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消える死神

 先制攻撃はミリルの二丁魔銃。


 パァンッ! という乾いた破裂音が響いた。


 同時に放たれた二つの銃弾が、死神ピエロと合成獣を襲う。


 刹那の早撃ちを、しかし死神ピエロは半歩横に身体をずらすことであっさりと回避した。


 一方、ストームウルフの合成獣の方も反応はできたようだが、完全に避けきることはできず、背中から伸びたイカの足の一つが弾け飛んだ。その動きに、どことなく不自然さを感じて、ミリルは目を細める。


(あの身体にはまだ慣れてないってわけね)


 銃による牽制を続けつつ、相手の力量を図るミリル。見たところ合成獣の方はさほど難敵ではない。複数の魔物のパーツと能力を組み合わせたと言っても、それを使いこなすだけの実力が無ければ宝の持ち腐れだ。


 そして弱い方を先に狙うのは、戦いにおいて当然のセオリーである。


 こちらの相方も同じ判断を下したようだ。銃の射線に注意しながらも大剣を手に、真っ直ぐに合成獣へと向かう。


「おらぁっ!」


 気合一閃。


 巨大な刃が袈裟懸けに振り下ろされた。


 ジェイグの膂力を持って放たれた超重量の一撃が、敵が銃撃を避け着地した瞬間を狙う。


 二足歩行の生物には回避不可能なタイミングでの攻撃。


 だが敵は、背中に生えたイカの足で地面を叩いてバックステップ。ジェイグの剣は、イカの足の先を斬り裂くに終わり――


「逃がすかよぉっ!」


 轟っと唸りを上げて、合成獣の足下から火柱が上がった。敵の動きを予測していたジェイグの火魔法が、蠢くイカの足も含めた敵の身体を飲み込んでいく。


「狼イカの丸焼きってか」

「食べる気にはなれないけどね」


 そんな軽口を叩きつつ、ミリルは油断なく炎の中へと銃弾を叩きこむ。丸焼きになっているならそれでいいが、敵は水を操る。ストームウルフの身体を持っている以上、風も操るだろう。であれば、あの炎の中でも生き残っている可能性は十分にある。


 なにより、先程から何度も放っている銃弾を余裕で避け続けている死神ピエロに、焦った様子が無い。相変わらず感情の読みにくい瞳で、こちらの戦いぶりを観察しているようだ。


 案の定――


「グルゥアッ!」


 立ち上る炎を吹き飛ばすように、風を纏った合成獣がミリルへ向かって飛び出してきた。どうやら水魔法も併用し、熱によるダメージを緩和したらしい。ただ守る範囲が狭く、イカの足先がこんがりと焼かれていたが。


 その突進の速度は、元がストームウルフとあってかなり速い。あっという間にミリルに接近すると、右手の鎌とイカの足を使って襲い掛かってくる。


「ふぅ……」


 だがそんな単純な攻撃がミリルに通用するはずも無く、イカ足のわずかな間をすり抜けるように敵の背後に回ると、合成獣の背中にハイキックを叩きこんだ。


 キャウンッ! と尻尾を踏まれた犬のような鳴き声を上げて、合成獣が吹き飛ばされる。数十メートルは飛んで行きそうな勢いだ。


「おっとっと」


 だがその射線上に一瞬で滑り込んだ死神ピエロが、その巨大鎌の腹の部分を使って器用に合成獣の身体を受け止めた。


「器用な真似するものね……見た目通り、前はサーカスにでもいたわけ?」

「ノンノンデスね~。ボクはただの何でも屋さんデスよ~」

「何でも屋、ね。だったらお金さえ払えば、そこをどいてくれるってわけ?」

「それもノンノンデスね~。前金とはいえ、報酬は既に受取ってるんデスね~。その分は、しっかり働くんデスよ~。ボクは真面目な勤労者デスからね~」


 裏の世界で『何でも屋』といえば、文字通り、金さえ払えば“殺し”や“盗み”のような犯罪から“慈善活動”まで、何でも請け負う連中だ。冒険者にも似たような一面はあるが、ギルドの規則に縛られる冒険者と違い、裏の連中には基本的に規則や法など無い。裏の連中同士の暗黙のルールのようなものはあるが、フリーの連中にはそれすらも平気で犯す連中はいる。


 もっともそれをするには相応の実力が必要となるが。


 目の前の男がどこかの組織に属しているかはわからないが、裏稼業として一応それなりの矜持は持ち合わせているようだ。


 戦いは仕切り直しのように二対二で向かい合う形に落ち着いた。ミリルもジェイグも、未だにまともに戦うそぶりも見せない死神ピエロを警戒するように身構える。


「ふむふむ……二丁の魔銃を使う少女に赤毛の大剣使いデスか……深緑の女帝騒ぎの際に活躍したパーティーの中に、そんな二人の冒険者がいたと聞いた気がするんデスよね~」


 対する死神ピエロは相変わらずの感情の見透かせない顔で、何かを思い出すように左手を顎に沿える。


 ガルドラッドでの一件により、黒の翼の噂はかなり広まっている。一般人の子どもであるウィン少年でさえ知っていたのだ。裏の世界の住人と思しき目の前の男が、ミリル達の正体に感づいたとしても不思議ではない。


「だったらどうすんのよ? 尻尾巻いて逃げるってなら止めないわよ」

「逃げないデスよ~。ボクは真面目な労働者なのデスね~。それに――」

 

