エピローグ2 ~前を向いて~
執務室での報告を終えた黒の翼一行は、そのままギルドをあとにして宿に向かっていた。 観光地ということもあり、大通りは相変わらずの賑わいを見せている。
そんな中を歩く六人は、ギルドマスターであるオラルドの最後の話を聞いたためか、誰一人として口を開く者はいない。
悲しい出来事がたくさんあった。
やりきれない思いもたくさん味わった。
自分達の無力さに打ちひしがれもした。
それでも今、それぞれが胸に抱く想いは、決して暗いものだけではないだろう。
六人の最後尾を歩くミリルは、前を歩く家族達の顔をぼんやりと眺めて、そんな印象を抱いていた。
それはミリルとしても同じなのだが、ふとした時にそれとは違う方向に思考が逸れていた。
(あのガキんちょはどうしてるかしら……)
考えるのは、この町で出会った生意気な男の子のこと。二週間以上前、ギルドで声を掛けられ、父親の捜索を懇願された。色々と一悶着ありながらも、彼の願いを聞き入れた。
だがその結末は、ミリル自身の手で彼の父親を殺すというもの。一度はあの子の元へ連れ帰ることはできたが、救い出すことはできなかった。
その結果自体は無念だが、後悔はない。ミリル達の不手際や力不足で救助が遅れたのなら悔やみもするが、彼の頼みを引き受けた時点で、すでにディーターと魔物の合成は実行されており、ミリル達にはどうすることもできなかった。
事件解決後の対応についても、こちらに落ち度は無い。実験自体は、他生物同士の合成という研究テーマではあったが完全な医学ではなく、魔術的なアプローチも含めたものだった。そのため、実験データの解析や魔物化進行の対処方法の究明などにも知恵を貸したが、やはりミリルにとっては専門外の話も多かった。一応、幅広く知識は仕入れてはいるが、わずか数日ではどうすることもできなかった。
ゆえに頭では仕方ないと割り切り――それでも心は、やはりモヤモヤした感情を拭えずにいた。
(父親を殺したのがあたしだって知ったら、あいつはどうするかしらね……)
ミリルが手を下したこと自体は、本人が望んだことだ。たとえ黒の翼があの場で手を下さなかったとしても、いずれは完全に魔物と化し、ギルドによって処分されていただろう。
もっともそうなる前にリオンが終わらせていただろうが……
ディーターがその願いを口にした時、それをリオンが引き受けることはすぐにわかった。本人の前で口にしたくはないが、ミリルとリオンの考え方はよく似ている。自分なら確実にその願いを引き受け、そして自分一人で終わらせようとするだろう。
なにせ他の被験者達の時でさえ、リオンは自分一人で全て終わらせようとしていたくらいだ。当然それを察していたミリルがそれに口を挟み、さらに全員を巻き込んだ口論の末、黒の翼全員で分担することになった。だが何もせず放っておけば、あの男は勝手に自らでまた重荷を背負い込み、何食わぬ顔でミリル達の元へ戻ってきただろう。
そんなことは、ミリルの決意に反する。
ゆえにこればかりは譲れないと強硬に主張し、ディーター殺害を引き受けることになったが……どんな決意があろうと、やはり人一人の命は決して軽くはなかった。
(母親の方としても複雑だろうし、やっぱ会わない方が…………ん?)
そんなことを考えていると、すぐ傍からじっと視線を向けられていることに気付いた。感じ慣れた気配が、いつの間にかすぐ隣を歩いていたのだ。
「…………何よ? 何か用でもあるわけ?」
その視線に対して訝しむような声を出して顔を上げると、ミリルよりも頭一個分以上高い位置からこちらを見下ろすジェイグの顔があった。南国の眩しい陽光を浴びて、真っ赤な髪が鮮やかに輝いている。
「いや、やっぱオメェとリオンって似た者兄妹だなって思ってな」
「は? 何言い出すのよいきなり」
ミリルと目が合ったジェイグは、どこか気恥ずかしそうに視線を逸らしながらもそんなことを言い出した。自分としても自覚があり、先程まで少し考えていた事柄ではあったが、ジェイグの口から突然そんな話を振られるとは思わず、思わずミリルは発言の真意を問い返す。
「実際、よく似てると思うぜ? 優しいくせに妙に素直じゃないところとか、照れると攻撃的になるところとか、やたらと合理的なところとか、頭の回転速いところとか、ティアに弱いところとか……」
「……いくつか納得できない評価が混ざってるわね」
ジェイグが指折り列挙していくリオンとミリルの共通点は、納得しづらいものも含まれていたが、かといって反論もしづらいものでもあった。なので小さく文句を口にしつつも、ジェイグの言葉を遮りはしない。
いつもなら銃弾で強制的に黙らせているところだが……なんとなくそんな気も起きずに、ジェイグが語るに任せている。
そんなミリルの様子が気になったのだろう。小さく肩を竦めるだけのミリルに、ジェイグが片眉を上げると、少し間を置いてから続きを口にした。
「……そうやってやたらとテメェ一人で背負い込もうとするところとかな」
「………………」
遠回しながらも、ジェイグが何を言いたいのか理解したミリルは、沈黙で応える。
反応が無いことを気にした様子も無く、ジェイグはさらに言葉を続ける。
「……次があれば、今度は俺がやるからな」
「……無理しなくてもいいわよ。あんたの性格じゃキツイでしょ」
さすがに今度の言葉は聞き流すことはできず、ミリルは苦笑交じりにジェイグの言葉を切って捨てる。
ジェイグの言いたいことはわかる。実験場でワドルを止めるために、実験の犠牲者達に絶望を突き付けたこと。ディーターの願いを聞き入れ、実際に手を下したこと。それらをミリルが実行したが、それを次からは自分が行うというのだ。
それはミリルの負担を慮っての発言なのだろう。その気持ちは嬉しいが、だからといってそれがジェイグにできるかと言えば、難しいと判断するところだ。
リオンやミリルは感情よりも理屈や合理性を優先する傾向があるため、時に冷徹な判断を下すこともできる。きっとあの実験場でリオンが被験者達と相対したら、ミリルと同じ行動に出ただろう。ミリルよりもその判断を下すのは早かったかもしれない。
ファリンも、意外とミリル達よりの考え方をしている。普段は明るく誰にでも優しい性格だが、家族への思い入れは人一倍強い。家族のためならば、どこまでも冷酷になれる子だ。
