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丘の上の罠

「確かに、なかなかの絶景だな」

「風が気持ちいいニャ~」


 小高い丘の頂上。観光都市ミラセスカの風景を一望できる場所で足を止めたリオンが、その景色を見下ろして感嘆の声を漏らす。隣では、同様に景色を見下ろしながら、海から吹く風に気持ちよさそうに目を細めるファリンの姿が。


 昨日、オリヴァルドとの会食の際に教えられた冒険者の失踪。その調査のため、リオンとファリンの二人は、この場所へと足を運んでいた。


 他の四人はシスト家の別宅から、ミラセスカへと戻っている。ミラセスカでの拠点とする宿を取ったり、ギルドへ今回の件を正式な依頼として受理するためだったりと、色々とやることがあったのだ。また今回の件以外でも、失踪者の情報や手掛かりが無いか探ってもらうことになっている。


 人選については、以前にもミラセスカに来て土地勘のあるアルとミリルは固定。ビースピアの件で、ギルドに何度も顔を出しているので、話は通りやすいだろう。


 残りの四人のうち、ティアとジェイグをミラセスカ組に回したのは、厄介事の種を回避するためだ。


 ミラセスカは南国の観光都市だ。海水浴を楽しめる広いビーチがあり、街中には様々な海鮮料理を楽しめるお店や屋台、カジノや劇場、ダンスホールやショッピングモールなど、観光客を楽しませるための施設が数多く並んでいる。それらの多くは、世界有数の商会であるシスト商会が関わっており、貴族のような富裕層から中流階級くらいの平民まで、誰でも楽しめる街となっていた。


 そんなミラセスカには、魔空船による空路が整備されて以来、世界各国から観光客が訪れる。季節は秋も半ばだが、南国のミラセスカでは未だに温暖な気候を保っているため、訪れる客は未だに減る気配が無い。ミラセスカは、これまでに訪れたどの国や町よりも賑わっていた。


 そしてそんなリゾート地に訪れる連中というのは、多かれ少なかれ浮かれている。南国リゾートという、服装的にもお財布的にも気分的にも色々開放的になっちゃっている。男も女も気が大きくなってしまっている。


 つまりナンパが多い。ものすごく。


 ミリルと一緒に来た時のアルが、まさにその被害者だ。観光客や冒険者のお姉さま方に狙われ、もみくちゃにされ、ただでさえ若干人見知りなアルは心をすり減らす羽目になった。


 そこでアルのボディーガードとして活躍するのがティアだ。


 ティアは美人だ。それもそこら辺の貴族令嬢や冒険者では、到底太刀打ちできないほどの超が付く美人だ。しかもただ美しいだけでなく、可愛らしさも兼ね備えている。


 そんなティアが隣にいてなおも連れの男に声をかけてくる女性など、まずいない。たいていが気後れしてしまうだろう。


 まぁレフィ―のように、ティアに並ぶ美貌の持ち主なら話は別だが。


 あとはミラセスカの町が若干トラウマになっているアルの癒しも兼ねている。


 逆に、ティアやミリルに寄って来る男共も、身長が百八十を超え、屈強な肉体に背丈を超えるほどの大剣を背負うジェイグを見れば、即座にUターンして逃げ出すだろう。


 もちろん命知らず、あるいは身の程知らずな輩はいるだろうが、間違いなく声をかけてくる愚か者の数は減る。これから町で情報を集めるのに、くだらないことで足止めを食らうのは避けたい。


 まぁもちろん他の組み合わせも色々考えてはみたのだ。


 だがこの丘の調査班をリオンとジェイグにした場合、ミラセスカ組の四人のうち三人が美少女と美女になってしまう。ファリンの溌溂とした可愛らしさは、ある意味ティア以上に男を引き寄せるだろうし、ミリルも性格に多少問題はあるが、ガルドラッドの町にファンクラブができるほどの美少女だ。そんな三人が揃って歩けば、間違いなく大量の男が寄ってくるだろう。


 そしてそんな風に、うじゃうじゃと妙な男に言い寄られ続けた場合、間違いなくミリルがキレる。さすがに大勢の観光客で賑わう町中で、銃撃事件を起こすのだけは避けなければならない。


