真相と慟哭
ウェスター・シェッツダード。
観光都市ミラセスカがまだ海洋都市と呼ばれていた頃から、この町の建築のほとんどを引き受けていたシェッツダード商会の三代目の会長だ。亡くなった祖父や父に代わり商会を、そして今もなお発展を続けるミラセスカを支えている。
人間的にも大変できた人物だと評判も良く、都市内でも彼と親しい人物は多い。シェッツダード商会を立ち上げ、都市内でも有数の商会へと導いた祖父には少々傲慢なところもあったが、彼にはそんな部分は少しも無い。物腰も柔らかく、目下の者にも分け隔てなく優しく接する。それでいて商会の長としての指導力や商才にも恵まれており、彼を慕って商会に入る者も多かったという。
またプライベートの方でも、愛妻家であり、子煩悩な面があった。仕事には必ず愛妻弁当を持ってきては部下に自慢をし、多忙な身の上でありながらもほとんど毎日家に帰り、家族との時間を確保する。休みの日には、子どもを抱いて妻と一緒に公園を歩くウェスターの姿があったという。
だが、そんな公私ともに順風満帆な彼の生活は、ある日突然崩れ去った。
その日は、海からの風が強く吹き付ける日だった。
新たに建てられる観光施設の建築が始まって少し経った頃。ウェスターは幼い我が子を抱いた、愛する妻に見送られて、朝早くからその建築現場の視察に出掛けた。シェッツダード家のいつもの朝の風景である。
しかし、その日は一点だけいつもと異なる部分があった。
いつも妻が用意してある弁当を、鞄に入れ忘れていたのだ。
妻の弁当をいつも楽しみにしているウェスターにしては、滅多にないミスである。シェッツダード家の使用人の一人が机に置いたままの弁当に気付いたのは、夫を見送ってから一時間ほど経った後だった。
そのことを知った妻は、良い機会だからウィンに父の働く姿を見せようと思い付いた。家でいつもニコニコ優しいパパも素敵だが、何人もの部下と共にミラセスカの町のために働く、カッコ良いパパを我が子にも見せてあげようと。
そう考えた妻は、代わりに届けるという使用人の申し出を断り、幼いウィンを連れてウェスターの仕事現場へと向かった。
そうして辿り着いた建設現場で、悲劇は起こる。
突如吹き荒れた突風に建材の束が崩れ落ち、夫を見つけて駆け寄ろうとしていた母子を下敷きにした。
手を振るウェスターの、目の前で……
その後、建材の下から引き出された妻に既に息はなく、妻の腕の中にいた息子も重体だった。
悲しみに暮れるウェスターだったが、それでもどうにか一命をとりとめた息子に安堵する。
だが数日後、そんなウェスターに追い打ちをかけるように、意識を取り戻した息子には非情な現実が待っていた。
両足を重たい建材に押し潰されたゆえの歩行障害。そして頭部を強く打ち付けたことが原因となり、ウィンの両目からは光が失われていた。
愛する妻を喪い、息子は大きな障害を二つも負ってしまった。そんな現実と我が子の将来を嘆き、絶望から心中を考えたことさえある。
だがウィンの命を守るように腕の中に抱えていた妻の遺体を思い出し、落ち込む自分を元気づけようと、あるいは労わるように献身的な世話をしてくれる部下達のお陰で、どうにかそれを思い留まることができた。
そうして少し時間はかかったが、しっかり気持ちを切り替えたウェスターは、自分の残りの人生を、ハンデを抱える我が子の幸せのために使うと誓った。仕事を辞めるわけにはいかなかったが、ウィンと一緒にいる時間を増やし、男一人では気が回らないところもあるだろうと、使用人も新たに雇った。部下も率先して協力してくれたため、仕事に大きな影響を与えることは無かった。
歩けもせず、目も見えないため、なかなか家を出ることもできない息子を不憫に思ったが、そんな境遇の中でもウィンは心優しく、明るく育ってくれた。家に帰れば元気に出迎えてくれる我が子の笑顔を見れば、仕事の疲れも妻を喪った悲しみもすべて忘れることができた。
やがて大きくなったウィンは、いつからか冒険者に強い憧れを抱くようになった。目が見えないウィンの楽しみの一つが、自分や使用人が読み聞かせる本。それらの中には勇者が魔王を倒す英雄譚や、秘境や異国の大地を旅する冒険譚が多く含まれており、それらを何度も聞いているうちに冒険者に興味を持つようになったのだろう。
