実験場への潜入
「やれやれ……やっぱり都市の住人を誘拐したのはマズかったかねぇ。まさかこんなに早くこの場所がバレてしまうとは……」
薄暗い部屋の中。壁に映るいくつかの映像を眺めながら、魔科学者ワドルがニヤニヤとした笑みを浮かべる。
見ている映像は、ワドルがいる研究所の一部を映したものだ。研究所内にいくつか設置されている魔導具が監視した映像を、リアルタイムで壁に投射している。
この魔導具は、ここ数年で発明されたものだ。監視装置と映写機を魔導線で繋ぐ必要があるため、あまり離れた場所を監視はできないし、今現在の光景しか映すことはできない。だが、見張りの効率化に繋がると期待され、徐々に世の中に浸透し始めている。
そんな最先端の魔科学技術の結晶に映るのは、四人の男女だ。それぞれ別の場所に二人ずつ。周囲を警戒しながらも、恐れることなく先へと進んでいる。
「ミラセスカの警察ではないね。年が若すぎる。初級か、せいぜい中級の冒険者といったところか……」
明らかに自分を害する可能性のある侵入者達の姿を観察しながらも、ワドルの表情に陰りは無い。怪し気に光る眼には、まるで新たなオモチャを手に入れた子どものような喜びの色が見える。
「そういえば、まだ実験体に子どもを使ったことは無かったな。獣人も混ざっているし、冒険者ということは、身体能力も高そうだ。ぜひとも生かして捕まえたいものだ」
口元をイヤらしく吊り上げるワドルの顔が、映写機の光に照らされて妖しく浮かび上がる。その狂気を孕んだ姿は、まさにマッドサイエンティストと呼ぶに相応しいものだっただろう。
「……彼らを甘く見ないことだ」
そんなワドルに、どこか沈んだ男の声がかけられる。
その男は暗闇の中、部屋の入口近くに立っていた。映写機からの光も届かないため、男の姿は見えない。
だがワドルはその男を警戒することも無く振り返り、興味深そうな視線を向ける。
「おや、所長は彼らのことをご存じで?」
「彼らは冒険者パーティー、黒の翼だよ。全員が十代でありながら、パーティーの平均ランクは三級以上。その内二人は世界でも数少ない二級冒険者だ。独自で魔空船を所有し、メンバーのほとんどがギルドから二つ名を与えられた凄腕だよ」
「ほぅ、それは凄い……」
感心するように呟くワドルだが、そこに危機感のようなものは感じられない。一般人から見れば、二級や三級の冒険者など雲の上の存在だ。出会えば死を覚悟するような魔物を、単身で屠るような連中。それが四人も侵入して来ている。捕まれば死刑は免れない身でありながら、自覚が無いのかとも思える。
ワドルは自身の研究以外のことに興味が無い。同じ研究者やスポンサー以外の人間は、全て実験動物と思っている。現に世間で名が売れ始めた黒の翼の名前も知らなかったし、上級と呼ばれる冒険者がどれほど脅威かも理解していない。
そんなワドルにとっては、世界でも数少ない上級冒険者も、活きの良い実験動物にしか見えていない。今も映像に映る四人を見て考えていることは、どんな実験に使おうか、どの魔物と合成するのが相応しいかといったことだけだった。
「そんな素晴らしい実験体、そこらの連中と同じように使い潰すのは勿体ない。折角なので、これまでの実験結果の試験に利用するとしよう」
「……逃げた方がいいのではないか? 彼らがここにいるということは、すでに都市内外からのルートも発見されたということだ。しかも見張りとして置いていた暗殺者すら撃退してだ。それに合成体もまだ未完成のはず。彼らを捕らえるだけの力は無い」
「大丈夫ですよ。失敗作とはいえ数は揃っていますし、使い道はいくらでもある。心配はいりませんよ」
忠告する男の言葉に聞く耳持つことなく、研究員の部下を呼び出して何かを命じるワドル。
「ああ、そうだ。使う実験体はそうだな……実験体コード『フェイカー』で行く」
そんな魔科学者の姿を横目に、男は映写機が映し出す人物達の顔を眺めながら小さくため息を吐いた。
「やはり、天罰なのだろうな……」
