泣ける場所
初めて一話で一万字を超えてしまいました……
しょうがないよね……メインヒロインだものね……
あと今回は、とあるキャラの意外な一面もあったりします。
エメネア王都から馬で四、五時間ほど行ったところに小さな宿場がある。
王都と他の街を繋ぐ要所であり、行商人やその護衛の冒険者などでそれなりの賑わいを見せる場所だ。
そんな宿場にある小さな酒場。そこがエメネア反乱軍の秘密の隠れ家となっていた。
「注文された品はこれで全部だな」
「ああ、そうだ。ご苦労だった」
酒場の奥にある個室では、リオンが反乱軍の幹部と商談を進めていた。
ティアは部屋に置かれたソファーに座るリオンの背後に立ち、リオンと反乱軍幹部の男の会話を眺めている。
ティアは一応リオンの秘書のような立場の人間ということになっている。二人とも変身魔術で多少の変装はしているとはいえ、まだ若いリオンが少しでも舐められないようにするには、建前上そういった人物が必要だろうということで、常にリオンの背後に控えているのだ。
また、ティアのように見目麗しい付き人を当然のように侍らしているというのも、リオンの格を上げるのに一役買っていた。
リオンのサポートというのは、ティアとしては願ってもない役割である。反乱軍のメンバーからはリオンの秘書兼恋人、あるいは愛人のような認識をされているが、却ってその事実がティアを必要以上にやる気にさせていたりする。
反乱軍の中の一部の男がティアを欲望の眼差しで見ていることもあったが、リオン達が売りに来る武器や魔導具は反乱軍の貴重な戦力である。ゆえに連中も、ティアに言い寄ってリオンの機嫌を損ねるようなことをするわけにはいかなかったのだ。
「今回であんたたちへの武器の調達は最後でいいんだったな?」
「ああ、そうなるな。すでに必要な物は全て揃っている。あとは作戦当日を待つだけだ」
リオンの問いに、幹部の男が淡々と答える。
ちなみに幹部の男が言っている作戦とは、リオン達がやろうとしている作戦とは別のものだ。リオン達はあくまで武器商人として付き合っており、別に反乱軍の一員になったわけではない。
反乱軍の作戦とは、反乱軍兵士千人でエメネア王都へ打って出るというもの。リオンが売りつけたミリルお手製魔導具を使い、王都内部に潜んでいる内通者がエメネア外壁を爆破。そのままの勢いで王城へ雪崩れこみ、王城を制圧するのだ。
通常なら千人規模の反乱軍では王都を落とすには心許ない。いくらミリルの魔導具を使い奇襲を仕掛けるといっても、正直無謀と言わざるを得ない作戦だ。
しかし、エメネアに対する恨みや憎しみを抱えた反乱軍は、すでに引き返すことのできないところまできているらしい。それはリオン達が提供した武器や魔導具が無くても同じこと。たとえ無謀とわかっていても、もう止まることはできないのだろう。
そしてリオン達はその全てを知りながら、それを助けるのではなく利用する。リオン達が王城に潜入し、仇を討つための囮として。リオン達が武器や魔導具を反乱軍に売っているのは、彼らの目的の為ではなく、ただ囮をより派手にしようとしているだけのことだ。
もっともリオン達が目的を果たせば、エメネア王国の転覆を目論む反乱軍を結果的に助けることにはなるのだが……
「直接の手助けはできないが、お得意先のよしみだ。作戦の成功を祈っているよ」
「ああ、ありがとう。だが、本当に良かったのか? 今更言うのもなんだが、反乱軍に手を貸したことがバレれば、あんたたちもお尋ね者にされるかもしれない……」
「俺達は商売をしただけだ。売った武器や魔導具がどう使われようが知ったことじゃない。まぁヤバくなりそうなら、とっとと逃げ出すだけさ」
自分たちの腹の内を隠しながら、何でもなさそうな態度で返すリオン。そんなやり取りを最後に酒場の個室を出ていくリオンの後ろ姿を追いかけながら、ティアは自分の心がひどく締め付けられるような痛みを感じていた。
(ごめんなさい……私達の目的のために、あなた達を利用することになって……)
部屋を出る間際に、一度視線だけをわずかに室内に向けて、ティアが内心で謝罪の言葉を告げる。
復讐という道を選んだ以上、きれいごとを言うつもりはない。覚悟なら五年前のあの日にできている。今更迷ったりは絶対にしない。
だからといって、他人を利用することに罪悪感を感じずにいられるほど、ティアの心は堕ちてはいなかった。