またある時から頻繁に家の庭に忍び込んでくるようになった、ディーノという友人の影響もあったのだと思う。少々元気過ぎるくらい活発でやんちゃなディーノと交流するうちに、ウィンは前よりも外の世界に強い憧れを抱くようになった。
そんなウィンのために、初めて冒険者ギルドに依頼を出したのは、ウィンが五歳になった頃だったと思う。
依頼と言っても大した内容ではない。ただ数時間、あるいは数日、ウィンに会って、彼らの話をしてもらうだけだ。
話の内容は、当然冒険の話。
おかしな依頼ではあったが、ただ話をするだけでそれなりのお金を稼げるということもあり、かなりの数の冒険者がその依頼を受けてくれた。もちろん、多少話を盛るくらいはともかく、嘘の作り話をされては困るので、ある程度冒険者は厳選した。シェッツダード商会会長の依頼ということもあって、ギルド側も配慮してくれたのか、信用のできる冒険者を紹介してもらえた。また冒険者の方も、自分達の話をキラキラした目で楽しそうに聞いてくれる子どもを相手に、快く自分達の冒険譚を話してくれた。
そうして何度もギルドを訪れ、あるいは冒険者自らシェッツダード家に足を運ぶ日々を繰り返していると、ある日を境にとある冒険者パーティーの噂が彼らの耳に入るようになった。
冒険者パーティー、黒の翼。
メンバーの顔も名前も不明。ただ全員がまだ十代という若さで、パーティーの平均ランクを四級まで一気に駆け上がった新進気鋭の冒険者集団。のちにガルドラッドでの事件を機に、一気に情報が知れ渡ることになるが、その頃はまだ多くが謎に包まれていた。
そんな中でもただ一人、名前、というか二つ名が知れ渡っていた者がいた。
黒の翼の実質的なリーダー、『黒の獅子帝』だ。
彼の功績は、同じ冒険者でも驚き、畏怖する程に優れたものだった。
単身での雪獅子の討伐。パーティーを率いての銀獅子討伐。その他にもバードレオ、ミノタウロス、マンティコアなど、数々の高ランクモンスターを打ち倒し、最年少での冒険者ランク二級昇格記録にあと一歩と迫ったという。その強さと、同レベルの強者達を率いる統率力。噂が大きく広まるのも当然の話だった。
そして、そんな黒の獅子帝に、幼いウィンが特に強い憧れを抱くようになるのも……
その憧れはガルドラッドの一件以降、特に強いものになるのだが、今は置いておく。
そうして黒の獅子帝に想いを馳せるようになったウィンが、悲しげに呟いた一言が、ウェスターの心を激しく揺さぶった。
――どんな顔をしてるのかな……見て、みたいな……
それまで明るい声で黒の獅子帝という冒険者のことを想像していたウィンが、小さくそう呟いたのだ。
そこでウェスターは初めて気付いた――いや、本当は気付いていたのに、見て見ぬふりをしていたのだ。
こんなに冒険者に憧れる我が子が、話を聞くだけで満足するはずがないと。
本当なら、その雄姿をその目に見たいはずだ。その勇敢な顔を、大きな背中を、武器を手に戦う姿を、仲間と共に旅する日々を。
そしていつかは自分も……決して叶うことの無い願いを、その胸に秘めていることに――
その日、ウェスターは浅はかな自身の行いを酷く後悔することになった。
決して届かぬ夢を抱かせるくらいなら、冒険者の話を聞かせるんじゃなかった。
本気で強い憧れを抱く前に、もっと現実的な幸せを探すべきだった。
いや、そもそもあの日、自分が妻の弁当を忘れたりしなければ、妻を喪うことなく、息子もこんな風に悲しむことなど無かったのに……
激しい後悔と、息子への罪悪感に蝕まれる日々。
そしてそんなウェスターの元に、ある日男が訊ねてきてこう言った。
――息子さんの目と足、治してあげたくはないですか? と。
そう言って、狂的な光を宿した笑みを浮かべる男。
それがワドルという堕ちた研究者との出会いだった。
「ウェスタ―さん……どうしてあなたがこんな研究を……」
リオンが知らぬ所長の名を呼んだティアが、先程リオンがしたのと同じ問いを投げかける。その声は、驚きと戸惑い、悲しみと落胆に小さく震えていた。
事情を知らないリオンは、ティア達に話を聞くべきか、成り行きに身を任せるべきか判断に迷う。
それはどうやらファリンも同じようだ。悲しげなティアの顔や、驚きに固まったままのジェイグやアルの顔を不安そうに見つめている。
「この男とは昨日、あんた達が依頼に向かった後に出会ったのよ――」