それに比べて他の三人は、その性格から、どうしても非常になり切れないところがある。頭ではどうするべきかわかっていても、感情がそれを邪魔してしまう。それを優しさと取るか甘さと取るかは、人によるところだろう。
もちろん決断すべき時がくれば、それを実行するだけの強さはあるはずだが。
ジェイグはそんな三人の中でも、特に情に厚いところがある。ビースピアで、助勢に来たビースト達を守るため、自らを窮地に追い込んだように。
そんなジェイグの性格を考えれば、誰かに絶望を突き付けたり、誰かの大切な人をその手に掛けることは、かなりの負担になるはずだ。
「これはあたしが勝手にやってることだもの。あんたが無理に気を使う必要はないわけよ」
ジェイグの気持ちを嬉しく思いつつも、だからこそミリルはジェイグの申し出をはっきりと拒絶する。
普段は何かと雑な扱いをしているミリルだが、これでも家族として、ジェイグのことは大切に思っている。そんな男に、無理をさせたいとは到底思えない。
それに……この程度のことで、ジェイグが自分を気遣う必要は無い。
自分の母親同然の人を斬り殺さなければならなかった苦しみを思えば、この程度のことは重荷とすら呼べないのだから。
だがジェイグにとっては、ミリルの発言は面白くなかったのだろう。真剣な、でもどこか怒りを孕んだ表情で、横を歩くミリルを見つめて口を開く。
「それがリオンのためだってか?」
ジェイグにしては珍しく、つまらなそうな冷たい声。
その口から零れた言葉に、ミリルは思わず足を止めてジェイグの顔を凝視する。
そんなミリルの反応を見たジェイグは、片眉を上げて小さく息を吐く。
「なんだよ。俺が気付いてたってのがそんなに意外か?」
どこか不機嫌さを宿した様子で、ジェイグはなおも言葉を続ける。
「まぁ俺が鈍い奴だってぇのはわかってっけどな。それでもガキの頃からずっと一緒にいるんだ。オメェがリオンの負担を減らすために、進んで汚れ役をしてるってことくれぇわかってるよ」
面白くなさそうな顔で、それでもその発言は少し照れくさいのか、燃えるような真っ赤な髪をガシガシと掻きながら、わずかに視線を逸らすジェイグ。
正直、リオンとティアにはバレているとは思っていた。ミリルと考え方が似ているうえ、頭も切れるリオンが気付かないはずはないし、ティアも実験場でのやり取りで気付いただろう。ミリルの決意や覚悟を思ってか、あえて触れてきていないようだが。おそらくよほどミリルが無理をしない限りは、好きにさせるつもりなのだろう。
だがミリルとしては、自分の内に秘めた決意を、まさかジェイグに気付かれていたとは思わず、言葉を失ってしまったのだ。
「……それで? だとしたらどうだって言うわけ?」
それでもどうにか気を取り直し、ジェイグがそれをわざわざ口にした真意を問う。
「言っとくけど、止めたって無駄だからね。所詮あたしの自己満足でしかないけど、それでも一度決めたことだもの。あいつが背負おうとする重荷は、あたしが背負う。たとえ本人に言われたってやめるつもりはないわ」
「止めねぇよ。俺だって、あの場にいたんだ。オメェ程の覚悟はできねぇけど、俺だって少しは同じ気持ちはあるんだからよ」
「じゃあ結局、あんたは何が言いたいわけ?」
ジェイグの考えが読めず、若干イラ立ちが込み上げ、八つ当たり気味にそう問いかけるミリル。
そんなミリルの態度と言葉に、向こうも腹を立てたのだろう。「だ~っ! わっかんねぇ奴だな!」と両手で頭を抱えたあと、ミリルをキッと睨んで、どこかヤケクソ気味に叫ぶ。
「俺にも寄越せっつってんだよ! オメェの荷物を!」
その叫びに、ミリルは再び言葉を失った。
「五年前のことをオメェが気にしてんのはわかってるよ! でもそれならガキだった二人はともかく、あの場にいた俺だって同罪だろうが! 全部テメェ一人で背負い込もうとしてんじゃねぇよ!」
捲し立てるように自身の想いを伝えてくるジェイグに、ミリルは呆然としつつも「あぁ、そうか」と胸にストンと何かが落ちるような感覚を覚えていた。
考え方や性格は違えど、ジェイグもあの場にいた。ミリルのように半ば錯乱して暴れたりはしなかったが、何もできなかったのは同じだ。なんだかんだで自身が最年長である自負も持っている。
そんなジェイグが、リオンに対して何の負い目も抱いていないはずがなかったのだ。
「……俺にゃあオメェやリオンみてぇに、割り切って考えるのは難しいよ。でもよぉ、それでオメェやリオンだけに損な役回りを押し付けんのはやっぱな……納得できねぇっていうか、俺もイヤなんだよ」
想いをぶちまけたからか、自分の不甲斐なさに気持ちが沈んだのか、先程よりも静かな声でそう告げるジェイグ。
確かに逆の立場なら、ミリルも大切な家族に負担を強いるのは納得できないだろう。自分がリオンに対して抱いている気持ちを、ジェイグは二人分感じていたということだ。不器用だが、心根の優しい男だ。あるいはミリルが感じている以上に、辛く感じているかもしれない。
これは自分で選んだ道だ。
覚悟はしている。
後悔は無い。
それでもそんな自分を、こうして心配して、共にあろうとしてくれる気持ちは、素直に嬉しかった。
「それによぉ、リオンにはまだティアっつう癒しがあるじゃねぇか。オメェもいるしよ。でもオメェは一人でどうにかしようとしてやがる。ならティアやオメェみてぇにはいかねぇけど、俺にもオメェの分を少しくらい分けやがれ」
自分で言っていて段々恥ずかしくなってきたのか、人差し指で頬を掻きながらそっぽを向くジェイグ。その頬もわずかに赤い。
その姿に、ミリルは思わず吹き出してしまう。
「何、あんた? あたしと恋人にでもなりたいわけ?」
「は、ハァッアア!? ば、ちょ、な、何いってんだテメェッ!?」
ミリルが笑いながらそう揶揄えば、まさかそんな返しの言葉が来るとは思っていなかったジェイグは眼を剥き出して激しく狼狽する。その顔は興奮からか、それとも照れているのか、さっきよりも赤みが増している。
そんなジェイグの反応に、さらにミリルの笑みが深まる。
思えば、最近ロクに笑っていなかった気がする。それもこんなに心の底から清々しい気持ちで笑えたのは、この町に着いてから初めてかもしれない。
