みが零れる。
そして、そんな二人のやり取りに他の仲間たちも次々と加わってくる。
「早くしなさいよジェイグ。あんたにとって今日最大の見せ場よ?」
「ミリル、テメェ! まだ作戦前じゃねぇか! これからたっぷり見せ場あるわ!」
「ジェイグの見せ場はオレが頂く!」
「おう、上等だぜ、アル! どっちが多く活躍できるか、勝負と行こうじゃねぇか!」
「二人ともあんまり無茶したらダメよ?」
「二人の勝負ニャんてどうでもいいから、ジェイグはさっさと面白いこと言うニャ!」
「話を蒸し返してんじゃねぇ!」
大事な作戦前とは思えないほどの気の抜けたやり取り。だが、そのお陰で、さっきまでの硬さがウソのようになくなっていた。
「まぁ冗談も言えない、使えないジェイグは放っておくとして……」
目的は果たした、とばかりに、リオンは仲間に弄られてウガーっとなっているジェイグをスルーして、平然と話を本題へと戻す。
まぁ最初は驚いたものの、リオンの真意にはジェイグもすぐに気付いていた。
だが、良い様にあしらわれたのも事実なので、一言物申さずにはいられない。
「お前には兄を――」
だが、そこまで言いかけたところで口を紡ぐ。
(今の俺が、『兄』だなんて言えんのか……)
チクリと胸を刺すような痛みがして、ジェイグは思わず俯き、わずかに眉を顰めた。
「ジェイグ?」
さっきまでとは違う気遣わしげな声で名前を呼ばれたジェイグは、ハッと我に返って顔を上げる。妙なところで言葉に詰まったジェイグを不審に思ったのか、リオンが真剣な表情でこちらを見ていた。
(何やってんだよ、俺は……これ以上リオンの負担を増やしてどうする!)
込み上げてきた自責の感情を内に押し込んで、ジェイグはニッと笑ってリオンの肩をバシバシと叩く。
「何でもねぇよ。ただ、お前はこんな時にも全然変わんねぇよな、って思ってよ」
「……そうか?」
「ああ。相変わらず口は悪いし、表情は読みにくいし、理不尽だし――」
「……作戦のついでにお前も一緒に爆破してやろうか?」
「こえ~こと言うなよ」
淡々とした口調で物騒なことを告げるリオンに、ジェイグは寒気を感じたかのように身震いする。冗談だとはわかっているが、凛とした顔立ちのリオンに無表情で睨まれると、やはり結構迫力がある。
「ま、そんなお前だからこそ、こっちも信頼できるんだけどな」
肩を竦めて笑うジェイグ。そんなジェイグの賛辞に、リオンは若干照れ臭そう背を向けつつも、ジェイグと同じく肩を竦めて応える。
「じゃあ、兄貴の期待にはしっかり答えないとな」
いつものような軽い調子で発せられた言葉。だが、その言葉にジェイグの胸に再び痛みが込み上げてくる。まるで心に小さな棘が刺さったかのように。
(こんな俺でも、まだお前は『兄』とは呼んでくれるんだな……)
五年前までは、ジェイグはリオンに対して『兄』だとか『相棒』だとか言うことに躊躇いなどなかった。そう自信を持って言えていた。
時には肩を並べ、時にはお互いに背中を預けて、ずっと一緒に歩んできたのだから。
だが、五年前のあの日、ジェイグはリオンという男の本当の強さを思い知らされた。
(あの時、もしリオンがいなかったら、俺達は皆死んでた。先生達と一緒に炎と瓦礫に飲み込まれるか、それとも怒りに任せて騎士に挑み、返り討ちにされてたか……)
あの日、誰もが戸惑い、泣き叫び、冷静さを失っていた中で、リオンはたった一人でジェイグ達の命を救った。それだけではない。死にゆく先生の心を救い、怒りと悲しみに押しつぶされそうになっていたジェイグ達の心さえも救ってくれたのだ。
そして、それはこの五年間もそうだった。
いつも仲間のことを気にかけ、進むべき道を示し、折れそうな心を支えてくれた。
たった今、皆の緊張を解きほぐしたように……
(ホント、お前はスゲェ奴だよ、リオン……それに比べて俺は……)
五年前も、今も、自分は何もできなかった。誰かを救うことも、励ますことも、道を示すことも……もともと難しいことが苦手で、武器を作ることと戦うことしかできない不器用な自分が、ただただ悔しかった。
(なぁ、リオン。こんな不甲斐無い奴だけどよ……今でも俺はお前の兄でいいのか? お前は俺を相棒って呼んでくれるのか?)
自分よりも小さいはずのリオンの背中が、やけに大きく、そして遠く感じられた。
(……大事な作戦の前だってのに、俺は何を考えてんだろうな……今はそんなこと考えてる場合じゃねえのに)
自分の無力さを嘆いている場合じゃない。これからの作戦では、ジェイグはリオンとアル、それにティアと行動を共にする。リオンとティアは特に問題ないだろうが、アルは最近少し様子がおかしい。リオンのお陰で緊張は少しほぐれたようだが、やはりどこか焦っているようにも見える。
(リオンに負担かけないように、俺がしっかりフォローしてやらねえとな)
気持ちを奮い立たせるように、ジェイグは拳を強く握った。
「そろそろ時間だ」
懐から小さな懐中時計を取り出して、リオンが静かに告げる。
「事前の打ち合わせ通り、城に潜入した後は二手に分かれる。各自、自分の役割を全うしてくれ」
リオンの言葉に、五人が真剣な表情で小さく頷きを返す。
「それと作戦の成功は大事だが、俺達の目的は全員が生きて復讐を終えることだ。だから絶対に無茶だけはしないでくれ」
全員の無事を祈りながら、リオンは一人一人の目を見つめていく。
「さぁ行こう。俺達の手で、長かったこの戦いを終わらせるんだ」
リオンの言葉に鼓舞激励されたように、五人が力強く返事をする。
こうしてリオン達の最後の戦いが始まった。
前回のあとがきでも述べた通り、ジェイグの心情回でした。
まぁ今までのキャラと違って、サラッと終わった感じですね。
魔物がいるファンタジー世界で、メインキャラ全員が孤児っていうこともあり、
波乱万丈な過去を持っている奴らばっかりですww
ジェイグもそうなんですが、今回の心情とは一切関係がありません。
ジェイグの過去はまたそのうちに……
そして、次回からは本格的に復讐作戦が始まります。
果たしてリオン君達は無事に復讐を終えられるのか?
ちなみに今日はもう一話投稿します。
今日の23時半頃を予定しております。
話は変わりますが、現在エピローグ一個前の話を執筆中です。
そして、お詫びを一つ……
前に四十二話で終わると言いましたが、一話伸びてしまいました。
どこが微粒子レベルだよ……すいません、この言葉使ってみたかっただけです。
一応、四十三話がエピローグになる予定です。
今週中には、なんとか第一章全話投稿を終えたいと思ってます。
感想、ご意見、誤字脱字の報告等お待ちしております。
厳しいご意見なども真摯に受け止めさせていただきます。
よろしくお願いいたします。