ディーノとウィン
世界有数の観光都市ミラセスカは、その土地面積も広大だ。そのため都市内での長距離移動は『魔導車』を使う。
魔導車とは、魔空船の普及の数年後に実用化された魔導具だ。形は横に長い直方体で、大きなタイヤが両側に八つずつ。馬車以上の速度で走り、五十以上の人間を運ぶことができる画期的な乗物だ。
だが、一般的に普及するにはいくつもの欠点がある。
まずその重量が原因で舗装された地面しか走ることができない。またその巨大さゆえに、走行にはかなりの道幅を必要とする。現在、小型化、軽量化などが進められているが、いまだ実現してはいない。そのため、魔導車を利用するには、大規模な道路整備と道幅の拡張が必要だ。ゆえに、他の町や国で魔導車を目にする機会は滅多にない。
しかしミラセスカは、かつての海洋都市から観光都市へと移り変わる際に区画整理を行い、街並みを大きく変える大規模な工事を行った。それにより、主要道路のみではあるが、いち早く魔導車を導入することができたというわけだ。
もっともあくまでミラセスカが公的に所有、運用しているだけで、個人が持つことは許されていない。小型化が進めば、いずれは一般にも普及するかもしれないが。
魔導車は、乗合馬車のように定められたいくつかのコースを一定の間隔で走っており、乗車料金さえ支払えば誰でも利用することができる。コースも、観光客向けに観光地を回るルート、市民向けに商店街や住宅街などを回るルートなどがある。
そんな近代的な都市の中で、ディーノの自宅は、ミラセスカの中心からやや南東に行った場所にあった。
ミリル達がディーノと出会った冒険者ギルドは、都市の東端。町の外に出ることの多い冒険者のため、都市へと出入りする門の近くに建てられている。そのためディーノの家までは、結構な距離があった。
ミリル達は移動が面倒だったので――ミリルが魔導車に興味津々だったのが一番の理由――魔導車を利用した。
都市の中心広場で下車し、そこから少し歩いたくらいでディーノ宅には着いたのだが、それでも移動時間を全て合わせると三十分くらいはかかった。徒歩のみの場合、大人の足でも二時間近くかかるだろう。小さな子供の足では辛い道のり。通常なら、魔導車を利用すべき距離だ。
だが魔導車に乗るのもタダではない。座る席や乗る魔導車によって金額は変わるが、当然、乗車賃は支払う必要がある。貯めていたお小遣いがあれば、ディーノも魔導車に乗れただろうが、それでは依頼に使う額が減ってしまう。
そのため、そんな道のりをディーノは歩いて往復していたという。父が行方不明になった日から毎日だ。五日間だけとはいえ、決して簡単なことではない。
つまり、それだけディーノの父親への想いが強いということ。ギルドでの様子を見てわかっていたつもりでいたが、改めてその気持ちの強さを思い知った。
(はぁ……とんだ厄介事に首を突っ込んじゃったわね……まぁやるからには全力を尽くすけど)
行方不明者の生死は、冒険者の実力だけでどうにかできるものではない。どんなに手を尽くしても、すでに手遅れということもあり得るのだから。
それでも可能な限りの手は尽くそうと、ミリルはディーノの母親が用意してくれたお茶を口にしながら、密かにそう誓うのだった。
「すまないね、うちの子のわがままに付き合わせちゃって……」
向かいの席に座ったディーノの母親、アキノが人好きのする笑みで頭を下げる。その隣では、ディーノが落ち着かない様子で、母親の顔を見上げていた。
ミリルの正面に座るアキノの印象は、快活そうな南国美女といった感じだ。褐色に日焼けした肌。艶のある黒髪のポニーテール。丈の短いへそ出しのタンクトップに、ホットパンツという南国スタイル。ティアほどではないが、プロポーションも良い。肌艶も良く、ディーノの母というよりは、年の離れた姉と言われても違和感はなかった。
