デビュー
(どうしてこうなった……)
目の前の惨状に半ば呆然としたまま、リオンは力なく項垂れる。数分前のドキドキワクワクを返してくれ、とでも言うように。
ここはエメネアの街の冒険者ギルド。屈強な戦士やならず者達が今日を生きる糧を、時にはロマンを求めて集う場所だ。リオンの、いや、リオン達の夢への第一歩であり、冒険への出発地点でもある。
そこが、今……
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「俺たちが悪かった! 許してくれ!」
「寒い……ここは世界の果てなのか……」
殺人鬼に遭遇した哀れな犠牲者状態、あるいは極寒の大地で置き去りにされた遭難者みたいになった冒険者で溢れていた。
何名かはすでに気を失っており、額が何かで撃ち抜かれたように赤く腫れ上がったり、地面に転がって泡を吹いていたりする。
リオン達はただ冒険者登録に来ただけだというのに。
本当にどうしてこうなってしまったのか……
それは数分前。リオン達が冒険者ギルドの門を潜ったところまで遡る。
「ここが冒険者ギルド……」
ギルドに足を踏み入れたリオンが感嘆の声を漏らした。
冒険者ギルドの外観は大きめの商店といった感じだったが、中は思っていたよりも随分と広い。正面は役所のようなカウンター。大きく三つに分かれており、案内札にそれぞれ『依頼者受付』『冒険者受付』『素材買取』と書かれている。仕切りのようなものはないので、混み具合によって多少は融通を利かすのだろう。
カウンターには数人の受付嬢がいる。今は冒険者の数も少ないため、事務作業をしているようだ。
そんな中、依頼者受付のお姉さんだけが顔を上げてこちらを見ていた。リオン達はまだ子どもなので、依頼者だと思われたのだろう。
左右には、それぞれ酒場と冒険者向けのお店がある。今はまだ午前中なので酒場にはほとんど人がおらず、今日を休養日にしているのだろう冒険者が数名いる程度だった。
入り口横のボードに大量の紙が張り付けてあり、おそらくこれが依頼書なのだろう。数名の冒険者がボードの前に立ち、真剣な表情で依頼書の内容を吟味していた。
「リオンって冒険者志望だったのに、ギルドに来るのは初めてなの?」
物珍しそうにギルド内を見回すリオンの顔を、ティアが不思議そうに見つめてくる。
「一度は来てみたいと思ったが、用もないのに子どもが来るような場所じゃないだろ。ガラの悪い連中に絡まれても面倒だしな」
「まぁ確かにそうね」
ティアが一瞬だけ、酒場で下品に騒ぐ男共に視線を向けた。
リオン達が入ってきた時からずっと、ニヤニヤとした厭らしい目を向けてくる連中だ。リオンを見下す視線と、あとはティアへの下卑た視線。下手に関わってもろくなことにならないので、全員が無視を決め込んでいる。
「そういうティアは来たことがあるみたいだな」
「ええ、治療院からの依頼を持ってくるときに何度か。薬草の採取とか、先生が小さな村に訪問治療に行く際の護衛とかね」
なるほど、と頷きつつ、リオンはミリルの方へ顔を向ける。ミリルもリオンと同じようにギルド内を見回しているので、どうやらギルド初体験はリオンだけではなさそうだ。
「遊びに来たわけじゃねえんだから、さっさと登録に行くぞ」
すでに冒険者として活動しているジェイグが、ギルドの真ん中で呆ける二人と、そんな二人を笑みを浮かべて見ているティアを促す。
いつまでもここにいても邪魔なだけなので、ジェイグの言葉に従いリオン達は冒険者受付カウンターへと向かった。
リオン達が近づく気配に気づいた受付嬢が、事務作業をしていた手を止め、完璧な営業スマイルで顔を上げる。だが、目の前に立つティアの姿を確認すると、途端にキョトンとした顔で首を傾げる。どうやら何度か依頼に来たというティアの顔を覚えていたらしい。
「依頼の申し込みでしたら、あちらのカウンターになりますが……」
「いえ依頼ではなく、冒険者登録をお願いします」