 ゆらりと、不意に言葉を止めた死神ピエロの身体が――


「ボクは強いデスよ?」


 ――消えた。


「っ!」


 ぞわりと背中を這い上がるような悪寒に襲われた。咄嗟に身を捻り、大きくバックステップを踏む。


 直後、ミリルがいた空間を断ち切るように、漆黒の刃が通り抜けた。


 ミリルが反応できたのは、それを認識したというよりも、積み重ねた戦闘経験による反射的な行動である。


 そしてそんなミリルと同じ道を歩んできたジェイグも――


「うぉっとぉ!?」


 半ば無意識に自身の側面に動かした剣に響いた衝撃に、驚愕の叫びを上げる。


「おやぁ? 防がれてしまったデスね~」


 ジェイグの斜め右側。そこには一瞬前に消えた白塗りされた道化の顔があった。


 漆黒の大鎌の刃は、ジェイグの大剣の中ほどで止められている。どうやらミリルとジェイグの二人を同時に葬ろうと、鎌を振るったようだ。


「ふむふむ……やはり一筋縄ではいかないデスね~」


 再び、死神ピエロの姿が消えた。


 一瞬後、今度はミリルの背後へ――


「チィッ!」


 振り返りざま、銃身をクロスさせるように胸の前に。


 その中心へ、巨大な鎌の先端が直撃した。


「グゥッ!」


 小柄なミリルでは、その重い一撃の威力を殺しきることはできなかった。振り抜かれた勢いのままに、ミリルの小さな身体が小石のように弾け飛び、暗がりの中に消えた。


「ミリル! こんのヤロォオ!」


 ミリルの名を叫ぶも、ガードは間に合っていたのは見ていた。今は追撃を防ぐのが先だと、ジェイグは再び姿を現した道化師へと攻撃を加える。


 だが横薙ぎに振るわれた大剣は、虚空を斬った。白塗りされた道化の顔は、その身と大鎌ごと闇へと消えていた。


「ちくしょう、どこへ――っ!?」


 消えたピエロの姿を探すジェイグの目に、鋭い刃が振るわれる。


 だが今度の一撃は、さほど苦も無く防ぐことができた。手ごたえの無さに違和感を覚え――その理由を目の当たりにして、大きく舌打ちを鳴らす。


「グルルルァ!」


 その鎌は死神のものではなく、合成獣の腕と同化したもの。目の前にあったのはふざけたメイクの死神ではなく、巨大な狼の顔だった。


 ではあの死神ピエロはどこへ?


「ミリル!? くそっ、邪魔だテメェ!」


 弾き飛ばされた仲間の身を案じ、半ば強引に目の前の敵を押し返す。魔物とはいえ、膂力ではジェイグに敵わない。イカ足による追撃が来る前に、合成獣の身体を吹き飛ばす。


 そうして暗がりに消えたミリルの助勢に奔ろうと体勢を立て直し――


「――っ!」


 自分の首に迫る黒塗りの刃に息を呑んだ。慌てて身を屈めるジェイグの頭上を、鋭い風切り音が通過した。逆立った自慢の赤毛の先が刈り取られた気がする。


 だが一撃目を躱したところで安心はできない。


 息つく間もなく返された致死の刃が、バランスを崩したジェイグへ振り下ろされる――


「おっとぉ」


 ――直前、連続した銃声が轟き、それに気付いた死神ピエロは攻撃を中断。バックステップでジェイグから大きく距離を取った。


「ミリル! 無事か!」

「当たり前でしょ! あたしを誰だと思ってるわけ!? というか、あんたは人の心配よりも自分の心配しなさいよ!」


 素早く体勢を立て直したジェイグの声に、イラついた様子の声が返ってきた。すぐに本人もこちらへとやってくる。


 実際、かなりの勢いで吹き飛ばされたミリルだったが、身体が多少汚れてはいたもののケガは無いようだ。ホッと胸を撫で下ろすジェイグだったが、すぐに気持ちを切り替える。


 さっきの一撃はかなり危ないところだった。ギリギリ躱すことはできただろうが、ミリルがいなければ無傷というのは無理だったかもしれない。


 だがジェイグも油断していたわけではないだろう。確かに神出鬼没な攻撃は厄介だ。薄暗いこの隠し通路では、漆黒の衣に全身を包み、漆黒の鎌を扱う敵は視認しづらい。が、それだけであのようにジェイグが追い込まれるのは少々不自然だ。


「俺達でも動きが追えねぇなんて、こないだの話で聞いたクラッドって奴みてぇだな」


 狂戦士クラッド。


 先日、ビースピアの実験場でリオンとミリルが戦い、そして敗れた男だ。奴も、目の前の死神ピエロのような巨大な得物――戦斧を操り、リオンが後れを取るほどの速さを見せた。


 その男を直接目にしてはいないが、詳しい話は聞いているジェイグの顔に苦笑いが浮かぶ。目の前で幽鬼のようにゆらりと揺れながらこちらを窺っている男が、リオンとミリルが負けるほどの敵と同等の力を持っているかもしれないと考えているのだろう。


(……違うわね。あのピエロにそこまでの戦闘能力はないはず)


 だが直接あの狂戦士の力を目の当たりにしたミリルの考えは違う。


 クラッドの突進力は、確かに圧倒的だった。その化け物じみた身体能力だけでリオンを追い詰めたのだから。


 だがあれは感情による魔力の暴走によって引き出されたもの。最初からあれほどの強さがあったのなら、リオンもミリルもジェイグも敵の実力を図り間違えたりはしない。


 それに死神ピエロの場合、“動きが見えない”のではなく、“姿が消えた”と表現する方が合っている気がする。一瞬で消えて、攻撃の瞬間だけ姿を現す。


 まるで本物の死神か幽霊のように……


(……いやいや、そんなの本当にいるわけないし!)