復讐を終えた日の夜のことといい、やはりジェイグの存在は黒の翼にとって――自分にとって欠かせない存在ということなのだろう。
「だって、ティアとリオンの関係を例に出すから……ねぇ?」
「ばっ、んなわけねぇだろ! 誰がオメェみてぇなちんちくりんに! 俺はティアみてぇな美人でスタイルの良い女が好みなんだよ!」
「ティアみたいな?」
「お、おうよ」
ジェイグの言葉をオウム返しするミリル。その左右色違いの瞳にキラリと嗜虐的な光が宿ったことに気付いたのだろう。思わず後ずさりしそうになりながらも、どうにか返事を口にする。
そんなジェイグの姿に、ミリルは口の端をニィッと吊り上げ――
「ねぇ~リオン、ジェイグがあんたの女をイヤらしい目で見てるって――」
「ヤメロ! それはシャレじゃすまねぇ!」
ミリルが遠くを歩いていたリオン達を手を振って呼ぶ。すると、ジェイグが血相を変えてミリルの口を塞いで止めてきた。
あのバカップルは、互いが絡んだ時は色々と面倒くさい。ティアに色目を使っているなどという話になれば、たとえ身内であろうと容赦なく粛清されるだろう。ジェイグが必死になるのもわかる。
ちなみに一緒に歩いていたはずの四人は、いつの間にか足を止めていたミリル達からは距離を取って、通りに面したお店などを眺めていた。おそらくジェイグとミリルの会話する雰囲気を見て、空気を読んでくれていたのだろう。
そんな深刻な空気が霧散したことを察したのか、リオン達がこちらへ近づいてくる。
「いいか? 絶対にリオンとティアに変なこと言うなよ? 絶対だぞ?」
「ふっふぇんふっふぁいふぇふぇをふふふぁ(実験一回で手を打つわ)」
「どっちにしてもオレの命がねぇ!?」
ミリルの口を塞いだまま耳元で念を押すジェイグに、ミリルが条件を提示すると、ジェイグが絶望的な声を上げた。だがリオンの粛清プラス、ティアから若干距離を置かれることに比べればマシだったのか、苦虫を一億匹噛み潰したような苦悶の表情で条件を呑んだ。
そしてそうこうしているうちにティアに腕を組まれたリオンがやってきて――ミリルとジェイグの様子を見て、ニヤリとイヤらしい笑みを浮かべる。
「お前達……いくら南国だからって、こんな往来でイチャイチャし過ぎじゃないか?」
「あら、仲が良いのは素敵だと思うわ」
そう言って、視線を左右に動かしてジェイグとミリルの顔を交互に眺めるリオン。隣では、リオンにべったりと身を寄せながらも、こちらを微笑ましそうに見つめるティアが。
ミリルは現在、ジェイグに後ろから拘束されたうえ、リオン達に会話が聞こえないようにジェイグの顔はミリルの耳元に寄せられている。しかもジェイグとはかなり身長差があるため、ミリルはジェイグに抱きかかえられたような状態だ。傍から見れば、恋人を後ろから抱きしめて愛の言葉でも囁いているように見えなくもない。
リオンの指摘でそのことに気付いたミリルとジェイグは、互いに赤面しながら距離を取る――などという初々しいことはなく、互いに横目で視線を合わせた後、
「「あんたら(オメェら)にだけは言われたくないわよ(ねぇよ)、このバカップルが!」」
仲睦まじく寄り添う二人に向かって、声を合わせてそう叫ぶのだった。
その後、アルとファリンも寄ってきて、いつも通りじゃれ合う六人。事件後も多少はこういったやり取りもあったのだが、やはりどこか影が差していた気がする。あの事件に関しては、それぞれ思う所があったのだろうが、主な原因は自分にあったのかもしれない。それがジェイグのお陰で少しは気が晴れたため、いつもの六人に戻れたのだろう。
実際、ミリル自身は気付いていないが、先程ジェイグに『ちんちくりん』などという言葉を使われても、即座に銃を抜かない程度には機嫌が良かった。
そうして観光地の賑わいに負けないくらいに、騒がしくしていたミリル達だったが、ふと何かに気付いたリオンが、こちらに一度だけ意味ありげな目を向けた後で視線を通りの向こうへと向ける。
「どうやらお客さんみたいだぞ」
その言葉に首を傾げながらも、リオンの視線の先を追うミリル。他の四人も同様に視線を向け、ジェイグとティアが何かに気付いたように表情を変える。
「あ……」
そしてそれからわずか数秒後、ミリルもそのお客さんの姿を目にして、思わず声が漏れた。
「やっと見つけた! ちっちゃい姉ちゃん!」
そこにはこちらへ慌ただしく駆けてくるガキんちょ――ディーノの姿があった。そのうえもう一人のガキんちょ――ウィンが乗る車椅子を押している。
その少し後ろからは、やや慌てた様子の使用人姿の女性が「ウィン坊ちゃま~」と少々情けない声を上げながら付いて来ている。おそらくウィンの世話をしている者だろう。
ウィンの世話係は、数人が交代で勤務していた。仕事上の関係ではあったが、ウィンのことはとても大切に思っていたらしい。雇い主であるウェスターはいなくなったあとも、賃金交渉そっちのけで、後見人となったシスト家に自ら頼み込み、全員がウィンの世話係を継続させてもらったと聞いている。
どうやら人混みのせいで、身長の低いミリルとアルとファリンは気付くのに遅れたようだ。思いの外元気な様子で駆けてくる子供二人に、思わず目を見開く。
「どうすんだ?」
そんな子供二人の様子を呆然と眺めていると、ふと隣から声を掛けられた。そちらを見ると、心配そうな表情をしたジェイグが、こちらに気遣わしげな視線を向けている。
どうやら父親をその手に掛けたミリルが、ディーノと顔を合わせることに抵抗を覚えていることを心配しているのだろう。先程のオリヴァルド達との会話の中での反応を見ていれば、それも仕方のないことだ。
だが――
「……大丈夫よ。ありがと」
さっきまでならば、気が重かったと思う。さすがに相手がこっちに気付いている以上、逃げたりはしなかったとは思うが。
でも今は、ジェイグのお陰でディーノ達ともしっかりと向き合うことができる。彼らへの後ろめたさが晴れたわけではないが、きっと感じていた重荷を分け合うことができたからかもしれない。
だからそんなジェイグにしっかりと頷きを返したあと、一度小さく息を吐く。
そしてすぐ傍まで駆け寄ってきたディーノに向けて、ゆっくりと手を持ち上げると――
「ふんっ」
ゴンッ!