突然の来客であるミリル達にも嫌な顔一つせず家に招き入れたり、明るく話しかけてくる様子を見る限り、性格も悪くない。結婚前は町の料理店の看板娘だったらしいが、その美貌と明るさを見れば、自然と頷ける話だ。まだ顔を合わせてから十五分ほどしか経っていないが、人見知りがちなアルですら少なからず打ち解けている。ミリルもアキノには少しだが好感を抱いていた。
なおジェイグについては……
「おぉ……」
アキノの谷間が覗く胸元を凝視して、鼻の下を伸ばしていた。
なので……
「……ふんっ」
「げふぉおっ!」
とりあえず脇腹に肘を突き立てておいた。
突然苦しみだしたジェイグに、ディーノが目を丸くしていたが、アキノは全て気付いていたらしい。いたずらに成功した子供のような笑みを浮かべてミリルとジェイグを見ていた。
(ちょっと無理しているようにも見えるけど……ま、旦那が五日も行方知れずとなれば、仕方ないわね)
お茶の用意をしている時など、ミリル達から離れたところで時折見せる物憂げな表情。顔色は悪くはないが、どこか疲れたように見える。化粧で隠しているが、よく見れば目の下に隈もあった。ディーノの話でも聞いたが、子供の前では元気を装っているのだろう。
そんなアキノやその隣に座るディーノに気付かれないように、ミリルは室内を見回す。
ディーノの父、ディーターはこの都市の職員だ。自宅は市が用意した家族向けの集合住宅であり、三階建ての建物に十二の家族が住んでいる。各家庭の居住スペースにも階段があり、二階層構造になっていることを考えると、六階建てと言ってもいいかもしれないが。ちなみにディーノ達の家は、一階の端にあった。
都市の大改造の際に新たに建てられたという市営住宅は、外観も観光都市の風景に合わせた南国風。設備もかなり充実しており、ミリル達がかつて暮らしていたエメネア王国の一般家庭よりは、多少は上質な暮らしができるだろう。
当然、ディーノの家も同様だ。掃除も行き届いており、家具などもキレイに整理整頓されている。食器なども白に統一されたうえ、ピカピカに磨かれている。料理店で働いていただけあって、お茶を淹れる手際も腕前もなかなかのものだった。
しかしよく見れば床や壁などに真新しい傷があったり、カーペットに付いたばかりの染みがあったりと、色々と粗相の痕跡に気付く。そんなところからも行方知れずの夫を想うアキノの心労が見て取れた。
「何度も言ったんだけどねぇ……あの人もちょっと帰りが遅くなってるだけだって。警察の人達も探してくれてるし、大人しく家で待ってなさいって」
「ちょ、やめろって母ちゃん」
隣に座る息子の頭を乱暴に撫でるアキノ。髪だけでなく頭ごと揺さぶるような手つきに、ディーノが煩わしそうに表情を歪める。
「だいたいこの人達、かなり高ランクなんじゃないのかい? うちには高ランク冒険者を雇うお金の余裕なんて無いからね!」
「……よくわかりましたね、私達が高ランクだって」
抵抗するディーノを上から押さえつけるようにして叱りつけるアキノ。そんな二人のやり取りを微笑ましそうに見ていたティアが、少し驚いたようにアキノに視線を向ける。
ディーノに連れられてやってきたミリル達は、未だにまともな自己紹介もできずにいた。家に着いたときにディーノが簡単に紹介してくれたが、その時はミリル達のランクまでは伝えていなかったはず。実際の実力はどうあれ、ミリル達の見た目は新人冒険者。ティアとジェイグでも、せいぜいが中級くらいにしか見えないだろう。同等の実力者ならば見抜けても不思議ではないが、ただの主婦にしか見えないアキノが、ミリル達が高ランクの冒険者だと確信しているのは驚きだった。
「まぁ長いことお店で、色んなお客見てきたからねぇ。細かいことまではわからないけど、何となく雰囲気でわかるもんだよ。ましてや、あんた達みたいな濃い空気漂わせてたらなおさらね」