(それでも、私はもうずっと前から決めている……たとえ何があっても、リオンの傍にいる。リオンを傍で支えるって……)
それは五年前のあの日よりももっと以前のこと。
ティアという一人の女の子が、初めて人を愛するという気持ちを知った日の誓いだった。
ティアの両親は二人ともエメネア王国騎士だった。貴族としての位は低く、半ば没落貴族のような状態ではあったが、両親共に剣の腕はかなりのものだったので、騎士として特に生活に苦労するようなことはなかった。
両親は一人娘のティアに惜しみない愛情を注いだが、同時に誇り高き騎士らしく躾けも厳しかった。
――強く、気高く、信念と覚悟を持って己の生き方を貫くべし
幼いティアが何度も耳にした両親の教え。大好きな両親の言葉。
小さな子どもが理解するには少々難しい内容だとは思うが、小さい頃から頭が良く、真面目だったティアはその教えを忠実に守り続けた。
だが、ティアの両親は騎士として魔物討伐の任に就き、そのまま帰ることはなかった。
その時、ティアは四歳。
幼いティアにとって両親の死の悲しみは筆舌に尽くしがたいものだっただろう。
しかし、幼いティアは、そんな悲しみを前にしても決して涙を流すことはなかった。
ティアの両親は最後まで仲間を守り、勇敢に戦ったという。だからこそ、そんな両親に恥じぬ生き方をしよう。誰にも負けないくらい強く、気高くなろうと誓ったからだった。
そうして両親を亡くしたティアは、黒ふくろうの家に預けられたあと、その誓いを果たすため、元冒険者であったリリシア先生に教えを乞うことにした。
他にも孤児院の子どもがティアと同じように先生に戦いの訓練を受けていたが、もともと騎士の両親の下、様々な教育を受けていたティアは、孤児院の子ども達の中でも抜きんでた才を持っていた。
事実、王都で両親と暮らしていたころも、剣や弓の腕はもちろんのこと、勉強などでも同世代の子どもの中では負け知らずだった。ティア自身もそうあるように心がけていたし、そのことに誇りも持っていた。
だが、そんなティアのプライドは孤児院に来て早々、あっさりと斬り伏せられてしまう。
当時三歳、まだ剣を習ったばかりのはずのリオンに、一対一の戦いで敗北したのだ。
リオンが前世で数々の武術を習得し、赤ん坊の頃から有り余る時間を身体能力の鍛錬やイメージトレーニングに励んでいたことを知らないティアからしてみれば、大した訓練もせずに才能だけで自分を負かしたと思われても仕方がないだろう。
そしてそんな相手に嫉妬や嫌悪の感情を向けることも。
こうして二人の仲は険悪に……というかティアが一方的にリオンに敵意を向けていたわけだが、そんな中でもティアがリオンを許せないと思った一番の理由は、リオンがティアに向けて何度か言い放ったある一言だった。
――何でそんなに無理する必要がある?
リオンに負けたくない一心で鍛錬に励んでいたティアにとって、その言葉が自分の努力を嘲笑っているように感じられたのだ。
そのうえ、何度挑んでもリオンに勝つことができないとなれば、リオンを妬む感情が膨れ上がっていくのは火を見るよりも明らかだった。
そしてその感情が爆発したのがリオンの五歳の誕生日。
リオンが魔力測定で、平均値を大幅に超える魔力量を叩きだしたあの時だった。
その時ティアは六歳。リオンよりも一年早く魔法の訓練を始めており、ティア自身の才能とひたむきな努力で、すでに魔法の実力ならば十歳の子どもにも負けないレベルにあった。
また、適性を持つ者が少ない生属性の適性を持ち、魔法の才もあるティアは中々に貴重な人材であり、そのことがリオンに負け続けていたティアの心を支える最後のプライドとなっていたのだ。
魔法の実力でさえもリオンに負けるかもしれない。
ティアがそのことに恐れを抱くようになることは容易に想像がつくだろう。
実際にリオンはメキメキと魔法の実力を上げていき、あっという間にティアに追い付くくらいになる。そして、そんなリオンの成長を喜んだリリシア先生の何気ない一言が、ティアがとある事件を起こす引き金となったのだ。
――もうリオンならゴブリン程度の魔物一匹なら、すぐに倒せるかもしれんな。
当然リリシア先生も、類まれな実力を持つとはいえ、幼いリオンをゴブリンと戦わせるなど絶対にしなかっただろう。
しかし、その一言はリオンへの劣等感に苛まれていたティアにとって、決して看過できないものだった。
――自分ならもっと強い魔物とでも戦える!
