エピローグ1 ~希望の種~
「――以上が今回の件で俺達が知る限りの情報です」
ミラセスカギルドマスターの執務室にて、リオンが話を締めくくった。
魔物と化したディーター・オルカ氏を見送った数日後、リオン達黒の翼の一行はギルドマスターであるオラルドの元を訪れていた。要件は、平和なミラセスカの裏で起こっていた観光客誘拐事件、さらにその奥で行われていた人間と魔物の合成実験の顛末を報告するためだ。
事件発覚からすでに十日以上が経っている。その間、ギルドもリオン達も後処理に追われていた。もちろんこれまでにも一通りの報告は行っていたが、事件の重大さとその危険性、秘匿性の高さから、大々的に対応が取れなかったこともあり、色々と時間がかかってしまったのだ。よって現在、後処理も含めた対応報告も兼ねて、改めてギルドマスターの元を訪れたと言う訳だ。
ちなみにこの場には黒の翼の六人とオラルドの他に、シスト商会会長と副会長であるオリヴァルドとレフィーも同席している。正式な契約はまだだが、シスト商会と黒の翼が専属契約を結べば、リオン達は自分達の得た情報をシスト商会に報告する義務が生じるからだ。
また二人はミラセスカ市長の息子と娘であり、オリヴァルドの方は市議会の議員も務めている。今回の件は、事件の内容からその黒幕も含めて、ミラセスカの都市全体を揺るがすような大事件だ。そのためギルドだけでなく、ミラセスカの政府としても情報を把握する必要があった。
なお本来は市長が同席するべきなのだが、現在は外交のため不在となっている。
「それにしても……やはり信じられませんね。まさかあのシェッツダード氏が今回の一件の真犯人だとは……」
報告書を机に置いたオラルドが、眼鏡を外して眉間を揉み解しながら小さく息を吐いた。
今回の事件の黒幕であるウェスター・シェッツダード氏は、ギルドにて身柄を拘束されている。すでに何度も事情聴取が行われており、ウェスターも素直に反抗の内容を自白しているが、オラルドとしては未だに驚きが拭えないようだ。
「彼ほどの人格者が……息子さんのためとはいえ、やりきれないね」
「ええ……ウィンさんのことは、息子としても、奥様の忘れ形見としても、とても大切にされていましたから……その想いが、こんな形で表れてしまったのはとても悲しいことですわ」
そしてそれは同席しているシスト商会の二人も同じらしい。お互い大きな商会を束ねる者として、またミラセスカの発展に貢献してきた者として、ウェスターとはかなり親交もあったと聞く。互いに暗い顔を俯かせ、嘆きの言葉を漏らす。
そんな三人の様子を見ている黒の翼のメンバーの表情も、同様に暗い。リオン自身はあの実験場での邂逅が初体面であったが、さすがに当の本人から直接事情を聞かされた身としては、少なからず思う所はある。息子であるウィンとも面識のあるティア達は、なおのことショックだっただろう。
「……それで、シェッツダード商会は今後どのように?」
少しの間を置き、彼らの気持ちが落ち着いたころを見計らって、リオンが口を開く。今回の事件に、彼の商会全ての人間が関わっていたわけではない。何も知らず、ただの従業員として商会やこの町、そして自分や家族のために働いていた者も大勢いる。ウェスター達がしたことは決して許されることではないが、その余波が無関係の人間にまで及ぶことは避けなければならない。悲しみに暮れるのも仕方ないことだが、今は無理にでも気持ちを切り替えて前を向く必要があるだろう。
もっともその処置についてリオン達が口を挟む余地は無い。ただこの事件を終結させた当事者としては、そういったことについても把握しておきたかった。
それに……ウェスターの最後の頼みの件もある。彼の商会の行く末はその件にも深く関わってくるだろう。
「シェッツダード商会については、我々シスト商会の傘下に入ることになったよ。彼の商会はミラセスカの建築のほとんどを引き受けていた。現在、建築を進めている施設や建物がいくつもある。その商会が解体となると、ミラセスカの運営にも影響が大きいからね。元からの従業員については、一通りの身辺調査を行い、何も問題が見つからなければ引き続き雇用を継続することになると思うよ」
「シスト商会がシェッツダード商会を買い取った、ということですか」
