せめて少しでも……
エメネア王都の北東、外壁傍の人通りの少ない一角。そんな住宅区の外れに古びた一軒家がある。
壁に使われている石材が所々ひび割れ、屋根の木材もあちこち色が剥げている。廃墟と言われても疑いなく信じてしまいそうな外観で、最低限の雨風は凌ぐことは可能だが好き好んで住みたいとは思わないだろう。
中には長方形の木テーブルと椅子、薄汚れたベッド。あとは調理台に小さなかまどがあるくらい。生活に必要な最低限の家具のみが置かれているだけで、特に違和感はない。むしろこの家のみすぼらしい外観にはピッタリの内装だろう。
そんな何の変哲もないボロ家。
その地下に密かに作られた工房があることは、リオン達六人以外は誰も知らなかった。
そんな辺鄙な場所に秘密の工房を作ったのは、もちろん騎士達の目を逃れて武器や魔導具を作成するためである。
また、王都で暗殺を行えば、必ず外壁の大門通行には制限がかかる。リオン達は全員が冒険者ギルドに登録しているが、依頼も受けてないのに大門を何度も通行すれば、いらぬ疑いを招いてしまうだろう。最終作戦前に余計な依頼を受けている時間はないので、大門を通らずに外壁を通り抜ける必要があった。
そのための地下道を作るのに、外壁傍のこの家は丁度よかった。北と東の大門のほぼ等距離に位置し、外壁の外側は林になっているため、人に見つかる心配も少ない。地下道はギュスターブ侯爵暗殺から最終作戦までの数日利用するだけなので、入り口の出入りに気を付けてさえいれば発見されることはまず無いだろう。
地下工房と地下道を作るのは、ジェイグの土魔法とミリルの魔導具のお陰でどうにかなった。
そうして作られた地下工房では、ミリルが作戦に使用する魔導具製作に没頭していた。金属を叩くカンカンという音が小気味良いリズムを刻んでいる。
魔導具を作る工程は大きく分けて三つ。
『加工』『刻陣』『組立』だ。
最初に魔導具に使う金属なり魔石なりを、魔導具に適した形へ加工する。
この加工に関しては、別に魔導技師でなくてもできる。実際、鍛冶師や細工師などに加工を任せる魔導技師も多い。
次に行う刻陣とは、加工された部品に魔術陣を刻むことである。
刻むとは言うが、実際は特殊な魔術薬を用いて陣を描くだけだ。だがこの魔法薬は、一度陣が完成すると簡単に消すことはできない。それがまるで本当に物体に陣が刻みこまれたかのように見えるため、この工程は刻陣と呼ばれている。
ちなみに陣を消す方法だが、一度しか効果のない魔術の場合は発動と同時に陣は消滅する。それ以外のものは、陣を消去する魔術薬を用いるか、陣が刻まれた物体そのものを壊すしかない。
そして、陣を刻んだ部品を組み立てることで完成だ。
もっとも簡易な魔導具なら、適当な金属に魔術陣を刻むだけで効果があったり、刻陣と組立の工程の順番を入れ替えることも可能だ。
現在、ミリルが行っているのは最終工程である組立。二枚を組み合わせると直方体が出来上がるように加工された金属板の内部に魔石を詰め込み、金属板同士を接合しているのだ。
「よし、これで五つ目っと」
しっかりと継ぎ目に隙間ができないことを確認したミリルが、魔導具の完成を宣言した。作業机のわきに置かれた箱の中に完成した魔導具を並べる。
箱の中には、たった今完成したのと全く同じ魔導具が四つ。さらにその箱の隣には大きめの袋が置いてあり、その中には鏡のように光を反射する金属が取り付けられた魔導具が、袋から溢れるくらい入っていた。
長い作業で凝り固まった体を解すように、ミリルが大きく伸びをする。
「さってと、次は~っと」
ミリルが軽く肩を回して、次の魔導具作成に取り掛かろうとしたところで、背後から声がかけられた。
「お前、まだ続けるつもりかよ?」
「ミリル姉、もう休んだら?」
その声にミリルが顔を上げ、入り口の方を振り返る。そこには工房に入ってきたジェイグとアルが、気づかわしげな目でミリルを見つめていた。
二人が入ってきたのは王都側の入り口からだ。そちら側には生活用のスペースがあり、魔導具や武器製造の合間に休憩ができるようになっている。
アルの手にはミリルがいつも使っているカップ。中から薄っすらと湯気が立ち上っているのが見えるので、お茶か何かを持ってきてくれたのだろう。
「休むって、別にまだそんな時間じゃ――」
言い返そうとしたミリルの言葉が途中で途切れた。
壁に掛けられた時計の短針は十二と一の間を指している。夕食を食べ終わったのが六時過ぎなので、今は真夜中。作業を始めてから、すでに六時間近く経っていることになる。