そう呟く声には、深い後悔と諦念の色が滲んでいた。
ミラセスカの下水処理施設は、都市内の景観を保てるように外壁の外側に建てられていた。観光客や都市の子どもが入り込まないよう、敷地全体は塀で囲まれている。敷地内へ入るのは、基本的に外壁に取り付けられた専用扉から。建物自体も当然カギが掛かっている。
ティア達ならば、塀を跳び越えることは簡単だ。正攻法で入るには当然都市の許可が必要なのだが、時間が勿体なかったので、丘から真っ直ぐに来てしまった。さすがに建物の中を調べる必要があるなら、ちゃんと許可とカギを取りに行く必要があるが、今回はその必要も無かった。
「やっぱりここにあったわね」
施設を囲む塀の裏側。丁度都市側からも、丘の上からも死角になっている場所に、秘密の入り口が隠されているのをティアが発見した。
こちらの扉は、魔術ではなく手動で開くタイプ。地面に巧妙に隠蔽されていたが、注意深く見れば扉の切れ目がわかる。
扉の奥にあったのは、地下へと続く階段だ。奥は真っ暗で、どれだけ続いているのかはわからなかったが、かなり深いと思われる。発見したのは半刻程前だが、まだ中には入っていない。今はティアが一人で身を隠しつつ、扉を見張っている。
「戻ったよ、ティア姉。守衛の人に、ちゃんとギルドへの伝言を頼んできた」
「ありがとう、アル」
ギルドへこの隠し階段や丘にあった魔物寄せの罠の件を伝えに行っていたアルが戻ってきた。ミラセスカの中へ入ってギルドまで行っているとかなり時間がかかってしまうが、外壁の門へ向かうだけならさほど時間はかからない。守衛の人も仕事中とはいえ、三級冒険者であるアルが都市の安全に関わる緊急の用事と言えば、すぐに動いてくれたらしい。
これでティア達に万が一のことがあっても、ギルドがすぐに動いてくれるだろう。別で動いているミリル達が戻れば、この情報も伝わる。
本当はすぐにでも中に入りたかったが、この先にどんな危険があるかわからない。最悪、ティア達がこの下水処理施設に向かったことを誰も知らない状況は避けたかったので、多少時間をかけてでもギルドへ連絡をしておいたのだ。
ちなみにティアがこの場に残ったのは、誰かがここにやってこないか監視するためだ。誘拐の現行犯を捕らえられれば最良。扉を開けたことで、内部の人間が調査に出てくる可能性もあった。
残念ながら収穫は無かったが。
「それじゃあ中に入りましょう。私が先に入るから、アルは後ろを警戒して」
ミリルやファリン程ではないが、黒の翼の他のメンバーもある程度罠の探知はできる。ティアとアルでは、斥候としての能力にほとんど差は無い。そういう意味では、どちらが先でも問題は無かった。
だが今回、あまり罠の心配はしていない。間違いなくここは、攫った人々を運ぶための通路だ。人一人、あるいは複数を担ぎながら移動する通路に、罠を張るのは自殺行為だろう。
ゆえにあるとすれば、罠ではなく見張り、待ち伏せの類のはず。なので、とっさの判断力や戦闘の実力が高いティアが先頭を行くことにした。
ティアの光魔法で先を照らしつつ、階段をゆっくりと降りていく。ひんやりとした空気が奥から流れてくるが、今のところ人の気配は無さそうだ。
やがて十分ほど降りたところで、階段の一番下まで辿り着いた。短い通路の先に、灯りと金属製の扉が見える。
「……カギはかかってないようね」
扉を調べてみたが、やはりここにも罠の類は無い。中からは今のところ人の気配も感じない。人間よりも耳の良いアルにも確認をするが、ティアと同意見のようだ。
ならばあとは中に入るしかない。静かに扉を押し開いて、中へと足を踏み入れる。
施設内は地下洞穴といった様子の扉の外と違い、壁も床も天井も平らに整えられている。天井に魔導灯がいくつも設置されていて、中は結構明るい。光魔法を使う必要が無くなったので、ティアは宙に浮かべていた光の球を消した。
施設の中も通路が続いている。左右にも短い通路が伸びており――
