第20話
やがて、それほど待つこともなくエレベーターが到着した。幸い誰も乗っていなかったので、私はそれに乗り込み、一番奥の角の所に寄りかかった。
「ふぅ・・・」
やっと、大きく息を吐いた。そして、エレベーターのドアが閉まるのを待った。本当なら、さっさと「閉」のボタンを押してしまえばよかったのだけど、そんな余裕さえ、なかった。
やがて、ゆっくりとエレベーターのドアが閉まった、その時。
閉まりかけたドアが、突然止まり、ドアが開いた。外から、誰かがドアが開くボタンを押したようだ。
他に誰かが乗るみたいだ。そう思ったとたん、隅に寄りかかっていた私はすっと背筋を伸ばし、何事も無いように顔をあげた。
「・・・石垣さん?」
乗り込んできたのは、久保さんだった。
「久保さん」
私の声は、声になっていただろうか? 声にさえ、ならなかった。
「久保さん・・どうかなさったんですか?」
それでも、何食わぬ顔をして聞いた。パーティーはまだお開きになっていない。その前に抜け出すのは私位だと思っていた。
「ああ・・・ちょっと用があるんだ。石垣さんは?」
「少し、人に酔ったのでお先に失礼させていただいたんです」
なるべく平然を装ってそう言ったけど、それ以上、上手く言葉が出てこない。
「あのさ・・・」
それでも久保さんは、私に話しかけようとしている。
「この前のフェルメールの時は、断って、悪かったな。
本当は行きたかったんだけど、フェルメール展についての取材と対談が入ってて、行きにくかったんだ。
でも、まさか収録の日に、君と中田さんが来るとは思わなくて・・・君には嫌な想い、させちゃったな」
先日のフェルメール展! 久保さんは、私が…私と中田さんがいたことに気づいていたんだ!
「それと・・・さっきは、森野が失礼なこといって、悪かったな」
さっきの森野さんの言葉が脳裏をよぎった。別に久保さんは悪くないのに、わざわざ謝ってくれているのは・・・久保さんにとって、森野さんが特別な存在だから?
特別な存在の不始末だから、代わりに謝っているの?
そんな、疑念にも似た想いがわいてきたけれど、私はそれから目を逸らし、作り笑顔を見せた。
「気にしないでください。
その・・・私の方こそ、申し訳ありません。
久保さんが、その・・・森野さんとお付き合いしているって全然知らなくて・・・森野さんに嫌な思いをさせてしまったみたいです」
ところが・・・私がそう言うのと同時に、久保さんは、まるで狐につままれたような、不思議そうな顔をした。
「森野・・・?」
「あの・・・お付き合いしてるんじゃないんですか?」
思わずそう聞いてしまうと、久保さんは苦笑いして首を振った。
「俺と森野は、そんな関係じゃないよ。
あの日は、フェルメールの対談と収録の仕事で彼女と一緒だったんだ。
彼女とは同じ大学出身だし、似たような時期にデビューしたから、いろいろ話すけどなぁ。
ジャンルが違うから、な。・・・彼女は純文だし、俺はどっちかといえばミステリーだし。考え方もものの感じ方も、彼女は俺以上に建設的にしっかりしてる。
そんな甘ったるい関係じゃない」
静かにそう言った。
「そんな風に見えるのか?」
逆にそう聞かれ、私は戸惑いなく頷いた。
「私、久保さんと会ったり見かけたりするときって、久保さんが独りの時か、森野さんと二人の時ばっかりですよ。だからてっきり・・・」
私はそこで言いよどんだ。言葉にしてしまうと、自分の想いまで口に出してしまいそうで・・・
ふっと・・・彼が笑った気がした。
「今度、フェルメールの埋め合わせ、させてほしいんだ」
「えっ!」
そう言いかけた瞬間だった。
外で、何かか鋭く光った気がした。そして
ーーーーバリバリバリッ! ドンッ!!!!ーーーーーー
エレベーターの壁や窓が震えるほどの大きな音と衝撃が、狭いエレベーターに響いた。
さらに、次の瞬間
"フッ"
エレベーターの電気が消え、
"ガタン!"