そんなリオン達の疑問を察したのか、ミリルが簡単な事情を説明してくれた。
ウェスターが、ミラセスカの建築業界で最大の規模を誇る商会の主であること。
ギルドでそんな彼と、彼の息子であるウィンと偶然出会ったこと。
ミリル達がディーノという少年の頼みを聞き、父親であるディーター氏の捜索を引き受けたこと。
そのディーノとウィンが親友同士で、ディーノの家で彼らと再会したこと。
そしてディーター氏が、実験で魔物に変えられていたこと……
やるせない怒りと悲しみを滲ませながら話すミリルの説明を聞き終えたリオンは、「事情はだいたい分かった」と一言だけ告げると、あとは任せるとばかりにミリル達に場所を譲った。リオンとしても聞きたいことは山ほどあったが、ここはティアやミリルに譲るべきだと判断したからだ。
リオンの考えを察したミリルが無言で頷きを返すと、未だ辛そうな表情でウェスターを見下ろしたままのティアの隣に立って、ゆっくりと口を開く。
「最初は驚いたけど、今は納得したわ。ミラセスカの建築物のほとんどを手掛けたあんたなら、都市の施設に隠し通路を作ることも、それをこの研究所へ繋げることも簡単ってわけね」
話で聞いただけだが、確かに彼の商会の力があれば、それは可能だろう。
魔法があるこの世界の建築や掘削の技術は優秀だ。特に掘削に関しては、前世を遥かに上回るだろう。土魔法や魔導具による掘削技術は、凄まじい速度と精度を誇るという。
もちろんそれには十分な人手が必要となるが、先程の職員達の献身ぶりを見る限り、そこに障害はなかったのだろう。彼らならば、たとえ極悪非道な実験施設への道だろうと、喜んで手を貸すはずだ。
そして実験にかかる費用も、大都市であるミラセスカの建築業界を牛耳るほどの規模の商会なら、十分以上に用意できる。
まさにパトロンとしては、これほど最適な人物はいないだろう。
ミリルと同じ結論に辿り着いたリオンは、さらに話を続けるミリルの声に耳を傾ける。
「理由についても想像がつくわ。あの子の……ウィンの目と足を治すため、でしょ?」
ほとんど確信を抱いている声色でそう言ったミリルに、ウェスターは大きく眼を見開いた。どうやら図星だったようだ。
とはいえ、リオンとファリンにはいまいち事情が分からない。そこで近くにいたジェイグに視線で問い掛けたところ、小さな声で答えが返ってきた。
「あのおっさんとこの坊主、事故で足と目をやられちまったらしい。歩くこともできねぇし、目も何も見えねぇんだ」
その説明に、リオンはようやく全ての事情を理解した。
確かに魔物と人の合成なんて技術が進めば、彼の息子の目や足を治せる可能性は出てくるかもしれない。全く異なる生物同士を掛け合わせることができるのだ。研究が進めば、機能を失った部位のみを、魔物の組織で補完することだって可能だろう。
もちろん、その研究を進めるための犠牲に目を瞑ればの話だが……
「ああ、そうだよ……私は、あの子の目と足を治すために、この悍ましい研究にこの手を染めた……彼らを巻き込んだのも、多くの無関係な人間を犠牲にしたのも全て……」
ミリルの問い掛けからどれくらい経ったか。ようやく口を開いたウェスターの声は、深い罪悪感と後悔に押し潰されそうなものだった。
「そのことを、ウィン君は……」
「まさか……あの子は何も知らない。教えるはずもない」
さすがにその子にこの実験のことも、自分の目論見も伝えてはいなかったらしい。自身の問い掛けを否定されたことで、ティアの悲しげな表情の中にわずかに安堵が浮かんだ。
「冒険者に憧れるあの子の夢を叶えてやりたかった……あの子に広い世界を、世界の美しさを見せてあげたかった……外の世界を自由に歩き、走り回るあの子が見たかった……妻が……ランが命懸けで守ったあの子に、誰よりも幸せになって欲しかった……ただそれだけだった……それだけが、私の望みだったんだ……」
大粒の涙を流すウェスターの告白は、子を持つ父親としては当然の望みだろう。子どもの幸せを願わない親など、いるはずがないのだから。
ただそのための手段が、人として許されないものだっただけで……
そんなウェスターの姿に、誰もが悲痛な顔を浮かべずにはいられなかった。