そんな思考に捕われたティアが孤児院を抜け出したのは、次の日の早朝のこと。自分の方が強いと皆に認めさせるために、森の奥深く、魔物の出る領域へとむかったのだ。
幼い子どもながらの安直な発想。無謀な挑戦。
今となってみれば、何てバカなことをしたのかと、自嘲してしまいたくなるような行為だが、当時のティアは自分の誇りや両親への誓いを守ることしか頭になかったのだ。
そんな無謀な行いの結末は悲惨なものだった。
突然ティアの目の前に現れたフェンウルフ。
初めて目にする本物の魔物の迫力。
物理的な圧力を放っているかのような唸り声に、幼いティアの心はあっさりとへし折られてしまった。
そうして目の前に迫った狼の姿に、ティアは自分の死を覚悟する。
だが、そんなティアの前に現れたのは、自分がずっと妬み、羨み、忌避してきた相手。突然孤児院からいなくなったティアを探しに来たリオンだった。
リオンはフェンウルフの牙や爪からティアを庇い大怪我を負いながらも、覚えたての魔法や孤児院に置いてあった小剣を用いて、フェンウルフを撃退したのだ。
その姿はまるでおとぎ話に出てくる勇者や英雄のようで、さっきまでの恐怖や絶望が、まるで眩しい光に照らされて闇が晴れるようになくなってしまうのをティアは感じていた。
もっともフェンウルフを撃退したリオンが、そのあと血まみれで動かなくなってしまったので、そんなティアのお姫様な時間は一瞬で消え去ってしまったのだが……
その後、半狂乱になりながらもティアはリオンをどうにか孤児院に運んだ。
その途中で傷はある程度魔法で塞いだものの、結局リオンは数日の間、治療院での入院を余儀なくされる。
当然、入院の間、ティアは毎日リオンのお見舞いに行った。
正直、この時のティアの胸の内は、今まで以上に様々な感情が入り乱れていたと思う。
助けてもらったことへの感謝の気持ち。助けてもらったとはいえ、未だに拭えないリオンへの劣等感。今更ながらに、これまでのリオンへの態度に対する罪悪感も感じていた。
そして、命がけで自分を守ってくれた王子様みたいな男の子への仄かな恋心も。
こうして意図せず、リオンと二人でゆっくり話す機会を得たティア。実は病室の外では、リリシア先生がニヤニヤ顔で二人をこっそり見守っていたりするのはご愛嬌というもの。
ティアはその数日間で様々な話をした。病室に行くたびに何度も繰り返し聞かされた、リオンの夢。その話の中で、実はリオンが夢の実現のために血の滲むような努力を重ねてきたことを知った。
そして、自分がどれだけ狭い視野でリオンを見ていたのかも……
そんな穏やかな時間が続いたある日、ティアはずっと気になっていた言葉の真意を、リオンに聞いてみることにしたのだ。
「何でそんなに無理する必要がある?」という、リオンの問いの意味を。
そんなティアの疑問に返ってきたリオンの答えは、言葉数の少ないリオンらしい簡潔なものだった。
――泣きたいなら無理せず泣けばいいだろ?
