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第3話

 図書館の裏手にある、カフェ"クリムゾン"。


 存在は知っていたけれど、入ったことのないカフェだった。私が良く行く、こじんまりとした小さなブックカフェとは違う、個人経営とはいえ、少し大きめなカフェだ。テラス席も充実していて、フランスの大通りにありそうなお洒落なカフェだ。


「ここ、奴らの溜り場なんだ」


「奴ら?」


「若手の小説家っていうかクリエイターっていうか・・・まあ、会えばわかるかな?さ、入ろう」


彼に促されてドアを押して中に入った。中は、お昼から時間がずれているせいか、かなり空いていた。店内の時計を見ると、そろそろ午後二時を回る。


 彼は店内をぐるりと見回し、あっという間に、店の奥の四人席に座っている目当ての人を見つけた。


「あ、いた! 久保さん、中田さん! 森野さん!」


 尋人さんにそう呼ばれて振り向いた3人・・・そのうちの一人は女性、2人は男性だった。そしてそのうちの男性一人は、私を見て、嬉しそうな笑顔を見せてくれた。


「あ、沙織ちゃん! 久しぶりー!」


「あ、お、お久しぶりです」


 三人いたうちの一人は、イラストレーターの中田蓮さんだ。


 以前、一緒にお仕事させていただいたことがある。イラストレーターとして幅広く活躍している人で、私が翻訳の仕事をする前から、イラストレーターとして活躍している人だ。


 童話の挿絵のようなメルヘンな画調と、SFやファンタジーのような非現実的な世界、二つの画調をもつ稀な人だ。


 もう一人の女性は、面識はない。でも私はその人を良く知っていた。この業界にいて、知らない人など稀だろう。


「もしかして・・・森野彩奈さんですか?」


 思わず言ってしまった。すると彼女・・・彩奈さんはにっこり笑って頷いた。笑顔が、女優並に綺麗な人だ。

 

 茶色いショートカットの髪に、流行りのファッションモデルが着こなすようなデザインの服をそつなく着ている。本当にモデルさんや芸能人みたいだ。


 この人は、数年前デビューした小説家さんだ。当時彼女はまだ大学生で、最年少で芥川賞を受賞して話題になった。その頃の私はすでに就職して前の職場でOLをしていた。今の職種とは関係のない仕事をしていたけれど、それでも彼女の事と、彼女の作品は読んだ。


 次代の純文学の業界を担う存在・・・として、当時は注目の的だった。


 今は、私や井原さんが勤めている出版社の別の編集部の雑誌に定期連載している。


 そしてもう一人は・・・


「あ、こいつは、初めて会うよな? こいつが、さっき話した久保聖夜。名前くらいは知ってるよな?」


 私は驚きのあまり、声さえ出なかった。


 知っている・・・というより、覚えている。






 3年前だろうか? 4年前だろうか?


 まだ、私がOLして、伊原さんから翻訳を頼まれていた頃。


 会社の近くのブックカフェで、たった一回、出会った人。


 あの日から何年か過ぎて、私は勿論、彼も容貌が変わったけど。


 紹介された私をまっすぐに見るその眼と、その不思議な色は、あの日、本に目を落としていた、あの視線と全く同じだった。


(人違い? でも・・・)


 私はすぐに、あのブックカフェの人と今目の前にいる人が別人だと、他人の空似だと否定した。でも。


「初めまして。久保 聖夜です」


 そう言って私に会釈したその声は・・・あの日、数言交わした会話での声、そのものだった。


 もの覚えは良い方ではない。でも・・・あの日の事は、どんなことよりもはっきりと記憶に焼き付いていた。


「・・・沙織ちゃん? どうかしたの?」


 尋人さんに声をかけられて、私は慌てて心を現実の世界に戻した。


「いいえっ! なんでもないです。 私、石垣沙織といいます」


 そう言ってお辞儀するのと同時に、カバンから名刺を取り出して、森野さんと久保さんに手渡した。


「あ、どうも・・・」


 2人はそう言いながら私の名詞を受け取ってくれた。そしてそれをざっと見て。


「井原さんの後輩さんなんですね」


「出版社が同じでも、部署が違うとお会いすることもないですから、お会いするのは初めてです」


「ふぅん、翻訳家さんなんだ」


「はい」


 森野さんの問いかけに、私はそう答えた。彼女はにこやかに私の事を見ている。でも、そのにこやかさは、友好的なそれとは明らかに違う気がした。


見下すような、明らかに自分より下の人間を見るような、そんな視線だった。


(な、何・・・この人・・・)


 その視線に嫌悪を感じながら、心の中でそう呟いた。


「初めて見る子だね」


「まあな。そんなところだ。うちの編集部の秘蔵っ子だ」


 久保さんの言葉に対して、詳しい説明を、尋人さんはしなかった。その代わりに中田さんが


「井原さんがスカウトした、将来有望な翻訳家さんだよ」


そうフォローしてくれた。中田さんは顔立ちが整っていて、仕事も出来る、私から見たらパーフェクトな人だ。


その王子様みたいな顔立ちは、久保さんとは違う魅力だ。久保さんが影だとしたら、中田さんは、性格も容姿も、まるで光みたいだ。


「ほら、井原さんの課、外国書籍の翻訳だろ? 俺、前、沙織ちゃんとは一緒に仕事した事があるんだ!

 まあ、座って! 立ち話も何だしさ、昼、まだなんだろ? 食べながら要件聞くよ」


 中田さんは人懐っこい笑顔でそう言うと、私達に椅子をすすめてくれて、メニューを差し出した。


 私は、そのメニューを、そのまま尋人さんに広げてみせ、もう一冊、自分用のメニュー表を手を伸ばした。


「でも、会えてよかったよ。俺、ずっと沙織ちゃんに会いたかったんだ!」


「えっ?」


 突然思わせぶりな事を言われて、自分用のメニュー表に伸ばしかけた指が止まった。


「ほら! 前に打ち合わせの時、土砂降り振って、沙織ちゃんにハンカチとタオルと傘、借りただろ?

 あれ、まだ返していなかったから、次に会えたら返そうってずっと持ち歩いてたんだ!」


 言われて、あの日の事を思い出した。


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