「アイタっ!」
ディーノの頭部に、容赦のない拳骨を振り下ろした。
殴られたディーノは両手で頭を抱えて短い悲鳴を上げる。
「小さいって言うな。殴るわよ」
「もう殴ってるじゃん……」
しゃがみ込んだまま上目遣いでミリルを睨み上げ、ディーノが小さく文句を言う。とはいえ、あまり強く言えば再び鉄拳が飛んでくると思ったのか、反論に勢いは無かったが。
「それで? 見た感じ、あたし達を探してたみたいだけど、何か用なわけ?」
そんなディーノの様子に、フンッと軽く鼻を鳴らした後、ミリルが要件を訊ねる。先程駆け寄ってくるときの様子から、再会は偶然ではないと判断したのだ。
だがそんなミリルの発言が不満だったのか、ディーノはしゃがんだ体勢のまま拗ねたような視線で見上げてくる。
「何か用って、そりゃないよ。父ちゃんを連れ帰ってくれたお礼がしたくて、こっちはずっと探してたってのにさぁ」
次いでディーノが口にした言葉に、ミリルは思わず視線を逸らしてしまった。リオン達の方から、気遣うような視線が集まるのを感じる。
「……別に気にしなくていいわ。ただ病人を連れ出しただけで、お父さんを助けられたわけじゃないんだから」
少し声が固くなってしまったが、発言の内容を考えれば特に違和感を与えることも無いだろう。
ディーターの失踪原因は、表向きは難病の検査のための入院ということになっている。ミリル達もそのことは知っているし、最後の晩にディーターがそう伝えたはずだ。すでに国外の施設に行き、そこで死ぬまで隔離されるということになっており、もうディーノ達にも会うことはできないとも……。
表向きの理由がそうである以上、ミリル達の表情に陰がある理由も誤魔化せる。
「……お父さんのことは、残念だったわね」
あくまで死に逝く運命を悔やんでいるだけのように、ミリルが静かにそう告げる。
ディーノもその言葉に悲しげな表情で顔を伏せ――だがすぐに悲しみを振り切るように、力強い表情を浮かべて顔を上げた。
「うん……でもオレは大丈夫だよ! 父ちゃんがいなくなっちゃったのは凄く辛いけど、悲しんでばっかじゃ父ちゃんに笑われちゃうから! それに父ちゃんがいない分、オレが母ちゃんを守んないといけないからね!」
そう言って笑う少年の姿に、ミリルだけではなくティアやジェイグ達も驚きの表情を浮かべていた。
この数日間で何があったのか。最後に見た時は、まだ甘えん坊で年相応の男の子という感じだったのに、今はその顔にわずかながら強い男の顔が滲んでいる。初めて冒険者ギルドで顔を合わせた時からは想像もつかない程、大きく成長しているように見えるのだ。
この年の子供の成長は早いと言うが、今のディーノはまるで小さな芽が大地にしっかりと根を張る若木になったかのようだった。
「でさ、姉ちゃん達に二つお願いがあるんだけど」
驚くミリル達の様子に気付くことなく、ディーノが立ち上がりミリル達の顔を見回し――特にミリルとジェイグの顔を熱心に見詰めて、そう切り出してきた。
「……言ってみなさい」
「オレに魔銃の使い方を教えてよ!」
「はぁ?」
ディーノの変化に驚きつつも、話の続きを促したところ、更なる驚きの発言を返された。ミリルの口から疑問の声が上がる。
「魔銃の使い方って、そんなの習ってどうするってわけ?」
「母ちゃんを守るなら、オレも強くならないといけないじゃん。姉ちゃん、そうは見えないけど、すっごい強い魔銃使いなんだろ? だからオレに魔銃の使い方教えてくれよ」
「ちょっとムカつく一言が混じってたけど……まぁいいわ。で、何でよりによって魔銃なわけ? 強くなるなら別に剣でも槍でもいいでしょ?」
比較的平和な町ではあるが、やはり魔物のいる世界だ。行政の方で治安維持にはそれなりに力を入れているが、観光地ということで浮かれて羽目を外す連中もいる。今回のような事件はさすがに稀だと思うが、誰かを守りたいなら、強さを求めるというのも間違いではない。
だがそれでよりにもよって自身の得物に、扱いが難しく、維持にお金もかかる魔銃を選ぶ理由がわからない。
確かに銃そのものは、戦い方を知らない人間が扱っても十分な殺傷能力を持つ強力な武器だ。だが扱い方を間違えれば、暴発などの事故を起こす可能性もある凶器ともなり得る。
もしも安直な理由で選ぶと言うなら……少し考え方を矯正しなければならないかもしれない。
だがそんなミリルの懸念に反して、ディーノは真剣な表情でこちら見返してくる。
「昔から父ちゃんとオモチャの銃でよく遊んでたんだ。だから自分の武器にするなら、やっぱり銃が良い。それに母ちゃんを守るなら、強いだけじゃなくてお金も稼がないといけないだろ? 魔銃を自分で整備できるくらいの魔導技師になれたら、お金も稼げるじゃん」
確かに、誰かを守るというのなら、金銭的な力も必要になるだろう。ある程度の技術や知識を持った魔導技師は重宝されるし、手に職を付けるという意味でも悪くはない。
そして大切な誰かとの思い出があるなら、それを自身の命を預ける武器として選ぶのもいいだろう。
ディーノにどこまで魔導技師としての才能があるかはわからないが、これだけはっきりとした目的と熱意があるのだ。今後もしっかり勉強と訓練をしていくのなら、ある程度の力量は身に着けられる可能性は十分ある。
「……それにさ……もし魔導技師になれば、ウィンが自分で歩けるような魔導具も作ってやれるかもしれないだろ?」
さらにミリルの耳元に近づき、そんなことを言うディーノ。
横目を向ける視線の先には、車椅子に座ったまま下を向く親友の姿が。
ミリル達がウィンに会うのは、ディーノよりも久しい。ディーノの頼みを聞き入れ、彼の家に話を聞きに行った日以来だ。あの時は、父ウェスターに連れられ、ディーノと元気よくはしゃぎ、憧れの黒の翼のメンバーに会えたことで眼を輝かせていた。
