ミラセスカ中央タワーにて
ミラセスカは大陸から西にせり出した半島にある都市だ。上から見れば、大きく口を開いた犬の頭部のような形をしている。
南北の海岸は、白い砂浜が広がるビーチが多く、観光客向けのお店が多く立ち並ぶ。南側の方が若干富裕層向けの施設が多いのは、身分の違いなどによる無駄な争いを避けるためだろう。ミラセスカに身分制度は無いが、他国からの観光客も多いため、ある程度の配慮は必要だ。
半島の先、町の西側は主に港となっている。空路の発達により需要が減ったとはいえ、海運業がなくなったわけではないし、漁業を生業にしている者も多い。むしろ観光客が増えたことにより、新鮮な海の幸の需要は増えたと言えるだろう。朝市の競りなどは活況で、魚屋や料理店などの関係者だけでなく、観光客も物珍しさに見に訪れるほどだ。
そして内陸側。町の東端には、他の町同様、魔物除けの外壁が。外の街道なども整備され、定期的に魔物狩りや見回りが行われているが、この世界では何が起こるかわからないのが常識だ。景観に力を入れている観光都市とはいえ、町の防備を厳重にするのは必要な事だった。
そんな外壁にある中央門から都市を東西に切り裂くのが、『ミラセスカ中央通り』。ミラセスカ最大の街道だ。道には街を巡る乗り合いの『魔導車』が行き交い、通り沿いには観光客向けのお店が立ち並ぶ。歩道にはそんなお店を覗く市民や観光客でいつも賑わっていた。
そしてその中央通りのちょうど中間地点、都市の中心部に聳え立つのが、この町の中枢。市政を司る議会場や役所が入った中央タワーだ。
高さは約五十メートル。周囲を緑豊かな庭園に囲まれた、地上十五階の高層タワーだ。公共の施設ながら、この観光都市のシンボルともなっている。意匠を凝らされた形と、白磁のように白一色に塗られた外壁は、爽やかな町の風景を損なうことなく溶け込んでいた。
「でっけぇなぁ……」
「遠くからも見えてたけど、近くで見るとさらに迫力があるわね」
そんな巨塔を下から見上げているのは、ジェイグとミリルの二人だ。
ティアとアルを含む四人は、ディーノ宅を出た後で二手に分かれることになった。ミリル達がこの町で拠点としている宿は、外壁に近い場所にある。オリヴァルド達の紹介でギルドから近い場所を選んだためなのだが、ディーノの家から目的の場所に向かうには、方向が逆になってしまう。
ディーノの父、ディーターが行方不明なって既に五日。生きていることを前提にする以上、迅速に行動を開始する必要がある。この広い街を何度も往復するのは時間の無駄だ。行動の拠点は中央付近にすべきだろう。
だがシスト商会会長のオリヴァルドからの依頼に向かったリオン達に、何も言わずに移動するわけにもいかない。それにシスト商会との正式契約に向けた交渉も近い。ギルドに内緒で行動している以上、黒の翼全員で動くわけにもいかない。
そのためディーター捜索は、ミリルとジェイグの二人で行う事になった。埒が明かなくなれば増員も考えるが、しばらくはこの二人だけで行動するつもりだ。
ちなみに班分けの理由だが、この町の灯台は大型の魔導具でもある。もし行方不明の原因が、その魔導具に関するものだったら、ティアよりミリルの方が適任だ。
相方はジェイグとアルのどっちでも良かったが、今回の件ではジェイグが一番張り切っていたので、この男を連れていくことにした。
「しっかし、この町の中心に本部があるなんて、さすがシスト商会って感じだよな」
「ま、市長からして、シスト商会の前会長だからね」