――その先には身長百五十センチくらいの、角の生えた悪魔の石像が置いてあった。
その像を目にした瞬間、ティアとアルは背中合わせになり、左右両側の悪魔の像に向き直ると小さくため息を吐く。
「見張りがいないのはさすがに不用心だとは思ったけど……そういうことだったのね」
「あいつらと最後に戦ったのいつだったかな……二年前の遺跡探索の時だっけ?」
「あの時とは少しタイプが違うみたいだけどね」
互いに武器を構えるのと、悪魔の像が重い音を立てて動き出したのは同時だった。
入り口わきの通路の奥に設置されていたのは、ただの石像ではない。生きた石像と呼ばれる魔導具の一種だ。だがその危険性から、ギルドでは魔物にも分類されている。
生きた石像は昔の遺跡などでたまに出現する、割と珍しい魔物である。一応、アーティファクト同様古代文明の遺産となっているが、製法などは未だに解明されていない。魔石や魔術陣などがないので、生きた石像を作る魔導具が別にあったのではないかと考えられている。
石像の形は、その個体で様々だ。以前、魔物討伐で向かった森の中で偶然発見した遺跡で戦った時は、翼の生えた剣士の像だった。
討伐ランクは七~四級。ランクが変動するのは、その大きさや形で強さも変わってくるからだ。あの悪魔像の大きさなら、五級といったところか。
その硬い体は攻守どちらにも優れている。その重量に反して素早さも高く、パワーもある。ただ殴られるだけでも相当なダメージをくらうし、生半可な武器では逆にこちらの方が折れてしまう。
こちらへ迫る角の生えた悪魔像。中堅どころの冒険者なら、苦戦を強いられるだろう。
もっともティア達の敵ではないのだが。
「やぁっ!」
自身の魔力を矢に変えて、ティアが魔弓から魔法矢を放つ。
ティアの新たな魔弓『天月』には、各属性の魔石を加工した糸が組み込まれている。それによりティアは全属性の魔法矢を放つことが可能だ。
今回は敵の硬度を考えて、土属性の魔法矢にした。物理的なダメージで言えば、全属性の中で土属性が一番だ。もちろん最も威力を上げるには、ティア自身の魔力のみを限界まで溜めて放つ方が良いのだが、それだと魔力消費が激しいので、今回は避けた。
とはいえ土属性の魔法矢とは言うが、要はちょっと普通より硬いだけの石の矢だ。石像に刺さりはするだろうが、破壊するまではいかない。それはティアもわかっている。
だからティアが狙ったのは、敵の脚だ。ちょうど人間でいう膝関節に直撃すると、悪魔像の膝の半分が砕けた。それでも構わずに生きた石像が突進してくるが、砕けていた脚が石像の重量に耐えられるはずも無い。敵の脚が折れ、膝関節から下の部分が身体とお別れをした。
石像型の魔物とはいえ、基本的に動きは人と変わらない。脚が折れれば歩くことはできず、バランスも崩れる。
結果、盛大に転んだ悪魔像は、突進の勢いのままにティアの足下までヘッドスライディングを決めた。
「えいっ!」
可愛らしい掛け声とともに、魔弓の刃が振り下ろされる。天月はミスリルと魔鉄の合金製。魔力の扱いに長けたティアが使えば、その切れ味は岩をも斬り裂く。
魔物とはいえ、所詮はただの石の塊。縦一直線に斬り裂かれ、真っ二つになった。
(ホント凄いわね……ちょっと魔力を込めただけなのに、この切れ味だもの)
放った斬撃の威力に、改めてちょっと感心してしまう。以前使っていた魔弓も、決して質の悪いものではなかったが、それでもジェイグとミリルが手掛けたこの天月はレベルが違う。ほんの少しの魔力でも、切れ味がけた違いに上がる。ティアだから加減が利くが、他の人が扱うには難しい代物だろう。
「いっちょあがりっと」
そんなことを考えていると、後でも決着がついたらしい。振り返ると、アルの足下には胴の部分を×字に斬られ、四分割された石像が転がっていた。
「いや~、ホントすっげぇやこれ。石の塊がバターみたいにあっさり切れた」
アルの方も、自身の剣の切れ味に興奮しているようだ。
