旅立ち
「それじゃあ先生、今までお世話になりました」
「ああ、またいつでも遊びに来い」
誕生日の翌朝、リオンたち四人は孤児院の前でリリシア先生や子ども達の見送りを受けていた。
空には雲一つない。リオン達の旅立ちを祝福するように澄み切った青空が広がっている。
今朝の四人はそれぞれ冒険者としての装いをしていた。といっても、基本は狩りに行くときの格好とほとんど変わらないが。
別に鎧とか兜とかを装備しているわけでもない。そもそも冒険者は身軽な装備を好むので、重い鎧や視界が制限される兜を装備する者は、あまり多くはなかった。
そもそもこの世界では防御魔術が発展しているため、金属製の防具が無くてもある程度の防御力は得ることができる。特に冒険者用の服は、魔力を通しやすい金属糸や魔石の粉などを使って防御魔術の効果を高めている。急所である胸などの部分は、金属糸も魔石もふんだんに使われていた。その分、値段は高いのだが……
また温度調節や防汚の魔術を施しているものも多いため、布地が増えたり、多めに着こんだり、汚れが目立ちそうな服を着たりしても特に問題なかったりする。
ティアなんかは特にオシャレなので、冒険者の装いもかなりファッショナブルだ。
胸元にフリルの付いたドレスシャツの上に、白のロングコートを羽織っている。見た目シンプルなリオンのコート違って、胸元に金糸の刺繍が編み込まれていたり、袖口にファーが付いていたりとファッション性も追及しているのだ。動きやすさはもちろん、防御や防塵など、魔術による補助効果も万全だ。
下はショートパンツにニーソとロングブーツ。前世の日本にいれば、ファッション誌の表紙を飾っていてもおかしくないくらいのレベルだ。
その他、全員が手の甲に金属板を埋め込んだ指ぬきグローブを着けている。これは盾を持たない冒険者が身に着けることが多い。また、頭部を守るための魔術を施したペンダントも全員が身に着けている。
一応、胸などの大事な部分には金属製の防具を着けているが、服の下に隠れているため傍目にはわからなかった。
このあとは少し街で買い物をし、そのまま冒険者ギルドへと向かう予定だ。
それぞれが荷物や装備の確認を終えたところで、リリシア先生が旅立つ四人の許へと近づいてくる。
「リオン、お前は大丈夫だと思うが……まぁ、あまり無茶なことはしないようにな」
「わかってます。大丈夫です」
「ミリルは危ない魔導具を作らないように」
「大丈夫です。使う前にジェイグで実験しますから」
「うぉい!」
「ティアは……リオンと仲良くな」
「! ……はい」
「ジェイグは……特にないな」
「そりゃあねえよ先生!」
「冗談だ。お前は冒険者としても、年齢的にも先輩なんだ。ちゃんと他の三人の面倒を見てやるように」
「おう、任せてくれ!」
リリシア先生が一人一人に声をかけて回る。「なんか卒業式後の教室みたいだな」と、リオンは前世の光景を少し思い出していた。
そんな先生の言葉にそれぞれが笑顔で頷く。ティアの時だけ何故か耳元で囁いたため、何を言ったかは聞こえなかった。ただ、ティアの顔が真っ赤になっていたので、内容はなんとなく想像ができたが。
そのあとは子ども達がワッと群がってきて、思い思いの言葉をリオン達にぶつけてくる。中には目に涙を浮かべている子もいるので、「昨夜の騒ぎの再来か!?」とリオンは焦りを覚えた。
だがリオン達をちゃんと送り出そうと必死に涙を堪えているのがわかったので、どうやらその心配はなさそうだった。服の裾をギュッと握りしめて泣くのを我慢する子ども達の姿は実に愛らしいもので、それを見たミリルは今にももらい泣きしそうである。ティアに至ってはその有り余る母性で、逆に子ども達の涙腺を決壊させてしまいそうだが。