二人がこの都市の中枢ともいえる場所にやってきたのは、シスト商会現会長であるオリヴァルド、あるいは副会長のレフィーニアと面会するため。そして件の灯台へ入る許可をもらうためである。
というのもこの中央タワー、内部は市政の施設だけがあるわけではない。各フロアや区画ごとに様々な施設が入っているのだ。
庭園と五階までは、一般にも開放されている。一階にはホールや会議室があり、申請さえすればイベントなども行う事が出来るらしい。その他にも売店や食事処などもあり、市の職員以外も利用できるようになっている。二階は公共の図書館。役所の窓口は三階から五階までにあり、住民のクレーム処理や各種の申請などはそこで行うのだ。
そしてさらにその上、六階から十階まではビジネスフロア。この都市でも有数の商会や企業が、ここに仕事場を構えている。その中には当然シスト商会も含まれており、なんと九階と十階は丸々シスト商会が占有しているという。
ちなみにさらにその上は、市長の執務室や市議会の事務所や議場などになっているらしい。
「でもよぉ、シスト商会の会長や副会長が、約束も無しにいきなり来て会ってくれっかねぇ」
「ま、会えなかったらその時はその時ってわけよ。何もしないよりはマシでしょ」
本来であれば、オリヴァルドもレフィーニアも今回の件とは無関係。会えるかどうかもわからない多忙極まる人物を、わざわざ訊ねる必要はない。
だが今回は少し事情がある。
ギルドは基本的に、その国や町と正式に協力関係を結んでいる。ゆえにギルドを通した依頼であれば、都市の職員達も色々と便宜を図ってくれるし、市が管理している灯台に入る許可も正規の手続きで得られただろう。
しかし今回のディーター捜索は、ギルドを通した正式な依頼ではない。ディーノに同情したミリル達が、厚意で手を貸しているにすぎないわけだ。
いくら高ランクの冒険者相手とはいえ、そんな私的な事情で公的に管理された施設や区域に入る許可がもらえるかといえば、正直微妙なところだ。一応、職員からしてみれば同僚の捜索のためでもあるので、今回は見逃してもらえるかもしれないが、確実とは言えない。
それにギルドからすれば、冒険者がギルドを通さずに依頼を受けるのは、あまり快くは思われないだろう。
所属はしているが、ギルドに冒険者の私的な行動を制限する権限はない。ゆえに冒険者が個人的な友人知人の頼みを引き受けたとしても、ギルドに文句を言われることもない。
しかしミリル達とディーノの関係は、無償で頼みを引き受けるには希薄過ぎる。また今回はディーノが一度ギルドに依頼を断られている経緯もあるため、どんなにミリル達が言い張ったとしても、高ランク冒険者が依頼を安請け合いしたと取られる可能性があった。
よってギルドの名前を出さず、穏便にことを済ませるには、この町での権力が絶大であろうシスト商会会長に口利きをしてもらえればと考えたのだ。商会に借りを作るのはあまり得策とは言えないが、一応、この町の行方不明職員を探すという理由がある以上、断りはしないだろう。
それにもしかしたら、件の合成実験の手掛かりが掴める可能性もあるのだから。
「さて、それじゃあさっさと行くわよ」
そうしてタワー入口へと向かう二人。程なくして辿り着いた扉は、中が見えるように透明なガラス製の押戸だ。そこを抜けると、横に広がったエントランスがあり、正面にはギルドの受付のようなカウンターが。その横には案内板があり、大きく描かれた一階の見取り図と、各階の施設案内が記載されていた。
正面カウンター内には女性が二人。たった今入ってきたミリル達に、にこやかな笑顔を向けてくる。カウンター下には『施設案内・取次受付』と書かれた看板が。どうやら初めての訪問者への施設案内や、中にある企業や役所の人間への取次なども行っているらしい。