エレベーターの動きさえ、止まった。
いきなり真っ暗になった周囲に、
「っひっ!」
絶叫しそうになっていた。それを抑え、その代わりに、突然の変化に、膝がぬけて倒れそうになった。
「おいっ!大丈夫か?」
暗い中で久保さんの声がして、フラフラになった私を抱きとめた。
久保さんに抱きしめられている・・・でも、冷静さを失った私には、そんな現実、実感することなどできない。
ただ、真っ暗なエレベーターに閉じ込められている、その恐怖感しかなかった。
「な、な、何今の?」
暗くなったエレベーターの中は、本当に真っ暗で、非常用のインターホンさえ、どこにあるのかわからない。幸い、このエレベーターは窓があって、窓の外が見えるのだけが唯一の救いだ。
とはいえ、窓の外も真っ暗で、ガラスには雨つぶが沢山吹き付けている。
「停電・・・みたいだな」
彼の、ことさら落ち着いた声が、エレベーターの中に響いて聴こえた。
そういえば、外の、他の建物の明かりも、国道の信号さえも消えている。
光っているのは濡れた窓ガラス越しに見える遠雷の光位と、国道を走る車のライト位だ。
「・・・雷が、かなり近くに落ちたな。一時的だろうから、このままでいよう」
「うん・・・」
そうは言ったものの、こんな真っ暗だと、どこに何があるのかさえ分からず、私はただ、倒れそうな身体を、彼に預けているだけの状態だ。
それを立て直し、手探りで壁を見つけて、やっとの思いで自分の足で立ち上がったけど、ふらふらして思う通りに立てない。
「立てるか」
「どうにか・・・」
いつまでも彼に抱きついているわけにもいかない。
「暗いところ、苦手か?」
「好き…じゃないよ」
正直言ってしまえば、暗いところは平気だ。エレベーターのような閉所も怖くはない。
でも、閉所と暗いところがセットになると、自分でも信じられないくらいの恐怖と、わけのわからない感覚に襲われた。
再び、窓の外に雷が落ちた。今度は少し遠いところの様で、音もさっきほどではなく、稲妻の光は、真っ暗な空を一瞬、裂くように明るくした。
それと同時に、遠くの方で、ごろごろと低い音がする。一瞬震えが走った。
「しっかりしろ」
怯える私を、彼は再び抱きしめた。
久保さんの手に力がこもるのがハッキリわかり、私は久保さんに支えられて、ようやく立っているんだ、という事を改めて思い知らされた。
「大丈夫じゃ・・・なさそうだな」
「駄目じゃないです。でも、暗いところも・・・閉所も雷も・・・三つそろって一緒になると・・・想像以上に怖いんだなって・・・」
震える声でそう言うと、耳元で軽いため息が聞こえた。
「大丈夫だよ・・・大きく息を吸って・・・はいて・・・」
彼に促されるままに、深呼吸をしていると、少しずつ、落ち着きを取り戻していった。
そうなると逆に、この沈黙が怖くなくなってゆく・・・そして落ち着いたのも手伝って
「久保さんは・・・暗いところ、平気なんですか?」
そっと、久保さんに聞いてみた。すると。
「そうだな・・・好きかも」
心持ち、優しい声だった。
「暗い世界でないと、どうしても見えない物だって、あるんだ。
光だって、そうだろ?
光の輝きは生きてこない。
だから・・・俺の世界は闇なのかもな・・・
君の大好きなおとぎ話や絵本の世界とは対極だろ?」
「え?」
そう言えば、久保さんの作品は、私が読むのに苦労するくらい、暗さや闇がベースになっている。
でも・・・そこのどこかには、必ず光があった。
それが、彼の作品の最大の魅力ともいえるように・・・
"ヴァンパイアはかく語りき"で言えば。
話の後半に出てくる、ヴァンパイアが懺悔をする少女や、彼に救いの手を差し伸べる存在は、いくつかあった。それらは、暗く闇に満ちた彼の物語を明るく照らしている。
「ほら、窓の外、見てみな」
彼に支えられて立っている私は、彼に促されるまま、彼が示す方を見てみた。すると、停電で暗闇だったはずの都内で、少しずつ、その停電が治ってきたらしく、再び灯りが付いているビルがある。
空には相変わらず、遠雷が光り、雨は酷いけれど、それでも、戻ってきた普段の明かりは、いつもよりもとてもきれいに見えた。
そして、停電が回復しつつあるのか、その街の灯りは、少しずつ、ゆっくりと増えていった。
「綺麗・・・」
「闇の中じゃないと、見えない光。普段は気づかないだろ?」
「ええ・・・」
雨粒で少しぼやけて見える外の光は、普段とは違う夢のような光景だった。
その時、私は、さっき彼が言っていた言葉や、彼の描くストーリーの意味が判った気がした。
光り輝く現実世界の中でいくら輝いても、陽の光にかき消されてしまう。
でも、闇の中だったら・・・
どんな光も美しく輝きを増し、誰も、その光を見失うことはないだろう。
真夜中、船を導く灯台の光のように・・・
古代、旅人を導いた夜空の星の様に・・・
一瞬、私は、その見たこともない光景に心奪われた。
エレベーターは止まり、動く気配もなく。
エレベーターの電気も消え、エアコンも切れ、だんだん汗ばんできて、息苦しささえあるのにも関わらず。
久保さんが示してくれた、闇の中のわずかな光は、様々なことさえ、忘れてしまうほど、綺麗だった。
暫く私は、その光景に見とれて声さえ発することが出来なかったけれど。
やがて、落ち着いてくると、私は今、久保さんに抱きしめられていて、私もまた、久保さんのジャケットの袖をぎゅっと掴んだままだった。
その現状に驚いて、慌てて彼から離れようとしたけれど、彼はそれ以上の力で、私を抱きしめていた。
「中田さん・・・」
何かを耳元で小さくささやいた。それはあまりにも小さな声で、もしかしたら私の空耳だったのかもしれない。
「えっ?」
聞き返そうとした、次の瞬間・・・
"ガタン!"
エレベーターが、不意に揺れた。そして、独特なモーター音とともに、ゆっくりと下へと下がって行った。同時にエレベーターの電気もつき、見とれていた外の風景は光に溶けて消えた。