その言葉を聞いた瞬間、ティアの空色の瞳から大粒の涙が零れた。
まるで小さな器に満たされた水が溢れ出すように、きらめく滴が次から次へと流れて落ちる。
それは両親の死を知った時からずっと心の奥に溜まっていたもの。両親の言いつけを頑なに守り続け、他人どころか自分にさえ決して弱さを見せようとしなかったティアが、初めて流す涙だった。
突然泣き出したティアに驚くこともなく、リオンはティアの頭を優しく撫でてくれた。
その手は父のように暖かく、そして母のように優しかった。
その日は結局、リオンの胸にしがみ付いたまま泣きつかれて眠ってしまった。
ちなみに次の日、目を覚ましたティアが、目の前にリオンの顔があることにパニックを起こすが、それも微笑ましい青春の一幕だろう。
こうしてティアは生まれて初めて『恋』を知った。
それからのティアの変化は劇的だった。
今まで通り強くなるための訓練や勉強は欠かさなかったものの、今までのような切羽詰まって余裕のない状態ではなくなった。それが却って、訓練や勉強の能率を向上させ、ティアの実力を高める結果となったのだ。
また、人前で自分の弱さを曝け出したことで、今まで目を背けていた自分の心の弱さと真剣に向き合うことができた。
そして、リオンへの好意を自覚したティアが、将来リオンの旅に付いて行くことを決めたのもこの時期だ。
自分の適性属性を活かすために医療の勉強を始め、治療院で働くことを決意した。戦いと後方支援の両方をこなせるように、魔弓の訓練を始めたのも同じ頃だ。
何より、一番の変化はリオンへの態度だ。
大人になった今でもわかりやすいリオンへの好意だが、この頃よりはかなりマシになった方だろう。
まず、一時期のミリル以上にリオンにベッタリくっ付き、傍にいるようになった。リオンが夢の話を語る時には、その隣に必ず瞳を熱したチョコレートのように蕩けさせたティアの姿が。また訓練や勉強中はともかく、それ以外のときにリオンが近くにいればティアは必ずその姿を目で追っていた。そしてリオンが危ないことをすれば、心配のあまり泣きながら怒るという可愛らしい一幕も。
少々リオンへの好感度メーターが振り切れ過ぎな気もするが、恋する乙女にはまだ早い、恋する少女としては実に微笑ましいものだっただろう。
きっとこの頃のティアは、両親が示し、自分が目指した「強く、気高く」という理想の姿を、リオンと重ねていたのかもしれない。
そうして二年の月日が流れた頃、とある事件が起きる。
黒ふくろうの家で飼っていた猫が死んだのだ。
猫の名前はベクタ。
死んだといっても別に不慮の事故とか、魔物に襲われたとかそういうことではない。死因は老衰。十年以上も前から黒ふくろうの家で暮らしてきたのだ。寿命が来たということだろう。
仕方のないこととはいえ、まだ幼い子ども達がそれを受け入れることができるかといえば、それは別問題。ずっと一緒に暮らしてきた家族のような存在なのだ。特に物心つく前から一緒に育ってきたミリルや、黒ふくろうの家に来て日は浅かったが、当時四歳だったファリンの悲しみ様は見ているだけで胸が締め付けられるようだった。
そしてそれは八歳だったティアも同じだ。
二人や他の子ども達と一緒にティアも涙を流した。先生やジェイグのような年長の子ども達に慰めてもらうなか、ティアは大好きなリオンに甘え、以前のようにその胸で声を上げて泣いた。
リオンはいつものように暖かい優しい手つきで、ティアの頭を撫でてくれた。
自分では笑うのは苦手とよく言っているが、その時のリオンの優しい笑みをティアは今でもはっきりと覚えている。
そうしてベクタに亡骸を前に一頻り泣いた後、先生の提案で庭にお墓を作り、ベクタを弔うことになった。
ジェイグが土魔法で穴を掘り、ミリルとファリンがベクタの亡骸を丁寧に埋葬した。
リオンが見つけてきた大きな石にベクタの名前を刻み、皆で花を手向けた。
それがベクタとの別れ。
その日、子ども達は先生に慰められたまま泣きつかれて眠ることとなった。ティアはある程度時間が経つにつれて少し落ち着いてはいたが、結局リオンの優しさに甘え、眠りに就くまで頭を撫でてもらった。