三人を代表してリオンがそう言うと、受付嬢は「困ったわねぇ」とでも言いたそうな笑顔でリオンと、そしてミリルの顔を見つめる。
「ギルドへの登録は十二歳から可能ですが……」
何も知らない子どもが登録に来たとでも思われたのだろう。リオンもミリルもあまり背は大きくないし、どちらかと言えば少し童顔な方だ。その反応も仕方ないのかもしれない。
「昨日十二歳になったので問題ありません」
「あたしも問題ないわ」
二人の言葉に目を丸くする受付嬢。しかし受付嬢はすぐに持ち直すと、再び少し困ったような笑顔を浮かべる。
「失礼致しました。では、この登録用紙に必要事項を記入していただくことになりますが、その前に……冒険者の仕事は危険の多いものがほとんどです。ゆえに登録には一定以上の実力を持っているとギルドが認められる必要があります。そのために――」
「試験がある。内容は中級以上の冒険者と模擬戦を行って、その実力を示すこと」
全部わかっている、とでも言うように、リオンが受付嬢の説明の続きを先回りして口にする。ジェイグから大体のことは聞いているので、細かい説明はリオン達には必要ない。
ただ受付嬢としては、登録手続きの前に言っておかねば、と思うのはもっともなことだ。
もしリオン達が屈強な大人の戦士であれば、受付嬢も手続き前に念入りに忠告するようなことはしなかっただろう。しかし、リオン達は見た目はただの子どもだ。しかも十二歳になりたて。受付嬢としてはやはり心配なのだろう。
実はギルドに登録できるようになったばかりの子どもが、勇んで登録に来て実力不足で叩き返されるという事例は結構多いらしい。模擬戦とはいえ武器を用いて戦う以上、怪我をしないとは限らない。試験官の性格によっては、実力をわからせるために少し痛い目を見せてやろうと考える者もいるらしい。
リオン達がそうならないように、この受付嬢は事前に忠告してくれようとしたのだ。こども相手でも丁寧に対応してくれているところを見ると、職務に忠実なのか、子どもに優しい女性なのだろう。
「それも問題ありません。三人とも腕には自信ありますから」
何でもないといった様子でリオンが淡々と告げる。自身の実力を過信しているのでも、ギルドに来て舞い上がっているのでもなく、ただ事実をありのまま語っているだけ。そう思わせるようなリオンの態度に、受付嬢はまだ少し不安げながらも小さく頷いた。
「畏まりました。では、こちらの用紙に記入をお願いいたします。代筆は必要ですか?」
エメネアの識字率はだいたい五割程度。あまり数は多くないが異国出身の人間が登録に来ることもあるため、代筆は必要なのだろう。
「いえ、大丈夫です」
もっともリオン達には関係ない話だったが。
三人が書類を書いている間も、受付嬢は少し心配そうな表情でリオン達を見つめている。本人がそう言っている以上どうしようもないのだが、やはり心配なようだ。やはりこの人は子ども好きなのだろう。
ちなみに記入事項は、名前、年齢、出身地、適正属性、使用武器、実戦経験の有無、などがあった。
刀と書いてもエメネアでは通じないので、仕方なく武器の欄には剣と書いておいた。実戦経験については、細かく書き込みができるように欄が広くなっている。リオンは狩りに出た際に、近辺に出没する魔物と何度も戦っているので、倒したことのある魔物を数種類書き込んでおいた。他の二人も同様に書き込んでいる。
そうして、リオン達が書類の記入を終えたところで、事態は動いた。
「おいおい、まだガキじゃねえか。冒険者なんて十年早ぇんじゃねえか?」
「冒険者はガキの遊びじゃねえんだ! ガキはお家に帰ってママと遊んでた方がいいぜ」
「ママ~、おっぱい~ってな! ぎゃははははは!」
さっきまで酒場にいた冒険者達が、リオンとミリルの後ろで騒ぎ始めた。嗜虐的な歪んだ笑みが浮かんだ不細工な顔に、面白いオモチャを見つけたとはっきり書いてある。
