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第7話

 週明け、仕事の帰り。


 会社の側にある大きな本屋さんに私はいた。


 例によって、この本屋さんも、良く通う本屋さんだ。


 私が勤務している会社は中堅どころの出版社で、この界隈には出版社が沢山ある。勿論、本屋さんも多い。


 ここはそんな中でも品ぞろえの良い店だ。


 店に入り、迷うことなくハードカバーの小説が置いてある所へ行くと、


「あった!」


 久保さんの最新作が平置きしてあった。


 店員さんのお勧めのポップも書かれていて、この本が一押しなのが一目でわかる。


 私はその本を手に取った。


"ヴァンパイアはかく語りき"


 それが、その本のタイトルだった。


 ミステリーと言うより、オカルトかホラーのようだ。


 私の苦手な分野の話なのは一目瞭然だ。


 でも、これを読んだら、彼の夢世界が見える気がした。


 私はその本をレジへと持って行った。




 それから2,3日、私はその本をひたすら読んだ。




 "今君に、伝えておきたいことがあるんだ"


 まるで懺悔するように始まったのは、主人公の回想。


 回想の舞台は18世紀から19世紀と思われる時代。


 彼は平凡な暮らしをしている男性だった。父親は自分の事業の拡大を夢見て真面目に働く堅実な男だった。


 彼自身も、平凡に仕事をして、親の仕事を継ぎ、フィアンセの女性と結婚して幸せな家庭を作ること・・・


 ありふれた、どこにでもある夢を持った青年だった。


 彼のフィアンセは、青年と同じ年の、まるで光り輝くスターサファイアのような女性だった。


 親同士の決めた政略結婚で、双方の親の経営する事業の拡大をもくろんでの事だった。


 政略結婚とはいえ、彼はそのフィアンセの女性をとても愛していた。そしてそのフィアンセも、彼の事をとても愛していた。


 そんな二人を、ある時悲劇が襲い掛かった。


 彼女と彼女の家族が乗っていた馬車が、ダイナマイト輸送中の馬車と事故を起こし、彼女一家はダイナマイトの爆破に巻き込まれて死んだのだ。


 そして、不思議なことに、同じ事故に遭いながら、ダイナマイト輸送中の、そのダイナマイト工場の親子は無事だった。


そう、その工場はフィアンセの両親のライバル会社で、ぎりぎりまで、その会社の親子もまた、会社の拡大をもくろみ、また息子は彼女を愛し、主人公と、彼女を取り合っていた。


 その結果、彼女と彼女の両親が選んだのはダイナマイト工場の御曹司ではなく、心優しく堅実な主人公親子だったのだ。


選ばれなかったダイナマイト工場の御曹司は、その腹いせに、輸送中の事故に彼女たちを巻き込んだ・・・・という噂が流れたほどだった。


 彼女の葬儀の後、夜中、深い哀しみに暮れて眠れない彼の目の前に現れたのは一人の悪魔・・・ヴァンパイア。


 彼女を亡くし、ライバル会社の社長とその息子に激しい復讐心を燃やしていた彼は、迷うことなく悪魔と取引・・・"契約"をしてしまう。


 彼はヴァンパイアとなった。


 ヴァンパイアになった彼の目的はただ一つ、彼女を事故に巻き込んで殺したあの親子に復讐を遂げる事。


 紆余曲折あり、彼はその親子との戦いの果て、彼らの胸に白銀の杭を突き刺し、とどめを刺した・・・そう、彼女を事故に巻き込んだ親子もまた、ヴァンパイアの一族だったのだ。不老不死のヴァンパイアの力を持つ親子、今考えれば、そんな親子がダイナマイト事故ごときで死ぬわけがない。