「げ、もうこんな時間なわけ!?」
「気付いてなかったのかよ……どんだけ集中してんだよ、ったく」
あっちゃ~、と気の抜けた声を上げながら、オレンジ色の髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き上げるミリルの態度に、ジェイグが頭痛を抑えるように額に手を当てた。
「仕方ないでしょ。作戦の日までに、必要な魔導具を全部作り終えなきゃいけないんだから」
ばつが悪そうな顔で言い募るミリルに、アルがカップを差し出す。カップの中身はホットミルクだった。
「ありがと」と短く礼を言って、ミリルはそれを口にする。程よい温度に暖められたミルクに、疲れを癒すために砂糖が少し入れられていた。アルの優しさが感じられる一品だ。
飲み込むと、ホッとするような温かさと、ほのかな甘みが体の隅々まで広がっていく。
作業している間は気付かなかったが、思いの外疲れが溜まっていたのかもしれない。
「それ飲んだら、さっさと寝ろよ」
ぶっきら棒にそう言うジェイグだが、本気でミリルを心配していることは顔を見なくてもわかる。この男は不器用で、気遣いは下手糞だが、そんな優しさがわからないほどミリルとジェイグの絆は浅くはないのだから。
「ダメよ。これをあと一つ、今日中に作らないといけないんだから」
だが、今のミリルはその優しさに甘えることはしない。
小さく首を横に振り、空いた手で今しがた作っていた魔導具に触れる。
「まだ二日はあるんだしよ、別に今日中じゃなくても――」
「これは作戦前に城内に設置するやつだから、今日中に作ってファリンに届けないとダメなの。だから、作り終えるまで休むわけにはいかないわけよ」
「それだけあればもう十分――」
「作戦を確実に成功させるには足りないわ。作戦の前日にはファリンも戻ってくる。チャンスは明日しかないのよ」
「でも、あんまり無理するのは――」
「王城に潜入してるファリンや、反乱軍と交渉してるリオンやティアに比べたら、これくらいどうってことないわ」
ジェイグの説得を遮って、ミリルが理由を説明する。
二の句を次げなくなったジェイグは、それでも何か反論しようと口をパクパクさせている。だが、結局反論の糸口が見つからなかったのか、悔しそうに口元をゆがめながらも黙って引き下がっていった。
「ミリル姉、オレに何か手伝えることない?」
二人のやり取りを見ていたアルが、手伝いを申し出てきた。
その申し出はもちろんミリルの体調を案じてのことなのだろうが、その中にわずかな焦りの色が含まれているのをミリルは感じていた。
「あんたには材料の調達とか、身の回りの世話とか、もう十分手伝ってもらってるわよ。あたしもジェイグもホント助かってるんだから。だから安心しなさい」
持っていたカップを机に置いて、アルの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「ちょ、やめろよ、ミリル姉。オレはもう子どもじゃないんだから」
「まぁあんたももう十五だからねぇ。一応、もう成人か」
「一応って何だよ!? オレはもう立派な大人――」
「はいはい、大人なのはわかってるわよ。でも、いくつになってもあんたはあたしたちにとっては弟みたいなもんなんだから、素直に撫でられておきなさい」
「わぷっ、ちょ、グリグリすんなぁ~!」
ティアならもっと優しくできるんだろうなぁ、と自分の姉力の低さに内心で苦笑いしつつも、ミリルは自分を気遣ってくれる優しい弟を、労わるように撫で続けていた。
「ま、そんなわけだから、あんたたちは先に休んでなさい。あたしもあと一個作ったらすぐに寝るから」
ようやくアルを解放したミリルが、ジェイグとアルに向けて淡々と告げる。
「本当にそれ一個だけなんだな?」
「そうだって言ってんでしょ」
「はぁ……まぁ魔導具作りが大変なのもわかるけどな、最後の作戦前に体を壊したら元も子もねえんだから、ほどほどにしとけよ」
これ以上の問答は無駄だと思ったのか、ジェイグは小さくため息を吐くと、アルを連れて工房の入り口へと向かった。
「じゃあ、俺達は先に寝るけど、お前もそれ終わったら絶対に休めよ」
作業机に向き直ったミリルが、後ろの方で声をかけてくるジェイグに、ピラピラと手を振る。
その姿を見たジェイグのため息のとともに、扉の閉じる音が響いたのを最後に、工房の中は静寂に包まれた。
「さてと、それじゃああと三つ、急いで完成させるとしますか」
少し温くなったミルクを流し込み、ミリルは再び魔導具製作に取り掛かった。今までものんびりなどしていないが、それでもいつもより少し急ぎ目で、ミリルは作業を進めていく。