そんな子ども達とお姉さん二人のふれあいを、ほっこりした気分で眺めていたリオンだったが、この場にいるはずの人物が二人いないことにふと気が付いた。
「ところで先生……アルとファリンの姿が見えませんが……」
リオンと同じようにほっこりした顔で子ども達を見つめていた先生に声をかける。その際にもう一度リオンが辺りを見渡すが、やはり二人の姿はどこにもなかった。
「ああ、あいつらなら、ふてくされて部屋に閉じこもってるよ。まったく……お前たちがいなくなったら、あいつらがこの孤児院で一番年長になるというのに……」
どうやら昨日仲間外れにされたことをまだ根に持っているらしい。しばらくはエメネアの王都にいるつもりだし、王都を出るまでにまた会う機会もあるだろう。深く気にすることもなく、リオンはリリシア先生の方へと視線を向ける。
だが……
「……ミリル?」
いつの間にかミリルが先生の傍へと来ていた。
それ自体は特別気にすることではないのだが、どうもミリルの様子がおかしい。リリシア先生の目の前に立っているのだが、頬を薄っすらとピンク色に染め、リリシア先生の顔を見つめては逸らし、見つめては逸らしを繰り返している。まるで好きな男の子に告白する前の恋する乙女のようだ。
「どうした、ミリル? 何か言いたいことがあるのか?」
いつもと様子の異なるミリルに、リリシア先生も「何だかわからない」といった表情で首を傾げている。
「あ、あの……」
リリシア先生に声をかけられたミリルが、感電でもしたかのようにビクッと体を大きく震わせる。だがそれでミリルは意を決したようで、潤んだ瞳で先生を見上げながら、徐に口を開く。
「い、一回だけでいいから……お、お母さんって呼んでも良いですか?」
その時、リオンとジェイグの時間が確かに一瞬止まった。
(何だ、あの可愛い生物は……)
まさか、あのミリルからモジモジ&潤んだ瞳&上目づかいの三連コンボが放たれるとは思わなかった。普通の女の子ならあざと過ぎて引くところだが、普段の姿がアレなため、なんか許せてしまう。これがツンデレの威力、それともギャップ萌というやつか。
ジェイグなんか、口を半開きにして未だに固まっている。ぽか~ん、という擬音がここまで似合う顔はそうそうお目にかかれない。
リリシア先生の方もミリルの発言に眼を丸くしていたが、すぐに持ち直すと、何ともくすぐったそうな笑顔でミリルの頭に手を置いた。
「まぁ構わんさ。別に他の呼び方を絶対禁止にしているわけでもないしな」
「……じゃあ…………お、お母さん……」
リリシア先生に頭を撫でられながら、消え入りそうな声でミリルはそう言った。自分から言い出したことだが、よほど恥ずかしいらしい。顔から湯気が出そうなほど真っ赤になっている。尻尾がブンブンと振られているので、かなり嬉しくもあるみたいだが。
「なぁリオン……」
ジェイグはようやくショックから立ち直ったらしい。ミリルから視線を離さないまま、恐る恐るといった感じでリオンに声をかけてくる。
「どうした、ジェイグ?」
「……ミリルはどこだ?」
前言撤回。やっぱり全然立ち直っていなかった。
「……あそこにいるだろう」
「いや! いやいやいや! あれが……あんな可愛い生物がミリルなはずがねえ!」
「お前、それはさすがに失礼だろ」
「そうよ、ミリルはずっと可愛いわ」
同じくいつの間にか寄ってきていたティアが、ジェイグを窘める。
もっともティアも視線はミリルに釘付けで、完全に「ほわ~ん」とか「とろ~ん」というような空気になっているため、迫力は皆無である。
「そんなはずが! ……はっ、そうか! あれはファリンだな!? 姿が見えねえと思ったら、またいたずらで変身してるんだな!」
「ジェイグ、いい加減現実を受け入れろ」
「やい、ファリン! 本物のミリルはど――」
ドガンッ! ズガンッ!