男たちの周囲にはきつい酒の臭いが漂っていた。まだ午前中だというのに、どうやら相当飲んでいるらしい。
騒いでいる連中の他にも、何人かの冒険者が見下すような笑みを浮かべて、リオン達を見ている。質の悪い連中に絡まれた子どもを助けようとする者はいない。せいぜい同情的な目で、チラチラとこちらを窺うくらいだ。
で、肝心の絡まれたリオン達だが……表情は違うがとくに動揺したり怯えたりはしていない。というか、三人とも一瞥しただけで、完全に無視である。振り返りすらしていない。
子どもの頃から元冒険者の先生に散々鍛えられ、遊び代わりに模擬戦をして育った三人だ。この程度の連中に遅れを取るようなことはない。
しかし、残念ながら酔っぱらった冒険者たちはそのことに気付く様子はない。いや、仮に正常な状態でも、相手との力量差を見抜けるほどの実力はないだろう。相手にされていないのを、リオン達が怯えているとでも思っているのか、さらに勢いづいて絡んでくる。
「この程度のことで怯えて声も出ないんじゃ話になんねえな!」
「ほらほら、ママ~って呼んでみな、ママ~って」
「だから、声も出ねえんじゃ呼びようがねえよ! ぎゃははははは!」
さらに過熱していく冒険者の嘲りの声に、同調するように周囲から笑い声が響く。
そんな男達の態度に一番イラついていたのはジェイグだった。別にジェイグがバカにされているわけでもないのに、眉間にしわを寄せて男達を睨み付けている。
リオンは一見すると無表情無反応。ティアやミリル同様、とくに相手にしていないように見える。
しかし、その内心は他の二人とは真逆の感情を抱いていた。
(まさにテンプレ。やっぱり異世界転生っていったらこうだよな~)
ちょっとワクワクしていた。
前世でいくつも目にした異世界ファンタジーでのお約束の展開。
新人に絡んでくる冒険者、鮮やかに返り討ちにする主人公。
旅の始まりをここまで実感させてくれる展開が他にあるだろうか、いや、ない。
実はずっと前からこの展開を期待していたのは、皆には内緒だ。
だが、そんなリオンの期待に水を差す人物が現れる。
それはリオンが「さぁそろそろお仕置きの時間かなぁ」と、心の中で処刑用BGMを流しながら、徐に振り返ろうとしたまさにその時だった。
「ティアちゃん? ティアちゃんじゃないか! 何でこんなところに!?」
横で見ていた外野の一人が、ティアの顔を見て大声を上げた。
どうやらティアの顔見知りらしい。驚きが半分、嬉しさが半分といった表情でティアに近づいていく。
「? ああ、ステファンさん。お久しぶりですね」
いきなり名前を呼ばれてキョトンとしていたティアだったが、知り合いだと分かるとすぐにいつもの笑顔に戻る。
その笑顔に、ステファンと呼ばれた男が見惚れたのがはっきりとわかった。そして先ほどの嬉しそうな顔の理由も。
「ああ、久しぶりだね、ティアちゃん」
「お元気そうで何よりです。最近は怪我もしてないようですね」
「お陰様でね。もっともティアちゃんの可愛い顔を見られなくて残念だけどね」
「ふふ、ありがとうございます。でも、怪我がないのが一番ですから」
どうやらこの男は、ティアが働いていた治療院の患者のようだ。冒険者稼業に怪我はつきもののため、冒険者の知り合いはそれなりに多いのかもしれない。
他にも何人かティアの存在に気付いたようで、次々とティアの周りに冒険者が集まってくる。
外野に水を差されたため、リオン達のことはどうでもよくなったのだろう。さっきまでリオン達に絡んでいた連中も、ティアに群がる冒険者たちと同様にティアの傍へと近寄っていた。ギルドに来た時もティアに気持ちの悪い視線を向けていたことを考えると、リオン達に絡んだのももしかしたらティアが狙いだったのかもしれない。
「ところで、ティアちゃんは何でここに? また、治療院からの依頼かい?」
「いえ、今日は冒険者登録に来たんです」
「ええ!? どうして? 治療院の仕事は?」
「治療院は昨日で辞めました。もともとそういう契約だったので」