ニカッ、と笑って豊かな胸を張るアキノに、ティアとアルが感心したように息を吐く。ミリルも同様の感想を抱いていたのだが、薄着の下でプルンと揺れた胸にくぎ付けなバカをお仕置きするのに忙しかったのでリアクションできなかった。
「……別にあたし達は依頼を受けたわけじゃないわ。ここのバカが、どうしてもそこのガキんちょの頼みを聞きたいってごねるから仕方なく来たってわけ」
「ガキって言うな、チビ犬」
「誰がチビ犬よ。あたしは狼だっての」
「たいして変わんないじゃん」
「大違いよ、ガキんちょ」
どうにか母親の手から抜け出したディーノが、ミリルの発言に噛みつく。
そんなディーノ相手にめんどくさそうに視線を逸らしながら言い返すミリル。だが逸らした先に意識を向ければ、ティアがニコニコした笑みでこちらを見ていた。まるで手のかかる妹を見る世話好きなお姉ちゃんのような顔だ。
さらには、正面からは別の生温かい視線も感じる。息子に新しい友人ができたことを喜ぶ母親の眼差しだ。そんな目をする前に、この生意気なガキに大人への礼儀を躾けて欲しいものだが、言っても無駄だろう。むしろディーノの勝気な性格は、母親譲りな気がする。
そんな二つの視線が居心地悪かったので、ミリルはさっさと話を進めることにした。
「さて、それじゃまず、この子の父親が行方不明になった時のことを教えてもらいましょうか」
気持ちを切り替えるようにぐしゃぐしゃと乱雑に髪を掻いたあと、アキノへ話を振った。
そうして聞いた話をまとめると、ディーノの父でアキノの夫、ディーターが行方不明になったのは五日前。ちょうどディーノの誕生日だったらしい。
朝、仕事に向かう時の様子に不自然なところはなし。ディーノへ誕生日プレゼントの約束をし、アキノとディーノそれぞれと抱擁を交わして家を出たという。仲睦まじい家族の日常風景だ。自発的な失踪の可能性は限りなく低いだろう。
役所での仕事は都市の灯台や上下水道や道路など、インフラ関係の管理をしていたらしい。仕事上で対人トラブルを起こすような内容ではなさそうだ。
交友関係に関しても同様。温厚で人当たりが良く、人に恨まれるような性格ではないとのこと。酒もかなり強く、飲んで性格が変わるようなタイプでもない。もちろん家族の話だけで断定はできないが、誰かと諍いを起こした末による失踪という可能性も低そうだ。
ディーター氏の姿を最後に確認したのは、同僚の職員らしい。漁師や住民達から灯台の光が弱まっているという連絡が入り、急遽後輩と二人で点検に向かった。そしてその後輩と一緒に行方不明になった。
ちなみにその後輩とは、アキノも顔見知りだという。ディーターが何度か家に招待したらしく、アキノやディーノも何度か夕食を共にしている。ノリが良く、ディーターと楽し気に仕事の話をしていたとのこと。その関係を聞く限り、仕事上のトラブルで後輩がディーターを連れ去ったという線も無いだろう。
「となると、やっぱ灯台の中かその周辺で何かがあったと考えるべきね」
アキノの話を難しそうな顔で腕を組み聞いていたミリルが、そう結論を口にした。横目に確認すると、ティア達も同様の結論に至ったのだろう。ミリルの視線に頷きを返してきた。
「旦那の同僚も同じことを考えたんだろうね。自分達でも捜索したし、警察も灯台を調べたけど、特に不審な点はなかったみたいだよ」
そんなミリル達の様子に、アキノがどこか疲れたような顔でそう口を挟む。
だがそんなことはミリル達も承知の上だ。これだけの情報があれば、誰であろうとこの結論には到達する。そもそも消息を絶つ前の最後の足取りが灯台なのだ。真っ先に捜索の手が入るのが当然だろう。
「ま、今のところそこ以外に手掛かりが無いわけだし、とりあえず行ってみるしかないわけよ。この町の住民じゃないあたしらなら、警察や同僚とは違う観点から何か気付けるかもしれないしね」