心地よいまどろみに落ちるティア。
だが、そんな安らぎの時間は、ふと聞こえた小さな物音によって遮られることになる。
それは部屋の扉を開け閉めする音。おそらくリオンが、ティアが眠ったのを確認して自分の部屋に戻ったのだろう。
おかしなところは何もない。
もう夜も遅いのだから、リオンも部屋に戻って眠りたいはずだ。
ティアもそのまま眠ってしまえばいい。
しかし何故かその時のティアは、妙な胸騒ぎを覚えたのだ。
その感覚に従うように、ティアは静かにベッドを抜け出した。
誰もが寝静まった夜の孤児院。
ジェイグのいびきや、子ども達の寝息の気配は感じるが、起きている人の気配は感じられない。
リオンがティアの部屋を出たのはついさっきだ。部屋に戻ったのなら、寝間着に着替える物音などがしてもおかしくなはいはず。そう考えたティアは、先生に怒られることも覚悟の上で、孤児院の外へと向かった。
玄関の扉を開くと、外は月がきれいな夜だった。夜風がティアの頬を撫でる。風にふわりと舞い上げられた金色の髪が、月明かりを浴びてキラキラとした光を放っていた。
そんな月明かりの下を、ティアはリオンを探して歩く。
といっても、孤児院から遠く離れるのは不安だったし、リオンもこんな遅くに遠くに行くとは思えなかった。
なので、孤児院の壁に沿って、ティアはぐるりと孤児院の周りを一周することにした。
そうして孤児院の裏に辿り着いたとき、ティアはその光景を目にすることになる。
孤児院の庭の樹の根本。
つい先ほど、皆でベクタを弔った場所。
そのベクタの墓の前で……
リオンが泣いていた。
地に膝をつき、額に手を当てて……
物陰に隠れて遠くから眺めていただけだが、月明かりを受けて光る滴が、リオンの頬を零れ落ちるのがはっきりと見えた。
それはティアが初めて見るリオンの涙。
ずっとその強く、逞しく、自分が憧れていたはずのリオンの姿が、まるで波立つ水面に移る月のようにおぼろげで儚い。
そんなリオンの姿を目の当たりにしたティアの胸に込み上げてきたのは、激しい失望だった。
リオンへのではない。
今ここで、泣き続けるリオンの姿を見ているだけの、自分自身に向けて……
――私は今まで、リオンの何を見てきたのだろう。
――ずっと傍で、その姿を見つめてきたはずなのに……
ベクタが息を引き取った時……いや、思い出せばそれよりも以前のこと。年老いたベクタが日に日に弱っていくその日々で、リオンは一度だって悲しそうな表情を見せることはなかった。涙を流すことはなかった。
それは以前のティアのように、ただ喪失の悲しみから逃げていたのではない。
自分の弱さから目を背けていたのでもない。
ずっとその傍にティアがいたから……ベクタに迫る死に怯え、リオンに甘え、縋る弱い自分がいたからだ。リオンは弱いティアを励まし、支えるためにずっと弱い自分を隠していたのだ。
もちろんそこには、人前で涙を見せたくないという男のプライドもあったのだろう。ティアもそれは理解している。
だけど、リオンのそれは、紛れもない強さの証。泣き崩れてしまうほどの悲しみを堪えて、他の誰かのために笑うことができる。そんな優しい心の強さ。
結局、自分はリオンの本当の強さを何もわかっていなかったんだ。
少し考えればわかったはずなのに……
ベクタが黒ふくろうの家に来たのは、リオンよりも前。つまりリオンは赤ん坊の頃からずっとベクタと一緒に育って来たということ。いわば本当の家族のようなものだ。ベクタに餌をあげたり、楽しそうに一緒に遊ぶ姿をティアは何度も見ている。
そんな大切な家族の死を、誰よりも優しいあのリオンが悲しまないはずはない。
本当は誰よりもベクタの隣で寄り添っていたかったはずだ。
死にゆく家族を、最後に力いっぱい抱きしめてあげたかったはずなのだ。
そんなリオンとベクタの大事な時間を……大好きな家族と過ごす最後の時を、愚かで弱い自分が奪ったのだ。