 調査組の方にティアを入れ、リオンがミラセスカ組に行く案は、ティアの反対にあったので流れた。


 なお、その際のティアの言い分は――


「第二、第三のレフィ―ニアさんが現れたら困るもの」


 ――だった。レフィ―はどこかの魔王か何かなのだろうか。


 ジェイグとファリンの組み合わせは、戦闘ならともかく調査にはあまり向かない。頭を使う仕事は、基本的にリオン、ティア、ミリルの誰か一人は必ず参加するようにしている。


 結果、この組み合わせに落ち着いたというわけだ。


「ニャフフ~」

「今日はずいぶんご機嫌だな」


 再び丘を登り始めたファリンが、リオンの隣に並んでこちらを見上げてくる。その表情は実に楽し気であり、金色の瞳がいつにも増してキラキラしている。今すぐ鼻歌でも歌いだしそうだ。いつも明るいファリンだが、今日は特に機嫌が良いらしい。


 その上機嫌な理由を訊ねると、ニパッと人懐っこい笑みを深め、踊るようにリオンの周囲を回る。動きに合わせて、水色のサイドテールがぴょこぴょこと元気よく跳ねている。


「リオンと二人でのお仕事はひっさしぶりだニャ~!」


 ということらしい。確かに、ファリンと組んで仕事をしたのはエメネアへの復讐作戦よりも前だった気がする。仲間であり家族なので当然一緒にいることは多いが、そもそもファリンと二人きりになる機会自体があまり多くなかったかもしれない。


 そのせいもあってか、久しぶりのリオンとの仕事に、ファリンも張り切っているらしい。そんな微笑ましい妹の姿に表情が緩むのを自覚しつつ、一応の注意を促しておく。


「まだ魔物の気配はないが、ちゃんと警戒はしておけよ」

「わかってるニャ! お仕事で気を抜くファリンちゃんじゃニャいニャ!」


 リオンの言葉に、ビシッと敬礼をして返事をするファリン。思わずそんな彼女の頭を撫でれば、ファリンがその手の感触を堪能するように目を細める。


「そういえばリオン。あっちの方に見える建物は何かニャ?」


 ふと海側の景色を指差しながら、ファリンが訊ねてくる。


 ファリンが差しているのは、海沿いにある大きな施設だ。都市の外壁から少し離れた場所に、建物がいくつか見える。周囲を塀で囲まれており、中央には金属製の壁に覆われた一際大きな建造物がある。珍しい形をしているので、気になったのだろう。


「ああ、あれは下水の処理施設だな」

「ゲスイショリ……施設?」


 コテンと首を傾げて頭の上に?マークを浮かべるファリンに苦笑しつつ、リオンが説明をする。


「ミラセスカの町の中で使われた汚れた水を、地下の下水道を通して集めてあそこで浄化するための施設だ。浄化した水は、そのまま海に流しているらしい」

「何でわざわざそんなことするニャ?」

「汚れた水をそのまま海に捨てると、魚介類に色々と悪影響があるからな。それに海も汚れる。汚い海なんかじゃ誰も泳ぎたがらないだろ? だから排水の処理には、この町は特に気を配ってるのさ」


 この魔科学の発展した世界では、水道や蛇口は一般の家庭にも普通に普及している。ガルドラッドのように水質汚染が進んでいるところも、浄化の魔導具を使えば普通に飲み水として使えるし、キレイな水を出す魔導具もある――ただし、水の値段は跳ね上がるが。


 下水処理についても同様だ。大きな町では、下水処理施設は必ず存在する。さすがに小さな村には無いし、黒フクロウの家周辺にもなかったので、ファリンが知らなくても仕方ない。


 海沿いの町であるミラセスカは、特に下水処理には気を使っているらしい。フィルターでゴミを取り除いた排水に、複数の浄化の魔術を施してから海に流す徹底ぶりだ。高い運用費用をかけてまで念入りに下水を浄化する町は、そう多くはないだろう。