その言葉に何人かの冒険者が、この世の全てに絶望したような表情を浮かべた。「俺の癒しが……」とか「俺はこれから何を生き甲斐にすればいいんだ!」とか「我が世の冬が来たあああああ!」などといった声が、そこかしこから聞こえてくる。噂には聞いていたが、ティアの人気は想像以上のようだ。
「じゃ、じゃあ、冒険者の先輩として、俺がティアちゃんの面倒を見てあげるよ!」
絶望していた他の連中よりも一足早く気を取り直したステファンが、ティアの勧誘を始めた。その声で希望を取り戻したのか、他の連中も我も我もとティアを自分のパーティーに入れようとしている。さっきまでリオンに絡んでいた連中も混ざっているのは、それだけティアが魅力的ということだろう。
(まだティアの登録も済んでいないのに、気の早い連中だ)
ティアが勧誘に乗るわけがないので、リオン達は完全に傍観者に徹している。連中が強引な手段を用いてきたら、遠慮なくぶっ飛ばす気でいるが。
あと、ティアの体に触れようとしても同様だ。
地獄を見せる準備は万端である。
「申し出は嬉しいですけど、入るパーティーは決まっていますから」
やんわりと、だがはっきりとした口調で断りの言葉を口にするティア。
その視線がリオン達の方へ向いたことで、周りの連中の視線も一斉にこちらを向く。
あとになってから思ったことだが、このときのティアの言葉を連中が受け入れていれば、このあとの惨劇は回避できたのかもしれない。
もしくはティアがこちらを、正確にはリオンを見つめた際の表情の変化に気づいて、連中が嫉妬したりしなければ……
……まぁ完全に後の祭りではあるが。
「あんな連中が?」
「ええ、三人とも同じ孤児院で育った仲間です」
男の一人が訝るような視線でリオン達を睨む。
「あのデカいのは確か鍛冶屋の……」
そのうちの一人はジェイグの顔にも覚えがあったらしい。小声でそう呟くのが聞こえた。
しかし冒険者に登録して二年とはいえ、ジェイグもまだまだ冒険者としては若造だ。新人三人を、しかも大事なティアを任せるに足るとは思えなかったのだろう。
もっとも、連中が一番認められないのは。ティアが想いを寄せているであろうリオンの存在のようだが。
「おいおい、ぺっぴんの嬢ちゃん。あんな貧弱なガキとパーティー組もうなんて、経験者として見過ごせねえな」
「そうだよ、ティアちゃん。あんなオモチャみたいな剣で冒険者をやろうとするバカと組んじゃダメだよ」
「そうそう。ただでさえ新人の多いパーティーは危険なのに、あんな目付きの悪い根暗そうな子と組んだら危ないよ。これはティアちゃんのためを思って言ってるんだ」
次々と繰り出される暴言の数々。根暗とか目付きが、冒険者とどう関係があるのかわからないが、おそらくただのやっかみだろう。そもそもリオンの容姿は根暗そうでも目付きが悪くもない……はずだ。
それと自分の作った刀を馬鹿にされたジェイグが、額に青筋を浮かべていた。
しかし今のリオンにとって、そんなことはどうでもよかった。
いや、別に散々自分が馬鹿にされて怒っていたわけではない。この程度のことで怒るほど、リオンは気が短くない。
それとは別の問題が発生していることに気付いていたのである。
世にも恐ろしい問題が……
「嬢ちゃん、このガキの弱さを教えてやるよ」
一番最初に絡んできた酔っ払い冒険者がリオンを叩きのめそうとしている。
だが、当然リオンが認識している問題とはこの男のことではなかった。
突然だが、昨夜ジェイグが言っていた通り、ティアのリオンへの好意はわかりやすい。ほぼ初対面の冒険者でさえ気付くくらいだ。本人としては隠しているつもりらしいが、周りから見れば小さな子どもの嘘よりも簡単に見抜ける。
しかし好意がわかりやすいということは、言い方を変えれば、隠しきれないくらい想いが強いともとれるわけだ。
さて、そんな人物の目の前で、その想い人をケチョンケチョンに貶したらどうなるのか。
答えは簡単だ。
ボヒュッ!