(まぁ、これだけ広ければ、こういうのがあってもおかしくないわね)
ちなみにこのタワーへの入り口は、東西南北に四カ所。全ての入り口にこういった案内人がいるとしたら、なかなかのおもてなし精神である。
さすが観光都市ってわけね……といった感想を抱きながら、受付へと真っ直ぐに向かう。
「ようこそ、ミラセスカ中央タワーへ。本日はどういったご用件でしょうか?」
「シスト商会のオリヴァルド会長、またはレフィーニア副会長への取次をお願い」
立ち上がり、優雅にお辞儀をして迎えてくれた受付に、冒険者カードを掲げながら手短に要件を伝える。リオンやティアのように礼儀正しく振る舞うのは苦手だが、一応、ミリルとしては最低限、不躾に聞こえないよう声のトーンなどは配慮しているつもりだ。
相手の女性の方もミリルの態度を特に気にした様子はない。曇りのない営業スマイルのまま冒険者カードの内容に目を走らせ、その視線がカード下部の一点で止まる。
「確認致しました。シスト商会様から、冒険者パーティーの黒の翼の方々がお見えになった場合、速やかにレフィーニア様へご連絡するよう承っております。すぐにご連絡致しますので、あちらの会議室にてお待ち頂けますでしょうか」
どうやらレフィーニアが、すでに便宜を図っていてくれたらしい。事前連絡なしの訪問でも副会長に直接連絡が行くよう取り計らうなど、とんでもない好待遇だ。それだけ黒の翼が――レフィーニアにとっては、リオンが――重要視されているということだろう。
(まぁ私達の持ってくる情報を欲してるのに、それを手に入れるまでに余計な時間を食ったら本末転倒だものね)
オリヴァルドが持ち掛けてきた専属契約の条件を思い出しながら、受付嬢の案内に従って会議室に入る。
「すぐに飲み物をお持ち致しますので、お席にお掛けになってお待ちください」
シスト商会副会長へ直々に取次を依頼する相手ということもあり、先程までよりも深々とお辞儀をした受付嬢が、そう断りを入れて退室した。落ち着いた色調の室内に、静寂が訪れる。
「……なんか、自分が偉くなったような感じがする」
「気のせいよ。とっとと座ってなさい」
質の良い椅子や机が並び、キレイに整えられた部屋の様子や、好待遇が落ち着かないのか、妙にソワソワと落ち着きのないジェイグに呆れつつ、自分は席には座らず窓へ歩み寄り、外の景色を眺める。
窓の下には色とりどりの南国特有の花が咲き乱れる花壇が。視線を遠くへ向けていくと大きな噴水が置かれた広場があり、周囲には散歩を楽しむ老夫婦やベンチに座って語らう恋人達の姿がある。そしてそのまま少し視線を横にずらせば、広がる芝生の絨毯の上を子ども達が駆け回り、両親と思われる数組の男女がその様子を笑顔で見守っていた。
(平和ね……こんな町の裏側で、悪魔みたいな実験が行われてるかもしれないなんて……)
本来であればディーノ達一家も、こんな穏やかな日常を送れていたはずなのに……目の前に広がる光景に、ミリルはそう思わずにはいられなかった。
何となくその光景をこれ以上見ていられず、ミリルは空へと視線を逸らす。空は雲一つなく澄み渡っており、遠くには海鳥が優雅に空を舞う姿が見えた。
(なんかどっかの空バカみたいね……)
時間潰しに空を見上げている自分の姿に苦笑いしながらも、ミリルはそのままずっとレフィーニアとの面会の時を待っていた。
「ようこそシスト商会本部へ。お待たせして申し訳ございませんわ」
ミラセスカ中央タワーの会議室へと案内されてから、およそ半刻程。やってきた秘書のアマンダの案内で、ミリル達はタワー十階にあるレフィーニアの執務室へと通された。