アルはスピードファイターだ。小柄な体躯による身軽さと手数の多さを武器にしている。その反面、攻撃力ではどうしても劣る部分があった。人間が相手では大した問題にはならないのだが、巨大な魔物が相手だとその欠点がどうしても響いてくる。
そんなアルのために作られたのが、双剣『黒翼刃』。
アルの持ち味であるスピードを殺さないよう、魔力浸透率や強度に優れつつも他の金属よりも軽いミスリルを主材料としつつ、刃の部分にはオリハルコンを使っている。それにより切れ味をこれまでの武器の数倍に引き上げていた。
「にしても、生きた石像なんてどこから連れてきたんだろうな」
ただの石塊となった生きた石像を足で小突きながら、アルがティアを振り返る。
これまでに遺跡で発見された生きた石像は、必ず何かを守るような形で配置されていることが多い。門番だったり、アーティファクトや財宝のガーディアンだったり。襲ってくるにも何か条件があるらしく、たまに動き始めることもないまま、無傷で冒険者に回収されるものもいたりした。
「もしかしたらこの施設自体、元は何かの遺跡だったのかもしれないわね。ここを出入りする人達が襲われずに済んでいる理由はわからないけど」
ミリルならもしかしたら解析できるかもしれないが、ティアには無理だし、今はそんなことに時間を割いている場合でもない。思考を切り替えて、ティアは通路の先へと視線を向ける。
正面の通路の両側には、それぞれ扉が一つずつ向かい合っていた。奥にも同じく扉。通路の長さから考えて、両側の扉の奥に部屋があれば、かなりの広さになるだろう。
「……手前の部屋から一つずつ調べていきましょう」
静かに方針を告げるティアに、アルが視線で同意する。
廊下は明るく見通しも良いため、不意打ちを警戒する必要は無い。よく見れば隅の方に埃や小さなゴミが落ちており、何度もこの廊下を通る人がいたと教えてくれる。そんなところに罠を設置しているということも無いだろう。
そうして向かい合わせの扉の、まずは左側を調べる。
中に人の気配はない。
ティアは慎重に中に踏み込んでいくと、すぐ目の前に大きな鉄格子があった。太い鉄の棒が天井と左右の壁に繋がっており、向かって少し右側に格子扉がある。
どうやらこの部屋は、巨大な檻らしい。
鉄格子の向こう側には、剥き出しの便器が設置されている。人間が使用するためのものだ。明らかに複数の人間が収容されていたはずなのに、トイレは剥き出しのものが一つだけ。水洗式ではないのか、室内には酷い匂いが充満していた。
床にはボロボロのくたびれた毛布が数多く散らばっている。野菜の切れ端がこびりついた器のようなものもいくつか転がっている。格子戸には小さな配膳窓が。あそこから食事も提供されていたのだろうが、こんな不衛生な部屋で食事をするのは絶対に遠慮したいところだ。
明らかに人間を閉じ込めるために作られた檻。だがそこには人間としての最低限の尊厳に対する配慮が一切感じられない。もしかしたら男女関係なく閉じ込められていた可能性さえある。
酷い吐き気を覚えるのは、部屋に充満した臭気だけが原因ではないだろう。この檻を作った側の悪意が垣間見えるようで、ゾッとする。
さらにティアの心をかき乱すのは、この大きな檻の中に人が一人もいないということだ。
ティアの見立てが間違いでなければ、この施設はビースピアでリオン達が見付けた人体実験場の代わりになる場所のはず。
ならばこの檻に閉じ込められていた人達は、実験のために集められた被験者達。その檻の中が空っぽということは、すでに誘拐されたと思われる人々は実験の犠牲になっている可能性がある。
そしてその中にはもしかしたら、ディーノの父親がいるかもしれない。
「……次の部屋に行きましょう」
「ああ……」
アルがこの部屋の様子を見て、どこまでを察しているかはわからない。だが普段は穏やかなティアが醸し出す鋭い空気に、自然と気合が入ったようだ。
牢屋があった部屋を出て、今度は反対側の扉を開く。