仕方ないと肩を竦めてみせるミリルに、ディーノが期待に満ちた目を向けてくる。それとは対照的に、アキノが申し訳なさそうに表情を曇らせていた。どちらの視線もミリルにとってはあまり居心地の良いものではない。
「先に言っておくけど、ダメ元よ。手掛かりが見つかる保証も、本人が無事な保証もできないからね」
冷たい言い方になるかもしれないが、必要なことだ。行方が分からなくなって既に五日。手掛かりがあっても消えている可能性が高いし、行方不明者を発見したときには手遅れだったということもある。その責をミリル達に求められても困るのだ。
ただでさえ今回はギルドを通さず、無報酬でディーノの頼みを引き受けている。ミリル達が用意した言い訳は、ぶっちゃけかなりグレーゾーン。バレても罰を受けることは無いが、決して良い目で見られはしないだろう。その上、彼らともめ事など起こせば、ギルドの心証は最悪のものとなるだろう。たとえディーノを不安にさせることになろうと、これ以上彼らのために自分達の立場を危うくする気は無い。
それにあまり期待しすぎても、そのあとのショックが大きくなるだけだ。ガルドラッドではアネットを無事に連れ帰ることができたが、あれは運が良かっただけ。本来であれば、行方不明者の捜索は悲しい結果に終わることがほとんどだ。
「ろくなお返しもできないのに、善意で引き受けてくれるってんだ。そんなあんたらに文句なんて言ったら、神様の罰が当たるってもんさ」
「神様ね……まぁそんなもの信じてないけど」
アキノのから向けられる視線に、悲観的な事しか言えない居心地の悪さを誤魔化すようにミリルがポツリとそう呟いた。
実際、行方不明者沿捜索の現実を、アキノは理解しているのだろう。胸を埋め尽くしているであろう不安や悲愴感を押し隠して、気さくな笑みで頷いている。
もっとも口では色々と言っていたが、やはり高ランク冒険者に捜索を引き受けてもらえるとわかって、その顔にはどこか安堵の色が浮かんでいたが。
またディーノは少々不満そうにしていたが、母がそう言う以上、何も口に出すことは無かった。
「なら時間も惜しいし、そろそろ行くわ。確か灯台に入るには、役所の許可が必要なのよね?」
「そうだよ」
立ち上がり問いかけたミリルに、ディーノが答えた。無謀にも何度か一人で灯台に突貫しようとして、職員に止められたという話は聞いている。なので灯台の調査に行くなら、役所に許可を貰いに行く必要があるだろう。
なお今回はギルドを通した正式な依頼があるわけではないので、許可が下りるかは少し微妙なところだ。専属契約締結前に借りを作るのはあまり気乗りがしないが、オリヴァルドやレフィーニアに助力を頼む必要があるかもしれない。
そうなると捜索開始がどんどん遅くなってしまう。早めに行動を開始した方が良いだろう。
「そうだ、一応旦那さんの写真を借してもらえる?」
「ああ、ちょっと待ってておくれ」
棚に置かれた写真立を見て、思い出したようにミリルが訊ねれば、アキノが家の奥へと消える。部屋に飾られている写真は、家族全員や友人なども一緒の写真がほとんどだ。ディーノの姿も、今より幼い。なので、アルバムなどに保存してある中から、顔が確認しやすい最近の写真を取りに行ったのだろう。
ちなみに魔導具による写真の技術が普及したのは、魔空船などよりもかなり前だ。といっても、一般人が気軽に持てるほど、カメラは安くない。基本的には何かの記念日などに、専門の業者に依頼するのが一般的だ。
しかし観光都市であるミラセスカでは、旅行中の写真を気軽に撮影できるよう、カメラの貸出サービスがある。もちろん返却の時に全て現像、複製などが可能だ。都市の住民でも利用できるので、他の町に比べて写真を撮る機会は多いらしい。