 ゾンビやスケルトンなどのアンデッド系の魔物はいるが、幽霊のような魔物はこの世界にはいない。そういう噂は絶えないが、いるはずがない。いないったらいないのだ。


 ミリルは頭に浮かんだ妄想を振り払うように頭を振って、気持ちを切り替える。


(こちらから攻め込むのは危険? まずは相手の動きを読まないと――っ!)


 敵の動きを探っていると、再び死神ピエロの身体が消えた。


 しかし今度はミリル達も警戒している。同じ攻撃が何度も通用する程甘くはない。敵の動きが見えなくとも、気配や音などから攻撃のタイミングを察知できる。


 自分とジェイグ、どちらを狙ったとしても問題ない。防御も回避も可能だ。合成獣の攻撃にも、もう惑わされない。反撃までは難しいかもしれないが、それも二人でならば防御役と反撃役に分かれて対処ができる。


(たとえ消えたように見えても、攻撃の一瞬さえ逃さなければ――)


 その時、ヒュッと甲高い風切り音が!


(――来る!)


 ミリルでは、あの鎌の攻撃は受け止めきれない。


 即座に斜め後方へ跳ぶ。


 直後、ミリルのいた空間を透明な(・・・)刃が通り過ぎて――


(風魔法!?)


 敵の攻撃の正体にミリルが眼を見開く。


 見えない敵の動きを警戒するあまり、音や気配に敏感になっていたのが仇となった。


(しまった! 誘い込まれて――)


 当然、敵はミリルの反応を読んでいた。


 ミリルが飛び込んだ先に待ち構えるように、漆黒の刃が迫り――


「おらぁっ!」


 ――下から斬り上げた巨大な銀色の刃が、死神の鎌を大きく跳ね上げた。重い二つの金属同士がぶつかる音が薄暗い通路を反響し、ミリルの目の前で火花が散る。


 その火花の先に、わずかに驚きを表すピエロの顔が浮かび上がった。


「っ、このっ!」


 致命的な隙を晒した動揺から立ち直ったミリルが銃を向ける。


 だがそのわずかな一瞬で、敵は再び暗闇に消えていた。屈辱とイラ立ちに、ミリルが舌を打ち鳴らす。


(魔法の気配なんて無かったのに……)


 属性魔法を使う際には、マナの動きなどその兆候がある。例外はあるが、風魔法の発動をミリルが見逃すなど考えられない。何らかのカラクリがあるはず。


 しかしそれを考える隙を与えてくれるほど、敵も甘くはない。


 再び聞こえる風切り音。狙いはやはりミリルだ。


 同時にジェイグの方には合成獣が襲い掛かっていた。右手の鎌と複数のイカ足、さらに水の手による攻撃によって手を塞がれている。幸い戦闘能力自体は高くないので問題は無いが、ミリルを手助けしている余裕はないだろう。


 迫る刃の音。避ければ先程の二の舞になるかもしれない。


 ならば全て迎え撃つ。刃の軌道を読み発砲。風と大鎌。どちらであろうと全て銃弾によって逸らし、その場での身のこなしで避け続ける。


 風の刃が魔力の銃弾により霧散する。


 金属の鎌は砕けないが、わずかでも起動がズレれば小さな動作でも回避は可能だ。


 際どい攻防だが、元々小柄で身軽なミリルならば切り抜けられる。


 しかし攻め手には欠ける。ジェイグの方は優勢だが、すぐにこちらに駆け付けられるほどではない。姿の見えない死神ピエロが、ジェイグの方に向かう可能性もある。場の主導権は完全に向こうに握られている状態だ。


(くそっ、このままじゃジリ貧だわ。一度態勢を立て直さないと)


 間断なく続く敵の攻撃をギリギリのところで捌きながら、ミリルが機会をうかがう。


 そして銃撃により逸らした死神の鎌が頭上を通り過ぎた瞬間――


「こんのおおおおっ!」


 瞬時に魔力を解放。ミリルを中心に、ドーム状に放たれた雷光が敵の姿を照らした。


(っ!? なるほど、そういうことなわけね)


 自身が放つ雷の向こうを見たミリルが、あることに気付いて内心でほくそ笑む。


 幽霊のように神出鬼没な死神ピエロも、迸る電撃の中を潜り抜けることはできなかったのか、雷のドームの範囲外へと退避した。


「ジェイグ!」


 死神ピエロが退いたのを確認すると、すかさずミリルはジェイグの方へ銃口を向ける。


 声だけでミリルの意図を察したジェイグ。あえて敵の攻撃を誘うと、それを受け止めることなく後方へ跳んだ。


 銃声が轟く。


 ジェイグの誘いに乗り、前へと踏み込んだ合成獣の身体を銃弾が貫く。銃弾に気付いたストームウルフが咄嗟に身体に纏った風の守りによりわずかに射線がズラされたが、ある程度の深手を負わせることはできた。