何かが高速で飛んでいく音がギルド内の喧騒をかき消した。
それと同時に、リオンに掴み掛ろうとしていた男が、真横から飛んできた何かに弾き飛ばされた。
男の大きな体が一メートル程吹っ飛び、派手に地面を数回バウンドしたあと、倒れたまま動かなくなる。
ティアの周りで騒いでいた連中は、何が起こったかわからなかったらしい。とりあえず一番有力な容疑者であるリオンに、男たちが一斉に視線を向けた。
リオンに掴み掛ろうとしていた男がやられたのだから、その相手が何かしたと思うのは当然の反応だろう。
しかし残念ながらその考えは外れている。
全てを把握しているリオンからしてみれば、「お前ら、後ろ後ろ」と言ってやりたいところである。もしくは「逃げた方がいいぞ」と。
「私の仲間に酷いこと言わないでもらえますか?」
ゾッとするような冷え切った声。
自分が言われたわけでもないのに、その声が聞こえた瞬間、リオンの背中から冷や汗が噴き出す。
リオンのすぐ傍からはガタガタと震えるような音が聞こえた。おそらくミリルとジェイグが真っ青になっているだろうが、残念ながらリオンにもそちらを気遣う余裕はない。
「てぃ、ティアちゃん……?」
ステファンがようやく異変に気付いたようで、隣で佇む怒れるお姫様に恐る恐る声をかける。
「……」
そんなステファンの声に対するティアの返事は、冷たい沈黙。
無視したのではない。
返事の代わりにあることをしただけだ。
ボッボッ! という炎が燃えあがるような音とともに、掌サイズの光の玉が次々と発生していく。突如出現した宙に浮かぶ光玉は、ティアの周りをまるで衛星のようにクルクルと回っていた。
それは適性属性が光のティアが生み出した光玉。
ティアの怒りの塊でもある、物理的な攻撃力を備えた光輝く弾丸だ。
そんな美しくも恐ろしい物体が、冒険者たちの目の前をフワフワと通り過ぎていく。
ちなみに、ティアの後ろに猛烈なブリザードが吹き荒れているように見えるが、あれは魔法ではなく、ただの幻だ。怒りで新たな属性に覚醒とかしていなければの話だが……
ティアの近くにいた冒険者のうち、何人かはティアの豹変に腰を抜かしていた。
普段の穏やかで優しいティアしか知らない連中からしたら当然の反応かもしれない。ましてやここにいる連中の多くは、治療院でティアに色々な意味で癒されていた連中だ。ティアが本気で怒ったところなど想像もできなかっただろう。
ティアの名誉のために言うと、別にティアは怒りっぽくなどない。普段は温厚でおしとやか。先日のミリルの一件のように”叱る”ことはあっても、本気で”怒る”ことは滅多にないのだ。叱られた連中からすれば怖いのは一緒かもしれないが、そこには相手を思いやる優しさも感じられる。
ここ五、六年の間でティアが本気で怒ったところなど、リオンは二回しか見たことが無い。それはミリルとジェイグも同じだろう。
ちなみに二回の理由のどちらも、リオンが関わっていたりする。別にリオンが怒らせたわけではない。今回の一件のようにリオンが侮辱されたり、傷つけられただけだ。ティアがわかりやすいと言われる所以である。
そしてめったに怒らないからこそ、本気で怒ったときは怖い。
とにかく怖い。
それは怒られた側がトラウマになるくらいに……
「ティアちゃん落ち着いて! 謝る! 謝るから!」
「ご、ごめんよ、ティアちゃん! 別にティアちゃんの友達を悪く言うつもりは――」