 そのかいあって、最終的に捨てられる下水は普通の水と全く変わらない。飲むことだってできるだろう。さすがに元々下水だった水をわざわざ飲もうとは思わないだろうが。


 ちなみに施設といっても、人の出入りはほとんどない。あの大きな建物の中は下水処理の装置があるだけだ。魔導具は一度起動してしまえば、魔石の中の魔力が切れるまで動き続ける。なので、人が来るのは定期的に魔石を交換したり、故障が無いか点検するときくらいだ。


 リオンの説明に、「ニャるほど~」と感心するファリン。そんな妹との会話を楽しみながらも、リオン達はその丘をミラセスカとは反対方向へ下り始めた。こちら側は観光客が下りてこないので道は無く、草が生い茂り、所々は小さな崖のようになっている。


 そんな凸凹とした斜面を二人は軽やかに下りていく。


 そうして頂上から結構な距離を降りてきたその時、先を歩くファリンの表情が不意に曇ったことに気が付いた。


「どうした?」

「……血の臭いがするニャ」


 リオンの問いに、小さな鼻をヒクヒクと動かしながらファリンがそう言った。第六感的な気配察知能力ならリオンの方が上だが、嗅覚や聴覚は猫の獣人であるファリンの方が上だ。先に気付いたとしてもおかしくはない。


「人間の血か?」

「潮風のせいでわかりにくいけど、多分、それだけじゃニャいニャ。魔物や動物の血ニャんかも混ざってると思うニャ」


 海沿いのこの地域では、日中は海から陸に向かって風が吹く。この丘自体はなだらかで高さもそれほどでもないので、海風を遮ることも無い。海は後方にあるため、今は追い風だ。臭いも今はそれほどでもないらしく、潮の匂いの影響もあって、ファリンも正確にはかぎ取れないらしい。


「匂いの元はどっちだ?」

「……もう少し先の方ニャ」


 より臭いの強い方を目指して歩き出すファリンの後を追う。


 やがて数分もしないうちに、リオンも臭いが強くなったことに気付いた。しかし――


「これは……自然に付いた臭いじゃないな。誰かが意図してばら撒いたものだ」

「ファリンもそう思うニャ」


 嗅ぎ取れる臭いの元は、辺りの地面から漂ってきた。さっきファリンも言った通り、人間以外の生き物の臭いも混じっている。


 それだけなら人間と魔物が争っただけだと考えただろう。だがこの臭いはまるでマーキングのように、周囲の地面に点々と染みついている。しかもここ数日雨が降っていないのに、周囲のどこにも血の跡は無く、臭いだけが強く残っているのだ。これが自然に付いた臭いのはずがない。


「何でこんニャ臭いを……」

「おそらく魔物を呼び寄せるためだろう。魔物は血の臭いに敏感だからな」


 冒険者が魔物狩りをする際に、血の臭いで敵をおびき寄せるという手法を取ることがある。リオン達も何度か使ったことがあるが、一歩間違えれば大量の魔物に囲まれる危険性があるので、使いどころはしっかり考えなければならない。


「じゃあ、行方不明にニャッた冒険者が?」

「いや、逆だ。この臭いに引き寄せられたストームウルフの群れが現れた結果、彼らに退治の依頼があったんだ」


 臭いをエサにする方法では、こんな範囲に、それもここまで強力な臭いをつけることはない。またそれを行った際には、必ず別の薬品や魔法で臭いを消していくのが常識だ。処理を怠れば、自分達だけでなく無関係の人間まで魔物の被害に遭ってしまう可能性がある。五級の冒険者が、こんな初歩的なミスを犯すとは考えにくい。犯人は別にいると考えて間違いないだろう。