「そういうことになりますわね。一人息子であるウィンさんに相続するという話もあったのですが、まだ幼いウィンさんでは商会の運営は不可能です。ゆえに、一先ずはこちらで引き取らせて頂くことにいたしましたの。今後、ウィンさんが商会の運営に関わりたいと仰った場合は、経営学を学んで頂いた後で、然るべき立場に配置することも考えていますわ」
リオンの問いに、オリヴァルドとレフィーが丁寧に答えていく。
シスト商会程の財務および経営基盤があれば、シェッツダード商会を買い取って運営していくことも可能だろう。シスト商会としても、建築業界の最大手を傘下に置くことはメリットが大きい。無理やり買収したのであれば従業員からの反発も懸念されるが、今回の一件を考えれば、それも問題ないだろう。
「ウィン君については……」
リオンの隣に座るティアが、心配そうな声を上げる。幼い頃に母を亡くし、今回の件で唯一の肉親である父親をも失うことになった少年。目も見えず、歩くことさえできないハンデを背負ったウィン少年の処遇については、ティアとしてはずっと気掛かりだったのだろう。
「彼については、元々彼付きの使用人がいたからね。引き続き我々の方で彼女達を雇用して、彼の面倒を見てもらうことにしたよ。まぁさすがにあの大きな屋敷を彼一人のために維持するというのは難しいから、どこか別の場所に移り住んでもらうことにはなるだろうけどね」
「シスト商会でもいくつか孤児院を運営していますから、そのどれかに入ることになるかと思いますわ。今は各孤児院の状況を確認中ですが、近日中には入居先をお伝えできるかと」
オリヴァルドとレフィーの説明に、ホッと胸を撫で下ろすティア。ウィン少年と面識のある他の三人も、安堵の表情を浮かべている。
父親であるウェスターが事件を起こしたとはいえ、その息子であるウィンに罪は無い。今回の事件は、魔物との合成技術漏洩を防ぐためにもギルドの方で情報規制が行われている。そのため事件が公にされることはない。
ウェスターや実験に加担した商会員についても、業務中の事故死という形で早い段階で処理された。実際のところ彼らはまだ生きていて、現在全員取り調べ中だが、いずれ秘密裏に処刑が行われることは間違いない。だがそれを待っていては、行方不明の期間が長くなってしまうため、前もってシェッツダード商会が自己責任を問われないような形での事故偽装が行われる運びとなった。遺族には、ギルドが用意した偽の情報が教えられることになる。
そんな中、ディーターの妻であるアキノが唯一の例外だ。ディーターとディーノを会わせるために、特例で魔物合成の件は知らせてある。
もっとも彼女にもウェスターの情報までは知らされていない。狂った科学者の一味が、イカれた実験を行った結果とだけ伝えられている。もちろんしっかりと守秘義務と監視を課したうえでだ。
「また、実験の犠牲になった方の遺族にも、都市の方から慰霊金が支払われることになっています。もっともそのほとんどは、押収したシェッツダード氏の個人資産ですが」
オラルドがオリヴァルド達の説明を捕捉するように、そう告げる。
その言葉に真っ先に反応したのは、ミリルだった。言葉を発することは無かったが、狼耳をピクリと動かしてオラルドの方へ視線を向ける。
遺族の中には、当然ディーターの家族であるディーノやアキノも含まれる。お金をもらったところで家族を失った悲しみが癒えるわけではないが、それでも一家の働き手を失った母子が今後生活していくには必要なものだろう。
そんなミリルの反応に気付いたのだろう。オリヴァルドは、その端正な顔に優しい笑みを浮かべてミリルへと視線を向けた。
「オルカ母子については、今後生活していくうえで働き口は必要だろう。幸い、オルカ夫人については結婚前に接客経験がある。働いていた店での評判も良かったみたいだしね。シスト商会が運営する店舗で、人手が足りていないお店を紹介しようと思っている。ディーノ少年も我々が運営する学校の生徒だしね。教師達にも気を配るように伝えておくよ」
「……そう」
オリヴァルドの説明に、ミリルが短く返事をして視線を逸らす。素っ気ない態度ではあるが、この場の誰よりも安堵しているのは黒の翼メンバーの誰もが理解している。
「……ディーノさんも皆さんに会いたがっていると思います。もうすぐ長期休暇も終わって学校が始まりますが、こちらにいらっしゃるうちは、ぜひ顔を見せてあげてください」