もっとも、黒の翼ではミリル特製のカメラを保有しているが。一応、仕事用なのだが、ファリンやアルなどは遊びの時にもよく利用している。ガルドラッドでは、エクトルとアネットの結婚式で、アネットと仲の良かったティアが何枚も一緒に写真を撮っていた。先日のシスト家ビーチでも、その枚数の多さに現像をするミリルが思わずカメラをぶん投げたくなるくらい、ファリンが大量に撮りまくっていた。もちろん全員で記念撮影もしているが。
ちなみにあのバカップルは、互いに隠れてこっそり相手の水着写真の撮影をファリンに依頼していたらしい。現像前のフィルムの中にそれらを発見したミリルが、心底呆れたため息を吐いたのは言うまでもない。
コン、コン
そんなことを思い出していると、不意に玄関の方からノック音が聞こえた。
(お客みたいね……でも、何でわざわざノックなんか……)
どうやら来客らしいが、ミリルは客がノックで来訪を告げたことに首を傾げる。この職員用の市営住宅には、呼び出し用の魔導鈴が付いていたはずだ。わざわざノックで来訪を知らせる理由がわからない。
「あ、ウィンだ」
だがその不自然なノック音に、ディーノは喜色を浮かべてそう反応する。どうやら相手に心当たりがあるようだ。
(ん? ウィンって確か……)
ミリル達に何も告げずに駆けだしたディーノの背中を見送りながら、ふとディーノが呟いた名前に聞き覚えがあると気付き、記憶を探る。
だがミリルが思い出すより先に、記憶力に優れたティアの「もしかしてあの車椅子の……」という呟きが聞こえてきた。それを聞いたミリルが、どうりで覚えがあるわけだと得心を得る。
「ああ、さっきギルドで会った子ね」
「ええ、多分。あの子なら呼び鈴を押せないのも納得だし」
ティアもミリルと同様の疑問を抱いていたらしい。そしてその理由にも思い至ったということだ。
「確かに、車椅子に座った状態じゃ、魔導鈴のボタンに手が届かないわね。あの父親は一緒じゃないのかしら」
「ああ、あの子が来る時はいつもそうなんだよ。ディーノに、自分が来たってすぐにわかるようにね」
ミリルの口にした疑問には、写真を手に戻ってきたアキノが答えた。
「ちなみにあの子を連れてくるのは、父親のウェスタ―さんの時もあるけど、まぁほとんど使用人さんだね。ここ数日はウェスターさんがよく来てくれるけど。ただ誰と一緒でも、あの子が来た時はああやってノックするのさ。まぁこっちが気付かなかったりした時は、鈴を鳴らしてもらったあとで、またノックすることもあるけどね」
どうやら二人の間でそういう約束をしているらしい。
目も見えず、歩くこともできないとなると、日常生活のほとんどは誰かの補助が必要となる。先程会った時は屈託なく笑っていたが、自身の置かれた環境に色々と思う所もあるだろう。だからこそ、自分で出来ることは自分の力でどうにかしたいということなのかもしれない。
「あの二人がねぇ……なんか見た感じ正反対って感じなのにな」
ディーノとウィンの姿を思い出すように視線を上向けながら、ジェイグがそう呟く。確かに、元気いっぱいなやんちゃ少年といった感じのディーノに対して、ウィンは繊細で大人しそうな印象だった。その二人が、そんな約束事ができあがるほどに仲が良いというのは、少し意外かもしれない。
「まぁ正義感が強いというか、なんだかんだで面倒見の良い子だから。大きな屋敷でろくに遊び相手もいなかったウィン君のことが放っておけなかったんだろうね。こっそり屋敷に侵入して、いつの間にか仲良くなってたんだよ。それが今じゃ一番の親友ってんだから、わかんないもんだよねぇ子どもってのは……」
そうしみじみと語るアキノは、どこか誇らしげだった。口では、わんぱくなディーノに手がかかるとこぼしていたが、本心では優しく真っ直ぐに育った我が子が可愛くて仕方ないのだろう。