(二人が起きる前に完成させてベッドに入らないと……)
嘘をついていたことがバレて、あの二人が怒るだけならまだいい。
これをファリンに渡せば、最終作戦に必要な魔導具はほとんど完成なので、明日は少し休める。さすがに作戦当日に疲れを残すことがどれだけ危険かくらいはわかっているので、そのあたりに抜かりはない。
(だけど……あいつに……リオンにだけは絶対に余計な心配かけるわけにはいかない)
魔導具製作の進捗を、ミリルは常に「問題ない」「予定通り」と報告していた。
実際にはかなりギリギリな状態だったが、多少の無理を通すことで何とかここまでやってきたのだ。
それらは、何としても復讐を成し遂げるというミリルの強い決意ゆえ。
だがそれ以上に、リオンの負担を減らしたいという想いが、ミリルの中に確かにあった。
赤ん坊の頃から孤児院で育ち、ずっと一緒にいたミリルとリオンは本当の兄妹のように育った。兄弟姉妹のように仲の良い六人の中でも、その関係性の深さは際立っている。
今でこそ対等なやり取りをする二人だが、幼少期の二人の関係は今とはかなり違う。
精神的な成長が圧倒的に早かったリオンに、ミリルはいつも甘えており、常にその傍を離れようとはしなかったのだ。
それこそ優しい兄を慕う妹のように。
リオンも自分に甘えるミリルの面倒をよく見ていたが、成長するにつれてリオンは活発に動き回ることが多くなった。それに従って、ミリルがリオンの背中を追いかける光景もよく見られるようになった。リオンは好奇心も旺盛で、幼い子どもとは思えないほど行動力もあったので、追いかける方は大変だったようだ。
ジェイグが孤児院に来てからは特に大変で、年の近い男同士ですぐに仲良くなった二人にミリルがやきもちを焼いたこともあった。
二人もミリルを邪険にするようなことはなかったが、それでも活発で体力もある男の子二人のあとを、小さな女の子が付いて行くのは大変だっただろう。
それでもミリルは二人を追い続けた。ミリルの今の気の強さや逞しさはそうして培われた部分も大きい。
そんな風にリオンにベッタリだったからだろうか、ミリルとリオンには、性格、考え方など似ている部分が多い。ミリルがリオンに似たのかもしれないが。
性格で言えば、皮肉屋で毒舌家なところ。ちょっと素直じゃないところはあるが、実は面倒見が良く、誰よりも仲間想いなところ。幼い頃から夢中になれる夢があり、それに向かって一途なところ。ティアに弱いところまでそっくりだ。
そして二人とも、ものの考え方はクールで合理的。大切なものと、そうでないものをきっちりと区別するし、いつでも自分や仲間にとって最善の判断を冷静に行っている。そういった点でも二人はよく似ていた。
だが当然ながら、完全に一致しているということではない。当然、いくつも違いはある。
その差が特に顕著に表れたのが、五年前の事件だった。
あの時のミリルは完全に冷静さを失っていた。特に先生を見つけたあとのミリルの取り乱し方は尋常ではなかった。
実際、あんな状況ではそれも仕方のないことだろう。リオン以外の四人も、同じように冷静さを欠いていた部分はある。
だがそれでもあの時のミリルは、普段からは考えられないくらいに取り乱していた。
その理由の一つには、他の五人とミリルの間での、先生に対する認識の違いがあるだろう。
ティアやジェイグ達四人は、物心ついてから孤児院に来た。ゆえに、当然彼らは本当の両親を知っている。
それに対して、ミリルは本当の親のことは何も知らない。赤ん坊の頃に孤児院に来たのだから、それも当然だろう。
そんなミリルにとって、リリシアは『先生』であると同時に、たった一人の『母』でもあったのだ。
もちろん他の四人も先生に対しての愛情はあったし、母のようにも思っていた。だが、本当の母を知っている以上、やはりミリルと他の四人では、その思いにわずかな違いがあっても不思議ではなかった。
また、本当の母を知っているということは、他の四人は全員、一度その喪失を経験しているということでもある。それは紛れもなく不幸なことではあるが、それでも四人は現実に折り合いをつけ、その悲しみを自分の力で乗り越えてきたのだ。
しかしミリルは大切な誰かを失う経験はあの時が初めて。自分の心とどう向き合えばいいのか、あの時のミリルにはわからなかったのだ。
だからこそ、あれほどまでに冷静さを失った。頭では助からないとわかっていても、心がそれを受け入れるのを拒んだのだ。