そこはどうやら倉庫のようだ。大半が実験に使う備品か何かのようで、木箱や紙箱などが積み重ねられている。試しに中を覗いてみると、何に使うかわからない実験器具や、ガラス容器に入った謎の液体などが並んでいた。
さらにその部屋の一角には、実験とは関係の無さそうな物が床に適当に放置されている。おそらく攫ってきた人々が持っていた私物だろう。冒険者も被害に遭っていたのか、武器や防具の類なんかも置いてある。
「誘拐された人達のことがわかるかもしれない。少し調べていきましょう」
誘拐された人達の身元を示すものがあれば、犯罪の証拠となる。全てを隈なく探すのは、敵に見つかる、あるいは逃げられる危険があるので無理だが、逆に全ての証拠を隠滅されるのも避けたいので、いくつかだけでも見つけておきたい。
二人で手分けして無造作に置かれた道具や衣服類を調べていく。武器に銘などが掘ってあれば証拠になる可能性があるが、ざっと見ただけでもそこらの量産品だとわかる。
なので基本的には衣服のポケットや、バッグなどを調べるだけだ。数は少し多いが、それほど時間のかかる作業ではない。
調査を始めてからわずか数分で、いくつかの身元がわかる物品が見つかった。
「これって……」
ティアが自身の手元を見つめて息を呑む。
そこにあったのは、少し古びた魔導式の懐中時計。上蓋が付いたハンターケースと呼ばれる型のものだ。
上蓋の内側は写真を留められる構造になっており、中には割と真新しい写真が収められている。
「これ、ディーノ君とアキノさん……一緒に写ってるのは、お父さんね」
昨日出会ったディーノという少年と、その母親アキノ。そしてアキノと寄り添い、少し生意気そうな笑顔を浮かべるディーノの頭に手を置く男性の写真。ミラセスカの海をバックに撮ったと思われる、幸せそうな一家の姿が写っている。
ディーノの父、ディーター氏とは面識はないが、アキノに写真は見せてもらっているので間違いない。ミラセスカの町で行方が分からなくなったディーター氏も、やはりここに連れ去られていたのだ。
「やはり」という思いと、「思い違いなら良かった」という思いが胸を過る。同時に、先程の無人の檻を思い出して、嫌な予感が込み上げてくる。せめてこの予想だけでも外れていてほしいが……
「……今はリオン達を見つけるのが先ね」
ディーターのことは気になる。父親を捜すために必死になるディーノの姿も、愛する夫を心配しながらも息子の前では気丈に振る舞うアキノの姿も見ているのだ。できることならば、無事に連れ帰ってあげたい。
だがティアにとって最も大切なのは、他人の家族より自分達の家族の命だ。いつだって、どんな状況でも、ティアの最優先は変わらない。そしてそれはきっとアルも同じだろう。
とはいえリオンとファリンを見つければ、ディーター氏救出が成功する可能性も上がるので、合理的な判断としても間違ってはいないのだが。
だからティア達にできることは、速やかにリオン達を見つけ、ディーター氏の捜索に協力してもらうことだ。
そう結論し、物品の捜索に戻る。
やがて目ぼしいものは一通り調べ尽した二人が、互いの成果を見せ合う。
「ミック・バルメオ……確か行方不明になっていた冒険者パーティーのリーダーね」
「こっちにも同じパーティーメンバーのカードもあったよ」
落ちていたベストのポケットから冒険者カードを発見したティアに、アルも自分の調査結果を報告する。どうやらリオン達より前にストームウルフの調査に向かったパーティー一行は、ここに連れ去られていたようだ。
「リオン達もここにいるのかな?」
「その可能性は高いわね……まぁ輝夜も銀影爪も見当たらないし、捕まったとは限らないけど」
周囲を一目見ただけで、リオンの刀もファリンの鉤爪手甲も置いていないことはわかる。どちらの武器も、一般に使われることは少ないものなので、誰かが持って行ったとも考えにくい。ミスリルやオリハルコンは素材としては破格なので、可能性としてなくはないが、ここで行われている研究に役に立つとは思えなかった。