なんて弱くて身勝手。もしも少し前の自分に会えるなら、迷わずその頬を引っ叩いてやるのに。そんな暗い感情が、ティアの心を狂おしいほどにきつく強く押し潰す。
そして、そんな自己嫌悪と同時に、ティアの心にはリオンへの愛しさが胸の奥から次々と溢れ出してきた。
本当は今すぐここから飛び出して、リオンを抱きしめてあげたい。
リオンが自分にしてくれたように、頭を撫でてあげたい。
そしてリオンが泣き止むまで、その悲しみが癒えるまで、ずっとその傍に寄り添いたい。
しかし、今の自分にその資格があるとは、ティアにはとても思えなかった。
きっと今、ティアがリオンの前に姿を現せば、リオンは思い切り泣くことはできないだろう。ティアを気遣い、涙を隠して、あの優しい笑みを浮かべてしまう。
そんなことを……大切な家族との別れの時間を邪魔するようなことを、今のティアが許せるはずがなかった。
今のリオンにとって涙を流せる場所は、誰もいないこの暗がりしかないのだ。だから今の自分には、リオンのその姿を遠くから見つめることしかできない。
だけどいつかは……自分がリオンの泣ける場所になる。
戦うための強さでも、リオンの傍にいるための強さでもない。リオンの全てをずっと傍で支え、リオンが弱さを曝け出してもいいと思えるくらいの本当の強さを手に入れる。
その日……ティアが『恋』ではなく、『愛』を知った日に、ティアは自分にそう誓ったのだった。
「ティア? 大丈夫か?」
気づかわしげな声がすぐ傍から聞こえたことで、ティアは遠い記憶の彼方から意識を現実に引き戻された。
今、ティアがいるのは、先ほどまでいた宿場を出て少し進んだ場所。宿場からエメネアに向かう街道の途中だ。
先ほどの反乱軍との密会後、リオンとティアは今日到着したばかりの宿場を休むことなく出発し、エメネアへの帰路についている。この宿場までは王都周辺に隠していた馬に乗って来たので四時間程で着いたが、帰りは徒歩になる。エメネアまではリオン達の足でも歩いて半日はかかるので、のんびりしている暇はなかったのだ。
馬が使えない理由は実はリオン達にあった。
というのも、要人暗殺により王都が封鎖され、その情報がさっきの宿場まで届いているので、現在王都へ向かうのは王国が特別に許可を出している商人くらいなのだ。それ以外の人物が下手に馬なんかに乗って王都へ向かえば、すぐに怪しまれてしまうだろう。しかし、徒歩ならば、冒険者が近場で魔物でも狩りに行くようにしか見えないので、怪しまれることはない。
どっちにしろ王都の近くまで行けば、身を隠す必要があるのだが。何せリオンとティアは数日前に王都に入って以来、一度も外には出ていないことになっているのだから。王国兵に見つかってはマズい。
ゆえに、二人は街道を足早に進んでいたのだが……どうやらティアが考え事をしていたため、リオンはティアの様子が気になったらしい。
「急いでるとはいえ、少し無理し過ぎたか? やっぱり宿場で少し休んだ方が――」
「大丈夫よ。少し考え事してただけだから」
ティアの体調を心配するリオンの言葉を遮って、ティアが微笑みと共に言葉を返す。
実際、体力には全く問題はない。リオンの力になれるように、ずっと鍛錬を続けてきたのだ。この程度で音をあげるような鍛え方はしていない。
「何か気になることでもあるのか?」
「ううん、そういうことじゃないわ。ただ……」
ティアは少し言葉を切って、リオンの赤い瞳を見つめる。
ティアの返事を聞いても、なおも真剣な眼差しを向けてくるリオン。その優しさはティアとしてはとても嬉しいことなのだが、リオンに余計な心配をかけるわけにはいかない。
「ただ……長かった私達の戦いも、もうすぐ終わるんだなぁって考えてたの」
実際に考えていた内容とは違うが、今、口にしたのは、ここ最近ティアの頭に浮かんでいることではあった。
これまで何度か行われていた反乱軍との密会も、さっきのが最後だ。これであとは王都に戻り、自分たちの準備を終えれば、あとは最終作戦を残すのみ。五年にも及ぶ復讐劇はそこで幕引きとなるのだ。