だが今のウィンに、あの時の明るさは影も形も無い。俯いたままの顔は、髪の毛に隠れて目元に影が差している。目は閉じられたままで、顔は青白く生気が無い。等身大の人形が椅子に座っているかのようだ。使用人がちゃんと世話をしているらしく、髪や服装は手入れが行き届いているが、それが却って人形のような印象を強めていた。
先程からティアやジェイグが声を掛けているのだが、やはり反応が悪い。あれだけ憧れていたティアが話しかけているというのにも関わらずだ。
追いついて来た世話係の女性が、痛ましそうな表情でウィンを見つめている。
「……やっぱり、お父さんのことで?」
「うん……あれから色々話しかけてるんだけど、ずっと上の空なんだよ」
ウィンの父親であるウェスターについては、表向きは事故死として処理された。その死は当然、息子であるウィンの耳にも届けられている。
過去に母親を亡くしているウィンにとって、ウェスターは唯一の肉親だ。二人の親子仲が良好だったというのは、二度ほどしか顔を合わせていないミリル達でもわかる。それゆえに、その死を知ったウィンの悲しみは計り知れないものだろう。こうして塞ぎ込んでしまうのも、その幼さも考えれば仕方がない。
「じゃあ、もう一つのお願いってこのガキんちょの……」
「うん、そうだよ……大好きな黒の翼の、それも獅子帝の兄ちゃんと話せば、少しは元気になるんじゃないかと思ってさ」
ミリルの推測に頷きを返すディーノ。確かに、この子が獅子帝について話すときの様子を見ていれば、奴が声を掛けてあげれば何らかの反応が返ってくる可能性は十分にあるだろう。
だが、そう話すディーノの視線は、心配そうにウィンを見下ろすジェイグの方を向いている。
「……何を勘違いしてるのかはわかるけど、獅子帝はこっちのデカいのじゃなくて、そっちの黒いのよ」
「えっ!? そっちの弱そうなのが!?」
少し離れた街灯に背を預けてこちらを見ていたリオンを指して教えれば、目を丸くしたディーノが、ジェイグとリオンをキョロキョロと見比べて驚きの声を上げた。
ミリルとしては何とも言えないが、ディーノがそう勘違いする理由はわかる。
黒の翼のメンバーを素人目で見れば、一番強そうに見えるのはやはりジェイグだろう。
百八十を超える身長。鍛冶や戦いで鍛え上げられた屈強な肉体に、精悍ではあるがどこか野性味を帯びた顔つき。身の丈を超す大剣を背にしたその姿は、下級の冒険者程度が対峙すれば泣いて逃げ出すくらいには強そうに見えるだろう。
それに比べて確かにリオンの容姿は、男としては平均的な身長で体つきも細身なうえ、中性的な顔立ちをしている。おまけに腰に提げているのは、『刀』という見慣れない細身の武器だ。『美形』と評すれば誰もが納得するだろうが、『強そう』と評すればほとんどの一般人は首を傾げるだろう。
実際ジェイグ自身も、獅子帝と呼ばれるリオンに並ぶくらい実力も高い。だがそんな事実を抜きにしても、パッと見でジェイグを黒の翼のリーダーである獅子帝と勘違いするのは無理も無いことだろう。
ちなみにリオンは、ディーノやウィンとはほとんど面識がない……というか、ウィンの顔を見るのも初めてだ。そのうえ子供に好かれないなどという間違った自己評価を下している。ので、こっそりと距離を取っていたのだろう。
もっともこちらの会話はしっかりと聞いていたらしい。いつも通りのポーカーフェイスが、家族ならかろうじてわかる程度に小さく引き攣っている。その理由が、「弱そう」という評価のせいか、それともジェイグと比べて弱そうと判断されたことかはわからないが。
「あんたねぇ……少しはその口の悪さを直しときなさいよ。あいつはその程度で怒るような奴じゃないけど、これからお願いする相手の機嫌損ねてどうするわけ?」
「……言ってることはわかるけど、姉ちゃんにだけは言われたくない――アイテッ!」
リオンを視線でこちらに呼び寄せながら、ディーノに忠告をしたのだが、生意気な反応が返ってきたので、その鼻っ面に裏拳をお見舞いしておいた。
そんな鼻を押えながら悶えるディーノと、子供相手にも容赦のないミリルに苦笑いを浮かべながらも、リオンがこちらへとやってくる。
「で、話は聞こえてたと思うけど、どうするわけ?」
「……俺はあの子と全く面識はないんだが、そんな奴が話しかけて本当に効果があるのか? ティアやジェイグでも駄目そうなのに……」
相変わらず消沈した様子のウィンを一瞥して、リオンが表情を曇らせる。実は子供好きのくせに、その妙な自己評価のせいか、子供を相手にするのには抵抗があるらしい。
もっともウィンに話しかけるのを躊躇しているのは、それだけが原因ではないだろう。
ウィンの父親であるウェスターを捕らえ、ギルドへ引き渡したのはリオンだ。ウェスターは実験の首謀者であり、処刑されるだけの悪事を働いていた。黒の翼の面々に非はないどころか、世間一般的には称賛されるべき行動をしている。もちろんウェスターを捕らえたことにも後悔は無いだろう。
だが幼い少年から、父親を奪ったという事実は消えない。
ウィンのことは心配しているし、力になってあげたいとも思っている。しかし現在ウィンが悲しみに暮れる、いわばその原因を生み出した側としては、やはりどうしても声をかけるのに躊躇してしまうのだろう。
しかし、それらの事実を考慮しても、リオンが彼と話をするべきだ。ウィンがどれだけリオンに憧れを抱いていたのかは、本人とファリン以外のここにいる全員が知っているのだから。