「目的は?」

「さぁな。愉快犯かもしれないし、ミラセスカやシスト商会への恨みというのも考えられる。あるいは冒険者のイロハも知らないバカが、腕試しでもしたのかもな」


 ここがミラセスカの観光スポットの近くということもあり、二つ目の理由が可能性としては一番か。まぁ調査してみないことには確かなことは言えないが。


「とにかく、もう少しこの辺りを調べて――」


 犯人の推測を止め、調査を再開しようとしたところで、リオンが言葉を切った。


 こちらに近づいてくる複数の気配に気付いたからだ。


「……数は三十匹といったところか」

「狼さんの大群ニャ!」


 愛刀『輝夜』の柄に手を添えて、遠くを見据えるリオン。ファリンも鉤爪手甲『銀影爪』を手に、臨戦態勢を整える。


 ほどなくして、視線の先に狼達の影が小さく見えた。その影は一直線にこちらに向かってきているらしく、あっという間にその姿が大きくなっていく。


 間違いなく、辺りに染み込んだ血の臭いに誘われてきたストームウルフだろう。奴らが以前に確認された群れなのか、それともこの臭いで新たに追加されたのかは不明だが。


「特別強力な個体がいるようには見えないな」


 見た限り、向かってくる群れは、普通のストームウルフと変わらない。ストームウルフの体長は、平均で二メートル程度。群れの中に特別大きな個体はいない。数はそこそこに多いが、初級冒険者ならともかく、四人組の五級パーティーなら、余程のことが無い限り全滅する事はないだろう。この見通しの良い場所で、中級上位の冒険者四人が逃げることさえできないとは考えにくい。


 そもそもストームウルフは、獲物の骨までは食べない。仮に冒険者が全滅していたとしたら、何らかの痕跡は残っているはずだ。だが今のところ発見できたのは、妙な血液の臭いだけ。


(やはり冒険者の失踪は、ストームウルフが直接の原因ではない……なら、この臭いと関連が? この辺りを詳しく調べてみる必要があるな)


 そんなことを考えていると、かなり近くまで接近していたストームウルフがわずかに加速した。ストームウルフは名前の通り、風を操る。ただし遠くに飛ばすことはできないので、あくまで自身の運動補助に使う程度だ。その技術も決して精巧とは言えず、せいぜい直進的な加速を行えるくらい。単体であれば討伐ランクは七級。三十匹の群れでも六級程度だろう。リオン達の敵ではない。


「奴ら自体に不自然な点は無い。さっさと倒して調査を続けるぞ」

「了解ニャ!」


 隣に立つファリンに指示を出し、こちらに狙いを定めて牙を剥きだしにする狼達に殺意を向ける。


 そんな強者の気配に気付くことなく突進してくるストームウルフ。


 彼我の距離は数メートルも無い。愚かにも飛びかかってきた奴から順に切り刻まれていくだけだ。


 そうして先頭にいた数体が、最後の踏み込みのために身を屈めたその時だった。




 ガコンッ!




 そんな機械的な音とともに、リオン達が立っていた地面が消えた。


「は?」

「ニャ?」


 目の前の敵に集中していた二人は、突然聞こえた音と直後の浮遊感に間の抜けた声を漏らす。


 どうやらリオン達は大きな落とし穴の上に立っていたらしい。何が作動のカギになったかは知らないが、リオン達のせいではないだろう。


 穴の大きさは一辺五メートルくらいの正方形。穴の蓋は、内側に開くタイプの観音開き。チラリと魔術陣が見えたので、魔導トラップの一種だろう。


「ウニャアアアアッ!」

「落ち着け、ファリン!」


 そんな状況を確認しつつも、絶賛落下中のリオン。バタバタと手足を翼のようにバタつかせるファリンに、冷静になるよう声を掛ける。


 本当なら今すぐファリンを抱えて、穴から抜け出したい。周囲の壁は人工的に整えられており、とっかかりになるようなものは無いが、リオンには魔法で空中を足場にする技『天脚』がある。ファリンを抱えてこの穴を脱出するくらいは容易だ。


 だがすぐさまそれを実行できないのには訳がある。というのも――


『グルゥアアアアッ!』


 リオン達の後を追うように、三十を超えるストームウルフの群れが上から降ってきているからだ。獲物が突然消えたが、加速中だったため止まれなかったのだろう。勢いあまって穴の中の壁に激突したり、手足をバタバタさせたり、クルクルと縦回転をしたりしながら落ちてくる。


 さすがにこの状況でなおリオン達を狙う気概のある奴はいない。だががむしゃらに振り回される太い手足や、鋭い爪は危険だ。避けていこうにも、この狭い空間で、三十体以上の狼の群れを全て躱すのは容易ではない。