そんなアキノの態度に、ティアが少し羨望を含んだ微笑みを向けていると、それに気付いたアキノが少し照れたように話を逸らした。
「それにしても、あんたらもウィン君と知り合いだったんだね」
「知り合いというか、ディーノ君と会う少し前にギルドで偶然会って、そこで少しお話しただけですけど」
「ああ、あの子は冒険者の話が好きだからね。面白い冒険譚を聞かせてもらえるよう、ウェスタ―さんが依頼を出してるらしいね。確か最近は『黒の翼』ってパーティーがお気に入りだって……」
思い出すように顎に手を当てて視線を上向けるアキノに、ティアが苦笑いを浮かべる。そういえばまだ正式に名乗ってなかったわね……と、気まずさでも感じているのだろう。
だがティアが改めてこちらの情報を告げるよりも早く、ドタドタと騒がしい音が勢いよく近づいて来た。
「ちっちゃい姉ちゃん達、ウィンとも知り合いなんだって!?」
「黒の翼の皆さんが来てるって本当ですか!?」
開け放たれたままだった部屋の入り口から、車椅子を押して駆けこんできたディーノとウィンが、同時に大きな声を上げた。どうやらウィンを家に入れるまでに、ミリル達が来ていることを教えたらしい。
騒がしいちびっ子二人の姿に、顔を盛大に引き攣らせたミリルが――地味に『ちっちゃい姉ちゃん』と呼ばれたことにもイラついている――ティアに対応を丸投げすべく視線を向ける。
だがちびっ子共の標的は、何故かまたしてもミリルだった。ミリルを目に止めた瞬間、ディーノが車椅子ごとグルリと方向転換。勢いよくミリル目掛けて突貫してくる。
かなりの勢いで振り回されているはずのウィンもその機動に慣れているのか、肘掛けを支えに器用に姿勢を維持していた。
「なんだよ、早く言ってくれよな~もう」
「小さいお姉さんって、もしかして爆裂姫さん!? それとも黒影さんですか!?」
「あ~もう! いっぺんに喋んな、鬱陶しい! あと次に小さいって言ったら撃ち抜くわよ!」
飼い主に駆け寄る忠犬のような勢いに若干引き気味になりながらも、ミリルがちびっ子二人を窘める。ディーノ一人ならげんこつの一発くらいは落としていただろうが、さすがのミリルも、見た目がか弱いうえに純粋な憧憬の感情を向けてくるウィンを相手に手は出し辛い。
まぁそれでもやる時はやるのがミリルだが。
「というか、そもそもこっちのガキんちょ二号とは、ギルドでちょっと話しただけよ。あんたとこいつが知り合いかどうかなんて知るわけないでしょ」
「だからガキ言うな!」
「じゃあ一号で」
「何だよ一号って! オレの名前はディ、イ、ノ、だ!」
「うっさいわね。そんなに大声で言わなくたって聞こえるわよ」
めんどくさそうな表情を隠しもせずに、適当にディーノをあしらうミリル。ミリルから雑な扱いを受けるディーノに、ジェイグがシンパシーを感じたような目を向けているが、どうでもいいので放っておこう。
ちなみに二号と呼ばれたウィンの方は、ディーノとミリルのやり取りを前にしても変わらずにミリルへ憧憬の笑みを向けている。友達であるディーノの行動はいつも通りなのだろうし、冒険者に話を聞くことが多いらしいので、ミリルの口の悪さも特に気にならないのかもしれない。
「だいたい、あたし達がそこの二号を知ってたから何だってゆ~わけ?」
「だってオレ、ウィンにすっげ~自慢しちゃったじゃん。黒の翼に会ったぞって。今家にいるんだぞってさ。そしたらウィンの方が先に会ってるって言うから……」
「くっだらな……」
「くだらなくな――」
子どもらしい、実にしょうもない見栄の張り合いに、ミリルの口から正直すぎる感想が漏れた。
当然、そんな冷たい反応にディーノが咬み付こうとするが、それよりも早くガキんちょ二号の方が待ちきれないといった様子で声を張り上げた。
「あの! 先程もお会いしたと思うんですが、もしかしてお姉さんは爆裂姫さんですか!?」
