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戻れない場所

 どうしてこうなってしまったのだろう。


 なぜ、自分はこんな思いをしなければならない。


 かつての自分が死の間際に何度も繰り返した問い。


 そんな問い掛けを再び心の中で繰り返しながら、リオンは黒ふくろうの家を見つめていた。


 炎は未だに小さくなる気配を見せない。リオンの、リオン達の大切なものをたくさん飲み込んで、今も轟々と音を立てて燃え上がっている。


 立ち尽くすリオンの隣からは泣きじゃくる声。

 アルとファリンが、ティアの腕の中で小さな赤子のように泣き続けていた。


「ちくしょう! 何でだよ!? 何で先生がこんな目に!」


 吐き出すような声とともに、鈍い音が断続的に響く。横目で音のした方を見ると、そこには地に蹲り、固く握った拳で地面を殴りつけるジェイグの姿があった。


 やり場のない怒りや悲しみの矛先を、どこに向ければいいのかわからないのだろう。皮が破れ、血が流れてもその手を止めない。まるでその手を止めればジェイグの中の何かが壊れてしまうかのように、何度も、何度も振り下ろす。


「ジェイグ……」


 リオンが振り上げられたジェイグの腕を掴む。


 ジェイグは抵抗しなかった。リオンの声に反応して、ゆっくりと顔を上げる。


 その顔にはいつもの野性的な力強さはなく、まるで捨てられた子犬のような弱々しい目でリオンを見上げていた。


「しっかりしろ、ジェイグ。今は俺達六人しかいないんだ。一番年上のお前がそんな調子でどうする」


 きついことを言っているのはリオンも自覚していた。だが、いつまでもここで悲しみに打ちひしがれているわけにはいかない。


 それは今尚収まる気配のない炎のこともある。自分達のこれからのことについても考えなくてはならないだろう。年長の四人はいいが、アルとファリンはまだ幼い。住む家がなくなった以上、身の振り方についてはリオン達が考える必要がある。


 それに……先生の胸の傷のこともある。


 あれは間違いなく剣によって付けられたものだ。


 つまり、孤児院は何者かに襲われたということ。


 今、リオン達の周囲には人の気配はない。リオン達が孤児院に到着してから、すでにそれなりに時間が経っている。なのにリオン達が無事である以上、おそらく襲撃者はもうこの場を離れているのだろう。


 それでもいつまでもここにいるのは避けた方がいい。


 ジェイグもリオンの渇に少し調子を取り戻したのか、一度だけアルとファリンの方へ視線を向けた後、ゆっくりと立ち上がった。まだ少し元気はない。だがその眼にはいつもの熱い光が戻っていた。


「悪ぃ……お前の言う通りだ。こんなときだからこそ俺がしゃんとしねえとな」

「そういうことだ。色々と考えるべきことは多いが、まずは頭を冷やせ」


 いつもの調子で、リオンは相棒の肩を叩く。こういう時は多少無理をしてでも気を持ちなおさないと、ズルズルと深みに嵌ってしまう。どこかで気持ちの整理はする必要はあるが、今はまだその時ではない。


 付き合いの長い相棒はリオンの意図を理解したらしく、その顔にわずかな笑みを浮かべてリオンの眼を見つめる。


(これでひとまずジェイグは大丈夫だな……あとは――)


 そんなジェイグの視線を受け止め小さく頷いたリオン。そうして次にやるべきことに思考を移したところで――


「何で……」


 ポツリと、だが荒れ狂う激情を宿した声がリオンの思考を止めた。


「ミリル……」

「何で……何で、お母さんを殺したああああああああ!」


 心を焦がす炎にその身を任せるように、怒りに我を忘れたミリルがリオンの胸倉を締め上げる。


「あんたが! あんたが殺した! まだ助かったかもしれないのに! 助けようとしてたのに! 何であんなことができるの! ずっと育ててくれた人を! 赤ちゃんだったころからずっと! なのに! それなのに! ……ねえ、返してよ……お母さんを返して! 返せええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」