「このガキんちょも言ってたでしょ? あんたはこの子にとって、大好きな憧れの英雄なわけ。そんな子がこんなに落ち込んでんのよ? 話しかけてあげなさいよ。……色々思う所はあるだろうけど、どのみちあんたもあの子を放っとけないでしょ?」
後半部分はディーノ達には聞こえないよう顔を近づけて小声で告げると、リオンは困ったような笑みを浮かべる。憧れ云々についてはまだ半信半疑のようだが、放っておけないというのは図星だったのだろう。
そのうえずっとウィンの傍で膝を折り、優しく声を掛けていたティアからもお願いするような上目遣いの視線を向けられれば、リオンがそれを拒否することなどできるはずもない。観念したように小さく息を零すと、ウィンの正面に移動し、目の高さを合せるように片膝を突く。
「…………初めまして、ウィン君」
「…………あなたは?」
何度か言葉を探すように視線を動かした後、まるで壊れモノを扱うような優しい声で、リオンがウィンに声を掛ける。
聞き慣れない声が聞こえたからだろう。これまで俯いたまま小さな反応しか返ってこなかったウィンが、ゆっくりとだが顔を上げてリオンの方へ顔を向ける。
「俺はリオン。冒険者パーティー、黒の翼のリオンだ」
「……もしかして、獅子帝さん、ですか?」
「………………そんな恥ずかしい名前の人は知らない」
「いや、だから何で嘘吐くんだよ! あれ? 前にも同じこと言ったか?」
ウィンの問いに、思わず否定の言葉を返してしまったリオン。すかさずツッコミを入れるジェイグだが、似たようなやり取りを思い出したのか、しきりに首を捻っている。
その前例であるミリルとしては、「そんなところまで似なくていいわよ……」とため息を吐きたい気分だった。
「……獅子帝さん、じゃないんですか?」
「………………リオンだ。できれば、普通に名前で呼んで欲しい」
「リオンさん……カッコ良い名前ですね」
「…………ぬぐ…………あ、ありがとう」
「うわ~、反応が完全にミリル姉と一緒だ」
「うっさい。あんな名前で喜んでるのなんて、あんたとファリンくらいよ」
話しかける時の数百倍、肯定するのを躊躇したリオンが、永い逡巡の末に返した答えや、そのあとの純真な反応に渋い顔をするところまで自分とそっくりだった。呆れた様子のアルの傍で、ティアが仲良し姉弟を見る姉のような微笑ましい笑みを浮かべているのが、ミリルとしては物凄く癪だった。
「君のことは仲間から話を聞いてるよ。……君のお父さんからもね」
「あ…………」
だが自己紹介が終わった途端、いきなり核心を突いたリオンに、周囲で様子を見守っていた面々の表情が曇った。
そして憧れのリオンに出会えて、少しだけ明るさが滲み始めていたウィンの表情に再び大きな影が差す。そのことに焦ったのか、ディーノがリオンへ文句を言おうとしていたが、それはミリルが止めた。
確かに、今のウィンに父を失ったという辛い現実を改めて思い出させるのは残酷かもしれない。
だが何の考えも無く、あのリオンがそんな選択をするとは思わなかった。
「……お父さんのことは、残念だった。彼と会ったのはほんの数回だけだが、ホントに優しいお父さんだったんだろう。そんな大切な家族を失った君の悲しみは、俺にもよくわかる」
聞く者が聞けば、「お前に何がわかる!」とでも言い返されそうな言葉。
だがリオンの声から確かな哀愁の念を敏感に感じ取ったのだろう。ウィンは俯いていた顔をわずかに上げ、リオンの方へと向く。
「俺達黒の翼は、全員が同じ孤児院出身だ。俺とミリルは赤ん坊の頃からだが、他の四人は物心ついてから孤児院に来た。色々事情は異なるが、広い意味では君と同じ境遇と言えるだろう」
リオンの口から語られた内容は、冒険者の間でも知られていないものだ。ギルドは知っているだろうが、冒険者の私的な情報をギルドが漏らすはずもない。
その話を初めて知ったディーノは目を丸くしてミリル達を見回し、ウィンは戸惑うように整った眉を下げていた。
「その孤児院には、俺達以外にも親を失った子供達が大勢いた。そんな子供達を見守り、育ててくれていた先生もいた。親を知らない俺とミリルにとっては、先生が母さんだった。ティア達にとっても、先生はもう一人の母親と呼べるくらい大切な人だったと思う。みんな優しい先生が大好きだったよ。孤児院にいた他の子達も、血の繋がりは無いが、みんな大事な兄弟で、孤児院は俺達にとっていつか帰るべき大事な家だった」
リオンは昔を懐かしむような声で、黒フクロウの家について語っていく。
その境遇はともかく、語る内容やリオンの口調はどこか温かみを感じさせるものだ。幼いウィンやディーノは、全ての話が“過去形”で語られていることにも気付かない。話の意図が分からないのか若干の戸惑いを滲ませながらも、表情を緩めていき――
「だけど、それらは全て奪われた。突然起こった火事で、全てが燃え尽きてしまった」
――リオンの放った言葉で、彼らの表情も凍り付いた。
「残った家族は、ここにいる六人だけだ。大好きだった先生も、まだ幼かった弟妹達も、帰るべき家も、もうこの世界のどこにもいない」
そう語るリオンの声は落ち着いてはいるものの、どこかを陰を帯びているようだった。リリシア先生達の復讐は遂げたが、やはりその当時のことを思い出せば胸にこみ上げてくるモノがあるのだろう。
もちろんそれはミリル達も同じだが。
ウィン達にはさすがに火事の理由まで語らなかったが、それでも話の内容は幼い子供達が受け止めるには少々重過ぎたようだ。ましてや彼らはつい先日、大切な人を失ったばかり。リオンの内に渦巻く感情までは察せずとも、何かを敏感に感じ取ったのか、あるいは自分達と同じかそれ以上の喪失に心を痛めたのか、先程よりも沈んだ顔を俯かせてしまっている。
