リオンとジェイグ
王国歴、一〇二二年。
薄暗い森の奥。暗緑色の草木の中を風のように走り抜ける影が二つ。
前を走る影は生い茂る木の幹を足場に、ジグザグとボールがバウンドするような幾何学的な軌道を描いて駆け抜けていく。
影の正体は大型の兎『バウンドラビット』。
通常の兎よりも遥かに長くて太い強靭な脚を利用し、木々の間を直線的な軌道で跳ねる様に移動することがその名の由来だ。
その体長は平均で八十センチもある。兎を愛玩動物とする地球の人間からすれば、何とも異様な体型と大きさだが、その特徴的な耳と白くてモフモフな体毛はやはり兎と呼ぶのが正解だろう。
もっともそのバウンドラビットは草食だが、その大きさと強靭な脚力があるため、ペットにするのはあまりおススメしない。仮にペットにした場合、兎特有のピョンピョンジャンプで家の中がメチャクチャになるのは間違いない。奴はピョンピョンしても、飼い主の心はピョンピョンしたりはしない。
(逃がすか!)
そして、バウンドラビットを追うもう一つの影。
それはまだ一五にも満たない、黒髪赤眼の少年だった。
その少年もバウンドラビットと同じように、木の幹を足場にして木々の間を駆け抜けている。
だが、こちらの描く軌道はバウンドラビットのものよりもさらに直線的だ。バウンドラビットが進行方向に向かってジグザグに跳ねていくのに対して、少年はほぼ直進。黒のロングコートをたなびかせながら、時に樹木を、時に何もない空中を足場にして、森を真っ直ぐに走り抜けていく。
たとえ駆け抜ける速度は同じでも最短距離を突っ走る方が速い。ゆえに、この追いかけっこの結末は既に決まっていた。
(終わりだ!)
二つの影が横並びになった。
その瞬間、銀色の閃光が疾る。
直後、今まで直線的な軌道で跳んでいたバウンドラビットの体が、慣性の力に従いながらゆっくりと重力に引かれて落下していく。
その体が地面まであと五十センチというところで、黒髪赤眼の少年がバウンドラビットの特徴的な後ろ脚を掴んだ。
「よし、これで五匹目」
仕留めた獲物を誇らしげに掲げて、少年は満足気な笑みを浮かべる。切り落とされたバウンドラビットの首から、夥しい量の血が流れ落ちているのに気にした様子もない。切った獲物はすぐに血抜きをしないと味が落ちるので、気にしてなどいられないのだが。
数分後、ようやく血が止まったところで右手に持っていた刀を、腰に差した鞘に納めた。代わりに腰のベルトの背部に差した愛用のナイフを取り出し、手慣れた手付きで兎の解体を始める。
皮を剥ぎ、内臓を取り出し、食べられる部分の肉と毛皮を別々の革袋にしまっていく。今までに何十、何百と繰り返してきた工程だ。すでに体に染みついている。
「リオン」
そうして十分ほどでバウンドラビットの解体を終えたところに、背後の草むらから若い男の声が聞こえた。
解体作業の最中でも、少年は自分に近づいてきている男の気配には気付いていた。なので、リオンと呼ばれた少年は特に驚いた様子もなく、ナイフに着いた血をぼろきれで拭う作業を続けながら、顔だけをそちらに向ける。
「ったく、また勝手に先走りやがって……一人で先に行くなっていつも言ってんだろうが」
ボリボリと頭を掻きながら草むらから現れたのは、燃えるような赤い髪を短く切り揃えた大柄な少年だ。背中に相棒である身の丈以上の大きさの剣を背負っている。
服装は魔物の革でできたゴツイショートジャケット。足元もこれまたゴツイ革製のシューズ。前世だとドクロ柄のシャツとか着てそうな感じのワイルドな格好だ。
現れた少年の名はジェイグ。
明日で十二歳になるリオンより二つ年上。誕生日の関係で今は一四になる。
リオンが育った孤児院『黒ふくろうの家』の中では年も近く、気も合うため、よくつるんでいる悪友だ。一応年上であり、リオンを含む孤児院の年下連中にとっては責任感が強く、面倒見の良い兄貴分でもある。決して年上ぶって威張り散らすようなこともなく、気さくで親しみやすい人柄で、孤児院の年少組には特に慕われている。
そんなジェイグだが、今はその精悍な顔に叱るような呆れるような色を滲ませて、リオンを見つめている。
「めったに出ねえとはいえ、もし危険な魔物でもいたらどうすんだよ」
「そうは言うけどな、ジェイグ……もし俺がお前に合わせていたら、今頃バウンドラビットは森の奥深く。文字通り脱兎のごとく逃げのびて、あったかい巣穴の中で俺たちを嘲笑っていただろうな」
ジェイグのお説教を特に気にした風もなく言い返すリオン。ナイフを拭ったぼろきれを毛皮を入れた革袋に無造作にしまい、愛用のナイフを鞘に戻す。
全く反省する素振りの見えない弟分にため息をつきながらも、ジェイグは反論する。
「言っておくが、別に俺が遅いんじゃなくて、お前が速すぎるだけだからな」
「単にお前の図体がでかすぎて、動きにくいだけじゃないのか?」
「こんな薄暗い森の中をあんな速度で飛んでいけるかバカ野郎! あんなの魔物か、中級以上の冒険者くらいじゃねえとできねえよ普通!」
「いや、そう言われてもな……そもそもバウンドラビットは魔物でもない、ただの動物だぞ?」
「それでもだ! その年でバウンドラビットと追いかけっこして勝っちまうこと自体が、そもそもおかしいんだよ!」
「おかしいか? 俺にとってはこのやり方が一番効率が良いんだが」
この二人のやり取りを聞いてもわかる通り、リオンのバウンドラビットの狩り方は一般的なものとは異なる。
バウンドラビットは魔力を持たないただの動物でありながら、強靭な脚力を持つ。そこから生み出される驚異的な速度で逃げ回るため、狩りをするのは困難を極める。そのため罠を張って待ちに徹する、というのがバウンドラビットの一般的な狩りの方法である。
ある程度の実力を持つ大人の冒険者や狩人なら、捕食中を狙って遠距離から射殺したり、気配を殺して近づき、奇襲をかけたりする方法もある。だが、リオンのようにスピード勝負を挑み、何の苦も無く勝利するような者はそうそういない。
ましてやそれが十一の少年ともなればなおさらだ。
ゆえに、ジェイグがリオンの弁を聞いて、盛大なため息をついたとしてもそれは仕方のないことである。
「はぁ……相変わらず、お前の実力には驚かされてばっかりだよ……」
「そう褒めるなよ、照れるだろ」
「呆れてんだよバカ野郎!」
ウガーッと怒るジェイグを、適当に宥めるリオン。
それは異世界に転生したリオン、前世の名は空野翔太という男の、現在の日常だった。