 ダイナマイト、という人殺しの道具を作る目的も明白だった・・・悪魔との取引で、一族は未来永劫、膨大な量の、人間の血と命を悪魔に捧げる契約をしていたのだ・・・


 一方、目的を果たし復讐を遂げた彼は、喜びに満たされる・・・筈だった。


 しかし彼は、復讐を遂げると同時に、生きる意味を失った。


 永遠の命ゆえに、彼は家族や友人がどんどん年老いて死ぬのを見届け、年を取ることのない容姿故、彼は周囲に不審がられ、身を隠して生き続けた。


 寿命が尽きて死ぬ事のないヴァンパイア。しかし、もともとは人間だったのだ。人間の心とヴァンパイアの本能、両方を体内に宿しながら、気が遠くなるほどの長い年月、生き続けることになった。


人間の生き血を吸わないと生きてゆけないヴァンパイア。でも、人間の心をも持っている彼は、生き血を啜る事に対する抵抗を捨てきれない。


 永遠の孤独・・・周囲にいるのは、身の毛のよだつ姿をした悪魔(自分だってヴァンパイアなのに)。人間の様に酒浸りになることは許されない。なぜならヴァンパイアは赤ワインなどよりも人間の生血をすすって快楽を得るのだから。


 たとえ、長い長い生の中で、人間の愛する娘が出来たとしても、たとえ本当に彼女を愛していたとしても、それと同じベクトルで、彼女の生血をすすりたい、と本能が叫ぶ・・・それを幾度となく繰り返した。


彼女の生き血を啜りたい、というヴァンパイアの本能と、彼女を愛し交わりたい、という人としての愛欲。


 血をすすりたい、という欲望に支配され、欲望に動かされながら、人間らしさも捨てられず、心と身体が交互に彼の主導権を握ろうとせめぎあい・・・


 やがて彼は疲弊し、心はボロボロになった。遠い昔に愛したスターサファイアのような婚約者の顔も笑顔も、もう思い出せない。


事故の原因になった馬車など、今となっては道を走っていない、代わりに走るのは、鉄の塊に車輪をつけた、馬などが引かなくても走る乗り物。


ダイナマイトはまだ世界に存在するけれど、今はそんな物よりも殺傷力のある兵器が主流になり、ボタン一つで、国一つが滅んでしまう。生血を吸う間もなく、灰になって消えてしまう、そんな殺戮兵器がどこの国にも完備されている。


流れてゆく時間さえ、彼を癒す事はなかった。


 そして、自分の人生を自分の手で終わらせる決意をした。


 最期の日の夜、懺悔をするのに選んだのは、愛する少女だった。長い長い生を貪り尽くした彼が今まで愛した女性など、大勢いた。でも皆、彼に生き血を枯れるまで吸い取られ、ミイラのようになって絶命した。この少女も、そうなる筈だった・・・


 少女。そう表現するのは語弊があったが、200年以上を生きた彼からみたら、齢20かそこいらの女など、子供に等しい。自分の生きている年数の一割にも満たない年数しか生きていない娘だ。しかも、かつて彼が愛したスターサファイアの彼女と美しさとも比べ物にならない。平凡な女だった。


 そんな、子供に等しい平凡な娘を彼が愛したのも、運命だったのかもしれない。


娘は、何も知らずに、ただ純粋に彼を慕い、彼もまた、彼女を愛しながらも、ヴァンパイアであるが故、少女に触れることもできず、愛を交わす事もできず、ジレンマに陥っていた。


 

 この200年余りの間に起きた事、自分の正体も、全てを告白し、祈りをささげ、朝日を浴びて灰になりながらも・・・


 君の血が欲しい


 朝日よ、早く私を跡形なく全て灰にしてくれ


 いいや、どうせ死ぬなら、その前に、君の血を全て飲み干して、君と一緒に、君の亡骸を腕に抱いたままこの生を終わらせたい。


 いっそのこと、彼女をヴァンパイアにしてしまって、2人で寄り添って、この永遠を生きようか・・・


・・・・ジレンマにのたうち回りながら、彼は愛する少女の腕の中で灰になった。


 その灰は、愛する少女の涙でぬれていた。




 内容は、オカルト、ホラーサスペンスとでもいうのだろうか?でも、内容が生々しくて、読むのにとても時間がかかった。


 何せドラキュラとか悪魔とか魔女とか、そういったものは、私の夢の世界では悪役同然。

 