 その間に一度態勢を立て直すべく、ミリルとジェイグは合流する。


 合成獣が手負いとなった以上、深追いは危険だと判断したのだろう。死神ピエロの方も合成獣の元へと移動していた。


「助かったぜ、ミリル。あのイカ狼の野郎、手数が多くて面倒でよ」

「お互い様よ。さっきは助かったわ」


 互いに礼を交わしつつも、表情は険しい。あんな知性に乏しい合成獣とのタッグに、二対二でここまで追い込まれるのは二人にとっては屈辱的だ。


「しかしあのピエロの攻撃は厄介だな。あんなに動きが見えねぇ相手は初めてだぜ」


 その追い込まれた最たる原因である男は、相変わらずゆらゆらと揺れながら首をカクカクと傾けている。本当に不気味な男だ。


 しかし敵の動きが見えないのは事実。あの攻撃のカラクリを破らない限り、ミリル達の勝利は難しいだろう。


「でも怪我の功名というか、さっきの攻防であいつの見えない攻撃のタネはわかったわ」

「マジかよ! さっすがミリルだぜ」


 敵に気付かれないよう、小声でやり取りを交わす。あまり長々と説明している余裕はないが、次の作戦を伝える程度の時間はある。


「次、あたしが合図したら全力であいつ目掛けて走りなさい。あたしが何かするまで、絶対に振り返ったらダメよ」

「了解。背中は任せたぜ」


 作戦の詳細はわからずとも、ミリルの言葉に二つ返事で了承してギラリと闘志の宿る瞳で死神ピエロを見据える。


 家族が立てた作戦だ。それだけで身を任せ、背中を預けるには十分だ。


 そしてミリルにしても、この指示だけでジェイグならば望む通りに動いてくれると確信している。


 ゆえに自分は半歩程、後に下がり――


「走りなさい!」

「うおおおおおおおぉっ!」


 ミリルの号令と共にジェイグが大きく地を蹴った。大剣を肩に担ぐように振りかぶりながら、一直線に死神ピエロの元へと走る。


 それを見た死神ピエロの顔に、確かに嘲笑のような物が浮かんだ。ピエロメイクでわかりにくいが、間違いないだろう。


 きっと奴には、この先も防戦が続くのを嫌ったこちらが、無理にでも流れを作ろうと攻勢に出たとでも思ったのだろう。


 敵の動きも読めない状況で、それは愚策以外の何物でもない。


 ゆえに道化師は、先と変わらぬ幽霊のような動きから、残像のように身体がブレて、一瞬後に消える。


 そこからの動きは見えない。ジェイグの背後または側面を狙うか、攻撃を誘い隙ができたところを狙うか……あるいはあえてジェイグを素通りして、後のミリルを標的にするか。


 相手の攻撃が読めないというのは、戦いにおいて圧倒的不利かつ致命的だ。実力が拮抗する相手ならば尚更だ。


 だがそんな中、敵の姿を探すことなくミリルは眼を閉じた。


 もし今のミリルの姿を死神ピエロが見ていれば、目で捉えることを諦め、音や気配のみで敵を見つけようとしていると考えただろう。六感の内の一つを遮断することで、他の感覚を鋭敏にするのは、リスクは高いが有効な手でもある。


 しかしそんなミリルの行動を読んでいたように、いくつもの風の刃が飛来した。


 それは決してミリルの命を狙ったものではない。むしろ複数の風切り音や、魔法の気配でミリルの知覚を惑わせるためのもの。音は壁や天井に反響し、狙いの甘い風刃は大気中のマナさえもかき乱す。


 これではいかにミリルとて、敵の動きを捉えることは不可能だ。


 風刃のいくつかが、ミリルの身体を斬り裂いていく。ある程度の風の軌道は読んでいたのだが、音と魔力だけで全ての刃を避けきるのもまた不可能だ。


 一応、この風刃による攻撃にさほどの危険は無いことは察知したのだろう。わずかに身を動かすだけで、大きな怪我だけは避けている。


 だが当然、そんな状況ではジェイグを援護することはできないし、敵の姿を捉えることもできない。


 そして黒衣の死神は、無防備になったジェイグの背中へと死の鎌を振りかぶり――



 ――直後、眩い閃光が、その身を照らした。



「っ!?」


 初めて漏れた死神ピエロの驚愕。


 それも当然の話だろう。


 突然、自分の足下から目も眩むほどの光が爆ぜたのだから。


 直視すれば間違いなく眼を灼かれるほどの閃光。爆発の瞬間に反射的に手を盾にできたのは、ピエロの実力の高さゆえだろう。


 だがそれは確かに敵の動きを止め、致命的な隙を生み出した。


 と同時に、黒衣の敵が纏う()を完全に吹き飛ばした。


「見えたぜ! ここだぁ!」


 この戦いが始まって初めて、己の感覚全てで(・・・・・)敵の姿を捉えたジェイグ。そして既に相方からの閃光(合図)は出されている。振り返りざまに全身全霊を込めた大剣のフルスイングを放つ。


「くぅっ! ――ぐはっ!」


 両手で構えた大鎌を盾にする死神ピエロ。だが遠心力たっぷりに繰り出されたジェイグの渾身の一撃を受け止めることは敵わず、その小柄な体が先程のミリル以上の速度で弾き跳んだ。その勢いは凄まじく、背中から衝突した壁に身体がめり込むほどだ。コンクリート製の壁に、大きな亀裂が走る。


「見たかピエロ野郎っ!」


 大剣を振り抜いた姿勢のまま、確かな手ごたえを噛みしめるジェイグ。


 だが、その背後からもう一体の敵が!