 さらに厄介なのは、落下中のストームウルフが全て、風の魔法を解除していないことにある。しかも狭い空間の中に奴らが密集しているため、風がでたらめに吹き荒れている。


 リオンの天脚も、風属性の魔法技術。あんなマナも空気もかき回された中を抜けていくのは不可能だ。


「ファリン! まずは体勢を整えろ! 奴らを切り抜けて地上へ戻る!」

「りょ、了解ニャ!」


 リオンの指示に従い、空中で体勢を整えたファリンに、リオンが風魔法を使い落下速度を減速させる。ストームウルフ達の暴風圏内に入る前なら、この程度の魔法の使用は可能だ。


「端の連中は構うな! 邪魔になる奴だけを相手にしろ!」

「合点ニャ!」


 落下速度が落ち着き、体勢が安定したことで冷静になったファリンと共に、落ちてくる狼達を迎え撃つ。


「疾っ!」

「ニャッ!」


 空中での居合抜き。一太刀で胴を輪切りにされた二体のストームウルフが小さい呻きを漏らしながら、リオンを追い抜いて落ちていく。さらには二の太刀でもう一体の狼の首を刎ねた。


 ファリンは手甲を付けた両腕を突き出した。両の鉤爪は落下の速度も加わって、いともたやすく二体の狼の頭を刺し貫く。


「ウニャアア!」


 そのまま空中で体を捻り、勢いのまま爪に刺さっていた二体の身体をファリンが強引にぶん投げる。二つの死体は即席の投擲武器となり、その射線上にいた数体を巻き込んで吹っ飛んで行った。


 ほんの数瞬で、数体のストームウルフを処理した二人はさらに降ってくる狼達へと狙いを移すため上空を見上げる。


 すると――


「!? くそっ、扉が!」


 落下する狼達の背後で、ギギギと重い音をたてながら、ポッカリと空いていた穴が徐々に狭くなっていくのが見えた。どうやら狼達が全員穴に飲み込まれたタイミングで、扉が閉まり始めたらしい。


 扉の材質は、輝き具合から見ておそらくミスリル。扉の厚さはかなりのものだ。おまけにファリンを抱え、踏ん張りの利かない空中では、オリハルコン製の刃を持つ輝夜でも扉を斬り裂くのは難しい。一度閉じてしまえば、あそこからの脱出は不可能だ。


「ファリン、掴まれ! 多少危険だが、強引に突破する!」

「了解ニャ!」


 左手で抱き寄せると、ファリンは鉤爪が引っかからないようにリオンの胸元に腕を回す。それを確認した瞬間、リオンは天脚を発動。落ちてくる狼達を斬り裂きながら、何もない空中を蹴り上がっていく。


(ちっ! やっぱり風魔法が安定しない! 間に合うか!?)


 空気の足場を作るはずの魔法が安定しないため、思うように加速ができない。暴れる狼の爪による傷はこの際大したことはないが、急を要する場面で思うように魔法を使えない現状に、焦りが募る。


 それでも腕の中にいるファリンを庇いながら、真っ直ぐに穴の外を目指して中空を駆け上がっていく。


 そんなリオンの焦燥とは裏腹に、上空の扉の隙間は刻一刻と狭まっており、空から降り注ぐ陽光がどんどん細くなっていく。


「間に合えぇ!」


 最後の一体となったストームウルフを斬り払ったリオンが、最後の足場を作り出し、すっかり小さくなってしまった空へと、その手を伸ばす。


 だが扉の隙間は二人が通り抜けるくらいの幅はまだある。


 ストームウルフがいなくなったことで、風もマナも動きが落ち着いた。今なら万全の状態で天脚を使い、全力の加速が可能だ。


 大丈夫。間に合う。


 そう確信し、空気の足場を形成した――


 ――その瞬間だった。


「グルァッ!」

「何っ!?」


 リオンの下から(・・・)、一体のストームウルフが跳びかかってきた。


 閉まる扉に意識が集中していたリオンは、直前まで敵の接近に気付かず、狼の突進を許してしまった。


(こいつ、仲間の死体を足場に!?)


