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第1話

あの魔法のような黄昏から、3年後。


「うーん・・・」


 休日の市立図書館の一角で、私は本の山と格闘していた。


 図書館は、殆ど毎週通っている。図書館の空気感は、いつもよく行くブックカフェの空気とも違って、その空気を感じるだけでも、気分転換になる。


 でも、最近はそうはいかなくなっていた。


 特に、苦手な分野の調べものをするときは、この大好きな空間で憂鬱な気持ちになる。


「北欧の言い伝え、口承、口伝、ドラキュラ伝説、魔女裁判・・・あとは・・・」


 思いつくワードを片っ端から検索パソコンに入力して、出てきた文献のコードをプリントアウトすると、片っ端からカウンターへ持ってゆく。


「・・・なんか、今日は随分煮詰まってるね」


 カウンターには、すでに顔見知りになって数年が経つ、図書館司書の麻里・・・井原真理が苦笑いしている。


「尋人兄さん、沙織にまた無理難題持ってったの?」


「うん・・・もう、参った」


 麻里のお兄さん・・・井原尋人さんの人懐っこい笑顔を思い出し、私はため息をついた。


 もともと、尋人さんが、今の・・・ううん、ここ3、4年の面倒事のきっかけだった。


 彼に出会わなければ、私は今も、ブックカフェ通いと本屋めぐりを趣味にした、気楽なOL生活をしていた筈だった。


 転機が訪れたのは4年前の冬だった。


 就職直後から通い続けて数年になる、この図書館の常連と司書、と言う人間関係から友人となった井原麻里。その麻里の紹介で知り合ったのが、麻里のお兄さん、井原尋人さんだった。


 話してゆくうちに、尋人さんは出版関係に勤めていて、英語書籍の和訳書や、洋書の出版に携わる仕事をしていることを知った。


 その出版社の出版物は私も好きで、その出版社の出す絵本や童話には、今も昔も心に残るものばかりで、私の部屋の本棚には、和書、洋書問わず数多く並んでいる。


 その話をするとすっかり気を良くした尋人さん、あっという間に意気投合して、麻里も交えて3人で出かけたりする仲になった。


 生来、私は人見知りだった。電話に出る事さえ苦手だし、ピザや出前の電話さえ出来ない。初対面の人とはろくに話も出来なかったし、話はもっぱら聞き役。その話も長引くと嫌気がさしてくる。同じ話を二度三度一方的に繰り返す人に至っては、その話がどれだけ面白くても、出来ればお近づきになりたくない。


 でも、社会に出てOLとして働いていると、人見知りだから、一人でいる方が好きだから、電話で話すのが苦手だなんていう言葉では片付かない事態だって起きる。


取引先から電話がかかってきたときはちゃんと電話に出て対応しないといけないし、オフィスに打ち合わせに来た人には丁寧にあいさつしてお茶を出し、時として深夜遅くまで会議や残業だってあるし、満員電車や終電だって、大嫌いだけど、普通に格闘する。


 連日神経をすり減らしていた。その気分転換に、毎週大好きな、あのブックカフェと図書館に通ってのリフレッシュしていた。それが、人見知りで人と話すのが大嫌いな私が、人の波の中で自分の意志で立ち、社会人としてしっかりと仕事をするのに必要な事だった。


大学時代英文科に所属して、そこそこ英会話もできて、英文も読める(と言うより、会社で役立つ、私が持っている唯一の特殊技能がそれだけだ)、ということで、海外から来たクライアントとの通訳や接渉も任されていた。海外クライアントと英語で喧嘩になることもあるけれど、それでも引けを取らないくらいの度胸も身に着けた。


 それでも、人見知りは治らない。素に戻ったときの会話下手や人付き合いの悪さも、改善されない。緊張感のある仕事から解放されると、本来持っている人見知りと引きこもり癖が頭をもたげ、お気に入りのブックカフェと図書館に引きこもり、その世界に浸りきっていた。


そんな裏表はあるけれど、気楽なお一人様生活にもすっかり慣れて、一人でファミレスで食事をするのも一人でショッピングに行くのも、何も抵抗もない。むしろ友人と出かけるの事の方が稀だ。一緒に出かけるのはせいぜい私の人見知り生態を知っている麻里位だ。


 社会に出て数年、そんな生活をするうちに、仕事モードの時は人見知りを無理にでも封印して生活していた。その代わり、仕事から一歩離れた場所では、絵本と童話、物語が織りなす夢の世界で一人の時間を満喫する・・・そんな風にメンタルバランスを保ち続けていた。


 一方尋人さんの方はと言えば・・・彼の辞書には"人見知り"などというワードは載っていないようで、初めてあった人でも、すんなりとその人の心に入ってゆく、私にはない才能の持ち主だった。実際、以前営業にいたことも手伝って、人脈の広さと人当たりの良さは、私にとっては異星人の様な人だ。


 そんな異星人の術中に落ちて行った私は、生来の人見知りを発揮する事もできず、彼とは何のストレスも、誰かと一緒にいるという精神的苦痛を味わう事もなく、なんの苦もなく友人関係を構築してゆき、気がつくと彼のささやかな難題に、苦もなく巻き込まれていった。