部屋の手前側には応接用のテーブルとソファーがあり、その奥には大きな執務机。さらに向かって左側の壁側には、それよりも一回り小さな机が置いてある。反対の右側には大きな窓があり、眩しい陽光が差し込み室内を明るく照らしていた。
レフィーニアは奥の執務机で書類に目を通していたようだ。ミリル達が来たので顔を上げているが、手には何かの書類を持っているし、机の上には大量の紙の山が積み重なっている。
「突然やってきたあたし達が悪いわ。むしろ無理を聞いてくれて感謝してるくらいよ」
「お仕事上での付き合いもありますが、貴方方は私にとって大切な友人でもありますもの。いつでも気軽に訪ねてきてくださって構いませんわ」
優雅に微笑むレフィーニア。その言葉に偽りは無く、ミリルやジェイグへ友好的な感情を抱いているのは事実なのだろう。
先日のシスト家別邸への招待だけでなく、ビースピアでも話をする機会はあり、黒の翼の面々は、リオン以外もレフィーニアとはそれなりに気安く話せる程度には関係を築いていた。
ちなみにレフィーと愛称で呼ぶのは、リオンの他には今のところファリンくらいだ。ファリンは基本的に人懐っこいし、レフィ―ニアもファリンを可愛がっている――どうやら昔から妹が欲しかったらしい。
ティアも普段であれば同世代の女性とはすぐに仲良くなるのだが、リオンを巡る対抗心からか、レフィーニアとは未だにどこか他人行儀だ。
残りの男二人はまだそこまでの間柄ではない。意中の相手や家族以外の男性から愛称で呼ばれるのは、さすがに抵抗があるだろう。
それは二人の方も同様だ。リオンのように相手から強引に押し通されたのでもない限り、女性を相手に気安く距離を詰めるのことは難しいだろう。
なおミリルがレフィーニアと少し距離を置いているのは、姉への配慮からだ。同年代の女子同士、レフィ―ニアの方からもミリルと友好関係を築こうとしている素振りはあるが、猪突猛進なお嬢様に何かと押され気味なティアを前に、あまりその恋敵と自分が親しくするのは少し気が引ける。一応、二人の恋愛バトルでは傍観の姿勢でいるミリルだが、なんだかんだでやはり家族を応援する気持ちは強いのだ。
「それにしても驚きましたわ。まさかこんなに早く、それも貴方方お二人が私の元を訊ねてくるなんて」
「まぁ、ちょっと頼みたいことができてね。まだ契約前で悪いとは思ったけど、窺わせてもらったわ」
「お気になさらなくて大丈夫ですわ。お兄様からも、黒の翼の皆様にはできる限りの協力をするように言われておりますから。私個人としても、皆さんのお力になれるのは嬉しいですし、可能な限り、助力を惜しみませんわ」
立ち上がり、机を迂回してこちらへとやってくるレフィ―ニアが、その美貌に艶然とした笑みを浮かべる。
レフィ―ニアのこの発言の裏には、シスト商会副会長としての打算的な部分も少なからずあるのだろう。だが本人が口にした通り、レフィ―ニア個人として真剣にミリル達の力になろうとしているのもはっきりとわかる。
まぁその善意や好意の多くは、ここにはいないリオンへ向いているのだろうが。
(ホントは、リオンが来た方がお嬢様的には嬉しかったんでしょうけど……)
さすがに顔には出さないし、ミリル達を快く思っているのも間違いないだろうが、内心はそうなんだろうなぁ。ミリル達へ着席を促すレフィ―ニアの顔を見て、ミリルはそう思った。
なのでソファーに腰を下ろしつつ、何の気なしにそれを口にしたのだが――
「ああそれと、来るのがリオンじゃなくて悪かった――」
ゴッ!