「グルァア!」


 牙を剥き出しにした合成獣が、右手の鎌とイカ足、水の手と、全ての攻撃手段を持ってジェイグに襲い掛かる。


「甘いわよ、犬ッコロ」


 しかしミリルもジェイグも、敵がもう一体いることを見落としたりはしない。


 ジェイグが死神ピエロをどうにかすることはわかっていた。そしてジェイグも死神ピエロさえ倒せば、もう一体の方は必ずミリルが対処してくれると信じていた。だからこそ先の一撃に全力を注げたのだ。


 そして強敵である死神ピエロの攻撃を気にする必要が無ければ、下級の魔物の寄せ集め等、ミリルの敵ではない。


 大きく上空へと跳び上がったミリルは、連続で二丁の銃の引き金を引いた。最速で放たれる魔弾は、既に攻撃態勢に入っていた合成獣の全ての攻撃の尽くを漏らさず撃ち落としていく。


 右手の鎌は一発目の銃弾でひび割れ、二発目で弾け飛んだ。イカの足は全てが中程で千切れ飛び、水の手は銃撃による風圧で爆散した。


 そして手足をもがれた苦痛や、銃弾の威力でたたらを踏んでいた合成獣に、ジェイグの傍に着地したミリルが止めの銃弾を放った。頭部を粉砕された合成獣は、通常の魔物と同じように脳髄と血液を撒き散らしながら倒れ、完全に動きを止めた。以前にアルが戦ったキマイラのように、別の魔物のパーツが身体を動かすようなことは無いだろう。


 合成獣が死んだことを確認したミリルが、「ふぅ」と小さく息を吐く。合成獣の攻撃はともかく、消える死神ピエロの姿を捉えるための行動はかなりの綱渡りだった。自分達ならば問題ないという確信はあったが、それでも無事にやり遂げたという事実に安堵が漏れる。


 もちろん死神ピエロに止めを刺すまでは、決して油断したりはしないが。


「あいつはどうなってる?」


 倒れる死神ピエロの方へと向き直りながら、ジェイグに問いかける。


 壁にめり込むほどの攻撃を受けた死神ピエロだったが、今は衝突した壁の下へとずり落ちて倒れていた。ジェイグはミリルが合成獣を倒している間、死神ピエロに動きが無いかを監視していた。


「今んところ動きはねぇ。が死んではいねぇと思う。気を失ってっか、あるいは――」


 ――気を失ったふりをして、機を窺っているか。


 ジェイグがそう口にしようとしたところで、敵に動きがあった。


 まるでゾンビのような動作で、死神ピエロがゆらりと立ち上がった。光量の少ないこの通路では、壁際はわずかに照らされているだけ。だが白塗りされた顔は、暗闇の中でもはっきりと浮かんでいる。


 相変わらず感情の読めないピエロメイクに、幽霊のような不気味なオーラ。さらにはジェイグの攻撃によるダメージか、口から赤い血が垂れていて、その不気味さに拍車をかけている。


「いや~、凄いデスね~。まさかこんな短時間で、ボクのかくれんぼ(ハイド&ダーク)が破られたのは初めてデスよ~」


 カクカクと、先程までと変わらぬ口調と動作。自分の技が破られたというのに、怒りも焦りも屈辱も、何も感じていないようだ。称賛するような言動だが、そんな感情すらも読み取れない。


「この鎌も修理しないとダメデスね~」


 手元に視線を落とした死神ピエロ。死神が持つような大鎌は、ジェイグの攻撃を受け止めた衝撃で柄が大きくひしゃげていた。あれでは今までのように振り回すのは難しいだろう。


 それにハイド&ダークだか何だか知らないが、敵の消失トリックは見破った。ケガも軽くは無く、相方の合成獣も失い、武器も破損している。その状態でミリル達を相手に勝てるとは思わないだろう。


「投降して洗いざらい情報を吐くってなら命は助けてあげるわよ?」


 片方の銃を向けながら、軽い笑みを浮かべながらそう告げるミリル。言外に、言わないなら締め上げて力尽くでも吐かせると脅しているわけだ。


「ボクはただの番犬デスよ~? 依頼主の詳しい情報までは知らないデス~」


 裏の世界では情報というのは諸刃の剣だ。知るべきことも知らないのはアウトだが、知り過ぎても身を滅ぼす。


 依頼主の情報というのは、特に線引きが難しいところだろう。裏稼業に仕事を依頼するような人間が真っ当なはずもない。下手に探りを入れて踏み込み過ぎてしまえば、こちらが粛清の対象になるということもあり得るのだから。


 もちろん請け負う仕事の内容にもよるだろうが、今回は誘拐経路の監視と侵入者の排除だ。その程度の仕事を任せる人物に、余計な情報を渡しはしないだろうし、請け負う方も必要以上に依頼主のことを調べたりはしないだろう。


「あんたにそこまで期待はしてないわ。それでもこの通路の先に何があるかくらいは知ってるでしょ。道順、罠の有無、依頼主の容貌や名前。それだけでも十分価値はある」

「この先は一本道なのデスね~。『施設』に着くまでは罠もないデス~。他の人が引っかかると危ないデスからね~。依頼主については何も知らないデスね~。お仕事の話は、仲介役としてたのデスね~。そこの彼を連れてきたのも仲介役なのデスね~」