リオンが先生に手を下したときも同じだ。
ミリルはリオンがそうした理由がわかっていた。
それは先生を苦しみから救うため そして、現実を受け入れようとしないミリルや、仲間を助けるため。
なのに、ミリルの心はそれすらも受け入れようとはしなかった。
それどころか自分の抑えきれない感情の全てを、あろうことかそのリオンにぶつけたのだ。
自分達の命と、愛する先生の心を救ってくれたリオンに……
(あの時のあたしはリオンに甘えただけ……自分の中のやり場のない怒りを、憎しみを、悲しみを、どうしたらいいかわからないからリオンに当たり散らしたんだ)
ジェイグの言葉で落ち着きを取り戻したミリルだったが、そのあとにやってきた感情は激しい後悔と自己嫌悪だった。
(本当はあの時、一番傷ついていたのはあいつのはずなのに……あの中でただ一人、チビ達のことも全部知ってて、それを先生に悟られないように必死に隠して……)
ミリル達は子ども達の状態を直接見てはいない。あとになって、リオンの態度から察しただけだ。
だが、その現場を目撃して、リオンのように振る舞うことは、他の誰にも絶対にできなかっただろう。自分ならきっとみっともなく悲鳴を上げて、死にゆく先生を無駄に悲しませるだけだったはずだ、と今のミリルならば冷静に分析ができる。
(それにあいつが先生をその手にかけて平気なはずなんてない! 本当は誰よりもあいつが一番、泣いて誰かに縋るべきだったはずなのに! あたしは、なんて弱い……なんて醜い……普段は自分の方が姉だとか何とか言って、肝心なときにあいつに縋るなんて)
自分の大切な人をその手にかける。
それはどれほどの覚悟だっただろう。
どれだけの苦しみだっただろう。
きっと自分の身を切られるよりもずっと、ずっと痛い。
自分では想像することさえ辛い苦しみを、リオンはたった一人で抱えていたのだ。
なのに、リオンはミリルがどんなに罵倒しても、全て受け入れてくれた。自分の方が遥かに辛くて苦しいはずなのに、ミリルの分まで抱えようとしてくれた。
(おまけに、あたしとアルが言い出した復讐まで一緒に背負おうとするなんて……ホント、どんだけ抱え込むつもりなのよ、あいつは……)
一番リオンとの付き合いが長いミリルは、リオンがどれだけ空を飛ぶことを強く願っていたか、他の誰よりも知っている。
それにあの日、リオンにどうしたいのかを聞いたとき、リオンは一度空を見上げた。
子どもの頃から変わらない純粋な眼差しで。
だから、リオンが復讐をしようと言いだしたとき、ミリルは少し驚いた。
リオンには、空を目指すという夢がある。リオンが想いを寄せるティアも復讐を本気で望んでいるようには見えなかったし、リオン自身も怒りや憎しみはあれど、危険を冒してまで仇討ちをするとは思えなかったのだ。
そんな夢を後回しにしてでも、リオンはミリルやアルと共に歩むことを選んでくれた。
すでに一人では抱えきれないような重荷を、さらに抱え込もうとしているのだ。
(あたしには、あいつの背負ったものを軽くしてやることはできない。あの日、あいつに縋ったあたしにそんな資格はない。それにきっと、その役目はティアがしてくれる。だから……)
また一つ完成した魔導具を見つめる。
この魔導具は、小型の爆弾だ。その目的は最終作戦時に、城内への潜入をやりやすくするための陽動。今までに作った物のいくつかは、エメネア反乱軍にも売り渡している。
さすがに一般人に対してこれを使うような連中には渡していないが、それでもこの爆弾は間違いなく多くの人間を殺すことになるだろう。
(その罪はあたしが背負う。この復讐もあたしの手で終わらせる。それでもあいつの背負ったものには全然及ばないけど……あいつの抱えたものを一緒に背負うことはできなくても……あいつがこれから背負う重荷を、負担を、せめて少しでも減らせるように……)
ミリルは今日中に作るべき残りの魔導具の部品に手を伸ばす。
今はここにいない、弟だか兄だかわからない男の姿を想い浮かべながら……
ミリルのリオンに対する想いは、あくまで姉弟(兄妹?)的なものです。
リオン君のヒロインはティア一人です。
まぁ自分はミリルもファリンも大好きなので、二人もヒロインにしたい欲求と戦ってますww
ハーレム展開にはしませんけどね。
夢に一途なリオン君は、女性に対しても一途ですから。
次回は強さを追い求める男の子の話。
明日の22時過ぎに投稿予定です。
感想、ご意見、誤字脱字の報告等頂けると幸いです。
厳しいご意見も真摯に受け止めさせていただきます。
よろしくお願いいたします。