そんなウィンの様子に、リオンは先程まで浮かべていた真剣な表情を消し、優しく穏やかな笑みを浮かべると、ウィンの頭にそっと手を乗せる。
「すまない。暗い気持ちにさせるつもりじゃなかったんだ。ただ、君は一人じゃないってことを知って欲しかった」
「一人じゃ、ない?」
リオンの纏う空気が変わったことを、目が見えないながらも感じ取ったのだろう。まだ表情は晴れないながらも、ウィンは真っ直ぐにリオンの方へ顔を向けてリオンの言葉を繰り返す。
「ああ、そうだ。確かにお父さんは、君にとって唯一の肉親だったんだろう。俺には血の繋がった家族はいないが、それでも大切な人を喪う悲しみはよくわかる。だが、俺にとって黒の翼の仲間がいるように、君にとって大切な人は、お父さんだけではないんじゃないか?」
「大切な、人……」
「そう。そしてきっとその人達も、君のことを大切に思っているはず」
「ボク、を……?」
まるで自分の心を探るように、そう呟くウィン。
だがウィンが自身で答えを出すよりも早く、小さな手がウィンの手を握った。
「……ディーノ?」
「ああ、オレだよ」
力強く握る小さな手の感触から相手を推察したのか、ウィンが戸惑いながら問い掛ければ、ディーノが当たり前だとでも言うようにニカッと笑って返事をする。
オレがいるだろ、と主張するようにその手を握る親友にウィンが驚いていると、今度はその肩にそっと手が置かれた。
「坊ちゃま、私達もおりますよ」
ずっと事の成り行きを見守っていた使用人の女性だ。まるで本当の母親のような慈愛に満ちた表情で、ウィンを優しく見つめている。
二人の行動に、ウィンはどうしたらしたらいいかわからないといった表情で、キョロキョロと顔を動かしている。
そんな光景を微笑ましそうに見つめていたリオンが、再び口を開く。
「家族を失った悲しみは、そう簡単に癒えるものじゃない。今はまだ俯くのもいいさ。お父さんを想って、涙を流すのも仕方ないだろう。でもその後には、他の大切な人達のことも思い出すと良い。俺達もそうすることで、しっかり前を向くことができた。だから君もきっと、いつかは前を向いて生きていける。君のお父さんも、きっとそれを望んでいるはずだ」
ゆっくりと、だが力強く、ウィンの心に届くように語られたリオンの言葉。
その言葉の意味が浸透するのに、少しの時間を要したのだろう。ウィンは少しの間、リオンと向かい合ったまま動くことはなかった。
だがやがてその小さな肩が震え始めると、ウィンは何かを堪えるように唇をギュッと引き結んだ。そして再び顔を俯かせると、しゃくりあげるような声を零し始める。
そんな幼い少年を慰めるように、リオンがそっと手を伸ばし、ウィンの頭を優しく撫でる。
それがきっかけになったように、ウィンの細い膝の上に、涙の粒が零れ落ちた。
リオンの言う通り、ウィンの悲しみがすぐに癒えることはないだろう。たった一人の家族を失ったのだ。これから先も、色々と辛い現実が待っているかもしれない。
それでも今流れているこの涙は、決して冷たく悲しいものだけではないだろう。
そしてこの涙が止まり、再び顔を上げた時には、この子もきっと前を向ける。
たとえ目が見えなくても、顔を上げさえすれば近くにいる大切な人の存在を感じられるはずだから。
(この子はこれで大丈夫かしらね……まぁウェスターとの約束もあるし、少しは気に掛けとくとしましょうか。まぁあたしが気にしなくても、こいつらが勝手にやっちゃうだろうけど)
静かに涙を流すウィンを囲んでもらい泣きする仲間達を前に、ミリルは微苦笑を浮かべて肩を竦める。
ふと横を見ると、いつの間にかティアと場所を交代していたリオンが隣に来ていた。役目は終えたと考えたのか、さりげなくウィンを中心とした輪から抜け出していたようだ。
そして自分と同じく肩を竦めて苦笑いをするリオンと目が合った。きっと今の自分と全く同じことを考えていたのだろう。ホント、どこまでも似た者姉弟ということらしい。
それがおかしくて再び苦笑いを浮かべると、そんなタイミングまで全く一緒になった。
「何ニヤニヤしてんだよ、姉ちゃん達は?」
少し離れたところで互いに見つめ合って笑う二人に、ディーノが怪訝な顔で首を傾げている。どうやらウィンが少し落ち着いたのを見て、こちらへやってきたらしい。ウィンはティアがあやしているが、先程までとは違い、わずかながら笑みのような表情も見られる。おそらくもう大丈夫だろう。
「こっちの話よ。で、何か用なわけ?」
「何か用って、オレ、まだ姉ちゃんから答え聞いてないんだけど……」
「ああ、魔銃の扱い方を教えろって話ね」
ウィンから離れてミリルの傍へ来た理由を訊ねれば、ディーノが拗ねたようにミリルへジト目を向ける。
先程ディーノが言っていたもう一つのお願いを思い出し、ミリルは思案するように視線を宙に向けた。
ディーノが魔銃を使いたいと願う理由は理解した。この子の境遇や目的を思えば、力になってあげたい気持ちもある。
だがミリルの魔銃は、ディーノの最愛の父を殺したものでもある。父を殺した魔銃の使い方を、殺した張本人が教えるというのはどうなのだろう。
それに……もしもディーノがいつか、父の死の真相を知ったとしたら……
その銃口が、ミリルや大切な家族に向けられる可能性も……
「大丈夫だよ」
そんな懸念を覚えて躊躇するミリルの耳に、そんな真っ直ぐな言葉が届いた。
その声に引き寄せられるように視線を下ろせば、真剣な目をしたディーノが真っ直ぐにこちらを見詰めている。
「魔銃が危ない武器だっていうのはわかってるよ。でも父ちゃんとの約束を守るためにも、オレは強くならなきゃいけないんだ。絶対に変なことに使ったりしないって約束するよ。だからちゃんとした魔銃の使い方と戦い方を教えて欲しい」