「んにゃっ!?」
――その途端、動揺したレフィ―ニアが、結構派手な音を立ててテーブルに脛をぶつけた。ファリンのような悲鳴を上げているのが何とも気が抜ける感じだが、ぶつけた足はもの凄く痛そうだ。
「にゃにゃにゃにゃ、にゃにを仰ってりゅんでしゅか!? わわ、私はべべ、別にりり、リオン様が来なくてガッカリにゃんてしてましぇんょ!?」
脛をぶつけた痛みと羞恥、そしてリオンのことを持ち出された動揺から、顔を真っ赤にし、涙目になりながら必死の弁解を口走るレフィ―ニア。が、言葉は噛みっ噛みなうえ、本心を盛大にゲロっている。さっきまでの優雅なお嬢様や敏腕副会長としての威厳が、一瞬のうちに完全に消え去ってしまった。
というか、ここまでバレバレの好意をまだ隠す気……いや、そもそもバレていないと思っているのだろうか……
「あ~、うん、何か色々ゴメン」
悪気はなかったミリルが素直に謝る。ミリルもレフィ―ニアとはそこそこ好意的ではあるが、さすがに身内にするようにからかうほど親しいわけではない。それ以前に、さすがにここまで派手に自爆する相手だと、安易にからかう気にもなれないが。
(ホント、恋愛が絡むとポンコツ化するわね、このお嬢様は……)
あまりの不器用さに、同情するような視線を向けていると、レフィーニアは醜態を誤魔化すようにわざとらしく咳払いをしてミリル達の向かいに座った。
「それで、本日はどういったご用件で?」
秘書のアマンダが花茶を用意し終わったところで、レフィーニアがそう切り出してきた。ミリル達の様子から、遠回しに話題に入らず直球で訊ねてくる。こういうところはさすが大商会の副会長と言えるだろう。
なので、こちらも用件だけを手短に説明する。
もっとも全てを説明するまでもなく、話の途中でレフィーニアはこちらの要望を察してしまったようだが。
「……なるほど。ディーター・オルカ氏捜索のために、灯台に入る許可が欲しい、ということですか」
今回の件に関する障り程度を聞いただけで、そう口にするレフィーニアに、ミリルはわずかに目を細める。
「どうやら商会の方でもある程度の情報は掴んでいたようね」
「もちろんですわ。この観光都市の収益は、シスト商会にとって貴重な財源ですし、お客様もこの都市の住民達も、私達にとっては大切な方々……それが誘拐や、ましてや悪魔のような実験に利用されているかもしれないとなれば、我々としても見過ごせませんもの」
ミリル達はディーターやディーノのファミリーネームまでは知らなかった。それにまだディーノの頼みを引き受けた経緯しか話していない。にもかかわらず、レフィーニアが事情を先読みできたというのは、すでにこの町の行方不明者について詳しい情報を入手していたということだ。
それを示すように、秘書のアマンダが十枚ほどの紙束をレフィーニアに手渡した。「ありがとう」と短く礼を口にして受け取った書類の一枚目に、レフィーニアは一度だけ視線を走らせると、それをミリル達に見やすいようにテーブルの上に置く。
「こちらがオルカ家の住民情報、それと警察が行ったディーター氏の捜索活動の報告書ですわ」
市民の個人情報や、都市の公権力である警察の報告書を、シスト商会がどうして持っているのかは疑問であるが、ミリル達にとってはありがたい情報だ。
一応中身を見ても良いか視線で確認を取ると、レフィーニアが「どうぞ」と手で書類を指したので、遠慮なく書類を手に取って目を通していく。
前半の数枚は、ディーター・オルカの経歴だけでなく、家族全員の経歴。さらには公私にわたる人間関係まで細かく記載されている。
後半は警察の調査報告。といっても、めぼしい成果は無く、灯台付近や都市内の捜索を行ったが、これといった痕跡や目撃情報などは得られなかったらしい。
もっとも警察はこれまでの行方不明と思われる観光客の捜査や警備の方に注力しているらしく、ディーターの捜索にはあまり人数はかけられていないようだが。
「本人やご家族には申し訳ないですが、観光都市としてはやはりお客様の身の安全が第一ですので、どうしてもそちらまで手が回らないというのが現状で……」
「それでもこれだけ情報が集められてるだけマシね。余計な手間をかけずに済むわけだし」