ボヒュッボヒュッ! と再び風を切る音がギルド内に響く。
今度は二回。直撃はせず、顔のすぐ傍を通り抜けただけだが、それを食らった男達からすれば”だけ”で済むはずもない。もはやその場にいる全員が、完全に腰を抜かして尻餅をついている。
「た、助けてください! お願いします!」
「やい、そこのクソガキ! お前の仲間なんだから、さっさと止めやガッ!」
リオンに向かって、暴言なのか助けを求めたのかわからない発言をした男が、光の弾丸に眉間を撃ち抜かれた。
男は目と口を大きく開いたまま後ろに倒れ、そのまま動かなくなってしまった。
「ティアちゃんお願いだ! 酷いこと言ったのは謝るから!」
縋るような声でステファンが懇願する。
しかし、ティアは変わらず冷たい表情。光の玉もブリザードの幻覚もいまだに消えない。
やっぱりティアの属性って水、というか氷なんじゃないか? という疑問がリオンの脳裏を過るが、もちろんそんなことはない。この世界で三つ以上の属性を持つ生物はいないのだから。
「……謝る相手が違いませんか?」
と、ここでようやくティアが口を開いた。
声はさっきと同じく絶対零度のままだが……
そして、ティアの言葉でようやくその真意を理解した冒険者達。
その全員が一斉にリオンに向かって土下座を始める。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「許してください坊ちゃん! 悪気はなかったんです! 本当ですうう!」
「お、俺たちが悪かった! だから、頼む! 許すと、許すと言ってくれええええええ!」
ガタイの良い大人の男達から泣いて懇願されるという光景に、リオンの顔が引き攣る。
ドン引きである。
思わず「ティアさん、懲らしめてやりなさい」と、某江戸時代の偉いお爺さんみたいなことを言ってしまいたい衝動に駆られたが、寸でのところでどうにか堪えることができた。
「わかった、許す。許すから、もう一秒でも早くどっか行ってくれ。あと、ティアはいい加減その玉しまえ」
リオンの言葉にようやく少し溜飲を下げたティアが、周りに浮かんでいた光の玉を消し去った。
もっとも完全に怒りが収まったわけではないのは顔を見れば一目瞭然である。
それは連中にもすぐにわかったのだろう。リオンが顎でギルドのドアを指すと、蜘蛛の子を散らすように冒険者達は走り去って行った。
こうしてリオンのテンプレデビューの夢は、儚く散った。
(本当にどうしてこうなった……)
リオンは内心でため息を吐きつつ、まだ若干不機嫌そうなティアを落ち着かせるために頭を撫でる。それでティアはあっという間に機嫌を直したのだった。
そして「すぐにこうしていればよかったな」と、その時になってようやく気付いたリオンだったが、時すでに遅しということで、その事実は心の奥にしまっておくことにした。
「ガタガタガタガタ」
「ブルブルブルブル」
「ティ、ティア姉って怒るとあんなに怖かったんだな……」
「普段のお説教が可愛く思えてくるニャ……」
「……オマエ、そんなにティア姉にお説教されるのか?」
「前にティアに化けて、リオンを誘惑した時が一番怖かったニャ」
「……オマエ、勇者だな」
ギルドの片隅で、魔術で大人に変身した幼い子ども二人が、絶対にティアを怒らせないと固く心に誓ったことを、リオン達は知らない。