それにリオンとファリンの私物も見つからない。ティアもアルも、二人の鞄や巾着などの荷物入れは覚えているし、普段持ち歩いている私物もある程度把握している。そもそも二人の荷物があれば、アルが匂いですぐに見つけているだろう。ゆえに二人がここに囚われた可能性は低いと考えられる。
「あの二人が、そう簡単に捕まるわけないって」
「……そうよね」
自信満々に二人の無事を宣言するアルに、ティアは笑みを返しつつも内心では別のことを考えていた。
(二人は捕まったわけじゃない……でもあの落とし穴に落ちた形跡があった……にもかかわらず、拘束はされていないとしたら、この施設のどこかに身を潜めてるのかしら)
罠にかかったのに、囚われてはいない。であれば、今の推測が一番しっくりくる。
何せあちらにはファリンがいる。彼女は隠密行動に特化した闇属性持ちであり、そのうえ変身魔術で姿形を真似たうえ、声や話し方、仕草まで模倣することができる。戦闘能力はパーティー内で最も劣るが、潜入や潜伏などの隠密行動に関しては、ファリンの右に出る者はいない。
まぁまだまだ未熟な部分も多いのだが……
だが今回は、そこに作戦立案や状況判断に優れたリオンがブレーンとして付いている。戦闘でもパーティー最強。仮にこの場所に合成魔物がウヨウヨいたとしても、二人ならきっと切り抜けられるだろう。
「今は二人を信じて、先に進みましょう」
最愛の恋人と妹との再会を願い、ティアはアルと一緒に施設の奥へと向かう。
だが次の扉を開けた先にいたのは――
「あ? 何でお前らがここに」
「何で二人がここにいるのよ」
――研究室と思われる部屋で、研究資料と思われる紙束を眺めるジェイグとミリルだった。
ティアとアルが実験場に足を踏み入れたのよりも少しあと。
灯台の隠し通路を進んでいたミリルとジェイグも、同じ実験施設へと辿り着いていた。
「結構遠かったわね。位置的にはもう都市の外側くらいまでは来てるんじゃないかしら」
「ミラセスカの端っこと端っこじゃねぇか。何でそんな離れた場所にあんだよ」
「町の直下にあると万が一があるからじゃない? あの中央タワーも地下階層があったし」
観光都市として世界有数の発展を遂げているミラセスカだが、観光都市としての歴史はまだまだ浅い。都市の一部には、様々な施設の建設計画が現在進行形で進んでいる。そういった計画はこれからもどんどん出てくるだろう。ある意味では大都市ミラセスカは未だ発展途上と言える。
そんな都市の地下に、この規模の施設を隠しておくのは危険だ。地下通路程度なら最悪土魔法でも使って塞いでしまえばいいが、施設本体はそうはいかないだろう。ゆえに、多少距離は遠くなろうと、都市の外側に地下施設を作った可能性はある。
「もしくは元々ここに隠されていた遺跡か何かを利用したのかもしれないわね。ビースピアの実験場も、元々は古代文明の遺跡だったわけだし」
そんな推測を話しながらも、ミリルはズンズンと先へ進む。一応、罠を警戒しているが、他のメンバーの誰よりも罠探知は得意だ。それに死神ピエロも罠は無いと言っていた。百パーセント信用したわけではないが、一連のやり取りから、嘘は吐いていないと判断している。それにこんな見晴らしの良い一本道で罠を見逃すようなヘマはしない。
そうして先へ進むと、通路の左右に扉を発見した。右側に入るとそこは巨大な檻だった。ミリル達は知らないが、それはティア達が見つけたものと同じ構造。捕らえた人間を閉じ込めておくための場所だ。
そして中に誰もいないのも同じだった。
「誰もいねぇな……」
「あたし達が来るのを知った連中が連れ出しただけかもしれないわ。暗くなるにはまだ早いわよ」
脳裏に浮かぶ最悪の可能性を、頭を軽く振って追い出す。余計なことを考えるよりは、今は最善を信じて動くべきだろう。
その部屋をあとにして反対側の部屋に入ると、そちらもまた檻だった。ただし部屋全体が一個の巨大な檻だった先ほどとは異なり、小さな檻がいくつも左右に並んでいる。水棲の魔物もおり、大きな水槽なども並んである。