真摯にそう訴えてくるディーノ。真っ直ぐにこちらを見つめる瞳に宿るのは、大切な誰かを守りたいという強く熱い想い。その想いがこの子の優しい心根から来ることは、ミリルにも十分伝わってくる。
きっとこの子ならば、自分達のように憎悪と怒りに囚われて、復讐に走るようなことはない……そんな気がした。
ミリルがそう感じたように、すぐ傍でその話を聞いていたリオンも、いつの間にかウィンの傍を離れてこちらに来ていたジェイグも、同じ結論に至ったのだろう。二人の背中を押すような視線を、確かにミリルは感じていた。
「……ったく、しょうがないわね」
故に、ミリルは降参だとでも言うようにため息とともに肩を竦めたあと、視線を逸らすことなくこちらを見つめるディーノを真剣な表情で見据える。
「この町にいる間だけよ。ただし教えるからには厳しく行くわ。泣き言言ったら容赦なく放り出すから、覚悟しなさいよ」
少し脅すような声色と眼光で、そう告げるミリル。
しかしそんなミリルの威圧に臆するどころか、望むところだとでも言うようにディーノは笑みを浮かべると――
「はい、師匠!」
――姿勢を真っ直ぐに伸ばして、元気よくそう答えた。そこには信頼や親愛と共に、確かなミリルに対する敬愛の念が感じられた。
その予想外の返事と、自身を呼んだと思われる呼称に、珍しくミリルが狼狽した表情を浮かべる。
「な、何よ、その師匠ってのは?」
「え? だって戦い方とか魔導具の扱いを教えてくれるのに、姉ちゃんって呼ぶのはおかしいでしょ? 先生だと、学校の先生みたいだし」
「だからってそんな呼び方は……」
どことなく落ち着かない様子で視線を彷徨わせるミリルに、ディーノが首を傾げている。ディーノの前ではいつも強気な態度しか取ってこなかったので、歯切れの悪い様子に違和感を覚えているのだろう。
「何だ、アレ?」
「あそこまで純粋に懐かれる機会、あまり無かったからな。照れてるんだろう」
「あんな偉そうなこと言ってたくせに……」
「可愛いニャア」
そんな様子を見ていたジェイグとリオン、さらにはいつの間にか合流していたアルやファインが生温かい視線を向けてくる。
「うっさいわよあんた達!」
「「「「照れるなよ師匠!」」」」
「っ、このっ!」
そんな視線にイラ立って文句を言えば、ニヤニヤとした笑みを浮かべながらキレイに声をハモらせる四人。
ミリルの怒りは一瞬で頂点へと達した。
「丁度良いわ……せっかくだからこのガキんちょの前で、あんた達を相手に魔銃の使い方を実演してあげるわ……」
「やべぇ、マジで銃抜きやがった!」
「ミリル姉のあの目は本気だ!」
「仕方ない。撤退するぞ」
「了解ニャ!」
「待ちなさい、このバカ共!」
観光都市のど真ん中で、容赦なく二丁の魔銃を抜いたミリルを前に、リオン達四人が即座に逃亡を図った。ちゃんと一般人を巻き込まないように、全員が建物の屋根へと跳び上がっている。
そんな逃げ出した連中を、憤怒の形相で追いかけるミリル。その顔が怒り以外の理由で赤くなっているのに、当の本人は気付いていない。
「ちょ、ししょ~!? 建物の上で実演されたって見れないよ~!」
ドンドンと離れていく銃声を、慌てて追いかけるディーノ。町中で銃撃戦を始めたミリル達を平然と受け入れてそんなことを叫ぶ辺り、彼がミリルに弟子入りしたのは間違っていないのだろう。
正直その感性は、仲間達からすれば将来が不安になるものなのかもしれない。
それでもミリルを追いかけて街の中を走るディーノの表情は、照り付ける太陽に負けないくらい明るいものだった。
なおその後、ミリルとリオン達の追いかけっこは、「いい加減にしなさ~い!」というティアのお叱りの声を以て終了した。
当然、悪ふざけをし過ぎた黒の翼の五人が、仲良くティアのお説教を受けることになったのは言うまでもなかった。
ここまで拙作にお付き合いくださり、誠にありがとうございます。
『黒の翼 異世界の空』の第四章は、これにて完結となります。
第四章は黒の翼のメンバーの中でも、ミリルの内面に触れるようなお話であり、私としてもずっと書きたいと思っていたお話でもあります。
また主人公であり、黒の翼のリーダーでもあるリオンが序盤で離脱する中、他のメンバーがどう動くのかというの描いております。
第一章でミリルが抱いた決意や覚悟を掘り下げるということで、かなり終盤は暗い展開となってしまいましたが、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
また序盤の方で、今回の事件とは全く関係ないワンシーンがありましたが、それはまた先の章で関わってくることになります。
最初は次章でその話を書こうと思っていたのですが、それだとミリルにスポットを当てた話が続いてしまうため、もう少し後の章にしようかと思います。
紛らわしいことをして申し訳ございませんが、気長にお待ちいただければ幸いです。
なお次章の構想と致しましては、家なき子であるリオン達黒の翼が、新たに活動の拠点となる家を作るお話にしようかと思っています。
あくまで冒険の舞台は空であり、自由気ままに魔空船を駆るのが彼らの生き方とはいえ、やはり帰る家があるのは大事です。
また四章が暗い話だったので、次章は少し明るく、かつ魔物相手に大暴れする痛快な話にしたいなぁと思っています。
まぁ四章が、というよりは全体的に重い話多めな気もしますが……
一章ごとに随分と間が空いてしまい大変申し訳ございません。
でも某ハンター漫画よりはマシ……いえ何でもありません。
また忘れた頃に投稿を開始することになると思いますが、気長にお待ちいただければ幸いです。