第12話
楽しみにしていたフェルメール展、あんなアクシデントに遭遇しながらも、すべて観終わった時には、充実感に満ちていた。以前は並んでいるときに気分が悪くなって倒れてしまったし、それを考えたら、展示されている絵画すべてを堪能できたのだから、充実感はこの上なかった。
でも・・・久保さんと森野さんが、仕事とはいえ一緒にいて、それを見てしまった事。そしておそらく、久保さんも、私が中田さんと二人で見に来ているところを見ている、という事実は、心に暗い染みを落としていた。
私達は、出口付近にある売店を物色しながら、心に残った絵の話をした。
「でも、やっぱり耳飾りの女が一番だなぁ・・・」
「そうですね。フェルメールの時代の青って、なんか特別というか、神秘的な感じがしますよね」
「沙織ちゃんは、お気に入りの絵はあるの?」
「うーんー・・・この絵が好き、っていうより、手紙を書いている女性とか、手紙を読んでいる女性とかは大好きです。どんなことを思ってるんだろう、って昔はかなり妄想しましたよ」
「でも、フェルメールの手紙がらみの作品って、ほとんどが不倫絡みなんだろ?」
「それを知った時のショックっていったらなかったですよ!
お願いだから私の夢を壊さないで!みたいな気分になりましたよー」
気が付くと熱く語っていた私を見ながら、中田さんの目が細くなった。
「・・・・本当に沙織ちゃんはフェルメール好きなんだね」
そう言うと、彼は、フェルメールの画集を置いてある所に歩いた。私も慌てて彼の背中を追うと、彼は迷うことなく、フェルメールの画集を手に取った。
「これ、今日の記念に、プレゼントさせてくれる?」
「は?」
突然の申し入れに返す言葉を失っていると、中田さんはさらに言葉を重ねた。
「きっと沙織ちゃんの事だから、フェルメールの画集は持ってると思うけど・・・これは特別、俺とここに来た記念だと思って、さ」
確かにフェルメールの画集や文献は何冊か持っているし、読んでいる。でも、今、彼が持っているのは、このフェルメール展限定の画集だった。実は私も、買おうと思っていたのだ。
「い、いいですそんなっ! 自分で買いますからっ!」
「チケットのお礼だよ。それに・・・今日は、2人で見れて楽しかった。やっぱり、同じ画家が好きな人と一緒にこういう所に来るのもいいな。
普段、俺、絵画展は一人で行く事が多いんだ。他の人に邪魔されずに見れるし、相手のペースに合わせないと・・・って思うと居心地悪くてさ。
でも、沙織ちゃんとは気があったし、一緒に見てて本当に楽しかったんだ。だから、そのお礼」
そう言うと、私の言葉には全く耳を貸さず、それをレジへと持って行ってしまった。
私は唖然として、その場に立ち尽くした。立ち尽くした視界には、レジで会計をしている中田さんの、スリムな長身と、視界の端にあった、小さな張り紙・・・
『フェルメール展、開催記念特別版の画集は、売り切れました』
ぼぅっとその言葉の意味を考えた。
・・確か、今回、ここでしか手に入らないフェルメールの画集は二種類あって、一種類は、開催記念特別版と称して、値段も高価で装丁も綺麗で、ファンなら一冊位、本棚に置いておきたいようなものだった。
でもそれはかなり早いうちに売り切れてしまったようで、今中田さんがレジに持って行ったものは通常版だった。
でも、中田さんは・・・きっと特別版があったら、そっちを買ってくれそうだ・・・そんな気がする。
そう思うと、売り切れていてよかったと思う反面、私ごときにそんなに気を使わなくていいのに・・・と思う。
「はい、どうぞ」
会計を済ませて戻ってきた中田さんから手渡されたフェルメールの画集を、私は遠慮がちに受け取った。
「いいんですか? この画集、頂いてしまって・・・」
遠慮がちにそう言うと、中田さんは相変わらず笑っている。
「こういう時は、素直にありがとうって、言ってほしいな」
私の気持ちなど全く気にしない様子で、彼はそう言ってくれた。
「ありがとう・・・ございます。じゃ、このお礼は・・・」
「いいよもう。それよりお腹空かないか? ここの側にお勧めのカフェがあるんだ。
そこで、フェルメールの続き、話さないか?」
その魅力的な提案に、私はあがらう事など出来なかった。
館内でフェルメールの話をしているときも、中田さんは一方的に話を聞くだけではなく、彼の意見もちゃんと言ってくれて、言葉のキャッチボールがとても心地よかった。
もっと彼と話がしてみたい・・・素直にそう思えたのだ。
でも・・・そう思えば思うほど・・・
(久保さんは・・・久保さんだったら、このフェルメールの絵に、どんな感想をいうんだろう・・・)
そんな思いが頭から離れてくれなかった。
今、私の側にいるのは中田さんなのに、気が付くと久保さんだったらどう思う? どう考える? と、彼の考える事ばかりが気になってしまった。
そして、私と中田さんの手を恋人繋ぎした時の、久保さんの視線が、心に焼き付いて消えてくれなかった・・・