 力尽くで聞き出すまでもなく、ペラペラと情報を漏らす死神ピエロに、怪訝な表情を浮かべるミリル。真偽を見抜くにも、ピエロメイクとフードに隠れて、表情からは読み取れない。


「随分あっさりと情報を吐くのね。勤勉な労働者じゃなかったわけ?」

「勤勉な労働者も、命は大事なのデスね~。痛いのも嫌いなのデスよ~。そこまで依頼主に義理立てする必要も無いデスね~」


 態度はともかくとして、言い分はもっともだった。結局、裏稼業といっても命あっての物種。中には裏の人間のくせに妙に義理堅い連中もいたりするが、そんなのは例外だ。依頼主の方も、ただの用心棒にそこまでの期待などしていないだろう。


「『施設』というのは?」

「入ったことないからわからないデスね~。興味もないデスね~」


 どうやら仕事に関すること以外は、割とどうでもいいらしい。事が済んだ後に口封じでもされたらどうするのかとは思うが、まぁこの男の実力ならばどうにかなるのだろう。


 ちなみにその『施設』には、別にカギなどはかかってないらしい。まぁこんな危険な男と合成獣を見張りに使っている以上、この通路からの入り口にカギをかける必要も無いのだろうが。


「ボクが話せることはこれくらいデスね~。もう帰ってもいいデスか~?」


 必要だと思われる情報を一通り話し終えたのか、カクカクと首を傾けながらそう訊ねてくる死神ピエロ。いまいち表情の読めない男だが、今までの話に嘘は無いと思う。素直過ぎる気はするが、この状況で嘘を吐く理由は無いだろう。施設や依頼主に関しては、これ以上のことは聞き出せそうにないが……


「ダメに決まってるでしょ? あんたには灯台の中で大人しく眠っててもらうわ。大人しくしてれば命までは取らないであげる」

「良いんデスか~? 急いでるんデスよね~? ボクみたいな小物にこれ以上構ってるヒマは無いんじゃないデスか~?」


 確かに攫われた人達のことを考えれば、一刻も早く先へ進むべきだろう。魔物と人間の合成実験の被検体と思われる合成獣も既に現れている。今、この瞬間にも新たな犠牲者が生まれている可能性もあるのだ。


 それにいくら得物を破損し、自身も負傷しているとはいえ、捕まるとなれば奴も必死の抵抗を行うだろう。これまでにどれだけ悪行を行ってきたかは知らないが、所詮は裏世界の人間。捕まれば死罪になる可能性もある。


「下手に見逃して、後からザックリなんて間抜けにもほどがあるし。他にも仲間がいないとも限らないし。何よりこんなもん作り出すような連中に加担する奴を、簡単に見逃すわけないでしょ」


 傍に転がる合成獣の死体を一瞥して、ミリルが視線を鋭くする。


 最優先すべきは自分達の安全。身に迫る危険は可能な限り排除する。それに自分達が倒れれば、捕まった人達を助けることもできなくなる。焦らず安全確実に。それが危険な仕事を請け負う冒険者にとって何よりも大事な心構えだ。


 そもそもミリルとジェイグの二人をあそこまで追い詰めた相手が、小物であるはずがない。一対一なら殺されていた可能性もある。特にハイドなんたらという技が最も高い効果を発揮するは奇襲だろう。危険な芽は確実に摘んでおく必要がある。


 一応、素直に投降するなら縛り上げてギルドに突き出すだけで勘弁してやるつもりだ。奴が持っている裏の情報次第では、取引によって生かしてもらえる可能性もある。まぁ今はギルドまで連れて行っている時間も無いので、念のために手足の一、二本折っていくかもしれないが。


「見逃してもらいたいんデスけどね~。お仕事に失敗した以上、依頼主の所には戻れないデスし、武器もこれでは戦えない――」

「あんたの言い分なんてどうでもいいわけよ。そもそもあんたの話が本当かどうかもわかんないし。問答無用で殺されないだけマシだと思いなさい」


 敵の言い分を容赦なく切り捨てて、ミリルが戦意を迸らせる。ジェイグも同様に大剣を構えて、臨戦態勢を整えた。


「……仕方ないデスね~」


 問答無用な二人の姿を前に、死神ピエロは観念したように脱力して顔を俯かせる。白塗りされたピエロの顔が、フードの陰に隠れて見えなくなり――


「では、勝手に消えるのデスね~」

「っ!?」


 何の前触れも無く、死神ピエロの身体から闇が噴き出した。


(魔法を使う素振りは無かったのに……まさか魔導具!?)


 視界を覆う闇の噴煙から距離を取りながら、その闇に向かって魔銃を発砲する。敵の姿は見えないが、何もせずに逃亡を許すわけにはいかない。


 しかし敵もただ逃げるだけではなかった。


 闇の中から飛び出した巨大鎌。大きく回転しながら、大質量の刃がミリルへ迫る。


「ウラァッ!」


 気合一閃。一歩前に出たジェイグが、大剣の一振りで死神の鎌を叩き落した。


 当然、ジェイグの行動を信頼していたミリルが、その程度で攻撃の手を緩めるはずもない。敵の姿は見えずとも、逃走経路を予測し銃を撃ちまくる。


 だが敵の狙いはミリルの手を止めることではなかったらしい。


 視界の端、闇の途切れ目の部分に動く何かを見つけたミリルが、即座に敵の意図を察して舌を鳴らす。


(チッ、死角に逃げ込まれた!)