「……そうだな、やっとここまで来れたんだ」
リオンが前方、エメネア王都のある方角を見据えて、そう呟く。
その凛々しい横顔に少しドキッとしつつも、ティアもリオンと同じ方へ視線を移す。
「必ず……必ず全員が生きて、この戦いを終わらせよう」
「ええ、必ず」
五年前の夜の誓いをリオンが再び口にする。ティアもその言葉に力強く返事を返す。
(もうすぐ終わる……全てに決着が着く……そうすればリオンも……)
リオンに気付かれないように、ティアは視線だけをその横顔に戻す。
(きっと涙を流せるよね)
ティアの脳裏に、ベクタが亡くなった夜の光景が浮かぶ。
そして、五年前の事件の日の夜のことも。
孤児院がなくなったあの日からずっと、リオンが涙を流すことはなかった。
もちろんティアも、常にリオンと一緒にいるわけではない。ベクタの時のようにリオンが一人で泣いているという可能性もある。
だが、ティアはそうは思っていなかった。
リオンの泣ける場所になると誓ってから、ティアはそれまで以上にリオンのことを考え、リオンを理解しようとするようになった。リオンの強さも弱さも全て。
そんなティアだからわかる。
リオンはあの日から一度も泣いたりしていないと。
リオンは孤児院の事件から、これまでずっと復讐のための特訓、計画の立案や準備に追われていた。死んでしまった先生や子ども達のことを想って涙を流すような余裕は、きっとリオンにはなかったと思う。
追われていたというよりは、むしろ自分を追い込んでいたのかもしれない。一度胸の中の悲しみと向き合ってしまうと、それを再び胸の奥に押し隠すのは難しいから。
エメネアという一つの国を相手に戦い、勝って、そのうえ六人全員が生き残る。そんな荒唐無稽な願いを叶えるためには、それくらい余裕がないだろうし、それくらいの覚悟が必要だっただろう。
だが、それはリオンの心の中には、未だに消しきれない悲しみが渦巻いているということだ。
五年前のあの日、リオンは誰よりも多くの悲しみと責任を自ら抱え込んでしまった。
子ども達の死を唯一人目撃し、先生自身やティア達を救うために、愛する先生をその手にかけ、アルやミリル達の心を救うために困難な道を進むことを選択した。そして、今尚、全員を導いてくれている。
しかし、それはまるで重い荷物を抱えたまま、遥かに高い山を登っているようなもの。このままでは、いずれその重みに耐えきれなくなってしまうかもしれない。
(だからこそ、早く全てを終わらせて、リオンの心を楽にしてあげないと……)
ティアはさっき思い返していた誓いをもう一度心に刻む。
(今の私がリオンの泣ける場所になれているかはわからない……それでもこのままだと、リオンはもう一人でも泣くことはできないから……だから、何としても次の作戦は成功させる。たとえ私達六人以外の何を犠牲にしても……)
さっきまで胸に残っていた罪悪感も、これから自分が行う復讐への忌避感も、今はもうない。
ティアの胸にあるのは、仲間への想い。
そして、リオンへの溢れんばかりの愛。
ただそれだけだった。
ティアのエピソードなんですが、リオン君の話がほとんどです。
ヒロインである以上、話の主軸がリオン君になってしまうのは必然かなぁ、と……
あと初めて表に出てきましたが、リオン君の弱さとかも描いてみました。
強さと弱さを併せ持っているのが、僕の好きなヒーロー像なので……
それとお詫びを一つ。
前回、二話投稿するかも、みたいなことを言ってましたが、
今回の話は思いのほか文字数が多くなってしまったので一話のみの投稿となります。
明日も投稿するので、お許しください!
ちなみに次回は皆のお兄さん……ではなく、別の人物のエピソードです。
別に彼のことを忘れていたとか、リオン君達みたいに彼をぞんざいに扱って弄ってるとかじゃないんですよww
自称皆のお兄さんの話はもう少し後です。
感想、ご意見、誤字脱字の報告等頂けると幸いです。
厳しいご意見も真摯に受け止めさせていただきます。
よろしくお願いいたします。