こういう人は、私の人間関係では本当に稀なタイプだった。多少強引な性格を除けば、本当にいい人だ。


 彼は既に結婚していて、素敵な奥様と可愛いお嬢さんがいる。そのお家に麻里と招待されて、楽しい時間を過ごすこともあった。


 人当たりが良くて、お友達も多くて、誰からも愛される人だ。 話術が巧みで、どんな話にも付いて行けるだけの知識の広さと多さ、それに対する彼自身の考え方もしっかりしている。こんな人が上司だったら面白いだろうな・・・と思う。

 

でも、そこまでなら、単なる素敵な友人関係が広がっただけで済むはずだった。


けれど、この関係には尾ひれがついた。


 ある時、いつものように三人で会った時、尋人さんがちょっと困ったような顔をしていた。


「どうかしたんですか?」


 そう聞くと・・・


「いや・・・実はさ

 今度出版する事になった外国の童話集の翻訳頼んでいた人が病気になって、仕事出来なくなっちまって・・・納期が遅れそうなんだ。他にツテもあたったんだけど、みんな他の翻訳中でこっちまで手が回らないらしくて・・・」


 外国の童話集・・・それを聞いた途端、まるで大好きなおやつを目の前に差し出されたような気分になった。


「どんな・・・内容ですか?」


 興味本位も手伝って聞いてみると、その本は・・・私もよく知っている本だった。しかも!


「それ、私、洋書で持ってますよ」


 ・・・そう、子供の頃、父が海外出張の時に買ってきてくれた童話集だったのだ。


 偶然とは恐ろしいもので、私は子供の頃、辞書を片手に必死で翻訳して、大体の日本語内容は判る。


「・・・もしかして・・・沙織さん、翻訳できるの?」


「仕事としてやったことはないですけど、洋書読むくらいなら・・・」


「お兄ちゃん、沙織に仕事の話持ち込むのはやめてよ!

 彼女、普通のOLやってるのよ!」


 麻里がそう言ってくれたけど、尋人さんはそんな言葉、全く聞かずに、人懐っこい目で私をじっと見た。


「じゃあ、今度その童話集渡すから、翻訳してくれないかな?」


 突然ふって湧いた話、一瞬返事を躊躇した。でも、いつも仲良くしている尋人さんのたっての頼みだ。もしも私で役に立つなら、お手伝いしたい。


 それに何より、昔からお気に入りだった洋書の童話集が私の翻訳で出版される・・・そう思うだけで胸がわくわくした。


「いいですよ。私でよければ・・・」


「そうか!いやー助かるよ!! ありがとう!!」


 彼はそう言うと、私の手を取ってぶんぶんと振った。その横では麻里が、呆れた顔をしている。


"もう、知らないわよ"


 彼女の顔はそう言っていた。でもその時、私は彼女のその表情の意味がまだ分かっていなかった。


 

 それからしばらく、私は仕事が終わると、ブックカフェにも図書館にも寄らず、まっすぐ家に帰り、尋人さんから預かった洋書を翻訳をした。偶々仕事も、大きなイベントが終了した後で、残業も少ない時期だったので、それほど苦にはならなかった。何より子供の頃から接している童話集、懐かしさも手伝って、あっという間に翻訳が終わった。


 訳しながら、子供の頃には気づかなかった物語の意味や、独特な言い回しも出てきて、何度か辞典や辞書ソフト、専門書と格闘したけれど、それさえも、楽しい時間だった。


 そして、翻訳済の原稿を見た瞬間、尋人さんの目の色がさっと変わった。


「・・・沙織さん、本当に翻訳業、やったことないの?」


「はい。会社でアメリカのクライアント相手にちょっと英語使うくらいですよ?」


「それにしちゃ、随分翻訳慣れしてるよな。文章のニュアンスとか意訳とかも、完璧だよ?」


「私、英文科出てるし、子供の頃からずっとこういう海外の童話とか絵本、読んで育ったんです。


仕事では英語しか使いませんけど、父がヨーロッパ方面の外交官や駐在大使していたので、そっちの言語も読む程度ならできますし・・・」


 あんまり他人には理解されない趣味を褒められて気を良くした私は、つい口が滑って、外国の言葉に親しんでいた経緯まで話してしまった。


 結局、私が訳した文章は、そのまま校正が入り、出版される事になった。


自分の翻訳した本が出版された。それは、嬉しさと気恥ずかしさの混ざった、今まで感じた事もない気分だった。


私が書いた物語ではないけれど、原文を訳しながら、私なりの解釈や、日本語にはない独特な表現を日本人にもわかるように表現して出来上がった物だった。


そう、動く事のない人形が、私の身体の中にある、私の中にしかないエッセンスで、息を吹き返し、命が宿り、動き出したような。


自分の世界が広がるのを感じた、そしてそれが、何よりも嬉しかった。そして・・・そんな機会をくれた尋人さんには本当に感謝した。


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