 ジェイグが前に出たことにより、射線が限定されてしまった。ゆえに敵は銃弾を恐れることなく、一直線に闇の中を駆け抜けることができた。


(でも、まさかそっち側に逃げるなんて……)


 即座に敵の姿を追うと共に銃弾を浴びせるが、その時には既に死神ピエロは上へと続く階段を昇り始めていた。


「では、サヨナラデスね~」


 最後までふざけた口調を崩すことなく、死神ピエロは階段を駆け上がり、闇の中へと消えてしまった。


「くそっ、してやられたっ!」


 ミリルが地面を踏み鳴らす音が響いた。こちらを嘲笑うような敵の態度も腹立たしいが、まんまと敵に出し抜かれた自分自身にも腹が立つ。


「野郎っ!」

「やめなさい! 追い付けっこないわ。それどころか灯りの無い階段は、闇属性持ちのあいつの独壇場。無理に追い付こうとすれば返り討ちに会うわよ」


 獲物の大鎌はジェイグの足下に転がっているが、そもそもあの狭い階段通路ではこんな大きな武器は振るえない。だがあれだけの実力を持つ男が、予備武器の一つも持っていないなどあり得ない。それこそあの黒マントの内側には暗器がびっしりという可能性もある。


 だからこそ手負い相手にも迂闊に近づけなかったわけだが。


「それに灯台の外に出られたらどうしようもないわ。四方のほとんどを崖と海に囲まれてるのよ? 海にでも飛び込まれたら見つかりっこないわ」


 この付近の海には魔物はいない。潮流に関してはミリルも知らないが、あのレベルの実力者がその程度のことで死にはしないはずだ。そもそも向こうもミリル達が上まで追いかけてくるとは思っていないだろう。


「じゃあ放っておくのか?」

「入口に探知用の魔導具を置いておくわ。人が通ったらすぐにわかるようにね」


 腰につけたポーチから、手の平サイズの魔導具を取り出した。長方形の金属塊に無色の魔石が埋め込まれたような形をしている。


「これは人や魔物が体内に持っている魔力アウラに反応するの。もしそれらが近くを通れば、あたしが持ってるもう一つの魔導具に知らせが来るってわけ」


 もしも奴が引き返して来れば、あるいは別の仲間がここを通ってやってくればすぐにわかる。わかっていれば待ち伏せることも、罠を張ることも可能だ。


 もっとも対策をされているのは向こうもわかっているはず。迂闊に戻ってくるとは思えないが。


「まぁ手負いの状態ですぐに戻ってくるとは思えないし、仲間を呼ぶにも時間はかかるわ。さっさと作業終わらせて、先へ進みましょ」


 その魔導具を手に通路の入り口まで辿り着いたミリルが上を見上げ……そこで身動きを止めた。そして何故か仏頂面になって振り返ると、無言でジェイグを手招きする。


「どうしたんだよ? ちゃっちゃと設置して先に進もうぜ」

「………………肩貸しなさい」

「あん?」


 まるで憎き仇を前に感情を抑え込むような低く小さな声でそう呟くミリルに、ジェイグが眉を寄せる。聞こえなかったわけではないが、ミリルの態度と言葉の内容に理解が追い付かなかったためだ。


 そんな察しの悪い相方の顔を、キッと鋭い眼差しでミリルが見上げる。


「手が届かないから肩貸せって言ってんのよっバカ!」

「ジャンプすりゃいいじゃねぇか」

「ピョンピョン飛び跳ねながら魔導具が設置できるわけないでしょうが! 良いから早くしゃがめバカ!」


 何故か敗北感と悔しさを滲ませた顔で声を荒げる――声量を抑えるだけの理性は残ってる――ミリルに促されるまま、ジェイグは通路の入り口にしゃがむ。


 通路内の天井の高さは四メートルほどあるのでジェイグでも届かないが、階段の部分は手を伸ばせばギリギリ届く。


 が、ジェイグの胸の高さまでしかないミリルでは、どうあがいても届かない。壁の両側に足を突っ張って登る方法も、足の長さが足りない。


 そして実は意外と自分の背の小ささを気にしているミリルちゃん。仕方がないとはいえ、肩を借りるのは物凄い癪だったわけだ。


「ってオマっ、靴のまま肩に足乗せんじゃねぇ!」

「何よ、靴脱ぐの面倒じゃない。ブーツだから蒸れてるだろうし」

「肩車で良いじゃねぇかよ!」

「子どもみたいだからイヤ」

「その言い分が既に子どもみたいだけどな!」


 ギャアギャアと言い争いを繰り広げる二人。さっきまで死線ギリギリの戦いをしていたとは思えないほど、しょうもない争いだ。


 ちなみにもはや完全に声は階段の上まで響いているだろう。もっとも何をやっているかはわからないはずなので問題は無いだろうが。


 結局、肩ではなくジェイグの手に足を乗せて持上げるという形で落ち着いた。手なら汚れても、ミリルの水魔法で洗い落とせる――ミリルは第一属性が雷、第二属性が水だ。


 そうして無事? に設置作業を始めるミリル。


 ちなみに身長と設置個所の高さと互いの位置の関係上、ミリルのちっちゃく可愛いお尻がジェイグの顔の前にある。もしジェイグが正面向いて鼻呼吸でもすれば、間違いなく命は無い。ジェイグが物凄く居心地悪そうに若干赤くなった顔を横に向けているのは、フサフサの狼尻尾が邪魔だからというだけではないだろう。


