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第14話

「この間フェルメール行っておいてよかったかも」


 どんよりとした空を見上げながら、地下鉄の乗り場までの道のりを歩いていた。


 空は雲で灰色がかった白で、今にも雨が降ってきそうだ。風も、台風独特の、生暖かい湿気を帯びている。この前フェルメールを観に言った時は良いお天気で、お出掛け日和だった。今日の子の天気と比べると、あの日に見に行けたのがラッキーだった。


「・・・早く帰ろう・・・」


 そう思って、改めて足を速めたとき。


 ポツン・ポツン・ポツン・・・・・


 雨粒が、空から少しずつ降ってきた。


「ヤバいかなぁ…」


 そう思いながらも、脚が先に進まない。


「来週は雨・・・か・・・」


 こんな雨を見ると、必ず思い出すことがある。


 それは、数年前、久保さんと初めて会った日の事。行きつけのブックカフェで偶然見かけた、不思議な雰囲気の、人。


 閉店時間まで、私も彼もブックカフェで本を読んでいて。


 店を出たら、土砂降りの雨だった。


 彼は傘を持っていなくて、思わず私は、折りたたみ傘を彼に貸してしまった・・・


 あれから数年たつのに、風の匂いも光の色も、ハッキリと覚えている。


 あの傘は、相変らず、私の手元には戻ってこない。あのブックカフェにも何度か行ったけど、あの傘が私の手元に戻ってくることはなかった。


 まさかあの偶然から数年後、こんな形で再会するとは思わなかったけれど。


 再会できたのはとても嬉しいのに。


こんなにも切ないのは・・・胸が痛いのは・・・


 考えに耽っていた私を現実に引き戻したのは、さっきよりもひどくなった雨だった。


ゴロゴロゴロゴロ・・・


そんな音と同時に稲光が一瞬辺りを包んだ。


「きゃっ!」


 降り始めて雨は止む気配はなく、どんどん酷くなって、私の服や髪の毛を濡らしていった。


 考え事をしている場合じゃない!


 私は慌てて走って、近くのカフェに駆け込んだ。


 折りたたみ傘は持っているけれど、そんなもんじゃ手におえないくらい、ものの1,2分で土砂降りになった。まるで真夏の夕立やゲリラ豪雨みたいだった。


 幸いそのカフェは私もよく利用するカフェで、私が店に入ると、顔見知りの店員さんがいらっしゃいませ、と言いながら洗いざらしのタオルを貸してくれた。


「これ、どうぞ」


 店員さんの好意に素直に甘えることにした私は、そのタオルで髪やカバンを拭いて、案内されるまま、窓際の席に通された。


「今日はこんなお天気だから、あんまりお客さんがいないんですよ」


 店員さんは苦笑いしてそう言うと、お水とおしぼりを持ってきてくれた。


「あーあ、私も早めに上がらないと、帰れなくなりそう」

 

 肩をすくめて、冗談とも本気ともつかない言葉を言うと、カウンターへと去って行った。


 店内を見回すと、いつものこの時間帯と比べて、お客さんが本当に少なかった。私の他に2,3組、お客さんの数は両手で数えて指が余るほどだった。


 もともと雨宿りのつもりで入ったので、長居するつもりもなく、かといって、いくら顔なじみとはいえ何も注文しないのも気が引けた。


 カフェオレを注文して、窓の外を見ながら、さてどのタイミングで帰ろうかなぁ…と、そう思った時だった。


『やーだ!聖夜ったら!』


 聞き覚えのある、少し甘ったるい笑い声が耳をくすぐった。聞き覚えがあるし・・・あまり聞きたくない声だった。


 思わず声のしたほうを向いてみると、そこは窓際とは正反対側の席で、ここからは一番離れた席だった。カウンターの向こう側で、きっと向こう側から私の席は見えにくいだろう。


 そこに座っていたのは、森野さんと・・・久保さんだった。


 二人とも、飲み物を飲みながら、何やら楽しそうに話していた。さすがに話し声までは聞こえないけど、カウンター越しに垣間見える2人の表情は、柔らかく笑っているように見えた。


「カフェオレ、お待たせしました」


 店員さんがカフェオレを持ってきてくれて、私はそれを飲みながら、カバンの中から読みかけの小説を取り出して読んだ。なるべく、2人に顔が見られないように・・・


 全然不思議じゃない風景だ。


 数週間前、再会した時も。


 この前、フェルメール展で見かけたときも。


 この二人は一緒だった。


 ただならぬ空気感は、2人の距離が近いから。


 二人でいるのがとても自然で、お似合いで・・・



 やがて、2人は立ち上がり、会計を済ませると、カフェを出た。そしてカフェの軒下で、久保は折り畳み傘を取り出し、森野はその傘に、遠慮することなく入り、相合傘で去って行った。


 その傘は・・・見間違えるわけがない!


 数年前、私が、久保さんと初めて会った時に、見ず知らずの彼に私が貸した傘だった。同じ傘なんてよくありそうだけど、私が好きなあのブランドのあの模様の傘は、今はもう取扱していなくて・・・手に入らない筈・・・


 その瞬間、心が折れた音がした気がした。


 相合傘で帰ることも、私が貸した折りたたみ傘をいまだに使っていることも、全然不思議なことじゃない。


 久保さんは、こんな土砂降り雨の中、森野さんを置いて、一人で自分の傘で帰れるような人じゃないし。


 こんな土砂降りなんだもの、赤の他人から借りた傘を使ったってバチは当たらない。


 でも、カフェに入って二人を見つけてから、去ってゆく一連の姿は、それだけで二人が、単なる同業者とか友達とかそう言う仲ではない、特別な恋人同士に見えた。


 自然に、そう思えたのだ。


 そしてそう思った瞬間、私の心が折れる音がした。


「あの二人、付き合ってるのかなぁ・・・」


 ふと出てきてしまった言葉は、きっと私の心の声。認めたくない想い。そして・・・


「やだ・・・私っ・・・」


 口元を抑えた。感じたのは、森野さんへの激しい嫉妬と、今まで感じたこともない、焦燥とも喪失感とも着かない想い・・・


「・・・どうしたんだろ・・・私。

 まるで、久保さんに恋してるみたいじゃない・・・」


 敗北宣言のような言葉。よりにもよって、気づいたのは、森野さんと久保さんが一緒に相合傘で帰る所を見たときだなんて!


 それでも、私は、二人の背中をカフェの窓越しに見送りながら、自分の思いを否定した。


「そんなことないよ・・・私は誰も好きじゃない・・・」


 別に恋愛恐怖症なわけでも何でもない。でも、他に好きな女性のいる人を好きになるほど愚かではないつもりだ。


 気持ちを落ち着かせるように、すっかりぬるくなってしまったカフェオレを一口飲んだ。


 不思議と、酷く苦く、飲んだ瞬間喉が痛くて、酷く噎せた。


 そして、噎せながらも、それでも、久保さんが、あの傘を、大切に使っていることは、砕けそうだった心を寸前の所で押しとどめ、わずかながらに心を明るく灯していた。



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