 どうやらリオン達が無視していたうちの一匹が、得意の風とリオン達が斬り捨てた仲間の死体を使って、リオン達の元まで駆け上がってきたらしい。風で自身を身軽に出来るストームウルフだからこそできた芸当だろう。このままリオン達も足場にし、上まで脱出を図るつもりだろう。


「このっ!」


 しかし不意は突かれたものの、リオンへ攻撃を届かせるまでには至らなかった。舌打ちとともに輝夜を振るえば、リオンに迫っていたストームウルフの首が飛ぶ。


 慣性に従い迫ってくる首なし狼の身体を、身を捻って躱すも、敵が纏っていた風に足場を乱されてしまった。


「くそぉっ!」


 それでもどうにか体勢を立て直し、安定しない足場を全力で蹴り、小さく見える空にその手を伸ばす。


「届けェええええええええええ!」


 だが、その叫びも空しく……


 ギィィィ、ガコン


 無情にも扉は完全に閉じてしまった。どんなに手を伸ばしても、空はもう見えない。


「くそっ!」


 イラ立ちをぶつけるように、閉じた扉に向けて輝夜を振るう。だが硬いミスリルの扉は、やはりオリハルコンの刃をもっても斬り破ることはできない。甲高い金属音を響かせて、リオンの刀が弾かれる。


「ファリン、灯りを付けれるか?」

「……ん、ちょっと待つニャ」


 腕の中で、ファリンがゴソゴソと身じろぎをする。五秒ほどで、いつも携帯している小型の魔導灯に光が灯った。


 その光に照らされて、閉じた扉の表面がはっきりと浮かんでくる。固く閉ざされた扉には隙間はなく、表面にはリオンにはわからない魔術陣が刻まれている。リオンが先ほど斬り付けたのだが、表面にはよく見ないとわからない程度の小さな傷があるだけだ。これでは何度試しても、扉をぶち破ることはできないだろう。


「……やはりダメか……すまん、ファリン。間に合わなかった」

「……ゴメンなさい。ファリンが足を引っ張ったから……」


 ため息を吐いたリオンが、閉じ込められたことを謝罪すれば、腕の中のファリンがリオンを見上げながら謝り返してきた。自分がいたせいでリオンまで閉じ込められたと思ったのだろう。金色の瞳が潤み、いつもの元気さが鳴りを潜めている。猫語も忘れるほど凹んでいるらしい。


「別にファリンのせいじゃない。俺も油断していた。帰ったらお互い反省会だな」


 ファリンの体を少し持ち上げて顔を近づけ、彼女を安心させるように微笑む。本当なら頭を撫でてやりたいところだが、両手が塞がっているのでそれもできない。


 確かにリオン一人だったら、天脚の速度や安定性も上がっただろう。落ちてくる狼も一人ならば、傷だらけになるのを覚悟すれば強引に突破できたはずだ。ファリンをつかまえるためにタイムロスもした。そういう意味では、確かにファリンがいたために閉じ込められたとも言えるかもしれない。


 だがそもそもこの穴に落ちたのは、どちらの責でもない。最後のストームウルフの攻撃は、リオンの油断が招いたものだ。ファリンだけが責任を感じる必要は無いだろう。


 それにたとえどんな理由があろうと、リオンが家族を見捨てて自分だけが助かることを許容できるはずがない。ゆえにこの結果は、自分達二人が受け入れるべき失敗だ。


「だから今はここから無事に帰ることに全力を尽くそう。手伝ってくれるよな?」

「……ニャ! 任せるニャ!」


 リオンが信頼を込めて問いかければ、いつもの笑顔に戻ったファリンが元気よく返事をする。そのことにリオンも内心で胸を撫で下ろす


 ファリンは黒の翼のムードメーカーだ。ファリンが元気を失くすと、リオンも落ち着かない。それは他のメンバーも同じだろう。これから何が待っているかはわからないが、ファリンの笑顔を曇らせないようにしなければ。


 そんな決意を胸に、リオンは顔を下に向ける。眼下には底の見えない闇が広がっている。魔導灯の灯りも届かないほどの深さがあるのだろう。リオンの天脚があれば、落下で死ぬことはないが、そこに何があるかわからない以上油断はできない。


「……降りるしかないか。着地はこっちでやるが、何が出てくるかわからない。ファリンも警戒していてくれ」

「了解ニャ!」


 足場にしていた風魔法を消す。時折魔法で落下速度を調整しつつ、リオンは謎と闇に包まれた穴の中へと落ちていくのだった。


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