ディーノが警察の対応に文句を言っていた背景は、そういうことだったらしい。レフィーニアは申し訳なさそうにしているが、彼女はシスト商会の人間であって、この都市の公的な人間ではない。もちろん現市長の娘でもあり、商会がこの都市の主要産業のほとんどを請け負っている以上、相応の権力は有しているだろうが、本職の方も忙しいのでそこまで手が回らないのだろう。
「もしよろしければ、商会の方から指名依頼という形でギルドへ提出いたしましょうか? ギルドへは事後承諾という形になりますが、私の名前で依頼を出せばギルドも文句は言わないでしょう。もちろん報酬もこちらでお支払いいたしますわ」
「そうしてくれると助かるわ。期間は一週間もあれば十分ね」
レフィーニアの提案にミリルがわずかに表情を緩めて即答する。これでギルドに睨まれることなく堂々と捜索に動くことができる。
レフィーニアが傍に控えていた秘書のアマンダに視線を向けると、「準備いたします。少々お待ちを」と頭を下げ、アマンダは自身のデスクに向かった。ギルドへ提出する依頼書を用意するのだろう。
「でも商会の方はそれでいいわけ? 本来は警察の仕事なわけでしょ? あとでごちゃごちゃと文句言われたりするんじゃない?」
「人手が足りていないのは事実ですし、正式な契約前とはいえ貴方方に協力するというのはお兄様も了承済みの事。この程度の事はどうとでもできますわ」
越権行為や不当な権力の行使ともとれる内容ではあるが、その程度のことは承知の上らしい。その上で多少の不利益はもみ消すなり、押さえつけるなりできるということだろう。
しれっとした顔でそう断言するレフィーニアは、やはり大商会の副会長としての強かさを秘めているようだ。
「それに、オルカ氏とは直接面識はありませんが、お子さんのディーノさんとは何度かお話したことがありますし」
「そうなのか?」
憂いを秘めた顔を俯かせたレフィーニアの呟きに、ジェイグが反応する。
そうして話を聞いてみると、シスト商会は市政と共同で都市内にいくつか学校を経営しており、レフィーニアはその理事長らしい。大きな行事などがあれば顔を出したり、たまに子ども達と交流なども行っているので、そこでディーノと話をしたこともあるらしい。
この大都市の子ども達一人一人の名前と顔を覚えているというのは驚きだが、それくらいできなければ商人は務まらないのだそうだ。ちなみにレフィーニアは商会に所属する従業員だけでなく、家族の顔と名前まで覚えているという。
さすがは大商会の副会長。頭が切れるだけでなく記憶力も優れているとは。
「ディーノさんは、少々やんちゃなところがありますが、正義感が強く真っ直ぐで優しい子ですわ。ご両親のこともとても大切にされていますし、先日もお父様と海で遊んだ時のことをとても楽しそうに話していました。私も商人である前に、大切な家族を持つ一人の人間。あの子のそんな姿を見ていれば、損得など抜きにしても力になってあげたいと思うのです」
凛とした微笑みを浮かべるレフィーニアの姿は、ミリルでさえ思わず見惚れてしまうほどの輝きを放っていた。深い慈愛に満ちた微笑みは、ティアにも劣らないかもしれない。
(この姿を見せれば、少しはリオンも心揺らされたかもしれないのに……やっぱりこのお嬢様は恋愛に関しては、どっか間が悪いのよね~。ま、あたしには関係ないわけだけど)
ミリルとしては傍観のスタンスを崩すつもりはないし、今回の件に関してもこれで堂々と冒険者として動くことができるので、何も問題は無かった。
とりあえず隣で魂を持っていかれてるバカを肘打ちで強引に目を覚まさせておいたが。
「そういえば、あの車椅子のガキんちょのことも知ってるわけ?」
「ああ、ウィンさんのことですね。シェッツダード氏のご子息の」
必要な話は終えたが、正式な依頼書が出来上がるまではもう少し時間もあったので、先程出会ったもう一組の家族についても話を聞いてみる。一応ディーノの交友関係については報告書にも記載されており、ウィンについてもある程度の情報はあったが、もしかしたら何か他の情報も得られるのではと考えたからだ。
案の定、あの車椅子の少年も、同じくレフィーニアが理事長を務める学校の特別教室の生徒で、ディーノと親友関係にあることも知っていた。また、父親が同じく商会を営んでいるため、付き合いはディーノの家よりも深いらしい。