 胸の中で暴れまわる感情の全てを吐き出すように、ミリルの叫びが闇夜に悲しく響く。


 こうなることは覚悟の上だった。全てを覚悟して、リオンは先生を殺した。


 あの時、先生に言った言葉は紛れもなくリオンの本心だ。だがあの場で先生を殺したのは、ファリンやアル、そしてミリルの命を守るためでもあった。


 ジェイグやティアと違い、リオンや先生がどんなに言っても三人はあの場を動こうとはしなかっただろう。三人に激しく抵抗されれば力づくで連れ出すことも難しい。特にあの時のミリルは何をしでかすかわからなかった。最悪、先生と一緒に死を選ぶことさえあったかもしれない。


 しかし先生が死ねば、三人があの場にいる理由がなくなる。明確な死を見せれば、抵抗する力も失うと思った。


 そのリオンの予想は当たった。


 先生が死んで、糸が切れた操り人形のように力を失ったミリルを連れ出すのは容易だった。アルとファリンもそれ以上抵抗はしなかった。


 そして今のミリルの行動も予想の範疇。


 その命を守るために、ミリルの心を傷つけた報い。


 最悪、銃を向けられることさえ、リオンは覚悟していた。


 だから、それでミリルの気が済むのなら、この程度の言葉を受け止めるくらいはいくらでもする。死なない程度なら、暴力だって甘んじて受けるつもりだった。


 感情のままに叫んだミリルは、少しの間荒くなった呼吸を整えていた。


 そうしてようやく落ち着いたところで、その口から再び言葉が零れる。


「……何とか言ってよ」


 だがその声にはさっきまでのような勢いはなかった。今にも消えてしまいそうなほどに弱く、小さく震えている。


 トン、とミリルがリオンの胸を叩く。その手にはまるで力が入っておらず、駄々を捏ねる小さな子どもの様に弱々しい。


「言い訳くらいしなさいよ……何か言ってくれないと、これ以上怒れないじゃない……」

「……すまない」

「っ! そんな言葉が……そんな言葉が聞きたいんじゃない!」


 これまでよりも大きく振り上げられたその腕は――


「ミリル、もういい」


 ジェイグがミリルの肩を掴んだことで、その動きを止めた。


「もうやめろ」

「……何よ、邪魔しないでよ。邪魔するならただじゃおかないから……」


 そんな言葉とは裏腹に、ミリルの声は聞いているこっちが苦しくなるくらいに、弱く儚げだ。肩に置かれたジェイグの手を振り解きもしない。


「……本当はもうわかってんだろ?」

「……何をよ」

「リオンが何で先生を斬ったかってことをだよ」

「……そんなの……そんなのわかるわけ――」

「いや、そんなはずはねえ」


 ジェイグの確信に満ちた声に、ミリルの肩が小さく震えた。


「お前がわかんないはずがねえ。だって、バカな俺でさえわかったんだぜ? 俺よりも頭が良いお前が、わかってないはずがねえさ」

「……何よそれ? わけわかんないわよ……」

「それによ……リオンが先生のことをどれだけ大切に思ってたかなんて、赤ん坊の頃から一緒だったお前が一番よくわかってんじゃねえのか?」

「っ!」

「お前のことを一番理解して、大事に思ってるのもリオンだ。お前だってそうだろ? だからもうリオンに八つ当たりすんのはやめろよ」


 一言一言を言い聞かせるようにジェイグが優しくミリルを窘める。


 重たい沈黙が三人の間に流れた。


「……ゴメン、リオン」


 時間にしては三十秒ほどの、だがいつまでも続くかのように感じられた沈黙のあと、ミリルが小さく呟いた。


 ジェイグの言葉にミリルが何を思ったかはわからない。煤けたオレンジ色の髪に隠れた顔は、リオンからは見えない。


 それでもミリルが、何か納得のいく答えを見つけたのなら……


 リオンは返事の代わりに、ミリルの頭を撫でる。ミリルもそれ以上は何も言わず、静かにリオンの手を受け入れていた。


(そういえば、子どもの頃はよくやってたな、これ……逃げられるようになったのは、いつからだったけ……)