彼のしたことやその犠牲になった人々のことを思えば、決して彼を見逃すわけにはいかない。そして彼をギルドに差し出せば、待っているのは極刑のみ。息子の立場もどうなるかわからないだろう。
それがわかっているからこそ、誰もがウェスターに掛ける言葉を見つけられないでいた。
リオンはそれでも言いたいことはあったが、この件に関してリオンは仲間から事情を聞いただけの立場だ。ウィンという名の息子にも、ディーノとディーターという親子にも会ったことは無い。ゆえにこの件に幕を下ろすのは、自分の役目ではないだろう。どんな結末になろうと、ティアやミリル達が選び、掴み取るべきだ。
やがて、胸が痛むほどの沈黙が続いた後、真っ先に口を開いたのはミリルだった。
「あんたの気持ちはわからなくもないわ。大切な人のために、他の誰かを犠牲にする……あたし達もかつて同じ道を選んだから……そういう意味では、あたし達にあんたをとやかく言う資格は無いのかもしれない」
ミリルの言う通り、リオン達もかつては自分達の復讐のために、無関係な人間を大勢巻き込んだ。自分達の手で殺した者も多くいる。確かにそういう意味では、ウェスター達がやった行動と大した変わりはないのかもしれない。
「でもあたし達には、全員がその罪を背負う覚悟があった。今もそうよ。その罪と向き合い、それでも前を向いて生きてる。たとえいつか、その罪があたし達を裁くようなことがあっても、あたし達は絶対に後悔はしない。その裁きさえ跳ね返して、それでも笑って生きていくって決めてるわけ」
そこまで一息に言い切ると、ミリルは痛みを堪えるようにギリッと歯を食いしばった。両の拳を握りしめ――
「でもあの子は違う!」
リオンが顔も知らぬ男の子を思って、ミリルが叫んだ。宝石のようなオッドアイに怒りと悲しみを滲ませながら……
「あいつにそんな覚悟なんてない! 自分の父親が、自分のために罪を犯して、それを共に背負うことが、あのガキんちょにできるわけない! それも親友の父親まで巻き込んで! あんな純粋で真っ直ぐな眼を向けてくるような子に……何も知らないあのガキに、あんたはとんでもない重荷を背負わせたわけよ!」
普通に考えれば、何も知らない子どもに罪を問うことはできないし、この都市の司法もその子に責任を問うたりはしないだろう。
だがそれとウィンという少年の気持ちとはまた話が別だ。自分のために父親が罪を犯したと知れば、彼自身も罪の意識に苛まれることになる。それがどれだけの彼の心を苦しめることになるか。
それに被害にあった人達やその親しい者達から憎しみを向けられることもあるだろう。被害者の中には、親友の父親もいたという。果たしてその事実を知ったとき、ウィンの心が耐えられるかどうか。
責め立てるミリルの声を、ウェスターはただ静かに聞いていた。ミリルの眼を見上げる彼の顔は、何故かとても穏やかだ。突き付けられる事実に慄くでもなく、反感を抱くでもなく、ただ粛々とその言葉を受け入れているように見える。
「……そうだね。私は人としても、父親としても、最低なことをした。決して許されるようなことではない」
やがて、静かに語り始めたウェスターは、自嘲するような力ない笑みを浮かべて、天を仰いだ。
「本当はわかっていた。こんなことをしても、優しいあの子が喜ぶはずがないと……こんなことはあの子のためなんかじゃない。私のただの自己満足だと」
「っ! だったら、どうしてっ――」
「それでも! ……それでも私には、見てられなかったんだ。冒険者の……黒の獅子帝の姿を一度でいいから見てみたいと笑う、あの子の悲しい顔を……」
思わぬところで自分の二つ名――あまり認めたくないが――が出てきたことに驚くが、ティアやミリル達にとっては既知の事実だったらしい。特に驚いた様子もなく、ウェスタ―の話に聞き入っている。
「それに、この研究には多くの部下を巻き込んでいた! こんな私のために、自ら被検体に志願した者もいる! そんな彼らの献身に応えるためにも、私が途中で研究を投げ出すわけにはいかなかった! たとえ……たとえディーター君を犠牲にしてでも!」
一度多くの人間を巻き込んだ以上、すでに引き返すなどできなかった。身を切るようにそう叫ぶウェスターは、これまでにも良心と罪悪感の間で苦しんできたのだろう。それでも我が子のため、そして自分を慕い、付いて来てくれる人達のために、前に進むことしかできなかった。