「ウィンさんは、ご自身の境遇に負けないくらい素直で明るい良い子ですわ。お父様のシェッツダード氏も、ご子息の事をとても可愛がっていらっしゃいますし、ディーノさんのような良き友人にも恵まれています」
「あの子の身体は生まれつき?」
「いえ、物心つく前の事故が原因ですわ。建設現場での大きな事故で、あの子のお母様もその時に亡くなられています」
「そう……お母さんが……」
レフィーニアの口から語られた新たな事実に、ミリルの胸がズキリと痛んだ。隣のジェイグも表情が曇っている。きっと今の自分も同じような顔をしているだろう。
もっともこちらの生い立ちを知らないレフィーニアからすれば、ミリル達がウィン少年の境遇に心を痛めているだけにしか見えないだろうが。
「確かあの子の父親は建設関係の仕事をしてるって言ってたわね」
「ええ、シェッツダード商会は建設を請け負う中では、この都市一の規模を誇る大商会ですわ。短い期間でミラセスカを観光都市に作り替えることができたのも、彼の商会の力があったからです」
「じゃあ、事故に遭った建設現場ってのは……」
「ご想像の通り、シェッツダード商会が建設を請け負っていた建物ですわ。幼いウィンさんを連れて奥様がシェッツダード氏に忘れ物を届けに行った際、建設資材が崩れてお二人はその下敷きに……」
幼いウィン少年は母親が命を賭けて守ったために命は助かったが、足の運動機能と視力を失ったということらしい。
父親のウェスターにはウィンの母親以外に妻はいない。なので、それからは家の使用人と共に一人息子を懸命に支えているという。
一応、再婚も考えているらしいが、色々と難しいらしい。というのも、シェッツダード氏は大きな商会の代表だ。経済的にはかなり恵まれており、そのお陰で仕事をしながらも障害を抱えたウィンを育てることができている。
だが家が裕福な分、その資産を狙って後妻に立候補する女性が後を絶たなかったらしい。だがそういった欲深な連中は、手もお金もかかるウィンに対し、あまり好意的な感情を抱いてはいなかった。もちろん表立ってそれを示したりはしなかったが。
当然、息子の事を大事にしているウェスターが、そんな連中を妻に迎え入れるわけも無く、結果、彼は今も一人でたった一人の家族を守り続けている。
もし彼が結婚するとしたら、障害を抱えたウィンに対して何の偏見も無く、惜しみない愛情を注いでくれる人物なのだろう。
(そういう条件で言えば、ガキんちょ一号の母親はうってつけだけど……まさかね)
先程見たウェスターの不審な表情の原因を推測して、すぐにそれを否定する。いくら旦那が行方不明とはいえ、既婚者であるアキノを本気で狙っているとは考えにくい。もちろんこのままディーノの父親であるディーターが帰ってこなければ、その可能性もあるだろう。だがそれを現時点で期待しているとしたらあまりに不謹慎が過ぎる。
そもそもあの時に感じたウェスターの感情は、そんな邪なものというよりはもっと憂いに満ちたものだった気がする。もちろんミリルの気のせいという可能性もあるのだが。
「……少しおしゃべりが過ぎましたわね」
少しの間思考に耽っていたミリルを、苦笑交じりのレフィーニアの一言が呼び戻した。
「確かに、他人の家庭事情を軽い気持ちで詮索すべきじゃなかったわね。悪かったわ」
「いえ、私が不用意だっただけですわ」
自嘲するような笑みを浮かべているが、おそらくレフィーニアがウィンの家の事情を話したのは確信犯だろう。
彼女はウィンやウェスターとも親交がある。少年が冒険者を好きで、よく話を聞かせてもらっていることも、特に今は黒の翼に強い憧れを抱いていることも知っているはずだ。だからミリル達にウィンの生い立ちを聞かせれば、彼の事を気にかけてくれると考えたのだろう。
事実、隣で話を聞いていたジェイグは、完全にウィン少年に感情移入をしている。今は別行動中だが、事態が落ち着けば、ウィンが最も憧れているリオンやその恋人のティアにもこの話を聞かせるだろう。そうなればティアは間違いなくジェイグに同調するし、例え憧憬の視線が苦手なリオンも、ウィンに会うことを拒んだりはしないだろう。
(なんとも優しい策士様だこと)
ミリルがレフィーニアの意図に気付いたことは、見抜かれているのだろう。正面で優雅な笑みを向けてくるレフィーニアに、ミリルは小さく肩を竦めて返すのだった。