「………………………………そんな人知らないわ」
「おいっ!」
期待に満ちた笑顔で恥ずかしい二つ名を問われ、盛大に顔を顰めながら葛藤した末、思わずウィンの言葉を否定してしまったミリルに、ジェイグからツッコミが入った。
「何で嘘吐くんだよ? 普通に答えてやりゃいいじゃねぇか」
「……うっさいわね。何か素直に認める気になれなかったのよ」
「何でだよ? せっかくかっけぇ二つ名なのに」
「ふん、あんたのおめでたい頭じゃわかんないわよ」
ミリルのこの気持ちを理解してくれるのは、ティアとここにはいないリオンだけだろう。
「……あの、爆裂姫さんじゃないんですか?」
「……ミリルよ。普通に名前で呼びなさい」
結局、不安げなその問いかけには答えず、本名で呼ばせることにしたミリル。こっ恥ずかしい二つ名に対して憧れを抱いている節のあるウィンに対し多少の罪悪感はあるが、やはり自分からそれを認める気にはなれなかった。
そんなミリルの苦悩に気付くことも無く、ウィン少年はキョトンと首を傾げたが、すぐに目を閉じていてもわかるほどの満面の笑みを浮かべる。
「ミリルさん、ですか……素敵なお名前ですね!」
「ぬぐぅ……」
純粋無垢な笑顔でそんな素直な事を言われ、腹痛を堪えるような顔をしてしまうミリル。二つ名一つで素直になれない自分が、なんだか無性に小さく感じてしまった。
「お邪魔するよ」
そんな苦悶するミリルとちびっ子二人、笑顔で見守る大人達といった構図の居間に、新たな来客が顔を出した。ガキんちょ二号ことウィンの父親、ウェスターだ。
「いらっしゃい、ウェスターさん」
「やあ、アキノさん。今日も一段と美しいね」
「もうウェスターさんったら……いつもお上手なんだから」
さらりと歯の浮くようなセリフを吐くウェスターに、アキノが頬に手を当てて笑う。特に照れたり、困ったり、逆に不快になったりするわけでもなく、さらりと受け流しているところを見る限り、こういったやり取りはいつものことなのだろう。あるいは接客の仕事で、そういうお世辞にもなれているのか。
まぁアキノが美人という点については事実だし、ウェスターの賛辞もお世辞ではないかもしれない。もっともウェスターがこの一家の現状を詳しく知っているかは不明だが、まさか旦那も子どももいる相手を本気で口説いたりはしないだろう。そもそもウェスター自身も既婚者なのだし。
「それにしても、まさかアキノさんの家で黒の翼の方々と再会するとは思いませんでしたよ」
にこやかに微笑み、ティアの方を見つめるウェスター。先程ギルドで挨拶したのはティアだし、見た目や『流星の女神』の評判を知ってれば、ティアがこの場の中心人物だと思うのは当然だろう。もちろん『獅子帝』こと、リオンがこの場にいれば話は別だが。
「ああ、どうやらギルドでうちの悪ガキがわがまま言ったみたいでね。強引にうちまで引っ張ってきちゃったのさ」
「ではディーターの捜索依頼を? ですが、彼らのランクは……」
どうやらディーター氏の失踪は、ウェスターも知っていたらしい。ディーノのわがままの内容を素早く察したウェスターが、困ったような表情でアキノとティアの顔色を窺う。
ウェスターの家とこの家は、それなりに親交が深いのだろう。ある程度の懐事情を把握しているくらいには。そして規模は知らないが、一商会の長であるウェスターは、当然高ランク冒険者の依頼料の相場くらい把握している。
だから何も知らないディーノやアキノが、持ち掛けた依頼を断られてショックを受けることを心配しているのだろう。
「この子達が凄い冒険者だってのはわかってるよ。まぁさすがに今噂の黒の翼だとは思ってなかったけどね。だがどうやら、この連中は優秀であると同時に、とんでもないお人好しらしい。ディーノのわがままに、気前よく付き合ってくれるってさ」