「だから君達が……息子が憧れる黒の翼が、ディーター君の捜索を引き受けたと知った時に思ったんだ……ああ、これは天罰だって。息子に望まぬ罪の重荷を背負わせた愚かな男に、神が遣わした断罪者。息子の憧れる英雄が、悪魔の手先になり果てた私を罰するためにやってきたんだとね……」
そう告げて、ここにいる六人の顔を見回すウェスターの顔には、どこかホッとしたような表情が見える。自分勝手だとは思うが、きっと彼も、人の道を外れたまま歩き続ける自分をどこかで止めて欲しかったのかもしれない。自らが裁かれる時を待っていたのかもしれない。
できることなら、そうなる前に自らの手で過ちを止めて欲しかったが……
「……こんなことを言える立場ではないのはわかっているが、一つだけ、頼みを聞いてもらえるかな?」
「……言ってみなさい」
やがて目の前にいるミリルの方へ向き直ったウェスターが、切実な表情でそう切り出す。
ミリルは込み上げる感情を飲み込むように、小さく息を吸った後、ぶっきらぼうに先を促した。
「息子を、守ってくれないだろうか」
「………………」
そう言って両手を床に突き、地に頭を擦りつけるウェスターが口にした頼みは、やはりと言わざるを得ない内容だった。
今回の事件が明るみに出れば、ウェスターは処刑され、二度と息子と会うことは無い。部下も関与していた以上、ウェスター個人の処罰で済むはずもない。シェッツダード商会も解体され、財産も没収されるだろう。そして先のウェスターの話から、母親もすでにこの世にはいないらしい。
つまりウィンは、この事件で商会という後ろ盾も財も、そして家族も何もかもを失うことになる。そんな状態で、まだ幼く、足も目も不自由なウィンが、一人で生きていくのはまず不可能だ。
誰かが手を差し伸べない限り……
面と向かって頼まれたミリルも、側で聞いていたティア達も、もちろんリオンも、予想通りのウェスターの頼みをただ黙って聞いていた。
「勝手を言っていることは重々承知だ。だが今回の件は全て、私が勝手にやったこと。あの子には何の罪もない。こんな愚かな私に似ず、障害を抱えてなお真っ直ぐに育った、純粋で心優しい子だ。そんなあの子が、こんな馬鹿な親のせいで路頭に迷うのはあまりに不憫。どうか……どうかあの子を助けてやってほしい。この通りだ」
確かに、その状況を作り出した張本人が、それを頼むのは身勝手極まりない話だ。
だが同時に、一人残されるウィンという少年の行く末を思えば、すげなくその頼みを拒むことも難しい。
とはいえ、他人の人生に関わる話だ。簡単に引き受けるわけにもいかないだろう。
しばらくの間、頭を下げ続けるウェスターを黙ってみていたミリルとティアが、振り返ってリオンの方へ視線を向けてくる。その目を見る限り、答えに迷い、助けを求めてる、と言う訳ではない。すでに彼女達の中で出ている結論に、リーダーであるリオンの承認を求めているのだろう。
当然、彼女達が考えた末に出した結論なら、リオンにそれを否定する理由は無い。
軽く笑みを浮かべて肩を竦めてみせると、ティアは微笑みを、ミリルは真剣な表情のまま頷きを返してきた。
「私達は世界を旅する冒険者です。一つの場所に留まることはできませんし、危険を伴う旅に、あの子を連れて行くわけにはいきません」
ウェスターの方を振り返ったティアがそう告げると、ウェスターは土下座の姿勢を崩さないまま、肩を大きく震わせた。
「ですが、幸いにも私達はあのシスト商会と専属契約を結ぶ予定です。商会の会長と副会長とは面識もあります。なので、商会の方に、あの子の保護をお願いすることになると思います。この町にいる間は、私達もあの子のことは気にかけておきます。しかるべき場所で、あの子が幸せに暮らせるように」
「あとあんたの所業は知らせないでおいてあげるわ。あのガキんちょが、全てを知っても大丈夫な年になるか、自分で答えに辿り着くまではね」
だが続いた二人の言葉に、ウェスターは勢いよく顔を上げ、驚きの表情でティアとミリルの顔を見上げた。
そうして二人の眼に嘘が無いことを認めると、その目に大粒の涙を浮かべて、再び頭を下げた。
「ありがとう、ございます……」
震える声で二人に礼を告げるウェスター。
こうして、華やかな観光都市の裏側で起こっていた事件は、静かに幕を閉じたのだった。