混乱して騒ぐジェイグの声が二つの爆音に掻き消された。
というか、叫んでたジェイグ本人が盛大に吹っ飛んだ。
華麗な後方宙返りを決め、地面に顔から着地。ギャグとしてなら、間違いなく十点満点だ。
「うっさいバカ!」「うるさい、バカ者」
魔銃をぶっ放したミリルと、雷撃を叩きこんだリリシア先生が同時にジェイグを睨む。
もっとも睨まれた本人は体から煙出して気絶してるので、睨んでも意味はない。
「この二人、反応がそっくりだけど本当に血の繋がりないんだよな?」と、リオンが内心で二人の母娘の血縁関係に激しく疑問を抱いていたが、それも今はどうでもいい話だ。
「行ってきます、お母さん」
今度ははっきりとした声で、先生に出発の挨拶をするミリル。そんな眩しい笑顔を見たら、とても「一回じゃないんかい!」とは誰もツッコめない。というか、ツッコまない。
唯一ツッコみそうな空気の読めない男は、気絶したままミリルに足を掴まれ、バンザイした状態で引き摺られてきた。
「……何よその顔は」
「「何でもない(わ)」」
わずかに口の端を吊り上げて笑うリオンと、ニコニコとミリルに温かな視線を向けるティアを、ミリルがジト目で睨み付けてくる。
そんな仕草も微笑ましくて、さらに二人の視線の温度は上がる。
「私のこともお姉ちゃん、って呼んでもいいのよ?」
「呼ばないわよ!」
「俺のこともお兄――」
チャキッ
「……ティアと俺に対する反応が違いすぎる件について」
銃口を突き付けられたリオンが、納得いかない気持ちを目で訴えながらも、おずおずと両手を上げる。
しかしミリルの態度は一向に改善されないため、リオンは現実から目を背けるように晴れ渡った空を見上げた。「昔は可愛かったのになぁ」と、まるで結婚後の妻の変貌を嘆く夫のようなことを考えながら、在りし日のミリルの姿に思いを馳せる。
そんなリオンの反応に、ふんっと一度鼻を鳴らして、ミリルは魔銃をホルスターへと戻した。
「だいたい、あたしが孤児院に来たのはあんたよりも三か月先じゃない。誕生日もあたしの方が早いんだから、あんたをお兄ちゃんなんて思えるわけないでしょ」
「それはつまり、俺にお姉ちゃんって呼んで欲しいっていう振りですか、お姉ちゃん? ……いや、冗談だから、そんなゴミを見るような眼で見るのは止めろ」
ミリルに、まるで空気が読めなかった時のジェイグを見るような目で睨まれ、リオンは心にダメージを負った。
「……お姉ちゃんって呼ばれるのもアリかしら……」
あと、リオンとミリルのやり取りを見ていたティアが、何故か頬を染めてブツブツ言っているが、リオンは見なかったことにした。
「お前たち、そろそろ行かないとマズいんじゃないか? 今日中にギルドに登録して、依頼もこなす予定なんだろ?」
いつも通りのリオン達のじゃれ合いを、呆れたような笑みで見ていたリリシア先生が出発を促してくる。
「そうですね。じゃあそろそろ行きます。ああ、ミリル」
「ん?」
ジェイグの足を掴んだままのミリルに、リオンが手を差し出して告げる。
「その足貸せ。俺が持っていく」
「ん、よろしく」
「……起こしてあげたら?」
いまだに気絶したまま引き摺られる最年長バカに対する二人の扱いに、ティアが困ったような笑みを浮かべて注意してくる。
「「やっぱりティアは優しいな(わね)」」
「……あなたたち、やっぱり姉弟ね」
ティアの忠告を笑顔で聞き入れて、自称皆のお兄さんを足で突き起こす二人の姿は、誰がどう見ても鬼畜な姉弟(兄妹?)にしか見えなかった。
ようやく目を覚まし、ウガーとなったジェイグを完全に無視して(弟と妹が冷たいの、とジェイグがティアに泣きついていた)、リオンはリリシア先生や子ども達に向けて軽く手を上げる。
「行ってきます!」
いつものような気軽さで別れを告げ、歩き出すリオン。他の三人も笑顔で手を振りながら、リオンに付いてきた。
名残惜しい気持ちは確かにある。大好きな人達と別れる寂しさも感じている。
それでもこれが最後ではない。どれくらい先、それこそ何年後になるかはわからないが、必ずまた帰って来よう。リオンは遠くなっていく孤児院を何度も振り返りながら、そう心に誓った。
それは他の三人も同じなのだろう。ふと視線があった瞬間の三人の笑みを見て、リオンも同じように笑うのだった。
こうしてリオン達は孤児院を後にした。
子ども達に囲まれて笑顔で手を振るリリシア先生の姿を、そしてこの温かな風景をしっかりとその目に焼き付けて。
リオン達が先生や子ども達との別れを済ませている間、孤児院の窓から覗く四つの目と獣耳が、じっと孤児院の外の様子を窺っていた。
「リオン達は出発したみたいだな」
「ニャフフフ……あれでファリン達が諦めると思ったら大間違いニャ」
「でもどうするんだ? 普通に後を付けても、リオン達にすぐに気付かれるんじゃないか?」
「後を付けるのが無理なら、先回りすればいいニャ。リオン達の目的地は冒険者ギルドニャんだから、そこで待ち伏せするニャ。リオン達は寄り道するらしいから、あとから行っても十分間に合うニャ」
「おお、なるほど! ファリン、オマエ頭良いな」
「当然ニャ。そうと決まれば早速行動開始ニャ」
「おお~!」
そんな会話を繰り広げながら、獣耳のチビッ子が二人、孤児院を去る四人の背中を見つめていることに、リオン達や先生さえも気付いてはいなかった。