第17話
ホテルについて、クロークで荷物を預けて身軽になると、私達はエレベーターでパーティー会場へと向かった。
ホテルは、1階と2階は、それぞれホテルの関連施設があって、3階と4階に宴会場の施設がある。今日のパーティの会場は4階の会場となった。
会場の入り口付近には、「中田 蓮 出版記念パーティー会場」と書かれてあり、それだけで緊張感が煽られるし、ここに書かれている人物が、私が知っているあの中田さんと同一人物だなんて信じられなかった。
勿論、中田さんがイラストレーターだという事は知っているし、素晴らしい作品を書いていることも知っている。でも、一緒に仕事をしたことのある人で、気さくで面白い人で・・・画集まで出版する人だ、という認識はあまりなかった。
そんな思いの中で受付を済ませて中に入ると、別世界の人たちがざわざわと談笑していた。
今回画集を出版する出版社の人や、中田さんと同じイラストレーターの人、私達のような、一緒に仕事をした事のある、他出版社の人・・・様々だ。
その空気に圧倒されていると、誰かが突然話しかけてきた。
その雰囲気に一瞬で呑まれそうになった。
足が竦んでいる私とは対照的に、尋人さんはいつもの足取りのままだ。
「井原さん、お久しぶりですね」
突然、尋人さんにそう声をかけてきた人がいた。見ると壮年の男性がそこに立っていた。
「百瀬さん、お久しぶりです」
「君がこういう所に来るなんて、久しぶりだな」
「部署変更があって、今は制作部門にいます」
「・・・そちらの方は?」
突然、話が私に振られた。すると尋人さんはにこやかに答えた。
「うちの部門で翻訳をやっています。石垣です。以前、中田さんと一緒に仕事をした事がありまして」
「あ、そうですか・・・私、●○出版の百瀬と申します」
そう言っていきなり渡された名刺に戸惑いながらも、OL時代の記憶が過り、当時習った通りに名刺を受け取り、
「ありがとうございます」
と言って、私も慌てて名刺を差し出した。
●○出版といえば、この業界では大手だ。そこの人と尋人さんは知り合い、ということ?
尋人さんが百瀬さんと話をしていると、また別の人が近づいてきた。
「井原さん」
声をかけてきたのは、先ほどの人よりもやや、年若な人だった。
「穂積さん!」
「なんだよ、全然顔を出さないから、てっきり転職でもしたのかとおもったよ!」
さっきの人よりも随分気さくに話しかけてきた。井原さんは苦笑いした。
「するわけないだろ! 営業から異動しただけだ。どうだ、最近は?」
「相変らずってとこか? 追い立てられてるよ・・・で・・・そちらの人は? お前の後任か?」
そう聞かれて、尋人さんは慌てて首を横に振った。
「いや、後任の営業はもう来てる筈だ。あとで紹介する・・・彼女はうちの翻訳家の・・・」
さっきと同じ紹介をした。そして始まる名刺交換・・・
そんなやり取りを数回繰り返し、やっと人波が収まったとき、私は疲れで大きなため息をついた。こういった名刺交換など、OL時代以来だ。
そんな私を見て、尋人さんは苦笑いした。
「疲れたか?」
「いいえ・・・ただ、慣れない事したので、ちょっと酸欠になりそうです」
いくら普段、仕事の時は出さないようにしているとはいえ、こう知らない人に話しかけられ、名刺交換が続くと、人見知りで引きこもり気質がいきなり出てきそうだ。
正直、逃げ出したい。
「俺、前に営業にいたから、他の会社の営業の人に知り合い多いんだ。制作部門に部署変更して随分落ち着いたけど、人脈って、大事だぞ」
「人見知り気質には耳が痛いです」
「それでも仕事の時は、人見知りじゃないだろ?」
「人見知りしてたら仕事にならないですから・・・言っちゃえば、生きる為ですよ」
そう、外で生きる為に、仕事中だけ、無理やり克服したのだ。本来の人見知りで引きこもりのままでは、世間で一人前に仕事するなんて不可能に近い。
こんな人付き合いが仕事中、そうでないにかかわらず続いたら、私はきっと壊れるだろう。
「休日に、一人で大好きな場所で、大好きな本を一人で読むために、人見知りを仕舞い込んで平日頑張ってるんです。これでも!」
「わかったわかった、悪かった」
尋人さん、本当にわかってるんだろうか・・・謎だった。
改めて周囲を見渡すと、広い会場に人が沢山いて、その向こうには、今日の主役・・・中田さんが立っていた。中田さんは、普段見ることがまずない、背広姿だった。普段から端正な顔立ちをしている上、ちゃんとした正装をしていると、本当にかっこいい。普段は、Vネックのシャツにジャケット、デニム・・・といったスタイルが多い彼、今の姿は本当に珍しかった。
そう、童話に出てくる王子様みたいだと思った。
そしてその周囲を取り囲む、出版社の偉い人達・・・その人達と談笑している彼の姿は、普段私が知っている彼とは別人のようで、遠くに感じだ。
尋人さんは相変わらず、まだ始まる前なのに他の社の営業の人にあいさつに回り、私もそれについてゆき、名刺交換して・・・それを繰り返し、疲れも限界に差し掛かった頃・・・
ようやっと、今日の主催者でもある、画集を出版する出版社の社長の挨拶が始まり、引き続き、中田さん本人の挨拶が始まった。それは、私が知っている中田さんとは別人のように、しっかりとした挨拶だった。
"沙織ちゃん"
いつも気さくにそう呼ぶ彼と、今、目の前で真面目に挨拶している彼・・・別人感に拍車がかかっていった。
(私、本当に中田さんの知り合いだったっけ・・・?)
そう感じてしまうほどだった。そしてそう感じれば感じるほど、遠くに感じた距離も手伝って、酷く私が場違いな場所にいるような気になった。
やがて、中田さんの挨拶も終わり、乾杯が終わり、立食パーティーが始まった。
出席者が右往左往する中、人の多さで食欲も失せ、私は会場の端で、ウーロン茶片手にぼんやりとその光景を見ていた。一緒に来た尋人さんは見失い、中田さんにはお祝いを言いたけれど、彼の周囲には出版関係の偉い人が集まり、私ごときがのこのこ行けるような空気ではない。
「今日の主役だもんねぇ…」
簡単に近づけないし、彼もきっと、私が来ていることに気づいていないだろう。何しろ、招待状は私個人に来たわけではなく、会社に届いたのだ。しかも、本当は萌先輩が来るはずだったのだし。私がいるとは思ってもいないだろう。
人ごみの合間合間で、時折見える尋人さんは、今まであいさつした人とはまた違う営業の人と談笑している。本当に顔の広い人だ。
それとも、彼自身もまた、自分の人脈を広げている最中なのかもしれない。
「人脈・・・か・・・」
人脈を広げるいい機会、そして人脈がこの業界でどれだけ大切かは重々承知しているけれども、この人の中に切りこんでゆく勇気はなく、持前の人見知りが顔を出して、心がすっかり折れていた。