第63話
指を踏まれたショックは勿論、周囲のざわめきとボウイさんの判断、中田さんが久保さんに言い放った言葉も手伝って、持ち前の人見知りが頭を擡げ、目眩を起こしそうになった。ふらつく私を支えるように、中田さんが私を支えてくれた。
「大丈夫か?」
「そんな心配しないで。中田さん、大袈裟だよ?」
心配かけたくなくて、強がってそう言ったけど、中田さんには効かないみたいだ。私を支える腕に、無言で力を込めた。
幸い指は、派手に血が出た割に、傷は浅く、骨折の処置も縫合もしないで済みそうだった。
仕事に影響が出ない。それだけでもラッキーだった。でも、せっかく久保さんにあげようと思ったプレゼントは、紙袋ごと潰れている。
医務室で傷の応急処置をしてもらい、念の為に病院でちゃんと診察して貰うように言われた。
「それにしても、酷いことするもんですね。
この傷、間違えて踏んだ、なんてかわいいもんじゃない。かなり力を入れてヒールの踵で踏んだみたいです。骨折しなくて本当によかった。
・・・その女性と、喧嘩でもしてたんですか?」
「・・・いえ、相手も相当酔っていたので、単なるアクシデントです」
中田さんが、そう言ってくれた。会場で喧嘩、何てことになったら、迷惑を被る人が沢山いるだろう・・・その懸念があった。
「有難うございます。ご迷惑おかけしました」
傷の手当が終わって、手当てをしてくれた医務の人にお礼を言って、医務室から出た。
医務室から会場へと戻る途中・・・私はもう虚脱状態だった。
痛む怪我のことはもちろん、踏み潰されてしまったプレゼントを、久保さんに渡す勇気など、プレゼントと一緒に踏み潰されてしまった。
「・・・中田さん?」
会場へと戻る途中、一言も喋らなかった私は、俯いたまま、中田さんに言葉を続けた。
「例の賭け・・・私の・・・負けです」
私の言葉に驚いたのか、繋いでいた中田さんの手が、かすかに動いた気がした。
「・・・本気で・・・言ってるのか?」
それは、私の気持ちを再確認するようだった。私は無言で頷いた。
「決着、つけなくていいのか?」
「つけようがないでしょう? 話すきっかけも、これじゃ・・・」
私は踏み潰されて無残な姿になった紙袋を見つめた。せっかく焼いたチーズケーキは、無残に潰れて、とても人にプレゼントできるものではない。
「きっかけなんて、他にもいくらでもあるだろう?
普通にこんばんは、久しぶり、でもいいんじゃないのか?」
「それが出来てたら、とっくに告白して、ふられてますよ。
それに私・・・自分から、久保さんに話しかけたことなんて・・・あんまりないんです」
そう、会って話をする時だって、その殆どは、彼から話しかけてくれるのだ。いつの間にか、私はそれに随分甘えていた。
だから・・・プレゼントを用意していたのかもしれない。無意識に、話をする口実
が欲しくて・・・プレゼントをすることよりも、話しかける口実の方が優先だったのかもしれない。
「確かになぁ・・・」
中田さんの言葉に再び落ち込みそうになったけど、その後に続いた
「たとえ話しかけても、森野がそれを許さないよなぁ・・・」
という言葉で納得してしまった。つまり、私が久保さんに近づくことを、森野さんが邪魔するだろう、という事。さっきみたいに・・・
声が詰まって、言葉の続きが出なかった。それでも泣くのを必死でこらえて、私は顔を上げると、中田さんを見上げた。
「少し・・1人にさせてもらえますか?」
「沙織ちゃん?」
「・・・・少し落ち着いたら、さっきの所に戻ります。少し・・・お願いですから、1人にさせてください」
本当はもう、耐えられなかった。このまま会場に戻ったら、中田さんや、中田さんのお友達の前で泣き出してしまいそうだ。いい歳した女が人混みの中で泣くなんて、出来ればやりたくない。
まして、泣いてる原因が、恋にも満たない恋の失恋だなんて、安っぽい恋愛小説みたいだ。
そんな姿を中田さんに見せたくない。仕事メインで会うことの多い彼に、仮面の剥がれた顔を見せたくない、と思ったのは、私の中の、わずかなプライドだったのかもしれない。
「わかった・・・じゃあ、さっきの席で待ってる」
中田さんはそう言うと、私のことを気にしながらも、会場へと戻って行った。