そしてその中にはちゃんと“住人”がいた。
いや、正確には“人”ではなかったが。
中にいるのは、様々な種類の動物や魔物だ。手前の檻にはただの犬や猫が数匹と、馬や猪や牛などが数頭。あとは全て魔物が入れられている。
魔物はオークやウェアウルフ、数種類のスライムやラミア、フクロウ頭の熊『アウルベア』、火を吐く蛇『ファイアスネイク』など様々だ。水棲の魔物にはケルピーやサハギン、頭部に鋭い角を持つ魚『ソードフィッシュ』など。
リオン達が討伐及び調査に向かった魔物で、先程ミリル達が戦った合成獣に使われていた『ストームウルフ』もいる。同じく巨大カマキリ『キラーマンティス』やイカの魔物『クラーケン』などの姿もあった。
「海の魔物も多いわね。海棲の魔物の捕獲なんて大変なのに」
妙なところに感心しつつ、ミリルは檻の中の魔物を撃ち殺していく。放っておいて、あとでけしかけられても面倒だ。ジェイグも魔法でクラーケンを丸焼きにしている。
ただやはり気になるのは、主のいなくなった空っぽの檻だ。かなりの数がある。使われていた形跡はあるが、中に何が入っていたかまではわからない。
(合成に使われた魔物が分かれば対策取りやすいんだけど……妙な魔物がいなければいいわね)
現状残っている魔物の中には、ミリル達にとって危険な魔物はいない。せいぜいクラーケンが、海で遭遇した場合少し面倒だというくらいだ。
また強さの面ではそこまで厄介な魔物もいないだろう。ミリル達が危険を感じるほどの高ランクな魔物が、そう簡単に捕まえられるとは思わないからだ。
だが戦闘能力自体は低くても、厄介な特殊能力を持った魔物はいる。身体の色を変えてその身を隠す『アサシンカメレオン』や、超音波でこちらの感覚を狂わせる『ソニックバット』、普段は無害なただの愛くるしいウサギなのに、仲間の血液を見ると狂化して手が付けられなくなる『クレイジーラビット』など。
もちろんそれらの魔物が出てきても、ミリル達にとっては大した障害にはならない。だがそれなりの強さと知恵を持った人間が、そいつらの能力を得たとしたらかなり厄介な相手となるだろう。念のため警戒しておいた方が良い。
「さ、とっとと次に行くわよ」
室内の魔物を全て始末した二人は部屋を後にし、通路の先へと進む。
その後、薬品保管室や研究員用の仮眠室などを発見したが、人にも魔物にも遭遇することは無い。
「逃げられちまったのかな?」
「さすがにこれだけの規模の研究所を放棄したってことは無いと思うわよ。あたし達があの灯台の仕掛けを作動させてからここに来るまでの時間で、研究結果や自分達の身元を示すような証拠全てを持ち出すのは無理だしね」
施設の研究員から情報を訊き出そうにも、人と出会わないのではどうしようもない。魔物や合成獣が出てこないのはありがたいが、何の成果も得られていない状況はあまり好ましくない。
そんなことを考えながら十字路にさしあたった時だった。
「っと、そんな話をしてる間に……来たわよ」
十字路の向かって左側の通路から、人の気配が近づいてくるのを感じ取ったミリルが足を止める。ジェイグも気付いたようで、持っていた小型の手斧を構えた。
ここの通路はそれほど幅も高さも無いので、ジェイグの背丈ほどもある大剣は振り回せない。そのため元々得物が小振りなメンバー以外は、予備の武器を持ち歩いている。
ちなみにリオンとティアは刀身の短い日本刀――小太刀というらしい――を予備武器にしている。ティアの魔弓も特殊ではあるが、一応片刃の武器ではあるのでただのショートソードよりは扱いやすいらしい。
(まぁリオンとお揃いの武器を使いたいというのが一番の理由でしょうけどね)
そんなことを考えつつ準備を終えた二人が、十字路の角の壁に背を付けた。向こうがこちらに気付かない限り、角で待ち伏せて奇襲をかけるつもりだ。
近づいてくる足音に変化はない。どうやら向こうも二人組のようだ。真っ直ぐにこっちへと向かってくる。こちらに気付いた様子は無い。