ミリル達をからかうような口調だが、そう語るアキノの顔には申し訳なさと、それを上回る圧倒的な感謝の念がこもっていた。
そのアキノの説明に状況を察したウェスターが、信じられないといった顔でミリル達の顔を見回す。まぁ高ランクの冒険者が、低額あるいは無報酬で困難な行方不明者の捜索を引き受けたのだ。驚くのも当然だろう。
そうして再び視線を向けられたティアは、少し困ったような微苦笑を浮かべて、傍にいたディーノの頭を優しく撫でた。
「こんな小さな子のあんな悲痛な叫びを聞いたら、見て見ぬふりなんかできませんよ。私達にどこまでできるかわかりませんが、出来るだけのことはしてあげたいと思います」
まるでどこぞの聖母様みたいなティアの言葉とその微笑みに、ウェスターとディーノが放心したような表情になった。アキノは何か眩しいモノを見るように目を細め、ウィンはまるで物語の英雄を前にしたように興奮していた。
そしてそんな仲間の姿に、ジェイグとアルが誇らしげに胸を張って同意を示す。
(ったく、相変わらずなんだから、こいつらは……)
困ったもんだ、と肩を竦めるミリル。その顔は、超が付くほどのお人好し連中に付き合わされるこっちの身にもなれ、とでも言いたげな様子だ。
もっともそんなことを口にしようものなら、仲間全員から「お前が言うな」と返されることは間違いないのだが……当然ながら、ミリルにその自覚はなかった。
(……ん?)
そんないつも通りの仲間の様子を見ていたミリルだったが、ふと視界の端に何か違和感を覚えた。その感覚に従って、意識をそちらに向けると――
「……いやはや、噂に名高い黒の翼の方々が、こんなにも情に熱い方だとは思いませんでしたよ」
聖母ティアのオーラの影響から、ようやく我に返ったウェスターがいた。胸に手を当てて、ゆっくりとした口調でそう口にする。
その様子は、一見するとティアの言葉や黒の翼の行動に感銘を受けているようだが……
(……なんか、ぎこちない……?)
何となくだが、穏やかなその表情に暗い陰が見えたような気がした。まるで胸に渦巻く負の感情を必死に押し込めているような、あるいは何かに怯えているような。
その正体を探るように注意を向けるミリルだったが――
「だから言ったでしょ! 黒の翼は強くて優しい、物語の英雄や勇者みたいな人達なんだって!」
喜びの感情を溢れさせたウィンが、自慢するように大きな声を上げた。まるで自分の事のように誇らしげなその姿に、仲間達がくすぐったそうな笑みを浮かべる。
「……ああ、そうだな。お前の言う通りだったよ。お前が憧れる気持ちがよくわかった」
そしてそんな息子の様子に、参ったとでも言うような苦笑いを浮かべるウェスター。そこには先程まであった影はなく、可愛い我が子を優しく見守る父親の顔があるだけだった。
(……気のせい?)
すっかり子煩悩な父親の表情になったウェスターに、先程の自分の感覚に疑念を覚えるミリル。それほど強い違和感ではないうえ、初対面の相手ということもあって、いまいち自信が持てない。
(ティアはガキんちょの方を見てたから気付いてないだろうし……こういう時、あいつらがいれば楽なんだけど)
今はいない二人の仲間の顔を思い浮かべて、ミリルが小さく嘆息する。リオンは洞察力に優れているし、ファリンは他人の感情の機微には敏感だ。彼らも一緒だったなら、ウェスターの変化にも気付いたかもしれないのに。
ちなみにそういった点では、ジェイグとアルはあてにならない。確認するまでもなく、ウェスターの変化には気付いていないだろう。
だが本人に確認するわけにもいかず、結局、この件はミリルの胸の内に留めておくことにした。
その後、ミリルがウィン少年の憧憬の念に堪え切れなくなったため、さっさとアキノからディーターの写真を受け取ると、他の三人を急かすようにディーノの家をあとにしたのだった。