そしてそれは商人としての観察眼に優れたオリヴァルドやレフィーもわかっているのだろう。レフィーがやや躊躇いがちな笑みを浮かべて、ミリルに話を振る。
「……気が向いたらね」
それに対しても相変わらず素っ気ない態度を取るミリルだが、先よりも声が重い。その理由についてもこの場の全員に心当たりがあるため、それ以上彼女に言葉を掛けることは無かった。
(まぁ事情があったとはいえ、殺した相手の息子とは顔を合わせ辛いよな)
ミリルの様子を眺めていたリオンが、内心でため息を吐く。
リオンは一度しか会っていないが、あのディーノという少年に対してミリルが負い目を感じているのはわかる。それはリオンも、ウィンという少年に対して少なからず感じているものでもあったからだ。
父親を捕らえ、処刑へ追い込んだのはリオンだ。ウェスターは犯罪者であり、リオンに一切の非は無いとはいえ、心情としては正直あまり顔を合わせたくなはい。自分に対して強い憧れを抱いているらしく、父を失ったショックで塞ぎ込んでいるため、レフィーなどからは会って励ましてあげて欲しいと言われているが、事後処理の忙しさもあって実現せずにいる。
ミリルの性格を考えれば、ディーターを殺したことに思う所はあれど、後悔はしていないだろう。ミリルの覚悟や決意が固いことは、誰よりもずっと近くで見てきた自分が良く理解している。それはディーターの殺害を名乗り出た自分を拒否したときの態度からも、容易に想像がつく。
あの日から今日まで、ミリルに特に変わった様子は見られなかった。いつも通り家族と戯れながらも、ギルドの研究員と一緒にあの研究施設の魔導具分析を行った。合成実験に使われた魔導具を分析し、ビースピアで発見された転移魔術のものと思われる魔術陣の片割れを発見して狂喜乱舞し、寝食も忘れて研究に没頭した挙句、ティアにお説教される。いつも通りのミリルだ。
だがリオン達からしてみれば、それがミリルの強がりであることは一目瞭然だった。家族である黒の翼の面々に――特にリオンに対しては、決して弱い姿を見せないように無理をしているのだろう。研究に没頭することで、暗く落ち込んでいきそうな感情を誤魔化しているようにも見える。
皆もそれとなく声を掛けたり気を遣ったりはしているのだが、頑固者のミリルは頑なにその態度を崩そうとはしない。
もっともミリルがそんな態度を取る最大の要因が自分に――五年前の一件にあることは、薄々感づいてはいる。あまり自分が気を遣えば、ミリルはさらに気を張ってしまいかねない。だからこそ今回の件でミリルが無理していることがわかっても、あまり踏み入っていくこともできないのだが。
(まぁミリルなら自力で乗り越えるとは思うが……)
家族として心配はしているが、リオンとしては信頼の方が勝っている。わざわざリオン自ら、過度に気を回す必要は無いだろう。
(それに……お節介な連中もいるしな)
オラルドやオリヴァルド達の話を聞きながらも、チラチラとミリルの様子を気にする心配性達を視界の端に収め、リオンはその件への対応を保留する。
そうして話し合いは進み、ギルドとしての今後の対応についてオラルドから通達される。
人間と他生物の合成技術については、一級機密情報として扱われることになった。それはギルドで最も厳重な機密保持規制が課せられ、それらの情報はギルド本部の最重要機密保管庫に保存されることになる。リオン達にも守秘義務が課せられ、万が一情報を漏らした場合、最悪ギルドから刺客差し向けられ、処分の対象になる可能性がある。
もっとも技術的な話を理解しているのは、六人中ミリル一人だけだが。
なおアキノのような一般人には、ギルドから監視が付けられている。リオン達に監視が付かないのは、これまでの実績による信頼があるためだ。
さらに事件自体も機密情報扱いとなるため、今回の事件についてはギルドからの昇級ポイント付与の対象とはならない。報酬は支払われるが、そちらも口外禁止だ。報酬というよりは、口止め料と言う方が正しいかもしれない。
なおギルド内での研究が進み、家畜や植物などの品種改良“のみ”に流用できそうな技術が確立すれば、ギルドを通して世界に公表されることになっている。
またビースピアや研究所で発見された転移アーティファクトについては、技術協力という形でギルドからミリル個人に直接依頼があった。ギルドの研究部門とは別の視点から解析を進めて欲しいとのことだ。