あるいはすでにこちらを捕捉しており、堂々と迎え撃たれる可能性もあるが、近くに隠れる場所など無い。そもそも敵の情報を欲している以上、隠れてやり過ごすという選択肢も無いのだ。こちらの作戦に変更は無い。
近づいてくる足音。
それが十字路に差し掛かる直前――
「動くな! ……え?」
――勢いよく飛び出し、相手に銃を突き付けたミリルの口から困惑の声が漏れた。
「あ? 何でオメェらがこんなとこに……」
隣ではジェイグも手斧を振りかぶりながら固まっている。
だがそれも仕方ないだろう。
何故なら敵の本拠地と思われる場所に潜入したというのに、そこで初遭遇した相手が――
「あれ? 何で二人がここにいるんだ?」
「あなた達こそ、どうしてここに?」
――ここにいるはずのない、アルとティアの二人だったのだから。
「さて、どういうことか説明してもらいましょうか」
想定外の再会を果たしたティアとアルの二人を前に、ミリルは不機嫌そうな顔で切り出した。両手の銃をしまうことなく腕を組み、足のつま先でトントンと忙しなく地面を突いている。
「事情を訊きたいのはこちらも同じなんだけど……」
そんなミリルの態度に、ティアが困ったように頬に手を添える。思いがけない再会や、険悪な仲間の態度に戸惑っているようだ。それはアルも同じようで、ミリルとティアとジェイグの顔を落ち着きなく見回している。まるで両親のケンカに巻き込まれた小さな子どものようだ。
一方ジェイグは、二人と遭遇した当初は同様に困惑した様子だったが、今は難しい顔で壁に寄りかかり、成り行きを見守っている。
「…………あたし達の方は、大した事情じゃないわ。行方不明になった市の職員の調査をしていたら、灯台の中でここへ繋がる隠し通路を発見したってわけよ」
「私達もそうよ。都市の調査をしてたら、偶然ここの入り口を発見したの。それで中を調査していたら、そこへあなた達が……」
「そう……あいつらは一緒じゃないの?」
「ええ……今は別行動中よ」
あからさまに不機嫌なミリルを刺激しないようにしているのか、どこか遠慮がちな様子のティア。そんなティアの態度を前にしても、ミリルはイラ立ちが収まらないのか険しい表情でティアの顔を睨み上げている。
「………………まぁいいわ。それで、これからどうするの?」
「えっと……せっかく再会したんだし、ここからは一緒に行動したいんだけど、ダメかしら?」
「……まぁいいんじゃないかしら。それじゃ一緒に行きましょ」
ティアへの詰問を終えてから、数十秒後。ようやく気持ちを落ち着けたのか、小さく息を吐いたミリル。未だ表情は険しいが、とりあえずティアの提案を呑み、二人と行動を共にすることに決めた。組んでいた腕を解き、銃を下す。
そんなミリルの様子に、ホッとした様子のティアとアル。安堵しているのは、仲間からの疑いが晴れたことか、気難しい仲間の怒りを買わずに済んだことか。
それとも――
「で、そっちの道はもう調べ終わったわけ?」
「ええ、こっちには特に何も無かったわ……」
「何も?」
「え、ええ、こっちへ行っても、私達が入ってきた入り口があるだけよ」
「……そう。あたし達はそっちの道から来たんだけど、次はどっちに行くべきかしら」
手早く情報交換を終えたミリルが、十字路の方へ視線を向けながら顎に手を当てる。今いる場所から向かって右側が、ミリル達が来た道。後方はティア達が何も無いと言っている以上、進むなら向かって左か正面の通路になる。
「ならまずは左の道へ進みましょう」
「そうね。じゃあ行くわよ、ジェイグ」
ティアがそう提案すると、特に悩むことも無くジェイグを伴って先へ進むミリル。
二人が話している間、ずっと同じ体勢のまま仏頂面をしていたジェイグだったが、ミリルが視線を向ければ、特に文句を言うことも無く隣に並んで歩き出した。
そしてそんな二人の後ろを、ティアとアルの二人も黙って付いてくる。
その顔に妖しげな笑みを浮かべながら……