 数年ぶりの獣耳の感触に懐かしさを覚えるリオン。ミリルの肩がわずかに震えているのは見なかったことにして、しばらくの間、昔のように慰め続ける。リオンの手の動きに合わせて、ミリルのオレンジの髪がくしゃりとたわんだ。


「ねえ、これからどうするの?」


 少しして、ミリルも落ち着いてきたころ、ファリンが道に迷った子どものような目でリオン達を見回した。ティアの胸で泣いていた二人も、少し落ち着きを取り戻したようだ。泣き腫らした眼は痛々しいが、それでもどうにか前を向こうとしているのだろう。


「……人が集まりだしてる。おそらく火事に気付いた近くの住民が警備兵を呼んだんだろう。水属性持ちの兵士が消火活動は行うはずだから、そっちは任せて、俺たちはここを離れよう」


 辺りが少し騒がしくなってきたことに気付いたリオンが提案する。孤児院襲撃の犯人の正体も目的もわからない以上、リオン達が孤児院の傍にいるところは人に見られたくない。孤児院の中で先生と接触したことがバレてもマズい。


(まぁ正体には心当りがなくもないが……)


 どちらにしろ、いつまでも孤児院が燃える光景を見ているのは、皆の精神的にも辛いだろう。そういった意味でも、まずは一度孤児院から離れた方がいい。


「なぁ、チビ達は探さないのか?」


 アルが林の方に視線を向けながら訪ねてくる。


(そうか……まだ本当のことは伝えてなかったな……)


 先生の前でリオンが言ったことを、アルはまだ信じているようだ。

 

 他の四人は薄々感づいてはいたのだろう。アルの言葉に沈痛な面持ちで俯いてしまった。


 ファリンが気付いていたのは少し驚いたが、思えばファリンは幼いながらも人の機微を見抜くのが上手い。頭もそれなりにキレる。何がきっかけかはわからないが、自分で真実に気が付いたのだろう。


(本当のことを言わずに、この場を切り抜けるのは……無理か……アルの性格なら、チビ達が生きているとウソを言えば、すぐにでも探しに行こうとするだろう)


 今、この場で真実を伝えるのは酷だが、いずれはわかることだ。それに夜に林の奥に行くのは危険だし、消火が間に合わず、林の方まで燃え広がる可能性もある。


 ならば、たとえアルの心をさらに追い込むことになろうとも、アルがチビ達を探しに行ってしまうような事態は避けるべきだろう。


「アル……実は――」

「あの子達も孤児院の中にいたんでしょ?」


 リオンの言葉を遮るように、ミリルが感情の消えた声で訊ねてきた。


「ミリル姉、それってどういう――」

「そのままの意味よ。先生は誰かに襲われていた。先生を倒して孤児院に火まで着けるような襲撃者が、あの子達を逃がすはずがない」

「で、でも、さっきリオンは――」

「死にそうな先生の前で、リオンが本当のこと言えるわけないでしょ。それに、あの子達が生きてるかもしれないなら、リオンは間違いなく真っ先に探しに行くわよ」


 ホント何でも背負い込みすぎなのよ、とミリルが小さな声で付け足した。


「じゃあ、あいつらは……」


 アルが縋るような目をリオンに向ける。


 リオンは何も言わずに首を横に振った。

 

「何で……何でだよぉ……何で、あいつらが……」


 繰り返されるアルの嘆きの声に、答えられる者は誰もいなかった。


 崩れ落ちてしまいそうになったアルを、ティアが再び支える。

 

「……行こう。もうここにはいられない」


 燃え盛る孤児院と集まり始めた声に背を向けて、リオンは歩き出す。五人は一度だけ孤児院の方へと視線を向けて、リオンのあとを付いて行った。


 孤児院が崩れる無機質な音が耳に届く。


 しかし、六人が孤児院を振り返ることは、もうなかった。


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