 女性を愛したいと思いながらも、その女性の血を吸いたいと願ってしまうジレンマ。


 心はちゃんと人間として人を愛したい、でも身体はその真逆を求める。


こんな心理状態、どうやって作り出しているんだろう・・・私にとっては想像の外の世界だ


「はぁ・・・」


昼休み、読み終わった彼の本を閉じると、深く息を吐いた。


後味の良い話ではない。でも、ハッピーエンドに見えなくもない。


彼は永遠とも思える孤独とジレンマから解放され、愛する少女の腕に抱かれながら灰になったのだから。


彼の心の中の世界は、こんな無情な世界・・・ただ、それだけだ。


 ただ・・・彼の絶命した後の灰が、彼女の流す涙で濡れていた・・・そのワンフレーズだけが、心に強く強く残った。


「よ! どうした」


ため息をついている私の背中に、井原さんは見計らったように声をかけた。


「尋人さん・・・」


思わずそう呼んでしまった私に、尋人さんは軽く小突いた。


「こら、職場では苗字!」


プライベートでは麻里と一緒に三人で会う事が多く、その時は尋人さん、と名前で呼んでいる。でも、流石に職場でそれをやるわけにはいかない。でも、つい油断すると職場で名前で呼んでしまい、こうして怒られてしまう。


「んで、何読んでんだ?」


そう聞かれて私は、本の表紙を彼に見せた。


「久保の小説か?

結構独特な世界観だろ?」


「私の世界とは、接点はありませんね〜」


童話やおとぎ話好きな私にとっては、敵役が集団で出てくるような小説だ。


でも・・・確かに苦手な話ではあるけれど・・・彼の世界を全く理解できないか?ときかれると、そうでもなかった。


第一、人それぞれが持っている世界観など、十人十色だ。たまたま久保さんが持っている夢世界がこれだった、それだけだ。


それにしても・・・


「話の中にでてきたスターサファイアの彼女、覚えてますか?」


尋人さんに聞くと、彼はうなづいた。


「勿論。華麗に輝くスターサファイアのような女性・・・だったよな?」


私はうなづいた。久保さんのその描写を思い出しながら・・・どうしても心に引っかかった事があった。


「その人、なんか森野さんみたいだったなぁ・・・」


無意識にそう呟いていて、呟いた自分の顔が真っ赤になったのをはっきり感じた。そして、そう呟いた私の顔を、にやにやと意味深に笑いながら覗き込んだ。


「何だ? 久保に惚れっちまったか?」


からかうようにそう言う尋人さんに、私は慌てて大きく首を横に振った。


「そんなんじゃないです!」


そう、そんなんじゃない。


ただ。


ただ………


印象的な色の目を、していた、彼。


そう、まるで夜の闇のような色の。


カフェで話した時、一瞬だけど、同じ物を感じた。


世界こそ違うけど、現実世界とは違う、自分の夢世界をしっかり持っていて、そことなんらかの形で触れている。


 そんな気持ちはちゃんと理解できた。自分の世界の大切さ、大切にする故に自らしている事は違うけれど・・・


 彼は、現実世界で見た夢を小説、という形で具現化して、私は本を開いてその世界に入ってゆく・・・


 それだけの差。そう思うと、彼に対してとても親近感がわいた。


 それ故に・・・スターサファイアの君が森野さんと似ているような気がしたのが気になった。


 彼の夢世界に、森野さんが住んでいるの?


 そう思うと、何とも言えない気分になった・・・彼の夢世界に入ることを許された人・・・


 考え出すときりがなかった。



 私は軽く首を振って、ぐっと伸びをすると、事務室の席に戻った。


 そして、パソコンを開き、翻訳をゆっくりと始めた。


 まだ資料は不完全だけれど、翻訳できなくはない。判らないワードが出てきたら、あとで久保さんから借りる資料で調べればいいや、と軽い気持ちで始めた。



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