「そ、そういえばよ、あいつが消えたように見えたカラクリって、結局何だったんだ?」


 居心地の悪そうな様子で話を振ってくるジェイグに、ミリルが作業の手を止めることなく言葉を返す。


「ああ、あれはあいつの使った闇魔法が原因よ」

「闇魔法? でも魔法を使った素振りは無かったよな?」

「戦いの最中に使ったんじゃないわ。あたし達は最初からあいつが闇魔法を張り巡らせた領域の中にいたのよ」


 魔法を使用する場合、体内の魔力や周囲のマナに動きがある。それは注意深く意識していなければ感じ取れない程微弱なものだが、敵との戦闘中にその意識を外すほどミリル達は未熟ではない。


 だが既に発動した魔法は別だ。あからさまに炎が水が浮いてたりしたらすぐにわかるが、何かに燃え移った炎や地面に落ちた水が魔法かどうかはわからない。


 今回の場合は、戦う前からこの辺り一帯を死神ピエロの闇魔法が覆っていた。それもミリル達が気付かない程小さな闇の粒子を、灯りの位置や強さなどを計算して巧妙に隠して。


 闇属性の魔法は直接的な攻撃能力には乏しいが、それを補うだけの様々な効果を持つ。


 対象者への不安感や寂寥感などの負の感情の増幅、視界や気配や音の遮断、魔力の動きの隠蔽や封殺――魔力で動く魔導具を闇魔法で封じ込めることも可能――など。ある意味で言えば、暗殺や隠密に特化した魔法とも言えるだろう。まぁ逆に睡眠時などにリラックス効果を与えるなども可能なのだが。


 今回は薄くだが確かに周囲に漂う闇の粒子が、あの死神ピエロの気配や動く音を消していたのだ。あいつは何でも屋と言っていたが、おそらく本職は暗殺。気配を殺して動くのはお手の物のはず。そのうえで闇魔法まで使われていては、察知は困難。


 また、奴は全身黒装束。武器も黒塗りだ。薄暗いこの通路内で闇に紛れてしまえば、目で追うのも難しい。顔だけを白塗りにしていたのも、逆にそこに注意を集中させるためだったのだろう。顔ならフードを深く被ればすぐに隠れてしまう。暗い空間で目印にしていたものが見えなくなれば、消えたと錯覚してしまうのも無理はない。


「その証拠に、あたしがもう一つの太陽(リトルサンライト)を使う前と後じゃ、少し回りが明るくなってるでしょ?」

「ああ、言われてみりゃ確かに」


 ジェイグが肩越しに背後を振り返って頷く。そこにはまだ死神ピエロが使った魔導具から噴き出した闇が漂っていたが、それ以外の部分は確かに入ってきた時よりも明るくなっていた。ミリルの使った閃光弾リトルサンライトが、敵の闇魔法の粒子をかき消したからだ。


 ちなみにミリルがそのからくりに気付いたのは、自身の放った雷光により、周囲の闇をわずかながら吹き飛ばしたからだ。その際、大気中のマナの流れにも不自然な淀みを感じ取っている。それ故に、敵が闇を周囲に漂わせていることに気付いたのだ。


「まぁさすがに薄い闇魔法じゃ、“誰かがいる”っていう気配までは完全に消せないし、あいつが出てこないと合成獣の方が先に気付かれて殺されるだろうから、さっさと姿を見せたんだろうけど……よし、これで終わりっと」


 話している間に魔導具の設置が終わった。一応、気付かれにくいように隠蔽もしていたので、多少時間がかかってしまった。


 タンッと軽やかに跳び上がり、ジェイグの後方へ着地する。


「さて一応対策はしたし、ホントに逃げ出した可能性もあるけど、仲間連れて戻ってくる可能性もあるわ。捕まった人達の安否も心配だし、さっさと先に進むわよ」


 そう言って先を歩き出せば、手を叩いて払ったジェイグが後に続く。


 ふと横を見れば、先程殺した合成獣の死体が目に入った。


 この悍ましい生き物が、本当に人間を基に生み出されたかどうかはわからない。だがここまで魔物の合成実験が進んでいる以上、段階が人体実験に移っている可能性は高い。その被験者の中に、ディーノの父親が含まれる可能性もある。


(もしそうなったら……)


 周囲を警戒しながら自身の後ろをついてくるお人好しに意識を向ける。


 あの合成獣が、元は人間だったかもしれないということは、ジェイグには話していない。死神ピエロとの会話でも、そのことには気付かれないように注意していた。だがもしこのお人好しの甘ちゃんがその可能性に気付いたとしたら、それでも躊躇いなく合成獣に刃を向けられるだろうか。


(……覚悟だけはしといた方が良いわね)


 込み上げる嫌な予感を自覚しつつも、ミリルはそれを決して表に出すことなく、延々と先へと続く通路を進み続けるのだった。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] ~特にハイドなんたらという技が最も高い効果を発揮するは奇襲だろう。 発揮するは→発揮するのは でしょうか。
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