その他にも細々とした通達や報告を交わしたのち、話し合いは終了となった。
「では、俺達はこれで」
「ああ、ご苦労様。そうそう、事件は解決されてしまったが、我々としては君達との専属契約の話は進めたい。色々あって遅れていたが、契約条件の交渉については追って連絡するから」
席を立ったリオン達に、オリヴァルドが告げる。それに了承の意を返すと、リオン達は執務室をあとにする。
「ああ、そういえば……」
だが扉に手を掛ける直前、オラルドが何かを思い出したように声を上げる。
「今回の事件と直接関係は無いんですが……ビースピアでの調査で面白い発見があったそうですよ」
「発見、ですか?」
中指で眼鏡の位置を調整しながら、表情を変えずにオラルドがそんなことを口にする。あの島での調査結果なら、ギルドを通して定期的に報告を受けている。ビースピア発見の当事者であり、ビースト達側の代表としてギルドとの交渉に立ったリオン達には、それを知る権利があるからだ。
だが今のところ、リオン達の興味を引く発見は報告されていない。ということは、ここ数日の調査で新たに上がってきた情報ということだろう。
しかしそれを今この場で、わざわざギルドマスターの口からリオン達に伝える理由がわからず、内心で首を傾げながらも話の続きを促す。
そしてオラルドの次の言葉を聞いた瞬間、その内容に驚愕することになる。
「動植物研究班からの報告にあったのですが、ビースピアで見付けた新種の植物の成分に、機能不全となった神経細胞を活性化させる効果があることが判明したそうです」
「っ!? それは……」
思わず息を呑み、驚きの声を漏らすリオン。ミリルやティアも、その意味を理解したらしく、リオンと同様の反応を示している。
反対に、オラルドの話を理解できない他の三人は、キョトンとした表情で首を傾げていたが、リオン達が解説をするよりも早く更なる情報がオラルドの口からもたらされる。
「もっとも、それだけでは完全に失った身体機能を回復するのは難しいそうです。でも今回の合成実験の技術と併せれば、それも実現する可能性もあるかもしれません」
「つまり、ウィン君の目と足も……」
「ええ、治療できるかもしれません」
最初の発言の意味は分からなくても、その後に続いた言葉の意味は全員が理解したのだろう。思わず口を開いたティアの問いに対するオラルドの返答に、黒の翼の全員が言葉を失った。
「ただあくまで可能性があるとわかっただけです。それに研究にはかなりの時間を要するでしょう。数年、あるいは数十年か……」
確かに、それだけの革命的な研究が、簡単に達成できるはずもないだろう。
それでも、あの子が光を取り戻し、自分の足で歩けるかもしれないなら……それは確かな希望の種となるだろう。
そしてそれは、あのウェスターが協力した研究が、結果として最愛の我が子の希望に繋がったということでもある。
「もちろん現段階では情報規制が掛けられますし、あくまで可能性の話ですので、ウィン少年には伝えられませんが……」
それは当然だろう。機密情報が関わる問題であるし、実現が確実ではない希望を伝えてぬか喜びさせるのは酷なことだ。ある程度研究が進んで実現の目途が立ち、情報が公にできる段階になるまでは、知らせるべきではないだろう。
だが……
「……ならせめて、ウェスターさんにだけは伝えてあげてくれませんか?」
それが処刑を前にした人間相手なら、話は別だ。
もちろん獄中とはいえ、どこから情報が漏れるかわからない以上、迂闊にこの話を伝えることはできないだろう。知らせるなら、処刑の直前ということになるはずだ。
彼の研究は数多くの無実の人間の命を奪い、多くの人の人生を狂わせることになった。たとえ愛する息子のためとはいえ、決して許されることではない。その被害者や遺族の気持ちを考えれば、大罪人として絶望の内に処刑されることが自然なのかもしれない。
だが、それでも……
たとえ許されざる命だとしても……
それでも、少しくらいは報われてもいいのではないか。
最後の瞬間に、たった一つ希望を与えられるくらいは許されてもいいのではないか。
そんなこちらの想いを代表して、ティアがオラルドに嘆願する。
「ええ、伝えておきましょう」
オラルドとしても、ウェスターの境遇には少なからず思う所はあったのだろう。これまでと違う裏表のない穏やかな笑みで、了承の言葉を返したのだった。